すぶんろこ!のジャパニーズドリーム 『立憲女王国・神聖・九州やまとの国』・・・仏陀再誕!日本の独立と繁栄が世界を救う!

■ 独立なくして繁栄なし! 日本国独立宣言! 植民地憲法『日本国憲法』無効宣言、痴呆自治廃止、日本軍再構築、核保有宣言

+ 鈴虫 鳴き始める・・・ 閏月の七夕に希少な願い 『首都福岡』の夢

2006年08月29日 00時13分37秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 鈴虫や   蝉の時雨の   雨上がり 

  
 馬糞 

 

 

 

 

 蛍が点々と舞うように、鈴虫が鳴いている。

 

 

   鈴虫や   蛍のように   りんと鳴き 

     馬糞 

 

 

 

 

 仕事の大半は、泡沫のように消えてゆく。

 歴史もなく、芸術作品でもない。

 この世の時間とは、そうしたものだ。

 勝負の一瞬がなければ、ただの泡沫である。

 相撲のように、一瞬に凝縮する時間でありたいものだ。

 

 花鳥風月は、一瞬に凝縮されたこの世の時間の心情である。

 人生に花が咲き、

 人生に鳥が鳴き、

 人生に風が吹き、

 人生に月が出る。

 


 巡礼の 鈴のごとくに鈴鈴と 


   常ならぬ世に   鈴虫は鳴き 

 
      白川 馬草 Magusa                              

 

 

 

 

 

 《閏7月7日・・・2020年の願い事》

 8月30日は、旧暦閏月の7月7日である。

 

 三回目の七夕とはめでたい。

 

 オリンピック国内開催候補地が東京に決まった。

 福岡の願いは叶わなかったが、福岡とは何かが問われた結果

である。

 独立の気概において、毅然としないものがあったことは間違

いない。

 人工島の使い道は・・・という連想から生まれた苦し紛れの立

候補といわれても仕方がなかった。

 順当であった。

 

 日本人でさえ、福岡を知らない者が少なくないという。

 まして、一歩海外に出ると、九州も知らない。

 それほどに、独自の役割を果たしてはいないということだ。

 

 九州国の首都、福岡でなければ、国際都市とはなりえないで

あろう。

 

 東京がIOCに負けたときは、江戸の敵を福岡で!

 

 「2020年オリンピックを九州国、福岡に」と変えて戦うばかり

である。

 そのときに備えよ。

 

 
 閏月の七夕に、希少な願いを込めて!

                                Bafun 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 「邪馬台国」の日暮れ・・・ 有明海・交通立国論

2006年08月27日 20時24分32秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 
 有明に   邪馬台国の   夏は暮れ

 
   
 馬糞 

 

 

 

 

 

 有明の夕暮れは美しい。

 

 スピリチュアルな歴史書、大川隆法著「黄金の法」によると、卑弥呼、

と日向himuka女王が邪馬台国こと大和の国を治めていたのは、紀元

200年頃のことであるらしい。

 大和の国があった地域は、阿蘇を望む有明海沿岸だという。

 

 地理的に見て、佐賀から島原にかけての地域ということになるが、九

州30余国を治めていたということからすれば、都があったのは、吉野ヶ

里を含む佐賀の有明海沿岸部だったと思われる。

 弥生時代の遺跡も際立って集中していることとも符合する。

 

 有明の海の夕日を見ていると、九州を展望し、さらには津軽を含む

大和の国のあり方を展望していたであろう卑弥呼女王の思いがよみ

がえるのである。

 

 

 

 

 

 

有明海・交通立国論


 有明海は、東シナ海から九州の内陸に入り込んだ内海である。

 内海の交通網を整備するより、埋め立てて陸地とするほうが良いの

ではないかと思えるかもしれないが、海は陸地の心臓であり、肺臓で

ある。

 海に面しているということが、陸地の文化的な価値を高めているの

である。

 

 有明海は、海外の文化を吸収する胃袋のような役割であったかもし

れない。

 有明海が、その存在感を失ってきたのは、船の巨大化や内陸交通

網の発達などの事情だけではなく、九州自体が本来の存在感を失って

きたという事情のほうが大きいのではないか。

 

 しかし、九州国独立という発想を持って考えると、再び有明海の交通

の要衝としての価値がよみがえるのである。

 

 熊本、福岡、佐賀、長崎を海路、空路で結ぶことができる海の価値

は大きいのではないか。

 大量輸送の時代から、迅速多様な小型交通の時代にシフトしつつあ

ると考えられるのである。

 

