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オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

宮田大の無伴奏チェロ・リサイタル

2018-10-10 14:30:22 | 音楽
10月9日(火)の夜に、紀尾井ホールで宮田大の「無伴奏チェロ・リサイタル」を聴く。19時開始で、20分間の休憩を挟み、終演は20時50分。客席はほぼ埋まっていて9割ぐらいの入り。曲目はバッハの無伴奏チェロ組曲3番が最初にあり、その後は全部現代曲。リゲティの無伴奏チェロ・ソナタ、黛敏郎のBUNRAKU、ブリテンの無伴奏チェロ組曲1番、アンコールにサマーズの曲。

宮田大は32歳で、バリバリ弾くので、現代曲も音色とテクニックで退屈せずに聞かせてしまう所が凄い。現代曲は普通のチェロ演奏のテクニックだけでなく、ピッチカートも含めた多様な音の出し方をする。こんな奏法があるのかというくらい、いろいろとやって見せる。確かにチェロの可能性を大きく拡げているのかも知れないが、絵画で行くとモンドリアンとか、ジャスパー・ジョーンズを見せられているようで、現代的だなあとは感心するものの、それだけのことだ。やはり、ダ・ビンチやラファエロの絵も見たいという気がしてくる。

聴いている方はそんな感じだが、演奏している方は面白いに違いない。黛敏郎のBUNRAKUは、文楽を題材にした曲で、最初はピッチカートで、ベンベンというような太棹の三味線を擬していて、途中から太夫の語りがボーイングで演奏される。面白いと思ったのは、右手で開放弦を弾きながら、左手ではポジションを押さえて左手の指ではじいてピッチカートの音を出す演奏だ。三味線でもこうしたテクニックはあるが、チェロで観たのは初めてだった。

黛敏郎の曲と聞いて、渋谷公会堂に通って「題名のない音楽会」の公開録画を見ていたのを思い出した。この番組は、アメリカでレナード・バーンスタインがやっていた「青少年のためのコンサート」を真似して始まったので、音楽家がいろいろと解説しながら演奏を聴かせるのがスタイルだったが、最近久しぶりに見てみたら、昔とはスタイルがだいぶ違っていた。

2時間ほど、チェロの音色を楽しんだが、この日は録画すると張り紙があったものの、舞台のチェロの前50センチぐらいのところと1メートルぐらいのところに2本のマイクスタンドが設置してあり、それが70センチぐらいの高さがあったので、なんとも観ていてうっとおしく感じた。二つもマイクスタンドが立っていたのは、ひとつは指向性マイクでチェロの音を拾い、もう一つは無指向性マイクで残響などを拾うのだろうが、なんとも邪魔だ。僕は二階正面から見ていたので、直接に視界を遮らなかったが、一階のセンターから見ていた人は、マイクが邪魔で、チェロの演奏がよく見えなかったのではないかという気がした。

良い音できちんと録音したい気持ちはわかるが、聴衆を入れている以上、もっと目立たない位置にマイクをセッティングすべきだろう。開催者のセンスを疑ってしまう。ついでにもう一つ文句を言うと、無料のプログラムが配られるのはありがたいが、曲目の解説の印刷がぎっしりと詰まっていて、読みにくい。読んでほしいのか、読んでほしくないのか判らないような印刷。横組みで1行あたり60文字以上詰め込んでいて、更に行間がほとんどないので、うまく読めない。きちんと行間をとるか、さもなくば2段組みにするとか、いろいろとやり方はあるのだはないだろうか。

終了した後は、少し風邪気味だったので、家に帰って食事。フェットチーネでアマトリチャーナを作って、イタリア・ワインの白を開けた。