劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

新国立劇場の「ドン・ジョヴァンニ」

2019-05-26 11:10:19 | オペラ
5月25日(土)の昼に新国立劇場でモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を観る。14時開演で、25分間の休憩を挟み、終演は17時30分頃だった。観客層は、普段よりも少し若く見えた。土曜の昼間なので会社勤めの人なども多そうだ。客席は満席で空席はまったくなかった。

何度か見た演出だが、スペインのドンファンの話を、ヴェネチアのカサノヴァに見立てた形で話が進む。従って最初はゴンドラに乗ってドン・ジョヴァンニが現れる形。二幕の仮面舞踏会の場面ではいかにもヴェネチアらしい仮面の服装もある。

今回の公演では指揮者は若々しいカーステン・ヤヌシュケで、主にウィーンで活躍している人らしいが、演奏も重厚というよりも軽やかな感じだった。今回良いと思ったのは、歌手陣が揃っていたこと。かなり高いレベルで歌ったので、歌がどれも楽しめた。特に良いと思ったのはドンナ・アンナ役のマリゴーナ・ケルケジで、クロアチア出身となっているが、声も体つきも立派で、歌唱は安定していた。また、ドン・オッターヴィオ役のファン・フランシスコ・ガデルも美しい声で、うっとりとさせてくれる。新国立劇場では初登場となっていたが、こういう人はぜひまた呼んでほしいと思った。

日本人でよかったのはドンナ・エルヴィーラを歌った脇園彩で、普段はイタリアでロッシーニ・フェスティヴァルなどの出演しているようだが、他の主役級に引けを取らない堂々たる歌いぶりだった。

ドン・ジョヴァンニが最後に地獄に引き込まれる場面は、セリで落ちていく形だが、あまりにもありきたりで面白くない。新国立劇場の舞台機構はいろいろとあるので、それをフルに使った新演出があると良いと思う。

水準の高い公演だったので、すっかり気分が良くなり、行きつけのフランス料理店で食事。ボルドー産の白アスパラガスが入っているというので、オランデーズ・ソースで頂く。これにはボルドーの白ワイン。続いて子羊のグリル。こちらはラングドックの赤ワイン。すっかり満腹になるが、アイスクリームとソルベのデゼール。最後はエスプレッソで締めた。

浜松国際ピアノコンクール 入賞者披露演奏会

2019-05-22 11:18:16 | 音楽
5月21日(火)の夜に紀尾井ホールで行われた浜松ピアノコンクールの入賞者コンサートを聴く。18時45分開演で、15分間の休憩を挟み、終演は21時だった。紀尾井ホールの普段の客層は年齢が高めだが、コンクールの発表会のためたか、随分と若い人が多く満席だった。1階席中ほどで聴いたが、少し前に反田恭平が聴きに来ていた。

発表会に出演したのは5名で、1~6位のメンバー。2位の牛田智大は出演しないので5人だ。6人のうち日本人が4人を占めたが、優勝はトルコのジャン・チャクムル、他に3位に韓国のイ・ヒョクが入っている。過去の優勝者を調べてみたら、日本人は一度も優勝していないようだ。1991年から始まり、3年に一度のコンクールで、今回が10回目となっていた。

コンクールは、それぞれに選考方法が違うが、浜松のコンクールは予選が1~3次まであり、その後本選が行われる。1次予選は20分以内で自由曲。2次予選は40分以内で、時代区分の異なる2曲を複数の課題曲から選ぶ、3次予選はモーツァルトの室内楽(弦楽器との共演)と自由曲。本選はオケとの共演で課題曲の中から選んだ協奏曲。審査員は国籍の異なる10人のほかに、日本人の審査委員長がいる形。まあ、課題から言って、オールラウンドにピアノを弾ける能力が求められそうな選考だと思った。パンフレットによると、応募した人は37か国1地域の382人で、予選に選ばれたのは21か国1地域95人となっていた。

