俳句をやっていると暦に敏感になります。俳人は暦を詠むといっても過言ではありません。
現在、日本には三つの暦の名残が混在しています。一つは現在運用している太陽暦(新暦)です。これは1873年、明治六年に制定されました。
それまでは月の満ち欠けを基にした暦、太陰太陽暦(旧暦)でした。これが二つ目の暦です。
そして三つ目の暦が存在していたのです。それは推古天皇時代以前にあった日本の暦です。長谷川櫂先生はこれを「太古暦」と称しています。この太古暦は月の満ち欠けを基にしている所は太陽太陰暦と同じなのですが、太陰太陽暦が新月から始まるのに対して、太古暦は満月から始まるのです。
この三つの暦が現在混合されて行事に影響を与えています。実施日が新暦に移ったものには正月、雛祭、端午の節句などがあります。旧暦のままに留まったものには仲秋の名月があります。いまだにどちらか揺れ動いているものに、七夕、お盆、重陽の節句などがあります。
確かにお盆は関東では新暦の7月で行うことが多いようです。関西では旧暦というか、月遅れで行っていますね。本当は旧暦でやりたいのでしょうが、旧暦でやると八月の日付が毎年変わるので不便になりますね。
七夕なんかが一番顕著かもしれません。私なんかは七夕は絶対旧暦でやるべきと思ってます。天の川が美しいのは八月だからです。ただ旧暦で実施するとこれも毎年八月の日にちが変わってしまいます。
ちなみに太古暦の名残の行事は小正月、盆、仲秋の名月だそうです。どれも旧暦が伝わる以前からの満月の夜の行事ということです。
旧暦時代、小正月は1月15日の行事だったのですが、もとは太古暦の正月だったとのこと。(太古暦は満月がいつも行事の日だったからでしょう)これが旧暦1月1日の正月に対して小正月と言われるようになったそうです。そう言われてもなんか解かるようでようわかりませんね。なんかこんがらがってきます笑。
また盆は旧暦7月15日の満月の行事ですが、太古暦では満月のときに行う先祖祭だったそうです。確かに先祖祭の方が私はしっくりきます。しかし仏教が伝来するとしだいに仏教の先祖供養の行事となっていったとありました。
また旧暦8月15日の仲秋の名月は太古暦にもとづく里芋、稲の収穫祭だったそうです。つまり仏教伝来以前の日本人は太古暦で満月のときにいろんな祭や行事をしていたということですね。
以上はすべて長谷川櫂先生の「日本人の暦」から抜粋してます。こういうことも体系立てて解説してくれるのでとても参考になりました。
次回暦Ⅱでは二十四節気のことを書きます。
さて。そろそろ臘梅が匂う頃でしょうか?臘梅が匂うと春へと動きだし始めたなと感じます。
◇日本人の暦 長谷川櫂 筑摩書房 2010年12月初版