真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「⦅超⦆淫力絶頂女」(昭和54/製作:幻児プロダクション作品 昭54.7/配給:ミリオンフィルム/監督:中村幻児/脚本:水越啓二/撮影:久我剛/照明:森久保雪一/助監督:岡孝通/編集:竹村編集室/音楽:山崎憲男/記録:平侑子/演出助手:広木隆一/撮影助手:倉本和一/照明助手:西池彰/効果:ムービー・エイジ/録音:ニューメグロスタジオ/現像:ハイラボセンター/出演:日野繭子・笹木ルミ・青山涼子・野上正義・吉田純・竜谷誠・水瀬勇・土屋信二・山口正・楠正通)。
 御馬様の発走で開巻、双眼鏡を覗くa.k.a.喜多川拓郎を一拍挿む。同棲相手でスーパー店員のサチコ(日野)を伴ひ、今日も今日とて競馬に負けた工員の長尾ヒロシ(楠)は、さりとて性懲りもなく、あるいは臆面もなく。最終レースを前に、サチコを女子手洗に連れ込んだヒロシが、「これでツキが呼べるんだ」とか無理矢理及ぶ後背立位にタイトル・イン、往時の便所が汚い。そのまゝタイトルバックを賄つての佳境、サチコは競走風景のカットバックに、劇伴もキラキラ鳴らす正体不明の予兆に囚はれる。結局12レースも外したヒロシに対し、「何となく1-5がいゝと思つたのよね」、漠然と馬券を買つてゐたサチコが的中。後日、5レースに2-8が入るとのサチコが再び得た予兆に従ひ、ヒロシは一万突つ込む可処分所得的には十分大博打。幸か不幸か、諸経費サッ引いて二十万四千四百円の純利益を得たヒロシは、忽ち調子に乗る。
 配役残り、組んづほぐれつのキャットファイトで飛び込んで来る笹木ルミと青山涼子(ex.青山涼子で愛染恭子)は、亭主を寝取られたスナック(屋号不詳)のママ・ユミと、寝取つたホステス・ミドリ。野上正義が、劇中仕事をしてゐる風の一切窺へない、よしんば籍を入れてゐたにせよユミの多分ヒモ。後述する、役柄の全く読めなかつた読める訳がない、吉田純からは一度だけタケ?と呼ばれる。こゝからが、登場する頭数と、クレジット俳優部の人数が五つも合はない壮絶な藪の中。ヒロシの同僚・木村と、嬉しさうな顔をするのは無理な、薄い給料袋を手渡す社長。ユミの店に興味を示した、サチコの願望を叶へようと秘かに物件を探すヒロシに、居抜きを紹介する和田不動産の男がまづ不明。売店舗代四百万を狙ふ、軍資金にヒロシが三十万借りる―正確には借りさせられる―サラ金の、若い衆は水瀬勇で竜谷誠が社長、そこはどうにかなる。スナックカウンター席のベレー帽と、サチコの同僚とスーパーの客はノンクレで別に事済むとして、改めて吉田純が、棹に埋め込んだタケ(仮名)の真珠に惹かれたヒロシに零式鉄球、し損ねる真珠師。これで腕はよかつたらしい、ものの、今や完全に酒浸りのへべれけ、妙にリアルに映るのは気の所為かいな。どの映画が最終作となるのかは知らないが、吉田純にとつてこの頃がキャリアの最後期。閑話休題、紹介したタケも呆れる元名人から派手に仕出かされたヒロシに、苦言を呈しながらも手術して呉れる泌尿器科の中山先生と、ヒロシが何処からか連れて来る、謎の買春紳士の二人がまた判らん。整理すると辿り着けないのが順に木村と社長に和田(仮名)、中山先生と謎紳士の―三人無視してなほ―計五名。ところが特定不能のクレジット俳優部が、土屋信二と山口正の二人分しか残らないんだな、これが。この中で、jmdb検索してみたところ土屋信二には美術部の項目が出て来る、昭和43年に、何の参考にもならぬ。かたや五名中、女優部の恩恵に与るのは謎紳士たゞ一人、その他台詞の多さで比較的大きな役だと中山先生。土台この辺り、別作で邂逅するラックに頼るほかない出たとこ勝負の運任せ。