 そこで、佐賀空港、大牟田、熊本、島原を結ぶ、有明の海と空の交

通網を、九州内陸交通の要として整備することを提

案する。

 

 大牟田、佐賀、熊本、島原を結ぶ海路、

 佐賀空港を中心とする空路、

 そして、大牟田から福岡を結ぶ陸路である。

 

 佐賀を中心とする高速輸送網を整備することである。

 これが、九州を活性化し、国としての価値を高める要となるであろう。

 独立なくして、繁栄なし。

 九州を廃れさせてはなるまい。

                                    Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 玉名寺 蓮華院誕生寺 奥の院・・・ 郷土史教育を義務教育に入れよ。

2006年08月26日 09時38分50秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

   夏の陽を   五重に返し   玉名寺

 
    馬糞 

 

 

 

 

 

 

  五重塔といえば、京都ぐらいしか思い浮かばないが、世界最大規模の

五重塔と梵鐘を持つ寺が熊本県玉名市の山中にある。

 

 真言律宗の別格総本山という伝統のある寺院らしい。

 建物はまだ新しいが、歴史は古い。

 平重盛の創建という。

 

 

 重盛といえば、平清盛の長男として、人望厚い後継だったが、父より早く

亡くなった。

 それが、平家の滅亡を早めたと惜しまれている。

 

 九州は平家の拠点であるが、朝廷のルーツであるといったほうが早い。

 日本の故郷に他ならない。

 玉名の蓮華院は皇円上人を祭っているが、藤原氏の流れである。

 蓮華院を滅亡させた龍造寺氏も藤原氏の系統らしい。


 龍造寺氏一族は、九州でも珍しい下克上によって筑前筑後を領有した

が、下克上が仇となって九州を追われたようである。


 その子孫は会津藩士として名を残しているという。

 そういえば、自分の恩師の一人も会津の名門の出であった。


 

 九州の歴史は単なる地域史ではない。

 九州の歴史を通して日本の本質的な歴史を学ぶ、そいういう授業が義

務教育の中で行われるべきではないのか。

 郷土愛は、教育の基本であると思う。

                                  Bafun 

 

 

 

玉名の名刹「蓮華院誕生寺奥の院」
⇒ http://www.ajkj.jp/ajkj/kumamoto/tamana/kanko/rengein_okunoin/rengein_okunoin.html

皇円上人
⇒ http://cyber.pref.kumamoto.jp/renmei/magazine_terakoya/Number_84.html

扶桑略記
⇒ http://www.ndl.go.jp/zoshoin/zousyo/large/01_001_l.html

法然(過去世は聖トマス)
⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%84%B6
  http://www.tabiken.com/history/doc/Q/Q351L100.HTM

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 九州の青雲・・・ 九州大和の国 建国論

2006年08月25日 08時22分42秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 



 九州の   葉月の空の   雲青く

   
   
 馬糞 

 

 

 

 

 

 青雲の志という。

 見よ、若者よ。

 九州の、

 この暑い八月の空に青雲上がり、

 無限の天空を上げている。

 

 東京ではない、大阪でもない、まして京都でもない。

 

 九州は一国である。

 日本人が忘れた、大和の国である。

 日本の原点である。

 

 その、独立の志が近代日本を形作っても来たのだ。

 戦争の傷は深く、

 一命をとりとめはしたが、卑屈にうずく傷の痛みは未だに癒えない。

 

 変質した細胞が獅子身中の虫となって、

 あるいはがん細胞となって、

 日本の未来に、影を落としている。

 

 世界一の大国となったアメリカでさえ、

 未だに戦争で命を落とす国民がいる。

 逃げるわけには行かない兵役を背負っていないのは、

 日本だけではないか。

 

 そのような国民が、

 世界でうらやましがられることはあっても、

 尊敬されることはあるまい。

 

 ならば、兵役以上の試練とも思えるような、果敢なる志をたてよ。

 兵を用いずして敬意を表されるような国を目指すべきである。

 

 

九州大和の国建国論

 佐賀空港を九州のハブ空港に育てよ。

 佐賀は、九州大和の国の拠点となってよい都市である。

 

 肥後の国よ、有明の海を使い、アジア交易、九州交易の商業都市

を目指せ。

 薩摩の国と競うべきである。

 

 日向の国よ、2500年以上も昔には栄光の高千穂の国の文明を誇っ

たが、スポーツ文化の一大拠点として、世界の脚光を浴びよ。

 健康なる太陽の国にふさわしい挑戦である。

 

