劇場と映画、ときどき音楽と本

オペラ、バレエ、歌舞伎、文楽などの鑑賞日記です

北とぴあの「リナルド」

2019-11-30 11:15:37 | オペラ
北とぴあで、11月29日(金)の夜にヘンデルのオペラ『リナルド』を観る。夕方18時に開演して、20分と10分の休憩を挟み、終演は21時30分頃だった。場内は8割程度の入り。やはり平日の夕方9時で王子だと、勤め人は難しいかも知れない。

ヘンデルが1711年に上演したバロックオペラで、一応オペラセリアとなっているが、内容は魔法合戦や色恋沙汰が中心で、ブッファとまではいかないが、結構エンターテインメントにできていた。セミ・ステージ形式での上演となっていて、古楽オケが舞台後方に陣取り、その前の空間で歌手たちが簡単な演技を交えて上演する。

魔法使いが化ける場面などもあり、うまく演じないと話が分かりにくくなると思われるが、佐藤美晴の演出は、なかなか工夫してあり、物語はよくわかった。演出は過剰ともいえるぐらいで、ちょっとやり過ぎではと思えるぐらいの演出が施されていたが、全体としては楽しめる内容。

物語は十字軍とイスラム勢力との戦いだが、十字軍側に白、イスラム側に黒の衣装を割り当て、衣装の面でも理解しやすい工夫があった。

歌手陣は外国人と日本人と半々ぐらいの混成だが、総じて女性陣が元気で、男性陣は物足りなかった。そう感じさせたのは、バロック期のオペラは、男性の主要な役は殆んどカストラート向けに書かれている。現在はカストラートはいないので、女性のアルトが歌うか男性のカウンター・テナーが歌うという選択しかなく、今回はカウンターテナーが3人出ていた。

カウンターテナーは、絶対的な人数が少ないこともあり、全体的にレベルが低いと思う。歌はきちんと歌うのだが、声に全く魅力が感じられない。何かこもったような声になってしまい、伸びやかな透明感がないのだ。男性としての力強さがあればまだよいのだが、今回のカウンターテナーはそうした迫力も欠いていると感じられた。これならば、無理してカウンターテナーに歌わせるのではなく、女性歌手に歌わせた方がよっぽど良いのではないかと考えた。

昔の楽器を再現したレ・ボレアード(寺神戸亮指揮)という管弦楽団も、昔風の音を出していて、これは結構楽しめた。

プログラムを読んでいたら、ヘンデル研究家の解説では、ヘンデルがイギリスへ渡ったのは、後にイギリス国王となったゲオルクが、事前に様子を探る目的で差し向けたと書いてあって、ちょっと驚いた。これまで読んだ本では、そんなことが書いてなかったような気がしたので、最新の研究ではそういうことになっているのかも知れないと思い、ちょっと最近出た伝記なども読んでみようという気になった。

遅くなり、レストランには遅いので、家に戻って軽い食事。サラダ、かぼちゃのスープ、コールド・ミート。ワインはボルドーの白。


アントニオ・メセネスとチェロの名手たち

2019-11-29 10:45:43 | 音楽
11月28日(木)の夜に紀尾井ホールで「アントニオ・メセネスとチェロの名手たち」を聴く。19時開演で20分間の休憩を挟み、終演は21時。メセネスはブラジル出身のチェリストなので、ブラジル大使館が後援となっている。ブラジルに関係が深いのか三菱商事も協賛として名前を連ねていた。場内は満席で、ブラジル大使館関係者が多いなと思っていたら、その招待か某皇族も聞きに来ていた。

メセネスはブラジル出身だが、日本人の中木健二がその弟子らしく、彼が同窓や同級の日本人チェリストを集めて、全体で8人のチェリストが演奏するプログラム。前半はメセネスがバッハとヴィラ・ロボスのチェロ・ソナタを演奏する。ピアノは田村響。ヴィラ・ロボスというのはブラジル出身の音楽家とのことだが、初めて聴く。バッハが好きだったらしいが、20世紀の作曲家だけあって、響きは現代的。チェロも良いが田村のピアノもなかなかクリアな演奏だった。

後半はチェロ8人のアンサンブルによる演奏。日本人は大御所の山崎伸子から始まり、辻本玲、遠藤真理、伊藤裕、向山佳絵子、佐藤晴真らが参加していた。曲目はヴィラ・ロボスのブラジル風バッハや、バッハのフーガをロボスがチェロ用に編曲したもの。

8人のチェロ・アンサンブルでどんな響きになるのかと思ったら、チェロは音域が広いので、低音から高音までパートを分けて演奏すると、厚みのある響きとなる。8人が4パートに分かれて弾くのかと思ったら、必ずしも4パートではなく、それぞれが違う手で演奏したので、凄いなあと感心した。後半は、これにソプラノの秦茂子の歌も加わって盛り上がった。秦の声は、大きな声だけでなく小さな声まで美しく響き、チェロともよく合っていて楽しんだ。

寒い雨の中を出かけて行ったので、演奏が詰まらなかったら嫌だなあと思っていたが、チェロの響きを堪能していい気分になる。寒いので真っ直ぐ家に帰り、ごぼうサラダ、ごぼうのきんぴら、ごぼうと鶏肉の炊き込みご飯と、ごぼう尽くしの食事。飲み物は新潟産の純米吟醸酒とした。

映画「マスカレード・ホテル」

2019-11-28 10:27:57 | 映画
衛星放送の録画で映画「マスカレード・ホテル」を観る。東野圭吾の小説の映画化で、2019年の作品。監督はテレビ系の人で鈴木雅之。主演は木村拓哉と長澤まさみ。

