劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

中目黒ウディシアターの「I Do! I Do!」

2018-04-28 10:34:39 | ミュージカル
4月27日の昼に、中目黒ウディシアターで「I Do! I Do!」を観る。50年ほど前に日生劇場で観た記憶があるが、改訂台本版ということで久々に観る。14時開演で、20分の休憩を入れて終演は16時35分頃だった。100席ぐらいの小さな劇場で、どうしても観客は詰込みになってしまうので、長く見ていると辛い。もう少し大きな劇場でやってもらえるとありがたいという気もする。

50年前に観たときには、「結婚物語」という題名だったような気がするが、もはやカタカナ題名でもなく英語そのままの題名となったのは、時代の変化か。題名となっているのは、結婚式で、神父や牧師から、結婚を誓うかという問いかけに対して答える言葉だが、英語のままの題名で通じるのかなあと、思う。

もとはブロードウェイの大劇場での上演だが、二人しか出ない芝居だから、小劇場で上演しても全く問題ないというよりも、小劇場向きの作品と感じられる。配られたパンフレットには、ハーヴィー・シュミット追悼公演となっていた。「追善」ではないんだと思ったりする。シュミットは、トム・ジョーンズと一緒に「ファンタスティックス」という名作を書いているが、最近亡くなったらしい。そこで、今回の公演にあたっては、台本担当のトム・ジョーンズが結構手直しして改訂台本を作ったようだ。相当の高齢だと思うがまだ元気なようだ。

観た印象では、台本はそれほど変わった印象はなく、全体の流れは維持されていた。昔と訳詞が違うためか、音楽が変わったような気もしたが、伴奏がオケではなくピアノ一台だったからかも知れない。古い記憶であやふやなのだが、初演での公演は生オケなのだが、ピットには入らず、舞台の後ろの紗幕の中で演奏していた気がする。そうすると舞台と客席が近づいてとても見やすいと思った。今回もピアノ一台だが、後ろの紗幕の裏で演奏していた。

振り付けは、勝田ミュージカルをいつも担当しているジム・クラークだが、昔風にきちんとした定番の踊りが振付てあって、なんとなく安心した。対して踊りをするわけではないが、ちょっとした動きで時代が出るので、大事なことだと思う。

それにしても、久々に聞いた音楽だが、いい曲が多いなあと、改めて感じる。ブロードウェイの初演が1966年だから、未だ、ロック音楽に汚染されていない時代だったのかなあと考える。やっぱり、ミュージカルhあこういう音楽が良いと思いながら、急いで上野に向かった。夜はバレエを観る予定なので、移動時間がギリギリ。途中でカフェラテを飲んで一息ついた。

新国立の「アイーダ」

2018-04-21 06:12:26 | オペラ
4月20日夜に新国立劇場で「アイーダ」を観る。18時開演で、3回の休憩合計70分を挟み、終演は22時。客席はほぼ満席だった。夜の回のためか、いつものオペラの客層よりも少し若い世代が中心。全体で4時間にわたる長い公演だが、定評のあるゼフィレッリの演出版なので、ダレることなく最後まで惹きつけられた。

この作品は、一番有名な歌が、一幕の最初に出て来るので、その後は少し退屈することもあるが、ゼフィレッリ版では全く退屈しない。それは、美術とスペクタクルで見せるからだ。
特に2幕後半の「凱旋」の場面がスペクタクルですごい。エチオピアと戦ったエジプトが勝利して、兵士たちが凱旋してくる場面だが、一体何人が出て来るのか判らないほど、次から次へと兵士たちが行進してきて、民衆たちが声援を送る。全部で300人を超えるのではないかという感じ。新国立の大きな舞台が、人で埋まった。人だけでなく、馬も二頭も登場する。

単に大勢出てくるだけでなく、エジプトの古い神々の像をいろいろと担いできたり、山のような戦利品を持って登場する。この場面ではバレエも充実していて、更にこの作品にしか登場しない、長いアイーダ・トランペットも10本登場する。こうした、物量の大絵巻物みたいな演出は、フランスのグランド・オペラの流れを汲むものだろうが、欧米の大劇場で時たまやる「活人画」みたいな感じで、見ているとそれだけで面白い。

いつも思うのだが、こうした公演に新国立のバレエ団は出てこずに、今回も東京シティ・バレエ団が出演。石井清子の振付でなかなか楽しめる踊りだが、何のために新国立のバレエ団がいるのだろうと、疑問に思う。

