真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「偏差値 H倶楽部」(昭和62/製作:フィルム・シティ/提供:にっかつ/監督:すずきじゅんいち/脚本:菅良幸/原作:愛川哲也《実業之日本社・週刊漫画サンデー連載》/製作:福岡芳穂/プロデューサー:鶴英次/企画:塩浦茂/撮影:志賀葉一・三浦忠・中松俊裕/照明:岩崎豊・斉藤久晃・小野英仁・佐藤武/音楽:田村俊介/編集:鈴木歓/助監督:渡辺努・秋山豊・荒木太郎・片岡亨/メイク:大西聖子/スチール:石原宏一/車輌:東京ロケサービス/現像:IMAGICA/録音:ニューメグロスタジオ/製作担当:中村哲也/製作進行:井上淳一/出演:杉田かおり・山上千恵子《新人》・菊次朗・手代木曜祐・鳥海俊之・当山彰一・遠藤沙弥・高橋靖子・清水大敬・沢田遊吾)。
 愛川哲也のイラストでタイトル開巻、ブルーバックにクレジットが入る“とある町に新任の先生がやつて来る・・・・”。それ、要る?兎も角翌陽高校に赴任する、立花美由紀(杉田)がポンポン小舟の舳に立つファースト・カットに大悶絶。家族ゲームかよ!と脊髄で折り返すまゝツッコんでみせたところで、そろそろ伝はらない世代の方が過半数を占めて来るのかも知れないけれど。明治大正はおろか、昭和さへ―家族ゲームが58年―遠くなりにけり。閑話休題、“北総の小江戸”として知られる水郷・佐原(千葉県香取市)ら辺に美由紀が上陸すると、然程悲壮感は感じさせない悲鳴が。すは美由紀が駆けつけると、セーラー服女子高生の観音様に、御丁寧にもギターまで背負つたカウボーイ扮装の男が手を突つ込んでゐる。美由紀はカウボーイを圧倒、女子高生を逃がすが、カウボーイは翌陽の熱血教師・久米幸一(沢田)で女子高生は久米が担任の、盗んだ菓子をパンティの中に隠した万引き常習犯のトシ子(山上)だつた。
 配役残り手代木曜祐は、無闇に身体能力の高い翌陽のリーゼント・雷三。本多抜きの菊次朗は体育倉庫にて、巧みな指戯で女子高生(遠藤)を責める風間俊一で、鳥海俊之がそれを見てゐるだけの小林賢。賢は美由紀が下宿する、「佐久間旅館」の倅でもある。清水大敬とa.k.a.亜希いずみの高橋靖子は、翌陽の校長と、校長室で毎朝豪快な不倫の逢瀬をキメる、担当科目不明の園田まり子、美由紀は多分国語かな。亜希いずみが清水大敬のアクと圧の強さに一歩たりとて引けを取らず、絡みが竜虎相搏つ凄い迫力。最前列にウルトラ可愛い娘がゐる3A要員のほか、荒木太郎が生徒部で無駄に都合二度見切れるのも通り越し、明確にピンで抜かれるのには全体何の意味があるのか。美由紀と久米の大絶賛青姦を匍匐前進で覗きに来る、大部屋系いはゆるイイ顔の警察官は不明。当山彰一は恋も職も失ひ失意の美由紀に、新天地をもたらす聖フェラチオ学園のイケメン高校生、聖フェラチオ学園て。気を取り直して当山彰一がex.大野剣友会、目下も郷里の沖縄で活動中。最終的には映画ごと流れ過ぎて行くプログラムピクチャーの領域にあつて、芸歴の長い現役勢を見かけると偶さかホッコリする。
 主演三本と二番手一本、実働大体一年の短い活動期間を駆け抜けた―アダルトビデオもあるらしい、狂ほしく見たい―絶対巨乳・杉田かおりの最終戦は、昭和56年にデビュー後、59年にはにっかつを既に離れてゐるすずきじゅんいちの昭和62年第二作にして、通算第九作。原作は、名前も画にもまるで覚えのない愛川哲也の青年マンガ。といふか今回初めて知つたのが、若年層のロマポ離れ対策にマンガを原作に戴いた「コミック・エロス」企画の一角として、今作は「若奥様のナマ下着」(製作:雄プロダクション/監督:石川欣/脚本:加藤正人/原作:大地翔/主演:小沢めぐみ)・「HOT STAFF -快感SEXクリニック-」(製作:フィルム・シティ/監督:加藤文彦/脚本:岩松了・加藤千恵/原作:大島岳詩/主演:岸加奈子)との三本立てで封切られてゐる。そんな企画あつたんだといふのと、幸か不幸か双方ex.DMMで見られるゆゑ、ぼちぼち一回忘れて思ひだした頃合ででも見てみる。
 ほどなく―翌年六月―ロマポ自体が終焉し、「コミック・エロス」は結局一発限りの徒花企画。それでは、もしくはところで。マンガ原作で如何なる買取系が仕上がつたのかといふと、ほか二作は未見につき知らないが、まあこれが、直截にマンガみたいな映画なんだなあ、どちらかといへばいい意味で。青春アディクトの久米を筆頭に戯画的なキャラクター造形と、実写でやつてのけるのは如何せん些か厳しい、クリシェやテンプレも恥づかしくて顔を隠すにさうゐないコッテコテな描写のオンパレード。怪我の功名で面白いのが、最終的には御愛嬌かぎこちないお芝居が他を圧倒する美貌に追ひつかない、杉田かおりがそのマンガマンガした世界に奇跡のフィット。家風呂にしか見えない佐久間旅館の浴場、歌まで下手な美由紀が「兎のダンス」を歌ひながら、お乳首様なり御御トリスを「チョンチョン♪」と戯れに突いて喜悦に軽く震へるゴミのやうなシークエンスが、何故だか素晴らしくて輝かしくて仕方がない。久米の出自を知り破天荒な岡惚れを爆起動させるまり子と、美由紀がまさかのスピリチュアル対決で激突する驚愕の超展開クライマックスには、流石に素面で呆れ返つた、もとい度肝を抜かれた。ところが、あるいは寧ろ。馬鹿馬鹿しい限りの一幕を突破した果てで、真面目にギアをトップに入れたすずきじゅんいちが堂々とした正攻法で撃ち抜く、杉田かおりと沢田遊吾の濡れ場は手放しで比類ない完成度。そして高橋靖子と山上千恵子に並走させる、ジェット・ストリーム・アタックも裸映画的に全く以て磐石。幾ら何でも粗雑な一件の結末から、オーラスはよもやまさかのアマゾン。豪快な着包みみをも繰り出した上で、締めも愛川哲也の美由紀イラストに“つづく”とか締め括つてのける邪気のないふざけ具合が、グルッと一周して百点満点。尤も、当初はもしかすると本気で続篇も視野に入れた心づもりか皮算用であつたにせよ、結局、続きはしなかつた。のだが、概ね半年後に矢張り愛川哲也の原作で、本隊ロマポの「小林ひとみの令嬢物語」(昭和62/監督:池田賢一/脚本:斉藤猛/主演:小林ひとみ)が製作されてゐたりもする。のに加へ、実は「偏差値 H倶楽部」の以前にも、「部長の愛人 ピンクのストッキング」(昭和61/製作:ニューセンチュリー・プロデュサーズ/監督:上垣保朗/脚本:木村智美/原作:本間正夫・愛川哲也/主演:水島裕子)が先行してゐるとなると、この頃、もしかすると愛川先生はプチ篠原とおる的な状態なり扱ひにあつたのであらうか。とまれ、マンガみたいな六十分強をサクッと見させて、あとには一欠片の余韻も残さない。ラーメンでも、食つて寝るか。といふのもそれはそれで、娯楽映画のひとつの到達点であるやうに、常々思へる。

 付記< 「小林ひとみの令嬢物語」のポスターに、“COMIC・EROS”の文言は一切見当たらない


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「令嬢レズ学園」(昭和62/製作:《株》フィルムキッズ/提供:にっかつ/監督:池田賢一/脚本:出海悦子/プロデューサー:千葉好二/企画:沖野晴久/撮影:遠藤政史/照明:隅田浩行/編集:鵜飼邦彦/助監督:鎮西尚一/製作担当:松本洋二/音楽:田中良二・西田和正/スチール:石原宏一/メイク:庄司真由美/録音:ニューメグロスタジオ/現像:IMAGICA/色彩計測:富田伸二/監督助手:常本琢招・遠藤聖一/撮影助手:林誠/照明助手:古屋熱・河野幸夫・高原賢一/製作進行:大工原正樹/出演:杉田かおり・河村みゆき《新人》・山口麻美・清水舞・山路和弘・本木直招・上田耕一)。
 にっかつロゴにキンコンカンコン、女子高「聖カトレア学園」に赴任した雨宮聖子(杉田)が、化粧室にて軽く身繕ひ。いきなり躓くのが杉田かおりに、アップの髪型が似合はないんだな、これが。聖子が気づいた、異音の源は個室。真野貴子(清水)のスカートの中から現れた早乙女茉莉子(山口)が、バイブを挿入まではしない程度に宛がふ。茉莉子と貴子が攻守交代、隣の個室に入つた聖子は聞こえよがしに水を流し、よもや鍵をかけてなかつたのか、二人の個室にお早と突入。落としたジョイトイを拾ひ、止めた上で没収しもせずに返した麗子は、授業が始まるはよと促す。劇伴起動、ダサいシンセがズンドコ鳴り、映画を安くする。茉莉子・貴子と同じクラスの白鳥ユリカ(河村)が、パンこそ咥へてはゐないがいはゆる「遅れちやふ」登校。既に閉ざされた校門を突破、グラウンドを横切るロングにタイトル・イン。ズンドコ鳴るダサいシンセに話を戻すと、個人的な体感では、当時からダサかつた風に覚える。
