すぶんろこ!のジャパニーズドリーム 『立憲女王国・神聖・九州やまとの国』・・・仏陀再誕!日本の独立と繁栄が世界を救う!

■ 独立なくして繁栄なし! 日本国独立宣言! 植民地憲法『日本国憲法』無効宣言、痴呆自治廃止、日本軍再構築、核保有宣言

+ 西鶴の大晦日越え・・・ 旧正月を祝う

2006年01月29日 08時29分28秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 西鶴の   胸算用の   年も越え 


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

   新春の お喜びを もうしあげます

 

                   平成十八年 旧正月 元旦

 

 

 

 

 

 正月といえば、月暦の正月、旧正月のことだった。

 時代劇に出てくる元旦の風景も、旧正月のことである。

 井原西鶴の世間胸算用も、落語で借金取りに追い回される風

景も、そうである。

 

  伝統の正月を、アジアの人々ともに祝いたいものだ。

 

 

 

 【元旦のごあいさつ】   

 

 借金取りに追い立てられることもなく、アジアの元旦を

迎えることができました。

 

 仕事があるので、お屠蘇をいただくというわけにも参り

ませんが、雑煮など食べて、アジアの民草と田の神々と共

に月暦元旦の新春をお祝いしたいと思います。

 

 蛙と一緒に笑ってすごせるような清々しいアジアの繁栄

を目指して努力してまいりましょう。

 

                  J.D.Subunroco. 

 

田の神⇒ http://www41.tok2.com/home/kanihei5/tanokansa.html

 

 

 

 

 

 

 

                   

  

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+ 普賢迫れり火砕流・・・ 有明海交通革命論

2006年01月27日 14時10分04秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  

 雪霞み   普賢迫れり   火砕流

   馬糞 Bafun                    

  

 

 

 

 島原大変、肥後迷惑といわれた眉山崩壊と津波の天変地異

は有名であるが、普賢岳噴火に伴う大火砕流はテレビで報道

されたリアルな天変地異であった。

⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B2%E4%BB%99%E6%99%AE%E8%B3%A2%E5%B2%B3/


普賢岳といえば、噴火など思いもよらない静かな山だった。

 思えば、その遠因は島原の乱に遡るのかもしれない。

 キリシタン弾圧、農民に過酷過ぎた年貢取立て、天変地異

による飢饉が複合しての反乱には、土着の農民たちが根こそ

ぎ参加して、女子供を含めて根こそぎ殺戮された。

 藩主も斬首された。

 

誰もいなくなった島原に、幕府は熊本を中心として各地か

ら移民を送り込んだのである。

 そのためか、島原弁は熊本弁の流れを受けている。

 長崎県にあって、明らかに長崎とは異なる文化圏であるこ

とは間違いない。 

 

島原の乱⇒
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E4%B9%B1

 

 

因みに、その中に小豆島などの素麺職人がいて、有家は

素麺の一大製造拠点となった。

 有家の素麺は評判がよく、各地にOEM出荷されていたが、

産地表示の偽装にあたるとして問題となったことがある。

 

⇒ http://www.yomiuri.co.jp/tabi/gourmet/fudoki/20050816tb03.htm

 

 

 それは良いとして、問題は虐殺と移民の事情である。

 アメリカ開拓史とは異なる事情があるとはいえ、共通する

のは、神の許しなき土地のように思われるのことである。


 アメリカの罪は奴隷政策も加わってさらに深く、それ故に

滅亡する運命を背負っているのであるが、そうした歴史に残

る罪を、土地の文化として引きずってはいないか、反省すべ

きことに思えてならない。

 


 火砕流の慰霊祭はあるのだろうが、島原南部の虐殺と移民

の歴史を慰霊する祭りは行われているだろうか。

 住民は真摯に受け止めているだろうか。

 

 400年昔のこととはいえ、慰霊と感謝の気持ちがなければ、

大虐殺のあとに入植して利権を得た形の島原南部人は、キリ

シタン文化を残す長崎人からは、長崎のユダヤ人と陰口をた

たかれ続けるであろう。

 

 有明海沿岸の島原が、有明海を通じて福岡都市圏にも愛さ

れる清々しい文化都市となることを願う。

              


