真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「バージン協奏曲 それゆけ純白パンツ!」(2019/制作:トラウマサーカス/提供:オーピー映画/脚本・監督:小栗はるひ/プロデューサー:深澤知/音楽:でか大/撮影・照明:春木康輔/録音・整音:五十猛吏/編集:板倉直美/メイク:枝廣優綺/助監督:桃原こだち/撮影助手:平見優子・布施絢子・磯部雄貴/制作応援:武井茉周/車両応援:須佐芳男/スチール応援:島田大輔/脚本協力:北川篤也・大矢直樹/ポスター撮影:MAYA/機材協力:撮人不知・株式会社テックス/仕上げ:東映ラボ・テック株式会社/撮影協力:湘南シレーヌ/『バージン協奏曲』作詞:小栗はるひ 作曲:でか大 歌:神宮寺ナオ・西田カリナ・藤川菜緒・後藤つき/出演:神宮寺ナオ・西田カリナ・藤川菜緒・後藤つき・松嵜翔平・浦山佳樹・西山由希宏・鈴木太一・松岡美空・折笠慎也・真樹孝介・星美りか)。
 主演女優と、白バタフライの折笠慎也が既に裸でベッドの上、ベロチューだけキメるとレス・ザン・前戯で正常位。といふのは、次は何処がいいの?と焦らす折慎の問ひに対し、次は小菅駅云々の車内放送で神宮寺ナオが目を覚ます綺麗な夢オチ。上京した大学の夏休みに、地元である湘南平に帰郷する愛香(神宮寺)が「はあ、夢だつたのか」と車中で言葉に出す過剰な判り易さは、ここは量産型娯楽映画ならではの敷居の低さと好意的に捉へたい。駅前に降り立つた愛香を、高校の同級生、といふか幼稚園からの幼馴染であるはるな(西田)・奈々(藤川)・朋世(後藤)が出迎へる。神社に六時集合で夏祭りに繰り出す段取りがまとまると、御神輿と金魚のカットを適当に連ねて、何気に不意を突かれる唐突なタイトル・イン。ウィキペディアによれば四人は全員女子大生とあるが、会話を聞くに朋世は書店のアルバイト店員で、気楽な休みをやつかむはるなも学生ではない、奈々の現況は不詳。
 神社に銘々可愛らしいお浴衣で集合した四人は、奈々が最初に見つけた、姉御と称される高校の恐い先輩(星美)と、真樹孝介の大概無防備な境内姦を目撃。その場で一旦姉御と目が合ひつつ、愛香実家で凄かつた的に四人がマッタリしてゐると、愛香の妹(松岡)が浴衣を脱いだ姉のダサい白パンティを笑つた弾みで、愛香が実は処女である事実が発覚。とこ、ろが。敬虔な―敬虔か?―カトリック信徒である奈々は婚前交渉を禁じられ、はるなはオッパイが慎ましやかなコンプレックスに、アイドリアンである朋世は何となく。二十二歳の女が四人、揃つて未経験であつた、愛香は就活は終つてゐるのか。改めて四人をシメた姉御は、悪人ならぬ全員気娘を知るや度肝を抜かれつつも、夏が終る前の喪失を厳命、出来なかつた場合バラすと高笑ふ。一旦窮したものの、「私達の祭りはこれからだ」と四人は奮起。トップは一人一万出した三万円の総取りと、罰ゲームに羞恥オナニーを追加した上で、各々適当な相手を見繕ひ動き始める。ところで堂々のトメに座る星美りかは、“いまを選ぶのは、未来のわたしぢやない”。一撃必殺の名台詞を撃ち抜いた、渡邊元嗣2016年第二作「めぐる快感 あの日の私とエッチして」(脚本:山崎浩治)以来三年ぶりの三戦目。
 配役残り朋世がスマホの待ち受けにする、推しには手も足も出せず。改めて折笠慎也は事に及ばうとして驚いた愛香のパイパンを、写メに撮り友達に確認しようとした結構あんまりな元カレにして、要はトラウマの種。松嵜翔平は元々愛香が満更でもない地元の後輩で、浦山佳樹は母親が男を作り家にゐられなくなつた―父親はアメリカに帰国―はるなが目下同棲する、彼氏といふかはるな曰く舎弟のかずや、エンドレス前戯で何時もはるかをキレさせる。いつそ古典的なネルシャツ×チノパン×ダンロップの三種の神器も用意してみせればよかつた、若い頃の宮崎駿みたいな造形の浦山佳樹は、朋世がオフるSNS男、この御仁が何クラスタなのかは不明。西山由希宏は奈々が教へ子であつた高校時代から交際し、尺八までなら吹いてもゐる先生、藪蛇にシレーヌ暮らし。もう一人、愛香がヤリマンか否か論議で松嵜翔平に軽く声を荒げさせる、遠目には若い頃の荒木太郎みたいな眼鏡は内トラか。
 OP PICTURES新人監督発掘プロジェクト2018で審査員特別賞を受賞した、小栗はるひのピンク映画処女作。と、いふよりも寧ろ。2019年新作にしては、シレッとシリアスな地雷を踏み抜く大問題映画。
 油断するとそこかしこ牧歌的かETVの子供向け番組的なテイストに、家にゐても不自然にキメッキメな愛香妹のメイク。文字通り天下の往来にて、あたかもハンカチであるかの如くTバックを裸で持ち歩くはおろか、頭上に掲げ振り回してすらみせる底の抜けた所作。演出的にはある意味楽なのかも知れないが、高確率で爆死するアッカンベーの呪ひ。見事全滅した第一次初体験トライアルの反省を踏まへ、相手を全員入れ替へた第二次その名も“シャッフル同衾”。が、まとまるや朋世が同衾音頭をてれんてれん踊りだす、今は亡き荒木太郎に劣るとも勝らない壮絶なセンス、死んでねえよ。真樹孝介で早速頭を抱へた、場数不足の大根男優部が仕出かす、本来見せ場たる濡れ場が見るに堪へなくなるとかく外様作にありがちな悲劇は、テラハ以下三名は案外回避。躓き処には概ね満遍なく事欠かないにせよ、掛け合ひの軽やかさは手放しに瑞々しく、仲良し女子四人組のロストバージン物語はそれなりに見てゐられる。奈々の四人中最もハードルが高いかに思へた、信仰上の理由のへべれけな突破ぶりと、逆に展開上の要請には思ひ至らないフリをすると、愛香の無毛は一番低くね?といふそこはかとなくもない割と重大な疑問さへさて措けば。裸映画的にも少なくとも量的には全く潤沢で、中でも非裸稼業から果敢に参戦した後藤つきが、最強に訴求するワンマンショーを轟然と披露し気を吐くのに加へ、かずやの件で予め負ひ目を感じるはるなはまだしも、愛香のペナルティ自慰に奈々と朋世も兎に角飛び込ませ、四本柱満開の百合を遮二無二咲き誇らせた覇気は素晴らしい。さうは、いへ。
 到底看過し難いどころか、断じて無理ぢやボケな致命傷がかずやの永遠に続く前戯の、エターナルたる所以。愛香からも果てしなさを難じられた、かずやは血を吐くやうに振り絞る「性的なものに全く興味が持てへん」。長いものとなるとLGBTTQQIAAPとか、全ての性的マイノリティを頑強に救済せんと矢鱈な細分化を図つた結果、最早何だかファミコンのコマンドみたいになつてゐる所謂LGBT界隈。かずやは比較的短めなLGBTAの“A”ことAsexual、即ち無性愛者であつた。といふアクチュアルな風呂敷をオッ広げてゐながら、はるなとの関係の終息には涙すらするかずやを余所に、“人として”―おかしい―とまでそれこそ人としていつてはならない台詞を無造作に投げた愛香は、“私の方が泣きたいよ”と逆ギレしてのける。詰まるところ、アセクシュアルを愛香がミッションをクリアし損ねた方便―と、はるなのそもそもな事情―に使ひ捨てた、に止(とど)まらず。愛香からその旨を聞いたはるなもはるなで“何時か結ばれたい”だなどと、どいつもこいつもビリング頭二人がかずやの切実通り越して悲痛な苦悩を1mmたりとて理解してゐない、小栗はるひのレス・ザン・頓着極まりない態度は果たして如何なものか。満足に畳まない畳めない風呂敷なんて、初めから広げなければいい。クィア方面にも顔の利く、御存知反骨にして苛烈な歴戦のフェミニスト・浜野佐知に脳天から秘裂まで一刀両断されてしまへ、といふのは意図的に滑らせた筆で、直截なところ、小栗はるひの思想自体は別にどうでもいい。但し、オカマだインポだとぞんざいに笑ひ飛ばして済ませた、よくいへば古き良き旧態依然に座して殉ずるのでなく、大蔵ではないオーピーは新しい風で、新しい時代を切り拓くつもりの一環で今回小栗はるひを連れて来たのではないのか。そのザマが、斯くもアナクロな自堕落で果たしてよいのか。当サイトは純然たるストレートで、クィアに借りた金も通す義理も特にない。にしても2019年にこの映画はあり得ない、正しく言語道断であると段ボール箱一杯のスプーンを小屋中にバラ撒いた一作、あくまでイメージである。他方巷間のアワードに目を向けると、切通理作主幹の『シネ☆マみれ』誌主催のベストテン七位と併設された桃熊賞の監督賞に、西田カリナの助演女優賞。ザッとツイッター検索を眺めてみても、比較的好評の模様。尤も、新規に甘く、あるいは温かく接するのはピンクス相互なり供給側のユーザー目線の話としては兎も角、作品の評価に関しては、決してためにならないのではあるまいか。

