陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

鷹の渡り探鳥会

2011年09月23日 | slow life

鷹の渡り探鳥俳句会に参加した。
場所は神戸は高倉山。通称おがら山。
40名弱がおらが山の展望台に陣取って
はるか上空をやってくる鷹を待った。

日本野鳥の会の方によれば
台風一過の雨上がりのこの日は
鷹の渡りが見られる絶好の日和らしい。
雨で脚止めを強いられた鷹たちが一斉に
渡りを始めるからだ。鷹の渡りのルートは
およそ信州から大地溝帯に沿っているという。
神戸では六甲山系から明石海峡大橋を抜けて
四国へ渡り南下するのだとか。鷹の種は
大方はサシバ、そしてハチクマにノスリだ。

この日はなかなか見えなかったが
ノスリが一羽風切るように大橋を越えていった。
そして数羽ずつのサシバの渡りが
遥か東の雲間から見えはじめる。
圧巻は二十数羽のサシバの鷹柱。
鷹柱とは鷹が上昇気流を捕らえて飛行高度まで
高く舞いながら上昇する樣を言う。

鷹の渡りは鳥肌が立つほど素晴らしい光景だ。
大空高くあっという間に海峡へ消えていく。
その孤高さや気高さにぞくっとするのだ。
数々の鳥の渡りの中でも
鷹の渡りはまさしく王者の風格である。

大空へ孤高の翼鷹渡る

写真はイメージです。(秋の空)
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俳句講座前期作品展

2011年09月18日 | slow culture

カルチャー教室の前期作品展。
各人が学びて詠んだ俳句の作品が並ぶ。
各々自信の一句を短冊にしたため出品する。
短冊に書く筆文字もだんだん上手くなってきた。
腕に覚えのあるかみさんに、筆の遣い方など
指導を仰いできたおかげ。何事にしても
その道の先人から学ぶのが上達の近道。
つくづくそう思うこの頃である。
こうして作品にすると、どの俳句も
良く見えます。実際に良い句ばかりですが。
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はじめての水彩画 インド民族衣装

2011年09月17日 | slow culture

この日はモデルを描く。
インド民族衣装を着た妙齢の女性だ。
出来栄えはまあまあ。しかし
ちょっと女性が年齢より老けてしまった(^_^;)
実際はおそらく20代の女性だと思う。
どうもこういう顔つきに描いてしまう。
他の人の描いた絵を見ると、正直
ずいぶん不細工な顔もあった。これでは
モデルの人も気分悪いような気がする。
休息の時に、モデルさんもどんな絵かな?
となにげに見ているから、もう少し
気を遣って顔を描けばいいのにと
僕なんかは思ってしまうのだがなあ。
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晩夏の入院

2011年09月16日 | tete a tete

晩夏の頃、生まれて初めて入院した。
手術もした。13日間の入院生活だった。

当初はこの入院という非日常に
いつまで耐えられるのだろうかと
自他共に懸念していたのだが、意外と
私は本当にあっけないほど入院生活に順応した。
案外ストイックな生活が合っていたのだ。
この極めて単調ではあるが
起床から消灯までの規則正しい生活が
吾が性にあったのだろう。しかし
入院する前は仕事のことで頭が一杯だったが
これが入院するとほどなく見事に消え去った。
というより、術後の痛みとかで
命に関係ないことを脳が排除したのだろう。
これは人間の生命防御反応かもしれない。

持ちこんだ本は、俳誌と太宰治。
入院生活には不思議と太宰がよくなじんだ。
そして俳句が次から次へと浮かぶ。
ある意味自分を客観視しているのだろう。
そのほとんどが駄作だったが…。

入院すると
自分は弱者だといやでも痛感させられる。
特に術後は排泄もままならぬ身。
そうなって初めて見えてくるものもある。
また徒然にそれを書き留めておきたいと思う。

手術台向かふ吾が身に残暑なし
恙の身癒えて良夜のしみじみと

追伸

私を知る皆さまへ。
別に命に関わる病気ではありませんので
ご心配なく。
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駅の風景 亀嵩駅

2011年09月15日 | slow culture

亀嵩駅は、島根県の奥出雲にある。
JR西日本木次線の駅である。この辺りは
神話にちなんで駅に愛称が付けられており
ここは「少彦名命」(すくなひこなのみこと)だ。

昨夏、広島駅からの青春切符ひとり旅。
芸備線から木次線のトロッコ列車に乗った。
そのとき車窓から撮影したものである。
ひとり旅は木次線から山陰線を経て
福知山線で神戸までたどり着いたのだが
この駅を実際に見ることも目的のひとつだった。

言わずと知れた松本清張の砂の器である。
先週二夜連続でドラマを見た。懐かしい。
この作品だけは、原作も映画も両方感動した。
こういうことは珍しいのだ。たいがい
原作を読んで映画を観ると期待が高いだけに
かえってがっかりすることが多いのだが
この作品だけは違った。原作では
もっと深いテーマが提起されているのだが
それはそれ。青春の真っ只中だった当時と違い
今は私もそれなりに齢も重ねた。ゆえにドラマも
脚本を味わうように観ることができた。

松本清張はすごい作家である。
もうあんな作家は出現しないかもしれない。
砂の器は私の生涯忘れられない作品である。
今でも蒲田にはトリスバーがあるのだろうか。

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