 北九州は、石炭によるエネルギー革命で、近代日本の基礎を築い

た産業の国である。

 顔は炭で汚れ、油で汚れても、誇らしかった。

 その時代が終わったからといって、チンピラのようになってはいけ

ない。

 

 北九州には新しい使命がある。

 九州の物づくりの一大拠点となるのだ。

 ロボットを作れ、環境技術を世界に輸出せよ、海底から新たなエネ

ルギー資源を掘り起こせ。

 高炉に汗を流し、炭に真っ黒になった筑豊と北九州こそは九州大

和の国の笑顔とならなければならない。

 

 三菱重工よ、それが、長崎である。

 九州大和の国の軍事拠点となれ。

 太平洋の海神として、空母を建造せよ、ロッケットを製造せよ、ロボッ

ト潜水艦を建造せよ。

 

 大分よ、九州の金融都市を目指せ。

 金融はインターネットのシステムでコントロールされる。

 同時に、世界の富豪を集める安全と癒しのリゾート都市を目指せ。

 クリエーティブな発想が生まれる知性の都市を目指すのだ。

 

 博多は、九州の学園都市とベンチャー企業が集積する国際都市を

目指せ。

 国際会議、国際イベントの拠点とするのだ。

 

 九州大和の国は、精鋭の国である。

 自治体任せではいけない。

 市役所も県庁もいらない。

 もはや古い時代の統治システムなのである。

 政治は、企業や民間で構成された九州大和の国推進委員会を組

織して、新たな政庁とすればよいのだ。

 九州大和の国の象徴として、女王を選ぼうではないか。

 そのようにして、九州大和の国が、新しい時代の日本のあり方を

決めるのである。

                               Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 白雲上げし残暑かな・・・ 教育改革の視点

2006年08月22日 08時05分09秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  山頂に   白雲添えし   残暑かな


   馬糞 

 

 

 

 

 

 【 教育改革の視点

 汗が噴出す毎日である。厳しい残暑にさらされながら、九州の山々

もさすがに白旗ならぬ白雲を上げて参ったといっているかのようである。

 しかし、処暑である。

 残暑の中に秋がある。

 6時早々にワシワシと夏を盛り上げていたクマゼミも、声出しが1時

間以上遅れている。

 今を盛りと思えるときにも、すでに次の大きな変化の兆しが見える。

 注意しなければならない。

 

 上昇を限界付けるものは、一種のバランス感覚であろう。

 調和の原理である。

 アイデンティティーを失わせるもの、共存共栄を見失わせるもの、

フェアプレイの精神に反する貪り・・・。

 政治家も経営者も、公務員も・・・。

 

 発展は人間の本性である。

 発展のためには競争が必要である。

 競争社会は人間社会の正常である。

 

 しかし、競争には良い競争と悪い競争がある。

 良い競争とは切磋琢磨してともに発展する道である。

 悪い競争とは弱肉強食、足の引っ張りあいの競争である。

 椅子取りゲーム型の競争は発展のない醜い競争である。

 椅子を作り、増やす競争でなければならない。

 

 競争社会に必要なものは、スポーツマンシップであり、フェアプレイ

の精神である。

 いわば道徳と倫理である。

 思いやりと、正々堂々の精神である。

 

 これは、競争から自然に身につくものではない。

 教育が必要なのだ。

 スポーツも同じである。

 競争社会にはスポーツを通した体力作りと、教育が必要なのだ。

 これを忘れてはならない。

 スポーツ教育は競争社会には不可欠の柱である。

 

 風俗顔負けの性教育を得意げにしている小学校は文部科学省の

指揮下にあるが、「学校法人」とは、スポーツマンシップもフェアプレ

イ精神も忘れた教育堕落集団ということである。

 

 教育もまた、国民の選択権を保障しなければならない。

 教育行政を独占した文部科学省の許認可行政が、教育改革を妨

げているということだ。

 

 文部科学省認可の学校法人と、内閣府ないし、通商産業省認可の

学校とを競争させるようにするといい。

 そうした教育改革を提案したい。

                                 Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 都会育ちの手を伸ばし・・・ 佐世保の思い出。 農水省廃止論。

2006年08月21日 07時51分31秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 梨の実に   都会育ちの   手を伸ばし


    馬糞 

 

 

 

 

 子供のころ、大島から船に乗って一時間の佐世保は大都会だった。

 四ケ町のアーケードには、大書店があった。

 大学への憧れがあふれていた。

 その先には、都会の象徴だったデパートの玉屋があった。

 エレベーターガールが、白手袋を細く伸ばして各階を案内した。

 屋上には遊園地があった。

 そして、レストランで昼飯を食べるのが最高の贅沢だった。

 ミルクシェーキなどは、映画の主役のような気分で注文した。

 