 最もポピュラーである“スワッピング”を廃し、重ねて使用頻度は決して高くない“同衾”をわざわざ持ち出す。恐らく明確な狙ひがあると思しき用語法を窺ふに、“シャッフル同衾”といふのは、「機動武闘伝Gガンダム」(1994~1995)中に登場する最強の武闘集団・シャッフル同盟をフィーチャーしてゐるにさうゐない、と如何にもキモオタぽく勘繰るものであるがどうだらう。


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 「痴漢電車 さはつて出勤」(昭和62/製作・配給:新東宝映画/監督:渡辺元嗣/脚本:平柳益実/製作:伊能竜/撮影:倉本和比人/照明:守田芳彦/編集:酒井正次/助監督:笠井雅裕/監督助手:瀬々敬久/撮影助手:池田恭二/照明助手:鈴木浩/スチール:津田一郎/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/協賛:㈱呉工業/出演:小林あい・橋本杏子・秋本ちえみ・北川聖良・ジミー土田・池島ゆたか・山本竜二・螢雪次朗)。協賛の呉工業が、大正義防錆潤滑剤「KURE 5-56」で御馴染のあの呉工業。
 電車が行き交ふカットにタイトル開巻、社長秘書の藍沙弥佳(北川)が、労咳持ちみたいな藪蛇な造形の、白手幹(螢)の痴漢電車を被弾する。一頻り責めたのち、沙弥佳の愛液のスメルに昂つた白手―までが苗字でいいんだよね?―は、懐から取り出した折り畳みナイフを火花も散らして三閃。駅から歩く沙弥佳の衣服が、パンティだけ残して斬鉄剣的に時間差破断。見た感じオフィス街のど往来で、沙弥佳は半裸になる。豪快だな、昭和。一方、軽く驚く勿れ銘板から作り込んである、下着メーカー「バコール」。こんな名前の会社、商業ポルノの中にしか出て来ない、ローレン・バコールをフィーチャーするのでなければ。着衣した上から触つても直に触られてゐるかのやうな着心地で、なほかつ沁みなり匂ひは、薄布一枚の外には一切洩れない。新開発の超軽量形状記憶合金繊維「メタリングス」製の究極スキャンティ、を穿いた―御丁寧に上半身もブラのみの―商品開発部研究員・桃井未来(小林)の体を、芥川社長(山本)が固唾を呑み見守る中、部長の黒井(池島)が―何故かオッパイも―弄る天衣無縫な社内プレゼン。もうかうなつたら、時代の所為にしてしまへ。
 開き直つてパン一で堂々と出社して来た沙弥佳は芥川の秘書、兼愛人で、社長室に辿り着くなり熱い一戦をキメつつ、一枚しかない試作品を自らモニタリングする未来は、帰りの電車で究極スキャンティを白手に擦られる。実はメタリングスは偶然生まれた産物で、現状再生産不能。芥川には秘したまゝの究極スキャンティ奪還に迫られた黒井は、未来の助手に元々大学の使用済み女性下着同好会の後輩で、エロ本紛ひのカタログを作り未来からは目の敵にされる、企画部の赤尾松太郎(ジミー)を連れて来る。
 松太郎は未来の気持ちをノセる以外には、最終的に何の役にも立たない“一度触つた素材の感触は絶対に忘れない”特殊能力頼りで、闇雲に単身電車に突入。配役残り、鬼のやうにハクい橋本杏子と秋本ちえみは、まんまと罠にかゝつた松太郎に手錠をかけるゆゑ女痴漢捜査官なのかと思ひ、きや。蝋燭に囲まれたベッドに松太郎を鎖で拘束、女王様ルックで「ようこそ私達のお仕置き部屋へ」と来た日には、アグレッシブな私刑集団なのかと思ひ、きやきや。結局公安調査特殊課痴漢ハンター国鉄バイス、コンビ名が「ランジェリーズ」とかいふ愉快なワイルドセブン、二人しかゐないけれど。ところで呉工業製品は、火気厳禁の研究室にて、松太郎が煙草に火を点けようとした―だから昭和だ、昭和―ドリフ大爆発後。未来が消臭に商品名も呼称しての除菌・衛生スプレーのメディゾールを取り出すのと、アルミケースの中に5-56も見切れる。5-56にハイフンが入るのは、正直今回ちやんと調べてみて初めて知つた。
 ex.DMMのピンク映画chにタグつきで残る未見作を、片端から見て行く新東宝痴漢電車虱潰し戦、五本目で渡辺元嗣がヒットした、昭和62年第二作。ちなみに、ナベのタグはついてない、新東宝限定で結構そんなもん。
 電車に出没する怪人から、夢の新素材・メタリングスを奪ひ返せ。怪獣が出て来ないと成立しない怪獣映画が如く、痴漢電車でなければならない極めて魅力的な物語を構築しつつも、女の裸込みで中盤のバコール社内で大きく尺を食ひ尽くすのもあり、ある意味ナベシネマ的にはまゝある、終盤がガッチャガチャに尻窄む印象は否めなくもない。結局バックボーンには一切手が回らない白手のキャラクターは徒に大仰なばかりで、画期的に超絶美麗な2ショットを形成してゐながら、「ランジェリーズ」は限りなく明後日な絡み要員に止(とど)まる。さうは、いへ。全出演作でも両手両足、主演作となると片手で全然足る。実質二年間くらゐと決して実働期間が長くはないのも起因してか、ニッコニコに可愛らしい陽性のルックスと、プッリプリに弾ける健康的な肢体。この期にしか及ばないが、どうしてこの人がもう少し天下を取れなかつたのか不思議な小林あい(ロマン子クラブ No.4)が総合的には物足りない劇映画を、アイドル力の力任せで支へ抜く。最初は毛嫌ひしてゐた松太郎の、ギフテッドを知るやメタリングス探索の糸口を得た、未来がみるみる瞳を輝かせ膠着した局面が動き始める展開は、娯楽映画的に麗しく鉄板。それで、ゐて。未来と松太郎が遂に結ばれる、感動的な―筈の―締めの濡れ場をも、寧ろ不自然にすら頑なに完遂に至らせない。全く以て不用意な小癪さが、激しく水を差すのは重ねて頂けない。

 三分も超過してのエンディングは「鎌田行進曲」の替へ歌を皆で合唱後、“渡辺組”のカチンコが改めて鳴るのに何事かと思つたら。「新東宝の」(螢雪次朗)、「痴漢電車シリーズ」(小林あいと池島ゆたか)、「今年もよろしく」(北川聖良と山本竜二)、「お願ひしまーす」(ビリング頭三人にジミー土田)と、小林あいと北川聖良はオッパイも気前よく見せ賑々しく締め括る。