 配役残り、ある意味華麗なる第一声が「何年ぶりですかなあ?貴女のやうな美しい女性の赴任は」。上田耕一は、カトレアの上品ぶつて清々しく下卑た教頭・上田。上田から受け持つクラスに紹介された麗子は、教室に忍び込んだユリカに歩み寄り、サシで挨拶する。普通の頭数ゐる女生徒部に関しては、豪快にクレジットレス。正味な話、岡田謙一郎の娘みたいな河村みゆきよりも、可愛い娘はゴロッゴロ見当たる。如何にも80年代風ライトなハンサムの山路和弘は、姿を消すが如く越した麗子を、追ひ駆けて来た事実上ex.不倫相手の根岸耕一、何某か文筆系。常本琢招の変名である本木直招は、ユリカの彼氏・山本徹。首からカメラをぶら提げてゐたりなんかして、広木隆一昭和61年第三作「SM教室・失禁」(脚本:加藤正人/主演:沢口久美)に於ける造形と限りなく殆ど全く同じ。確認出来てゐるだけで本木直招のフィルモグラフィーはS失と今作に、同じく広木隆一の昭和63年第一作「菊池エリ 巨乳責め」(脚本:石川欣/主演:菊池エリ)。粗い口跡が何をいつてゐるのか判り辛い点を除けば、所詮一つきりの抽斗ともいへキャラクターは悪くなく、本職演出部越境組としては全然マシな部類。
 杉田かおり第三戦は、池田賢一の昭和62年第二作にして、通算第三作。昭和末期に助監督修行からキャリアをスタート、となると入社サラブレッドか。本隊・買取込み込みでロマポを計四本発表後、約十年空けてVシネ二本。池田賢一、今何処。
 尺から六十四分で、頭数も女優部が一人多いのみ。画の厚み以外、ピンクと然程どころでなく変らない。物語らしい物語が、起動する訳でも特にない。麗子とユリカがともに根岸なり徹と少なくとも表面的には普通に関係を持つゆゑ、バイなのか偽装バイの真性ビアンなのか、主役二人のセクシャリティは不鮮明。そもそも、ビリング頭の女教師と百合の花を咲かせる生徒が、何故か岡謙フェイス。笑ふな、加速する。濡れ場も濡れ場で、別の意味で淫らな思はせぶりな遣り取りに血肉は通はず、麗子と根岸の最終戦、雑に後背位に移行する、ぞんざいな繋ぎは一応端正ではある始終の中、一層際立つ。等々と書き募ると漫然としかしてゐないやうにも映りかねない、ものの、ひとまづ十全に愉しませる杉田かおりの超絶裸身が、今作を首の皮一枚救ふ命綱。フッ切れた麗子とユリカが私服のまゝ、上田が仕切るホームルームにスケボーで乱入、学級がポジティブに崩壊するシークエンスの清々しさ、ではなく。ユリカとの根も葉もある噂のたつた麗子を呼び出した上田が、苦言を呈するものかと思ひきや、「男の本当の良さを知れば」、「レズなんて子供の遊びに走ることもないでせう」とか手篭めにする、新田栄ばりにスッコーンと出し抜けに抜ける底が、方角の正否はさて措きベクトルの最大値。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「タイム・アバンチュール 絶頂5秒前」(昭和61/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:滝田洋二郎/脚本:高木功/プロデューサー:沖野晴久/企画:作田貴志・吉田格/音楽:藤野浩一/撮影:志賀葉一/照明:田島武志/録音:佐藤富士男/美術:川船夏夫/編集:山田真司/選曲:細井正次/効果:東洋音響/助監督:石田和彦/監督助手:後藤大輔・北川篤也/撮影助手:小川洋一・猪本雅三・中川克也/移動効果:南好哲/照明助手:高柳清一・額田賢一・本橋義一・松島五也・重田全史/録音助手:岩倉雅之/編集助手:渡瀬泰英・土井由美子/装飾:小泉武久・土屋栄次・工藤聡代《日本映像装飾》/衣裳:山田有美《東京衣裳》/結髪:山根末美《山田かつら》/記録:坂本希代子/スチール:野上哲夫/刺青:霞涼二/現像:IMAGICA/製作担当:田中亨/製作進行:近藤伸一/プロデューサー補:両沢和幸/出演:田中こずえ・杉田かおり・若菜忍《86'コンテスト1位》・木築沙絵子・野上祐二・佐藤恒治・荒木太郎・ジミー土田・渡辺一平・池島ゆたか・上田耕一・螢雪次朗)。
 女の左手薬指に、男が指輪を通す。何処ぞの商事会社人事課に勤務する田中悦子(田中)に、課長の小宮真一(野上)が求婚。悦子は脊髄で折り返して受諾、見詰め合ふ二人にサクッとタイトル・イン。本篇突入は婚前交渉、画面のルックが正直ピンクとは違ふのと、たをやかな主演女優の肢体に穏やかなエモーションが爆裂する。完遂したのち、枕元のラジオが臨時ニュースを喋りだす、声の主には辿り着けず。内容がまさかのジャストその時間に起こる悦子の失恋で、お相手も小宮。豆鉄砲を被弾した当事者二人がぺちぺちラジオを叩いてゐると、目覚ましが鳴る豪ッ快な夢オチ。チェルノブイリ型のロシア風邪―あんまりだろ、昭和―をひいた悦子がやんぼり出社してゐると、経理課の仲良し・田島直子(杉田)が悦子から借りてゐた『タイムマシン』(まあウェルズだろ)を返す。片思ひの小宮を見つけた悦子は、偶さか元気に。池島ゆたかが先に帰り、お目当ての小宮と二人きりの残業に漕ぎついたと悦子が小躍りしかけたのも束の間、小宮も矢継ぎ早に帰る。肩を落とし退社しようとした悦子は、物音に覗いてみた人事課で、あらうことか小宮と直子がキスしてゐるのを目撃する。
 さてここで、轟然と火を噴く弟弟子・渡邊元嗣―当時は渡辺元嗣名義―ばりの超風呂敷。傷心のワンマンショーに狂ふ悦子と、2001kHzに合はせられたラジオが共振。悦子は全裸のまゝ愛猫のマイケルも一緒に、第二次関東大震災で荒廃した2001年の東京にタイムスリップする。配役残り螢雪次朗は、刑事あがりの私立探偵・岡野。謎のマッドマックス的なオフ車の鎧武者に追はれた悦子が、エンコした岡野のビートルに逃げ込む形でミーツする。佐藤恒治が幼少期父親に彫つて貰つた刺青男・ヨウイチで、木築沙絵子が箍の外れたカチューシャがトレードマークのヨウイチ彼女。ヨウイチとヨウイチ彼女にもう若干名、昭和61年時の子役部も登場する。川奈忍のアナグラムみたいな若菜忍は、岡野の息子でタイムマシンを研究するタケル(荒木)の彼女・さやか。上田耕一は、仕事と称して探偵事務所に泊り込み、助手として雇つた悦子との生活を始めた岡野を訝しんだ、細君(田中こずえの二役)に雇はれた興信所の逆探偵。大問題が、競泳選手が邪魔で手も足も出ない渡辺一平はこの際さて措くにせよ、あのジミー土田が何処に出てゐるのかが全く以てサッパリ一欠片たりとて判らない。あんなに特徴しかないやうな人であるにも関らず、臭さうな箇所を再度見直してみても矢張り見当たらない。声を発すれば勿論、少々のロングでも、足の短さでその人と知れさうなものなのに。
 杉田かおりのオッパイに惹かれて喰ひついた滝田洋二郎昭和61年第五作―第一作が「コミック雑誌なんかいらない!」―は、買取系六本を経ての初本隊ロマポにして、滝田洋二郎にとつて最後の量産型裸映画。ところがこれが、直截にいふと弾け損なつたナベ並の惨憺たる出来。昭和61年パートこそロマポらしい厚みのある画を見せるものの、俳優部にトンチキな扮装をさせるのが関の山で、2001年近未来の描写に関しては根本的なセンスの有無を疑ひたくなるほどの大も通り越したクッソ惨敗。岡野が悦子と普通に出会ひを果たす、双方向にそもそもな不自然。ここで双方向といふのは、心身ともすつかり別人の嫁役を、女優部で別立てしないでは展開が画的にどうにもかうにも成立しない。それ以前に2001年が、だから成り立つてゐないのだけれど。悦子を1986に帰さなくてはならない必然性も兎も角、藪蛇な悦子の懐妊兆候。そしてヨウイチも悦子ともに昭和61年に戻すに至つては、何の意味があるのか皆目見当もつかないのに加へ、ついでに悦子とヨウイチの周波数が同じとなると、タケルがユリイカした時間転位理論自体も前提が怪しくなる始末。土台タケル自体が、大概な機械仕掛けの神様。面白くない詰まらないどころか、ツッコミ処か疑問点ばかりで、満足に物語が頭に入つてすら来ない。つい、でに。くさめがタケルが悦子のタイムトラベルを認識する契機としてはまだしも、悦子と髭岡野の小屋に於ける思はぬリユニオンは、あれそんなにロマンチックか?挙句精々上田耕一が戯画的な顔面の濃さで気を吐く程度で、本隊作の割に、コミタマ×サブ×影英―小見山玉樹と庄司三郎に影山英俊―らロマポが誇る曲者揃ひの芳醇な脇役部さへ不発。
