陽だまりの旅路イスキア

あ、slice of life…日向香を感じる日々の暮らし…

面白看板 人生を変える宿

2007年10月31日 | slow culture

“人生感が変わる宿 「ここから」”…。
鞆の浦・仙酔島で見つけた案内標。

よくみると人生観ではなくて
人生感であった。
つまり人生への感じ方が変わります…
ということだろうか?

「ふ~ん。」
「なんかそそられるなあ。」

お宿の案内文(HP)によると…

“日本でも他にない3kmにわたる五色岩を持ち
瀬戸内海潮流のちょうど中心地に位置する
エネルギースポットとしての仙酔島は
今昔、天皇陛下や数多くの芸術家が訪れ
その特別の自然と景観を感じている
選ばれた場所でもあります。
仙酔島だからこそ様々な人生を変える
「気づき」に満ちた空間が存在するのです。”

“何のために
生まれてきたかを気づかせてくれる島。
それが仙酔島であり
「人生感が変わる宿ここから」なのです。”

「そうかあ。」
「仙酔島は日本のイスキアなんだなあ。」

ちなみにここは、お宿はあるが
テレビも無い無人島なのです。

念のため、これは
アフィリエイトではありません。
あしからず…。
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仙酔島の夕景

2007年10月30日 | cocoro

“西に没する日には
人の情念を浄化するものがある。
それまで自分がとりつかれていたものが
虚しくつまらないことのように思われて
憑きものがおちたような心地で入日に眺め入る”

■「父の便り」ポウの来る日 笠原淳 より

鞆の浦、仙酔島でみた秋の夕陽。
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安芸の旅人 潮待ちの港

2007年10月29日 | slow journey

福山駅前からバスに揺られて
鞆の浦(とものうら)へ行く。
秋の最中、空が高かった鞆の港。

“瀬戸内の中央に位置する鞆は
内海の潮の干満の分岐線にあたる。
内海を航行する多くの船は
この潮に乗っての航法であったので
「潮待ち」をここ鞆で行った。”

潮待ちの港、鞆には
江戸時代に栄えた風情が
あちらこちらに残っていた。

沖に突出する波止(はと)
レトロチックな常夜燈、
雁木という階段状の船着場
廻船問屋の白壁の土蔵も美しい。

潮を待つことは時を待つことだ。
そういう時間を楽しんだ時代があった。
今は待たない時代である。
電車が数分遅れただけで人は騒ぎ
会いたければすぐにでもメールをする。

昔、私が学生の頃のこと。
陽もとっぷり暮れた初冬の或る日
当時付き合っていた彼女を
通勤帰りに降りる駅で、あてもなく
ずっと待っていたことがあった。
(私はまだ学生で短大出の彼女は働いていた)
僕を見つけたときの驚きと
嬉しそうな彼女の顔が見たくて…。
今ならストーカーものかもしれない。

待つことの時間。
そしてそれを楽しむ喜び。
そういう文化は消え失せてしまったのか。
潮待ちの港、鞆は
失った寂しさを持つ者を
きっと慰めてくれるのだろう。
私が癒されたように…。
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秋色のハーモニー その二

2007年10月14日 | cocoro

遅い起きがけの休日の朝
窓を開け放つと
少し肌寒い秋風が部屋を吹き抜けた。
秋風はどこかの庭に咲いている
金木犀の甘い香りを同時に連れて来た。
懐かしい香りが部屋に留まる。
やはり芳香剤とは違う絶対芳香?だ。

風は向こう1キロあたり先にある
小学校で行われている少年野球の
掛け声と喚声も運んできた。
マンションの上階にある我が家は
幸い遮るものもなく、ときどき
潮の香りや船の汽笛も流れてくる。
湾岸沿いの煙突の煙はややたなびく程度。
今日は比較的風も穏やかなようだ。
澄んだ日には遠くの空港も見える。

とある日の秋の休日…。
風が運んでくるそれらの音や匂いを
なすがままに感じているひととき。

五十を過ぎると
そういうことが実は人の幸せなのだと
やっと思えるようになってきた。

幸せの渦中にいる人は
幸せを実感しないのだと言う。
ん?ならば私は…

「いいえ。そういう随想を書くこと自体
貴方は幸せなのですよ。」

秋風が運んだ空耳?天の声?