J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ かまめ立つ有明航路・・・ 佐賀空港+有明航路

2006年01月23日 08時16分26秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

  有明を かもめと渡る 年始かな

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 渡りに船、島原港と三池港を連絡する高速艇を島鉄が運

行していることを知って、雲仙神社前のバス駅を出発した。

 雲仙から島原港までは島鉄バスで20分ほどの距離である。

 山を降りて市街地に入ると、普賢岳火砕流そのままの風

景が見える。

 遠い山が迫ってくる風景である。

 

 島原港からは、熊本港、三角港方面の利用が多い。

 大きなフェリーが発着するたびに、大勢のカモメたちが送り

迎えしている。 

 九州に住んでいながら、有明海を行き交う船に乗ったの

は初めてのことであった。 

 島原港から大牟田駅までは高速艇と連絡バスのセットで

2100円である。 

 

 正月明けの有明海は大荒れだった。

 さながら荒馬に乗っているかのように豪快に宙を舞う。

 天気が良かったら阿蘇を一望できたであろう。 

 大牟田駅からは西鉄電車が安くて便利が良い。

 特急で50分、1000円だったと思う。

 JRのおよそ半額に近い。 


  三池を起点とする有明航路には大きな魅力がある。 

 かに料理の竹崎、魚料理の天草、馬刺しの熊本、世界に

羽ばたく佐賀空港・・・。

 
三池港を基点とする高速艇交通は、有明海沿岸に邪馬台

国(やまとのくに)の賑わいをもたらすことであろう。

 

 有明海は、大和の国の日向女王が愛した海でもある。

 佐賀空港の価値を高めるためにも、有明海交通革命を提案したい。

                          J.D.Subunroco.  

 

 

 

 

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+ 初日の初湯・・・ 旧暦正月の年賀を

2006年01月21日 07時58分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 湯気たてて  
 雲仙地獄に   初日入り


     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 旧暦の正月は太陽暦の1月29日(Sun)である。

 勝機あり!

 書きそびれた年賀状は気になるものだ。

 しかし、日本の伝統は、旧暦に在る。

 太陽と月との調和を失ってはならない。

 

 ㈱ 郵便局よ、旧正月の年賀状を販売せよ!

 これが世に貢献するビジネスマインドである。

 さすれば、20枚ほど買いに行こう。

 

 雲仙地獄の者どもよ、雲仙の初日は出るものにあらず。

 湯に入るものなり。

 初湯の儀を温泉の新しい伝統行事にしてはいかがか。

 

 湯気に立つ初日というのも一興、めでたいものではないか。

 

 

 勝機加えるに、旧暦の正月も国民の祝日に定めていただきたい。

 アジアの友と新年を祝うためにも!


 小泉首相の後世への最大遺産となるであろう。

 

 太陽と月との調和は、男と女との調和でもある。

 さあ、伝統の春節をめでようではないか。

 初日も心機一転、初々しく出ることであろう。

 

 

 

 旧暦に 年賀をせんと 日を数え

      馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 海空の果・・・ 神とともに住むアニミズムの再評価

2006年01月15日 09時15分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 海空の 果てに住みたる 真冬かな

 馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 玄界灘の向こうは北極かと思えるほどに、シベリアの真冬が吹き

付けてくる。

 その海底は、日向灘、別府、九重につながる地震山脈のラインに

つながっているように見える。

 天変地異を秘めた海なのか。

 

 海の風景は見えない世界の風景である。

 海を見ながら海底の都市を思い、水平の向こうの大陸を思う。

 海空無限、果てしなく展開する光景に未来を思い、見えない意思

との対話を楽しむこともある。


 

環境破壊時代における日本神道の再評価

 日本伝統の神道はおおらかで清々しく、ストレートに神様と対話

をする素朴な宗教である。

 対話する神を感じさせる美しい風景にも恵まれている。

 まさに「神国日本」である。


 海に神を見、空に神を見る。

 山川草木にも神を感じ、そこに生きる美しく強い生き物にも神の姿

を感じる。

 

 そうした素朴さが日本人のお人よしな性格を育たのでもあろう。

 ちなみに、人間は、素朴なだけではいけない。

 自助努力して知性を磨き、異文化への理解と距離感を養成しなけ

ればならない。

 確かに、自然の中に「神」の姿を見る伝統は、キリスト教や仏教か

ら見ると、世界第二位の経済大国日本とは思えない幼稚なアニミ

ズム(精霊信仰)のレベルかもしれない。

 少なくとも、国家の指導的精神としては不足であり、誤解を生むこ

とにもなるのだろう。

 