 寧ろこの際、素の劇映画なんぞ捨ててしまへ。形大きさともに超絶の絶対巨乳でエターナルを撃ち抜く杉田かおりに、田中こずえが勝るとも劣らない。オッパイ以外は全体的にシュッと締まつた杉田かおりに対し、より女性的な柔らかみに溢れなほかつタッパにも恵まれたプロポーションに、素晴らしいと美しいといふ以外の言葉は要るまい。絶頂の弾みで2001年に飛んだ悦子が意識を取り戻すのは、「桃色身体検査」(昭和60/主演:滝川真子)でも見覚えのある多分環状通路を走る、ブルペンカーみたいな遺体ストレッチャー、に載せられた仏の上。シーツをヒッ掴んだ悦子が小脇にマイケルを抱いて、ストレッチャーからひらりと飛び降りるムーブは琴線を激弾きする神々しいまでに麗しい奇跡の名カット。さうも、いへ。ビリング頭二人がもたらす至極の眼福にたゆたふだけならば、枝葉の繁雑な七十六分は如何せん長過ぎる。截然と開き直つた、女の裸しかない六十分の方がまだマシだ。逆から、あるいは雑にいへば。斯様に漫然としたファンタ、ナベでも滝田洋二郎を超える目は決してなくはない。滝田滝田と有難がる御仁に、改めて冷静に見て欲しい一作。といふか、まゝよハッキリいふたろか。あのな、今作をナベの映画ぢやいふて見せたら、こんなら普通に腐すぢやろ。

 オーラスは公園的なロケーション、飯の食ひ方で他愛なく喧嘩する悦子と岡野から、グーッと引いたカメラが軽く回り込むとそれを遠目に見守る老いた悦子と岡野が現れ、接吻するのがラスト・ショット。締めは洒落てゐるといふのと、一見時空を歪めるカメラワークについては劇中スチールを差し挿むタイミングで、実はどうとでもなる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「現役女子大生 下半身FOCUS」(昭和61/製作:《株》マイルストーン/配給:株式会社にっかつ/監督:北沢幸雄/脚本:田辺満/企画:野路孝之《マイルストーン》/プロデューサー:奥村幸士《につかつ》・北島肇《マイルストーン》/撮影:倉本和比人/照明:石部肇/音楽:THE・金鶴/編集:金子編集室/助監督:渡辺努・荒木太郎/撮影助手:佐久間栄一/照明助手:佐藤才輔・磯貝幸雄・阿部靖/監督助手:若月美廣/製作進行:見広哲也/メイク:小野洋子/車輌主任:田島政明/スチール:矢沢俊彦/効果:協立音響/録音:ニューメグロスタジオ/現像:IMAGICA/撮影協力:熱海ビレッヂ・駒込ホテルアルパ/製作協力:《株》ソック/出演:杉田かおり《新人》・六本木舞・岡田きよみ・伊藤清美・松田知美・夏樹かずみ・仲山みゆき・神谷琴絵・岡本賀恵・相本燿子・岩下由美・斉藤道子・古川映美・村松ミチコ・野中文・山中孝子・今福平節・府中本町啓太郎・除福健・四ノ宮浩・高橋裕哉・鶴岡修・石部金吉・大谷一夫・伊藤つとむ・ぶるうたす《特別出演》・野上正義)。
 ファースト・カットに飛び込んで来るのは、予想外の仲山みゆき、が常着とする黄色いレオタードで。ワチャワチャ姦しい、漢字不詳のハクセン―白泉辺り?―女子大自動的に女子寮食堂。国民宿舎を、裸映画の撮影に貸して呉れるんだといふのに軽い驚きを覚える。げに大らかなり、昭和。大軍の女優部に交じり、山本晋也みたいなチョビ髭も生やした、寮生からはオッチャンと呼ばれる寮長(野上)が忙しなく見切れる。新入生のアサイユミ(杉田)が、同室の先輩(岡田)と席に着く。その他明確にフィーチャーされるのは、愛人業で巻き上げた金を、黒人に貢ぐフナコ。とユミに百合全開な色目を使ふ田中真紀子似が、ビリング推定で松田知美と夏樹かずみか、多分夏樹かずみがフナコ。ユミが会釈するもスルーされる、物静かなカヤマミホが六本木舞で、食事中でさへワンマンショーに狂ふ、幾ら何でもへべれけな造形の伊藤清美。文字通りの俗物図鑑な一同を、改めて抜いた上でタイトル・イン。ある意味順調に、散らかつてまるで纏まらないアバンに軽く匙を投げる。
 碌な物語も起動しないゆゑ、辿り着ける限りの配役残り。a.k.a.清水大敬の石部金吉は、一時的にユミを追ひ出し自室にて売春を営業する、岡田パイセンの客。ホテトルならぬ女子寮トル、と掻い摘むと斬新ではある。問題が、ムキムキマンと双璧を成すマッシブ芸人のパイオニア・ぶるうたす。阪神タイガースの法被で女子寮に乱入、自堕落に燥ぎ倒す正体不明の奇人。よしんば時代の所為とも擁護し得るにせよ、この人の芸は斯くも酷かつたのかと、この期に及んで呆れ果てた。当サイトも当サイトで、この期に及ぶにもほどがある。大谷一夫か伊藤つとむは、岡田パイセンの部屋を中心に女子寮を覗いては、いはゆる賢者タイムに女子大生を小馬鹿にした短歌を詠む高校生。鶴岡修は、人類史上最悪の大罪でおメガネ―鬼ダサいメタルフレームのボストンではあれ―を捨てコンタクトに移行したユミに声をかける、『週刊グラフティ』の記者・近藤。もしかすると、この頃には日活を退社してゐたのかも。男にフラれたとオッチャンに泣きついては、自動的な勢ひで尻を向け突かれる後背位チャン(超絶賛仮称)は、矢張りビリング推定で神谷琴絵か、岩下由美までが女湯で脱いでゐる筈。伊藤つとむか大谷一夫は、柏崎からユミに会ひに来た、ユミの中では元カレ・ヤマキ。エキストラ部の男名は、ザッと見グラフティ編集部要員くらゐしか見当たらない。姿形は捉へられないが、近藤に来客を告げる声は荒木太郎。北沢幸雄二作後と並べてみるに、荒木太郎がここで用ゐてゐる変名は今福平節か除福健に絞られて来る気もしつつ、別個の名義を濫用してゐる可能性を留保すると、矢張り依然不明。無闇矢鱈な、量産型娯楽映画の底知れぬ、あるいは底の抜けた奥深さ。
 北沢幸雄昭和61年第五作は、全四作の買取系ロマポ第一作。一言で片付けると、軟派な企画に寄り切られ漫然とした一作。翔んだ女子大生の性態をうつらうつら、もといつらつら連ねる羅列は、直截にウンともスンとも面白くない。木に竹すら接ぎ損なふぶるうたすと、終始オナニーしかしてゐない伊藤清美は枝葉の極み。そんな中でもエターナルな輝きを放つのが、公称Dカップといふのがもう少しありさうにさへ映る、形も超絶美麗な杉田かおりの絶対巨乳。中盤轟音の煽情性を撃ち抜くユミのヤマキ×近藤二連戦は、それで駆け抜けて呉れれば万に一つで立つ瀬もあつたものを。ユミが一皮剝ける過程、といつた趣向の展開である旨は酌めなくもないにせよ、近藤とのアバンチュールに、退寮するミホを絡めた終盤は再び軟弱に失速。近藤にケジメをつけて来たユミが、街中で短歌クンと再会するラスト。短歌クンは馬鹿だからで済ます女子大生に自殺が少ない訳を、ユミが判つたと切り出すのでこれは一発大逆転かと身構へた、ものの。結局言語化しはせず短歌クンを煙に巻くだけ巻くのには、答へないのかよ!と渾身のツッコミが爆ぜた。二人を結構な高さの俯瞰でズームアウトしたカメラが、適当なロングにパンするラスト・ショットが、徹頭徹尾ピリッとしない始終を、尺が満ちただけの理由で締め括る、だから締まつちやゐないんだけど。