連続殺人と思われる事件が起こり、次の犯行場所がホテル・コルテシアという高級ホテルだったために、警視庁が刑事などをホテル従業員に潜り込ませて犯人逮捕しようとする。はみ出し刑事の木村拓哉は、単に英語ができるというだけでフロント係となり、ベテランのフロント係長澤まさみからホテルマンとしての教育を受けながら、警備しながら捜査する。

お客様第一に徹しようとする長澤と、犯行を防ごうとする木村がぶつかり合いながら、事件を解決するという設定。

見ていて退屈はしないが、なんとなくテレビドラマを見ているような雰囲気で、映画を観たという感じではない。それは、怪しげな人物が沢山出てくるが、そのエピソードが割と独立していて、15分程度で終わり、シーケンスの切れ目でコマーシャルが入ってもおかしくないような作り方だからだろう。

多くの人が集まるホテルを舞台にした映画という点では、グレタ・ガルボ主演の『グランド・ホテル』が有名で、その作り方は「グランド・ホテル形式」と呼ばれるほど一般的だが、多くの登場人物が現れて、それぞれに人の話が同時並行で進んでいくところに特徴がある。

『マスカレード・ホテル』には、多くの登場人物が現れるが、一人のエピソードが終わってから、次の人に移るような形式なので、話としては分かりやすいが、サスペンス映画としての緊張感は減ってしまうような気もした。

なかなか良いと思ったのはホテルのセットで、クラシカルな感じのフロントで、大き過ぎずに雰囲気も出ている。小説は水天宮のロイヤルパーク・ホテルが取材協力したらしいが、映画のフロントのムードはまったく異なっていいた。

題名の「マスカレード」というのはもちろん「仮面」という意味で、ホテルの利用客は皆「仮面」を被って、つまり本当の自分を見せずに、現れるという意味の会話が交わされる。そのためか、ハチャトリアンの「仮面舞踏会」のワルツが、映画の背景でのべつ幕なしに流れていた。そう言えば、スケートで浅田真央がこの曲で滑って調子を崩したと思い出した。

映画「カンターの闘牛士」

2019-11-26 10:00:23 | 映画
引き続き取り寄せたDVDで「カンターの闘牛士」を観る。1932年のゴールドウィン作品で、ゴールドウィンの美女たちをバスビー・バークレイが幾何学的に踊らせている。エディ・カンターの相手役には、パラマウント社から借りてきたライダ・ロベルティを起用。ロベルティは金髪のかわいこちゃんで、ちょっと東欧訛りで話すところが魅力的。

監督は喜劇の得意なレオ・マッケリーだから、テンポは良いが、話は相変わらず荒唐無稽。アメリカの大学生カンターは女子寮に忍び込んで退学となり、銀行強盗に巻き込まれてメキシコに逃げるが、その地で有名な闘牛士の息子だと言ったことから、にわか闘牛士となり闘牛をする羽目になるというだけ。

冒頭に女子寮で、美人ぞろいの娘たちが、朝起きてプールで水浴したり、着替えたりするする音楽場面があり、結構大胆な姿を見せたりするが、これは1932年の作品だから。アメリカでは1934年6月から俗に「ヘイズ・コード」と呼ばれる倫理規定が映画に適用され、それ以降では女性の大胆な下着姿などは登場しなくなった。だから34年前半までに公開された作品は「プレ・コード」作品と呼ばれていて、ファンもいるようだ。

バスビー・バークレイの振付も、大胆な女性の姿を撮れた1933年までの作品は活き活きとしているが、34年以降はどうも面白くなくなった印象がある。

カンターはこの作品でもギャングから追いかけられて、顔を黒塗りにして黒人風に歌うミンストレル場面を演じている。こうしたミンストレル場面も、公民権運動が盛んになった1960年代以降はお目にかからなくなった。

この映画も、30年ぐらい前に日本の地上波の放送で観ているが、それは吹き替え版だったので、原語で観るのは初めてだが、ライダ・ロベルティの英語は確かにちょっと舌足らずで可愛い印象。

やはり昔の映画は面白いなあと、改めて感じた。

高木浩志の「文楽に親しむ」

2019-11-25 10:52:32 | 読書
高木浩志の「文楽に親しむ」を読む。和泉書院から2015年に出た270ページほどの本。内容は三部構成で、最初が体験談というか、芸談というか、芸人からの聞き書きで、10人ほどを扱っている。次が鑑賞の手引きで、文楽の演目の見どころを解説した部分。45作品を解説してある。最後が、豆知識として、23項目について解説がしてある。

書き下ろしではなく、最初の芸談の部分が昭和の終わりに「上方芸能」に連載したもの。作品の見どころ解説は平成の後半に大阪の文楽劇場のプログラムに掲載されたもの。最後の豆知識は平成中頃に東京の国立劇場のプログラムに連載されたものだ。

通して読むと、最初の芸談のところは面白くすいすい読めるが、作品の解説のところは、よっぽど作品が頭に入っていないと読めない。プログラムに掲載されたものだから、観る前や観た後に読めばよく判るのではないかという気もするが、これだけ読んでも見どころの解説なので、作品内容の説明があるわけではなく、ビデオでも観ながら出ないと分からないという感じだった。

最後の豆知識は読むといろいろと勉強になる。

こうした解説をできる人が、もうあまりいなくなってしまったのではないかと心配になる。芸人の方もベテランが次々と不在になってしまい、演ずる方も観る方も随分と力が落ちているような気がする。こうした古典系の芸能を維持するためには、観客の育成も併せて必要だという気がする。東京の公演では結構観客が入るので、是非とも公演回数を増やしてほしいものだ。