そうした形で選ばれるので、入賞者が弾くピアノ曲だけではあまり判断が付かないが、どういう人が選ばれるのだろうというのが一番の興味だ。

コンサートは6位入賞者から始まり、最後に優勝者が弾く。一人当たりの時間は20分程度で、優勝者だけは少し長い感じだった。使われたピアノはカワイとヤマハのコンサート用グランドピアノで、浜松のコンクールだからやはりスポンサーが明確なのだと思った。5人のうち、優勝者を含む3人がカワイ、他の二人がヤマハを使った。カワイのコンサート用グランドピアノは初めて聞いたが、高音は華やかで、中音はふくらみがあり、低音も力強く、なかなか良い響きだと感じられた。ヤマハはそれに比べると強い個性はなく、そつなくきれいにまとまっている印象だ。紀尾井ホールにヤマハやカワイがあるのかと思ったら、終演後にはピアノを運ぶ専用のトラックが2台並んでいた。

前半は、6位~4位の日本人3人が演奏したが、曲目はバルトーク、ドビッシー、ショパンなど。音が多くてうるさいくらいのバルトークやドビッシーはテクニックで聴かせてしまうような曲だが、ショパンのゆっくりして音の少ない部分は、いかに音楽性や個性を出すかが問われる部分で、そうしたところは日本人が苦手なところかも知れないと感じさせるものがあった。

後半はイ・ヒョクがストラヴィンスキーを弾いて、これはなかなか聴いていて面白かった。最後の優勝者ジャン・チャクムルは長身でひょろっとした感じだが、脚が長く、膝がピアノの鍵盤の下にぶつかっているような感じの青年。バッハとメンデルスゾーンを弾いたが、バッハが結構現代的な音に聞こえるような演奏で面白かったし、メンデルスゾーンのとても音楽性豊かで楽しめた。優勝者は明らかにほかのメンバーとはレベルが違うと感じられた。日本人で2位に入った牛田智大が出演しなかったので聴き比べできなかったのがちょっと残念だった。

結構、テクニック的には皆問題ないレベルなので、あとはいかに個性を出せるかどうかというのが違いになるのかも知れないと感じる。

自宅に帰って軽い食事。ボルドーの赤ワインと、田舎風のテリーヌ、サラダ、ほうれん草のソテーなど。

文京シビック・センターのラフマニノフとリムスキー=コルサコフ

2019-05-19 10:36:47 | 音楽
5月18日(土)の午後に、文京シビック・センターのコンサートを聴く。曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と、リムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」。オケは東京フィルハーモニーで、指揮はベテランの大友直人、ピアノはまだ若い鈴木隆太郎だった。午後3時開演で、20分程度の休憩を挟み、終演は午後5時だった。アンコールには同じロシアの作曲家チャイコフスキーの「花のワルツ」。場内は満席で、ここでも年金生活者層が多いムード。開演20分前に着いたら、ちょうどロビーで15分間のミニコンサートが始まるところで、フルートとハープの小品を3曲演奏していた。簡単な解説も付けてやっていたので、結構面白い。

どれも聞きなれた曲だったが、聴きなれた曲というのは自分のイメージが固まっていることもあり、それとずれると違和感を感じることがある。ラフマニノフの2番は、小学校時代に下校時刻を知らせる曲として流れたので、曲名も知らないまま毎日のように聴いていた曲。学生時代にはマリリン・モンローの映画「七年目の浮気」の中で出てきたので、初めて曲名を知った。

自分のイメージの中では、どんよりと曇った空を背景として、ロマンチックなムードを感じさせる曲という感じだったのだが、この日の演奏では楽譜通りというか、清潔感が漂い、サラサラと流れ過ぎていて、ねちっこさが全く感じられなかった。なんとなくすらすらと演奏が進み、面白さが感じられないし、盛り上がりも感じない。これはピアノのためなのか、指揮によるものなのかはわからないが、ちょっと期待外れだった。