 以前に吹いた与太の、誤りを認めて訂正する。少なくとも、あるいは今のところ。北沢幸雄作の音楽担当のみでちらほら見かけるエディ・みしばが、幾らエディでみしばとはいへ、何処からどう聴いても三柴理(ex.三柴江戸蔵/a.k.a.エディ)には聞こえない、との結論に一旦達した。とこ、ろが。今作の音楽担当が、THE・金鶴。THE・金鶴といふのは、佐々木TABO貴(当時有頂天)と三柴理(当時筋肉少女帯)で昭和59年に結成―のち三人組―した、劇伴制作や無声映画のライブ上映を宗とする、目下も普通に活動中の音楽ユニット。金鶴の名前も出て来た以上、エディ・みしばは三柴理で確定。開き直るが何れにせよ1mmたりとて前に出て来なければ響きもしない、マキシマムによくいふと粛々と本篇に従ふ、全く以てニュートラルか凡庸な映画音楽である。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「OLハンター 女泣かせの指」(昭和61/製作:ローリング21/配給:株式会社にっかつ/監督:北沢幸雄/脚本:田辺満/プロデューサー:千葉好二《にっかつ》・北条康《ローリング21》/撮影:仲田善哉/照明:石部肇/音楽:エディみしば/編集:北沢幸雄/助監督:荒木太郎・上野俊哉/撮影助手:佐藤和人/照明助手:佐藤才輔/効果:東京スクリーンサービス/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/ネガ編:金子編集室/車輌主任:田島政明/スチール:田中欣一/出演:瀬川智美《新人》・岡田きよみ・望月まゆみ・野上正義・大山潤次・尾崎祐介《子役》・ヒロ田島・谷津正行・長州刀・除福健・斎藤之寿・今福平節・上野俊也・吉沢浩美・田辺満・劇団 火の鳥・武藤樹一郎)。ネガ編だなんて端折るクレジット初めて見た、一文字だけぢやないか。
 開巻に飛び込んで来るのが、まさかの荒木太郎。ゴミを漁るレス・ザン・ホームな荒木太郎の画に、クレジット起動。jmdbでは昭和58年俳優部の記載が最初―演出部だと60年―だが、dgojのプロフィールによると昭和56年に俳優部、58年に演出部としての活動をスタートさせたとある。閑話休題、三時の方向からフレームに入つた白いヒールの女の足が歩を止め、再び歩き始める。女を尾ける、男の黒い革靴の足元。踏切に軽く追ひ詰められた女の、悩ましい透けブラを完璧に押さへた上で、小走りで逃げる背中にタイトル・イン。
 高橋直子(瀬川)をストークしたのち帰宅する松岡稔(武藤)を、窓から「お帰りなさい」と迎へる女の声。配役残り、何気にジャスティスな美乳を誇る岡田きよみは、松岡のアパートに来てゐた交際五年の婚約者・ヨーコ。望月まゆみと恐らく大山潤次は、松岡の同僚、男の方の固有名詞はキクチ。望月まゆみの派手めな化粧と時代の波に沈んだパーマ頭が、如何にもこの頃の三番手スメルを爆裂させる。野上正義は、デパガである直子の上司、兼不倫相手の尾崎。勤務中直子に江川―卓―の話を振るのが、逢瀬の符牒なのか何なのかよく判然としないのは、直截に枝葉に映る。尾崎祐介は、尾崎の小学校低学年程度の息子。流石に齢が合はず、世界観―なら当時一才―ではない。その他潤沢な頭数は主に直子・松岡双方の職場部と、直子がよく使ふコンビニ部、田辺満や上野俊哉は視認不能。アバンとラストを任される重用ぶりを見るに名前は並んでゐるにさうゐない、荒木太郎の変名も不明。
 北沢幸雄昭和61年第七作は、買取系ロマポ第二作。第三作がex.DMMの隠れた得意技で、何故か脚本家・斉藤猛の名前でタグづけされてゐたりもしつつ、四本全部見られる僥倖は、有り難く享受する。にっかつ公式のプレスシートに於いて、北沢幸雄が“ピンク映画の西村昭五郎”とか評されてゐたといふのが激しく琴線に触れる。いひたいことも判らなくはないにしても、全く以て似て非なるにもほどがある。表面的な硬質さは兎も角、コアな部分では、西村昭五郎と比べると北沢幸雄は余程柔らかいか、ウェットであると思ふ。
 そもそもの顛末もスッ飛ばし、直子に松岡が無防備に付き纏ふにほぼほぼ終始する始終は、暫し満足な物語の起動も凡そ窺はせない。松岡の偏執の源に、所謂マリッジ・ブルー的な解釈も成り立つにせよ、結婚して所帯づいたキクチを望月まゆみが気軽に揶揄する程度で、外堀は殆ど全く埋められない。直子に対する姿を隠しもしない松岡の尾行に、フルスイングで広げる―勿論エロい―イマジンの大風呂敷をカットバックさせる一頻りは、グルッと一周して無邪気なほどの馬鹿馬鹿しさが、映画を壊してしまふ寸前のツッコミ処。とこ、ろが。配偶者に怯えた尾崎が、関係の清算を無体に切り出して以降の終盤が猛加速。親爺と花火をしようとしてゐた倅に接触した直美は、血相を変へた尾崎の手を掴み観音様に触らせると「最後のプレゼント」、「火遊びの仕方教へて呉れて有難う」。空前絶後に粋な、別れの名台詞には痺れた。その後何時ものコンビニにて適当に買物した直子が、世間は夏祭りに浮き足立つ中、東京音頭を口遊みながら泣くありがちなシークエンスがなほのこと一撃必殺。要は元から底抜けに低い知能が刻一刻と経年劣化を加速させてゐるからなのだけれど、エモーションなんて、寧ろベタならベタなほどいいのではなからうか。本来クライマックスたる、直子と松岡による雨中の一戦は、拭ひ難い特機感も否めないものの、再度飛び込んで来た荒木太郎を、トレンチの下は全裸な直子が、路地裏の行き止まりに誘ふラスト。今風に壊れたといふよりも、一線を越えフッ切れた直子が毒々しい色彩の照明にも飾られ艶やか且つ華やかに、吹き溜まりに大輪の妖花を咲き誇らせるショットは、下手に寄らない距離感も功を奏し、ルンペンに痴女もとい美女が微笑みかける、慈悲に満ちたロマンティックを力強く撃ち抜く。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「桃色学園 教へて」(昭和63/製作:飯泉プロダクション/配給:新東宝映画/監督:北沢幸雄/脚本:田辺満/撮影:斎藤幸一/照明:佐藤才輔/編集:金子編集室/音楽:エデイ・みしば/助監督:荒木太郎/演出助手:田島政明・棚木和人/美術:平湯あつし/現像:東映化学/録音:銀座サウンド/効果:東京スクリーンサービス/出演:小川真実・伊藤舞《新人》・風見麗花・寺西徹・三木薬丸・菊地慎一・杜次郎)。
 東映化学(現:東映ラボ・テック)の屋上を逃げる何処そこ高校美術教師のみゆき(小川)が、生徒の鈴木ダイキ(三木)・中山(菊地)・斎藤(寺西)に追ひ詰められる。ほかの二人はブレザーなのに、斎藤だけが何故か詰襟。それは、兎も角。みゆきが三人に犯されさうになるのは、運転者不明の、機材車感丸出しなライトバン車中に於ける華麗な夢オチ。しつかりしなくちや、これでもアタシ理想に燃える教師なんです、と軽くウノローグ―宇能鴻一郎調モノローグを略した造語―ぽくみゆきが奮起すると、適当な劇伴が起動してビデオ題「桃色学園」でのタイトル・イン。クレジットは、スケッチブックにクレヨン描き。個々の情報の脇に別の何某かの端々を映り込みさせ続けつつ、遂に一枚画の全体像は見せなかつた。
 みゆきと三馬鹿に、矢張り生徒で鈴木と付き合ふ美香(伊藤)。一行が到着したのは、みゆきの恩師で昔は実作者として画壇の大家であつた、国立美大教授・中河雄山(杜次郎)の海辺の別荘?ちなみに国立は、“こくりつ”ではなく“くにたち”、音大ならあるんだけど。ところでこの杜次郎が那波隆史とたんぽぽおさむ足して二で割つたやうな生か胡散臭さが絶妙な面相で、さりげなく琴線に触れる。美大志望の四人がみゆきのコネで中河の私的なテストを受け、見事御眼鏡に適つた一名を、教授風を吹かせ国立美大に推薦する。だなどと、アシッドな話になつてゐた、アシッドの意味よう知らんけど。中河が四人に二日の期限で、登場時から連れて来る風見麗花を裸婦モデルにしての木炭デッサンを課す一方、みゆきには画家復帰を望むとやらでモデルを乞ふはおろか、果てには生徒の進学をもちらつかせ愛人になるやう迫る。風見麗花といふ一見見慣れない字面が、何のことはないa.k.a.風見怜香、あるいはa.k.a.風見玲香、伶香名義もあるらしい。
 風見麗花が高校生の前で無造作に爆乳をポローンと放り出すシークエンスの清々しい破壊力で、概ね勝敗を決した北沢幸雄昭和63年第六作。鈴木敬晴(ex.鈴木ハル)の「悶絶!快感ONANIE」(1991/主演:南野千夏/画家役:下元史朗)の如く、雄山先生が滔々と振り回すろくでもない観念論に、一同が翻弄される木端微塵を予想したのは、純然たる勝手な早とちり。風見麗花の本濡れ場を介錯する一幕が設けられないのが寧ろ、意外か画竜点睛を欠いてさへ映る、中河は単なる好色な俗物。ある意味、この師にしてこの弟子あり。みゆきもみゆきで、童貞ゆゑ風見麗花の観音様を描く以前に見られない、斎藤に御開帳するのを皮切りに、教育的指導と称して男子生徒との淫行三冠―実は、劇中描写の限りでは斎藤は童貞のまゝ―を達成する、結構どころでなくコッテコテな裸映画。尤もコッテコテな裸映画を、中河の無様な姿に、四人が自ら情実試験を放棄。丘の上皆でスケッチに興じる青春映画か国営放送の道徳ドラマみたいなラストは、北沢幸雄の甘酸つぱい真骨頂。風に煽られたみゆきの画用紙が草の上に落ちると、クレヨンでENDとか描いてあるラスト・ショットの煌かんばかりのダサさこそが、繰り返すがこの人の肝なのではなからうかと、常々当サイトは目するところである。

