劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

N響のブロムシュテット

2021-10-30 13:54:01 | 音楽
10月28日(木)の夜にサントリー・ホールでヘルベルト・ブロムシュテット指揮のN響を聞く。演目はスウェーデンのステンハンマルのセレナーデ、休憩の後、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。コロナも一段落したためか、8割程度の入り。

ブロムシュテットは、アメリカ生まれだがスウェーデン育ちで、1927年生まれだというので、今年94歳となる。歩く姿もまだまだ元気そうで、30分を超える曲を立ったまま指揮していた。

前半はスウェーデンの作曲家の作品で後期ロマン派時代のもの。ブロムシュテットの祖国の作品だからお手の物といった感じ。後半のベートーヴェンの「運命」はそれより100年も前の作品だが、94歳とは思えない若々しい演奏だった。N響の音はまろやかでまるでブルゴーニュの極上の赤ワインといった演奏。力強さというよりも、香り立つようなマイルドな演奏だった。

聴衆もスタンディング・オベーションで最大級の声援(声は出していないが)を贈っていたが、元気とはいっても94歳なので、何度も拍手で呼び出してよいものだろうかと考えながら、拍手をしていた。晩年の志津太夫を思い出しながら、あやかりたいという感じ。

極上のワインを飲んだような気になって帰りがけに久々に、スペインバルに寄った。時間制限がなくなったので、コンサート帰りにも開いているようになっまだ客足は戻っていないようで、先客はいなかった。生ハム、スペイン風のオムレツ、ポテトサラダ、タラのフリットスなどで軽い食事。カヴァや白、赤などを飲む。

日本音楽コンクール 声楽部門本選

2021-10-27 13:35:20 | 音楽
10月26日(火)の夜に、初台のタケミツ・メモリアル・ホールで日本音楽コンクールの声楽部門本選を聞く。出場者は6人。任意のオペラ・アリアを2曲歌う。時間制限はなし。短い人で10分強、長い人は30分弱で、平均は20分弱ぐらいだった。

こうしたコンクールではソプラノが多く、似たような曲が多く聞かされると困るが、今回の出場者はソプラノ3人、メゾ・ソプラノ1人、テノール1人、バス1人といろいろとあって聞いていて面白かった。伴奏は現田茂夫指揮の東京フィル。前半の3人は低調に思えたが、後半の3人はなかなかよく、結構よい人がいるなあと思った。

後半に歌ったテノールの前川健生とソプラノの足立歌音が良いなと思い、どちらかが優勝するのではと思ったが、審査結果を見て驚いた。よいと思った二人は、いずれも入選でしかなく、1~3位はいずれもさして感心しなかった人だったからだ。ちなみに聴衆賞はソプラノの足立だったから、僕の受けた印象と一致している。

オペラでの歌唱は、単に歌がうまいというだけでなく、オペラハウスで声を届かせるためのある程度の声量が必須であり、それが不足したらオペラ歌手としては活躍できないが、日本音楽コンクールの選考では、声量や声の良さを無視して、声が小さくても器用に歌った人が受賞する傾向があるように感じられる。歌曲の審査ならばそれでも良いと思うが、オペラのアリアを歌えとのことなのだから、オペラ歌手としての力量を審査しなくてよいのかと、疑問に思った。

こんな選考態度では、いつまでたっても日本のオペラ歌手が育たないという気がする。この際審査員を全員入れ替えて、新しい考え方で選んだほうが良いという気がした。

疑問を感じつつ帰宅して軽い食事。キャベツのサラダ、クラムチャウダーとマフィン。飲み物は白。

新国立劇場の「白鳥の湖」ピーター・ライト版

2021-10-24 09:52:51 | バレエ
10月23日(土)の昼に新国立劇場で新制作の「白鳥の湖」を見る。新制作といっても、一から作ったのではなく、英国ロイヤル・バレエで上演されているピーター・ライト版をそのまま持ってきたもの。芸術監督の吉田都が踊っていた版だから、思い入れもあるのだろう。