 封切られたのが九月初頭ゆゑ、七月撮影といふのは末と思しき、中村幻児昭和54年第十作。以前に軽く首を傾げた、山崎箱夫なる人を喰つた名義に関しては、単に山崎憲男の他愛ない戯れであるまいかといふ気もしなくはない。
 ガミさん―と堺勝朗―が力の主となる「セミドキュメント オカルトSEX」(昭和49/監督・脚本:山本晋也)の“ポルノパシー”同様、今回は“超淫力”と銘打つた、要は腰から下で司る超能力を題材とした一作。ESP乃至PKの発動条件に、濡れ場を必須とする点が実に裸映画的で麗しい。尤も、所詮自堕落なギャンブル狂である上に、ユミから膳を据ゑられるやホイホイ浮気しようとする。端的にクソ男でしかないヒロシに、エクストリームに可憐なサチコが健気に添ひ遂げる。感情移入に甚だ難い類型的な物語に、匙を投げるのも億劫になりかね、なかつたところが。パチンコ屋の表にて、タケに―ユミと寝かけた―ヒロシが捕獲。すは痛い目に遭ふのかと、小躍りしてゐたら。ユミとタケが致すのを、タケの希望でヒロシが見させられる。木に竹を接ぐのも大概にせえよ、かと思はせた素頓狂な一幕を起点に。一旦失効した超淫力、真珠、見られての情事。そして、そもそも端からキナ臭かつた、ドラゴンバレー金融(仮称)から貸しつけられた三十万。気づくと重層的に張り巡らされてゐた、布石の数々が見事に収斂。絶体絶命の危機を豪快に蹴散らかす、鮮やかな一発大逆転劇への道筋は整つた整へてみせた!これは結構な名作にお目にかゝつたのかと、思ひきやー。娯楽映画に殉ずるもとい準ずる気さへあれば幾らでも力技で捻じ込めた、にも関らず大団円を事もなげに放棄。虚無と紙一重のストイシズム吹き荒ぶ、全てを打ち捨てる途轍もなく乾いた結末を、最早アナーキーなほどの、昭和の大雑把さよ。令和の目には治安の崩壊した騒乱状態とすら映る、レース後の競馬場に底の抜けた量ゴミの舞ふ、盛大な紙吹雪のラスト・カットが徹底的な突き放しぶりで締め括る。
 備忘録<スケコマすばかりの、ヒロシの「地獄だなあ」から間髪入れず紙吹雪エンド


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 「隠密濡物帳 熟れごろ嫁さがし」(2023/制作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:筆鬼一/撮影監督:創優和/助監督:小関裕次郎/録音・整音:大塚学/選曲:友愛学園音楽部/編集:蛭田智子/スチール:本田あきら/監督助手:河野宗彦/撮影応援:夏之夢庭・髙木翔/演出部応援:広瀬寛巳/協力:植田浩行・郡司博史/出演:加藤あやの・なかみつせいじ・杉本まこと・天馬ゆい・安藤ヒロキオ・大浦真奈美)。何故か東ラボのクレジットが抜けてゐるのは、本篇ママ。
 タイトル開巻、何処ぞの深い山の中。外界と隔絶したまゝ数百年続く、忍者の霧ならぬ塵隠一族の里。忍び装束のカクゾウ(なかみつ)が、多分ポップな内容の淫夢に畳の上を七転八倒見悶える。別の間ではカクゾウの父親で、一族の頭領(杉本)がくノ一・ヒメコ(大浦)と睦事。忍者一族を束ねる御頭様の屋敷にしては、部屋の調度が思ひきりそこら辺の民家にしか見えない、ヤル気の欠片も感じられないプアな美術と、まるでドンキで買つて来たかのやうな、頭領のチンケな白髭に関してはこの際通り過ぎてしまへ。ヒメコが頭領に身を任せる条件は、次期頭領を目されるカクゾウとの祝言。ところが意外と開明的な部分も持ち合はせてゐるのか、一族に新しい血を入れる変革も摸索する頭領が、遂に決断。カクゾウに軍資金を与へ、嫁を連れて来るまで帰ること罷り成らん旨厳命した上で、里の外に出る許可を与へる。Ninja Goes Tokyo、喜び勇んでカクゾウが発つ一方、指を咥へて見てゐられないヒメコは、密使のイチカ(天馬)を放つ。
