陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

花の競演

2022年04月28日 | nonoka

六甲病院の植込みに、躑躅(つつじ)と
八重山吹、そして小粉団(こでまり)の花が
まるで競演するごとく咲き揃っていた。

明るい景だなあ。まさに夏近しの一景。
今年の立夏は五月五日、端午の節句である。

ゴールデンウィークが近づいてきた。
会社勤めの人は二日有休をとれば十連休となる。
一斉に休暇取得でそうする企業もある。まあ
ほとんどそれができるのは大企業だけれど。
フリーランスの身ではあまり関係ないが
それでも明るい日差、風薫る五月は待ち遠しい。

緩和ケア病棟の午後躑躅咲く
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新緑の奈良へ

2022年04月27日 | slow journey

神戸から奈良は本当に近くなった。
阪神電車で直接近鉄に乗り入れてから
魚崎駅からだともう乗ってるだけで楽に
近鉄奈良駅に着いてしまう。

この日はとある俳句大会の会場の下見と
打合せのために奈良へ向かったのだが
新緑がとても眩しくて、やはり緑が多いと
癒されるなあ。鹿たちもどこかのんびりと
しているようであった。鹿せんべいを
貰えると思うのか人懐こく近づいてきた。

帰りは近鉄奈良駅構内にある立呑屋さんへ。
豊祝という銘柄の宣伝酒場である。
吟醸酒で少しほろ酔いとなったところで
三宮行快速急行に乗る。
ほっと安堵の奈良の一と日旅であった。
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八軒家船着場にて春惜む

2022年04月25日 | slow life

大阪・天満橋にある八軒家船着場。
桜の季節になると対岸の桜並木目当てに
アクアライナーなどの遊覧船が繁く行き交う。

ここは江戸時代、船宿などが八軒並んでいたことから
「八軒家浜」と呼ばれるようになったとか。
京の伏見と大坂を結ぶ「三十石船」の発着場として
栄えた。江戸時代、京から大坂へは船で6時間
逆の大坂から京ではなんと約12時間かかったそうだ。
またここは熊野詣の陸の拠点として賑わった。
この川港は平成20年にふたたび開港となる。

私もこの船着場の石段に腰を下ろして
かつての大坂の繁栄の歴史に思いを馳せながら
しばしゆく川の流れを見つめておりました。
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幸せ昼ごはん 薄暑のハンバーグ

2022年04月24日 | slow gourmet

薄暑のこの日。
吟行俳句会のもうひとつの楽しみはランチ。
この日は吟行地に隣接するガラス張りの
景色の良い店を句友がチョイスして取ってくれた。

ランチメニューは特製ハンバーグステーキに
仏蘭西特製自家製カレーそしてホットサンド
からチョイスできる。ハンバーグを選択。

まず野菜サラダがたっぷりと供される。
ハンバーグステーキにはたっぷりと
デミグラスソースがかけられていて
それをライスにかけて食べて下さいと。
なるほどハヤシライスのようにして食べるのか。

食後に頼んだコーヒーも美味しかった。
ちょっと贅沢なランチではあったけれど
こういう楽しみもあってよし。

■Café de 佛蘭西
神戸市灘区天城通8-5-11 ケーズコート1F
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OJI ZOOの一と日

2022年04月23日 | slow haiku

薄暑のこの日、日本伝統俳句協会が主催する
「卯浪俳句会」で王子動物園を吟行する。

王子動物園も将来は廃園の方向で進んでいるらしい。
それに対する寂しい思いもあっての吟行である。

パンダは体調が思わしくないので獣舎は閉鎖に。
少し残念であったが動物はパンダだけではない。
園内はお子様連れが多いが、それほど混んではおらず
ゆったりと動物たちを観察しながら吟行できた。

動物やハンター邸を一通り廻って、ふと誰かが
観覧車に乗ろうと言う。
それならと数名が観覧車へ直行。勿論私も。
ここの観覧車に最後に乗ったのはいったいいつ頃
だったろうか?たぶん我が子が小さい時に乗って
以来であると思う。今はもう、この観覧車なんて
全然高くない観覧車になってしまったけれど
動物園の観覧車は、特に神戸っ子にとっては
やはり想い出の乗り物。センチメンタルバリューだ。
二人ずつ乗り込んで、ゴンドラはゆっくりと上昇。
北側の摩耶山の新緑がまぶしい。その麓に
海星のマリア像。新緑をバックにその真白がひと際。
南は神戸の港。摩耶埠頭辺りには赤いガントリー
クレーンが数基林立している。
西は高層ビル街となった三の宮。低いとはいえ
やはりてっぺんから眺めた神戸はいい。

さて吟行の方であるが、動物園の景を詠むのは
みんな案外苦戦しているようであった。
それでもやはり実作は楽しいようである。
吟行句は短時間の一発勝負であるのは否めないが
それでも歩いて、五感を総動員し、ペンを握って
ひたすら脳に汗を掻くという作業を経て
アウトプットされてきた句は、シズル感があり
巧拙はともかく活き活きとしている。