午後2時に開演して、25分と20分の休憩をはさみ、終演は5時15分頃。久々に客席は満員で、賑わいを取り戻していた。あとはロビーでの飲み物なども早く再開してほしいものだ。NHKのプレミアム・シアターで中継するらしく、TVカメラがたくさん入っていた。今シーズンのバレエの初日で、白鳥を踊ったのは米沢唯、王子は福岡雄大、ロットバルトは貝川鐵夫だった。最後は吉田都のほか、振り付けに当たった英国の主要メンバーも挨拶に出てきていた。指揮はポール・マーフィで、東京フィル。

ライト版の舞台は、父の王が亡くなった葬儀の行列から始まり、全体が喪に服した感じの暗い舞台。王子が亡き王の後を継ぎ戴冠するとともに結婚しなければならなくなった状況が示される。全体的にドラマとしての構成をしっかりと作っている印象はあるが、バレエの踊りとしては、いまひとつかなあという印象。

最も問題と思ったのは美術で、友人たちが白い衣装も着る中で、王子だけは黒っぽい衣装で、タイツも黒。背景のセットも山水画のように黒っぽいので、踊りがひき立たず、おまけに照明も落としているので見にくいという問題がある。3幕の花嫁候補の衣装は3人とも同じような衣装で、区別がつかない。せっかくハンガリーのチャールダッシュ、ポーランドのマヅルカ、ナポリの踊り、スペインとなるのだから、もぅすこし民族的な衣装にしてもよいのではという気がする。特にマヅルカを踊るメンバーの衣装は民族色の出し方が足りないように思えた。

2幕の群舞は、奥行きのないセットを使ったためか、舞台の前半分だけを使って踊るので、妙に込み合った印象でのびのびと白鳥たちが踊っていない。ここは見せ場なのだから、もっと奥行きを使って美しい舞台を作ってほしかった。今回は1階席で見たが、こうした振付ならば、2階から俯瞰的に見たほうが良いかもしれないという気がする。

まあ、これまで見慣れてきた牧阿佐美改訂によるプティパ、イワノフ版と目先が変わった印象はあり、ドラマとしては良いかもしれないが、バレエとしては牧阿佐美版のほうがよかったなあと思った。ちょうど10月20日に87歳で牧阿佐美が亡くなったので、ロビーに写真と花が飾られており、公演の前には牧阿佐美に捧げる公演との字幕が出たが、なんとも皮肉だなあと感じた次第。

思ったよりも遅くなったので、家に帰って食事。これまでだったら外での食事を考えるが、なんとなく家で食事を食べる習慣になってしまった。サラダ、スッキーニのソテー、ポルトガル風のタラのコロッケ、最後にトロトロのカマンベールと田舎パン。飲み物は白と赤。




スメタナの「我が祖国」

2021-10-16 15:19:30 | 音楽
10月15日(金)の夜に、サントリー・ホールで小林研一郎指揮読響の「我が祖国」を聞く。緊急事態宣言が終わったためか、場内は7~8割程度の収容。観客がたくさん入ったほうが、演奏も盛り上がる気がする。

スメタナの連作交響詩「我が祖国」は、「モルダウ」の部分はよく聞くが、全体を通して聴くことは少ない。今回の指揮はハンガリー経験が長く、チェコフィルも振っていた小林氏なので、楽しみにしていた。

オーケストラの編成は80人を超える大編成で、ホルンは8本だったので、ちょっと驚いた。小林の指揮は情感を込めたもので、オーケストラもよく追随して美しい音を出していた。6部で1時間半にも及ぶ長い作品だが、退屈せずに聞く。

数年前にチェコのプラハに1週間ほど滞在していろいろと見て回ったので、曲を聴いているうち、町の情景が懐かしく思い出された。それとビールが安くておいしかったことも印象的。「ウルケル」という銘柄が一般的で、なかなか良かったと記憶している。

小林氏は80歳を超えているが、1年前よりも元気そうに見えて、安心した。年末にベートーヴェンの交響曲を、1~9番まで全曲、1日で演奏するらしい。すごい体力だと、改めて感心した。

家に帰って軽い食事。サラダ、イタリア産プロッシュート・クルド、スペイン産サラミ、イワシのオーヴン焼など。飲み物はカヴァ。

太陽劇団シネマ・アンソロジー

2021-10-09 10:42:36 | 演劇
10月8日(金)の午後に東京芸術劇場プレイハウスで、「太陽劇団」のシネマ・アンソロジーを見る。「堤防の上の鼓手」と「フォル・エスポワール号の遭難者たち」の2本。せっかくの良い企画なのに、宣伝が行き届かなかったのか、観客の入りは少なかった。

プレイハウスは演劇専門の劇場で、10月にフランスから太陽劇団を招く予定だったようだが、コロナ問題で来日が流れたため、その代わりとして太陽劇団の舞台上演を記録した映画を4本上映することになったようだ。急な企画だったためか、4本のうち3本しか日本語字幕がつかないとのこと。太陽劇団は20年ほど前に来日して、新国立の中劇場で「堤防の上の鼓手」を上演したので、その時に見たが、独特の演劇で感動した覚えがある。太陽劇団はどれも作品ごとに表現方法が大きく異なるので、この機会にほかの作品も見てみた。

「堤防の上の鼓手」は、古い東洋のどこかを舞台にしている。服装などは日本的だが、どこか韓国か中国を思わせるものもある。降り続く大雨で川が氾濫の危機にあり、そのままでは町が洪水の被害で壊滅するので、北側か南側のどちらかの堤防を壊し、被害を半分にとどめる方法がないかと王が相談しているが、どちらを犠牲にするか優柔不断で決められない。そこで権力を狙う甥が、王に代わって指揮をすると言い張り、町を救うために上流の農村部の堤防を壊して農村を壊滅させようと企む。

農村部では100年以上前に同じような状況で堤防を壊されて、多くの犠牲者が出たので、堤防を守る「鼓手」を置いて、非常時には太鼓や鉦の音により、村人たちに緊急避難を伝える自警団となっている。その鼓手たちを町の軍隊が来て殺して堤防を壊そうとするのだ。

結局、洪水により町も農村部も全部壊滅してしまうというのが結末だが、上演手法は日本の文楽をまねた人形劇風になっており、顔には仮面をつけて人形振りで演じて、後ろについた黒子が支える。セリフは舞台脇の俳優たちが語る。これがとても面白い。音楽はジャン・ジャック・ルメートルという人が、一人で6弦のチェロのような楽器だとか、尺八のような笛、カーヌーンのような打楽器、日本の三味線まで、全部持ち替えて、あらゆる音楽を奏でていた。

舞台を実写的にとるだけでなく、セリフを語る役者や、音楽の演奏風景も入り、生の舞台を見ているような素晴らしい映画だった。

続いて「フォル・エスポワール号の遭難者たち」も見る。これは3時間を超える作品なので、途中で1回の休憩が入った。これは初めて見たが、凝った作りとなっていた。現代の少年たちが、ジュールス・ヴェルヌの小説を読み、それを20世紀初頭に映画化した監督のシナリオを読みながら、その映画化の模様が舞台劇となって現れるという形。

子供たちは、1914年の映画撮影の模様を描いた演劇を見るのだが、その映画の内容がヴェルヌの小説で、19世紀末の状況が描かれる。映画を撮影している時代は第一次世界大戦のちょうど勃発する時代で、そうした勃発の背景となったサラエボでのオーストリア皇子の暗殺などが出てくる。撮影スタッフたちは、ベビー・パテのような撮影機を持ち、役者やスタッフが一体となって、撮影を進めるのだが、戦争により亀裂が入る。出征するものもあれば、階級闘争を叫ぶ者も出てくる。

撮影する映画のヴェルヌの話は、ヨーロッパからオーストラリアへ向かう船が、南米の南端を通ることとなり、過酷な気象条件に阻まれてビーグル海峡を通れずに領有権の明確になっていない島に到着する。そこの地で、王族支配のない共和国を作ろうとするもの、暴力的な方法で支配を企むアナーキストや共産主義者、布教に来た伝道者、植民地化を狙うイギリスや、領有権を主張するチリやアルゼンチンなどが入り乱れて物語が展開する。

少し、歴史的な背景がわからないと面白みがわからないかもしれないが、演劇としても面白いし、映画としてもよくできていると感心した。音楽はクラシック名曲を使っており、最初はラフマニノフのピアノ協奏曲2番の第1楽章、途中ではベートヴェンののピアノソナタ熱情の第3楽章や、ヴェルディの椿姫の前奏曲などが使われていた。

両方合わせて、6時間ぐらいの映画だったので、かなり疲れて帰宅。サラダ、エスカベッシェ、クリームチーズとパン、アントル・ド・メールという軽い食事。