劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

「ウィーン ピアノトリオ散歩」

2019-02-24 10:42:08 | 音楽
2月22日(金)の夜に、市ヶ谷のルーテル市ヶ谷ホールで行われた。ピアノとヴァイオリンとチェロの室内楽を聴く。江戸川橋にあるTJK音楽教室の講師をしている音楽家による演奏会。小さな会場だが、半分程度の入り。午後7時30分の開始で、15分間の休憩を挟み、終演は9時15分頃だった。

最初はヴァイオリンとピアノによるFAEソナタで、ディートリッヒ、シューマン、ブラームスの三人による共作という珍しい曲。4楽章を3人で分担して書いた作品だが、ブラームスの作曲した3楽章のみがよく演奏されているが、今回は全曲の演奏。それぞれの作曲家の個性も楽しめる。

次はチェロとピアノによるシューベルトの「アルペッジョーネとピアノのためのソナタ」。アルペッジョーネというのは当時の楽器で、フレット付き6弦の楽器で弓で演奏するものらしいが、現在では使われていない楽器なので、音域が近いチェロを使っての演奏となるようだ。アルペッジョーネは6弦でチェロは4絃なので、チェロで弾くと高域の部分の演奏が難しそうに感じられた。曲としてはシューベルトなので、美しい曲だった。

最後はベートヴェンのピアノ三重奏曲で、7番の「大公」。ベートーヴェンらしい端正で美しい曲。やはりベートーヴェンは良いなあと感じさせる。

こうした室内楽は大きな会場で聴くと面白くないが、小さな会場でまじかに見て聞くと素晴らしさを再発見する。また、普段はあまり聴く機会が少ない曲も聞けて楽しかった。

新国立劇場の「紫苑物語」

2019-02-21 10:41:37 | オペラ
2月20日(水)の夜に、新国立劇場で新作オペラ「紫苑物語」を観る。17時開始の予定だったが、皇室関係者や外国要人の鑑賞があり、開始は約10分間遅れて始まった。1幕、2幕とも約一時間で、途中休憩25分間を挟み、終演は9時45分頃だった。

新国立劇場創作委嘱作品、世界初演となっていて、芸術監督の大野和士も力を入れて宣伝に努めていたし、自ら指揮を担当するので、若干期待していたのだが、正直言って全く面白くなかった。というよりも楽しめなかった。石川淳の同名小説のオペラ化で、西村朗が曲を付けた。西村朗は現代音楽の作曲家で、多くの作品を書いているが、オペラはほとんど書いていないのではないかと思う。

台本は佐々木幹朗で、詩人だと思うが、オペラの台本として優れているとは感じられなかった。この作品の中心的な主題は主人公である宗頼の心理的な葛藤だろうが、それがうまく台本に描けていない。周りの登場人物たちの人物像もあいまいだ。それほど複雑な物語展開ではないので、うまく書けば十分に表現できると思うが、台本に言葉遊びのような無駄が多く、人物像を描き切れていない。

台本上は、心情を吐露するアリア的な部分、物語を説明する合唱部分、それから物語を展開するためのレチタティーヴォ的な台詞的部分などにより構成されている。音楽上は明確に区分はしていないが、心情吐露のアリア的部分、コロス的な合唱部分は、およそ旋律的ではない現代音楽を好むかどうかを除けばそれほどの違和感は感じなかったが、会話部分の取って付けたような歌唱は日本語を破壊しており聴くに堪えなかった。

およそ不自然に感じる日本語で、字幕を見ないと聞き取れない。今回は日本語字幕のほかに英語字幕も出ていて、日本語で分からない時には英語字幕も見ていたが、英語字幕も訳しきれていないように感じた。音楽を凝って現代風にするのはよいが、日本語として成り立たないような歌唱で、意味が通じないのは演劇としての要素があるオペラでは致命的だ。日本語が乗らない音楽だから、結局、歌詞も意味のない言葉の羅列となったのではないかと感じた。

笈田ヨシの演出は、好きではないが、それなりに整理されていた。1幕の踊りの振付は、いかにも取って付けたような子供騙しの振付で感心しなかった。また、照明が暗い割に妙に強い光を当てた部分があり、長時間観ていると疲れた。

