【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「4ヶ月、3週と2日」:本郷三丁目駅前バス停付近の会話

2008-03-26 | ★都02系統(大塚駅~錦糸町駅)

こんなところに、医科器械会館なんてあるのね。
このあたりは、大学病院が近いせいか、医療機器関係の会社が密集しているからな。
「4ヶ月、3週と2日」の主人公も、このあたりに住んでいれば、最新技術の医療が受けられて、あんなに苦しまなくてすんだかもしれないのにね。
って、そういう話じゃないだろう。ひとことで言えば中絶の話ではあるけれど、ここでテーマになっているのは、医療の問題じゃないからな。中絶が非合法だった時代のルーマニアでルームメイトのガビツァが妊娠してしまったために、闇の医者に頼んで中絶するまでを手伝う女学生オティリアの一日の話を通して浮かび上がってくるのは、チャウセスク政権時代のルーマニアの抑圧と退廃と悲惨だ。
ああ、なんでも社会や政治のせいにする。それって、いかにも男の人らしい解釈ね。でも、この映画は、時代や体制に関係なく、こういうことが起こったら、精神的にも肉体的にも傷つくのはいつも女性の側だって言いたいのよ。女性にとっては、医療のあり方も含めて、いまここにある危機をどう乗り越えていくかが問題なんだから、御託を聞いている暇はないのよ。
なんだよ、いきなり鼻息荒くして。
だって、出てくる男たちがみんな、だらしなくてさあ。ガビツァの相手の男なんて、顔さえ出てこない。
でも、あんな闇商売をする悪徳医とか、役人みたいに杓子定規でいいかげんなホテルマンなんて、いかにも共産主義社会らしくて、いまの日本じゃちょっと考えられないだろう。
なに言ってるのよ。オティリアが恋人に「私たちだったらどうする?」て聞いたときの、男の煮え切らない答え。「俺たちはまだそうなっていない」とか何とかグダグダ逃げ回るばっかりでサイテーも度を越してる。あれはもう、古今東西関係なく、男たちの典型的な振る舞いよね。まるで、あなたをそのまんま見ているみたいだったわ。
ちょ、ちょっと待て。映画と俺は関係ないだろう。
ほーら、そういう逃げ腰な態度が問題だって言ってるのよ。
あー、一緒に観る映画じゃなかったか。
そんなこと、ないわ。観た後に二人でじっくり話し合うには絶好の映画よ。
場合によっては、絶交する映画にもなる・・・。
それは、あなたの態度しだいよ。
まったく、この手のヨーロッパ映画っていうのはそういう問題を突きつけてくるから、つらいよなあ。
身につまされる、ってやつでしょ。まるでドキュメンタリーみたいな濃密な撮り方して、他人事とは思えない緊迫感がある。
中絶したガビツァの容態を気にしながらも恋人の家族と食事をしなければならなくなったオティリアのイライラなんか、そのまんま伝わってくるもんな。
家族のくだらないおしゃべりが延々と続くんだけど、そんなことどうでもいいから、ガビツァのもとへ早く返して、って観ているほうも思っちゃうもんね。完全にオティリアの気持ちと同化しちゃう。
でも、このガビツァという女も、脳天気というか何と言うか、自分のことなのに、医者とのいい加減な交渉といい、中絶したあとのあっけらかんとした態度といい、ことの重大さを認識していないような行動ばかり取る。いくらルームメイトとはいえ、こんな女のために身を削るほど献身的になる必要がオティリアにはあるのか。
そこが実は、当時のルーマニアの状況を知らない私たちには理解できないところよね。
ほら、やっぱり、この映画、あの時代のルーマニアであることを切り離しては考えられないだろう。周りがみんな秘密警察みたいな異常な世界では、好むと好まざるにかかわらず、ああいう共犯関係に落ちこんでいかざるを得ないのかもしれない。
ダメよ、そんな小難しい話に持ちこんで関心をそらそうとしても。
いや、別にそういう意味じゃないけど。
とにかく、じっくり語り合いましょう。
って、いったいどれだけ語り合ったら解放してくれるんだ?
うーん、4ヶ月、3週と2日くらいかしら。


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