音楽的にも素晴らしく、アイーダを歌った韓国出身のイム・セギョンは、小さな体だが圧倒的な声量を場内で響かせた。間違いなく世界水準だ。コーラスも人数が多いせいか、音に厚みがあってよい。日本人の出演者では、ベテランの妻屋秀和が存在感を示した。

最近は、妙なコンセプト演出の作品も多いが、こうした正統派の演出作品は、観ていて安心感があり、本物のオペラを観たという気分にしてくれる。ただし、出演者の人数が多いので、一体どれだけお金がかかるのか心配になる。やはり、オペラは商業ベースではなかなか成り立ちにくいかなと思った。

帰りは遅くなったので、店では食事できず、家に帰って軽い食事。作っておいたタプナードと田舎風のパン、スペイン風オムレツと赤ワイン。

シアターオーブの「メリー・ポピンズ」

2018-04-19 10:11:59 | ミュージカル
4月18日の夜に、シアターオーブで「メリー・ポピンズ」を観る。18時開演で、25分間の休憩を挟み、終演は21時ごろ。一幕80分で、2幕は70分だから、最近のミュージカルとしては少し長め。客席は少し空きもあったが、概ね埋まっていた。オペラなどに比べると、客層は圧倒的に若い。エンターテインメントとしてよくできた舞台という印象で、楽しめた。ジュリー・アンドリュースの映画が強い印象として残っているので、それを丁寧になぞるだけかと思っていたら、結構真面目に台本を書いて、映画には出てこない人物なども登場させて、ドラマを再構築している。その結果、バンクス家の父親と母親の役割が増えて、親子の絆を取り戻す芝居ということが明確となった。

音楽は、映画のシャーマン兄弟の曲がヒットしたので、ヒット曲はそのまま使っているが、同じぐらいの量の曲を新たに追加している。その結果、台詞量よりも音楽量が圧倒的に増えて、少ない台詞もアンダースコアが入っているため、音楽に急き立てられるよう早口で喋る形となっている。だから、映画版では、セント・ポール寺院での鳩の餌やりの歌が全体を貫くテーマとなっていた(映画冒頭の音楽はこの曲から始まる)が、舞台版では単なるエピソードの一つとなっている。

振付はマシュー・ボーンで、バレエ的な動きも取り入れて、なかなか良い。ダンサーたちも充実している。ダンサーだけで男女各10人ぐらいづつ出ているので、出演者は全体で30人ぐらいいて、最近のミュージカルとしては充実していた。しかし、オケは10人足らずで、薄っぺらい音。良く数えなかったが、金管3人、木管2人、キーボードが一人、パーカッションも一人、弦はチェロが一人だけみたいな印象。コントラバスが入っていないので、代わってチェロがG線でギコギコするのをマイクで拾っていたが、音として美しくない。あまりにもマイクを使いすぎる傾向は、ちょっとうんざりする。

チラシには書いてなかったが、セットが良く工夫されていて素晴らしい。恐らくはオリジナル版のコピーだが、早い場面転換を支えている。楽しませる点では最後にメリー・ポピンズが去る場面ではワイヤー・ワークで3階客席の上まで昇っていくが、これがなかなか洗練された技術で素晴らしい。歌舞伎の宙づりももう少し洗練されたやり方に変更しても良いのではないかという気がした。

劇中の公園の散歩で絵の中に入る場面では、映画版では、ロンドンの路上芸人の衣装を付けたいわゆる「パール・キングとクイーン」が目立つが、舞台版では何とヴィクトリア女王が出てくる。ちびデブというヴィクトリアのイメージ通りだが、イギリス人はいまだに大英帝国時代のヴィクトリアが好きなのかなあと思う。この作品は、一応ディズニー映画が基になっているが、イギリスの大製作者キャメロン・マッキントッシュの製作だから、イギリス的なムードに溢れた感じに仕上がったのではないだろか。

帰りはいつものスペインバルで食事。トルティージャや塩たらとあさりの煮込みなどを食べながらワインを飲む。




山田由美子の「第三帝国のR.シュトラウス」

2018-04-17 10:41:56 | 読書
「第三帝国のR.シュトラウス」を読む。シュトラウスには、ヨハン・シュトラウス、オスカー・シュトラウス、チャールズ・シュトラウスなど作曲家が多いから、「R」を付けたのだろうが、最初からリヒヤァルト・シュトラウスとしても良いのではと思う。副題には「音楽家の≪喜劇的≫闘争」とある。世界思想社から出た本で、2004年の出版。本文は250ページほどの本。大学の先生が書いているので、注釈が沢山ついている。

