陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

新・山本二三展へ

2024年04月20日 | slow culture

「アニメーション美術の創造者ー新・山本二三展」を観に神戸ファッション美術館へ。

故・山本二三(にぞう)さんは長崎は五島列島出身のアニメの背景画のクリエーターである。五島列島の中学校を卒業後、岐阜県の高校で建築を学び、しばらくは確か石材屋?で働いていたが、上京して美術系専門学校に学び、アニメの世界で有名になった方だ。

テレビアニメ「未来少年コナン」で美術監督を務め、それから「ルパン三世 カリオストロの城」、「じゃりんこチエ」、「天空の星ラピュタ」、「火垂るの墓」、「おもひでぽろぽろ」、「耳をすませば」、「もののけ姫」、「パーフェクトブルー」、「千と千尋の神隠し」、「時をかける少女」、「天気の子」などで数々のアニメの名作に携わった。昨年惜しくも70歳の若さで他界された。ジブリの高畑勲氏や宮崎駿氏とは切ってもきれない関係の方である。詳細は以下の絵映舎のHPをご覧頂きたい。

https://www.yamamoto-nizo.com/

特に雲の描き方が二三雲、ラピュタ雲と言われるように素晴らしい。“いつか見た、あの空とどこか記憶を揺り動かす雲の表現”とは、正に言い得て妙である。

以下は私の印象に残った作品

第2章そこにある暮らしより

◇火垂るの墓…駅(あの三ノ宮駅だ)、裏通り、雨上がり、縁側、火炎、駅のホーム、焼夷弾、悲しみ、焼跡の校庭、宵待草、ほとりに浮かぶ、火垂るの家

◇時をかける少女…洗い場、ゴーヤ棚、ドラッグストア前(この商品棚の精緻はアメイジング!)、坂道、夕暮れ(2)

第3章雲の記憶より  あおい空、夏の夕暮れ、朝焼け

第4章森の命より  早朝の山

第5章忘れがたき故郷より  両親の家、旧五輪協会のスケッチ会、鬼岳から臨む野々切

神戸を訪れた折には御影公会堂やポートタワーも含む三ノ宮界隈の市街地の景も描かれている。しばし心にある郷愁の景を旅するような、そんな展覧会であった。

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四月の読書 叩く

2024年04月19日 | slow culture

芥川賞作家が贈る「不穏な人生」最新コレクションに惹かれて読む。

表題の「叩く」はノワールだ。闇バイトで押し入った家に首謀者に裏切られて取り残される男。顔を見られた縛った老婆を殺すか否か。

第二話の「アジサイ」は訳もなく妻に去られたサラリーマンの男。

第三話「風量発電所」は青森県のとある村。「そして私はこの村全体が何やら作り物に感じられてきた。辺境の土地に、近代的なインフラ設備、人気にない市街地、人気のないショッピングモール…」夜、腐臭がして風力発電のブレードの下にライトを照らして近づくと、そこには大量の鳥の羽が…。

第四話「埋立地」は都市開発の造成地に見つけた横穴、それを探検する少年時代の冒険譚。「スタンド・バイ・ミー」だ。

そして第五話の「海がふくれて」は東北大震災で漁師の父を亡くした少女と少年の物語。

作家は青森県宇生まれの方。自身のふるさとを題材にした短編集である。

◇叩く 高橋弘希 新潮社 2023年6月発行

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季題 チューリップ

2024年04月18日 | nonoka

小学校の小さな花壇というか植込みにチューリップが咲いていました。

何万本ものチューリップではありませんが、こういう花壇のチューリップもいいものです。赤と黄と紫の三色。少し離れた所には赤と白の斑も咲いておりました。

桜はもうほとんど葉桜になりつつありますが、チューリップはまだしばらくは見頃かな?

放課後の楽しき会話チューリップ

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駅の風景 小郡駅

2024年04月16日 | slow culture

ときどき撮りためた写真を振り返る時間がある。そういうときはやはりデジタルは便利だ。昔ならいちいち重いアルバムを出して捲らないといけない。そういう点ではデジタルなら写真を簡単にスクロールして探すことができる。私は銀塩写真の方が圧倒的に好きだが、デジタルの利便性にはかなわない。

小郡駅である。この写真は2007年に撮ったもので今は現存しているかどうかは解らない。小郡駅は新山口駅となった。調べると2003年に変更されたようだ。「おごほり」と云う仮名が何ともいい。私の懐古趣味をこれでもかと掻き立ててくれる。

小さい頃、よく寝台車に乗って夏休みには九州の父の里へ行った。寝台車で確かまだ夜が明けきらないとき。目が覚めるとそこは小郡駅だった記憶がある。その小郡という駅名を見るともうすぐ関門海峡のトンネルを越えて九州だなと思ったものだ。九州の里では一カ月ほど滞在することもあった。岬の中ほどにある浦曲の里だった。叔母の家に泊まり従兄妹たちと毎日舟に乗ったり泳いだりして真っ黒になって遊び、そして神戸に帰ってきたものだ。

鉄道や駅はいつでも旅情を掻き立ててくれる。また機会があったら山口へ行って見たい。そう言えば新聞で仙崎の金子みすゞ館で「みすゞが愛した仙崎」という企画展を5月中頃までやっているとあった。これも2007年に一度行ったことがあるがまた訪れてみたい。

 

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木瓜の花

2024年04月15日 | nonoka

木瓜(ぼけ)の花があちこちで咲いているのを見かけます。春は四月の候に載っている季題です。

ホトトギス新歳時記によると“木瓜は中国原産で種類が非常に多い”とあります。確かに色んな木瓜の花を見かけます。結構派手な色合いの花です。

昔、まだ年端もない頃、ボケと言う名前の花なんて、なんと可哀そうやなと思ったものです。まあ“ボケ”という俗語も関西弁でしょうから、関東では可哀そうな名前というイメージはないかも知れません。“ボケ”でググったら、関西の人は怒ると「アホ ボケ カス」とか言いますよね?なんてのもありました。いやはや何とも、です…。可哀そうな花だと思ったのもうなずけます。

数十年前になりますが、京都の原谷苑の桜が好きで何回か行きました。下草に木瓜の花や雪柳が咲いて、その上に紅枝垂れ桜。そのコントラトが幻想的な景でした。入園料が桜の開花状況による変動相場制でした。この原谷苑、その頃は知る人ぞ知る桜の穴場的名所でしたが、後年は、観光バスで沢山の人が押し寄せるようなってしまったと聞きました。あの時の木瓜の花が咲く光景が今でも紅枝垂れ桜と共に脳裏に焼き付いています。

木瓜一花ゆゑの人目をひそと惹く 汀子

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蔓延る花 大黄花片喰

2024年04月12日 | nonoka

ご近所辺りをウォーキングしていたら、とある小学校の石垣に黄色い花が群生していました。この時期、街を歩いているとよく見かける花ですね。黄色い花なのでよく目に付きます。

これは大黄花片喰(オオキバナカタバミ)です。南アフリカ原産の外来種ですね。別名はキイロハナカタバミとも言います。もともとは鑑賞用として輸入されたものが帰化してあちこちに蔓延(はびこ)っています。春の在来植物とニッチ(隙間)を競合して影響を与えるほか、家畜にとっても有害とありました。

ひょろっと長く先に花をつけるナガミヒナゲシもあちこちで咲き始めています。派手な黄色の菊のようなオオキンケイギクなんかは、初夏に高速道路の分離帯や路肩に群生しているのをよく見かけます。とにかく外来種はよく目立ちそして綺麗な花だからということで、あまり駆逐されないみたいですね。

まあこれもグローバルの時代と言ってしまえばそうなのでしょうが、日本固有の草花が駆逐されていくのはやはり心配です。そのうち歳時記に掲載されている和花はいつか幻となってしまうのかな?なんて不安になります。

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2024桜の風景 大川沿の桜並木

2024年04月11日 | slow life

造幣局を通り抜けて天満橋方面へ戻る出口を降り、大川沿いの桜並木の遊歩道を歩く。ここは正式には“大川・毛馬桜の宮公園”というらしい。

毛馬洗堰(けまあらいぜき)から下流の天満橋まで、大川の両岸に広がる約4.2kmの桜並木とある。ソメイヨシノなど約4,800本以上が植えられているのだそうだ。造幣局の辺りは地図で確認すると川崎公園とあった。

前回に書いたが、以前はこの遊歩道の両脇にはびっしりと隙間なく露店が犇めいていた。その分、道は狭くなるのだがまさに陋巷(ろうこう)をゆくが如し。そんな雰囲気が浪速らしくて好きだったのだが、コロナ以降は出店禁止になったのだろう。ちょっと残念。

大川を遊覧船や水上バスが頻繁に往来していた。こちらから手を振ると船上の人も手を振り返していた。船上から眺める桜並木もこれまた絶景である。私の以前乗船したことがある。

川崎公園から川崎橋を渡る。この川崎橋…大阪市のHPによるとこう記されていた。“江戸時代、大阪城京橋口から、幕府の役人宅や諸藩の蔵屋敷があった対岸の川崎(北区天満一丁目の一部)へは「川崎渡」が通っていた。明治10年になってこの地に橋が架けられたが、私設の橋で通行料一人三厘を徴収したことによって、「ぜにとり橋」と呼ばれたらしい。”

はは…こりゃ又ぜにとり橋とは大阪らしい表現。現在は斜張橋に架け替えられている。橋の先にお気づきだろうか?大阪城が見える。世が移り大阪城もずいぶんと低くなったものだ。

この橋を渡ると向かって右手に大きな白いビルが建っていた。ここは以前は日本経済新聞社大阪本社であった。現在は建て替えられてテレビ大阪が移転するようだ。その上にどうやらホテルが入るようである。サインには“DOUBLE TREE”とあった。by Hiltonとも。どうやらヒルトンホテルのようだ。

以前ここに新聞社があった頃、仕事でほぼ毎日ここに通っていた。阪神大震災の折には、被災者は新聞社の厚意で工場の人たちが入るお風呂を使わせてもらえた。色んな思い出が詰まったビルでもあった。仕事で丁々発止したこともあったが、それも今はもう懐かしい遠い昔のこと。すべてはもう朧の中である笑。

新ビルを眺めながらOMMビルへ。ここの地下2階にはいろんな飲食店が入っている。あの頃の仕事帰り、メディアの人やエージェント仲間と飲んだ店は、ちゃんこ屋一軒だけが変わらず存在していたが、あとはほとんど入れ替わり知らない店であった。

朧夜に浮かぶ天満の橋灯り

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2024桜の風景 造幣局通り抜けへ

2024年04月10日 | slow life

ふと思い立って造幣局の通り抜けへ行くことを決める。事前申込制となっているのでネットで調べると余裕があった。申込みをしてバーコードを受け取り一路大阪へ。

地下鉄を天満橋駅で降りて造幣局の西門へ。入口手前に露店が並んでいると思ったが、まったく露店はなかった。帰路の大川沿いの遊歩道にも犇めく露店の姿はない。規制が厳しくなったのだろう。ちょっと寂しい感じもするが通りやすくなったのは確かだ。

局内の桜は品種によってはずいぶんと遅速がある。これからというものがほとんどであったが、満開のもの、もう散っているものもあった。やはり遅速なくどの桜も繚乱というのがこの通り抜けの醍醐味なのだが。ちょっと興が乗らないかな。しかいしその分人出もあまりなく、ゆっくりと桜を楽しむことができた。

それぞれの樹には大方説明版が付いている。今年の花は「大手毬」であったが、2~3分咲きといったところか。「天の川」や「舞姫」、「夕暮」などの名も。おっ!「祇王寺祇女桜」という品種も!まるでいにしえの絵巻物を旅しているようである。

この日は花曇かつ花冷という日和。冬物のコートといった出で立ちの方もちらほら。京都に比べると外国人の方は少ないようだ。みんな京都の方に行っているのだろうか?帰路は大川の遊歩道を歩いて天満橋へ戻る。露店がない分、遊歩道はゆったりしていたが、やはり犇めくような露店が並ぶ方がいいかな?

 

ゆつたりと歩す花冷の通り抜け

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2024桜の風景 御影公会堂を望む

2024年04月09日 | slow value

神戸市東灘区にある御影公会堂は神戸市灘区と東灘区を隔つ石屋川の北東角に建っています。昭和八年に白鶴酒造の七代目嘉納治兵衛翁の寄付により建設されました。戦争でも焼け残り、あの「火垂るの墓」のアニメの舞台で有名になりました。数年前にリニューアルされて美しい姿を神戸市民に見せてくれています。

この御影公会堂と六甲山を借景に眺める桜が私の慣れ親しんだ桜の光景です。いつの年でもこの景に癒されてきました。

公園の川沿いには国道二号線を隔てて南北に桜並木が続きます。ベンチもあって、色んな方がしばしベンチに佇み、桜の樹の下でそれぞれの刻を過ごしておられます。この公園の桜は八日に時点ですがまだ満開にはなっていません。九分咲き位でしょうか?この所の雨模様でもまだしっかりと花をつけています。もうしばらく楽しめそうです。

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2024桜の風景 入学式の桜

2024年04月08日 | slow life

4月8日(月)はほとんどの学校で入学式が行われたようです。近くの高校でも入学式がありました。真新しい制服に身を包んだ子とお父さん、お母さん。家族で公園の桜をバックに写真を撮る光景が見られました。今はパパも入学式に参列するのですね。私の時代では考えられぬ景です。

写真は小学校の校舎をバックした桜です。かなり年季の入った桜の樹でした。きっと私の時代からそこにあった桜でしょう。入学式に桜が満開で良かった。きっと後年、いい思い出となることでしょう。

入学の子と並び撮る写真かな

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