 島原の父方の実家は農家だった。

 夏休み、遊びに行くのは楽しみだったが、何もかも田舎で、馬がいて、

牛がいて、鶏が走り回り、恐るべき家蜘蛛も不気味に走っていた。

 そこでは、自分が都会から来た子供だった。

 何をするにもぎこちなかったが、文化の香りがした。

 

 田舎には、都会の憧れがある。

 都会には、田舎の憧れある。

 田舎は都会の憧れを受けとめる力がない。

 競争による洗練がないからである。

 

 田舎から都会への一方通行が過疎を広げている。

 

 官僚社会主義の農水省と、補助金農業社会主義が結んで、イノベー

ションを妨げているのである。

 

 農水省廃止すべし。

 農業補助金制度を廃止すべし。

 

 官僚たちは、小作農業をすればよいではないか。

 農家は農業株式会社のパートで働けばよい。

 もはや、農業社会主義を温存するわけにはゆかないのである。

                                  Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 梨棚・・・ 公務員社会主義、農業社会主義にペレストロイカを

2006年08月21日 07時25分50秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 


 梨棚に   頭を垂れて   潜りけり

    馬糞 

 

 

 

 

 

 梨が沢山の果実を膨らませていた。

 ちぎるには少し早かったが、落ちた実をカブトムシのメスが昼間か

ら食べていた。

 それにしても、強烈な暑さだった。

 

 日焼けしたトラックでマチュピチュの崖道を登るようなスリリングな

トラックに揺られて梨棚にたどり着いた。

 なぜか、果樹園の棚は天井が低い。

 摘果作業が大変だろうと思ったが、農園主の背丈には丁度よい高

さであることがすぐにわかった。



 座り込んで梨狩りを眺めた。

 農業には、都会の憧れがある。

 果物屋の店頭では絶対に買わないような梨を高値でちぎってゆく

観光客は、農業の付加価値を教えている。

 しかし、農家のやる観光農業は、あまりにも中途半端である。

 

 農業の革新のためには、保護政策をやめて、自由化を促進しなけ

ればならない。

 これを妨げているのは、そのポジションにしがみつく公務員の自己

保身なのではないか。



 消費税の値上げを論じるのは行政改革を終えた後にしなければ

ならない。

 それまでは、公務員が、福祉財源を食いつぶしているという実態

を痛感させる期間が必要である。

 

 公務員社会主義、農業社会主義、これを断罪し、競争原理に戻すこ

と、ペレストロイカが必要である。

 そこから初めて、あらたな繁栄への意欲が生まれるであろう。

 

 ああ、社会主義国日本・・・

 やる気の革命を起こせ!

                               Bafun 

 

 

 

 


 カブトムシ   鬼も忘れて   梨を食い


   Bafun

 

 

 

 


  梨袋   世話になりたる   人の名を 

   Bafun

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 長崎 百万ドルの虫の声・・・ 遊歩道観光政策の提言

2006年08月19日 08時52分06秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

                                                       由布岳

 

  山里の   百万ドルの   虫の声                         


     
 馬糞 

 

 

 

 

 

  久しぶりに帰った実家は浦上川の上流域というべき山里にある。

 かつては隠れキリシタンの里だったようで、墓地には十字架が多い。

 自分が育ったところではないが、長崎には違いない。


 江戸の時代にはまだ、金が産出されたらしい。

 土着民にはみかん農家が多いが、伴天連である。

 周囲を山に囲まれているから、携帯電話はつながらない。

 テレビも映らないから有線TVである。

 いまどき水洗トイレもない。

 下水が通らないからだ。

 だから、少し田舎の雰囲気がある。

 

 星が際立って美しい。

 かつて、ここで大方の星座を覚えたものである。

 一生一度見れたら幸いという火球を見たこともある。

 山に衝突したかと目を丸くした。

 火球というのは巨大な流れ星である。

 

 夜、戸外に出てみると、その谷あいの里一面に虫たちが鳴いていた。

 それが何とも見事な夜景のようであった。

 朝五時頃には、ヒグラシが高原の夏を演出していた。

 ところが、6時頃になるとピタッとなきやむのである。

 一夜のステージであった。

 

 田舎には、都会に失われた天然自然の潤いがある。

 全国のそうしたところに散歩道を整備して、ウォーキング観光を推進すれ

ば生涯スポーツに代わる健康と観光が楽しめるであろう。

 