リヒヤァルト・シュトラウスは、名前も同じなので、ワーグナーの後継者のように言われた時期があり、そうした点でナチスにも担がれて、戦後はナチス協力者として批判された時期もあったが、この本では、いろいろと丹念に調べて、自分の生活を守り、ドイツ音楽を守るために、ナチスに協力する「ふり」をしただけで、実際は協力しなかったと書いてある。

僕の興味は、初期には『サロメ』や『エレクトラ』などの前衛的な作品を書いていたのに、なぜ突然に『ばらの騎士』みたいなモーツァルト風に変わったのかという点だが、その点に関しては明確な答えは見つからなかったものの、いろいろとヒントは見つかった。

本の前半は、ナチス台頭以前のシュトラウスの活動の伝記的な記述で、台本のホーフマンスタールとの関係がいろいろと書いてある。普通の本では、この二人で沢山のオペラを書いたので、息があったとなっているが、この本を読むとそうではなかった様子が良く分かる。むしろ、『無口の女』を書いたツヴァイクの方が、シュトラウスのお気に入りだったようだ。

ところが、そのツヴァイクがユダヤ人だったために、『無口の女』を上演するために、シュトラウスの「喜劇的」ともいえる闘争が始まる。後半は、ナチスの戦争のことなどが妙に詳しく書かれていて、判りやすくはあるが、本の本題とは少し外れた印象を受けた。

著者はシェイクスピアやセルバンテスなど、ルネッサンス後期の文学の専門家で、音楽の専門ではなさそうだが、そうした人が書いているので、いわゆる音楽的な観点で書かれた本とは異なり、新しい観点があり、面白く読んだ。

草間彌生美術館

2018-04-13 20:23:39 | 美術
4月12日に、新たにオープンした草間彌生美術館を見にいく。週末しかやっていない完全予約制の美術館で、インターネットで予約、決済して、予約時間に行った。二次元バーコードを読み取り、腕にシールを張られて見学となる。

あまり大きくない美術館なので、階段で登りながらみて、エレベーターで降りてくる設計になっている。ニューヨークにあるグッゲンハイム美術館は、最初にエレベーターで上へ昇って、ぐるぐると回りながら降りる式だったが、どうして、降りる式ではなく登る式なのだろうと思う。

まあ、とにかく昇っていくと2階は1950年代の作品の展示で、草間彌生の初期の作品が展示されている。草間彌生といえば、かぼちゃと水玉みたいなイメージだが、50年代の作品では、それほどそうした形にはなっていない。3階に昇ると、今度は突然に21世紀の最近書かれた作品が展示してあり、水玉というよりも目玉が沢山描かれている。50年代と、21世紀の間の展示はない。

4階は絵画ではなく、光るかぼちゃの展示で、暗い部屋に6人ずつ入り、マジックミラーで四方を囲まれたかぼちゃの立体物が並ぶオブジェをみる。合わせ鏡の仕組みで、どこまでもかぼちゃが続いて見えるので結構面白い。

更に5階まで昇ると、天井のない屋上のような空間に、大きなかぼちゃのオブジェが展示したあった。そこから、エレベータで1階に戻り、売店をチェックして、何も買わずに帰った。まあ、現代美術はそれほど好きな方ではないが、階段を昇っていくときに足元を見ると、階段の構造は壁から薄い板が飛び出ただけで、壁の反対側にはなんの支えもない。高所恐怖症の僕としては、それを見たとたんに、脚がすくんで昇れなくなってしまった。スタイリッシュさを求めて、無理な構造を作るのは良くないと思う。建物もよく見ると、外壁が大きく空いた窓になっていて、構造的に大丈夫なのかと心配になる。開口部を大きく取ったにも関わらず、作品保護のためかブラインドを下ろしているので、一体こんなことをしてどんな意味があるのだろうと疑問に思う。

建物を出ると、ちょうどお昼時になったので、美術館の近くにある蕎麦屋へ行って定食を食べる。昔は「松下」という日本料理の名店があったところだが、現在では息子が店を継いで、蕎麦屋となり店名も変わっているが、きちんとした料理も出しておいしかった。