 花の都にひとまづ辿り着いた、はいゝものの。立ちんぼの要領でイチカのハニートラップに篭絡されたカクゾウは、忽ち所持金を巻き上げられ一文無しに、大丈夫なのか塵隠。腹を空かせたカクゾウは香ばしい匂ひに誘はれ、終に一軒の店の表で行き倒れる。配役残り、先にカクゾウを発見する安藤ヒロキオが、固有名詞も口頭に上らない夫が借金を残し女と出奔して以降、女手ひとつでカレー店を切り盛りするサユリ(加藤)の息子・ミツオ、幾星霜系の浪人生。正直前作の印象は既に覚えてゐない、加藤あやのは2017伊豆映画「湯けむりおつぱい注意報」(監督:小川欽也/脚本:水谷一二三=小川欽也/主演:篠田ゆう/二番手)以来、六年ぶりとなる二戦目。主演女優がトリを飾る形で俳優部が出揃つた、ビリングの彼方にエキストラ。カクゾウが撒くチラシを受け取る、KSUとひろぽん以下、カレー客要員で若干名が投入される。店内を一望する画の中で、男女が確かに向かひ合はせで座つてゐながら、銘々別個のタイミングで食事してゐる風の、地味なちぐはぐの真相や果たして如何に。観客ないし視聴者を、そんなにそはそはさせたい?
 昭和62年に本名でデビューした中満誠治が、1990年に改名した杉本まことと、2000年に再び改名したなかみつせいじが同一フレームに―生身で―納まる共演を果たすのは、流石に初めての気がする加藤義一2023年第一作。これも簡便に合成可能な、デジタルの果実を享受してのマジック、ないしミラクル。加藤義一的には当年ピンクは今作きりではあれ、歳末に薔薇族がもう一本ある。以前のなかみつせいじと杉本まことの共演作でいふと、なかみつせいじが支配人を務めるテアトル石和(山梨県笛吹市/2018年閉館)に、杉本まこと出演の劇中映画「北の梅守」のポスターが貼つてある加藤義一2017年第三作「悶絶上映 銀幕の巨乳」(脚本:筆鬼一・加藤義一/主演:神咲詩織)くらゐしか、ザッと見渡してみたところ見当たらない。共演してこそゐないけれど矢張り加藤義一で、記憶に新しくはない反面想ひ起こすのは容易いのが、代表作「野良犬地獄」の映画スター・杉本まことになかみつせいじが扮した、通算と同義の2002年第三作「スチュワーデス 腰振り逆噴射」(脚本:岡輝男/主演:沢木まゆみ)と、妹作たる2004年第一作「尻ふりスッチー 突き抜け淫乱気流」(脚本:岡輝男/主演:山口玲子)。その他、なかみつせいじがポスターではすぎもとまことにされてゐる工藤雅典の「痴漢電車 女が牝になる時」(2009/主演:鈴木杏里)や、デジエク第二弾と名義を違へるAV版「愛する貴方の目の前で… 女教師と教へ子」(2014/制作・販売・著作:アタッカーズ/脚本・監督:清水大敬/主演:香西咲)、とかいふバリエーションもなくはない。
 無闇にハイスペックな田舎者が、配偶者捜しで大都会にやつて来る。主人公が長の子息である点まで踏まへ、加藤義一とはタメの当サイトが世代的に脊髄で折り返すと「星の王子 ニューヨークへ行く」と、「ミラクル・ワールド ブッシュマン」を足して二で割つて、乳尻をてんこ盛りにした類の一篇。尤も、サユリの店にカクゾウが転がり込むまでは、全く以て順調であつた、とはいへ。塵隠一族跡継ぎの嫁騒動なんて、気がつくと何処吹く風。閑古鳥の鳴くカレー屋を盛り立てるべくサユリ母子とカクゾウが奮闘する、いはゆる細腕繁盛記的な下町家族劇に前半が完全にシフトする大胆といふか、大らかな構成に軽く驚、くのは実は全然早い。商売が軌道に乗り始めるや否や、ちやうど前後半の境目辺りでカクゾウがサクッとサユリに求婚。サユリもサユリでケロッと首を縦に振る、結部と見紛ふ起承転結の転部には本格的に度肝を抜かれた。この映画、こゝで終る訳でも終れる筈があるまいし、全体後ろ半分どうするのよ、と引つ繰り返りかけたのが、ベクトルはさて措き惹起された感興の最大値。