 遊歩道を整備するのである。

 歩行困難な人も歩けるように、歩行補助具も整備する。

 公衆電話も設置する。


 自治体の仕事であるが、公務員には発想がない。

 議会は、大いに民間の発想と提案を入れて、有益な都市整備を進め

てほしい。

  

                                   Bafun 

 

 

 

 

 

 

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+ 台風の雨蛙・・・ 有益な公共投資と大学改革の必要

2006年08月19日 08時46分37秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 台風に   蛙思わず   声を出し

    馬糞 

 

 

 

 

 

 台風十号が、九州やまとの国がすっぽりと収まるほどに雨ぶくれ

した。

 そして、水遣りを台風にしてもらった。

 鉢植のあじさい、梔子、ジャスミン、山椒、みかん、葡萄,柿、びわ、

南天、菊、松、菖蒲、あさがお・・・。

 特に、柿とあじさいは、一回でも水遣りを怠ると葉がしおれてしまう。

 散歩を催促する子犬のように、水撒きをおねだりする植物である。

 

 

 恵みの雨に、思い出したように蛙がゲコゲコと鳴いた。

 ずいぶん暑かったから、よっぽどうれしかったのだろうか。

 昔、あつらえたねぐらに鎮座していた蛙のポン吉を思い出した。

 

 

 現代の都市は、雨水を無駄にする。

 町に降った雨は防水アスファルトから下水に追いやられる。

 都会の下は、窒息しそうな砂漠である。

 

 今後、アスファルトは、吸水性のものに変えてゆくべきだ。

 無駄な道路工事ではなく、価値を生んでゆく公共工事は、公務員

給与を削減してでも行うべきである。

 

 有益な公共工事には、強制的な土地収用も欠かせない。

 強制収用して、線路を複線化し、道路を拡幅して駐車スペースを確

保し、小型航空機専用滑走路を各都市に増やし、電線の地下埋設

を進めるなど、やるべきことはまだたくさんあるのだ。

 

 台風の雨をそっくり貯水できないものだろうか。

 雷の静電気をそっくり蓄電できないものだろうか。

 

 大学は研究機関と考えるべきではない。

 大学は教育機関である。

 大学院こそは、優秀な研究者を集めて、研究機関とするにふさわ

しい。

 

 大学改革もまた必須である。 

                                 
                                    Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 小学校の庭・・・ 科学万能主義に陥ってはならない

2006年08月17日 08時32分24秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  夏草や   小学校の   庭に立ち

   馬糞 Bafun  

 

 

 

 

 

 夏休みの小学校の校庭に立つと、タイムマシンで過去に降り立っ

たような気がする。

 

 さて、今日は旧暦の地蔵盆である。

 といっても、なじみがない。

 京都では盛んらしいのだが、盂蘭盆とともに、何かしら風流を感じる。

 そういう祭りを復興したいものである。

 

 

 やり過ごした祭りは掴み損ねた「チャンス」のように後ろ髪がない

のであるが、今年は閏月の7月が太陽暦8月24日から追加される。

 もう一度、旧暦の七夕が来る!

 

 日本の伝統、アジアの文明には旧暦の言い伝えや祭りが根底に

ある。

 日本は日が昇り、月を愛する文明というべきであろう。

 天照女王の光も、月の光のようではなかったか。

 

 

 科学万能主義に陥ってはならない。

 

 風流の心を忘れると、科学合理主義は人類を荒廃させることになる。

 

 競争が勝利を追求すると同様に、科学は技術の進歩を追求する。

 

 しかし、技術には、愛と風流の心が温かな血液のように流れてい

ることを忘れてはなるまい。

                       

                                Bafun 

 

地蔵盆⇒ http://homepage1.nifty.com/heiankyo/rekishi/reki26.html

閏月⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8F%E6%9C%88
     

     

 

 

 

 

 

 

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+ 送り火・・・ 地獄の看板

2006年08月16日 07時56分00秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 



 

 送り火に   手を振りて行き   三途川

  白川 馬草  Magusa 

 

 盆送り   名残の夏の   蝉しぐれ

   馬糞  Bafun

 

 

 

 

 

 交霊の風習が廃れてゆく。


 人間は物質であるという確信犯が時代を荒廃してゆく。



 居直り強盗のごとき狂気も目に余る。



 神も仏もない。

 それが、地獄の看板である。

 神も仏もない人の心は、醜悪である。

 

 

 筑豊各地の川では、小さな精霊舟を送り火にして川べりで焼く風

習がある。

 迎えの盆は賑やかだが、盆の送りは三々五々と別れてゆく。

 少しさみしい一日である。

 