 今作が伊藤舞のデビュー作といふのはjmdbの記載にも合致し、何処かで別名を用ゐるなり頭数要員で紛れ込んでたりとかしない限り、恐らく実際さうなのではなからうかと思はれる。ここであくまでメイビーなのが、量産型娯楽映画の底の抜けた奥深さ。現にある漏れも加味すると大体三十本前後と、伊藤舞は決していふほど多くはない戦歴の中でも、西川卓からサトウトシキまでカバーする守備範囲の広さ、もしくはフットワークの軽さを誇り、なほかつ今上御大謎のエクセス作や、酒井正次最初で最後の監督作に飛び込んで来る、シレッとしながらもな引きの強さを唸らせる。
 最後にもう一点外堀、jmdbによれば、今作の封切りは十二月の三十日。となると、幻の昭和64年正月映画を任されてゐた格好。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「おねだり妻 くちびるでご奉仕」(1997/製作:B-TIME/配給:大蔵映画/監督:国沢実/脚本:由良よしこ/撮影:小沢佐俊・川口滋久/照明:白石宏明・宮坂斉志/助監督:松岡誠/監督助手:玉城悟/ネガ編集:フィルム・クラフト/スチール:本田あきら/録音:シネ・キャビン/タイトル:道川昭/制作主任:宮川裕/出演:篠宮雪之・真純まこ・藤谷かな・阿部公二・平川直大・ときわ謙成・田中あつし)。明らかにおかしなビリングは、ランダムに配された本篇クレジットに従ふ。
 王冠開巻、お弁当を支度する手元の、何故かカットの間を飛ばしてみせる。高校教師の夫・甚蔵(田中)と、見合結婚した妻の亜月(藤谷)。芝本家の朝に、夜の営みがカットバックされる。この夜の営みも夜の営みで、睦み合ふ二人の全身を頭から舐めたカメラが、爪先も彼方に駆け抜けて行くいきなしなオーバーラン。早速火を噴く、木に竹さへ接ぎ損なふ意匠。ギミックを持ち出さない分、寧ろ荒木太郎より性質が悪いともいへる。催した甚蔵が亜月を朝つぱらから求めるのと、夜の営みをだからカットバックひたすらにカットバック。アバンから絡みをタップリ見せようとする姿勢ないし至誠は酌めつつ、無駄に動き過ぎる画が興を削ぐ。甚蔵を見送つた、交差点の亜月にタイトル・イン。も、まさかの亜月とタイトル画面をカットバック、タイトル刻んでどうすんだ。全体国沢実は何がしたいのか、清々しく呆れた。
 甚蔵がゴムをつける、子供を欲しがらない描写を噛ませて、ラップの箱で頭を小突き小突き平川直大がへたり込んで泣いてゐるところに、芝本先生が通りがかる。ここで何より重要なのが、今作がみんな大好きナオヒーローの、jmdbの記述を遡る出演作である点。もしかすると、記念かつ日本映画史に刻まれるべき初陣なのかも。無視して通り過ぎようとする甚蔵に、ex.教へ子の秋生(平川)が「逃げるの?」と呼び止め、抱きつく。配役残りは一旦端折つて、甚蔵の本棚を触つてみた亜月は、カバーで隠されたゲイ雑誌『薔薇族』を発見。挿まれてゐた甚蔵と秋生が薔薇の花香らせる写真や、秋生が甚蔵に対する恋慕を綴つた手紙の数々に衝撃を受ける。
 改めて配役残り阿部公二は、甚蔵と秋生が廃工場か廃倉庫に消えるのを遠目に目撃した―劇中この時点では、未だ夫のセクシュアリティに直面してゐない―亜月が、交錯する釣人・コーキ。バミューダをサスペンダーで吊り釣竿を抱へてばかりで、凡そ生業を持つてゐる風情を窺はせない低等遊民造形。ところでこの阿部公二が志垣太郎かリカヤ系の濃い面相で、ex.モーニング娘。と結婚したお笑ひの人とは別人ぽい、フルモデル整形でもしてゐなければ。篠宮雪之は恐らくコーキを扶養するリツコ、職業は多分看護婦。真純まこは、名前で呼ぶのを窘める、亜月の義母・イクヨ。幾ら何でもあり得ないゆゑ、甚蔵とも血の繋がらない継母か。ときわ謙成(ex.年輪謙成にしてa.k.a.ときわ金成)がイクヨの情夫なのか、亜月の義父兼甚蔵実父なのかがまた甚だ不明。ついでにこの二人は都合三幕の出番の中で一瞬も下着以上の服を着てゐない、純然たる輝かしき濡れ場要員。後部で二人がセックロスする、機材車を運転させられるのは演出部か。挙句ハンドルを握りながらワンマンショーする運転手が出し抜けに昏睡、機材車は音効のみで大破。した三人の命運をも、ものの見事にその場限りで等閑視。濡れ場要員で闇雲に映画の底を抜くなり観客あるいは視聴者を煙に巻いてのけるのも、ある意味流石とでもしか、この際評しやうがない。
 前作「シミ付き令嬢 贅沢な舌技」(脚本:国沢実/主演:藤谷かな)に引き続きバラ売りex.DMMに新着してゐた、国沢実1997年第二作、通算第六作。粗雑なすつたもんだの末に甚蔵を殺してしまつた?亜月は、眠剤で自殺を図るも叶はず、相変らず釣りに来てゐたコーキに拾はれる。一方、愛する人を奪はれた、秋生は亜月を追ふ。常備する謎のラップを、実は得物として使用するらしい、斬新な野郎だぜ(波止場でスリムをキメる中野風に
 配偶者の両刀に新妻が激しく動揺する、のが本筋にならないんだな、驚くことに。後半はおざなりなリツコの扱ひがどうにもかうにも成立を阻む、ひよんなミーツを果たした亜月とコーキの物語に。おまけにこのコーキが要はヒモの分際で余所の女に色目を使ふどころか、リアルに「お前は俺が守つてやんなきや駄目なんだ」とかいふ火蓋で手をつける、クソクソアンドクソなミソジニー野郎。おまけにおまけに、イクヨとときわ謙成が執拗か藪蛇に積み重ねる尺もあり、物理時間的に女の裸比率は結構通り越して著しく高いものの、落ち着きのない撮影の火に油を注ぎ、介錯するのが阿部公二とときわ謙成に田中あつし、全員大根に二三本毛を生やしたインポテンシャル揃ひといふ脆弱な布陣が致命傷。殊にリツコV.S.コーキの一戦は篠宮雪之と阿部公二のマグロ同士がゴロゴロし合ふのを国沢実も無力に挽回出来ず、てんで見ちやゐられない。最終的にコーキは仕留めた秋生が亜月を追ひ詰めた廃倉庫か廃工場に、どうやら蘇生した甚蔵が現れる。結局甚蔵は捨てた亜月が、クレジット完走後に余した三分半を、コーキ×リツコと巴戦で駆け抜けるラストには頭を抱へた。といふか万歳といふ称賛ではなく手も足も出ない降伏といふ形で、諸手を挙げた。だから全体国沢実はこの映画で何がしたいのか、皆目全然一ッ欠片たりとて判らない。昨今の国沢実もかう見えて長足のプログレスを遂げたのか、はたまた大して変つてゐないのか判断に窮しかけ、フと立ち止まつた。脚本の由良よしこがa.k.a.由良よし子の俳優部と同一人物だとすると、素人脚本に、国沢実が無様に玉と砕けたといふ推定も成立し得よう。そして更にさうなると、濃厚に漂ふのは実も蓋も元も子もない、国沢実がこの二十年殆ど全く進歩してゐないスメル。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「憂なき男たちよ 快楽に浸かるがいい。」(2019/制作:松岡プロダクション/提供:Xces Film/監督:松岡邦彦/脚本:金田敬/企画:亀井戸粋人/撮影:村石直人/照明:多摩三郎/録音:大塚学/助監督:井上卓馬/編集:小泉剛/監督助手:増田秀郎/撮影助手:佐久間栄一・岡村亮/スチール:本田あきら/現場応援:吉行由実/整音:Bias Technologist/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:並木塔子・黒川すみれ・柳東史・太三・安藤ヒロキオ・小林節彦・吉田祐建・しのざきさとみ)。人偏のない、吉田祐建名義は初めて見た。ポスターも、祐建になつてゐる。