 心配しなくていゝ、信頼もしなくていゝ。サユリを塵隠の里に連れ帰るどころか、忍びの道すら捨てた要は町人の人生をカクゾウが選ぶ。事態の正しく急展開を受け、話の流れがカクゾウの嫁捜しからカクゾウ自身の強制帰郷へと華麗か豪快に移行。イチカがミツオも篭絡する、くびれが素晴らしい三番手の第二戦は天馬ゆい―と安藤ヒロキオ―クラスタ以外恐らく喜ばない、分水嶺を明白に跨ぐ冗長さで遮二無二尺を稼ぎつつ、背景に大星雲の広がる壮大か盛大な、兎に角クライマックスに足るカクゾウとヒメコの、忍術といふか淫術の大激突を経て。元々デキてゐたカクゾウとサユリに、頭領は案外簡単に倅を諦め、ヒメコとの間に後継者を新たに設けるフレキシブルな方針転換。単に、色香に負けたともいふ。そんなこんなの正しくどさくさに紛れ、イチカとミツオも何時の間にかくつゝいてゐたり。三者三様のカットバックが火花を散らす、締めの濡れ場・ストリーム・アタックで桃色に煮染めた大団円に捻じ込む、力尽くのラストは鉄板といへば鉄板。そもそもカクゾウとサユリの間に、ラブアフェアといふほどの付かず離れずも特に発生してをらず。カレーを旨くするのに忍術の使用を諫める以外、実はヒロインが進行上ほとんど全く何もしてゐないへべれけな作劇と、少しは録音部でどうにかしてやれなかつたのかとさへ思へかねない、力強く心許ない二番手の発声。と、更に。一欠片たりとて面白くも何ともない、派手な肩の力の抜け具合さへさて措くならば、鉄板といへば鉄板。何かもう、針の穴にモンケン通すみたいな無理難題に突入して来た。
 たゞし、素面の劇映画はいつそ捨ててしまひ、女の裸に、潔く全てを賭けるにせよ。いざ絡みの火蓋を切つた途端文字通り白々とした、なほかつ馬鹿の一つ覚えな一本調子でメリハリを欠く、徒にハイキーな画は些かならず考へもの。

 最後に、蛇に足を生やす与太を吹くと。密命を下す主君も別にゐなささうな現代の塵隠一族に、“濡物帳”と下の句は兎も角、“隠密”もへつたくれもないやうな野暮か根本的な疑問。


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 「痴漢バス2 三十路の火照り」(2002/製作:多呂プロ/提供:オーピー映画/監督:荒木太郎/脚本:内藤忠司/撮影:前井一作・横田彰司/編集:金子尚樹⦅フィルムクラフト⦆/制作:小林徹哉/助監督:下垣外純・井上久美子・斉藤ます美/スチール:縄文人/音楽:YAMA/パンフレット:堀内満里子/録音:シネキャビン/現像:東映化学/協力:佐藤選人/出演:佐々木麻由子・佐倉萌⦅二役⦆・鈴木ぬりえ・縄文人・山咲小春・螢雪次朗/エキストラ:西川方啓・内藤忠司・ヒロ・大町孝三・森山茂雄・染屋冬香とその仲間たち・松岡誠・瀬戸嶋勝)。出演者中佐倉萌の二役特記と、エキストラのうち内藤忠司から瀬戸嶋勝までは本篇クレジットのみ。エキストラの正確な位置は、縄文人と山咲小春の間に入る。そして影も形も出て来ない太田始が、何故かポスターに載せられてゐるありがちなフリーダム。
 女の喘ぐ口元、音声による睦言の代りに、原文は珍かなで“こゝが感じるのを君に教へたのは誰かな?”、“アア・・・・さあ、誰だつたかしらアア・・・・”。露悪的に下品な筆致の手書スーパーで画面を汚す、全く以て余計な意匠の極みでしかない、木に竹も接ぎ損なふクソ以下の無声映画演出で開巻即、逆の意味で見事に映画を詰んでみせる。それはそれ、これはこれの精神で断ずるが矢張り荒木太郎は、底抜けの粗忽者にさうゐない。勿体ぶつて小出しする関係性を、最初に整理しておくに如くはない気も否み難いのはさて措き。互ひに結婚を一度失敗した者同士、各々の仕事優先、束縛し合はない付き合ひを旨とする、家具デザイナーの由紀みどり(佐々木)と弁護士・佐藤繁(螢)の逢瀬。事後、仕事を方便にみどりをバス停で降ろした佐藤は、何故か「肉体の門」に出て来るパン女みたいなカッ飛んだ造形の、天野早紀子(佐倉萌の一役目)を拾ふ。交差点に存する、結構あり得ないロケーションの停留所からみどりが乗車したバスに、助手席が早紀子に代つた佐藤の車を揶揄つて来たばかりの、拓人(山咲)も乗り込みみどりに痴漢する。ところで拓人とあるやうに、今回山咲小春(ex.山崎瞳)は男装の類でなく純然たる男子設定。女を責めこそすれ、自らの擬装を解除して乳尻を拝ませはしない。暫し観た覚えがないのは単に忘れてゐるだけかも知れないが、女優部に男を演じさせる派手な力技がかつては松岡邦彦2009年第二作「男で愛して 女でも愛して -盗まれた情火-」(脚本:今西守=黒川幸則/主演:MIZUKI)や、下元哲名義での最終作「養老ホームの生態 肉欲ヘルパー」(2008/脚本:関根和美/主演:Asami=亜紗美)。片山圭太最終作「私が愛した下唇」(2000/脚本:関根和美/主演:里見瑤子)等々、探せばちらほら見当たる。と、いふか。一本思ひだした、荒木太郎の現状最終作「日本夜伽話 パコつてめでたし」(2017/主演:麻里梨夏)にて、端役ながら淡島小鞠(a.k.a.三上紗恵子)が荒木太郎を配下に従へ、Ave Maria少年総統に扮してゐた。
 配役残り、エキストラは潤沢な痴漢バスの乗客要員。何時ものマイクロバスでなく、車体に小田急とか書いてある本格的な車輛も用立てる、妙に気合の入つたプロダクションが何気に謎、何処からそんな金が出て来たのか。縄文人は、みどりが図面を引いたインテリアの、製作を担当する家具職人・小山内多呂。小山内の作業場とみどりの自宅は、a.k.a.比賀健二の縄文人が本当に自力でオッ建てた、道志村のpejiteで撮影される。のは兎も角、多呂が行く末に気を揉む、高校を中退した倅が拓人であつたりするのが、まゝある劇中世間の器用な狭さ。一言で結論を先走ると、要は藪の蛇を突いてばかりの一作にあつて、佐倉萌の二役目は職場に於けるセクハラ被害を―人権派を自認する―佐藤に相談してみたところ、モラハラ紛ひの半ば叱責を喰らふ依頼人。視点が正面に回り込む際には、距離と照明とで上手いこと誤魔化して、ゐるけれど。当該件が物語の本筋に1mmたりとて掠るでなく、何でまた何がしたくて、デュアルロールをわざわざ仕出かしたのかは知らん。拓人に心―と体―を移したみどりから電話で別れを告げられ、愕然とする佐藤に背後から歩み寄り声をかける荒木太郎は、佐藤が訴訟の応援に入る法学部の同級生。見るから走らなさうなジオメトリのビーチクルーザーが調度された、拓人がみどりに羞恥プレイを仕掛けるレストランのテラス席。離れたテーブルから二人を訝しむ男女のうち、男の方は佐藤選人。大胆にもエピローグまで三番手を温存する、鈴木ぬりえはみどりに捨てられた拓人が、バス痴漢に及ぶ女子高生、エモいオッパイ。
 サブスクの中に未消化の荒木太郎旧作を残してゐた、虱潰しも遂に完了する荒木太郎2002年第一作。実は荒木太郎の梯子を手酷く外して以降も、大蔵は旧作の新規配信を行つてをり、先に軽く触れた「日本夜伽話」に至つては、「ハレ君」事件から実に三年後の2021年に配信されてゐる。目下、未配信の旧作が指折り数へて計八本。せめてもの罪滅ぼしに、随時投入して呉れて別に罰はあたらないんだぜ、つか滅ぼせてねえ。
 結果的に引退なんてしなかつた、佐々木麻由子の引退作といふ側面に関しては、この期に採り上げる要も特に陽極酸化処理、もといあるまい。大人の男との、双方向に便利な間柄に草臥れかけた大人の女が、偶さか邂逅した魔少年との色恋に溺れる。所謂よくある話を、無駄にトッ散らかしてのけるのが荒木太郎。既にあれこれ論(あげつら)つておいた、ツッコミ処で全てだなどと早とちりする勿れ。闇雲なテンションで見開いた大きな瞳でみどりを見詰め続ける、拓人は魔性を頓珍漢に強調か誇張したのが諸刃の剣、限りなくたゞの壊れものと紙一重。聾唖をも思はせる反面、女の扱ひには異常に長け、徒走で路線バスに追ひ着く、大概な剛脚も誇る。みどりと、後を尾けて行く拓人が画面奥に通り過ぎた歩道から、カメラが街路樹を跨ぐと遠目にバスがやつて来る。気の利いた映画的な構図にも一見映りかけつつ、もう少しぎこちなくなく視点を動かせないのか。といふか無理か横着して手持ちで撮るからだ、大人しくフィックスにすればいゝのに。みどりが気づくと、男がペジテの庭に入つて来てゐた。のを拓人の一発目はまだしも、佐藤で二番茶を煎じてのけるのも如何なものか。重要度の高いみどりの台詞を、旧い功夫映画ばりに三度反復する三連撃と双璧を成す手数の欠如以前に、女の一人暮らしであるにも関らず、由紀家の防犯意識に不安さへ覚えかねない。佐藤がみどりに愛を叫ぶ、締めの濡れ場に雪崩れ込む大事な導入に及んで、腐れ字幕こそ持ち出さないものの、螢雪次朗の発声を切除。観客ないし視聴者のリップリーディングに頼らせる、最終的な疑問手で完全にチェックメイト。技法の革新でも起こり得ない限り、肝心要のシークエンスで読唇カットを繰り出すのは、悦に入つた横好きか悪癖にすぎぬ気がする。といふのは何も当サイトの低リテラシーを棚に上げてゐる訳では必ずしもなく、そもそも未だ、人類全体ですら高い精度の読話には到達してゐない。作る側は、自分等で書くなり口にしてゐるゆゑ内容を読み取るのでなく、端から所与といふだけである。
 「ホントに信じてるのかなあ」、「信じてなんかゐないはよ」の切れ味鋭くキマる繋ぎと、出し抜けとはいへ、一方的に年齢差の限界に到達したみどりが、畳みかけた激情を拓人に叩きつける件。佐々木麻由子らしい案外ソリッドな突進力が活きる、見せ場も一つ二つ煌めくにせよ。詰まるところ親爺が危惧した通り、要は成熟した女の色香に迷つた未成年の小僧が、ヒャッハーに片足突つ込んだ暴力的な破滅を迎へる割と実も蓋もない物語。あと、今更辿り着く話でもないが螢雪次朗は大して、絡みが上手くはない印象も受けた。そこはピンク映画の引退作である以上、ピンク女優の花道を本気で飾るつもりならば、地味でなく重要な点かと立ち止まらなくもない。

 冒頭の手書スーパーを改めて難ずると、佐藤に対し逆襲に転じたみどりが、“あなたもこゝを誰かに引つ掛かれては歓んでゐた・・・・・”といふのは、そこは“掛く”より“掻く”ではないかなあ。eが脱けてゐるやうにしか思へない、本篇ラストを飾り損ねる“good by again”―八島順一の“I'ts so Friday”か―といひ、如何せんこの御仁はそんなところから逐一不自由。勢ひに任せ我が田に水を引くと、ものの弾みか何かの間違ひで荒木調だの下手に称揚され、他愛ない我流に固執したあまり、荒木太郎は却つて自由を失つてしまつたのではなからうか。


