真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「姉妹OL 抱きしめたい」(2001/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画/監督:田尻裕司/脚本:西田直子/企画:朝倉大介/撮影:飯岡聖英/撮影助手:板倉陽子・斎藤徳暁/助監督:大西裕・管公平/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/現像:東映化学/スチール:稲葉輝矢/協力:朝尾賀子・石川二郎・今岡信治・落合一衡・草野未有・小泉剛・斉藤一男・佐々木直也・茶園佑記・宮地香奈・シーズクリエイティブ/応援:伊藤一平・菅沼隆・永井卓爾・堀禎一/出演:野村貴浩・松原正隆・伊藤猛・佐藤幹雄・伊賀哲也・金井悦子・中川真緒・足立建夫・乱孝寿)。何か違和感を覚えたのが、個人は五十音順に並ぶ協力の、朝生でなく朝尾賀子は本篇クレジットまゝ。
 開口もとい開巻一番、金井悦子がいきなり、後背位で挿される。結果的にアバンを潔く一幕・アンド・アウェイで駆け抜ける、男優部絡み要員は佐藤幹雄。男が果てると、女は余韻も漂はせず即ベッドを離れる。チャットでなく、直電で二度目―以降―の逢瀬を望む男に対し、金井悦子は生返事。ハンドルが金魚の所以に関しては、飼つてるからと答へる。カット根も乾かぬうちに、大内葉子(金井)がフィーチャーフォンから佐藤幹雄の番号を消去した、往来のロングにタイトル・イン。件の金魚がフィジカルを飼育するのではなく、2001年水準にせよこれはなく映る、原初的なクオリティのCGが泳ぐのを眺めて葉子が自分の時間を愉しむ、今となつては謎めいた風俗に軽くわだかまる。
 葉子の実家である、深夜の大内家。砂嵐を吐くテレビの手前で、母・清子(乱)が飲んでゐる。翌朝、父親の健次(足立)が目覚めると、家内に清子の姿はなかつた。共働きの夫・達郎(野村)と暮らす、葉子の妹で玩具会社に勤務する香(中川)のアパートに、家を出て来た清子が現れる。健次からの電話に香が清子は来てゐないと嘘をつく一方、健次も健次で、忘れ物を取りに帰宅したところ家が無人と茶を濁す。職場の編集プロダクション「飯島出版」に健次からかゝつて来た、電話をにべもなく切つた葉子は、次なるハンドルにネオンテトラを見繕ふ。そんな最中、念願叶つての企画部異動を香が喜んだのも束の間、会社を辞め田舎で農業をやりたいだとか、達郎はありがちか漠然とした寝耳に水を差す。
 配役残り、この人意外と髪型が安定しない伊藤猛は、葉子の上司で元不倫相手のクガ。葉子をランチに誘ふ、女の同僚は手も足も出せず不明。未だスマホのない時代ゆゑ、にしても昼休みに職場のPCで2ショットチャットの「ラブネット.COM」を開く、葉子の大概無防備な行動もどうかとしか思へないが、それはさて措き松原正隆は葉子がネオンテトラでオフる、ケントこと藤川タケヒサ。一夜限りの関係を頑強に宗とする、葉子改め今度はエンゼルフィッシュと、藤川がたけしの名前で図つた再会。大勢の行き交ふランデブー地点、顔の横に差し出した「KENT」の箱で、名乗るメソッドが河島英五の次の次くらゐにダサくて七転八倒の悶絶必至。伊賀哲也は、入れた小銭を吸ひ込んだ、酒の自販機に殴る蹴るする図体のデカい輩。あと清子が蕎麦を食べてゐる店から、出て行く男が多分今岡信治。そんな風に、そこかしこ誰かしら見切れてゐるのかも知れない。軽く結論を先走ると、劇中葉子が使用するハンドルが、順に金魚とネオンテトラにエンゼルフィッシュ。ワンナイトラブに固執する意固地を拗らせてゐる風を、あへていふならば装ひながら。其処には何処かに、見つけて貰ひたい捜し出して欲しい屈折した惰弱さが、矢張り見え隠れしまいか。
 乱孝寿最後の濡れ場、といふ判り易く且つ歴史的なトピックの陰で、野村貴浩のピンク筆下しも兼ねてゐる田尻裕司2001年第二作で国映大戦第四十九戦。田尻裕司的には、通算第五作。
 老母の出奔を契機に、二組の夫婦と刹那的な男漁りに明け暮れる主人公の立ち位置とが揺らぐ、所謂よくある話。一見、自己中心的で冷淡な葉子の造形をこれ見よがしか悪し様に描くのは、一種のミスリーディング。家庭をまるで顧みない夫との関係に疲れ、酒に浸つた実相を家族の中で長女にのみ見せてゐた。即ち、詰まるところ葉子を壊した清子こそ、今でいふ毒親である真相が観客には提示されつつ、展開の中で決して満足に消化か昇華される訳でもない、土台根本的もしくは構造的なアキレス腱に加へ。逆の意味で見事なのが、揃ひも揃つて全員自堕落な主人公とその親族一同。ビリング順に、へべれけにモラトリアムな癖して、妻には何気に高圧的な妹婿。自宅の表でうづくまつてゐた女に、葉子が心配して声をかけてみると泥酔した実の母だつた。割と衝撃的な対面を果たしてなほ、日課のラブネット巡りは欠かさない。即ち、アルコール中毒の母親に劣るとも勝らず、出会ひ系依存症の姉。腐れ配偶者に毅然とした対応のとれない妹と、自らを省みる、術すら恐らく持たず、都合が悪くなると都合よく昏倒する父親。