 並木塔子と柳東史の絡みで開巻、下半身を脱がさうかとしたタイミングで妻からの着信が入り、柳東史は固まる。いいの?と問はれるのも振り切りキスした柳東史の唇を、撫でた並木塔子が「カサカサしてる」と余裕の返り討ち。挿入するとカメラが時計回りで天井に張られた鏡にパン、白転してタイトル・イン。気合の入れ方が脊髄で折り返して違ふ画面のルックと、何気に漲るスリリング。今回の松岡邦彦は失つて久しい、昔日の煌きを遂に取り戻した、のかも。
 「気乗りのしない仕事だつた」、フリーのルポ屋・木嶋修(柳)が、軽い坂道を迫り上がり式にフレーム・イン。そこら辺の地方都市にて、三人の男達が多額の借金を遺し次々と自殺する。連続不審死事件の容疑者に浮上したのが、ホステスの片山美里。ミニマムな人間関係から生まれた、矮小な物語だらうと高を括り町に入つた木嶋は、川を浚ふ太三を橋から目撃。キックボードを蹴る、黒のニューバランス。安定感抜群のムッチムチな御御足も露なホットパンツで、キックボードを駆りその場に現れた並木塔子が、探させものを要領悪く見つけられない太三を、口元も歪ませ口汚く罵る。美里が勤める、下町のパブスナック「エリート」―東京都豊島区南長崎、既視感の源は吉行由実の「誰にでもイヤラシイ秘密がある」(2018/主演:一ノ瀬恋)―の敷居を跨いだ木嶋は、ママ(しのざき)に名刺を渡しサクサク本題に突入。村石直人のカメラが、しのざきさとみの皺の深さを過剰なくらゐ容赦なく捉へる。美里から貰つたキックボードに、店内で戯れに乗つてみたママがスッ転び、見事なM字開脚のパンチラを披露。したところに出勤して来た美里(並木)と、木嶋は再会する。
 配役残り黒川すみれが、二十離れた木嶋の妻・さと子。焦る齢でもなからうに、いはゆる妊活に木嶋もそつちのけで激しく妄執する点に関しては、後々邪推する。一軒屋に美里と共同生活する、三人の男。小林節彦は、実は美里にとつて最初の夫であつたミヨシ。安藤ヒロキオは自営でやつてゐた飲食を、博打で御破算にしたトモチカで、太三がトモチカの兄で知的障碍者のトモヨシ。吉田祐建は、かつて美里と関係を持つてゐた、個人店電気屋の緒方。その他エリート要員に、若干名見切れるのは金田敬しか識別不能。さと子との仲を拗れせる木嶋を諭す、スマホ越しの声の主も不明。ここで歴戦部の勤怠を整理しておくと、しのざきさとみは三沢亜也名義での清水―大敬―組があるゆゑそこまで空いてゐない印象もあるが、しのざきさとみ名義となると清大2011年第二作「淫行病棟 乱れ泣く白衣」(主演:野中あんり)まで遡り、最後に脱いだのもこの時。小林節彦は後述する二年前の松岡邦彦前作以来、更にその前は竹洞哲也2015年第一作「誘惑遊女の貝遊び」(脚本:小松公典/主演:かすみ果穂)。吉田祐建は多分西條祐名義の「デコトラガール 天使な誘惑」(2018/監督・編集:柿原利幸/主演:天使もえ)が記憶に新しく、その前だとたまたまで矢張り竹洞哲也の、2009年第二作「妹のつぼみ いたづら妄想」(脚本:小松公典/主演:赤西涼)、こちらは度会完名義。実に九年のブランク後、比較的コンスタントに継戦してゐる流れに乗つて、吉田祐建が2003年第一作「エアロビ性感 むつちりなお尻」(共同脚本・助監督:林真由美/主演:中渡実香/ex.望月ねね)以来で関根―和美―組に電撃復帰して呉れた日には、当サイト滂沱乱舞の大歓喜。何時何処で、それを観るなり見られるのかは知らんけど。祐健が関根和美の映画に帰つて来るのであれば、トチ狂つてDVDとか買ひかねないが。冷静に検討すると、遠征カマすより安かつたりもする。
 エクセスが何のものの弾みか気の迷ひか、はたまた迷ふどころか触れたのか。二度観て二回とも桐島美奈子と野尻建の絡みで寝た、「おばちやんの秘事 巨乳妻と変態妻なら?」(2017/監督:松岡邦彦/脚本:金田敬/主演:桐島美奈子)から二年ぶりのデジエク第十弾を、封切り三週間強でよもやまさか驚天動地のエク動電光石火配信!速い、速過ぎる。反応反射音速高速、アバンの新田栄より速い。気を取り直して松岡邦彦的には、第五弾「女と女のラブゲーム 男達を犯せ!」(2014/脚本:今西守=黒川幸則/主演:水希杏)含め通算三本目。ちなみに目下最多は、浜野佐知の四本。
 デジエク前二作は、何れも直截にサッパリな出来。フィルム時代の末期も長く失速してゐたエクセスの黒い彗星が、鮮血よりもビビッドな赤を纏ひ帰つて来た、そこそこの程度。先に裸映画的にはしのざきさとみは潔く温存、あるいは勇退。正直過積載に思へなくもない並木塔子が、最初と最後を締める柳東史戦と、二人は車で寝かせた残り一人を、夜な夜な獣の咆哮をあげ喰らふ大暴れで、ビリングに違はぬ一騎当千の先発完投。プレーンなルックスに主張の強い唇がセクシーな黒川すみれは、子作りの一幕にほぼほぼ甘んじる殆ど濡れ場要員であれ、決して芝居勘が皆無もしくは馬の骨と書いてエクセスライクといふほどではなく、もう少し出番をあげてよかつたのかも。次があるとしたら、この人の笑顔も見たい。
 お話は至つてシンプル、美里に接触を図つた木嶋が案外一直線に絡め取られ、帰つて来れなくなる実録映画仕立てのピカレスク・ピンク。世相と言ひ換へて構はない世代をある意味反映してゐるともいへるのか、確かに老いを感じさせつつも、活き活きとしてゐる小林節彦や吉田祐建―しのざきさとみも―に対し、柳東史が最初から終始ヨロッヨロに草臥れてゐるのは、心に隙間風の吹く、さういふ造形と一旦さて措く。柳東史としのざきさとみやコバ節なんて、三つ四つしか違はないのだが。兎も角さて措くにせよ、気乗りのする実入りもいい仕事を先に控へてゐるにも関らず、木嶋が、あるいは木嶋をもが美里にむざむざかまんまと籠絡される展開自体の説得力ないし蓋然性。さとみママを皮切りに、緒方とミヨシにトモチカ。木嶋が話を訊いた誰しもが判で捺したかの如く口を揃へる、美里が大それたことを仕出かす訳がない、さういふ女ぢやない。周到に積み重ねられたサスペンス上最も重要にして高い筈のハードルを、当の美里が事もなげに飛び越えてのける超飛躍。二箇所開いた大穴は、平成のチンケさを精一杯カッコよく切り取つた劇中世界を構築しながら、致命的な詰めの甘さを難じさせるほかない。一方、ないしは逆に。天候にも恵まれ気持ちよく抜けるロングと、妖しく咲く美里を猛加速する、「エリート」のアイコニックに印象的かつ艶やかな壁紙。嵌る木嶋と、脱け出すトモチカ。柳東史と安藤ヒロキオが無言で交錯するカットの静かなインパクトを頂点に、強い映画的興奮を撃ち抜き続ける旧トンネル超絶のロケーション。乱打される高威力のショットをつらつら眺めてゐるだけで、他とは明らかに一線を画してゐる。守備範囲の小屋に辿り着いた折には、改めて絶対観に行く。担当クレジットがないのが不思議な、劇伴も一般映画はだしの高水準。何より、重たいレイジを唸らせるでなく、鋭角のマッドネスを弾けさせるでもなく。貢いだ金は惚れた弱みで諦めるとして、古物商に流された、親爺から継いだ店の商品―の代金―はキッチリ回収する。ただただ穏やかに懐の深さを燻らせる、初老の祐健に極大のエモーションを覚えた。笑顔を交へ淡々と野嶋に所存を語る緒方の、祐健の枯れかけてなほ豊かな姿で72時間1000JPYの元は取れる、いや全然安い。祐健の素晴らしい仕事と、論を俟たない傑作とまでは行かずとも、松岡邦彦の久し振りにいい映画。エクセスの忘れて貰つちや困るぜが、激しく火花を放つ一作。未見の諸賢はエク動を見て、みんなでエクセスに身銭を切るのよ(๑❛ᴗ❛๑)

 木嶋とさと子の夫婦関係を、下衆く勘繰る。さと子が取材に出張る木嶋の携帯を鳴らす、非現実的にダダッ広くてレス・ザン・生活感に綺麗な住居―凡庸なロケハンの敗北といふ見方は、それ以外の全てから否定し得るやうに映る―を見るに、木嶋自身が余程のボンボンでない限り、端折られた設定としてさと子の親が金持ちなのではなからうか。もしも、仮に、万が一。だとするならば、親の事業を継がせる跡取りを、さと子が強迫的に欲する所以も想像に難くない。もひとつ、そのさと子が自宅から木嶋の携帯を鳴らす件は、カット尻が些か冗長。完全に、間が抜けてしまつてゐる。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「好色エロ坊主 未亡人 初七日の悶え」(1993/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画/脚本・監督:瀬々敬久/企画:朝倉大介/撮影:斎藤幸一/照明:笹塚ライト兄弟/編集:酒井正次/助監督:原田兼一郎/監督助手:榎本敏郎/撮影助手:斉藤博/応援:広瀬寛巳・山崎光典/スチール:宮沢豪/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/協力:浅草 銀河舎・浅草 花やしき/出演:小川真実・摩子・蒲田市子・佐野和宏・下元史朗・外波山文明・小林節彦・いぐち武士・伊藤猛《友情出演》・宵待闇四郎・柳蜂逸男・丸沢直巳・広瀬寛巳・山田奈苗)。 頭に“好色エロ坊主”を冠するのは、後述するタイトル画面に従ふ。