野球の喚声がひときわ大きくなった。
きっと点が入ったのだろう。

■美祢線・長門湯本の踏切りにて
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秋色のハーモニー その一

2007年10月13日 | slow life

情熱的だった今年夏も どうやら
簡単には帰ってこられない処に
行ってしまったようだ。

秋だ 秋だ 秋が来た!

秋の祭典はじまるぞ。
市井の花たちが
思い思いの場所で演技を始めている。

見上げた空の うろこ雲 高し。

■写真は萩にて
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馬肥ゆる秋の決心

2007年10月11日 | slow life

単身赴任して7ヶ月…。
業績数字は減るばかりで
上向きの兆しはみじんも感じないが
とほほ…。皮肉にも、如何せん
我が体重は上向き傾向を示している。
一人暮らし故に、かえって
食事等健康面には留意しているのだが。
同じ境遇の輩に尋ねると
みんな一様に体重が増えると言った。

食べる量も酒量も以前よりは少ない。
なのに、何故??
思いつくこと。それはやはり
食環境の変化だろうなあと行き当たる。
知らずに取ってる油…
この油の質と量が違うのと、やはり
単身での気付かないストレス…か?
安心な環境でないと脳が認識し
体に余計にエネルギーを
蓄えようとするのではないだろうか。
如何に家庭環境と女房の手料理が大切か
独り身になって思い知ることとなった。

で、これは何とか行動せねばと
十数年ぶりにスポーツクラブに入会した。

入ってびっくり!
なんと中高年の多いことか。
昔は鍛えられた美しいラインの若い男女
いわゆる運動フリークが多かった。
だから、その節はわたくしも
随分と肩身の狭い思いをしたものだ。

しかし時代は変わったのだ。
メタボ隆盛の時代となっていたのだ。

エアロビクスをした。
エアロは気持ちいい。
汗もいっぱいかける。
昔取った杵柄だ。
ルンルンで参加したが、
あれから十数年が経過したからだでは
あれあれ、初級クラスでも
ついて行くのがやっとだった。
昔は50分のミドルクラスで頑張れたのに。
しかし、見渡せば安心…
このメンバーなら気兼ねなくできそうだ。

運動後血圧測定すると、なんと
上が100を切っていた。下も低い。
こんなの初めてだ。100切るなんて
ゴルフでも経験したことないのに。

「いったいどうなってまんのや。」
もとい、ここは広島
「どうなっとんかいのぉ~?」

てんやわんやのスポクラ再体験
はたして思惑通りに
体重は下がってくれるのやら。
半年後が楽しみだ。

またストレスになってもいけないので
目標体重はあえてコミットせず。
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すべすべ 長門湯本の湯

2007年10月07日 | slow journey

仙崎から長門湯本駅へ。
秋の夕暮れは早い。
残照が差し込む駅では、すでに
宿の主人が待っていてくれた。

「お世話になります。」

簡単な挨拶を交わして車に乗り込む。
といっても自家用車だ。
大きな旅館ではないので
専用バスでの送迎ではない。
これがまた温泉情緒を掻き立てた。

車で3分ほど走っただろうか。
音信川畔の旅館に着く。
音信川と書いておとずれ川と読む。

“その昔、叶わぬ恋に落ちた湯女が
思いのたけを綴った恋文(おとずれ)を
橋の上からそっと流したという伝説。

「恋に焦がれて泣く蝉よりも
 泣かぬ蛍が身を焦がす」”
        