 しかし、俳諧が花鳥風月の心象風景の中に諸行無常の感慨を楽

しむように、素朴なアニミズムは、生きとし生きるものの中に神聖を

感じて大切に思う善良な基礎文化を育ててきた。

 

 そのような心が文化として定着していれば、地球生命を危うくして

いる今日の環境問題は克服できるはずである。

 自然を畏れ敬うことは、人間の善良な文化として誇るべきもので

はないだろうか。

 



【対馬の海岸を埋め尽くすコリアのゴミ】

 対馬の浜には大量のごみが漂着するという。

 その9割がコリアのゴミだという。

 コリア人は、ゴミを海に捨てている。

 海の神を畏れる心があるならば、そのような海洋汚染などできる

はずがない。

 

 チャイナはさらに地球規模の汚染国家である。


 アニミズムの基礎文化を欠いた国は、傲慢と汚染の国になるとい

う実例である。

 

 もっとも、現代の日本人も汚して省みない劣等の人種に入れ替わっ

てきつつある。

 農業も、漁業も、牧畜業も、大地や海や生き物に神聖を感じて畏

れているだろうか。

 こざかしい科学技術の感覚で神を冒涜しているのではないのか。

 

 そうした者たちの産物を食べざるを得ないというのも日本人の不

幸というべきであろう。


 鶏のストレスを食べ、牛や馬の悲しみを食べているのではないのか。

 生命力を弱めた野菜を食べ、根こそぎ命を絶たれた魚の嘆きを食

べているのではないか。


 生き物が犠牲となって提供している食べ物を、われわれは感謝し

ていただいているだろうか。

 そのような教育がなされているだろうか。

 生き物への思いやりと感謝なくしては、健康な食生活は成り立た

ないのである。

 

 大人になっても、信仰の世界で犬神、お稲荷に祈願をするようで

は情けないが、高度の世界宗教の基礎として、自然の中に神を見

る精神文化は環境先進国日本の誇るべき伝統として、再評価され

るべきではないかと思うのである。

 

 アニミズムとは、感謝と思いやりの精神文化である。

 生きとし生けるものの魂は、神聖なるものから生まれたという福音

にほかならない。

 

 九州もまた、福音によって作られた神の国と知るべきである。
                                
                     J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 天に雪 地に白湯気の 地獄かな・・・ 生命とは何か

2006年01月09日 14時14分29秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

              

 

 

  天に雪   地に白湯気の   地獄かな 

   馬糞 Bafun 

 

 

 

 

 

 

  雲仙の地獄を散策している頃、秋田の泥湯温泉で硫酸ガスに

よる死亡事故があったとのニュースが流れていた。


 癒しの硫黄臭を少し危険に感じてしまったが、温泉地獄の景観は

愛の星地球の息吹を感じる絶景である。

 そこから湧き立つ温泉は、人の心も体も癒してくれる。

 

  まさに、愛の星地球というべきではないか。

 

 人の心の地獄が湯気を立てても、温泉のような癒しは生まれない。

 心の地獄とは、自己中心の思いから沸き立つ。

 不平不満、嫉妬、恨み、憎しみ、排他的な支配の暴力・・・

 およそ癒しの要素とはかけ離れた地獄の根源である。

 

 温泉地獄は、地球の生命活動の現われである。

 即ち、地球は生命体である。

 さて、これを否定する理由があるのだろうか。

 生命とは何かという問題である。

 

生命とは何か】 

 この世の生命とは、身体活動があり、意思を持っている存在であ

るが、この世に限定しないのであれば、意思存在を生命というべき

であろう。

 即ち、霊的な存在である。

 

 愛の星地球は、地上に生命を存在させ、育もうとする意思を持っ

た生命体というべきである。

 

 小さな認識から大きな存在を認識する事は難しい。

 しかし、小さな存在であっても大きな認識を持つことはできる。

 それが心の特性である。

 仏教で、握一点開無限という。

 こうした認識の拡大を信仰というのだ。

 

 学ぶということでさえ、信じる力によってもたらされるものである。

 本当の教養とはその本質に信じる力を持っている。

 

 現代から失われつつある生命力、それが、信じる力と信頼される

美徳いうべきではないか。

 本当の教養が失われつつあるということでもある。 

 

 反省なくして、新しい時代の精神は生まれないであろう。

 反省から発展へである。  

 

                                                  

                 J.D.Subunroco.  

