陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

八月尽 二百十日

2021年08月31日 | slow life

八月尽。この日は二百十日である。
立春から二百十日目。秋の季題である。
この頃は季節の変り目で颱風などが来て
農作物が荒らされることが多い。よって
農家ではこの日のことを“厄日”と云う。

ITの時代となってもこの自然の輪廻だけは
今も昔も変わらない。
それでもこの所の地球温暖化でその変化も
想像を超えて大きく変動して来ていると言う。
ESG経営、SDG's、カーボンフリーなる用語が
ニュースに取り上げられない日はないほどだ。

二百十日。
今年の厄はやはりコロナデルタ株だろう。
これからの颱風の発生と進路も気になるけれど。

ゆつくりと二百十日の雲動く
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食いしん忘備録 太陽人のポークたまご

2021年08月30日 | slow gourmet

句会の帰り、教室のビルの一階のパン屋の隣りに
小さい一坪ショップのような店がある。
ここはちょくちょく店が代替わりするのだが
ふと見るとまた違った店になっていた。

ん?「太陽人のポークたまご」

どうやら沖縄のおにぎり、ていうか“おにぎらず”
といった感じのポークと玉子を挟んだおにぎりだ。
初物なので興味もあって買ってみた。
いろいろと基本形にトッピングできるようだが
まずはポークとたまごの基本を注文。一個220円。
その場で作ってくれる。聞けば近くにある
「木灰そば」という店がやっているのだそうだ。
店員さんに沖縄の人かと聞いたら違うと。
このおにぎり、沖縄ではソウルフードとして
親しまれているとポスターに書いてあった。

ちょうどお昼の時間だったので
帰ってからお蕎麦と一緒にいただきました。
出来立てを包んでくれているので
ほくほくで美味しかったです。ごちそうさま。

■太陽人のポークたまご
神戸市灘区深田町4丁目1-39 メイン六甲1F
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ポーラ美術館コレクション展

2021年08月29日 | slow culture

久しぶりに大阪。あべのハルカスへ。
開催中の「ポーラ美術館コレクション展」
モネ、ルノワールからピカソ、シャガールまでを観る。

緊急事態宣言下、コロナは心配だが
対策をして開催していることだし
美術館は会話しないのでまあ大丈夫かと。

愛し、麗し、ハルカスの夏と銘打った美術展。
この夏、絶対はずせない展覧会とも。
やはりこの画家たちは見過ごせない。
平日であったがまあまあの人出であった。
やはりモネ、ルノワール、ゴッホ、そして
シャガールなどは日本では人気が高い。
私も好きな画家たちだし、やはりひたひたと
心に打ち寄せて来るものがある。

ハルカス美術館は観覧後もその眺望を
楽しめるのでなかなかいい美術館である。

以下は好みのMyアーカイブ、鑑賞記。

Ⅰ.都市と自然-モネ、ルノワールと印象派

(モネ)
・散歩 日傘の婦人の野遊風景。俳句的風景。
・花咲く堤、アルジャントゥイユ 眼前のダリア園と
 遠景の工場街の対照
・睡蓮 モネと言えば睡蓮、睡蓮と言えばモネ 光と靄

(ルノワール)
・レースの帽子の少女 今展のメインビジュアル 
 此の絵だけは撮影可でした。記念写真皆撮ってた。

(ピサロ)
・エラニー村の入口 遠景の教会の尖塔へつづく道

(ギヨマン)
・ロバンソンの散歩 ガンゲッド(ダンスホールの
 あるカフェや居酒屋)の風景が好み。

Ⅱ.日常の輝きーセザンヌ、ゴッホとポスト印象派

(ゴーガン)
・白いテーブルクロス 白い卓布にデキャンタ
 そしてチェリーの実のコントラスト

(ゴッホ)
・ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋 原色の赤がひときわ

(ボナール)
・ミモザのある階段 ミモザより赤が強烈だった

(ラプラード)
・バラをもつ婦人 古典的主題「メランコリー」(憂鬱)

Ⅲ.新しさを求めてーマティス、ピカソと
 20世紀の画家たち

(マティス)
・襟巻の女 強烈な色彩 ロマのような女性がいい

(デュフィ)
・パリ 屏風絵風、パリの朝から夜へ絵巻

Ⅳ.芸術の都ーユトリロ、シャガールと
 エコール・ド・パリ

(ユトリロ)
・シャップ通り 写生だがこのペーソスがたまらん
・ラパン・アジル 深緑の窓枠と白壁 教会へとつづく坂
・ラ・ベル・ガブリエル 後ろ姿のユトリロ自身が
 描かれている

やはりユトリロがいい。
彼の絵を見ていると何故か癒されるのだ。
パリの街角はユトリロ自身のペーソスだ。
写生と余韻ということを教えてくれる絵。

(ローランサン)
・風景のなかの二人の女
・女優たち
・黄色いスカーフ

ローランサンからは3点。
やはりひときわにローランサンだ。
メルヘンチックでありファンタジック
そして神秘的。
あのスカーフの黄は忘れられない色。
我が家にもローランサンのポスターが2点。