 

 今日もセミたちが鳴いている。

 送り火となって鳴いているかのようである。

                     

                             Bafun 

 

 

迎え火、送り火⇒
http://www.choutin.com/obon/sitteru-okuribi.htm

http://www.choutin.com/obon/sitteru-bonodori-frame.htm

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 精霊舟の鐘・・・ 信仰告白 「キリスト教」と「幸福の科学・仏教」  信仰の喜びと悲しみと

2006年08月15日 20時45分30秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

                                                              長崎駅前電停



 郷を去る   精霊舟の   鐘は鳴り


      馬糞 Bafun  

 

 

 

 

 老いてゆく両親を見るのは心が痛む。

 

 両親はクリスチャンである。

 老いて、信仰を深くするのは自然のことである。

 聖書に平安を求めることは、それでよいと思う。

 形骸化したキリスト教ではあれ、神は愛であり、人間は神の子であ

ると説いている。

  だから、お祈りをするときは、「天にましますわれらが父よ・・・」に始まる。


 普遍の法というべきであろう。

 

 しかし、信仰を異にし、国家観も異なると、親子とは言えども、辛く

なる。

 信仰は、親子の縁よりも上位にあるのだ。

 

 

 

 

 

信仰告白


 キリスト教は、洗礼の儀として、信仰告白をする。

 これを認められて初めて洗礼を受けることができるのである。

 その柱となるのは、「父と子と精霊」の三位一体説である。

 不可解な説であるが、とりあえず三位一体説を信じますというのが、

大前提である。

 

 厳格な一神教であり、他の宗教に対しては排他的である。

 日本神道など、認める余地がなかった。

 神社への初詣につきあうことさえも、うしろめたかった。

 

 ところが、学生の頃属した親・共産党の教会で、宗教者平和協議会

に参加したことがある。

 神道、日蓮宗妙法寺などの仏教とも交友があった。

 国学院の学生からは、神道にだって、教えはある、宇宙観を持ってい

ると聞かされた。

 仏教者からは、「われわれはキリスト教も宗教の柱だと認めている」

と本音の気持ちを聞かされた。

 

 共通している絆は愛と慈悲に入り込んだ反安保、反政府共産主義

であったと思う。

 今にし思えば、亡国の思想と行動であった。

 神、仏の下にありながら、何ということであったろうか。

 

 それで、三里塚闘争のシンボルであった仏舎利にも行った。

 団扇太鼓の列について行進したのだった。

 キリスト教としては、珍しいことであった。

 

 

 ところが、縁あって幸福の科学の「内村鑑三霊示集」「太陽の法」を

読んだ。

 途端に長年の疑問が氷解し、かたくなな心が氷解した。

 幸福の科学に、約束された仏陀の再誕を確信したのだった。

 

 修行論と「空」の哲学に優れた原始仏教とギリシャ的繁栄の精神の

融合、そして、文明の過去と未来をみた。

 

 それは、キリスト教をはるかに超えた新しい世界宗教の姿であった。

 奇跡というべき現成の仏陀との出会いを確信したのである。

 信仰とは、唯物論にはない悟りの世界の確信である。

 

 その後、私の宗教観は広がり、キリスト教も武士道も、日本神道も、

その所在を得て融合することができた。

 学生の頃の左翼的考え方の間違いに気づくことができた。

 そして、愛国者転じた。

 

 自分の国を愛せない者が、自分の国に責任を取れるはずがなく、他

国を愛することもまた、できようはずもないではないか。

 

 愚かで、失敗の人生ではあったが、霊的人生観に希望を得て、再び

志を持って生きることができている。

 その精神の安定はいかばかりかと思う。

 

 キリスト教に育った信仰心は、それが仏教に発展しようとも、筋金

貫いている。

 

 私の愛する主は今でもイエス・キリストである。

 そこに、自分らしさの至高を見るからである。

 

 しかし、風化したキリスト教に帰依することはできない。

 ましてや、共産主義的なキリスト教牧師の説教など聞くにたえない。

 

 組織に親しまなくとも、最大の主は、再誕の仏陀にほかならない。

 それが、愛の偉大さであり、智慧の偉大さであり、権威の偉大さで

あろう。

 

 人間にとって、信仰ほど大切な人生目的はない。

 信仰とは、神への忠義でもある。

 それ故に、誤った偽宗教の罪は深く、重い。

 

 「宗教」の善悪を知るには、やはり、上質の教育と教養がいる。

 

 信仰に至らない者も多い日本の中にあって、父母から信仰の縁をい

ただいたことは最大の感謝であった。

 