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 「超過激本番失神」(1992/製作・配給:新東宝映画/監督・脚本:中野貴雄/プロデューサー:プレジャー後藤/撮影:下元哲/照明:多摩新町/音楽:藪中博章/編集:フィルムクラフト/助監督:高田宝重/監督助手:山西勝/撮影助手:佐久間栄一/照明助手:林信一/メイク:木下浩美/スチール:つくね二郎/現像:東映化学/録音:銀座サウンド/効果:鴇泉宗正/出演:水鳥川彩・風見怜香・伊藤舞・中村京子・三上ルカ・ジャンク斉藤・西条承太郎・ラッキイ鈴木・ダーティー工藤・ブラボー川上・大橋竜太郎・藤木TDC・松隈健・サトウトシキ・平賀勘一・山本竜二)。出演者中、ジャンク斉藤がポスターにはジャンク斎藤で、ダーティー工藤からサトウトシキまでは本篇クレジットのみ。公開題の、煽情的な単語を適当に繋げた結果、却つて何もかも喪失してしまふニュートラルさが清々しい。
 タイトル開巻、そのまゝクレジット起動。社名に“映画”がつかない方の新東宝が昭和三十年代に狂ひ咲かせた、エログロ映画のポスターでタイトルバックをおどろおどろしく飾る。その毒々しい絵巻で、この映画のコンセプトはほゞ完成してゐる感もそこはかとなく漂ふ。本篇蛇足かよ、せめて惰走といへ。閑話休題、いゝ機会にザックリ振り返ると、オーピーの正確には親会社たる、大蔵映画(ex.富士映画/昭和37年設立)を興した大蔵貢が旧・新東宝(昭和36年倒産)を事実上潰したのち、関西の残党が旗揚げしたのが、細々と現存する新東宝映画(昭和39年に社名変更)の前身、新東宝興業(昭和36年設立)といふ沿革。
 ど頭にスーパーで片付けもとい掲げられる、“帝都の一角に出現した東洋の魔窟”こと“女体渦巻地帯”。雰囲気的には昭和中期の港湾都市、女レスリングのショーが売り物のキャバレー「カスパ」。まづマダムの星影銀子(風見)が、妖艶な踊りを披露する。全盛期を思はせる風見怜香の、パキッとした美貌のみならず、正しくグラマラスな肢体はやゝもすると抜けかねない、劇中世界の底を柔肌一枚繋ぎ止める命綱。店に顔を出した銀子の情夫で、周囲からはボスと呼ばれるカスパの経営者・蛇沼耀一(平賀)を、手下のテツ(西条)とラッキイ鈴木が出迎へる。こゝで西条承太郎といふのは二村ヒトシが男優部時代に使つてゐた名義で、ラッキイ鈴木を適当に譬へると、禿げた中根徹、あるいはうじきつよし。
 配役残り、主人公残すのかよ。水鳥川彩は「カスパ」の新人レスラー・赤城マリ、銛を得物に海女造形。中村京子がこちらははじめ人間造形の、マリの対戦相手・モガンボお千代。伊藤舞はマリと仲良くなる、三ヶ月パイセンの歌川鈴子。そして山本竜二の一役目は、二人の楽屋に何時も通りのメソッドでワチャワチャ闖入する、呆けた雑用係その名もアラカンさん。ところが強い衝撃を加へられるや、アラカンさんは明治天皇にフォームチェンジ、何て自由な映画なんだ。三上ルカは、鈴子と女相撲を取るネームレスレスラー。二人の取組中「カスパ」に現れる、山本竜二の三役目はペン回し感覚で自動式拳銃を回転させるマドロス・ハリケーンの政。どうスッ転んでも山本竜二が小林旭には見えないけれど、一応もしくは無理矢理、ギターを持つた渡り鳥的なキャラクター。それをいふてはアラカンにも見えないが、そこは親族特権―ないし免責―といふ奴だ。ジャンク斉藤は大物の取引を蛇沼に持ちかける、謎の東洋人密輸業者・玄海竜。平賀勘一の戯画的な悪党ぶりと、ジャンク斉藤の絶妙な胡散臭さ。羽目の外し具合が上手いことハマッたのか、この二人の2ショットが見た覚えのない強度で画になる。風見怜香同様、とかく不安定な一作の安全装置として機能する。玄海竜のアジトにて、テツに撃たれて死ぬ照明助手は、林信一のヒムセルフ?そしてまんま多羅尾伴内式に、ハリケーンの政からアラカンさん、明治天皇と三段変身の末行き着く山本竜二の四役目が、正直正体不明の鞍馬天狗。この際いはずもがなながら触れておくと、明治天皇にせよ鞍馬天狗にせよ山本竜二の叔父で、アラカンの愛称で親しまれた嵐寛寿郎の当たり役。といふか、山本竜二が嵐寛寿郎の甥である以外に、アラカンさんとハリ政はまだしも、この物語に明治天皇や鞍馬天狗が出て来る意味なり理由は特にも何も全くない。忘れてた、本クレのみ隊は「カスパ」の客その他、蛇沼と玄海竜それぞれの配下、第三世界のバイヤー等々。カスパの客席に、女が一人ゐるのは誰なのか本当に謎。