後半は「シェヘラザード」で、この曲はいつもディアギレフのバレエで見ているので、どうしてもそのイメージが浮かんでしまうが、パンフレットを読んでみると、各楽章ごとに別の物語になっているとのこと。千夜一夜物語の語り手のシェヘラザードのテーマが美しいヴァイオリンの独奏で奏でられ、この旋律や他のテーマが繰り返し、これでもかと登場する。40分を超える曲なので、同じ旋律ばかり聞かされるとうんざりしそうなものだが、リムスキー=コルサコフは楽器を次々と変えて聞かせるので、飽きることがない。本当に楽器の使い方のうまさ、オーケストレーションのうまさに感心する曲だ。

オケはそつなく聞かせ、大友直人の指揮も特に可もなく不可もないという指揮ぶりだったが、曲が面白いので、夢中になって聴いてしまった。

5時に終わったので、まだ明るかったが、近くのフレンチ・バルで軽い食事。ナパ産のシャルドネの白ワインを飲みながら、サバのスモーク仕立て、ニース風サラダ、イカとレンコンなどのソテーを食べる。久しぶりにカリフォルニア・ワインを飲んだが、カリフォルニア産のシャルドネは適当にコクがあり、うまく作ってあり外れがないので安心して飲める。映画監督のコッポラの蔵の物で、ワイナリー見学に行ったことを思い出した。

妹背山婦女庭訓

2019-05-14 10:40:17 | 文楽
5月13日(月)に国立小劇場で、「妹背山」の通し公演を見る。1部は25分と10分の休憩を挟み10時30分から3時5分まで、2部も25分と10分の休憩を挟み3時45分から8時50分まで。平日の昼夜だが、場内は中高年の観客で満席。通しで観る人も2~3割ぐらいいたような気がする。

今回の公演では、大序から4段目までがほぼ完全に上演される。大序の大内の段は実に98年ぶりの復活だという。本来は5段目まであるが、時間の関係で5段目は上演されなかった。観る方も休憩があるとはいえ、午前10時半から午後9時まで10時間半ぐらいの観劇なので、気力と体力の両方が充実していないとだめだ。若い時に蒲田アポロという映画館で、5本立てを見たことを思い出した。

これだけ長いとお腹もすくので、始まる前にコーヒー店で軽食を取り、1部と2部の間でコンビニで買っていったサンドウィッチなどで腹を満たした。開演15分前に劇場に到着したら、ちょど三番叟をやっていたので気分が盛り上がる。

「妹背山」は歌舞伎でもよく見るのだが、三段目の「山の段」と4段目の「お三輪」の話しか出ないので、全体の話がいつもよくわからないと思っていたのだが、今回は通しで見たので、話がよく分かった。「大序」と名が付くのは、今は「仮名手本忠臣蔵」で見るだけだが、この「妹背山」の大序も雰囲気は「仮名手本」と同じで、人形が並んでいて、役柄などの説明が最初にある。これがあるので、話も分かりやすいと感じた。

今回は話をきちんと頭に入れようと思い、普段は買わないプログラムを買って、「すじがき」を読んだが、これが天下の悪文で、いくら読んでも全く分からない。みんなが頼りにしていると思うので、もう少し分かりやすく書けないものだろうか。文章が長すぎて修飾語がどれにかかっているのかわからないのだ。会社員生活では、分かりにくい文章は徹底的に直してきたので、つい文章を直したくなってしまう。結局わからないままに、見ていたが、見た方がよくわかった。ただ、プログラムに載っていた人物相関図だけはわかりやすくまとまっていて役に立った。

プログラムの後ろを見ると明らかなとおり、最近は人形遣いの人数が40人を超えたのに、太夫は減っていて20人を切ったし、おまけにベテランがほとんど不在になってしまったので、「妹背山」のような大曲の通しを上演できるのだろうかと心配だった。配役表で見ても、大序は若手中心なので、大丈夫か心配だった。しかし、見始めてみると若手太夫の健闘ぶりがよくわかる公演でとてもよかった。

二段目では芝六住家の、織太夫と清志郎のコンビ、そして唯一の切場語りの咲太夫と燕三のコンビが、貫録を示して素晴らしい出来だった。大序の若手も決してうまいわけではないのだが、真面目に声を出して、内容を伝える熱意は良く伝わってきた。

素晴らしかったのは、第二部の幕開きの「山の段」だ。これは歌舞伎では両花道で演じられるのだが、文楽では両床で、上手側と下手側(背山側と妹山側)の両方に太夫と三味線が配置されて語られる。背山側には千歳太夫と藤太夫(文字久太夫が改名)が太い声を聴かせ三味線は藤蔵と富助、妹山側は呂勢太夫と織太夫が高い声で語り、三味線は清介と清治。恐らくは現在の文楽ではこれ以上は望むべくもないベストメンバーで臨んでいる感じ。背山側と妹山側が交互に語るのだが、競い合うように声を出し、途中からは語り合戦のようなすごい迫力で、人形で蓑助が雛鳥を遣っていたにもかかわらず、思わず太夫の方に目が行ってしまった。今回の山の段は、これまで見た歌舞伎、文楽の中で最も面白かった。歴史に残る名演奏といえるのではないか。

「山の段」で太夫はエネルギーを使い果たしたのか、四段目の太夫はまた若手中心で低調。しかし、この4段目では、町娘のお三輪を勘十郎が使っていて、これが素晴らしい仕上がり。この段では語りはともかく、お三輪を見てねということだろう。最後の金殿の段では、呂太夫が休演のため希太夫が代わって語った。希太夫で大丈夫なのかなと心配したが、立派に代役を務めていた。従来よりも皆、成長した気がした。

本当に久々に観る素晴らしい公演だった。見ているだけでもへとへとになったが、演ずる方はもっと大変だろう。しかし、終演が22時を超えても良いから、5段目までやってくれないかなあと、欲が出てきた。家に帰って、アスパラのソテー、サラダ、クスクスなどを食べる。ワインはブルゴーニュの白。


題名のない音楽会

2019-05-09 10:51:26 | 音楽
テレビを見ていたら、「題名のない音楽会」という番組がまだ続いていること知り驚いた。昔と同じように公開録画をやっているようなので、久々に観てきた。久々というのは50年ぶりのことだ。まだ、若くてお金もなかったころに、生のオーケストラをタダで聴ける機会はほとんどなく、結構、通ったものだと思い出した。50年前の収録会場は渋谷公会堂だったと記憶する。現在では老朽化により取り壊されたので、現在の収録はオペラシティのタケミツ・メモリアルが多い様だ。

若い観客が多いかなと思ったら、ここでも年金生活者のような人が多い。夕方からの収録だが、タダならば年金生活者も夜に外出するのだ。スポンサーは昔から出光がやっていて、独特の社風を持った会社だから長く続いたのだろうが、他の会社と合併したので、今後も続くのだろうかと、ちょっと気になった。

50年前は、確か作曲家の黛敏郎が司会と解説をやっていて、指揮は石丸寛だったと記憶する。現在は司会が役者の石丸寛二とテレビ局のアナウンサーなので、話の内容が音楽的な内容よりも、周辺エピソードになってしまい、昔とは違う印象を受けた。

調べてみると、「題名のない音楽会」は1964年から始まっている。昔の東京オリンピックが開催された年だ。当時も今も日本のテレビ番組はアメリカの番組を真似て始まることが多いが、この番組はレナード・バーンスタインがやっていた「青少年のためのコンサート」を真似て始まった。バーンスタインのコンサートは1950年代からあったようだが、1962年からテレビ放送が始まったので、その影響を受けている。バーンスタインが音楽的な解説をしながら、実際にオーケストラで演奏したり、歌手が歌ったり、バーンスタインがピアノで弾いて見せたりする。当時は、主な説明がそのまま本になり出版され、日本でも翻訳本が出ていたので、それを読んだ記憶も蘇ってきた。

バーンスタインが説明するから面白いので、日本でも黛敏郎が説明することに価値があり、面白かったのだと思うが、現在のように音楽の専門家でない人が司会だけをやっても全く面白くないと感じた。調べてみると佐渡裕が解説をしていた時期もあるようだが、是非とも音楽の専門家が番組の構成から担当するようにした方が面白くなるのにと、思った。