劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

新国立劇場の「春の祭典」

2022-11-26 11:25:49 | バレエ
11月25日(金)の夜に新国立の中劇場で、ダンス公演を見る。前半が「半獣神の午後」で20分、休憩の後、後半は「春の祭典」で40分。場内は完全に満席で、売り切れとなっていた。ダンサーは新国立のメンバーだが、振付は平山素子の2本立て。「半獣神」は新作で、「春の祭典」は2008年の作品。以前に平山が自分で踊ったのを見た記憶があるが、今回は新国立の米沢唯、福岡雄大が踊るというので、楽しみだった。

プログラムからすると、何となくディアギレフのバレエ・リュスの有名レパートリーを現代化したような印象がある。もちろん、振付は一新されて現代化している。「半獣神」は、ドビュッシーの「牧神の午後」に笠松泰洋が曲を付け足したものを使用して、ソロダンサーが3人と12人の群舞が付くが、全員男性。ディアギレフ版では一人の牧神とニンフたちの物語だったが、今回の作品は全員が半獣神で、何となくプラトンの愛でボーイズ・ラブのようなムードだった。モダンダンスでは録音音源が多いのが残念で、この作品も録音音源。

後半の「春の祭典」はストラビンスキーの複雑な曲を、2台のピアノで生演奏する。このピアノデュオが素晴らしく、これを聴くだけでも価値があると感じさせる。オケ版よりも曲の構造がくっきりとわかるような気がした。ディアギレフ版では祭りで娘が生贄になるよう構成だったが、平山版では、男女のカップルが互いの距離を測りながら間合いを詰めるが、最後は大地に二人とも吸い込まれていく。作者の意図は知らないが、見ていると何となく「冬」を象徴する娘が、春の到来とともに姿を消すように感じられた。

どちらの作品もモダンダンスであり、特に物語性はないのだが、ある程度以上の時間を見るとなると、見ているほうは抽象性に耐えられないので、いつも物語で解釈してしまう。そうしていつも、物語付のバレエがわかりやすくて良いなあと、いう気分になる。それでも、米沢と福岡の踊りは見事で、一見の価値があった。

帰りに、中華料理屋で軽く食事。イカの四川風炒め物、鳥の窯焼き、八宝菜、春巻きなど。飲み物は紹興酒の5年物。GO TO EATの食事券を使う。バカげたバラマキ政策で税金の無駄使いだと思うが、施策が始まると利用してしまうのが、あさましい根性だなあと我ながら感じる。

レナード・スラットキン指揮のN響

2022-11-25 16:51:19 | 音楽
11月24日(木)の夜に、サントリー・ホールでレナート・スラットキン指揮のN響コンサートを聴く。9割程度の入り。11月末なので、クリスマスの飾りつけになって、華やかな印象。チケットも素手でもぎるようになり、クロークも復活したのでありがたい。寒い時期にコートを着ていくと、クロークに預けられずに困っていたが、これで問題は解消。入り口のアルコール消毒や、マスクの着用は、ほとんど意味がないとわかっているのに、いつまでも続けている。早くやめてほしいものだ。とりあえず、時差退場はなくなり、ストレスが減った。店内でおしゃべりしながら飲食している人はマスクを付けず、黙ってコンサートを聴いている人や、表を歩いている人が、マスクを着けているのは、なんと奇妙な現象か。

ところで、コンサートの演目は、ヴォーン・ウィリアムスの曲と、台湾人ヴァイオリニストのソロによるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。指揮者のスラットキンはアメリカ人なので、イギリスの作曲家ヴォーン・ウィリアムスの曲を採り上げた。最初に小品の「富める人とラザロ」のヴァリアント。イギリスに伝わる伝統的なバラッドの主題による変奏で、弦楽器だけの結構大きな編成での演奏。1939年の曲だが、前衛的ではなく美しい曲だったので、初めて聞いたが楽しめた。