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 「濡れ絵筆 家庭教師と息子の嫁」(2019/制作:加藤映像工房/提供:オーピー映画/監督:加藤義一/脚本:深澤浩子/撮影監督:創優和/録音:小林徹哉/編集:有馬潜/助監督:小関裕次郎/撮影助手:赤羽一真/監督助手:高木翔/協力:鎌田一利/スチール:本田あきら/選曲:友愛学園音楽部/整音:Bias Technologist/仕上げ:東映ラボ・テック/出演:古川いおり・神咲詩織・成沢きさき・竹本泰志・折笠慎也・深澤幸太・森羅万象)。
 ヒール舐めのチャイナドレスで飛び込んで来るのは、2019伊豆映画「5人の女 愛と金とセックスと…」(監督:小川欽也/脚本:水谷一二三=小川欽也/主演:平川直大)から二本続けての三番手。安住慎二(竹本)が“毎日一緒にはゐられない”仲の石田里奈(成沢)に、その代りと称した指輪を贈る。さういふ立ち位置を全く意に介さない里奈と、安住がいざオッ始めようとすると安住のスマホに着信が。安住からは切られ続けつつ、執拗に電話をかけて寄こす女の、左手薬指にも指輪が。半ば強迫的に四発目をリダイヤルする、古川いおりの軽く引いた背中にタイトル・イン。アバンで特筆すべきなのが成沢きさきの、事に及ぶと紅潮する表情が素晴らしい。ピンクを観てゐて何時まで経つても不思議なのが、本篇で動いてゐる方が全然可愛い残念なポスター写真。
 役所でぼんやり掲示板を見て回る前川修(森羅)に、息子から連絡が入る。息子夫婦の高志(折笠)と陽子(神咲)が来宅しての、前川の定年退職を慰労するすき焼き、美味しさう。遺影もスルーする前川の妻は早くに没し、多分高志は一人息子。池島ゆたか2018年第一作「だまされてペロペロ わかれて貰ひます」(脚本:五代暁子)以来の神咲詩織が、かれこれ五年目の六本目。加藤義一的には、2017年第三作「悶絶上映 銀幕の巨乳」(筆鬼一=鎌田一利と共同脚本)ぶり。実家での高志と陽子の夫婦生活を十全に撃ち抜いた上で、前川は何か働き口か習ひ事でも探してみるかと再び役所へ。職員改め期間の過ぎた掲示は絶対処分するマン(深澤幸太)が無下に捨てようとする、絵画家庭教師生徒募集の直筆ポスターを救出した前川は、ポスターだけ返すつもりで記載された番号にかけてみたところ、サックサク話を進めて来る相手の勢ひに負け受講する破目に。そんなこんなな家庭教師初日、前川家を訪ねたのは、大蔵美術大学美術学部絵画学科卒の藤村愛美(古川)。素人相手に、美術理論を割と容赦なくガチる最初の授業を経て、散歩する前川は愛美が安住に追ひ縋る、何処から見ても芳しくはない現場を目撃する。俳優部の戦歴最後、別に内トラで事済みさうな嫁の七光りは、加藤義一二作前の2019正月痴漢電車「痴漢電車 食ひ込み夢《ドリーム》マッチ」(しなりお:筆鬼一/主演:桜木優希音)エキストラの前となると、竹洞哲也2017年第五作「まぶしい情愛 抜かないで…」(脚本:当方ボーカル=小松公典・深澤浩子/主演:優梨まいな)まで遡る。
 初老の男が黒髪ロングの、オッパイに勝るとも劣らず御々尻が悩ましいウルトラ美人に惚れられる。加藤義一2019年第三作は、なかみつせいじの初期造形が不用意にクソすぎて、ファンタジーが初めから成立するに難かつた前作「人妻の吐息 淫らに愛して」(脚本:伊藤つばさ=加藤義一・星野スミレ=鎌田一利)の敗者復活映画。今回は見た目はガッハッハな森羅万象に案外ジェントルなキャラクターを当て、幸薄い情愛に拗れる女が次第に懐の広い男に惹かれて行く過程が、それなりに無理なく粛々と進行して行く。今回は今回で、幾ら竹本泰志の色男を以てしても、徹頭徹尾自堕落でしかない安住の姿に、何でこんなゴミのやうな男に愛美が斯くも依存するのかサッパリ判らない難問さへさて措けば。中盤暫し女の裸が途切れる大きな代償を払つての、丁寧に敷設した伏線が苛烈に交錯し全ての外堀が埋まる一幕は、必ずしも森羅万象に頼らずともビリング頭二人だけで成立させてのけた点まで踏まへ、裸映画から裸を引いたとてなほ大いなるドラマ上の見所。中盤が薄い分終盤怒涛のラッシュを仕掛ける濡れ場の、地味に高い完遂率も灯る程度に光る。そして決して粒が大きくはないものの、幹と枝のみであつたプラタナスに、実のなるエモーション。殊更ワーキャー騒ぎたてるほどではないにせよ、キャリア的にも加藤義一がこのくらゐ安定してゐて呉れるとひとまづ安心な一作。一般映画を横目で追ふ不誠実の以前に、絡みの淡白さを突いて行けば、別に竹洞哲也なら倒せないこともないやうに思へる。

 とこ、ろで。どうにも腑に落ちないのが、愛美がその日は前川を川原に連れ出してのスケッチ。傾いて潰れ気味なのは兎も角、前川がフォークを忘れた―皿もない―ケーキを、愛美はフロム・箱・トゥ・口でフィルムだけ剝いてガブリ。当然鼻の頭や口の周りにはホイップがつき、あら嫌だうふふふ的なシークエンス。個人的にはあり得ないとしか思へないのだが、何か?WAMの一環辺りで、世の中にはケーキを手掴みで食ふ女といふカテゴリーでもあるのであらうか。


