【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「クワイエットルームにようこそ」:東京駅八重洲口バス停付近の会話

2007-10-31 | ★東16系統(東京駅~ビッグサイト)

この白い通路は?
東京駅の地下にできた「グラン・スタ」っていう駅ナカ飲食店街に続く通路だ。
この白っぽさは、なんだかクワイエットルームを連想させるわね。
おいおい、物騒なことを言うなよ。クワイエットルームって、あの「クワイエットルームにようこそ」に出てきた真っ白い女子隔離部屋のことだろ。
そう、雑誌のフリーライターをしていた内田有紀が、ある日突然強制入院させられちゃう隔離病棟。
しかも自分の意識がない間にな。酒と薬で意識が途切れているときに運ばれて、目が覚めたらいきなり社会と断絶した世界にいるんだから怖いよなあ。
詳しい経緯は誰も教えてくれないし、誰も助けてくれないの。でも、孤立した恐怖感が画面からあまり出ていなかったわね。私だったら怖くて怖くてたまらないと思うけど。
「CUBE」みたいな、そういう理不尽な状況からいかに脱出するかという逃亡劇じゃないからな。
閉じこめられることによって、自分の内面と向き合わざるを得なくなるという、内省的な話よね。
そのわりに、同じ病棟には一癖も二癖もある入院患者がウヨウヨといて、そっちに気をとられてしまうところもある。
狂気ざんまい「黒い家」も真っ青な、大竹しのぶのキレ演技。純情「フラガール」はどこへ行った、蒼井優の拒食症ゴスプレ演技。
ハリセンボンのガイコツ顔なんて素顔からしておどろおどろしい。
患者に劣らず、看護婦たちも異様だったわ。鋼鉄の心を持った低温女のりょうとか、ふんわかした感じがかえってうすら怪しい平岩紙とか。
紙って、名前どおりの役者だな。
個性の薄さが、かえって濃い個性の間で目だってしまう不思議な存在・・・。
恋人役の宮藤官九郎が、これまたダメなマスコミ男をイキイキと演じている。
イキイキといえば、彼の友人役の妻夫木聡。
最初から最後までテンション、バリバリ。
これだけ個性的なキャラが出ていて、それぞれがきちんと映画に貢献しているかというと、ただの遊びになっている部分もあって、ちょっともったいない感じもあったわね。
演出が物足りないってことか。
いまはなき、ロバート・アルトマンあたりが監督すれば、何人だろうがうまくコントロールして、傑作な群像劇ができあがったかもしれないわ。
そういう雲の上の存在と比べるな。監督のスズキマツオだってそれなりにがんばってる。
松尾スズキね。
それに、考えてみれば、これは群像劇というより、あくまで主演の内田有紀の内面の進化に主眼をおいた映画だ。
でも、こう騒々しくちゃあ、彼女もゆっくり理不尽な状況をかみしめている暇なんかないわよね。
いやいや、あのクリクリ目玉は、ひとりで思索するというより、にぎやかな中で孤独の正体を見極めるって役柄のほうが似合っている。そういう意味で、映画の空気感を内田由紀はよく表現していたと思うぜ。吉岡秀隆と別れたのも意味ないことじゃなかった。
言ってることがよくわからないけど、結局彼女は、自分がクワイエットルームに来た本当の理由を知る過程で、自分自身と向き合わざるを得なくなって、これまでの自分を乗り越えていく決心をするのよね。
結論「うっとうしい女は、いちど社会から隔離するに限る」。
あら、ずいぶん乱暴な結論ね。表面上はそうかもしれないけど、内面の変化を描く映画だってあなたも言ったじゃない。
だから内面の変化を促すものが必要なんだよ。ただ忙しがっているんじゃなくて、自分を見つめる時間をつくれってことさ。手に取ったことのない本を読むとか、知らない土地へ旅をするとか。
それで、東京駅に来たのね。
いや、うちに帰るだけ。


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東京駅八重洲口バス停



ふたりが乗ったのは、都バス<東16系統>
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