陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

2024桜の風景 大川沿の桜並木

2024年04月11日 | slow life

造幣局を通り抜けて天満橋方面へ戻る出口を降り、大川沿いの桜並木の遊歩道を歩く。ここは正式には“大川・毛馬桜の宮公園”というらしい。

毛馬洗堰(けまあらいぜき)から下流の天満橋まで、大川の両岸に広がる約4.2kmの桜並木とある。ソメイヨシノなど約4,800本以上が植えられているのだそうだ。造幣局の辺りは地図で確認すると川崎公園とあった。

前回に書いたが、以前はこの遊歩道の両脇にはびっしりと隙間なく露店が犇めいていた。その分、道は狭くなるのだがまさに陋巷(ろうこう)をゆくが如し。そんな雰囲気が浪速らしくて好きだったのだが、コロナ以降は出店禁止になったのだろう。ちょっと残念。

大川を遊覧船や水上バスが頻繁に往来していた。こちらから手を振ると船上の人も手を振り返していた。船上から眺める桜並木もこれまた絶景である。私の以前乗船したことがある。

川崎公園から川崎橋を渡る。この川崎橋…大阪市のHPによるとこう記されていた。“江戸時代、大阪城京橋口から、幕府の役人宅や諸藩の蔵屋敷があった対岸の川崎(北区天満一丁目の一部)へは「川崎渡」が通っていた。明治10年になってこの地に橋が架けられたが、私設の橋で通行料一人三厘を徴収したことによって、「ぜにとり橋」と呼ばれたらしい。”

はは…こりゃ又ぜにとり橋とは大阪らしい表現。現在は斜張橋に架け替えられている。橋の先にお気づきだろうか?大阪城が見える。世が移り大阪城もずいぶんと低くなったものだ。

この橋を渡ると向かって右手に大きな白いビルが建っていた。ここは以前は日本経済新聞社大阪本社であった。現在は建て替えられてテレビ大阪が移転するようだ。その上にどうやらホテルが入るようである。サインには“DOUBLE TREE”とあった。by Hiltonとも。どうやらヒルトンホテルのようだ。

以前ここに新聞社があった頃、仕事でほぼ毎日ここに通っていた。阪神大震災の折には、被災者は新聞社の厚意で工場の人たちが入るお風呂を使わせてもらえた。色んな思い出が詰まったビルでもあった。仕事で丁々発止したこともあったが、それも今はもう懐かしい遠い昔のこと。すべてはもう朧の中である笑。

新ビルを眺めながらOMMビルへ。ここの地下2階にはいろんな飲食店が入っている。あの頃の仕事帰り、メディアの人やエージェント仲間と飲んだ店は、ちゃんこ屋一軒だけが変わらず存在していたが、あとはほとんど入れ替わり知らない店であった。

朧夜に浮かぶ天満の橋灯り

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