次いでレイ・チェンによるメンデルスゾーンの協奏曲。まだ若手ともいえる新進気鋭の演奏者で、バリバリと弾いたが、高い音まで美しく響かせただけでなく、オーケストラが大きな音を出しても、それに埋もれずに、ヴァイオリンのの音色を聞かせた。ヴェテランの演奏も良いが、こうした若手による若々しい演奏も別の楽しさがあると感じた。

最後はヴォーン・ウィリアムスの交響曲5番。普通は早いテンポで始まり、早いテンポで終わることが多いが、この曲はモデラートで始まり、モデラートで静かに終わった。古典的ともいえるほどの調和を保った美しい響きで、聞いていて気持ちの良い曲。20世紀中頃でもこうした品格のある美しい曲を書くところがいかにもイギリス人らしいと感じた。

前夜もサッカーを見て遅くなったので、まっすぐ家に帰って、軽い食事。キャベツのサラダ、フランクフルト・ソーセージ、ハンバーグなど。飲み物は、白と赤のテーブル・ワイン。

二期会の「天国と地獄」

2022-11-24 14:55:40 | オペラ
11月23日(水)の夜に、日生劇場で二期会の「天国と地獄」を見る。ダブル・キャストによる4回公演の初日で、9割程度の入りだった。

オケは東京フィルで指揮は原田慶太楼。女性も男性もたくさん出るが、女性はほとんどがソプラノで、男性はテノールが多い。女性陣はみなよく声が出ていてよかったし、男性陣もジュピター役の又吉秀樹、マルス役の菅谷公博の声が良かった。この男性二人はバリトンで、声が良く響いたが、ほかのテノール陣は、それに比べると勢いがなく、声も弱かった。本当に、日本にはちゃんとしたテノールが少ない。

女性で主役ユリディスを演じた湯浅桃子は、歌も良かったが、演技もなかなかのもので、宝塚調ながら、コミカルに演じていて歯切れがよかった。前にも思ったのだが、この演出は美術が弱く、特に一幕のセットなどは見ているほうが恥ずかしいような貧弱さだ。お金をかけないとしても、ギリシャ物なのだから、古代のギリシャ風の柱でも何本か立てておいた方がよっぽど良いという気がした。

2幕の終盤ではおなじみのカンカン・ダンスがあるが、女性3人、男性2人のダンスグループが全員女装で踊るので、もうちょっと何とかならないかという気がする。女性の踊り手8人ぐらいで盛大にカンカンの踊りを見せてほしい。

それでも、サービス精神旺盛な舞台で、歌もまあ聞けたので楽しい舞台ではあった。雨が降って寒いので、帰宅して冷蔵庫にあるもので食事。イワシのオーヴン焼き、豚のペースト、サラダ、各種チーズなどでワインを飲みながら、サッカーの日独戦を見た。

新国立劇場の「ボリス・ゴドゥノフ」

2022-11-21 15:44:38 | オペラ
11月20日(日)の昼に、新国立劇場でムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」を見る。新国立劇場開場25周年記念の大作で、出演者も多い。新国立のレパートリーにロシア・オペラが少ないということで、芸術監督の大野和士はこのところロシア物にも力を入れているようだ。ピットに入ったのは珍しく東京都交響楽団で、大野自身が指揮をした。何しろ主役級のバス歌手が3人そろわないと上演できない作品だということに加えて、今の時期にロシアから歌手を呼びにくいので、製作ではいろいろと苦労があったのではないかと思う。午後2時から始まり、25分間の休憩が2回あり、終演は5時45分頃だった。長いオペラで見るほうも体力がいる。それでも9割以上も入っていた。

海外から呼んだのは、バス2人とテノール1人。あとは日本人キャストだが、全体的に歌唱のレベルは高く。歌や音楽は良い出来だった。中でも素晴らしかったのは僧侶ピーメン役を歌ったゴデルジ・ジャネリーゼで、歌声に酔いしれる感じ。ただし、イタリア作品のように美しい旋律のアリアがあるわけではなく、フランス・オペラ風に歌が延々と続く形式なので、聞く方もちょっと退屈する時がある。