 盆は、母の誕生日である。

 賑やかな精霊舟の鐘や爆竹の壮絶を目にすることもなく、長崎を

にした。

 

 仲良く、安らかに長生きしてもらいたい。

 素朴な願いである。

                          

                                 梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 八百万の神・・・ 戦没者慰霊と戦争責任

2006年08月15日 20時05分44秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 

 八百万   神 靖国の   夏に耐え

 

   馬糞 Bafun  

 

 

 

 

 

 

 

 61年目の8月15日、敗戦記念日に、小泉純一郎首相が、靖国参拝

を果たしてくれた。

 

 胸がすっきりとした。

 贔屓の力士が優勝決定戦で勝ってくれたような爽快感である。

 胸の痞えがとれた。

 

 

 戦没者の慰霊は、日本の伝統宗教の職責であり、純粋文化であり、

日本人としての精神的根幹にかかわる問題である。

 

 これに対して、チャイナや韓国は、宣戦布告的干渉を続けている。

 なぜそれができるのか。

 日本のマスコミが仕組んだ反日キャンペーンだったからである。 

 いわば、マスコミによる外患援助罪(がいかんえんじょざい、刑法

82条)に限りなく接近する国家反逆行為と言わざるを得ない。

 

 

 靖国問題は、民主主義の許容範囲を超えている。

 放送の独占は公益責任を負っているということが前提で認められ

ている。

 民主主義の前提たる言論の自由とは、国益を害する非国民的言

論を許すものではない。

 おのずと報道の責任がある。

 重い表現責任である。

 

 

 

 

 

 

 

 『民主主義』といえども、その目的は、国家安寧、国益増進にあり、

その責任と権限が国民にある。

 なぜなら、それが主権者たる国民の職責だからである。

 首相の記者会見におけるマスコミ批判はそれを示唆している。

 


 もはや、主権者の責任として、言論統制を要するであろう。

 言論には重大な責任を伴うのである。

 ましてや、日本人が事実を歪曲してまで他国からの攻撃を招くとは、

許されない重罪というべきであろう。

 

 そうしたマスコミ規制法は早急に立法するべきである。

 

 

 純粋に国内問題として、靖国参拝のあり方を問題にすることは大い

に結構であろう。


 そのときに、超A級戦争責任の所在は、日本の神々と、その取次ぎ

である天皇陛下にある。

 その責任を問うとはどういうことか。

 国民の責任とは無関係だといえるのか。

 矛盾しているとは思わないか。 

 『国民の戦争責任』はないのかと問いたい。



 さらに、政教分離がどうのというが、政教分離は正当なのか。

 

 そもそも、天皇制は、神道の原点として成り立っている伝統である。

 神道とは、日本の国柄であり、伝統なのである。

 それを廃棄せよというなら、決着をつけねばなるまい。

 内紛ともなりかねない重要問題である。

 

 糞ハエのような「ブンヤ」の類が、戦争の傷口によってたかる汚らし

い光景を、自民党政治家よ、いつまで許すつもりなのか!

 

                                梅士 Baishi 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 終戦をあらためる・・・ 日本独立運動としての、産学協同教育の精神

2006年08月14日 09時16分27秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

 

 終戦の   キーボード打つ   盆の前

 

   馬糞 Bafun  

 

 

 

 

 

 

 戦後六十年のどん詰まり、8月14日Monに一筆記したく、キーボー

ドを打つ。

 

 失ったものは、祖国愛であり、死を超える道であったと思う。

 独立の精神である。

 武士道である。

 志であり気概である。

 

 高天原の神々は、議決して戦争に臨み、多くの国民の生命と威信

を失って、アングロサクソンの神々に負けたのである。

 それは、神託であった。

 なぜそれを、国民が裁こうとするのか。

 

 

 アメリカもオーストラリアも、「敵ながら天晴れ」と敬意を表した。

 だから、今日の日本の復興がある。

 

 日本人には神が宿っていたので、それを畏れて、一般市民まで殺

戮するという戦争犯罪にまでアメリカは自らを汚した。

 

 しかし、日本人の純粋と潔さは賞賛に値したのだ。

 だからこそ、勝敗が決した後は、グッドフェローとして握手をした。

 負けた日本も、アメリカに学んだ。

 

 

 無謀な戦争でもしなければ日米同盟の序列は生まれなかったで

あろう。

 それが世界平和の秩序である。

 無謀というのは、アメリカに対して覇を競ったことである。

 謙虚ではなかった。

 知らなさすぎたということである。

 

 