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 謹賀新年 ・・・ 不文憲法の法理  2006年元旦謹製

2006年01月03日 13時32分43秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 元旦に  背負いて越ゆる  九重かな           


   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 新年 あけまして おめでとうございます。

              平成十八年 正月

 

 

  

2005年の発句

 新年の 天の光を 縁起とし 


本年の発句

 元旦に 背負いて越ゆる 九重かな

 

 

 

 

 今年も九重は正月登山の人で賑わっているのであろう。

 九重の白銀と煙は、正月にふさわしい厳格さを持っている。

 

    
一年の計は元旦にあり

 深田佑介氏の数年前の著作「東洋事情2000~中国に媚び
てはいけない」という本を読み直した。

 つくづくと、このままでは日本を信頼してくれているアジアの人々

に申し訳がないという思いを深くした。

 

 まず、日本は独立国家とならなければならない。

 独立の精神を回復しなければならない。

 2006年を戦後61年としてはならないのである。

 

 自分を愛しないものが他人を愛することはありえない。

 同様に、自国を愛さない国民が他国を愛することはありえない。

 自国あってこその他国である。

 自分が分からなくて、どうして他人を理解することができようか

 憲法の何たるかをしならなければならない。

 

 独立放棄を宣言した「日本国憲法」の無効については前述した。

⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/9880f20196992dbdc64b2ec54bc55f44

 

 日本の憲法は成文法としては存在しない状況にあるというべき

である。結果、英国同様、不文憲法の状態である。

 

不文法本質論】 

 成文法と不文法の関係について一言しておきたい。

 法の本質は不文法にあると考えるべきである。

 成文法主義と不文法主義とは矛盾するものではない。

 この世とあの世の関係のように、成文法は不文法の本質を前提

として依存している関係である。

 

 たとえば、道徳とは無縁の形式的な法と思われがちな道路交通

法にしても、その前提には安全への配慮と他人への思いやりと

いう道徳律なくしては本来の交通秩序は確保されないものである。

 およそ規制法の総則には不文法としての道徳律がある。

 

 成文法主義は、本質的に不備を免れない。

 にもかかわらず、成文にとらわれて本来の法の精神を忘れ、

字面にとらわれた解釈にとらわれたりする。

 形にとらわれるのが、この世の人間の弱点である。

 

 目に見えないものにこそ真理というものは現れているものだ。


 ところが、人間の浅はかな科学信仰というべき過信が法の世界

にあってもその深層にある本質を見誤まらせてきた。

 その典型が憲法解釈である。「自由」と「平等」という人権の基

本文言からして、人権の本質を腐敗させたのである。

 反省すべき大きな罪である。

 

 法の解釈運用についても、成文法が法の精神に適しないときに

は、不文法に戻って、在るべき法を顕在化する役割と権限が、

議会に留保されていると考えるべきであろう。

 

 憲法改正の手続き条項にしても、無効憲法「日本国憲法」や、

かつての帝国憲法の文言にとらわれることなく、海外の改正例を

参考にして国会で決めればよい。

 基本的には法改正と同じ手続きで良いであろう。

 ただし、新憲法の定立に当たっては、実質的に戦後独立という

重要な意義を持つものであるから、国民投票による論議の期間

を1年ほどおいても良いであろう。

 不文法「日本国の憲法」の中核には、十七条憲法が生きている

ことを忘れてはならない。

 心の教えなくして憲法の権威は成り立たないことを、十七条憲

法から学ぶべきなのである。
 

 

 法の精神とは、人としてのありようを示すものでなければならない。

 法の権威は、仏神の教えを離れてはありえない。

 神を尊び学ぶ精神を見失えば、人は堕落し腐敗する。

 「神聖」であることは、新しい文明のキーワードであると思う。


 泥の世界に根を下ろしながらも、毒を排し、養分を吸収して清廉

な花を咲かせる蓮の花のような人生観を教える必要がある。

 泥の世界に生きながら花を咲かせようとするからこそ、人は道

を求める。

 美意識が芽生え、自分らしい誇りを見出すことができる。

 そして他人との友情も芽生えるのだ。

 他人もまたそのように泥の中から花を咲かせている。 
 

 それゆえにこそ、人は他人の人生に感動する。


 

 日出る国・日本を21世紀創世の使命をもった独立国家として

再構築すること、それが新年の夢となるであろう。


 それが企業の夢となり、国民の夢となることを願う。

                          J.D.Subunroco. 

 

 

 

 

 

 

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