音楽は、時にはヤナーチェク、時には黛敏郎みたいな感じで、見ているうちに昭和30年代の前衛的な大映映画の音楽を思い出すような感じ。100人を超すような大編成の都響がのべつ幕なしにキンキンとした音楽を演奏するので、聴いているだけでも疲れてしまった。

歌手陣は充実していて、高田智弘、清水華澄が見事な歌唱を見せていた。あんな変な曲を良く歌えるものだと、妙な感心をしてしまった。

現代音楽としてはそれなりに書かれているのだろうから、音楽評論家などは褒めたりするのかも知れないが、客席での拍手は「熱狂」ではなく「まばら」な印象。カーテンコールなどする力が拍手にはなかったが、劇場の照明を落としたまま、閉めてはすぐに開ける幕で、観客にカーテンコールを強要していた。そんなことをするくらいならば、客席にサクラを沢山配置してブラボーと大声で叫ばせた方が良いのではないか。

ブーイングをしてもよさそうな出来だと思ったが、日本の聴衆は礼儀正しいので、「義理」拍手を贈っていた。演じている方は、こんな難しい作品をやり切ったという、充実した満足感に浸っているのだろうが、観客の正直な感想を聞くべきだと思う。




国立小劇場の「大経師昔暦」

2019-02-17 10:53:40 | 文楽
2月16日(土)の昼に、国立小劇場で、文楽「大経師昔暦」を観る。今月は3部制なので、2時半に始まり、20分の休憩を挟み、5時半に終わった。大経師とは江戸時代に暦を作る権利を持っていた町人だが、独占的な権利なので、裕福な家で使用人もいる。基本的には大悪人は登場せず、皆善人だが、番頭は少し嫌な奴という感じ。その町家で、ちょっとした間違いから、主婦のおさんが、旦那の浮気性を懲らしめようと、使用人のお玉と入れ替わって待っていたところ、男がやって来たので関係を持つと、別人だったため、姦通の罪で追われる身になってしまうという話。

こうした話は西洋の演劇でもよく出てきて、旦那の浮気を懲らしめるために召使と入れ替わるというのは「フィガロの結婚」にも出てくる。こうした話は、西洋では多くの場合には喜劇とか笑劇となるが、江戸時代に近松が書いた作品では悲劇に近い。江戸時代の姦通罪というのは、一般の町人でも重罪なのかとちょっと驚いた。まあ、財産がなければ問題にはならないだろうが、裕福な家では跡継ぎの問題もあり、厳しく扱われたのかも知れないなどと考えた。

さて、公演は全体に低調なムードだ。これは、太夫が揃っていないことに尽きる。人形も「おさん」を遣う和生が一人奮闘する感じだが、太夫の貧弱さは目を覆うばかりだ。三味線は團七が素晴らしい音を出していたので聞き惚れたが、太夫はそれについていけていない。

というわけで、結構、見せ場のある演目だとは思うが、あまり楽しめなかった。早く太夫が育ってくれないかなあと思うが、絶対的な人数が少なく、ちょっと心配だ。何とか応援したいと思うが、どうしたらよいのだろう。とりあえず、大阪市が過去に削った補助金を復活させて、きちんと支援する姿勢を示してほしい。今回の第二部は、土曜の昼の講演だったが、少し空席があったのは残念だ。きちんとした演目をやれば、東京では客は入るので、東京での公演数を増やしたらどうだろうか。

5時半に終わったので、居酒屋で日本酒を飲みながら食事。土曜なのであまり開いておらず、チェーン店に入ったらおいしくなかった。やはり、個人経営の店の方が良いと思った次第。

東京音楽コンクール優勝者コンサート

2019-02-12 11:41:39 | 音楽
2月11日(月)の昼に、東京文化会館で「東京音楽コンクール」の優勝者コンサートを聴く。15時開演で、終演は17時ごろ。場内は5階まで満席。東京音楽コンクールは、本選もきちんとオケの伴奏が付くが、優勝者コンサートもオケの伴奏がついて本格的な演奏会となる。今回は角田鋼亮指揮による東京フィルハーモニー交響楽団との競演。

今年は三部門で、弦楽器部門はヴァイオリンの関 朋岳が バーバーのヴァイオリン協奏曲、金管楽器部門はトランペットの三村梨紗が シャルル・シェーヌのトランペット協奏曲第1番、声楽部門はソプラノのザリナ・アルティエンバエヴァがグノーのアリアを2曲、ベッリーニのアリアを1曲歌った。