 五十音順に上野俊哉・サトウトシキとのオムニバス作「ザッツ変態テインメント 異常SEX大全集」(1991)を経ての、中野貴雄単独第一回監督作品。何時の間にか、あの中野貴雄が―どの中野貴雄だ―ウルトラシリーズでメインライター格を務めてゐる、何気に界隈トップ級の大出世を窺ふに。全体中野貴雄と、恐らく資質的にはより優れてゐた筈と思しき、友松直之は何処で差がついたのか。明後日か一昨日な感慨が、脊髄で折り返して胸を過(よぎ)るきのふけふ。放り投げるだけ放り投げてみた与太はさて措き、第五回ピンク大賞に於ける三人連名での新人監督賞受賞は兎も角、“1996年度リール国際トラッシュ映画祭グランプリ受賞作品”である旨、新版ポスターでは賑々しく謳はれる。と、はいへ。さりげなく疑問なのが、件のリール国際トラッシュ映画祭。試しにググッてみたところで出て来るのは今作と、「恋はシリアルキラー」(1994)のフライヤー画像くらゐしか見当たらない。掴み処を欠いたミステリーの真相や、果たして如何に。
 暗黒街を彩る、女達の死闘。潜伏したアンダーカバー、ソビエトから流出した核弾頭。威勢よくオッ広げてはみせた大風呂敷を、満足に畳む気なんぞどうせ端からない風情は、茶を濁し続けるメタ的な小ネタと、木に竹を接ぎ続ける山本竜二の四変化で白状してゐるも同然。マリが出し抜けに平塚らいてうを持ち出す真意は、流石に測りかねるものの。尤も、一見チンケな活劇をへべれけに垂れ流してゐるかに見せ、実際その通りにほかならない気もしつつ、案外さうでなくもない。とりあへず考証的に配慮したのか、キャットファイトの用語は使はれない女の裸的には疑似百合を除き、ビリング頭は拘束された状態で犯される平勘と、締めの山竜。二番手は当然平勘、三番手は藪から棒も厭はずカット跨ぎで檻の中、二村ヒトシに競り落とされてゐる。三本柱には各々男女の絡みが設けられる上、女同士の取つ組み合ひに関しても、主演女優は四番手と戦はされる三番手に、女優部ラスボスの二番手と激突する三戦。三番手は五番手とビリング頭の二戦に、二番手はビリング頭と、コンタクト程度の初戦を半分に扱ふと計1.5戦。ビリング頭が下位を優先する点まで含め実は完璧な濡れ場の配分に加へ、テツに凌辱された鈴子をマリが鼓舞する流れで、共闘関係が成立する地味に堅実な展開。裸映画として全体の構成は、思ひのほかしつかりしてゐる。さうは、いふてもだな。児戯じみた争奪戦と、コント以下―何せ片方は鞍馬天狗―の起爆解除サスペンスが大人の娯楽映画、のしかも佳境には些かどころでなく割と全力でキツいものもある。いつそ思ひ切つて、DEAD OR ALIVEなオチでボガーンと振り逃げてみせれば。作家性未満の他愛ない趣味性が、観客を呆然とさせるか奈落に突き落とす、抜ける抜けない以前に元々底なしの虚無に、グルッと一周してゐたかも知れないものを。

 何れにしても、それともそもそも。天皇だ原爆だ、斯くもセンシティブ且つキナ臭い題材を、無造作にブン回す映画が小屋で普通に上映されてゐる状況こそ、ある意味一番興が深いともいへようか。だから「ハレ君」も、シレッと封切つてのける訳には行かなかつたのかだなどと、この期に及んで性懲りもなくか往生際の悪く、ジャンクされた映画の尺を数へてみたり。


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