 企業人よ、コリアに対し、チャイナに対し、卑屈になってまで貪ろう

とするその卑しさを恥よ。

 彼らの独立は、日米戦争の結果である。

 戦争以後の関係である。

 神までも戦犯にして侮辱するのは、あまりにも愚かなことである。

 それを拝金主義というのである。

 資本主義ではない。

 資本主義を支える自由とは、神からの自由ではない。

 神への自由である。

 神への感謝と信仰を忘れるな。

 だからこそ、競争には神聖と言うスポーツマンシップが大切なのである。

 

 

 神々とともに、戦争の痛みを分けた日本国民の先輩たちよ、安ら

かに帰天せられよ。

 対馬の土地をコリアに売りまくっている売国奴がおり、コリアに乗っ

取られようとしてもいる日本ではあるが、このまま拝金主義の売国

奴のなすがままにはさせない。

 これは裁き心ではない。

 主権国民としての日本独立運動である。

 

 

 教育は国家百年の計という。

 我は、最も嫌っていた教育現場に身を置いて、百年の計の土木作

業を志している。

 

 企業人よ、教育に参加せよ。

 教育業界には人材が乏しい。


 日本人として、先を行くものとして、学校教育に参加せよ。

 若者たちを亡国の民にするわけにはいかないではないか。

 それを『産学協同』というのである。

 

                           Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 盆の入り・・・ 裁き心は不幸を招く

2006年08月13日 10時54分11秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  盆の入り   電波を切りて   もの思う


        馬糞 Bafun  

 

 

 

 

《迎え火》 

 テレビを切ると、夏の声だけが聞こえてくる。

 電波は風流の心を波立たせているらしい。

 久しぶりの静寂だと思・・・。

 

 戦後60年と言ってきた一年も、今日と明日とで期限が切れる。

 盆の入りの13日になった。

 あの世のふたが開き、気になる霊人が地上への来訪を許される。

 親が健在な間はさほどの縁もないので、馬の耳に念仏でやり過ご

すのだが。

 

 しかし、迎え火を要するのは、亡国の日本、大和の霊であるかも

しれない。

 大きな盆ちょうちんに「大和魂」と書いて迎え火をしたいものだ。 

 ちょうちんを下げる場所は国会や各自治体の庁舎の玄関である。

 

 因みに、大和の心といえば、日田の杉下駄が実にいい。

 気分がいい。

 履き心地もいい。

 音もいい。

 クールビズもこれなら推奨したい。

 

 その下駄が、信号に間に合わせようと走った拍子に割れてしまっ

た。

 やはり、少しいいものを買わねばならんと思うが、博多には売っ

ていない。

 靴屋は日田の下駄を置くべし!


 商人の使命である。

 

 

 

 

 

《裁き心は不幸を招く》

 さて、盆の静寂に思うことは、人間の幸福を妨げている最後の

壁は、「裁き心」なのではないか、ということである。



 では、悪を裁くなというなら、正義はどうなるのかと反論したくなる。


 公共の通行を妨げる迷惑な自転車、歩道を塞ぐ駐輪、平気でゴミ

や火のついたタバコを車外に投げ捨てるドライバー・・・。


 その場で怒鳴りあげたくなるのだが、見過ごしにせよというのか。

 遠慮しながら迂回して通れというのか・・・と。

 

 

 幸福を追求するなら、裁くな、怒るな、怒鳴りあげるな、急ぐなら

迂回せよ、というのが論理的帰結というべきであろう。



 裁き心から生まれるのは、相手の理不尽な反抗と、納まりがたい

怒りである。

 裁き心を貫くなら、非合法の死刑執行以外にはなくなるであろう。



 自己中心の日常的悪人は6割を超えているともいわれる。


 彼らは地獄に落ちるべき運命の輩であるが、この世では平然と自

己中心に生きている。

 

 いわば、この世は荒れ地である。

 快適に進むことがままならない危険地帯である。

 障害物を移動したり撤去することはできるが、時間外の重労働が

必要である。

 

 荒れ地に対していちいち腹を立てても整地は進まない。

 怒りがこみ上げてくるなら、静かに迂回して進むべきである。

 怒ること自体が、悪を正す適格がないことを意味しているであろうから。


 

 盆には迷える霊に癒しと救いを与えなければならない。

 

 引導① 「裁き心を捨てよ。それこそは怒りの泥沼であり、地獄沼

である」

 

 引導② 「悪に接して怒るならば、これを正さず、迂回して去るべし」

 

 

 自分の救いの言葉としても、肝に銘じたい。

         

                                       Bafun 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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