全うな人間が一人も見当たらない、実は壮絶なホームドラマがハッピーエンドに辿り着くだなどと、それは確かに至難の業。藤川に本名を渡す、踏ん切りをつけた葉子は、まだしも新しい一歩を明確に踏み出す。尤も両親に関しては恐らく治療を要する筈の、清子のアル中に関してはスカッと等閑視。健次も別に、甚だしく鈍い呑気ぶりから何も変つてはゐない。夢見た玩具作りと、山梨に移り住む夫。困難な二者択一を迫られた香が、車を出す男と踵を返す女の、ソリッドな別れで答へを出せたかに一旦思はせ、どうやら、最終的にはそれも怪しくなつて来る模様。香はケリをつけられず、達郎は元々身勝手なばかり。ヒロインが開ければ最低限の形にはならうかともいへ、熟年の大内夫妻ともども、互ひに幼い妹夫婦が何れも甚だ覚束ない。雨は降れど地は固まらず、まだまだ全然ぬかるんだまんま。端から目指してもゐなささうだが、斯様に無様なザマで、物語が心地よく着地する訳もなく。
 裸映画的には相方の固定される、二番手が逆の意味で綺麗に出し惜しまれるか持ち腐らされる反面、金井悦子は序盤中盤と十二分に脱ぎ倒し、絡み倒し、はするものの。挙句結局抜け損なふのも兎も角、ドラマの進行に尺を削がれる形で、終盤は寧ろ完全に沈黙。代つて乱孝寿最終戦で、締めを賄ふメモリアルな気概、と行きたい、あるいは行きかける行きかねない、ところではあつたのだけれど。それならば全体何処から拾つて来たのか、どうもカメラの前よりも主戦場は板の上ぽいスポット参戦の馬の骨でなく、そもそもガミさんなり久保チンを健次役に連れて来ない辺りに、量産型裸映画が塵芥を盛大に積もらせた大山と、誠実に向き合ふ意識も所詮窺へず。要は必ずしも乱孝寿でなくとも、脱いで呉れる同世代の女優部であれば別に誰でもよかつたにさうゐない。破格ならぬ、端額のギャラで。何よりガチのマジで怒髪冠を衝いたのが、伊賀哲也との―こゝは手放しで心温まる―ファンタジックな酒盛り経て、清子が往来に停められた、まづ他人のママチャリを戯れに漕ぎ遊んで、ゐると。ストッパーがかゝつてゐなかつたスタンドが外れるのみならず、施錠すらされてゐなかつたらしく、期せずしてチャリンコが走り始める件。日常的はおろか正しく飲んだ直後の飲酒運転で、清子が―満足に扱へもしない―盗んだチャリで繁華街を危なかしく右往左往するシークエンスが言語道断。偶さかな解放感ないし多幸感でも表したかつたのか、よもや表したつもりならば笑止千万、万死に値する。八ヶ月待たされて漸くベルトクロスが納車した、自転車乗りとして渾身の言葉を選ぶと、息するのやめれBBA。犯罪的なハイライトが映画を木端微塵に爆散する、国映大戦史上最悪の惨劇。といふか、正真正銘の犯罪でしかない。きちんと乗らないか乗れないならチャリンコ乗んな、歩けボケ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「濡れた賽ノ目」(昭和49/製作:若松プロダクション/監督:若松孝二/脚本:出口出/企画・製作:若松孝二/撮影:がいら/照明:磯貝一/音楽:ハルヲフォン/助監督:斎藤博/演出助手:原田正幸/撮影助手:遠藤政史・伊藤野鳴/照明助手:土井士郎/編集:竹村峻司/効果:脇坂孝行/録音:大久保スタジオ/現像:東京録音現像㈱/製作進行:藤田敏紀/主題歌 作詞:荒井晴彦 作曲:近田春夫 歌:司美智子/出演:司美智子・長田ケイ・青山美沙・今泉洋・吉田純・山本昌平・夏文彦・河原一郎・北川康春・小西義之・石塚享・荻原達・崔洋一・磯貝一・小水一男・伊藤孝・鴨田今日子・吉野あい・山谷初男・外波山文明・篠原勝之・根津甚八・国分二郎)。出演者中、長田ケイがポスターには長田恵子で、青山美沙は逆に青山ミサ、逆て何だ。それと夏文彦から吉野あいまでは、本篇クレジットのみ。脚本の出口出は荒井晴彦の変名、撮影のがいらはa.k.a.小水一男。クレジットがスッ飛ばす、配給に関しては事実上“提供:Xces Film”。あと、何準拠なのか司美知子名義とする資料も散見される中、モモイロアルマジロは本クレ・ポスターとも普通に司美智子。
 鐘の音聞こえるカーテンからティルト下ると、素晴らしい肌の発色で男女が睦み合つてゐる。今作、全篇通して色調あるいは構図のみならず、濡れ場に際しては女の裸を大人しく愉しませる、根源的な本義まで含めがいらのカメラによる画がキッメキメ。もしかすると小水一男は、演出部よりも撮影部としての才に、なほ長けてゐたのかしらんだなどと、大概ザックリした雑感も過る。未だ背中の綺麗なチンピラの健(国分)が、兄貴分の情婦である佳代(司)を抱く危ない橋を渡る逢瀬。チンケなシノギに嫌気の差し、ありがちに燻る健が体を売らされる佳代に出奔を持ちかけ、健を信じ佳代も腹を括る。と、ころが。待ち合せた駅のホームに、電車が来れど健は来ず。追手二人組(特定不能)の説明台詞で、佳代は健が詫びを入れた二人の関係性上は不義理を知る。佳代の手から落ちた、事前に今や懐かしのキオスクで買つてゐた蜜柑が、通行人に踏み潰される心象隠喩の無体なポップ感。夜行列車、佳代が腿の上に置いた新聞紙にタイトル・イン、尤も紙面自体に意味は別に見当たらない。
