陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

旬の鰆、岡山の初夏

2009年05月31日 | slow gourmet

この季節の岡山は
鰆の刺身がなんとも旨い。
津山への出張を終えて岡山市へ帰還。
レンタカーを返し終えると
岡山駅前東口の飲み屋街へ一目散。
連なる居酒屋や割烹の扉には
さわらと書かれた木の看板が。
「旬のさわらあります。」
というお知らせ札である。やはり
岡山で食らうさわらは最高だ。

今宵は居酒屋鳥好へお初に潜入。
昔ながらのレトロな酒屋風情。
十人以上が座れる長い木のテーブル。
店の雰囲気は神田の蕎麦屋のよう。
早速、鰆の刺身を注文。
やや赤みがかったやわそうな切り身。
鰆は身がくずれやすいため
さばくのに少々技術がいるのだとか。
分厚い身だがやわらかい食感。
口に中でとろけるような味わい。
見立てよりあっさりとしている身だ。
これがまたたまらんぞな!もし。

もちろん鳥好という名だけあって
大ぶりな焼き鳥。これもなかなか。
生ビールで喉を潤した後は
熱燗二合徳利を二人で三本ほど。
まだ飲み足りんが酒はほどほどが肝心。
それにこれ以上飲んだら、新幹線
気がつけば博多なんてなりかねんぞよ。
今宵は惜しいがこれまで。

岡山の初夏はさわら
そして広島は小いわし。

ご当地の旬にまずいものはなし!

■居酒屋 鳥好 駅前本店
 岡山市本町5-8
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瀬戸の島々 柳井行フェリー

2009年05月30日 | slow journey

松山・三津浜港から柳井港まで
防予汽船のフェリーに乗船した。
社長と二人きりでの出張船旅だ。
乗船客は十数人だった。
社長はしばらく船室で頬杖をついて
ただ海の方を漫然と眺めていたが
やがてデッキの方へと移動して行った。

このフェリーの航路はなかなかいい。
瀬戸の島々の間を縫うようにすべる。
間近に島しょ部の姿や
操業する釣り船を見ることができた。
この日は風もなく海も穏やかで
海面はのっぺりと鏡面のようだった。
時々、海面がざわついてる所があったが
小いわしの群れなのだろうか。
そしてだぶんイルカだと思うが
海面を遊ぶ大きなひれが見えた。

穏やかな海面で操業する
釣り船の多くは小さい船で
だいがいが夫婦もので操業していた。

「夫婦船だなあ。」

ときどき大きな貨物船が通過した。
HANJINと大きく船体に書かれた文字。
行く手を横切る。しばらくして
波ががっちりしたフェリーを揺らした。
フェリーは周防大島伊保田港に寄航し
やがて周防大島へかかる大橋の下を通過
ちょうど二時間半で柳井港へ着いた。

社長はその間…ほとんどデッキで立ったまま
島々や海や釣り船をただ眺めていたのだ。
私は、きっと社長は海を眺めながら
心を洗っているのだろうと思った。
昨今の企業を取り巻く環境は厳しい。
そんな情勢下では
社長の精神的重圧は相当なものだろう。

フェリーを降りて港近くのめし屋で
カツ丼を注文する。閑散とした店内。
テレビはワイドショーを流していた。
何を話すではなく、ときどき
TVに目をやりながらカツ丼を食らった。

食堂を出るとすぐそこに駅舎があった。
JR柳井港駅だ。時刻表を見る。
残念ながら列車は数分前に出た後だった。

「タクシー呼びますから。」
「うん。」

柳井行きフェリー。
そんなに使う航路ではない。
おそらく社長も、人生でおそらく
もう乗船することはないだろうと思う。

社長のデッキでの姿が今も目に浮かぶ。
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死ぬということ

2009年05月28日 | cocoro

「母が亡くなりました…。」

こういう報は唐突である。
仲間の社員からの電話だった。

「休みの日は田舎に帰って
お母さんと過ごすの?」

と言っていた矢先であった。
そして、立て続けに今度は
彼女のダンス仲間が倒れる。
五十代半ばである。
その日はちょうどダンスの日で
気分がすぐれないと休んでいた。
病院へ付き添いそこで急遽意識を失う
くも膜下出血だった。
そのまま数日後帰らぬ人となった。

私には二つの死生観が存在する。
人はあっけなく死ぬ。そして
人はなかなか死ぬもんではない。
という二つの死に対する思いが。

父は末期のがんで入院したかと思うと
あっという間に天国へ旅立った。
母もやがてがんに侵された。
手術したが半年後に転移。
「手術もできません。もってあと半年。」
もうダメかと半ば諦めていたが
転院を決意して二回目の手術をした。
それから十数年を生きた。
あのとき転院させていなかったら…。

そして、いつも身近に
普通に生活していた近所の人が
阪神大震災であっけなく亡くなった。
老人ホームでいつも訪問時には
元気にいろいろ話していた高齢者が
翌週には部屋がきれいになっていた。

人はいつしか死ぬ。
けれどそれがいつなのか
たとえ予期しても、それが
どの位猶予をいだだけるものなのか
それは神にしかわからないのだ。

人はあっけなく死ぬ。けれど
人はなかなか死ぬもんではない。

私を支配する二つの死生観である。

合掌。

(写真)路傍に咲くオランダカイウ
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遠くの方で…

2009年05月26日 | cocoro

どこか遠くの方から見ていたい
感動している自分を
感動して我を忘れてとんでゆく自分を
どこか遠くの方で見ていたい

息を切らしてしまってはいけない
よそ見をしてはいけない
心ひそかにそう念じながら
どこか遠くの方で見ていたい

「出発」より 黒田三郎

遊離感。離人感。。
それはそれで
たまらないカタルシスだよなあ。
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お掃除おばちゃん

2009年05月24日 | cocoro

毎朝、平和記念公園では
お掃除おばちゃんたちが
公園をきれいに清掃しています。
雨の日も、風の日も、雪の日も。
毎日、まいにちです。

ここ広島には
世界中から多くの人が訪れます。
だからいつもきれいにきれいに
しておかないといけないのです。

「広島は、もはやこんなにも
街も緑も川も美しい街なのですよ。」

そういう
アンチテーゼ的なメッセージが
込められているように思えます。

雨の日…
特に濡れ落葉の掃除は大変だろうなあ。

もうかなり以前のことですが
私は週末になると、とある老人ホームで
高齢者のメンタルケアに通ってました。
その時のお話です。

当時86歳で少し痴呆のあるお年寄りは
家の近くの八幡さんの境内で、年中
お掃除おばちゃんをしていたのだそうだ。

「兄ちゃん、あのなあ毎日やで。
八十段あったかいなあ。
その石段毎日掃いてもなあ、神さん
ご利益いっぺんもくれんかったわ。
貧乏なままやった。あの神さんは
けちな神さんや。ははは。」

ユーモアたっぷりに話してくれた。

「兄ちゃん、年寄りはなあ
人のええのも道具のうち言うてなあ。
年とったら偉そうにしたらあかん。」
「わたしは死ぬのが遅れているんや。
で、いつお迎えくるんやろか?」

ユーモアの中に
ちょっぴり悲しみと孤独を包んだ
そんな珠玉の言葉の数々を
その方は私に沢山教えてくれた。
忘れられない対話であった。

“ユーモアの源泉は悲しみにある”
マーク・トーウェンのこの言葉の意味を
私は身をもって学んだのである。

もうすぐ梅雨入り…。私は
お掃除おばちゃんが好きである。
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初夏の課外授業

2009年05月23日 | slow life

初夏・平和記念公園に
子どもたちの姿が目立ってきた。
ちょうど今が
課外学習や修学旅行の季節なのだ。
インフルエンザの影響からか
マスク姿の子たちも目につく。

それにしても
子どもたちが被る黄色い帽子が
明るい日差しに映えて眩しい。

みんな熱心に
ボランティアの人たちの話を聞いている。
戦争の悲惨さや平和の尊さが
ここでは毎日語り継がれているのだ。

私が育った神戸や関西では
決して見られない光景である。
というか、広島以外では
戦争のことを振り返るのは
8月の終戦記念日くらいかもしれない。
日常の毎日では
戦争について意識しないことの方が
ほとんどだろうと思う。

その子どもたちは無邪気なものだ。
真剣な眼差しで話を聞きたかと思うと
後はみんな楽しそうに弁当を食べたり
仲間と他愛無くはしゃぎ回っている。

「子どもっていいなあ。」

私は子どもが好きである。
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Out Of nOise

2009年05月21日 | cocoro

一日の終わり。
仕事を終えて、家に帰り
ごはんを食べて片付けをする。
お風呂に入って洗濯を干す。

ああ、今日も一日が過ぎた。
なんとなく過ごしただけのような。
でもそれでいいのだ。
人間だって生き物じゃないか。
生きとし生けるものはすべて
今日はどうだったかなんて
そんなこと、いちいち思って
生きてなんかいやしないのだ。

布団に入って日記をつける。
今日の出来事を書き
今日食べたものを記し
今日は何をしたのかな…
何もしていないことに気づく。

ryuichi sakamoto…Outofnoise
静かで暗い部屋に流れてる。
えもいわれぬ不思議な音が
まるで血潮のように部屋に流れる。

ryuichiはやはりすごい。

(写真)機上のトワイライトグラデーション
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4年目のマイライフ アンソロジー

2009年05月17日 | tete a tete

“陽だまりの旅路イスキア”も
今月でまる4年を迎えました。

ここまでの掲載本数646本。
日々の暮らしの日向香も
知らず知らずのうちに…。
2005年5月。思えば1本目は
玉川上水の散策から始まりました。
これは当時わが子の下宿先を訪ねた時に
アパート裏手を流れる玉川上水を
かみさんが掃除をしている間に
暇をもてあまして散策した風景でした。

この頃とみに思うのです。
サスティナブル(sustainable)…
日本で言えば“継続は力なり”でしょうか。
その気持ちへのコミット(誓い)が
日々の暮らしの中では
とても大切なことなのではないかと。

ブログエントリー646本の数字は
いつしか生きてきた証となっています。
もちろん!ウェブログはメディアです。
メディアという以上
ユニークユーザー(読者)の皆様に対して
編集子としての気概を維持していかないと。
たとえ稀にでも、よしんば毎日でも
私のブログを訪ねてくれる人が居る。
その方のサスティナブルを、私は決して
忘れてはいけないと肝に銘じています。
でも、そんな偉そうなこと言っても
好きなことだけを書き連ねていますが(~_~;)

ぱらぱらとめくってくれて
すこしだけ微笑んでくれる歓び。
日向香のように、日々の暮らしに、ふと
なんかえもいわれぬ懐かしい匂いを感じて
時を遊んでしまうことってありませんか。
そんな思いで始めたブログです。

だから、その匂いを邪魔しないように
広告屋のブログなのですが
my blogには一切の広告を排しております。
どうぞご了承くださいませ。

“あなたにとっては他人でも
みんなだれかのだいじな人です”

松山で見かけた言葉です。
最近とても気にいってます。
というか、心をガツン!とやられました。
松山市の「ことばのちからイベント」に
寄せられた作品だったと記憶してます。
この世のすべてのもので
だいじでないものは何ひとつないのだ。
そう気づかせてくれる言葉でした。

“マイライフ・アンソロジー”は5年目へ。
変わらずシンプルに
スローな物語を編み続けて参ります。

“今だけ、ここだけ、あなただけ”

このブログを貫く変わらぬ主題。
これはこれからも変わりなく
このブログの本流として流れ続けます。

たったひとりのあなたのために…。

「いつも見てくれてありがとう!」

わたしにとってもだいじな人です。

“Slow life is beautiful”

                店主敬白

 神戸・北野町の初夏(写真)
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ランドスケープ 六甲山

2009年05月16日 | slow life

パッションレッドの愛車を駆って
久しぶりに六甲山へドライブした。
表六甲ドライブウェイを走り
丁字が辻の三叉路を右へ。
昔から変わらぬ道。なんか懐かしい。
展望パレスに着く。パノラマは
眼下の神戸の町並みから芦屋、甲子園経て
大阪の市街地あたりへと続く。そして
遠くに金剛山。泉州あたりが
ぐるっと大阪湾を挟んで見渡せた。

私のおうちは真下あたり。探したが
ちょうど前の山に隠れて見えなかった。

こうして眺めていると、鳥になって
飛んでいきたい気分になるよね。

六甲山から眺める眼下の景色は
小さい頃からずっと親しんでいるが
年齢を重ねるに連れて
目にとまる景色や視野が違ってくる。

もうすぐ六甲山も夏を迎えます。
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シランの思い出

2009年05月15日 | slow life

「この花の名前は?」
「知らん。」

まだ幼稚園くらいの頃の思い出。
市場の駄菓子屋さんの子と
店の二階で植物図鑑を二人で見ながら
名前の当てっこをしていた。で
偶然言い当てたのがこの花だった。
以来生涯でとても印象深い花になる。
まあ、当てっこ遊びと言っても
ほとんど「知らん」なのであるが…。

今の季節、街を歩いていると
民家の軒先や鉢植で必ず見かける花。

日本の野生種の蘭のひとつで
紅紫色の可憐な花をつける。
和の趣きというか
小作りで慎み深そうな所がいい。

シランとは紫蘭と書くのだそうだ。
割りと芯が強くて
日当たりの悪い軒先でもよく育つので
よく植えられているらしい。
かつては、日本のランとして
欧米でかなり人気があったのだとか。

よく見かける花でも、みんな
それぞれにオンリーワンなんだなあと
花を見ているとしみじみ思うよ!
ねえ。まきはらクン?

軒先でシランはそっと目立ちおり 拙私有

お粗末です…。
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