【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「グッド・シェパード」:渋谷駅東口バス停付近の会話

2007-10-24 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

渋谷駅東口といえば、忠犬ハチ公よね。
ハチ公の像があるのは、”東口”じゃなくて、”西口”だぞ。
東でも西でもいいじゃない、どっちにしても渋谷駅なんだから。
いいや、東と西では大違いだ。とくに、冷戦の時代だったら天と地の差だ。
そりゃ、冷戦の時代に東西陣営が火花を散らすような熾烈な争いをしていたのは、「グッド・シェパード」を観てもよくわかるけど。
第二次大戦の前からキューバのピッグス湾事件までの時代を描いた、CIA秘話だ。
といっても、ただの歴史ものではなく、大きな時代の流れに翻弄されていく一家族の物語でもある。
マット・デイモンが、CIAの前身の秘密結社に招かれ、CIA創設にもかかわり、組織の中でどんどん重要な立場になっていく。
それと反比例するように妻のアンジェリーナ・ジョリーが心身ともに壊れていく。
悪い夫だったっていうんじゃなくて、CIAっていう職業が、公私の区別もなく、監視しながら監視され、神経をすり減らすばかりで、誰も信用できない職業だから、しょうがないんだよな。
そうかしら。最初はきらびやかに登場してきたアンジェリーナ・ジョリーがみるみる精彩をなくしていくんだもの、同じ美女として正視できなかったわ。
「同じ美女」じゃない、単なる「同じ女」だろ。
私だったらやだな。ああいう、すべてを秘密にしなければいけないような職業の人と結婚するのは。
心配するな。そういうエリートはお前には寄ってこない。
最後にはマット・デイモンも「国をとるか家族をとるか」みたいなことを言われて、究極の選択よね。でも、ワーワー騒いだりしないで、あくまで冷酷に対処していく。まるでマフィアのボスみたい。
CIAもマフィアも冷酷非情じゃなきゃやっていかれないっていう意味では、同じようなものなんだろうな。まるで「ゴッドファーザー」の姉妹篇を観ているような展開だったもんな。
うん、マット・デイモンがアル・パチーノで、アンジェリーナ・ジョリーがダイアン・キートン。
フランシス・フォード・コッポラが製作にからんでるし、ロバート・デ・ニーロが監督しているんだから、当然といえば当然か。
ラスト近くの悲劇なんて「ゴッドファーザー」のテーマ曲が流れてもおかしくないようなカットバック。
ああ、うるわしき「ゴッドファーザー愛のテーマ」。どうして最近はああいう、めくるめくような映画音楽がないんだろう。
でも、コッポラが監督していないぶん、けれんのない、とても誠実な映画に仕上がっていたわね。
ドンパチもなく、地味というか、正統派の風格を醸し出す映画になっていた。
最初は、マット・デイモンじゃなくて、デカプリオがキャスティングされていたらしわよ。
うそ!
結果オーライってやつね。デカプリオが嫌いなわけじゃないけど、「ディパーテッド」の悪夢再びになっていた可能性もあるものね。
スターとしての花より、地に足のついた演技が必要な映画だもんな、この映画は。
マット・デイモンは、職業がら、台詞で多くを語れない役を細心な演技でこなしていたわ。
手紙をろうそくのようにして火を点し、灰にしていくシーン。あの一瞬の、黄金色の輝き。あれは「パンズ・ラビリンス」の王宮の黄金色に通じる、実に味わい深い輝きだった。
ははあ、そうきたか。
この醜い世界に救いはあるのか。希望の光はいったいどこにあるのかってことさ。
うーん、どう思う?忠犬ハチ公さんは。
おいおい、いくらご主人様に忠実なハチ公でも、秋田犬に聞いたらダメだろう。
やっぱりシェパードじゃなきゃダメかな。
ああ、「グッド・シェパード」って「良き羊飼い」、つまり忠実な羊飼いっていう意味なんだから、犬に聞きたきゃ、牧羊犬にすべきだな。
でも、ハチ公がいるのは、”西側”よ。


ブログランキング降下中。クリックをぜひ、ひとつ。

渋谷駅東口バス停



ふたりが乗ったのは、都バス<池86系統>
東池袋四丁目⇒東池袋一丁目⇒池袋駅東口⇒南池袋三丁目⇒東京音楽大学前⇒千登世橋⇒学習院下⇒高田馬場二丁目⇒学習院女子大前⇒都立障害者センター前⇒新宿コズミックセンター前⇒大久保通り⇒東新宿駅前⇒日清食品前⇒新宿伊勢丹前⇒新宿四丁目⇒千駄ヶ谷五丁目⇒北参道⇒千駄ヶ谷小学校前⇒神宮前一丁目⇒表参道⇒神宮前六丁目⇒宮下公園⇒渋谷駅西口⇒渋谷駅東口