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 「ドキュメントポルノ 女 ひも 紐」(昭和48/製作:プリマ企画株式会社/監督:山本晋也/構成:池田正一・代々木忠/制作:藤村政治/企画:渡辺忠/撮影監督:久我剛/撮影:田中俊二・鶴岡吾助/照明:近藤兼太郎/音楽:多摩住人/効果:秋山サウンド・プロ/編集:中島照夫/助監督:安部峯昭/制作:大西良夫/監督助手:石井正信/現像所:東洋現像所/録音所:大久保スタジオ/挿入曲:Creasy Heart 《曲》倒錯者・デビル・僕のカトリセンコウ/協力:新宿モダンアート劇場・渋谷道頓堀劇場・鶴見ベツ世界・宝塚興行/友情出演:結城レナ、バニー・佐々木、カトリーヌ・レモン、東条ミユキ/ナレーター:都健二)。企画の渡辺忠は、代々木忠の変名。
 大体全篇を通してさうなのだが隠し撮り視点といつた趣向か、何処から撮つてんだよ的な謎画角。ヒモと手と手を取り足抜けしようとした、ストリッパーのメリー(以下演者全滅で不明)が追手に捕獲。ヒモのサブ(超絶そこら辺の坊主)は力なくうなだれる中、舞台に立たされ踊らされる。観念したのか満更でもない風情で踊つてゐたかと思ふと、メリーは乱入して来た男達に犯される、様におどろおどろしい劇伴鳴らしてタイトル・イン。都健二によるナレーション、略してミヤコレーションも起動させるでなく思ひのほか長いアバンを経て、監督クレジットに辿り着くのに八分を要する、総尺六十八分。
 明けて飛び込んで来るのが、見た目はグラムぽくて、音楽的にはサイケぽいバンド「Creasy Heart」の皆さん。アフロの女が一人、トップレスで踊り狂ふ。ダンサーはのち二人に増殖、二人目は普通の髪型。脊髄で折り返すと一個“e”が余計な“Crazy Heart”のスペルミスぢやね?としか思へないが、Creasy“クリージー”Heartで、皺だらけの心といふ意味にならなくもない。化粧をした男のボーカルが、レオタードを着てゐたりする素頓狂な意匠はさて措き、演奏は普通に聴いてゐられる生バンドによるディスコで二人のジゴロが女を物色。してゐると漸くミヤコレーション起動、“昨日と同じやうにネオンが都会の夜に華やかな彩りを添へる頃”、“人々の心もまたそれを望むやうに夜の熱気に狂はされ惑はされ始める”。“都会の夜は若者達にとつて斯くも魅力的なものなのであらうか”、明瞭な名調子でつらつら綴られる、途方もない意味のなさが凄まじい。兎も角、兄弟分の二人組は二人連れの女を適当にナンパ。後述するミステリアスな経緯は一旦端折つて、兄貴が博打を打つ何処ぞストリップ小屋のヤニ臭い楽屋に弟分はまだしも、何故か女も二人ともゐたりする。派手に負けた兄貴が金を作つて来る間の二三日、残り三人の身柄は置いて行かれる格好に。要はさういふ段取りで、目星をつけた女をストリッパーにといふ寸法。
 普通に抜かれる―横から見ると―三日月顔の女インタビュアーがヒモなり踊り子嬢のみならず、小屋の照明部にまで話を聞いてみたりする、一応ドキュメンタリー色のより強い山本晋也昭和48年第十一作。その癖、談志的な喋り方をするヒモが、話の内容以前にへべれけな発声が何をいつてゐるのかあんまり聞き取れなかつたりするんだよな、これが。攫つて来た子供に曲芸を仕込むサーカスが如く、かどはかした女を最終的には暴力で身体の自由ごと支配する。劇中描かれる、非人道的ないし反社会的といふか犯罪的なストリップの世界は、手を貸した諸方面は何も思はなかつたのかと不思議で仕方がないが、大らか通り越して限りなく野蛮に近かつた時代のテンションに、昨今のヒエッヒエな低体温で些末な茶々を入れるのも野暮に思へることにして、ここはひとまづ通り過ぎる。看過し難いのは幾ら今でいふモキュメンタリーとはいへあくまで劇映画であるにも関らず、平気で前後がちぐはぐに交錯する魔展開。といふかドキュメント“記録映画”を謳ふ以上、前と後ろの記述がちぐはぐなのはなほさら問題である。ジゴロ二人組と女二人は、小屋の楽屋に辿り着く以前にディスコでミーツした当夜、各々一部屋づつ取つて四人でホテルに。といふ流れ自体斬新なのだが、兄貴が賭けの負けをチャラにする形で大体和姦に持ち込む一方、弟分は風呂に入る女を強襲して思ひきり犯してゐる。全体、そんな真似を仕出かしておいて、どうして四人で楽屋に顔を出すところにまで持つて行けるのか。もう一箇所、更に苛烈に火を噴くのは終盤。足抜けが怖気づいた女の密告で発覚した兄貴分は、手酷く半殺しに。そこでドラマチックに昂るミヤコレーションが、“彼は愛に生きようとしたために”、“その愛によつて死んだ”。死んだのかよ!スト業界ブルータル過ぎんだろと震撼する間もなく、カットの根も乾かぬうちに、その一件を契機にそれまで裏方であつた男がヒモに昇格。その代りなのか何なのか、兄貴が照明当てたり場内マイクでガナッてゐたりなんかする。二人の立ち位置が転倒する構図は映画の着地点として判り易くはあるものの、お前死んだんぢやなかつたのか。構成―事実上の脚本―に池田正一(a.k.a.高竜也)と代々忠が二人名前を連ねてゐるのは、銘々が別々に書いて来たものをそのまゝ撮つて、そのまゝ繋げてゐるのかと首を傾げたくもなるほどのパラレルみ。他方裸映画的には板の上の模様含め手数は潤沢でありつつ、いまひとつ得点力不足の女優部と、一貫する謎画角とに阻まれ大した一撃の印象も残せず。あちこち派手なツッコミ処も散在する割には、掴み処のない一作。あるいはマキシマムな南風を吹かせると、さういふ漫然とした捉へ処のなさを、消費文化といふ意味でのポップ・カルチャー的な軽やかさと曲解するならば、量産型娯楽映画の大樹の枝葉を飾るのに寧ろ最適といへるのかも知れない、もしかしたら。