バーバーのヴァイオリン協奏曲は初めて聞いたが、1楽章、2楽章は美しいというよりもあまり変化がなく退屈な曲だが、第3楽章で技巧的なテクニックを見せる場面があり、締めくくりは少し盛り上がった。関氏の演奏は、室内楽が好きというだけあって、静謐な印象で派手さはないが、きちんと弾いていた印象。

トランペットの協奏曲も初めて聞く作品だが、3楽章合わせて15分程度の短い作品。トランペットのいろいろなテクニックを披露するのに良い曲のようだ。三村嬢は東京音楽コンクールで優勝しただけでなく、ほぼ同じ時期に開催された日本音楽コンクールでも優勝している。インタビューによると、小学4年生の時からマーチングバンドでトランペットを吹いていたとのこと。

最後のソプラノは、カザフスタンの出身で、ロンドンで音楽教育を受けた女性。すでに声楽家として成熟した声を持っており、大きな会場で歌っても会場やオケに負けないだけの立派な声量を持っていた。インタビューでは、今後はベルカントの作品を歌いたいと語っていたが、ドニゼッティなどを聴いてみたいと思った。

最後のソプラノがなかなか良かったので、すっかり良い気分となり、帰りには河豚を食べる。湯引き、てっさ、白子焼、鍋など。ひれ酒を久しぶりに飲むが、この香りはなかなか良い。締めに雑炊を頂いて、すっかり満腹となった。

新国立劇場の「タンホイザー」

2019-02-07 16:00:53 | オペラ
2月6日(水)に、新国立劇場で、ワーグナーの「タンホイザー」を観る。17時30分に開演して、25分の休憩が二回あり、終演は21時40分頃だった。平日の夜だが、客席はほぼ埋まっていた。開演前から、妙に警備が物々しかったので、誰が来るのかなと見ていたら、皇太子殿下が見に来ていた。隣には芸術監督の大野和士が座っていた。ネットで調べると、よくオペラを観に来ているようで、特にワーグナーはお気に入りのようだ。

タイトル・ロールのタンホイザーを歌うのは、トレステン・ケールで、声もよく歌もうまかった。さすがに高い評価を得ているだけのことはある。タンホイザーの思い姫となるエリーザベトはリエネ・キンチャで、迫力のある声がよく出ていたが、歌のうまさという点では、もう一つといった感じ。ラトヴィア生まれらしいが、素晴らしい声なので、彼女の声を聴くためだけでも、劇場に足を運ぶ価値があると思う。

日本人では、領主役を歌った妻屋秀和がいつもながら素晴らしい働きだった。

演出はオーソドックスなもので、わかりやすく好感が持てた。装置衣装も、あまり抽象化したものではなく、よくムードを出していて面白く観た。一幕の前半には踊りが入るが、新国立バレエ団から20人ぐらいの出演があり、オペラとバレエの協力という点でなかなか良いと思った。振付は結構モダンだったが、話の内容からすると、もう少し官能的な振付にしても良いのではないかという感じだ。

2幕の途中には有名な行進曲が出てきて、長く続くが、新国立劇場の合唱団が100人近く出てきて入場行進を見せ、飽きさせない演出となっていた。合唱団の歌も迫力があり、楽しめる。

話しの内容としては、ヴェーヌスベルク(ヴィーナスの里とでもいうムードか?)で、色香に迷ったタンホイザーが、ローマまで巡礼して、神の代理人たる法皇から贖罪を受けようとするものの、法皇に拒否され、失意のうちにヴェーナスベルクへ戻ろうとするが、密かに恋心を抱いていたエリーザベトの祈りにより、タンホイザーが神に召されるという話。

一体、ヴェーヌスベルクとは何なのだろうというのが気になる。法皇が贖罪を拒否するだけの大罪なのだろうか。もしかすると、異教的な物があるのかも知れない。時代的には、宗教改革前の話しなので、カトリック的に神の代理人たる教会が権限を持っていたのだろうが、そうだとしたら、教会に許しを求めるのではなく、神に直接許しを求めるエリザベートの態度は問題にされないのか、などとつまらないことを考えながら観てしまった。

遅くなったので、開いている店が少なく、居酒屋で日本酒と海鮮料理を食べて帰る。