 木彫りの観音様とか古タイヤが漂ふドブドブした川辺から、ティルトアップすると悶える蒲田市子のロング。一見ワンマンショーかと思ひきや、赤襦袢の中から小林節彦も出現。何気に光る、絡みのテクニック。一方逃げる伊藤猛と、追手は―何故か普通に疾走する―下元史朗に、ビリング推定で宵待闇四郎と柳蜂逸男。追ひ詰められた伊藤猛が、下元史朗の一太刀を浴びる。事後対価を要求するトシ子(蒲田)に対し、ルンペンのアビル(小林)が悪びれもせず開き直るところに、瀕死の山岸貞雄(伊藤)が流れ着く。貞雄を知るにも関らず、アビルが助けようともせず脊髄で折り返して財布を奪ひつつ、貞雄はトシ子に何某か書類を託し事切れる。「福祉課職員殺される」、貞雄殺害事件の新聞記事をトシ子が読む、浅草の町。アビルはといへば、貞雄の金で暴飲暴食三昧。商店街にクレジット起動、完走したのち春画にタイトル・イン。通例、今作のタイトルは「未亡人 初七日の悶え」(原題:坊さんが屁をこいた)とされてゐるものの、実際のタイトル画面は木魚ベースにお鈴が鳴つたタイミングで、“好色エロ坊主”が止めに打たれる。ポスターがどうなつてゐたのかは、ググッてみても画像が出て来ないので知らん。
 配役残り、三人纏めてファースト・カットの佐野和宏と小川真実に摩子は、生臭坊主の永俊と貞雄の妻・夕子に、弔問に訪れた貞雄の同僚・北村愛子。永俊が経を読む山岸家に押しかける外波山文明といぐち武士(a.k.a.いぐち武志)は、再開発中の一帯に存する、山岸家の物件を狙ふ「フロンティア開発」の社長・菅原聖蔵と、堅気に見せる気のない懐刀・六。永俊・夕子・貞雄とついでにアビルも、同じ土地で育つた顔馴染。永俊目線では、夕子を貞雄にカッ浚はれた仲。更にトシ子が、実は永俊の家出した妹。改めて下元史朗は、夕子が営む小料理屋「大門」の常連客・新右衛門。jmdbには新衛門とあるのは、脱字ではあるまいか。この人も正体は機動隊員上がりの、古風に先生呼ばはりされる菅原の用心棒。左足が不自由だが、腕は立つ。多分宵待闇四郎と柳蜂逸男が、「フロンティア開発」の手下部。不完全消去法で丸沢直巳と広瀬寛巳は、菅原一派に駆逐される浮浪者か労務者。少なくともノートの液晶サイズでは、ひろぽんも視認不能。山田奈苗は、心根を入れ換へ修行の旅に出る筈の永俊が、尻に手を伸ばす大根を齧り齧り歩いて来た女。
 当初は素のDMMに大量に転がつてゐる、ex.DMMにも入つてゐない国映作を随時拾つて行く方向性であつた国映大戦。その後、バラ売り月額同時でex.DMMに新着させるインターフィルムの勃興と、前田有楽閉館に伴ふ遠征一時?休止で余暇が発生。大幅に方針転換した第十九戦は瀬々敬久1993年第一作、商業第八作。何処まで連続してゐるのかは見てみないと判らない、次作の「未亡人 喪服の悶え」(同/葉月螢デビュー作)も配信して呉れたならインターフィルムさんマジ神。ついでに佐野が矢張り生臭坊主に扮する、森山茂雄第六作「後家・後妻 生しやぶ名器めぐり」(2004)と、薔薇族含め第九作「ワイセツ和尚 女体筆いぢり」(2007/二本とも脚本・主演:佐野和宏)の二部作とは、永俊と鎮源といふ根本的な相違が示すやうに、一欠片の関係もない。
 先に裸映画から片付けると、アバンに三番手が飛び込む奇襲は、味のある画の力も借り華麗に決まり、ちやんと話を通したのか、蒲田市子は矢張り小林節彦と花やしきでの観覧車戦も敢行する。常識的に考へて、通してゐる訳がないか。対照的に、小川真実には男優部三本柱との濡れ場を質量両面じつくりと攻めさせる、案外完璧なオーソドックス。時機を完全に失したかに思はせた摩子も、ギリッギリの妙手で展開に取り込むだか捻じ込む。雑な火蓋と愛子がアヒンアヒン適当に応じるルーズな艶出に関しては、色仕掛けといふ体裁に即したものと、ここは好意的に解する。
 その上で総体的には、瀬々敬久といふより殆ど佐野和宏の映画。地上げベースのありがちな下町譚に、瀬々ぽいポリティカルなサスペンスを組み込んだ物語は、二年後の大震災を予測するかの如く、豪快に卓袱台を引つ繰り返す。さうはいへ、アビルと鯰、二段構への伏線を周到に張り巡らしながらも、ディザスターの如何ともし難い安普請ぶりには、尻子玉が抜かれる感も禁じ得ない。片や佐野はといふと絶好調に弾け倒し、駆け抜ける。葬儀が一段落ついた、寿司の席。早速権利書の件を切り出す菅原に、「仏の前でなあ、そんな辛気臭い話するんぢやねえよ」。鮮やかな第一声を放つや、「坊主酔つ払つてんぢやねえぞ」と凄む六にキメるクロスカウンターが、「仏の供養だバカタレ」。バカタレだオタンコナスだ、佐野が吐き捨てる悪態は何でこんなにカッコいいのか。アビルとの再会に際しては、「おいアビル、お前まだ生きてたのか」。「お前等が生きてるやうぢや、日本の不景気もまだまだ大したことねえな」。いよいよ、大した破目になりさうなんだけど。下元史朗も負けてはをらず、永俊殺害を命ぜられ、坊主相手に逡巡してみせた新右衛門は今更信心もないだらうと難じられると、「ただ何となく生きて来ただけだからな」。佐野の粗くアグレッシブなのとはまた別種の、下元史朗の静かで硬質なビートが走る。さんざ人を殺めた末に極楽行けるかなと問ひかける、今際の間際の新右衛門に返す永俊最長不倒のエモーションが、「馬鹿野郎、極楽も地獄もあるもんか」、「生きて生きて生きまくりよ!」。斯くも力強い、生の肯定。文化施策といふよりは寧ろ厚生施策として、津々浦々常時上映してゐるべきではないのか、出来れば35mm主砲で。名台詞超台詞を乱打する、猥雑にして痛快な大ロマン。この期に掘り進める初期瀬々敬久の中では、今んとこ仏千切りで一番面白い。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「シミ付き令嬢 贅沢な舌技」(1997/製作:B-TIME/配給:大蔵映画/脚本・監督:国沢実/撮影:村川聡/録音:シネ・キャビン/編集:矢船陽介/助監督:西海謙一郎/撮影助手:大川藤雄・堂前徹之・市川治/監督助手:松岡誠・横井有紀/スチール:佐藤初太郎/タイトル:道川昭/タイミング:安斎公一/フィルム:富士フィルム/現像:東映化学/協力:東山商事・高山節・スナック汀・シネオカメラ・オガワモデリング・小野ライト研究所・フィルムクラフト/製作主任:宮川裕/出演:藤谷かな・高田あや・章文栄・竹本泰史・鈴木実・荒木太郎・年輪謙成)。
 竹本泰史(現:竹本泰志)がニッコニコ舌鼓を打ち、章文栄と藤谷かなの母娘が同席する、恐らくそこら辺の中華料理屋。開巻即揺らぐ、令嬢感。並木道、綾世(藤谷)が一応寄り添ひ歩く詩郎(竹本)に、腕を組まうとするロングにタイトル・イン。なのに詩郎は、綾世の腕を拒む。「あれ?今日は飛んでないな」。何がといふ綾世の問ひを受けた詩郎の答へがまさかの蠅、時々目の中に現れて来るのだといふ。飛蚊症かよ!とツッコミかけた気勢を制するかの如く、詩郎が下された診断が網膜剥離。さつさと治せ!ガチのマジで見えなくなるぞ。現在より硬質ではあれ、煮ようが焼かうが食へはしない国沢実この頃の沈鬱なビートがある意味快調に走り、陽性だらうが陰性だらうが、抜ける映画の底は抜ける。
