陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

秋の花たち 曼珠沙華

2020年09月28日 | nonoka

曼珠沙華があちこちで咲き誇っている。
すくっと伸びた茎の先端に付けた莟は
さながら蝋燭のようである。

この花に対して抱くイメージは
世代に依ってかなり違うと実感させられる。

この曼珠沙華はプランターに植えられていた。
少なくともひと昔前までは、こんな風にプランターで
咲かせるような光景はあまり見た記憶がない。
私の世代では、曼珠沙華と言えばどこか不気味で
死人花と言われて不吉な花というイメージだ。
普通の花のようにプランターに植えて愛でると
いうイメージはなかったように思う。

古い奴だとお思いかもしれませんが、やはり
曼珠沙華は里山の黄金の田んぼや秋の野でこそ
その妖しい色と姿が映えてよく似合うと
私は思うのである。

最近は白い曼珠沙華もよく見かける。
これは別の品種かと思っていたが
毎年映える曼珠沙華が今年は白い花で咲いた。
という記事を目にしたことがある。何らかの
事情で色素が飛ぶということもあるのだろう。

一毒を地中に隠し曼珠沙華
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秋の花たち 野萩

2020年09月27日 | nonoka

今年は九月ニ十二日が秋分の日。
彼岸の中日であった。
単に彼岸と言えば春の彼岸のことを指す。
秋の彼岸は歳時記では秋彼岸とか後の彼岸
というのである。蘊蓄は別として墓参へ。

掃苔を終えてふと斜面(なぞへ)に目をやると
野萩がちらほらと花をつけていた。
藪の中に生えている萩である。
見せるために綺麗に整えらえた寺苑等の
萩とは全然趣きが違う。萩は日本人の好きな花。
万葉集で最も詠まれている花は萩なのだそうだ。
俳人も萩が好きなようでよく詠まれている。

まだ風の領域になき走り萩
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芙蓉属 黄色いハイビスカス

2020年09月26日 | nonoka

とある屋敷街を歩いていると
庭の柵からはみ出している黄色い花。
ひときわ目立っておりました。

近づいてパチリ。人さまの庭の前で
写真を撮るのはちょっと気が引けるけれど
あまりに綺麗なので撮らせてもらいました。

幸せを呼ぶ色ー黄色いハイビスカスでしょうか。

閑話休題。

最近はみんなスマホで写真を撮ります。
それをSNS等にUPするのは楽しいものですが
人の写真を無断で無神経にあげる人がいます。
所謂“フォトハラ”という行為ですね。
これはあまり気持ちのいいものではありません。
最近はそういう人がいればできるだけ同席を
避けるようにしてます。また撮られて、知らない処で
UPされているのかと思うと、落ち着いてその場を
十分に楽しめないからです。でもそういう人は
案外そんなことは全然気にしてません。
コロナで多人数で会食することは自粛しているので
そういう場に出くわすことはなくなりましたが
お互いにマナーを守って、フォトハラに
ならないように気を付けたいものです。
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スポーツクラブ雑感

2020年09月24日 | tete a tete

スポーツクラブでは、エアロにZUNBA
ダンスなど様々なスタジオレッスンの
プログラムがある。おおむね最前列に
陣取る人はそのレッスンの常連さんである。
中にはお局さんのような女性もいる。

やはり最前列に陣取る方はそれなりに
ファッションも凝っている。ZUNBAでは
最初トレーニングウェアだった女性が
慣れてくると派手なZUNBAファッションになる。
見ていて面白い。やはり自信を持ってくると
ファッションも変ってはつらつとしている。

人は自信を持つと変わるのである。
上手いとは下手とかは関係ないんだなと思う。

そして運動をしているとシェイプアップして
体形が良くなってくる。
スマートになるとそれが自信となって
明るく前向きになれる。すると社交的になり
友達ができる。通うのが楽しくなる。
正のスパイラル。これがスポーツクラブの
本当の効用ではないだろうか?
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わたしの酒呑録 黒部の銀盤

2020年09月20日 | eau de vie

米どころ北陸の酒は総じて上質で旨い。
北陸と言っても金沢はどちらかと云うと芳醇で
富山はどちらかと云うと淡麗といった感じ。

六甲道駅の少し北、永手郵便局の通りを
少し西に行った処に花木酒販という酒屋がある。
ここ結構私の好きな銘柄を置いているので
ときどき覗く。棚をつらつら眺めていると
おっ!銀盤があるではないか。なんか
山で偶然松茸を見つけたような感じ。
富山は黒部の酒である。端麗旨口で
私好みの銘柄のひとつである。