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 「爛れた関係 猫股のオンナ」(2019/制作:ネクストワン/提供:オーピー映画/監督・脚本・編集:工藤雅典/脚本:橘満八/プロデューサー:秋山兼定/音楽:たつのすけ/撮影:村石直人/照明:小川満/録音・整音:大塚学/VFXスーパーバイザー:竹内英孝/助監督:永井卓爾/撮影助手:加藤育/照明助手:広瀬寛巳/制作応援:小林康雄/演出部応援:天野裕充・渡辺慎司/ポスター:MAYA/スチール:伊藤太・KIMIKO/仕上げ:東映ラボ・テック《株》/協力:KOMOTO DUCT/出演:並木塔子・竹本泰志・相沢みなみ・長谷川千紗・佐々木麻由子・深澤和明・古本恭一・森羅万象・飯島大介《友情出演》・なかみつせいじ・ヒメ・ココ)。出演者中ヒメとココに、飯島大介のカメオ特記は本篇クレジットのみ。
 謎の単身赴任も五年目の浅倉雄一(竹本)が、田圃端のバス停で分厚いノートを叩いてゐるとスマホが鳴る。ど頭からイズイズム爆裂するスッ惚けた画はどうにかならんのかと苦言を呈したくもならうところではあれ、ここは一旦さて措く。首尾よく契約をまとめて来た浅倉に対する主たる用件は、本社帰還の報。喜び勇んで浅倉がかけた電話に、妻は出ず。“私には、鈴(りん)といふ名の、妻がゐる。”とか、わざわざ勿体つけて打つ意味の疑はしい漠然としたクレジット。開巻早々、工藤雅典が一昨日に絶好調、それは正方向の徴候なのか。ところで浅倉の電話に出もしない当の鈴(並木)はといふと、課長昇進も伝へるライン画面越しに、浅倉とは社の同期である砥部光和(深澤和明/ex.暴威)と見た感じ別に楽しさうでもない逢瀬。轟然と火を噴き、損ねる初戦にもいひたいことは深澤和明の弛緩した体躯から山の如くあるが、それも後に回す、キリがない。兎も角、事後ヘアピン別離を切りだしさつさと一人でタクシーに乗らうとする鈴と、無様か惰弱に食ひ下がる砥部が横断歩道際にて一悶着。どう見ても砥部が鈴を車道側に引き戻さうとしてゐるやうにしか見えない、頓珍漢な修羅場にトラックが突つ込んで来て、外見推定で多分ヒメの方(猫セルフ)にタイトル・イン。あのさ、工藤雅典て監督デビューして何年になるんだつけ。まあ、自問自答すると2019年時点で、二十年なんだけど。
 タイトル明け帰京した浅倉が、雨の中慌てて病院に駆けつける。砥部が無理心中を図つた形に解釈された事件で砥部は無事死亡、一方掠り傷で済んだ鈴は、待合室で浅倉を出迎へた常務の水木(飯島)が三十分前に様子を見に行つたところ、コートとポケットのスマホを残し忽然と姿を消してゐた。スマホのロックも突破出来ず、浅倉は途方に暮れる。
 配役残りビリング順に相沢みなみと佐々木麻由子は、砥部の娘で女子大生の茜と、未亡人なりたてのまなみ。流石に首から上は不用意に寄ると厳しさも感じさせる、佐々木麻由子は浜野佐知のデジエク自身四作目となる第八弾「黒い過去帳 私を責めないで」(2017/原案:山﨑邦紀/脚本:浜野佐知/主演:卯水咲流)以来で、ついでに深澤和明は工藤雅典二作前のデジエク第三弾「連れ込み妻 夫よりも…激しく、淫靡に。」(2014/主演:江波りゅう)ぶり。小屋に遠征する事前予習段階、相沢みなみの名前に、2011年に完全引退した筈の藍山みなみが超電撃大復帰を遂げたのかと度肝を抜かれかけたのは、純然たる極私的な粗忽、齢かいな。閑話休題、目下継戦する気配の窺へない相沢みなみが如何にも今時のゆるふはなギャルギャルした容姿に見せて、会話の間合の最適解にズバンズバン間断なく飛び込み続ける、切れ味鋭いソリッドな台詞回しが何気に出色。長谷川千紗に古本恭一は、新課長―前任は砥部―として浅倉が凱旋した課の今井美和と、美和に岡惚れする菅原。早速の戦果を挙げた本社再初日―に於いても、豪快にイマジナリ線を跨いでみたりする―の帰途、浅倉は鈴そつくりの女が、男とホテル街に消えるのを目撃する。二度目のコンタクトで捕獲した女は、鈴の身体的特徴であつた左太股の三角形を成す黒子がない、要は単なる瓜二つの街娼・和佳奈(当然並木塔子の二役)であつた。なかみつせいじは休日の浅倉が近所に発見した、昼間から開いてゐるバー「HIROSHI」のマスター・岩田。ヒメ同様ココも物理招き猫に「HIROSHI」で飼はれてゐる、もう一匹の猫セルフ、置物でも物理は物理だろ。浅倉の休日に話を戻すと、ハードカバーを裸で持ち歩く、鼻の腐りさうな造形も途切れ知らずのワン・ノブ・ダウツ、工藤雅典は仕出かした映画を撮るのが楽しくて楽しくて仕方ないらしい。止まらんぞ、だからキリがない。再度兎も角、そして最初は茜が所謂パパ活してゐる現場を目撃される、森羅万象は浅倉らが勤務する会社の取引先「三紅商事」の部長・瀧口孝三。なほ、茜にはアパレル会社「タキグチ・テキスタイル」の社長を名乗つてゐる模様。その他院内と社内、二人とも不明の和佳奈顧客、木に竹を接いで浅倉とまなみが密会するレストランに、総勢十五人前後見切れる。ついででレストランもレストラン、演劇の舞台を客席から撮影したライブビューイング感覚で、こんな風にあつらへてみましたとでもいはんばかりに、平板な画角と距離感で一同を抜く間抜けな最初のロングには欠片の覇気も窺へない。
 生え抜き中の生え抜きであるエクセスを離れた、王子亡命自体は衝撃の初上陸作「師匠の女将さん いぢりいぢられ」(2018/共同脚本:橘満八/主演:並木塔子)に続く、工藤雅典大蔵第二作。妻に蒸発された男が、家路となると思ひきり普段の生活圏で、妻と同じ姿形の女と出会ふ。如何にもありがちな導入を経てゐながら、二度目の邂逅で女はあつさり別人確定。蒔いた種が芽吹く暇もなくドラマを摘み取る、破壊的な作劇には明後日なベクトルで吃驚した。全体何をしようとしたのか、全く以て理解に苦しむ。それ以前、あるいは以下に。唯一、もしくは何故か。まるで別人のやうな入念さで始終を十全に撃ち抜く長谷川千紗の休日オフィス戦と、百歩譲つて一応それなりな締めを除けば、吹きかけた尺八を満足に吹かせても貰へない佐々木麻由子を象徴的に、前戯は極めて手短に端折つた上でなほかつ、いざ挿入後も単調に体位を羅列する程度の杜撰な濡れ場は甚だしく不誠実極まりない、国映か。最も酷いのは、画期的にお美しい御々尻をしてゐるにも関らず、瞬間的なイマジンと食はずの据膳とで事済まされる二番手。お芝居には確かに光るサムシングも感じさせつつ、何のために連れて来た。その癖、妙に執拗な手数を費やす割に、総じて他愛ない「HIROSHI」絡みの件を逆向きの筆頭に、決定力不足の情緒ばかり徒に積み重ねる無駄のてんこ盛りには苦笑も凍りつく。女の裸に割く尺に優先するほどの、代物にも特にも何も全く見えず、呆れ果てて屁も出ない。挙句最悪の大問題が、母との内通を察知してゐた茜は、浅倉の急襲を瀧口離脱後に受けた際、迎撃気味に「夫を亡くした傷心の未亡人垂らし込むなんて」と毒づく。するとそれを受けた浅倉が言葉を濁して、「安手のピンク映画ぢやあるまいし」。あの、な。軽く話を戻すと浅倉の本社再初日、美和と菅原は新課長の凱旋を、屋上缶ビールで言祝ぐ。面白くない詰まらないは個々の琴線の張り具合に無理から収斂させるとしてまだしも、冒頭の田圃端バス停ノート同様、満足なロケーションの一つ二つ用立てられなくて何が“安手のピンク映画”なら、こんならの映画が一番安いんぢや。気取つた自虐にせよ、斯くも逆の意味で見事に天に唾吐く映画撮つてゐて、工藤雅典は恥づかしくないのかと傾げた首がヘシ折れるかと思つた、寧ろ観てゐるこつちが赤面する。そもそもクライマックスでは出し抜けに別離と絆をフィーチャーしてみせるにしては、二人に子供はをらず。鈴が仕事を持つてゐる風にも、たとへば本宅同居人を介護してゐる風でもない点に躓くと、浅倉の単身赴任がそもそもなミステリー。ちぐはぐばかりな基本出来損なひの裸映画の隙を突いて、大概な暴投をドカーンと放り込んで来る。ともに外様の工藤雅典が、髙原秀和を猛追する構図は如何なものか、暗澹とする心持ちを抑へきれない一作。それ以上の憎まれ口は、もう叩かない。

 最後にもう一つよく判らないのが、今回何処にVFXを使つてゐたのか誰か俺に教へて呉れ。あと救出した茜を一人で風呂に入らせればいいのに、わざわざシャワーを浴びせかける意味、二つやがな。


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 「人妻淫乱調教 ‐いたぶる刺激‐」(1992『人間拷問 三段責め』の2001年旧作改題版/製作:獅子プロダクション/提供:Xces Film/監督:佐藤寿保/脚本:五代響子/撮影:稲吉雅志/照明:小川満/編集:フィルム・クラフト/助監督:今岡信治/監督助手:田尻裕司・本多英生/撮影助手:佐久間栄一/照明助手:大塚俊彦/スチール:佐藤初太郎/緊縛:唐変木/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:芹沢里緒・姫ゆり・中村京子・杉浦峰夫・今泉浩一・池島ゆたか)。
 万華鏡エフェクトの施された、ブラインドを背に所在なさげな芹沢里緒のアップに、早速な杉浦峰夫の第一声が「今日は発作は起こらなかつたのか?」。答へて曰くが「はい、私は私のまゝでした」。佐藤寿保が秒殺でオッ始めやがつた、風情が清々しい。この御仁的にまゝある、覚束ない人を、寧ろ更に覚束ないのかも知れない人間が看る映画の火蓋が、判り易く切られる。女の言葉に男は半信半疑の遣り取りから、赤々と照明の当てられた後背位にクレジット起動。精神科の研究医・三上忍(杉浦峰夫/ex.杉浦峰夫で紀野真人)が患者と結婚した妻・裕美(ひろみ/芹沢里緒)の、口の中に次の女の指が入り込んで来るイメージをスイッチにスイッチする、アグレッシブに淫蕩な裕美(ユミ)と、幼児の裕美(ユウちやん)。そしてセーラー服ツインテの、旧姓野村裕美(ヒロミ)の計四人格を、タイトルバックで手際よく見させる。最初の画に戻り、自分の目の前にゐるのが四人の“裕美”のうち誰なのか量りかねる三上に対し、裕美が妻の裕美である旨訴へてタイトル・イン。どうでもよかないが、たとへばフィルムハウスの即物的かつ実用的な明るさにはしつくり来よう、ぞんざいなフォントはどうにかならなかつたものか。
 “最中に発作でも起こされたら興醒めだ”などと、随分な理由で裕美を胡坐縛りで拘束しての夫婦生活。三上は勃起こそすれ、射精にはどうしても至れなかつた。先輩研究医の江崎(池島)が三上の悪戦苦闘を適当な距離感で生温かく見守る中、如何程かありさうな勝算に関しては結局最後まで語られないまゝに、ユミは自分以外の三人格を斥け、肉体を独占する野心を苛烈に燃やす。
 配役残り中村京子は、徒な敵意を拗らせる三上夫婦を、双眼鏡で監視する面倒臭い御近所・斉藤範子。普通の使ひ方で電マを使ふ、葱を背負つた鴨。今泉浩一は、ユミの間男・中島靖。実質三番手の、秀逸な用兵に感心させられた姫ゆりは繁華街に繰り出したヒロミに、紳士服で声をかけるビアンの高品三千代、当然タチ。
 近頃ぼちぼち活発なエク動に遂に当サイト未見作が飛び込んで来た、佐藤寿保1992年第二作。配信開始(2020/12/24)に際し、“クリスマスに全くふさはしくない1本”―原ツイは珍かな―といふのは兎も角、“なんか凄い映画です…”とかエクセスの煮え切らない売り方には反し、なかなかどうして。所詮なそんなもの感を爆裂させるこの年のピンク大賞には掠りもしなかつたものの、普通に面白い。
 四人で一人のミイラと対峙したミイラ取りが、戦闘的なミイラに喰はれる物語。何はともあれエクセスにつき、裸映画的には文句なく鉄板の大安定。ほどよく膨らんだオッパイを始め、均整の取れた美しい肢体を存分に堪能させる芹沢里緒が、印象ないし知識が乏しく―撮影部のアシスト込みで―演出部の勝利か俳優部の地力かまでは判別しかねつつ、かてて加へて、三上裕美以外銘々個別的な癖のある三人の“裕美”を、綺麗に演じ分ける。主人格―である筈の―裕美以下三人がユミに浸食される構図を、前半で観客なり視聴者にも明確に構築。各々絡みは潔く一幕に止(とど)める冷静な節度含め、無理の全くないビリング下位二名の的確な起用法。そして、「証明してみせて」と、ユミが三上“忍”に差し出す強力な自白剤。さりげなく蒔いた伏線を力技でヒッコ抜いてみせる、鮮やかなカウンター。を経ての、“裕美”と“忍”が最初で最後に交す、やつとまともに出来たセックス。締めの濡れ場を、問答無用のクライマックスに直結してのけた点もジャンル上なほさら素晴らしいが、単純な鏡のみならず、終始登場人物を何某かに映り込ませ続ける画面をひとつの世界観として完成させた上で、自白剤を服用させた本体はユミに、三面鏡の右から裕美とユウちやんにそしてヒロミ。三上が四人の“裕美”と一堂に対峙する、一撃必殺の名シークエンスには震へた。恐らく、ユミも裕美の母親であつたのであらうと思しき辺りの顕示には辿り着き損ねたにせよ、なかなかどうしてどころか案外完璧。決して画質は高くはないが、その分安い。別にエクセスからビタ一文入つて来る訳ではないけれど、大いにレコメンドの一作。封切り後僅か三週間強と、驚天動地の神速でエク動に放り込んだ自信作「憂なき男たちよ 快楽に浸かるがいい。」(2019/監督:松岡邦彦/脚本:金田敬/主演:並木塔子)で気を吐きながらも、コロメの逆風もあつてか、2020年は沈黙。あれこれこれあれ異論もあれ、大蔵は大蔵で大蔵なり懸命に踏ん張つてゐるとも思へ、片や新東宝は会社を存続させるのが精一杯。である以上、エクセスにはエク動でも収益を上げまだまだしつかりしてゐて貰はないと、浜野佐知が還つて来る場所もなくなつてしまふ。