 ヤルことは普通にヤッておいて、詩郎がグジャグジャ二の足を踏む綾世との関係は、通信社記者である詩郎から入試漏洩の冤罪を追求された末に、自ら命を絶つた草楼大学事務長が、綾世の父といふ縁。配役残り、造作はそれなりに品もあれ口跡は正直御愛嬌な章文栄は、綾世の母・紀子。母娘が住むのが思ひきり普通のアパートで、勤めに出る紀子の職業―綾世に関しては明示なし―は掃除婦。何処が令嬢なんだといふマキシマムなツッコミ処が、与へられた御題に後ろ足で砂丘をかけてのけた、今作に於けるベクトルの最大値。高田あやはカウンターの中でも本を読んでゐる、詩郎行きつけの店―が、スナック汀か―の読書家なママ。スピード重視の勇み足で綾世の父を死に追ひやつた反省で、事件報道の在り方を世に問はうとする詩郎に対し現実的な難色を示す上司役の、年輪謙成は音の近似からも容易に辿り着けるa.k.a.ときわ金成。この人の正確なフィルモグラフィは、jmdbの記載が直截なところスッカスカゆゑ、国沢実のある期間を全部見るなり観なければ掴めない模様。荒木太郎は、詩郎が接触を試みるも色よい反応を得られなかつた報道被害者。多分鈴木実が、詩郎に協力姿勢を見せる報道被害者。その他見切れる頭数は必ずしも合はなくはないものの、何故か光音座公式が出演者に挙げてゐる、本職演出部の松岡誠・西海謙一郎に、美術部―乃至スチール―の最上義昌は、明確にその人と知れる形では抜かれてゐない、筈。
 バラ売りex.DMMに新着してゐたのを忘れてゐた、国沢実1997年第一作、通算第五作。この年二本きりの次作も新着してゐるので、近々見る。一昨年少なくとも上野なり光音座には来てゐた割に、ツートンOPでなく、古の七色王冠大蔵カンパニー・ロゴで配信されてゐる。Tシャツでも作つて、通販して欲しい。
 覇気なく過去に囚はれる色男が、ポップか自堕落な裸映画らしさで、女々とヤリ倒す。後述する理由も含め、百歩譲つて高田あやはまだしも、紀子があの人―亡夫―の若い頃に似てゐるだの、へべれけな方便で娘の男を寝取るに及んでなほ、詩郎はといふと素直に垂涎するで鼻の下を伸ばしてみせるでなく、陰気臭くクッサクサ燻る限り。意図的にループする編集は閉塞した物語の突破口を自ら塞ぎ、ついでに詩郎と綾世の常宿かつ、紀子が詩郎を呼び出す―そもそも行くか?―ラブホは窓際のベッド位置が、濡れ場の自由度をも殺ぐ。ついでに、あるいは挙句の果てに。カウンターの上で詩郎と高田あやがオッ始める件は、阿呆がカッコばかりつけてクッソ暗い。女の裸を満足に見せる気がないのなら、ピンクなんて撮るのやめてしまへ。どうにもかうにも、もうどうしやうもない。綾世は百円ライターが着火しない度に、煙草を呑まない詩郎に火を求める。「だから俺は吸はないつて何時もいつてるよ」、だから何時も聞いちやゐないんだよ、といふ以前に、何で綾世のライターは何時も何時も毎度毎度点かないんだ。渾身を強ひてポリアンナばりの良かつた探しを試みるならば、唯一形を成すのは時にはスパッとした真実さへ与へつつ、詩郎いはく“嫌な時に癒して呉れる心地のいい夢”を見させて呉れる、高田あやの要は都合のいい聖女像。如何にも国沢実の惰弱さが如実に顕れてゐるともいへ、心配御無用、俺達も弱い。弱き者が弱き者を慰撫するために撮つた、弱き映画。さう解した時、元来箸にも棒にもかゝるまい一作に、蜘蛛の糸よりも細い一筋の光明が辛うじて差す、のかも知れない。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 「濡れた太腿 媚態」(昭和62/製作:飯泉プロダクション/配給:新東宝映画/監督:北沢幸雄/脚本:田辺満/撮影:志村敏夫/照明:佐藤才輔/音楽:エディみしば/編集:金子編集室/助監督:荒木太郎/演出助手:片岡亨/製作進行:若月美廣/撮影助手:片山浩/照明助手:高原明/効果:東京スクリーンサービス/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/協力:和泉多摩川喜作/出演:篠宮とも子・星川由比・清水大敬・三木薬丸・兼石耕平・山下貴史・福岡一郎・白石俊・田辺満・若月美廣・劇団火の鳥・佐野和宏)。
 高層ビルを捉へたカメラが足元の下町にティルトダウン、主演女優に寄る。ex.書店店員―家族には出版社勤務を偽る―で売春婦の細川康子(篠宮)が、すれ違つたリーマン(不明)に「何見てんのよ」と因縁をつけ振つた缶ビールを浴びせかける。確かにスタイルはいいにせよ、腫物な女ではある。リーマンは退散、サングラスを外した康子が下膨れのボサッとした表情を露にしたタイミングで、篠宮とも子のクレジット。オープニングで先行するのは、星川由比と佐野和宏の三人。帰宅した康子が改めて缶ビールを開け、「檻の中で二十日鼠が無益な運動を繰り返すやうに」、「私の周りでカラカラと何かが音をたてて回つてゐる」。覚束ないポエムのモノローグが大起動、映画の底はアバンで抜ける。途中で切れる、山崎(佐野)からの仕事を斡旋する留守電を再生してタイトル・イン。タイトル明けは、路地越しに抜く康子と山崎。後述する林と康子の絡みではカメラが矢鱈と回り込んでみたり、無闇に構図に凝つてみせもする反面、左右にタイトルと座り込む主演女優を漫然と配した、タイトル画面はボサッとしてゐる。そこでキメられないから、締まらない。
 配役残り清水大敬が、山崎が康子を売る男・林、地上げ屋らしい。いきなりロープを持ち出し―話を聞いてゐない―康子をフン縛るや、サクサク熱ロウを垂らした挙句、菊穴まで掘るある意味フルコース。清水大敬が誇る圧の高い突破力で、出鱈目か非現実的な傍若無人を綺麗に撃ち抜く。佐野が流石に若さも滲ませる一方、一体何時の時点で、清大は今の顔が完成してゐたのか。三木薬丸は康子と―それなりに―親しい仲が謎な、小説家志望の大学生・堂島か野島。康子がよく使ふ、何と和泉多摩川に今なほ現存する居酒屋「喜作」に、給仕する荒木太郎が見切れる。星川由比は、性病を患ひ仕事が出来ぬゆゑ、エロ本の撮影で茶を濁すホテトル嬢・リコ。兼石耕平がこの人も康子との、しかもこちらの場合男女の仲が謎な電気工事人・矢崎。その他潤沢な頭数は、もしかすると本物かも知れない板さん含め喜作部と、撮影現場の男役とカメラマンに、野次馬要員。
 もしかすると他の名義で撮つてゐたのか、思ひのほか少ない北沢幸雄昭和62年最終第三作。センシティブ気取りのパン女が、若さか何か持て余す。何はともあれ、康子が詩を嗜むだか志すだかする、根本的な設定を綺麗にスッ飛ばしてのけるものだから、ど初端から見事にズッこける。康子の散文詩?はことごとく外し続ける反面、自堕落な下心を振りかざす野島か堂島に対し、「自分のために人を好きなんていはないでよ」。山崎の家がマンションの八階である点に関して、リコが「飛び下りたらすぐなのにね」。『あしたのジョー』が昔好きだつた山崎が、“明日はきつと”と主題歌を戯れに口遊んだ上で、切れ味鋭く突いて来る佐野の口跡で「何かあるなんて本気で思つてたもんな」。所々で散発的に煌めく分却つて、ヒロインの鈍い体たらくが致命傷。重ねて、劇中康子が抱かれるのが、いはば絡み要員の林に、電話でアポを取つて出し抜けに寝る、堂島か野島同様、何処から湧いて来たのかどういふ関係なのか全く以てレス・ザン・イントロダクションな矢崎。即ち、いつてしまへばどうでもいい相手とのみとあつては、素のドラマ的にも兎も角、裸映画としてなほさら盛り上がりに欠く。リコが死んだ喪失感を抱へ、帰還した部屋にてゴミ袋に囲まれての、康子のワンマンショーが締めの濡れ場。生煮えに居た堪れなく、かといつて轟然と棹を揺さぶるほどの煽情性にも乏しい。中途半端な攻め口が、裸と映画の二兎を取り逃がした、漫然といふ以外に言葉の見つからない一作。飯泉大時代なんてこの期にどうやつたら見るなり観られるんだといふ中、北沢幸雄の全盛期といふ奴がどうにもかうにも見えて来ない。珠瑠美辺りなら、そもそもそんなもんないだらうと気軽に諦めもつくのだけれど。

 映画本体とは、一切何ら全ッ然関係ない衝撃。ex.DMM当該ページで見られる、VHSジャケには出演者に高橋靖子の名前が。昭和のピンクに於けるa.k.a.亜希いずみが見られるのか!と、有頂天外しかけた、ものの。山崎の別居する妻辺りかなあ、とは思ひつつ、何時まで経つても出番が訪れる気配は窺へず、結局出て来ずじまひ。単に、新東宝ビデオが仕出かして呉れやがつただけであつた、自由すぎんだろ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )