「花と蛇 究極縄調教」(昭和62/製作:にっかつ撮影所/提供:にっかつ/監督:浅尾政行/脚本:片岡修二/原作:団鬼六/プロデューサー:奥村幸士/企画:塩浦茂/撮影:佐藤徹/照明:海野義雄/録音:北村峰晴/美術:斉藤岩男/編集:冨田功/選曲:林大輔/助監督:伊藤正治/色彩計測:田口晴久/製作担当者:田中亨/現像:IMAGICA/出演:速水舞・水木薫・新海丈夫・港雄一・児玉謙次・堀雄司・斉木親・渡辺正美・今村健・摂祐子・鈴木一功・中原潤・長坂しほり/手品師:松旭斎小天華/緊縛指導:浦戸宏)。出演者中、堀雄司から鈴木一功までは本篇クレジットのみ。手品師と緊縛指導の正確な位置は、鈴木一功と中原潤の間に入る。
開巻は縄、でなくて紐。今なほ現役の松旭斎小天華がロープを操る奇術を披露するのは、ナイトクラブに於けるショー。客席に長くパンするカメラが辿り着いた果ては、将を射んと欲すればの先ず馬。不動産屋社長の野沢俊介(中原)が、交際する遠山建設社長令嬢の久美子(速水舞)に父親からの融資の口利きを頼み込む。ところに、野沢に債権を持つ金貸しの沼田(新海)が圧倒的な悪役面(づら)で大登場。面相ひとつで有無をいはさぬ説得力を叩き込む、新海丈夫が素晴らしい。この人は悪い人です、滲み出るのも通り越し迸るその判り易さは、量産型娯楽映画の要にさうゐない。後日遠山邸に出向き直談判を試みはした野沢に対し、久美子の父親である遠山義隆(児玉)はといふとカット明けの開口一番が―不渡りを出さうが何をしようが―「儂の知つたこつちやない」の、最早清々しいほどの虐殺ぶり。臍を曲げ出奔した久美子が、野沢に拘束されてゐるとの情報を遠山の秘書である佐伯道子(水木)から得た、義隆の後妻で久美子と血の繋がりはない志津子(長坂)は、野沢の債務を完遂するには半分ほど足らない金を慌てて工面。沼田商事に直行したものの、飛んで火に入る葱を背負つた鴨。その場に顔を出した野沢に志津子が全てを悟るや否や、改めて久美子共々トッ捕まり、水が低きに流れるが如く手篭めにされる。
特定し得る配役残り、若干顔の色艶が違ふくらゐで、口跡は後年と然程変らない港雄一は、久美子と志津子を連れ沼田一行が屋敷に入る、ヤクザの親分では多分なく、恐らく財界の大物的な立花耕造。ラストの観光バスを使つたサドマゾ接待、今でいふとプッチャリンみたいな造形の司会者は鈴木一功。堀雄司から摂祐子までに手も足も出ないが、その他目立つたところでは遠山の運転手と、遠山邸のお手伝ひ、に沼田の子分が二人。となるとなほひとつ男優部の名前が余るのは、どう見ても外人部にしか見えないけれど、遠山がアメリカから招いたウィリー社長もこの中に含まれるのか?
a.k.a.といふよりも、大体ex.浅尾政行で大門通(活動期間:1995~2007)となる浅尾政行の監督第三作にして、唯一のロマンポルノ。翌年にっかつがロマポごと戦線から撤退してしまふのもあり、日活版「花と蛇」シリーズの最終第五作となる。五作で打ち止め、さう聞くと、EXILEの成員より多い鬼六冠と比べて案外少ないのかも。
囚はれた良家の母娘が、凌辱と調教の限りを尽くされる。アレだよアレ、みんなよく知つてる何時ものアレだよ!とでもいはん勢ひで、外堀はサックサク埋めて、責めのシークエンスにたつぷりと尺を割く、完全に開き直つた高速展開が心地よい。惜しむらくは、シーソーの要領で双方の観音様に液体状の阿片を流し込むだなどと、ハッチャメチャな大技どころか荒業まで繰り出しつつ、遠目にも魅惑的この上ない速水舞のいはゆる鉄砲乳に、執着する素振りさへまるで窺へない点。退屈はしない程度で既に出来上がつたフォーマットにあくまで忠実な―だけの―始終に、大門通が誇る一見全く以て地味ながら、極めて的確かつ強靭な論理性が発露する余地は見当たらない。さうは、いへ。一旦野沢の手引きで立花の屋敷を脱出後、実は立花と通じてゐた道子を頼つたばかりに、久美子と志津子―に野沢―は再び捕獲される。沼田の子分から半殺しにされ、沈むやうに崩れ落ちる野沢越しに、道子がピントを送られて現れるカットの構図は完璧。滅多にお目にかゝれない見事なものを見せて貰つた、映画的興奮が弾ける。
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