物語は、16世紀末から17世紀初頭にかけてのロシアの皇帝争いで、イワン雷帝の息子の弱小皇帝を殺して皇帝の座に就いたかつての臣下ボリス・ゴドゥノフが、自分の過去の殺人などにさいなまれて、結局、イワン雷帝の偽の息子に成りすました僧侶に皇帝の座を奪われる話。寺山修司風に言うと、「皇帝がいないことが不幸ではなく、皇帝を必要とすることが不幸なのだ」(元はブレヒトだが)となるが、今でも皇帝を必要としているように感じられるロシアを的確に描いており、現代の上演の意義もそこにあるように感じられた。オペラの運びは、物語を知っていることが前提で、予習しておかないと、人間関係がよくわからない。休憩時間に、ロビーでは必死にあらすじを読み直す人が結構いた。

演出はマウリシュ・トレリンスキで、現代の欧州的な演出。時代風俗は現代となっており、動きの少ない舞台を補完するために、ビデオカメラで撮影した白黒の映像を舞台後ろに拡大投射していた。物語は歌で運ばれる形式で、歌舞伎の時代物のように、動きが乏しく退屈するといけないので、演出上はサービス過剰気味に内容を視覚化して見せる。ただし、ゴドゥノフがうなされるような内容の視覚化なので、かなりグロテスクと思われる演出で、あそこまで見せられるとうんざりだ。

歌はなかなか良かったのだが、観客もうんざりしてみていたようで、拍手も薄く感じられた。

雨が降っていたので、家に帰って、作ってあった餃子などで軽い食事。飲み物はヴァン・ムスー。悪夢を見そうな気がしたので、アマレットやコワントローなどの強いリキュールをがぶ飲みして、そのまま寝込んだ。

松本和将のリスト

2022-11-19 13:52:36 | 音楽
11月17日(木)の夕方に東京文化会館小ホールで、松本和将のピアノ・リサイタルを聞く。年に1回開催している「世界音楽遺産」の6回目で、今回はリストの曲の特集。来年はラフマニノフをやるとのこと。愛知から始めて栃木まで全7回の公演で、東京だけは昼と夜の2回公演。松本氏の演奏はこじんまりとまとめたりせずにバリバリと力強く弾くので、大好きなのだが、客の入りは薄く半分ぐらいしか埋まっていなかった。

使用したピアノは、ホロビッツか1980年代に使用していて持ち歩いたスタインウェイのCD75というもので、1912年製ながら、今でも美しい音色を奏でる。最近のスタインウェイに比べると高音は少し硬い響きで、きらびやかさはないが、その分落ち着いた音だ。ホロビッツ好きの松本氏は、これを弾いているとホロビッツを感じるらしい。

プログラムは、前半に「森のざわめき」、「愛の夢」、「ラ・カンパネラ」、「バラード2番」、「ハンガリアン狂詩曲2番」があり、20分の休憩後に「ピアノソナタロ短調」だった。アンコールで3曲ほど弾き、開演は3時で、終演は5時だった。リストの曲はどの曲も音が多いが、それを弾く中で、美しい旋律が一つだけでなく複数浮かび上がって聞こえるので、なかなか良い演奏だと改めて感心。ピアノソナタは、精神集中して、まるで憑依したようになって弾いていた。いろいろなピアニストを聞くが、やっぱり松本氏の演奏が好きだ。

ちょうどよい時刻になったので、帰りがけにビストロで簡単な食事。最初にイカと塩ゆずのカルパッチョ、続いてポルティーニ茸のクリームコロッケ、エスカルゴと牡蠣のブルゴーニュ風、最後に黒トリュフのリゾット。飲み物はイタリアの白。