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 令和3年映画鑑賞本数:98本 一般映画:23 ピンク:62 再見作:13 杉本ナンバー:8 ミサトナンバー:1 花宴ナンバー:1 水上荘ナンバー:

 再見作に関しては一年毎にリセットしてゐる。そのため、たとへば三年前に観たピンクを旧作改題で観た場合、再見作にはカウントしない。あくまでその一年間の中で、二度以上観た映画の本数、あるいは回数である。二度観た映画が八本で三度観た映画が一本ある場合、その年の再見作は10本となる。それと一々別立てするのも煩はしいので、ロマポも一緒くたにしてある。

 因みに“杉本ナンバー”とは、杉本まこと(現:なかみつせいじ)出演作の本数である。改めてなかみつせいじの芸名の変遷に関しては、昭和62に中満誠治名義(本名)でデビュー。1990年に杉本まことに改名、2000年更に、現在のなかみつせいじに改名してゐる。改名後も、旧芸名をランダムに使用する例もある。ピンク畑にはかういふことを好む(?)傾向がまゝあるゆゑ、なかなか一筋縄には行かないところでもある。
 加へて、戯れにカウントする“ミサトナンバー”とはいふまでもなく、ピンク映画で御馴染みプールのある白亜の洋館、撮影をミサトスタジオで行つてゐる新旧問はずピンクの本数である。もしもミサトで撮影してゐる一般映画にお目にかゝれば、当然に加算する。
 同様に“花宴ナンバー”は主に小川(欽也)組や深町(章)組の映画に頻出する、伊豆のペンション「花宴」が、“水上荘ナンバー”は御馴染み「水上荘」が、劇中に登場する映画の本数である。


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 「HOT STAFF -快感SEXクリニック-」(昭和62/製作:FILM・CITY/提供:にっかつ/監督:加藤文彦/脚本:岩松了・加藤千恵/原作:大島岳詩《コミックBE!光文社所載》/プロデューサー:半沢浩/企画:塩浦茂/撮影:長田勇市・滝彰志/照明:遠藤光弘・田中洋一・小林篤志/美術:佐々木敬/編集:菊池純一/助監督:田胡直道・上田良津・小野里政之/製作担当:松本洋二・岡田周一/メイク:桜田真由美/スチール:西本敦夫/録音:ニューメグロスタジオ/衣裳:第一衣裳/現像:IMAGICA/撮影協力:ガレーヂ・ホノラリー/出演:岸加奈子・河村みゆき・足立弘規・?照雄・田山涼成・水木薫・橘雪子)。出演者中、足立弘規と某照雄は本篇クレジットのみ。某のこゝろは輝く水面に白文字が完全に飛び、苗字が判読出来ず。もう少し考へろよ―監督クレジットはそこだけ黒バックにしてゐる―といふのと、もう一点トメに置いたのはポスターの記載に従つた当て図法で、トリミングに削られたのか橘雪子のクレジットは正直見てゐない。
 ドボルザークの「家路」流れる中、図書館に勤める夏目京介(田山)がぼんやりと橋を渡る。夏目が欄干にボサッと寄りかゝつてゐると、買物帰りでほてほて歩いて来た夏目の妻・八重子(岸)が合流。田山涼成のモノローグ起動、「プラトニック・ラブといふ言葉が、私は好きだ」。「しかし結婚一年となる夫婦にとつて、これは悪い冗談だ」。キレもなければ華もない主演男優に、果たしてこの映画は支へきるのか。そこはかとなく去来した危惧は、大体当たる。兎も角連れ立つての帰途、草花の好きな八重子が、綺麗なヒメジオンを見つけ入る草叢。二人にピンスポのやうな光が頭上からボヤーッと差す、へべれけな画像処理は幾ら何でもどうにかならなかつたのか。さて措き夏目家ベランダの灯が消え、その日の夫婦生活。その日も、夏目は勃たなかつた。翌朝、鞄と間違へスリッパ立てを提げ、夏目は悄然と出勤、八重子もその場で止めろ。矢鱈と天井の低い、地下通路を夏目が進むロングにタイトル・イン。通路の壁に穴が開いてゐるかの如く存する、SEXクリニック「HOT STAFF」の敷居を夏目は跨ぐ。「つまりアレですねえ」、「インポテンツ」。開口一番情け容赦ない診断を仮借なく下した「HOT STAFF」のセンセイは、白衣を引つかけクソよりダサいウェリントンをかけてゐるだけで、夏目と瓜二つの男(当然田山涼成の二役)だつた。流石に合成線は、見えなんだ。
 配役残り河村みゆきは、センセイのアシスタントで基本キッワキワのボディコンを着てゐるミミちやん。水木薫は、女子力ならぬ女史力を爆裂させる夏目の同僚・宮園五月。二人飛ばして橘雪子は、「HOT STAFF」クライアントの重戦車マダム。その他夏目が乗るイースタン無線の運転手と、夏目家に新聞を配りに来る、無闇にキメた新聞配達が足立弘規と某照雄か、空に太陽がある限り特定不能。但し、夏目と交す遣り取りも与へられるのは運転手の方だが、新聞配達はミミと軽く絡む点を鑑みるに、一応ビリング上位の足立弘規―本職は撮影部の模様―が新聞配達かも。更にその他、重戦車マダム同様センセイに抱かれる―のを待つ―中年女が五人、待合室を賑やかす。橘雪子が一幕限りで銀幕を潔く駆け抜けて行くのに対し、ノンクレ隊は都合三度登場。この人等は不脱、脱がんでいい。
 2014年に享年六十二と、今時にしては早くに亡くなつた加藤文彦の通算第七作は、「偏差値 H倶楽部」(製作:フィルム・シティ/監督:すずきじゅんいち/脚本:菅良幸/原作:愛川哲也/主演:杉田かおり)と、「若奥様のナマ下着」(製作:U-PRODUCTION/監督:石川欣/脚本:加藤正人/原作:大地翔/主演:小沢めぐみ)との何れもマンガ原作の買取系三本立てで、「コミック・エロス」企画を成す当サイトがランダムに見た順では最後の一本。
 夏目が二度目に「HOT STAFF」を訪ねたところ、センセイは眼鏡を机上に残して不在。伊達なのか戯れにセンセイの眼鏡をかけてみた夏目を、眼鏡をかけてみた“だけの”夏目をミミはおろか、実は患者であつた宮園女史もセンセイと見紛ふ。何時の間にかか気がつくと不能も大完治、そのまゝ治療だかカウンセリングと称して夏目がミミ込みで女達とヤリ倒す一方、八重子はセンセイと思しき男と夏目は為し得なかつた夜の営み含め、夫婦としての生活を送つてゐた。やがて、夫の以前との変化に戸惑ひを覚えた八重子が、今は夏目が主であるホトスタの門を叩く。さう掻い摘むと、それらしき物語が構築されてゐたかのやうに思へなくもない。もの、の。センセイの職なり立場と、夏目の配偶者を交換する大胆なスワップが、マンガがどうなつてゐたのかは知らないが少なくとも、映画の画的には満足に成立してゐない。それゆゑ絶妙に足が地に着かぬ心許ない展開を経ての、兎にも角にもか遮二無二な、遂に夏目と八重子が情熱的に結ばれる美しい締めの濡れ場、をも、オーラスで不用意に後味を濁すとあつては、いよいよ以て万事休す。完遂率の高さこそ買へる絡みも、下手にマンガを意識したのか不要な意匠に足を引かれる感は否めず、絶対美人の岸加奈子を扇の要に、飄々とプリップリの河村みゆきと日常性を最上級の形でスクリーンに咲き誇らせる水木薫をも擁してゐながら、腰から下が、首を縦に振る決定力にも些か遠い。キレもなければ華もない主演男優と綺麗に命運をともにした、漫然とするか釈然としないの二択くらゐしか見当たらない一作。最終的にコミエロを大雑把に総括すると、一番見られるのは原作如何は最早さて措いてマンガみたいな映画の「H倶楽部」で、裸映画として比較的充実してゐるのは「ナマ下着」。「ホトスタ」は後塵を拝した、といふのがザックリした概評である。