 “それから七年”、豪快なスーパーで本篇の火蓋を切る。流れ着いた北の港町、居酒屋―どうも実物件的にはかよでなく「みえの店」―をそれなりに繁盛させる佳代は、市会議員の村上(今泉)に囲はれてもゐた。この期に及んで初めて気づいたのが、今泉洋の最中に鼻を鳴らすメソッドは、絡みに水を差すきらひを否み難い。中略して、後妻話になかなか首を縦に振らない、佳代に半ば業を煮やした村上いはく面白いところに連れて行く、といふので出向いた先は青山美沙が壺の代りに観音様で賽を振る、花電車賭博的な賭場。そこで佳代は、桑原組の客人として当地をシマとする弁天組に草鞋を脱ぐ、何時の間にか一丁前にパリッとした風情の健と再会する。
 派手に順番を前後する、配役残り。根津甚八と長田ケイは、シベリアに密航する船を探し、町に現れるジュンとヨーコ。要はケンメリ辺りに如実に肖つたのだらうが、何故この人等は正規のルートで出国しようとしないのか、謎といへば謎。山谷初男と外波山文明は二人の噂話に花を咲かす、だけの下卑た居酒屋客。あのゲージツ家の篠原勝之は賭場を仕切る、のちに組長の吉田純と同じフレームに収まつても見劣りしない弁天組若頭。鋭角の色気がヤバい山本昌平は、密航の手配を装ひジュンから―ヨーコの親から詐取した―金を騙し取る弁天組組員。食ひ下がるジュンをシメる際、「詰まんねえこと考へてると、掠り傷ぢや済まねえぜ」、エッジの効いた名台詞には震へた。高橋明と山本昌平、もう一枚で最強の実戦的三羽烏を組むとしたら誰がいゝかなあ。その他大勢、崔洋一と磯貝一が並んだ次の四人で、小水一男が頭に飛び込んで来るジェット・ストリーム・アタック的なビリングが鮮烈な、本クレのみ隊は凡そ特定能はず。但し佳代の店に、馬津天三(a.k.a.掛川正幸)―と連れに吉野あい―が来てゐるのは僅かに見切れた、とはいへ。馬津天三と掛川正幸、何れの名前も見当たらない矢張り藪の中。崔洋一と小水一男くらゐどうにか見つけたいところでありつつ、己の不明を面目なく恥ぢ入るばかり。それは兎も角、最初カウンターの画面左側に立つてゐた佳代が、別の場面では右に立つてゐたりする。要はランダムかフレキシブルに180°移動するカメラ位置に、店が両側に出入口が開いてゐる構造、もしくは開いてゐないと成立しないカットに映り、軽く混乱したのは単に当サイトの映画的リテラシが腐つてゐるだけなのかな。イマジナリラインといふ奴は、さういふ概念ぢやないの?
 長らく行方不明とされてゐた原版が出て来たらしく、発掘された形の若松孝二昭和49年第一作。この映画で銀幕初土俵を踏んだ根津甚八が、暫し自身のフィルモグラフィから抹消してゐた。とかいふ、小癪あるいはどうでもいゝ箔もついてゐる。
 真白なシベリアの雪原を、ヨーコの破瓜で赤く染める。今となつてはぐるぐる何周かしてバターに、もとい微笑ましいジュンヨコの素頓狂なロマンは、ヒロインである佳代の背中を押す一種の梃子か出汁に最終的には止(とど)まる。佳代が襖を荒々しく開け放つや、隣室のジュンとヨーコがビュービュー吹雪く―そこら辺の―雪中にワープする、全裸で。一発勝負の豪快な力業こそ鮮烈にキマるものの、当然でしかないが根津甚八の全般的な削りも粗く、ネヅジンネヅジン殊更有難がるには、少なくともファンでも何でも特にない、一見ないし外様視点では特にない。一方、それではメリーならぬケンカヨの本筋はといふと。「あたしの七年は裏切られた七年」、「あなたの七年は裏切り続けた七年」。二度目に、今度は捨てる―もしくは葬る―腹を括つた佳代の迫力は溢れる反面、詰まるところ劇中下手しか打ち続けてゐない、寧ろ何の物の弾みでこの男がそれなりに出世したのだか皆目判らない、健のゴミゴミしい屑ぶりがある意味出色。結構画期的なシチュエーションでの邂逅後、健がのうのうと佳代と復縁しに来る臆面もない姿は琴線を激しく逆撫で。ついでで国分二郎の再登場と連動するところてん式に、今泉洋は上手いこと退場する便宜的な作劇も地味に鼻につく。健のダメさ加減に話を戻すと、疑似らしいが桑原組が解散するや、自らを無下に放逐しようとする吉田純には仁義を盾に異を唱へておきながら、ヤマショーに対するジュンの恨みに便乗。賭場の売上金を狙ひクマさんを襲撃するに至つては、一宿一飯て言葉知つてやがんのかこの腐れ外道。そし、て。神をも途中で数へるのが馬鹿馬鹿しくならう、一体、国分二郎が最後刺されて死ぬピンクないし買取系が全部で何十本あるのか。よくいへば量産型娯楽映画的な様式美、直截にいふと幾度と拝んだ既視感に目も眩む、途方もない数打たれた類型的なラストには当時特有の、ケミカルに赤々とした血糊の滅多矢鱈な煽情性には反し、予め定められた調和が完成した、静的な印象さへ覚えかねない。尤も同時に、憎々しいクソ健が終にオッ死んだ、清々しいカタルシスも確かになくはない。徹頭徹尾惰弱な健と、在り来りに無軌道なジュンとヨーコ。要は他愛ない三人に主人公が適当に翻弄される、所詮は自堕落な浪花節といつた印象が最も強い一作。ワカマチックな反骨なり反体制とは無縁にして、根津甚八も根津甚八で精々少しハンサムな程度の青二才。