(ドンゲン)
・ドーヴィルのノルマンディー・ホテル
スノッブ。フィッツジェラルドか
ヘミングウェイが居そうなホテルだな。

(キスリング)
・窓辺のテーブル(サン=トロペ) ルソーの絵のよう

(シャガール)
・オペラ座の人々 怪人ではなく人々
・大きな花束 シャガールらしい

シャガールの絵もどこか惹かれるんだな。

その他、ガラス細工の香水瓶や銀製手鏡や櫛など
美しい造形の展示も上質であった。やはり
いいものは観ないといけないと実感。
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晩夏の埠頭

2021年08月25日 | slow life

八月二十三日は処暑であった。
処暑とは二十四節気の第十四節目。
学問的にいうと、太陽の黄経が150度の時点に
来たことを示しているのだと言う。
感覚的には暑さが落ち着く候という意。
確かにお盆からずっと晴天の日がないという
そんな日が続いているので、猛暑という
感じはない。夜も過ごし易くなった。

最近ウォーキングでよく訪れるのは摩耶埠頭。
日中は暑いので日が落ちかける頃を見計らって
出かけてみる。この日は西郷の酒蔵の径を選択。
埠頭の先にはとても大きな船が停泊していた。
車載船である。こんなものが浮くのだなと見とれる。
ここには中古車ヤードがあり、それらを積んでから
どこかの国へ向けて出港するのだろう。

埠頭には釣り人が数人。糸を垂れていた。
釣り上がった獲物をそれとなく見ると
さびきで釣る鰯のように見えた。
小鯵ではなかったように思う。

鰡(ぼら)がときどきジャンプをする中
鵜がゆったり波止で羽を休めている。
水門の向うには紀伊和泉の海岸線と山なみ。
そんな晩夏の海。結構好きだ。

さらさらと晩夏を刻む砂時計
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廃墟の女王

2021年08月23日 | slow culture

今朝の日経第二社会面に「廃墟の女王」の記事。
「廃墟の女王」が今年6月下旬に国の登録有形文化財に
指定されたことにちなんでのコラム記事であった。
「廃墟の女王」とは、神戸っ子では「マヤカン」と
言って親しまれている「旧摩耶観光ホテル」のこと。

旧摩耶観光ホテルは摩耶山、摩耶ケーブルの
虹の駅近くに昭和五年(1930)に完成した。
アールデコ調の地上二階、地下二階建の優美な
曲線が特徴のホテル。戦争での営業休止を経て
戦後は観光ホテルとして、ホテル廃業後は
学生向施設として営業されていたが
平成5年(1993)に閉鎖され、以来廃墟となった。

廃墟マニアにとっては、「廃墟の女王」と
呼ばれるほどの人気スポットなのである。
廃墟しとして存在し続けるためには、耐震工事や
補修、部外者を防ぐ警備機器の導入などが必要になる。
そうでないと取り壊されてしまう運命となると言う。
その保存活動ではクラウドファンディングで
700万円超が集まりその費用を活用したという。
将来的に公開を目指すために国の化財登録を
目指したそうだ。

私が四五歳頃のこと、当時住んでいた場所から
このホテルが良く見えていた。大きな建物だった。
今となってはすぐそこの距離だが、小さい私には
そのホテルはずいぶんと遠くにあるように見えた。
そして、当時の私はそのホテルが有馬温泉だと
何故かしらずっと思い込んでいたのである。
きっと大人たちがこのホテルのことの話しているのを
聞いて、勝手にそこがあの有名な有馬温泉なのだと
思い込んでいたのだろうと思う。
親に連れられて行ったかも知れないが記憶にない。
このマヤカンは神戸市民にとっては、絶景の眺望と
大浴場もあって、映画も見れるホールもあるという
素晴らしい憩いの場であったのであろう。

今までに何回かここを訪れる廃墟ツアーがあったが
いずれもタイミングが合わず行けなかった。
今度またツアーがあればぜひ行ってみたい。
とにかく指定でこのホテルがたとえ廃墟であっても
ずっとここに遺ることにつくづく良かったなあ
と思うのである。
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晩夏のジラソーレ

2021年08月22日 | cocoro

夏が逝こうとしている。

いつもなら空の青さに高さの深みが加わり
雲はいつもの位置にその姿を変える頃だが
それでも空は重たい色に覆われたままだ。

地上では疫病が蔓延し人びとは息を潜めている。

さて、自然の造化たちはどうだろうか?
夏の日射をいっぱい得ることができただろうか?
種を沢山つけることができただろうか?

ジラソーレが
何かを訴えるようにこちらを見つめていた。
それでもやはり夏は逝こうとしていた。
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晩夏の鴨川

2021年08月21日 | slow value

今年のお盆休み。ほとんどの人は
家籠りであったのではないだろうか?

コロナ禍の緊急事態宣言下に加えて
長雨が続いたこともあった。
ほぼ二週間に渡って雨模様の天候である。

京の鴨川。夏のこの時期は浴衣姿もちらほら。
鴨川の河畔に等間隔に並ぶ二人連れ。
この景だけは昭和から平成、令和を経ても
そう。何十年経っても変わらない。そして
IT全盛の時代になったとしても変わらない。

十代後半から二十代前半にかけて
京都の一学生だった頃、この鴨川べりに
こうして確かに居たことがある。あの当時
彼女と一体何を語り合っていたのか?
まったく思い出せない。別に彼女と
ショウペンハウエルやレビストロースなどを
語り合った訳でないと思う。話ながらいつ
kissしようかなと思っていただけかも知れない。

まあ過去と云うものは、時が経てば
都合よく美化されるものである。
あれから四十数年の月日が流れた。
それだけは間違いのない事実である。

夕風と賀茂の瀬音にゐる端居
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販売促進グッズに思うこと

2021年08月19日 | slow works

お米のセットが届く。
岩手産の「銀のしずく」と熊本産「森のくまさん」
それぞれ300gのセット。
真空パックなのかカチカチであった。

これはとある自動車保険の販促品である。
今年自動車保険会社を変えてみた。
長年同じ保険会社を使っていたが
家計を見直してスイッチしてみた。
ネット割引など色んな特典があったので結果
従来の保険料よりコストダウンすることができた。
そのひとつの加入の特典でお米を貰ったのだ。

企業の販促品を上手く活用する人がいる。
昔のことだが、新聞購読を頻繁にスイッチする
という方がいた。一年の購読契約をすれば
半年がタダとなる。
これを利用して新聞の銘柄を定期的にスイッチすれば
かなりの購読料のコストダウンになるという訳だ。
新聞なんてどんな銘柄でも読めればいいという
人にとっては購読の勧誘を逆手にとった手法だ。
勧誘員の実績も上がるし、取る方もメリットがある
いわゆるwinwinの関係が成り立っている。
原資は大手新聞社の販促費なのである。
今は新聞の勧誘も厳しくなっているのでこんな
システムを利用するなんてことはなくなったが。

競争の激しい自動車保険も似たような所がある。
そんなに事故を起こさない人なら、いまどき
保険会社のクオリティやサービスにそう優劣はない。
スイッチすればメリットがあるのなら定期的に
スイッチした方がお得なのである。
でもそれをするのには消費者も消費者で色々と
勉強しないといけない。これも結構面倒臭い。

paypayなどキャッシュレス決済の導入時も、最初の
付与ポイント狙いで何社も加入して付与ポイントを
稼いでいた人たちがいた。でもそういう人たちは
企業に取っての重要顧客にはなり得ない。
そういう目端の利く人たちはすぐに去ってしまう。
企業も販促費を投下して一気にシェアを取りたいから
こういう初物食いの顧客にならない者がいても
それは仕方ないと割り切っている。
マーケティング的に最初に飛びつく層のことを
革新者というが、これはあまり顧客で残らず
その次に来る初期採用者こそインフルエンサー
になりうる大事な層なのである。

財が市場に導入されてそして廃れていく
購買のマーケティング曲線を用いてよく句会で
俳句に結び付けて話すことがある。
マーケティングと俳句とどう関係があるの?
実は案外学ぶことは多いのである。
ブルーオーシャン、レッドオーシャン戦略も然り。

さて、冒頭のお米の販促品に加えて豪華な
お肉のセットが抽選で当るというキャンペーン
もあったのだが、これは外れてしまった。
それにしても懸賞キャンペーンというのは
何時の時代でも衰えない販促手段である。
むしろキャンペーン後のナーチャリングこそ
今は大事な対策となっているのだが。
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秋の稔りへ 青柿

2021年08月18日 | nonoka

散歩していたら塀の向うに柿の木。
青葉に目を凝らしてみたら青い実が
もうだいぶと大きくなっていた。青柿だ。
人間の世はまだ夏の盛りと行った処だが
自然はもう稔りの準備が着々と整ってきた。
秋はもう手の届く処まで来ている。

さてこのところ続いている長雨は
この万物の稔りに、いったいどんな影響を
もたらすのだろうか?まだ雨はつづく。
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秋霖を避け掃苔へ

2021年08月17日 | slow life

大文字の送り火も終わった。
黄泉の国の人たちも無事に帰れただろうか?
明日から雨が続くというその前日
秋霖の合間を縫って掃苔(墓参)に行く。

最近どうも腰の調子が良くないために
掃苔の作業は結構しんどい。
何がしんどいと言ったら草むしりである。
あの屈んだ姿勢が結構ボディーブローのように
後々腰に結構なダメージを与えるのだ。

閼伽桶の水を掛けて墓を洗い、供花を換え
蝋燭に灯を点し、線香をあげる。
そして墓前に屈みしばし手を合わす。
一連の作業を終えると何故か心が落ち着く。
今夏、義父が逝き、とうとう親はすべて
旅立ってしまった。我が子たちにとっては
祖父母という優しい存在が遂にひとりも
居なくなってしまった。これはこれで
とても淋しいことなのだろうと思う。
祖父母というのは、大方の子にとって
100%優しく包んでくれる存在だからだ。

我が家にとってひとつの時代の区切りである。
こうして時は移ってゆくのだ。そして
私も老いてゆくのである。
しかしそれも輪廻と言うものである。

走馬灯廻れば過去も廻り出す
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