 一点琴線を撫でられたのが、セカンド助監督に名前の見られる上田良津。改めて軽く調べてみると、確認し得る最古の活動歴は珠瑠美昭和60年第五作「連発絶頂テクニック」(ミリオン/脚本:木俣堯喬/主演:あおい恵/未見)の矢張りセカンド助監督、チーフは鎌田敏明。真央元の声を神戸軍団同門の山本清彦がアテた、「昼下りの暴行魔 団地妻を狙へ!」(1995/主演:江崎由美)で華々しくは全然ないが逆の意味で派手なデビューを果たすまで、キャリアの端緒から結構時間がかゝつてゐた格好となる。そんな上田良津も、1999年の第七作「発情乱れ妻」(大蔵/プロデューサー:関根和美/主演:夢乃)以降の、活動の形跡は全く追へない。


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 「ドキュメント・ポルノ トルコテクニック大全集」(昭和49/製作:プリマ企画株式会社/監督:山本晋也/構成:山本晋也/制作:藤村政治/企画:渡辺忠/撮影:伊東英男/照明:内田清/編集:中島照夫/音楽:多摩住人/助監督:城英夫/効果:秋山サウンド・プロ/監督助手:安部峯昭・石崎健二/制作主任:大西良夫/制作進行:近江勇/録音所:大久保スタジオ/現像所:東洋現像所/ナレーター:津村啓介)。企画の渡辺忠は、代々木忠の変名。
 殊勝ぶつて“日本トルコ番外地○○県○○湖畔○○温泉”と伏字を使つてはゐるものの、まあ雄琴の夜景。ベガスばりのネオン煌く壮観にズンチャカいい感じの劇伴が鳴り、“警察庁防犯少年課の資料によると”と勿体つけたナレーションがおもむろに語り始める。ああだかうだ適当な数字を並べ、一日に一升瓶四百二十本分の精液が特殊浴場にて放たれてゐるとする“トルコ天国”を概括した上で、イントロからきつちり入る天地茂の「昭和ブルース」大起動。反転させた画でトルコ四十八手のうち宇宙遊泳と称した、湯船の中での騎乗位。後々同じく百匁ローソクの件で再登場を果たす女優部のオッパイが、今でいふと真木今日子に比類するエクストリーム。反転させずに、普通に見せろやとフラストレーションを弾けさせかけつつ、カラー復帰して競り上がり式のタイトル・イン。「昭和ブルース」三番歌ひ出しの、“なんにもせずに 死んでゆく”に合はせたタイミングで入る監督クレジットが完璧。その節度、ないし覚悟はパンクだ。
 海軍調店舗―どがな店なら―のロビーに、客を送り出す劇中ナレ曰く“トルコの女王”中村順子(演者不明)登場、“彼女が虚飾をかなぐり捨ててトルコの世界を赤裸々に告白したドキュメンタリー”である旨、趣旨の半分を開陳する。
 四月に続のトルテク大全集、九月には新が公開されたのを窺ふに、それなりに好評を博したものと思しき山本晋也昭和49年第一作。この期に及んで、誰か「シン・ソープテクニック大全集」でも撮つてみせればいいのに。となるとここは、瀬々は流石になからうゆゑオーピーがサトウトシキか片岡修二―サトトシもねえよ―を奇跡の初上陸再召喚するのでなければ、唯一実績のある今上御大のお出番。ある、いは。城定秀夫の伝(つて)で北沢幸雄の三十二年ぶり大蔵超復帰、それが一番遠いのでは。
 九州から集団就職で上京後、無計画な妊娠と堕胎に至る最初の男との出会ひと別れののち、ホステス経由で泡姫に。中村順子のある意味ありがちな来し方の途中から並走する、逐一技の名前を列挙してのトルコテクニック博覧が、確かに“大全集”を謳つた看板は偽らないもう一本の主旨。尤も、判り易いのはヘルメスのペパーミントリキュールを口に含んで尺八を吹く緑化運動(ペパーミント)に、経血を飲ませる“定期便”といつた辺り。しかし確かにスースーしさうな緑化運動は兎も角、定期便は汚いな。レス・ザン・脈略で唐突に菊花賞のテレビ中継が挿入されるのが、天狗の鼻を客の肛門に挿した返す刀で、自分にも挿すそのまゝな「菊花賞」なるメソッドの導入であつたのには軽く目を見開かされた。さうはいへ、大半は肝心要の結合具合は映せないのと、下手に寄つてみたりカットを刻んでみたりで、何が何だかまるでピンと来ない。まゝにも頑強な質量で女の裸は叩き込み続ける、漫然と雲も掴み損ねる割に、腰は据わつた裸映画といふのが最たる印象。中村順子のトルコ論として、男が受動的なトルコに於いては、“男達が色々開発した性のテクニックを女のアタシ達が男にしてやる訳”。即ち男が“女によつて女性的な性の愉しみ方を与へられてゐる”一種の“セックスの革命”が成されてゐるといふのは、一見大胆な議論にも聞こえ、結局女の性を商品化してゐる点には1mmの変りもなく、一面的なマチズモを裏返すふりしてコソッともう一度裏返した、要は元に戻した程度の体のいい方便に思へる。嬢に対するインタビュアー含め、女男それぞれ十人強づつ投入される俳優部には、基本手も足も出せず。ただラスト一人の女客に、三人の筋肉男とともに奉仕する百合の花を咲き誇らせる女で、丘マヒロ(a.k.a.丘まひろ)が飛び込んで来る。ちなみにその舞台が、“全てあらゆるテクニックが開発されてしまつた”トルコの最新機軸とかいふ、客同士がスワッピングする秘密クラブ風のトルコ。それ、最早トルコなのか?何気に根本的な疑問はさて措き、小刻みにハイライトを羅列して「昭和ブルース」再起動。監督クレに続き、最後の―誰も探しに行かないものを―「俺は求めて 一人ゆく」に完マークを合はせるのは、自ららの姿を照らし合はせたつもりならば、些かカッコつけすぎなのが微笑ましくもこよばゆい。


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 「実録・元祖マナ板ショー」(昭和50/製作:日活株式会社/監督:藤井克彦/脚本:久保田圭司/プロデューサー:結城良煕/撮影:森勝/照明:高島利隆/録音:福島信雅/編集:山田真司/美術:渡辺平八郎/助監督:飛河三義/色彩計測:水野尾信正/現像:東洋現像所/製作担当者:栗原啓祐/協力:浅草ロック座・目黒ホテルエンペラー/出演:夕月マコ・山科ゆり・坂本長利・森みどり・吉野あい・高橋明・風間杜夫・島村謙次・清水国雄・田中美津男・織田俊彦・薛好順・久松洪介・露木護・賀川修嗣・伊豆見英輔・浜カメリア・東美津江・東ひろみ・東美鈴。東マホ・東秀子・宝京子・宝高子・宝洋子/刺青:河野光揚)。出演者中田中美津男と、久松洪介から伊豆見英輔までに、東美津江以降東姓か宝姓の東宝軍団(大仮称)は本篇クレジットのみ。逆にポスターにのみ、大江ユキ一座。ポスターが斬新なのが本職スト部には括弧特記で各々の演目が併記され、ビリング順に夕月マコ(マナ板ショー・天狗レズ)・薛好順(天狗レズ)・浜カメリア(金髪ベッド)・大江ユキ一座(六人乱交レズ)といつた風になる。クレジットがスッ飛ばす配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。
 恐らく実際に上演中の板の上を撮影してゐると思しき、気持ち粗い映像。複数の百合が咲き乱れる壮観(大江ユキ一座の皆さん)に、客席の紳士連が固唾を呑む。画面をろくでもない幅で横断する、ジャミングが凄まじくて正直何が行はれてゐるのだかよく判らないが、一人白人のとんでもない美人がゐる。大入り袋を用意する支配人(久松洪介?)に、グラサンだと前川勝典似にも映る野津(島村)が声をかける。二人が交す遣り取りの推察で支配人に乞はれた、野津の小屋からレンタルした踊り子の延長を、やんはりお断りすると野坂昭如のダイナマイト歌謡「マリリン・モンロー・ノー・リターン」(昭和46)が轟然と起動。オープンショーの模様を軽く見せて、ゐたかと思ふとプツッとタイトル・イン。レス・ザン・作為な繋ぎが、前衛性に跨ぐ敷居の上でせめぎ合ふ。
 明けて「ねえ早く済ませて」といふドスの効いた女の声に、高橋明が答へて「真弓のことか?」。高橋明の、渋味と張りに富んだ発声が素晴らしい。夕月マコ(ハーセルフ)とヒモの熊田(高橋)が一発手短に致した部屋に、マコとコンビを組む真弓(山科)が戻つて来る。黒髪ロングでハクいルックスに釣り合はず、挙句何処なのか謎訛りも駆使してのける夕月マコに、潔くアテレコる選択肢はこの時検討されなかつたのか。兎も角、熊田に対しては敵意も隠さない真弓はマコことお姉さんと一緒にゐたい一心で、天狗の張形を用ゐた新機軸に二つ返事で同意する。ところが真弓の体はマコのハードな責めに耐へきれず、舞台上で出血。評判を買はれ野津の小屋に招聘された頃には、戦へない体になつてゐた。
 配役残り、ガラス張りのゴンドラで観客の頭上を縦断する、金髪ベッドなる途方もない大技を披露する野津の小屋の踊り子・浜カメリア(浜セルフ)のヒモで、庄司三郎が楽屋にノンクレジットで飛び込んで来る不意を打つエモーションが中盤の隠れたハイライト。珍しく裸も見せる森みどりは、同じく古参の明美姐さん。軽いリーゼントのノーヘルで颯爽とカブを駆る清水国雄は、小屋に出入りする来々軒の出前持ち・雪夫。不完全消去法で田中美津男が、雪夫に持つて来させたラーメンを、開演前の盆をテーブルにして食ふ男?かどうかはこの際さて措き、サイコーの食事すぎて勃起する、ウルトラ旨いにさうゐない。伊豆見英輔はラーメン(大絶賛仮名)と同じく開演前から待つ、素のストライカー。ストライカーといふのは、ストリップがライクな人を意味する造語。何でもかんでも何々“オタ”の接尾辞一点張りで済ます、粗雑な風潮には与し難い。かれこれ三十年前、昨今はドルオタだなどと語感から杜撰な括りで片付けられるクラスタに対し、結局何故か定着しはしなかつたものの、アイドリアンといふ深い愛情と豊かな潤ひとに恵まれた、麗しき呼称の存した事実を当サイトは未だこの期に忘れてはゐない。ピンクスを自称するのも、同じ所以である。話を戻して風間杜夫が、真弓が舞台に上がれない穴埋めの奇策に熊田が客を装ふ疑似マナ板ショーを、ラーメンがカッ浚つて行くステージに感銘を受けるセンシティブなストライカー・松村順。正直この辺りゴチャゴチャする吉野あいと露木護は、松村の彼女・ユカリと、ユカリに電車痴漢する男。薛好順と織田俊彦は、真弓の代りにと呼び寄せたマコとは旧知の仲であるアンジェラ・アリスと、そのマネージャー・山内ヨシタカ。川の字式に、五人の布団を並べた寝床。消灯するやオッ始めたアンジェラと山内を、グイーッと引いて一番離れた高橋明の背中越しに据ゑる、映画的なショットにロマポの底力が漲る。坂本長利はプイッと帰つて来た、籍を入れてゐるのか否かは不詳ながら、明美の息子・セイイチ(子役不明)の父親・眉村。その他終盤芸者・ストリーム・アタックをキメるのが、東宝軍団のうち宝隊らしい、東班はもう知らん。それと賀川修嗣が何処に見切れてゐるのか、どうしても見切れなんだ。
 本職ストリッパーを大量動員し、確かに実録要素もそれなりに豊富ではある、藤井克彦昭和50年第一作。諸刃の剣で、劇映画的な求心力は正直後回し気味な漫然さも漂ふ前半を経て、殆ど終盤の坂本長利投入で、漸く展開の足が地に着いた感も否めなくはない。森みどりが覗き込む鏡台に、坂本長利が所在なさげに映り込むカットから完璧。楽屋に云年ぶりかでぽつねんと現れた眉村を、明美が浮気の痕跡を調べると称して布団の中に軟禁。「みんな、ごめんよー」のシャウト一番、自らも布団に潜つてくんづほぐれつ開戦するシークエンスには、昭和スメルのツンデレが煌めく。出奔した真弓を捜しに出たマコは、明美が玉箱を積み重ねるパチンコ屋に。セイイチに好きな景品を選ばせた明美から「あんたも何か貰ひなよ」と促された眉村の、「ぢやハイライト貰はうか」には痺れる。さうだよ、ハイライトはダメ人間が吸ふ煙草なんだ、ダメ人間が吸つててもカッコいい煙草なんだ。選りにも選つて、雪夫をヒモに流れ転んで行く真弓の去就には不安しか見当たらない反面、デフォルトの軋轢が甚だ手数から足りず判り辛いのは兎も角、第二次マコ板で一皮剝けた松村が、ユカリとの関係を若々しい晴れ晴れさで取り戻す着地点は、木にハッピー・エンドを接ぐ強引さも見え隠れしつつ、矢張り鉄板。改めて野坂昭如みたいな男がいはゆる電気アンマで責められるマナ板と、締めのタイトルバックは本職部大量動員。ドキュメントと、劇映画。二兎チェイスを強ひられる窮屈といふか土台無理のある構成を見るにつけ、破天荒にせよよしんば出鱈目であつたとて、アナーキーな反戦思想を無理からブッ込んでみせた大御大・小林悟の魔作劇も最早あゝするしかなかつた、最後に残されたカウンターであつたのかも知れない。もう一点、インストアレンジ込みで歌謡曲の選曲はカッコよく走る反面、畏まつたクラシックは些か煩はしく鼻につく。そこに描かれてある、お新香臭い風土と親和してゐるとは認め難い。


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