この銀盤を置いている店はとても珍しい。
なんで置いてあるのかなと思って調べてみたら
銀盤酒造は2016年に神戸の阪神酒販に事業譲渡
したという記事を見つけた。それからまた
別の会社に株式は譲渡されたようだ。

淡麗でありながら旨口である。
私は水のような日本酒が好きなのだ。
水のようでありながら仄かに残る旨さ。
つまりさらりとした余韻。これに尽きる。
がつんとくる酒は好きではない。
銀盤酒造の酒は正にそんな日本酒なのだ。
この仄かな旨味は、仕込みの技は勿論だが
やはり水も大きいと思う。

“銀盤酒造では酒命を宿す仕込み水に
日本名水百選にも選ばれた黒部川扇状地湧水群の
軟水を使用しております。 黒部川扇状地の湧水は
3000m級の山々が連なる北アルプス連峰に
降り積もった雪が、花崗岩層を約10年かけて
通り抜け濾過された清らかな水といわれています。”

もうこれを読んだだけでぐっときてしまう。
今夜は“きときと”な魚で合わせましょう。

■銀盤酒造 創業明治43年
富山県黒部市荻生4853-3


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季題 子規忌

2020年09月19日 | slow haiku

今日、九月十九日は正岡子規の忌日であった。
季題として、子規忌、糸瓜(へちま)忌
そして獺祭(だっさい)忌とも。

“子規逝くや十七日の月明に”
と虚子は詠んだ。

俳人にとって子規忌は虚子忌と並んで
特に思いを新たにする大きな忌日である。

子規は写生と説いた。
この写生という方法によって
季題の本意を詠むという縛りから
俳句を解放したと言われている。
そのことによって俳句の表現の幅が広がった。
本意だけに縛られていては、どうしても
類想の範囲に埋没してしまうことがある。
また、写生という技法によって、俳句は
大衆も楽しめるものとなったのではないか。
所謂、そんなに知識や教養がなくても
誰でも素直に俳句を詠めるようになったのだ。

子規は健啖家でもあった。
仰臥漫録を読んでみるとその健啖ぶりに驚かされる。
ただひたすらに食べたものを記録している。
そしてそのメニュも驚くほどハイカラである。
有態に言うと、明治という時代にありながら
庶民が味わえないようなものも食している。

あのような深刻な病臥にありながら
ひたすら食べているその生命力に
生きることへの強さを感じる。
それがかえって心を打つ。
仰臥漫録も何を食べたか、誰が来たか
まさにこれも写生の力なのだと感じ入る。
心情的なことを延々と綴られていれば
おそらく読めるものではないだろうと。

三十六歳という若さで亡くなりながら
子規は膨大な書物も残している。
まさに驚嘆の人。子規はある意味
それもいい意味でおそろしい人である。

(写真)庭から望む子規庵
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季題 鰯雲

2020年09月18日 | slow haiku

ようやく新涼となったと思ったら
また蒸し暑さがぶりかえしたり。
いったい本格的な秋はいつ訪れるのだろう?
年々、秋が短くなってきているように思う。

それでも空の雲が高くなってきた。
秋の雲の王様はやはり鰯雲だろう。
昔からこの雲が現れると鰯の大漁がある
ということから鰯雲と付いたと。また
この雲が現れると天気は下り坂となる。
颱風の前兆とも言われているとか。
鱗雲とも言う。

どこか郷愁や旅愁を誘う雲である。

高度十三キロの海鰯雲
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人間関係の綾に思うこと

2020年09月17日 | tete a tete

高松の友人からLINEが届く。

ラインは、宮本輝の新刊「灯台からの響き」
が良かったので、〇〇君の好きな作家やし
灯台好きなタイトルやろうから読んでみて。
というものであった。

この友は二十一、二歳の頃からの古い友人である。
70年代の終わり、東京のスクーリングで知り合った。
当時学生だった私はコピーライターの通信講座を
受講していた。とある夏に開催された東京での
スクーリングで知り合ったのである。
ワンピースかツーピースか忘れたが、彼女は
真っ白な服を着ていたことを今でも鮮明に覚えている。
彼女も同い年の大学生であった。

以来ずっと今まで糸が切れずに交流は続いている。
コンスタントに繋がっていた訳ではない。
時には数年も音信がないときもあった。それでも
また連絡があったりして今まで糸が切れずに続いてきた。
お互いに結婚してそれぞれの伴侶も知っている。
カラーコンサルタントの資格も取った友とはその後
高松や大阪で講座のコラボをしたこともある。
私のもうひとつの専門であるメンタルケアと
カラーコーディネートを組み合わせた講座であった。

ここまで糸が切れずに繋がるとは知り合った頃は
想像もしなかった。人との繋がりは不思議である。
この人とは深い繋がりになるなと思っても、案外
糸が切れたりする。特段深い関係ではない人と
結構長い付き合いになったりする。また当時は
そんな付き合いはなかったが後年再会してから
身近な存在になるというケースもままある。
要は人間関係の深浅なんて解らないのである。
敢えて言えば思いが深いほど案外続かないもの
かもしれない。とは言え浅くてもやはり続かない。
この頃合いが謎である。法則が解れば対処の
しようもあるのだが。なかなか微妙である。
ということは、あるがままその局面局面で
誠実なお付き合いをするということに尽きるのかなと。

人間関係とは線路のようなものだと思う。
時に交わり、時に離れてゆくことも。
坂もあれば下りもある。カーブも沢山ある。
それでも線路はどこまでも続くのだ。

さて、彼女のお薦めの宮本輝の新刊。
読んでみようと思う。
宮本輝の「錦繍」は私のもっと好きな小説である。
それ以来ほとんど彼の作品は読んでいる。

(写真)木次線にて
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カフェスマイル 祝十周年

2020年09月14日 | slow life

カフェ・スマイルがこの九月でまる十周年を迎えた。

個人経営の店が十年つぶれずに営業するのは
本当に大変なことであると思う。
流行らないでつぶれる店も多いが、流行っていて
慢心してつぶれる店も案外多いものである。
お店というのは自分が大将なので、よほど
努力や自制をしないと安きに流れてしまう。

スマイルのマダムはずっと店の方針や雰囲気は変えず
しかしメニューには変化を持たせながらやって来られた。
その結果の十年である。苦しいことも多々あったと
推察するが、そういうことは言うものではない。
店の経営者が愚痴を言い出したら客はひいてしまう。
その点、いつも明るく客を迎えてくれるマダムである。
久しぶりにご主人もカウンターの中に入っていた。
さすが昔取った杵柄で所作が板に付いている。

次の十年に向かってまた歩まれるであろう。
ずっと存在して欲しいカフェである。

■カフェ スマイル
神戸市灘区桜口町3-3-29-101

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バケットとカヌレと夕焼け

2020年09月13日 | slow life

芦屋でとある句会があった帰り
週末のワインのためにバケットを買いに
国道二号線にある芦屋のBIGOTまで歩く。

夕方遅くなると売切のときがある。
まだあるかなと思って入ると数本残っていた。
ふとみるとカヌレが買って欲しそうに。
可哀想だから食後のデザートに最後の二個を
買ってあげた。

ときどきそんな自分を、ふと他人目線で
頭上から眺めることがある。
若い頃はこんな行動をするなんて想像すら
しなかった。甘い物なんか女こどものものと
思っていた。あれから数十年。
刻が流れるとはこういうことなのだろう。
想像もしなかった消費行動を取る自分が
今ここに確かに存在している。

バケットとカヌレを買ってレジに並ぶ。
私の前のおじさんが沢山買い込んでいた。
お土産にするのだろうかと思いながら順番を待つ。
「袋はご入用ですか?」と店員が訊いた。
「あ。結構です。」と返しリュックに仕舞っておいた
布製の買い物袋を取り出してそこに入れてもらう。
そして駅へと歩を返す。そんな自分を客観的に
眺めているもう一人の自分。私の中にはいつも
二卵性双生児のようにふたり存在している。
まあどちらも互いにそんなに嫌いではない。
ときどきお互を見て自嘲気味に心で笑っている。

一日が暮れようとするときパンを買ってカヌレを買う。
こういうのを世間ではささやかな倖せという。

西の空は浄土のような夕焼けであった。

パン買つてカヌレを買つて夕焼ける
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