みんな少年少女に戻れた一と日であった。

観覧車薄暑の街を一望に
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沈丁の記憶

2022年04月22日 | nonoka

沈丁花は春・四月の季題となっているが
最近は三月にはもう咲いている。

花は民家の軒や植込みのちょっと地味な処に
咲いているし、花自体もほとんど目立たない。
けれどけれど、そんな姿に反してその香りは
なんともいえぬ。遠くからでもその存在感は
花の地味さとは比べものにならない。しかし
梅の香のような優雅さや上品さがあるという
香ではない。けれども忘れられない香だ。
梅のように清楚でも薔薇のように派手でもない。
けれど結構愛されている。沈丁花はそんな花。

沈丁や未完に終へしとある恋

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伊豆からの句便り

2022年04月21日 | slow haiku

伊豆を旅しているというとある俳人の方から
メールで旅便りが届きました。

伊豆から峠越えをして熱海のMOA美術館から
箱根へと来ているそうです。
嗚呼!いいな。羨ましいな。
私もなんか旅に出たくなってきました。
旅と言えばやはり温泉です。

写真の温泉は広島の湯来温泉です。
かつて、広島ゆかりの村下孝蔵さんの
面影を追って湯来温泉を訪ねた時のものです。
廿日市からバスに乗っての旅でした。
彼はこの湯来温泉滞在時の思い出から
「月あかり」という曲を創りました。
彼の曲の中でも好きな曲です。その曲を
聞くたびにこの湯来温泉を思い出します。

さて伊豆は残花の旅だったようです。
行基の湯にひたりながら春を惜んだとか。
そんな素敵な句が三句したためられておりました。
旅は詩人になる絶好の機会ですね。

伊豆よりの便りに春を惜みけり
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春宵のウォーキング

2022年04月20日 | slow life

ウォーキングではなるだけ負荷をかけようと
坂を上ることにしている。ところが
やはりやり過ぎるのはよろしくない。
膝に来るし腰にも重苦しいダメージが。
一万歩以上歩くと特にそれが顕著に来る。
これからはほどほどの運動を心掛けないと
と思うこの頃である。あまり一万歩一万歩
なんて唱えて思い込むからいけないのだ。

そうは言っても坂を上ると爽快である。
ウォーキングは日射しを避けて、いつも
夕刻あたりから始めることにしているので
特に今は、振り返ると春宵の街並が
大阪湾の対岸辺りまで一望に見渡せる。
これがちょっとしたいい時間なのである。
だからウォーキングは止められない。
だたし、無理はせぬこと。年相応にです。

灯りそむ街を見下ろす春の宵
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大阪を歩く

2022年04月19日 | slow life

大阪へ出掛ける。やはり朝から電車の乗って
大阪に出ると仕事モードな気分になる。
スーツを着て足早に歩くビジネスマンや
ビジネスウーマンたち。今は彼らの歩調とは
ずいぶんとペースが違ってしまったが。
嗚呼、俺もかつてはこんなに足早に歩いて
いたっけな。なんてふっと思うわたし。

さて今日は大阪の病院を三軒もはしごした。
健康そうに見えても医者通いはやはり歳相応と
いうべきだろうか。全く情けないが受け容れる
しかない。病院のはしごを終えてから、
久々にとあるものを閲覧したくて中之島図書館へ。
図書館というところは昔から好きな場所だ。
調べものをするコーナーがコロナで椅子がなく
ずっと立ちっぱなしだった。さすがにそこで
長く資料を読みんだのでかなり疲れてしまった。

帰りは図書館から御堂筋沿いを北へ。
御堂筋から新地の船大工通りに入って行って
北新地内を探訪しながら桜橋まで歩いた。
この界隈にはサラリーマン時代、どんだけ
お金を落しただろうか?なんてふと考えながら
梅田駅まで歩いたのであった。
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お初天神の謂れ

2022年04月18日 | slow culture

大阪に行った折は曾根崎・お初天神をしばしば通る。
ここは正式には露天神社と言う。

文徳天皇の御代、嘉祥三年(850年)に定めた
「難波八十島祭」の旧蹟にも数えられ、
「住吉住地曽祢神」を祀ると伝えられていたという。
昔この地は曾根州と称する孤島だったとか。
曾根崎の地名はこの神の名から来ているのだ。

901年道真公が配流の折、この地を訪れ
「露と散る涙に袖は朽ちにけり都のことを想ひ出づれば」
と詠んだころから、菅公を偲んで露ノ天神社と
名付けられたのだそうだ。

そして元禄十六年四月七日
堂島新地天満屋抱えの「お初」と内本町醤油屋平野屋の
手代「徳兵衛」が、ここの「天神の森」で情死し
日を置かず「曾根崎心中」が劇化され上演される。以後
上演の度に観劇後多数の人がここを参詣したことから
「お初天神」と言われるようになったのだと言う。

以来恋の祈願の聖地となっているのである。
場所柄、色んな恋が錯綜する地でもあるだろうから
ここを訪れる人は後を絶たない。
私にはそんな恋はないけれどここに来てしまう。
何となく漂う気に惹かれるからである。
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