単館での公開もなされたやうだが、若松孝二か根津甚八の名前に―まんまと―釣られいそいそ木戸銭を落としたシネフィルの、心中や果たして如何に。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「巨乳・美乳・淫乳 ~揉みくらべ~」(1997/制作:セメントマッチ/配給:大蔵映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/プロデューサー:大蔵雅彦/撮影:千葉幸男/照明:多摩三郎/録音:シネキャビン/編集:酒井正次/スチール:津田一郎/助監督:佐藤吏/撮影助手:池宮直弘/照明助手:多摩次郎/監督助手:広瀬寛巳/タイトル:道川昭/現像:東映化学/協力:木澤雅博・STAR DAST/挿入歌:『ぼくの育つた都市⦅まち⦆』鷹魚剛 詩・曲・歌/出演:槙原めぐみ・館山あかり・風間今日子・杉本まこと・熊谷孝文・荒木太郎・飯田孝男・神戸顕一・北千住ひろし・池島ゆたか・藤森きゃら・木澤雅博・ひろぽん)。
 海岸に赴く、手向けの花を携へた女と三人の男、暗転して“7月上旬―初夏”。ジャズバー店長の飯田孝男と、店の常連客でビリング順にマリコ(館山)と五十嵐(杉本)にカズヒコ(熊谷)の四人が、一月半前泥酔した上での溺死でその砂浜に打ち上げられた、マリコの供養に訪れる。マリコは三月の終りか四月の初めに、現れた時と同様、皆の前から不意に姿を消してゐた。ところで協力の「STAR DAST」は、それホントにUでなくて“DAST”なん?プリミティブな疑念はさて措き、波に花を投げた、そもそも口跡の心許ない館山あかりが海に向かつて「バカヤロー!」した、してのけた瞬間の、曇天に煌めくやつちまつた感。エンディングで使用するのとはまた別の鷹魚剛が流れ、フィルムハウス作のやうな品のないタイトル・イン。ひとつ根本的な疑問が、タイトルでググるとジャケの画像が出て来る、今作のVHS発売。正当に筋を通してゐるとは到底思ひ難い、タカオゴー方面は果たして如何に処理してあるのか、全くのノータッチ含め。フィジカルが手許に残るソフト化でなく、配信なら通るといふ話でもないのだが。あと、池島ゆたかが好きなのか正体不明の鷹魚剛フィーチャーは、確認出来てゐるだけで2002年第三作「猥褻ストーカー 暗闇で抱いて!」(脚本:五代暁子/主演:葉月蛍)に於いて、より物語に埋め込まれた形で見られる。
 配役残り、“その2ヶ月前―春・5月”。こゝで漸く顔を見せる―最初のカットは土座衛門の背中―槙原めぐみは苗字不詳のマリコ改め、仁科かすみの名前でデビューするAV女優。藤森きゃらがスタイリストで、北千住ひろしがカントク。助監督のひろぽん(広瀬寛巳)が青さすら残しかねないくらゐ若いのが、明後日か一昨日なハイライト、木澤雅博は多分録音部。荒木太郎は男優部のマシーン、ではなくパワフル、尤も造形は大して変らない。風間今日子がかすみを北千住カントクに紹介した、企画物女優部のキクチ安奈。神戸顕一は路上飲みするかすみに声をかける好色漢、かすみと神顕の悶着に、安奈が介入したのが二人のミーツ。“その1ヶ月前―春・4月”、実はマリコでもかすみでもなく、本名は遠野飛鳥が公衆電話からかける、電話の向かうの母親ボイスは五代暁子。新しい人間の登場しない“その1ヶ月前―春・3月”と“そのさらに2ヶ月前―冬・1月”は飛ばして、“前の年の10月・初秋”。池島ゆたかは飛鳥が会ひに行く、五代暁子とは離婚してゐる父で探偵の竹宮、入婿であつたのか。竹宮姓の探偵といふキャラクターは、その後2005年第二作「肉体秘書 パンスト濡らして」(脚本:五代暁子/主演:池田こずえ)と、2006年第三作「熟女・人妻狩り」(脚本:五代暁子/主演:三上夕希)で佐々木麻由子が継ぐ、本家込みでほかにもあるか知らんけど。
 確かに量産型娯楽映画的ではある、過去からも未来へも類作と連関する縦方向の繋がりならばあちこち窺へなくもない反面、あくまで今作単体として触れる限り、終に足が地に着かず首は据わらぬまゝ、木に竹を接ぐアングラフォークで止めを刺す池島ゆたか1997年第三作、映画の自害か。
 その時々で名前さへ変へる、掴み処のない風来坊、当人にも。夭逝後大体四十九日を起点に、マリコだかかすみだか飛鳥の来し方を、断片的にか漫然と遡つて行く。とかいふ、趣向ならば酌めこそすれ。死亡時の状況なり真相は必ずしも兎も角、何せ自ら見つけきらなかつた飛鳥自身の外堀が、家族の存在以上一欠片たりとて埋められるでなく。一種の持ち芸ででもあるかの如く、飛鳥がユカリや安奈に要は限りなく全く同じ要領で上手いこと拾はれては、その時々そこかしこで居合はせた者達と寝る、男女問はず。ふんだんに、主演女優の裸を見せる点に関しては大いに天晴、にせよ。如何せん同じやうなといふか、同じ立ち位置から半歩も動かない展開の繰り返し蒸し返しで話は一向膨らむでなければ深まるでなく、となると半ば当然特にも何も面白くもなく。マリコとの出会ひに、ユカリが情を交したばかりのカズヒコに関する愚痴を絡める。五代暁子にしては最大級に心を砕いた跡を看て取るべきなのか、首の皮一枚流れが設けられて、ゐるとはいへ。しかも、もしくは挙句終盤まで温存した、あるいは温存する破目になつた。槙原めぐみはおろか―色んな意味での―大女優・風間今日子をも擁してゐながら、選りに選つて瀬戸恵子の再従姉妹みたいな、何処から連れて来たのか色気があるのかないのかよく判らない、二番手の濡れ場で締めの濡れ場を敢行するといふか断行もしくは強行する、蛮行が兎にも角にも致命傷。その際の、ユカリに対するぞんざいな扱ひを下手に強調しようとした諸刃の剣で、単なる底の浅さに堕した熊谷孝文のメソッドも既に死んだ映画に鞭打つ、息絶えたのか。かと、いつて。全く箸にも棒にもかゝらない純然たる玉石混合の多い方なのかといふと、決してさうでもなく。導入がへべれけ気味なのは正直否めない、安奈とかすみが出し抜けに咲かせる、百本に一本級の百合の名花がエロくてエモい、天下無双のエロ―ションを轟然と撃ち抜く。たとへば新田栄作に際しての、見易さ乃至シンプルな即物性に徹したプレーンな画とはまるで別人の、千葉幸男による艶のあるカメラが捉へた、槙原めぐみと風間今日子が正しく竜虎相搏つ、オッパイの巨山が四峰連なる極上の絡みは至福の眼福。惜しむらくは、そのエクストリームを序盤で通過か消化してしまふ残念な構成ともいへ、一撃必殺の絡みで十二分な印象を刻み込む、頑丈な裸映画である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「色情海女 ふんどし祭り」(昭和56/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:藤浦敦/脚本:伴一彦・藤浦敦/プロデューサー:村井良雄/企画:進藤貴美男/撮影:水野尾信正/照明:野口素胖/録音:福島信雅/美術:中沢克己/編集:山田真二/音楽:甲斐八郎/助監督:上垣保朗/色彩計測:森島章雄/現像:東洋現像所/製作進行:桜井潤一/出演:安西エリ・江崎和代・青野梨魔・マリア茉莉・沢木美伊子・蘭童セル・野上正義・橘家二三蔵・新井真一・立川談十郎・島村謙次・川村真樹・藤ひろ子)。配給に関しては、実質“提供:Xces Film”。
 ズンドコ劇伴起動、空模様からパッとしないぼんやりした海の画にタイトル・イン、“色情”と“祭り”のみ適当に赤く発色する。ど頭のにっかつ画面をサッ引くと十秒にも満たない割に、シンボリックなアバンではある。
 何処ぞの浜辺の村、海は豊漁ながら、後継者が不足通り越して皆無の海女は玉枝(藤)一人きり。窮した村長の井本信吉(野上)は都会に出た村の娘を連れ戻すべく、息子の信吉(立川)を東京に向かはせる。島村謙次が玉枝の夫で、漁協の森田。改めて調べてみると、立川談十郎がのちの十代目土橋亭里う馬。立川談志が初めて弟子にとつた、立川流の総領弟子といふ御仁。当時的には、リーゼントがトッぽい単なるアンチャンに過ぎないんだけど。
 信吉が順に陸上自衛官の西本知子(マリア)とトルコ「ダービー」の泡姫・大沢明美(青野)に、女子大生のノガミ?雅代(蘭童)。カメラマンの中西三紀(沢木)と、スチュワーデスの村田翠(安西)を銘々何だかんだ、あるいは何となく口説き落とすロングがタイトルバック。何だかんだか何となくぶり、今作の本質に早くも、触れてしまつたきらひは否めない。
 配役残り、既に真打の橘家二三蔵は村長・森田とトリオ格―または信吉も加へたカルテット―の、生臭坊主・一休。コーリュー寺?とかいふ一瞬だけ呼称される寺の名前が聞き取れない、睾隆寺かなあ。川村真樹と江崎和代は、村長一派が常連の居酒屋「いそぎんちやく」女将の北野多恵と、多恵は後妻につき、歳は三つしか離れてゐない寧ろ姉妹に近い義理の娘・尚。新井真一は三河屋のジュンイチ、屋号は現に三河屋で、営業車から車体に三河屋と書いてあるのが如何にも量産型娯楽映画的な、清々しいポップ感。ほかにもタイトルバックを賑やかすその他自衛官と女子大生にスチュワーデス、三紀が撮影中のモデル以下。翠と信吉がカーセックロスをオッ始めんとしたところ、遠目に見切れるだけの何しに来たのか本当に心の底から判らないカップル。いそぎんちやくと、殊に後述する祝祭―の見物人―要員で箍の外れた頭数を稼ぐ、数十人の膨大な人員がフレーム内に投入される。そんな中、元々島に残つてゐた唯一人の玉枝と、信吉が帰還させたアマンジャーズ。劇中全部で六人しかゐない筈の海女が、中盤何故か二人増えて八人ゐるのは天衣無縫な謎、萩尾望都か。
 ロマポ全十九作中海女ものが実に五本、なかなかの専用機ぶりを誇る藤浦敦の昭和56年第一作は、略して海女ポ通算第三作。第二作の「若後家海女 うづく」(昭和55/脚本:池田正一/主演:佐々木美子)が、リクエストを受けシネロマンが新日本映像に照会したところ、上映素材がないとの回答。現状配信はされてをらず、何気に最後の砦・nfajもプリントを持つてゐない。ついでといつては何だが、藤浦敦のフィルモグラフィが総体でいふとロマポ以前に初陣の一般映画、以後には凄惨な変名地獄で濁した茶が泥水状態のロマンXXと、事実上ラクヨーの計二十二作。
 信夫が求婚を口実に翠を誑かした限りなく詐欺に、当然穏やかではない尚に対し、多恵が正体不明の頑なさで交際に反対する複雑な色恋沙汰。一方、大学生活は案外真面目に送つてゐるらしき雅代は、一休に見せて貰つた村の古文書を通し、褌を締めた女衆が主役の奇祭に辿り着く。一応柱ぽい作劇の柱が二本立てでなくもない、ものの。藤ひろ子御大まで含め総勢八人もの、最早番手の概念すら希薄な女優部を擁するとなると、兎に角遮二無二何が何でも、一人づつ絡みを消化するので結構手一杯。逆からいふと八人分の裸をひとまづ十全に見せきつてゐる点に関しては天晴、もしくはお疲れ様ともいへ、殊に個々の情交に至る過程がべろんべろんにへべれけな、素面の劇映画的な作劇としては面白くも何ともない。尤も、「こら絶好の褌日和だな」。勿体ぶりもせず、ガミさんがシレッと撃ち抜く史上空前の名台詞―迷台詞かも―で火蓋を切る、男根と女陰をそれぞれそのまんま模つた御神体を載せた、神輿を各々褌の男衆と女衆が担いで練り歩いた挙句、祭りのクライマックスでは御神体大合体に至る壮絶な奇祭、その名も「ふんどし祭り」が闇雲なハイライト。演出的な作為の有無は微妙にせよ、俳優部の手放しで楽しさうな風情は威勢よく弾け、現に、男根神体を女陰神体に堂々とブッ挿してのける、どさくさ紛れの豪快なショットには吃驚した。伝統性云々、的な方便なら通るのか。ところで、それともそもそも。幾ら生臭とはいへ、何でまた坊主が御神体を祀るお祭りで破目を外してゐやがるんだ。さういふ些末に、囚はれるべきではこの際なからう。些末なのか、それ。と、ころが。「ふんどし祭り」で一息に駆け抜けて呉れれば、勢ひ任せの力技もキマッたものを。ジュンイチを道化的な導火線に配した構図は秀逸な、辺が一本多かつた四角関係を回収するラストで、映画が普通に失速するのは御愛嬌な尻窄み。倅の不始末を親爺が詫びる的な、文脈が土台如何なものかといふ、翠と村長による締めの一戦。正常位で結合した途端、村長の袴で隠れ安西エリの体が右手足くらゐしか見えなくなる、底抜けに間抜けな画角の濡れ場が、全体を別の意味で見事に象徴する。

 何は、ともあれ。恵まれたタッパと、たぷんたぷんに悩ましいオッパイ。歯を見せるとガッチャガチャのビリング頭を斥け、当サイト的には超絶のプロポーションで最も輝いてゐたマリア茉莉の出演作が、件の「若後家海女 うづく」以外全部ex.DMMで見られるゆゑ、随時出撃して行く所存。
 備忘録< 母娘丼を達成してゐた信夫が、結局尚を選ぶ。と思しき反面、傷心の翠は村を去る


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「愛欲みだれ妻」(1999/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画/監督:今岡信治/脚本:今岡信治/企画:朝倉大介/撮影:鈴木一博/撮影助手:岡宮裕/助監督:小泉剛・吉田修/編集:酒井正次/録音:シネ・キャビン/現像:東映化学/制作応援:小林康宏・大西裕・榎本敏郎/協力:カラオケルーム・タラ/出演:田中要次・諏訪光代・麻丘珠里・永井健・吉沢一子・飯田考男)。監督と脚本の別立ては、簡素に過ぎるきらひも否めない本篇クレジットに従つた。
 配信動画の塩梅によるものなのかも知れないが、いきなり女が泣いてゐる、ブツッとか音の聞こえて来さうなぞんざいな開巻。早くも匙を投げさうになる無闇に安定しないカメラは、チャリンコを漕ぐ女を追つてゐた。相ッ変らず壮絶な画質にも火に油を注がれ、誰が何処にゐるのか暫し判然としかねる、主に珠瑠美の繰り出す荒業・ロンゲストフェードにも似た無間のパンを長く回したのち、治子(諏訪)は行き倒れた飯田考男を見つける。ガソリン切れにつき動けない、と称する飯田考男を治子はスタンド―ノンクレで女の店員が一人見切れる―に連れて行き、スチームパンクみのある尻の給油口から給油、多分金は払はずに。回復すると肌が青銅色になつたキン(飯田)曰く、自らは地下の工場にて製造後一旦処理された、人造人間であるとのこと。謝礼を辞しその場で別れた治子に手を振るキンの、ブロンズの掌にタイトル・イン、は非常に洒落てゐたのに。飯田考男に音読させるのは蛇に生やした足、字ぐらゐ読めんだろ、さういふ観客を信頼するか突き放した態度が、映画のスマートさの肝なのではなからうか。
 元気を装ひ治子が帰宅すると、とかく歩行の不安定な夫の光夫(田中)が勝手にスッ転んでゐたりする、要は全篇を象徴か支配する居た堪れない体たらく。こゝが今作最大といへば最大の謎なのが、各所イントロには治子が子供を産めないとされてゐるものの、あくまで劇中に於いては子宮内膜症であつた旨のみ、治子は光夫に報告する。
 配役残り、麻丘珠里は消火器で玄関の突破を試みてゐると治子が帰つて来る、光夫の浮気相手・あきこ。大概な危機はポケットの中にあつた無料券の当選、だなどとへべれけな方便で、治子と二人でカラオケに行き表面上仲良くなる。何ていへばいゝのかな、不自然な映画しか撮れないのか。永井健は拾つた財布を普通に拝借しようとした治子と、追ひ駆けて来る形で出会ふ落とし主のセイガク・時男。吉沢一子は治子宅ですき焼きを振る舞はれつつ、泊まつて行くのは断じて御免蒙る時男が落ち合ふ加奈。多分時男のアパートにて、普通に関係を持つ仲。二人の後を尾ける治子を、商店街で擦れ違ひざまショルダータックル気味に突き飛ばす、小泉剛ぽい背格好に映る男がもう一人主だつたノンクレ部。