夏は蛍が美しいと言う。

この旅館、原田屋旅館は
明治初期創業の老舗だと言う。
木造建て、十数室ばかりの
こじんまりしたお宿である。
窓を開けると音信川の瀬音
秋風が抜けて気持ちいい。
源泉かけ流しのお湯は
単純アルカリ泉、PH9.9。
このお湯。肌がすべすべになる。
かみさんは風呂上りの
肌の手入れが要らないといたく感動。
このお湯、化粧乗りも違うらしい。
男の私でも肌が若返るような気がした。
湯本のお湯は女性に優しい湯なのだ。

夕食後、音信川河畔を浴衣で散策した。
川縁に足湯があった。
同じく浴衣姿の二組がくつろいでいた。
軽く会釈して私たちも湯に足をつける。

「熱っ!」

かみさんは一瞬驚き
やがて相好を崩していった。

夫婦して二十五年が近い。
初めて二人でつかる温泉だ。
いろんなことがあったが、今は
時間がゆっくり流れているように思う。

※“”内は湯本温泉旅館協同組合HPより
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安芸の旅人 仙崎・みすゞ紀行

2007年10月06日 | slow journey

“蜂はお花のなかに
お花はお庭のなかに
お庭は土塀のなかに
土塀は町のなかに
町は日本のなかに
日本は世界のなかに
世界は神さまのなかに。

そうして、そうして、神さまは
小ちゃな蜂のなかに”

 (蜂と神さま 金子みすゞ)

山口を旅した。

金子みすゞに会いに。

実は好きなのである…。
作品もその容姿や伝え聞く性格も。
何より夭折の詩人なところに惹かれた。
美しいものはもろく儚い。
この私の信ずる美学にあうのだ。
ちなみに記念館に飾ってあった
小学校時代のみすゞはとてもかわいい。

仙崎の駅は行き止まりである。
線路の行き止まりってなんかいい。
ましてや日本海にある終着駅だ。
行き止まった線路の端には
色とりどりのコスモスが咲いていた。
これもみすゞと重ね合わせてしまうのか
どことなくひっそり儚げに見えた。

金子みすゞ記念館は意匠的にも
かなり上質なミュージアムだった。
シンプルだが見易いレイアウト。
手のひらに詩の文字が浮かぶ趣向も
とてもファンタスティックだ。
五感でみすゞの詩の世界を堪能できる。
なによりも作品の力…彼女の詩には
万物への思いやりや共感の眼差しがある。
現代人が彼女に惹かれる所以だろう。

仙崎の町並みは何もない。
昔ながらの街並みだ。
だからいい。
ひたすらにそしてひっそりと
金子みすゞの世界を
守ろうとしている人々の息遣いを感じる。
これも上質である。

長門・仙崎…私の人生で
ふと疲れを感じたときに
きっとまた来てしまう町だ。
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歓楽街に咲く名店

2007年10月05日 | slow gourmet

この店はソープやヌード劇場が
軒を連ねる歓楽街の通りにある。
お世辞にも小奇麗な構えとは言い難い。
それ故、通客はそそられるのだろう。
B級グルメ真骨頂のロケーション。
名店は怪しい所にひっそりと咲く。

凹型のカウンターに客は居並ぶ。
ひとりもんに、アベック、
おばちゃんたちに観光客…人種は雑多だ。
ただ、皆ここのお好み焼が食べたいのだ。

メニューはいたってシンプル。
もちろん、そば肉玉である。

出来上がるまでに時間がかかる。
手ぶらで待つのはかなりの辛抱だ。
だから、ビールかチューハイ片手に
大ぶりなスジポンをあてにして
はやる心を抑えて待つのがよかろう。

他県では広島焼きというが
関西育ちの私であっても
広島のお好み焼きは好きである。
広島風に関西風、
たこ焼きにもんじゃ焼きと
粉もん食文化もいろいろあるが
スマップさんが言うように
それぞれみんな違ってみんないい。

八昌さんのお好み焼きは、なかなか
玄人受けするお好み焼きである。
お勘定のときに、いちいち客に
何を食べたか聞くのが面白い。
自己申告制ということかな?
これも屋台的ホットな風情が忍ばれていい。

 ■八昌(薬研掘)
 広島市中区薬研堀10-6
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