 国映大戦第四十八戦は、腹が立つほど詰まらなかつた今岡信治1999年第一作、通算第四作。話が終つて、しまつてもゐる。
 オーソドックスあるいは在り来りな三角関係が、やがて四角関係に膨らみ、鶴ならぬアンドロイドの恩返しが絡まる。物語自体が面白くも何ともないのは、十万億歩譲るとしてさて措き、限りなく譲れてねえ。肉の付き方が絶妙な中年女をビリング頭に据ゑ、二番手三番手を若いカワイ子ちやんで固める。それなりに粒揃ひの、三本柱を擁した上で。俺―もしくは俺達―だつて撮らうと思へば撮れるんだぜ、とでもいはんばかりに。殊にベッドを這ふカメラワークが見事な、麻丘珠里と田中要次の一回戦を筆頭に絡みは何れも高い水準の正攻法を、展開してゐながら。ことごとく愕然とさせられるほどのド中途で、端折つてみせる裸映画を虚仮にした態度が逆鱗を激弾き。ナメてんのか今岡信治と怒髪冠を衝きかけつつ、それでゐてこの御仁が不思議でもあるのが、フと振り返ると「れいこゐるか」では別に女の裸をウリにする必要がある訳でもない割に、ガチ目の濡れ場を放り込んでみせたりもする辺り。加奈と致す時男のアパート階下の往来から、治子が光夫から求婚され受諾した過去を想起する件。全体何を考へてゐるのか何も考へてゐなかつたのか、在りし日の治子V.S.光夫戦を、劇中現在の加奈V.S.時男戦と同じ部屋で執り行ふものだから、関根和美ばりのノーモーション回想に、気づいた際には時間差で度肝を抜かれた。光夫と治子が、湖的なロケーションにデート。ところが治子が小用を催したため、恐らく野ションの場を探す二人がフレームから外れると、銘々のポラに名前を書いた、何故か筆致から荒木太郎ライクなクレジットが起動する。屁のやうなラストが逆の意味で完璧な、アグレッシブに酷い一作。恐々調べてみたけれど、流石に当年のPGピンク映画ベストテンには入つてゐなくて心から安堵した。

 治子と光夫が、ともに挙動の半数以上が奇行で構成された似た者夫婦。一度は時男に連れて行つて貰つたバー、時男と加奈が二人の時間を楽しむボックス席に、治子が半笑ひでカウンターからミックスナッツを戯れに投げる今でいふ迷惑系シークエンス。店の人間に、治子が半殺しにされ摘み出されるのがあるべきカタルシスではないかと当サイトは思ふものだが、今岡信治は、そんなに観る者見る者の神経を逆撫でするのが楽しいか。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「夜の研修生 彼女の秘めごと」(2021/制作:鯨屋商店/提供:オーピー映画/監督:小関裕次郎/脚本:深澤浩子・小関裕次郎/撮影監督:創優和/録音:山口勉/助監督:江尻大/音楽:與語一平/編集:鷹野朋子/整音:大塚学/監督助手:高木翔/撮影助手:岡村浩代・赤羽一真/録音助手:西田壮汰/スチール:須藤未悠/仕上げ:東映ラボ・テック/協力:望月元気・小園俊彦/出演:美谷朱里・竹内有紀・並木塔子・市川洋・安藤ヒロキオ・竹本泰志・なかみつせいじ・ほたる・折笠慎也・里見瑤子・鎌田一利・郡司博史・和田光沙・須藤未悠・森羅万象)。出演者中、鎌田一利から須藤未悠までは本篇クレジットのみ。
 波止場に何となく佇む主演女優が、三本柱のクレジット起動に続いてママチャリを漕ぎ始める。画面左奥に走り行く、空いた空間にタイトル・イン。上の句に於ける、“夜の研修生”といふのがヒロインを指す訳ではないどころか、女ですらない案外豪快な公開題。
 駒井未帆(美谷)が向かつた先は、幼馴染の両親が営むラーメン屋。大将である鈴木三郎(なかみつ)と―少なくとも娘が禁じてゐる―酒を飲む、父の吉次(森羅)に美帆は角を生やす。こゝでほたる(ex.葉月螢)が、三郎の妻・エツ。この人の新作参加が思ひのほか久し振り、実際の時間経過より随分昔にも何となく思へる、涼川絢音の引退作「再会の浜辺 後悔と寝た女」(2018/脚本・監督:山内大輔)以来。往来から美帆がチャリンコの呼鈴で呼び出す、当の幼馴染・櫂人(市川)が出向いた先が予想外の駒井家戸建。携帯で呼べばよくね?だなどと、潤ひを欠いたツッコミを懐くのは吝かの方向で、つか実家かよ。三人の親達―未帆の母は幼少時に死去―が公認する事実上の婚前交渉的な、濡れ場初戦。モッチモチに悩ましい美谷朱里のオッパイを決して蔑ろにしはしない、小関裕次郎の生え抜きらしい堅実が頼もしい。濡れ場は、頼もしいんだけど。鯖缶工場での働きが認められ社員起用、東京本社での研修が決まつた櫂人を、駅やバス停でなければ、海空問はず港でもなく。美帆が何故か、海辺から送り出す何気に奇異なシークエンス。何てのかな、もう少しナチュラルな映画は撮れないのか。この辺り、小関裕次郎がデビュー三年目にして早くも、それらしきロケーションを用立てる手間暇を端折つて済ます、大師匠筋と看做した場合の語弊の有無は兎も角、今上御大の天衣無縫な無頓着・イズイズムを継承して、しまつてゐる感の漂はなくもない。
 配役残り、一同一絡げに投入される、ビリング順に並木塔子と竹本泰志に折笠慎也、あと鎌田一利から須藤未悠までの本クレのみ隊は、櫂人が一年間厄介になる―予定であつた―本社営業部の野島礼香と営業部長である池井戸雅也に遠藤、とその他頭数。休みの取れた美帆が上京して櫂人の下に遊びに行く、ウッキウキの予定を立てた途端、放埓な不摂生の祟つた吉次が深刻に昏倒。馬鹿デカいウェリントンとナード造形が気持ち井尻鯛みたいな安藤ヒロキオは、駒井家に通ふ往診医の原田良雄。礼香と池井戸の社内不倫を、櫂人が目撃。する件もする件で、一緒に外回りに出る筈の遠藤に、別件の電話が入る。なので一人で先に出る形になつた櫂人が、会議室のドアを開ける意味が判らないのだが、ロッカーでも兼ねてゐるのか。プリミティブなツッコミ処はさて措き、後日据膳に箸をつけず―池井戸との関係を―終らせても忘れさせても呉れなかつた、櫂人に礼香が拗らせる悪意を火種に、池井戸の姦計で櫂人は横領の濡れ衣を着せられ解雇。自由気儘な会社だなといふ顛末のぞんざいさもさて措き、竹内有紀は失意の櫂人に対する文字通り拾ふ神、離婚したての木下笑子。慰謝料代りの、持ち家に櫂人を転がり込ませる。
 OP PICTURES+フェス2022に於いて第六作がフェス先行で上映されてゐるのが、フェス先ならぬフェス限になるまいか軽く心配な、小関裕次郎通算第四作。何せ今や月に封切られるのが一本きりゆゑ、R15+で下手にまとめて先走られると渋滞を強ひられるピンクが追ひ駆けるのにも苦労する、映画の中身とはまた次元の異なつた、現象論レベルでの本末転倒。どうも昨今、我ながら憎まれ口しか叩いてゐない風にも思へるのは気の所為かな。
 都会と海町に離ればなれNo No Baby、遠距離恋愛を描いた一篇。に、してはだな。吉次が担ぎ込まれた病院から、憔悴しきつてとりあへず帰宅した美帆を、東京にゐる筈の櫂人が待つてゐたりしてのあり得ない甘い一夜。を、美帆の―この時点で櫂人は吉次のプチ危篤を知らない―淫夢なのか有難く膨らませたイマジンなのか、満足にも何も、一切回収しない大概な荒業にはグルッと一周して畏れ入つた。尺の大半を無挙動回想が何時の間にか占めてゐたりする、関根和美に劣るとも勝らない驚天動地、凄まじい映画撮りやがる。特に面白くも楽しくもないものの、絡み込みで丁寧な作りではあつたのが、箆棒な初手で足ごと吹き飛ぶ勢ひで躓き始めるや逆向きに猛加速、逆噴射ともいふ。背景に東京タワーを背負つた、櫂人が礼香に所謂“女に恥”をかゝせる一幕。最初は雪でも降つてゐるのかと目を疑つた、余光の浮き倒す節穴にも明らかな低画質も果たして激しく如何なものか。恐らく、他のパートとは異なる―簡易な―機材で撮つてゐたのではなからうか。そし、て。限りなく三番手にしか映らない、二番手の第一声。流れ的には当然社宅も追ひ出され、仕事どころか住む家すら失ひ、橋の上にて見るから危なかしい佇まひで黄昏る、櫂人にかけた言葉が「こゝぢや死ねないよ」。幾らある程度より踏み込んだ判り易さが、プログラム・ピクチャーにとつて一つの肝にせよ。深澤浩子と小関裕次郎、何れの仕業か知らないが令和の世に、斯くも使ひ古された台詞書いてみせて恥づかしくはないのか。等々、云々かんぬん。これだけ言ひ募つて、まだ止(とど)めに触れてゐないのが今作の恐ろしさ、とうに致命傷は負つてゐるといふのに。亡骸の四肢をバラバラに損壊する驚愕の超展開が、選りにも選つて一時間も跨いだ土壇場通り越して瀬戸際でオッ始まつた、締めの濡れ場。を介錯するのが市川洋ではなく、よもやまさかのEJDライクな安藤ヒロキオ。さうなると確かにその時々は藪蛇としか思へなかつた、闇雲な原田フィーチャが力づくで回収されてはゐるともいへ、「櫂人ぢやないんだ!?」と突発的に発生したスクランブルなスリリングに、もしやKSUは2021年当時フィルモグラフィの、半数でパイロットをブッ放すつもりかと本気で狼狽した。十年くらゐ前、実は既に貰つてゐた指輪を櫂人に返した美帆が、勝手に吹つ切れて新たな人生を歩き始めるラストは木に首途を接いだ印象を否めず、ついでで美帆が小学四年の時に亡くなつた、亡母・トキコの遺影役とされる里見瑤子がピンクには影も形も出て来ない。大分長いタス版が如何なる帰結を辿つてゐるのか、知らない以前に興味もないが、七十分を費やしてなほ話を満足に形成さしめ損なふやうな心許ない体たらくでは、小関裕次郎の量産型裸映画作家としての資質も、俄かか本格的に疑はざるを得ない消極的な問題作。竹洞哲也に似たコケ方を小関裕次郎がしてゐるやうだと、とんと名前さへ見聞きしない小山悟が発見されるか森山茂雄―が真の切札、最強の―が蘇りでもしない限り、本隊を守る今世紀デビューのサラブレッドが、加藤義一唯一人となつてしまふ流石に怪しいか厳しい雲行き。と、いふか。えゝと、お・・・・小川隆史とか、な・・・・中川大資(;´Д`)


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )