真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「痴漢電車 いけない妻たち」(1992/製作:国映株式会社/配給:新東宝映画/脚本・監督:瀬々敬久/企画:朝倉大介/撮影:斉藤幸一/照明:笹塚ライト兄弟/編集:酒井正次/助監督:田尻裕司/監督助手:原田兼一郎/撮影助手:斉藤博/応援:山田菜苗/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:岸加奈子・伊東ゆう子・伊藤猛・蒲田市子・佐野和宏・宵待闇四郎・外波山文明)。
 田圃が続く車窓、寝てゐる岸加奈子が目を覚ますと、対面には不遜なグラサンの伊藤猛が座つてゐて、なほかつリーチのある左足はスカートの中に潜り込んでゐた。暫しグリグリだかモゾモゾ、キシカナが密やかに喜悦した上で、ホームに入る電車にタイトル・イン。クレジットと並走して、風の強い物陰―といふほど隠れられてもゐない―でキシカナと伊藤猛が情を交す。中途で事後の渡船船着場、目的地が一応あるらしきキシカナに対し、体躯を持て余すかのやうにボサッとした伊藤猛は、キシカナが別れを告げたにも関らず、ボサッとしたまゝ後をついて来る。その内に倒れたキシカナを、伊藤猛は兄で漁師の外波山文明が嫁の伊東ゆう子と民宿も営む?実家に担ぎ込む。自衛隊は除隊した体の掴み処のない弟に、外波文が匙を投げる一方、無闇な色気のある兄嫁は色気づく。
 配役残り佐野和宏は妹とのラジオ体操が日課な、近隣で進むマリンリゾート開発の人夫。脱ぐと案外いいオッパイの蒲田市子が佐野の妹かと思ひきや、当人曰く佐野はお父さん。お父さんだとすると、お母さんは誰なんや。キシカナに執心したり、佐野の周囲に出没したり、兄嫁には言ひ寄られてもみたり。宵待闇四郎は油を売るに終始する伊藤猛の前に辛抱きらして現れる、同僚を通り越した同士。元版のVHSがどうなつてゐるのかは知らないが、正直下手なロングにもなるとそこに誰が映つてゐるのかてんで判らなくなるくらゐ配信動画の画質が派手に悪く、伊藤猛に見劣りしないタッパもある角刈りの男前である、見るから変名臭い宵待闇四郎の正体には辿り着けなかつた。
 “系”ならばある程度まだしも、狭義の国映作が月額のピンク映画chには殆ど全く入つてゐない―もしかしてガチで「未来H日記」だけ?―癖に、ex.DMMのFANZAですらない、今でも素のDMMバラ売り動画の方には結構ゴロッゴロ入つてゐる事実に気づき、上等だと国映大戦をオッ始めることにした瀬々敬久1992年第二作。商業限定で、通算第七作。平成元年のデビュー後―デビュー作もある―も続けてゐた助監督稼業からは、流石に90年で足を洗つてゐる。話を戻して、結構ゴロッゴロといふのが、ザッと見渡してみて二三十本は下らない。ex.DMMは回避しておきながらといふ辺りの、如何にもお高くとまつたスカし具合が矢張り癪に障らなくもないにせよ、ワン・ノブ・フロンティアスとして足元見られる、もとい突入する所存である。未見のもの、あるいは過去に観てはゐるけれども素通りしてしまつてゐるものは、何でも、あるいは誰のでも見るなり観たい。
 「何時かやるなんていふ奴の“何時か”なんて一生来ない、やるなら今しかないんだよ!」。エモい予告篇に琴線を激弾きされ観に行つた「菊とギロチン」は、途方もない映画だつた、尺が。若い頃強ひられた窮屈な映画作りの反動あるいはトラウマか、瀬々敬久は自分の企画ともなると際限を見失ふ傾向だか性向にあるやうだが、そもそも対比で論じる筋合のものなのかといふ、至極全うなツッコミに関しては聞こえないプリテンドでさて措くと、上映時間は菊ギロの三分の一にも満たない今作が、どう控へめに見積もつたとて少なくとも三倍は面白い。何気ない会話の端々で何となく外堀を埋めつつ、満を持しての宵待闇四郎投入で漸く全貌をほぼほぼ露にした物語が、俄然唸りをあげ走り始める強靭な作劇。伊藤猛が度外れたストライドで走り、佐野は観念的に彷徨ひ、そして重たい想ひを引き摺るキシカナが、姿を消した男を追ふ。結構な面子を大勢揃へた一般映画にも、引けをとらないどころか俳優部、おまけに画面の強度も勝つてはゐまいか。菊ギロにも和田光沙のサービス・ショットがなくもないけれど、加へてピンクにあるのは、いふまでもなく女の裸。廃屋の窓越しの伊藤猛と伊東ゆう子の後背位は映画的な詩情のみならず、通俗的な煽情性をも十二分に兼ね備へた良濡れ場で、キシカナと佐野が熱戦を大完遂したのち、カット跨いでグン!と引くカメラには度肝を抜かれた。終盤大概差し迫つての三番手は如何せん些か無理筋で、佐野の素性にあへて余白を残した以上、伊藤猛と佐野を繋ぐ線が、必ずしも満足に繋がつてゐるともいひ難い。バキューンバキューン銃声の音効は牧歌的で、エンド・マーク代りの、“一九九二、二、二七”は流石にダサも否めない。詰めの段階で幾分力尽きたきらひもなくはないにせよ、色彩―ないしは色調―と表情豊かな海を背景に、性と政治が滾るドラマはガツンと見応へがある。といふか、蒸し返すと結局三時間もかけて、菊ギロは性も政治も燻り仕舞ひだつたな。


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 「コギャル喰ひ 大阪テレクラ篇」(1997/制作:幻想配給社/配給:大蔵映画/制作協力T=M=P株式会社/監督:友松直之/脚本:友松直之・大河原ちさと/原題:『天使幻想』/撮影:横山健二/照明:井上敏彦・立花宣/美術:栗山誠一/録音:沢村厚志/音楽・効果:森和彦/ネガ編集:藤沢和貴/ヘアメイク・衣装:久保田かすみ/特殊メイク:伸谷進 KID'S COMPANY/助監督:藤原健一・川合晃/制作進行:赤井勝久/記録:永田昇/主題歌:『天使幻想』作詞・作曲・唄:アリスセイラー/協力:もしもしピエロ・ニタヤ動物病院・Bar.isn't it?・ルノンプロモーション・ヴイク株式会社・ペットステイタスセレモニー・ナニワガンショップ/出演:加藤みちる・藤田裕樹・青木こずえ・山崎まりあ・三沢史郎・竹橋団・菅原研治・河本忠夫・長谷川伸之・横田直樹・大坪剛・結城哲也《友情出演》)。
 古の七色王冠ロゴからタイトル開巻、大阪の雑踏をカメラが忙しなく動き、無人のテレフォンクラブ個室に、天使の羽根が舞ふ。降り注ぐ羽根の量が急激に増え、「天使幻想」の原題イン。女子高生制服姿の主演女優とチビTの主演男優が、テレクラ対戦。ノイズと砂嵐を間断か落ち着きなく挿みつつも双方完遂、被害妄想気味に挙動不審な金髪メタル(三沢)とティッシュを配る山本ケンジ(藤田)が仕事を終へ、友松直之が輪姦ビデオを編集する事務所に帰還する。竹橋団が社長で、少なくとも菅原研治と河本忠夫もヤクザ。テレクラで遊ばれた女の泣言を浴びた山本は、女が繰り返し繰り返し口にする「殺したい」を受け、「殺したろか?」と一線を越える。女を遊んだ件の人気クラブ店員(不明)を、ガード下にて何故かコギャル風に女装した山本が襲撃。凄い血糊量でブチ殺した上、最終的には頭の皮まで剥ぐ。
 辿り着ける限りの配役残り、目前母親が父親(両親不明)に惨殺された過去を持つ山本の、幼少期子役は当時二歳の友松直之長男・正義君。結城哲也は、クラブ店員殺害時にカッターの刃を握り締め負傷した山本の右手を、人間は診ないといひながらも治療して呉れる、アンダーグラウンド感漂はせる獣医。改めて加藤みちるは、テレクラ「エンジェル」のチラシが貼られた緑電話で山本を三角公園に呼び出すマキ、本名・入江麻紀。真白な山本宅に上がるやサクサク服を脱ぐと、両肩甲骨の下に痛々しい大きな傷を持つマキは、「あたし天使やつてん」と関西弁の突破力で超風呂敷をオッ広げる。山崎まりあは劇中クラブ店員の次に山本が始末する、男を喰ひ散らかすゆゑ女の恨みを買つたコギャル。そしてこの人の安定感が、どうして斯様な徒花がしかも大蔵で咲いたのか、当人達も恐らく知るまいアメイジングな今作の鍵。青木こずえはテレクラ売春によるショバ荒らしを、見咎めた竹橋興業(仮称)に輪姦浣腸ビデオを撮影されるゴジャースな女。
 公開当初小屋のみならずピンクスからも黙殺されたものの、PGが素通りする一方キネ旬ベストに潜り込んだ弾みでカルト的な人気が沸いた、友松直之ピンク映画初陣。ENK薔薇族二本(1993×1995)に続く、商業第三作。ピンクの戦歴は翌年の「痴女電車 さはり放題」(脚本:大河原ちさと/主演:松沢菜々子)を経て、「痴漢電車 挑発する淫ら尻」(2005/脚本:大河原ちさと/主演:北川明花・北川絵美)まで空く。m@stervision大哥は2001年上野での再映に触れ激賞されておいでだが、個人的には噂話を聞きこそすれ、今作が―ピンクの―小屋に来た機会を観たことも聞いた覚えもなく、辛うじて出回つてゐた中古DVD(発売2004年/アップリンク)を、この期なアマゾン筆卸でポチッたものである。外に出てもリアル店舗の存在しない街なんかで暮らすのが嫌だから、ネットで買物とかあんまりでなく好まないんだけどね。
 完全無欠の閑話休題、「誰か殺したいヤツをらへんか・・?」。陰影のキマッた個室ブースに爆裂する、一撃必殺文字通りキメッキメの決め台詞でテレクラを介した依頼殺人に手を染めるティッシュ配りが、自ら羽根を千切つた天使とミーツする。狂ひ咲く香ばしいロマンティックをピンク離れしたフルスイングの残虐描写で極彩色に加速する、表現異常、もとい評判以上のエクストリーム作で、あるとはいへ。自ら撮る以前に、長いカットが観るなり見てゐるだけで耐へられないと公言されてしまつてはそもそも元も子もない話にせよ、ガチャついた、それでゐて一本調子のインサートは、始終を終始掻き乱し、血飛沫と吐瀉物と臓物に塗れたガチ地獄絵図に、16mm撮影の粗い画が火にガソリンを注ぐ。それでゐて天使絡みの幻想ショットに際しては、加減を知らない照明部の気合がハイキーの向かう側まで白々しく突き抜け、要は少なくとも演者的には進歩の跡が欠片も窺へない友松直之を始めとした、ヤクザの度を越したヒャッハーぶりは映画を一円も二円も安くする。案外マッシブなガタイとの対比も効く、藤田裕樹のセンシティブなイケメン。山崎まりあの魅惑的なオッパイに、グッチャグチャに汚される壮絶な濡れ場をも、敢然と戦ひ抜く青木こずえ(a.k.a.村上ゆう)の腰の据わつたプロフェッショナル。結城哲也貫禄の重低音がバクチクする獣医の浮世離れた造形と、散発的な俳優部の健闘を除けば、この期に及んだ正方向の評価に値するのは、これで乳尻は最低限然るべき水準で拝ませる、奇跡的なバランス感覚程度か。m@ster大哥仰るところの“自主映画魂”なり“バイオレンスの塊”は兎も角、“性と社会をテーマにした観念的な若松孝二の正嫡”に至つては何処がさうなのか、薄ら濁つた節穴にはちつともピンと来なんだ。山内大輔の手癖スラッシュに一々脊髄で折り返して垂涎する手合には今なほ受けるのかも知れないが、それはそれで固定された世評に与し、遅れ馳せてワーキャー騒ぐ気にはなれなかつた一作。何はともあれ、観ること能はずとも見ないでは始まらない、この度通つておけてよかつた。


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 「馬小舎の令嬢」(1991/製作:獅子プロダクション/配給:新東宝映画/監督:佐藤寿保/脚本:夢野史郎/企画:田中岩夫/撮影:稲吉雅志/照明:小川満/音楽:WAVE/編集:酒井正次/助監督:梶野考/監督助手:田尻裕司/照明助手:広瀬寛巳/スチール:佐藤初太郎・大木寛/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:雪之丞・浅井理恵・水鳥川彩・仲原美樹・小林節彦・今泉浩一・杉浦峰夫)。依然所々屈しつつ、写真部セカンドの大木寛は、夢野史郎の本名。
 今度はNFAJ国立映画アーカイブ開巻、馬小舎に御馬様とセーラー服の雪之丞。闖入したゴーグル装着の杉浦峰夫(あくまで別役/紀野真人がex.杉浦峰夫)が、雪之丞を犯す。流星と名を呼ばれた、馬は勃つてゐた。一転東京、のプロジェクターがあつらへられた小室。頭の中に馬の声を聞くとかいふ雪之丞を、東京音響研究所の沢田(杉浦)がカウンセリングする。砂嵐バックのタイトル・インに、色濃く漂ふ佐藤寿保の空気。マネキンを満載したキャンピングカーが、片田舎を目指す。主はアーティスト(笑)の浅井理恵で、助手の今泉浩一がカメラを触り、同じく小林節彦がハンドルを握る。実家の木崎か城崎牧場は廃業してなほ、流星を飼育する雪之丞は、虚空にガンマイクを向け、何もない音を録りに来たとかいふ沢田と再会。素頓狂な者同士ウマが合ふのか、男女の仲には至らないまゝに行動をともにする。気持ちボーイッシュな雪之丞が、飄々と広げる大風呂敷。雪之丞はWAVEなる独自の方法で、馬のバイオリズムにアクセスし得るとしてゐた。
 配役残り水鳥川彩と仲原美樹は、当地に滞留する浅井理恵以下三名の前に現れる、ホクトスターの父親である流星を訪ねて来た競馬サークルの女子大生。正直純然たる濡れ場要員にしては、肝心の濡れ場を質量とも満足に見せないのは―演出部の―頂けない不誠実。
 「馬と女と犬」(1990/主演:岸加奈子・佐野和宏)の大ヒットを受け二匹目の泥鰌ならぬ馬を狙つた、佐藤寿保1991年第六作。「馬と女と犬」よりは全然マシではあるものの、全く飛ばないといふ訳でもない、プリントが。佐藤寿保の獣姦ものは都合この二本きり、一本も撮らない監督の方が、寧ろ大半を占めるとはいへ。幾分御祝儀製作費も出たのか、頭数から増えた割には三番手以降は殆ど仕事をさせて貰へず、年増が消えたにせよ女優部のデチューンは否み難い。男優部は杉浦峰夫の役へのハマり具合もあり、佐野の大穴はあれ然程の瑕疵は感じさせない。尤も無視された雪之丞に、今泉浩一がトランシーバーで捨て台詞を投げるカットには、この人が出て来ると、元々線の細い叙情性と表裏一体にヌルい荒木太郎のみならず、どんな映画も途端にダサくなると改めてかこの期に苦笑した。爆走するWAVE奇想の陰で、まんまAKIRAなホルマリン漬けのホース・パーツと、馬の魂を吸ひ取つた鏡がひつそりとでもなく追走。ドミノ式に全員死んで行く無造作な修羅場は相変らずか性懲りもないながら、終に彼岸と此岸の境界が決壊するスペクタクルは、限りなくノーに近いローバジェットの美術を力技で捻じ伏せる、照明部決死の奮闘にも加速され圧巻。ラストの出し抜けな凶行があれよあれよと死体の山を築くのは、今も変らぬ佐藤寿保の十八番。主演女優の性的訴求力がそもそも高くなく、御馬様と致す売りの見せ場も申し訳程度。要は「馬と女と犬」に気をよくした新東宝を余所に、佐藤寿保×夢野史郎が好き勝手に自分達の映画を撮つたと思しき風情が清々しい。規定回数の絡み―と女優部の頭数―さへあればあとは自由、との口を開けば語られる割に、実質的な意味の如何は如何なものかなピンク映画らしさが、アイコニックに表れた一作ではある。


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 「馬と女と犬」(1990/製作:メディアトップ/配給:新東宝映画/監督:佐藤寿保/脚本:夢野史郎/撮影:稲吉雅志/照明:千鳥修司/編集:酒井正次/助監督:広瀬寛巳/監督助手:吉田国文、他一名/照明助手:岡野敏二/音楽:早川創/録音:銀座サウンド/現像:東映化学/出演:岸加奈子・佐野和宏・佐々木ゆり・上原絵美・小林節彦・高橋達也)。不得手な時代の情報量以前に、本当にザックザク駆け抜けるクレジットに憤死する。
 新東宝よりも先に、国立映画アーカイブの前身・東京国立近代美術館フィルムセンターのロゴで開巻。波打ち際、岸加奈子が打ち上げられる。そこに佐野和宏が現れ、背中から両足首を肩に担ぐ形で岸加奈子を運ぶ、既に水死したものとでも思つてゐるのか。雨風を凌ぐのも怪しいボッロボロの廃屋にて、佐野はキシカナをポラロイドで撮影する。馬の手綱を引いた、全裸の女の後姿にタイトル・イン。明けは双眼鏡を構へた、目元にスリリングな齢を感じさせる女。え、この女が脱ぐの?舞台は「馬を飼ふ人妻」(2001/脚本:石川欣/主演:朝吹ケイト)その他で下元哲がよく使つてゐた、コンドミニアム「グランド・ヴィュー・一宮」ぽく映る。「グランド・ヴィュー・一宮」が、1990年当時既に完成してゐたのか否かは確認出来ず。女主人あるいは女王の矢野牧(佐々木)が、下僕の木島伸(小林)と津田晃久(高橋)に木山紀江(上原)を凌辱させる。改めて確認しておくと、ex.上原絵美が、当サイトが結婚したい女優第一位の石川恵美。今作のハードな扱ひでは、穏やかに朗らかな、石川恵美の持ち味は微塵も活かされないけれど。逆に、何時観ても小林節彦はヒャッハーな造形がサマになる。それとこの人は昔から老け顔につき、余程痩せてもゐないと驚かされるほどの若さは感じさせない。WAM的に何某かの食べ物で紀江の体を汚したかと思ふと、御犬様(犬種とか判らん)大登場、紀江は犬にも犯される。意識を取り戻した早川夕子(岸)の前に御馬様を連れ現れた厩務員の右田亮(佐野)は、馬が女王の所有物である旨告げる。自身に向けられた、右田の歪んだ欲望をウッスラ夢の形で認識しつつ、夕子は、過去の記憶を何も覚えてゐなかつた。
 配役は猫一匹残らないが、“人間と動物が絡み合ふ王国”だなどと称して、自分よりも若い女にヒステリックな暴虐を振るふ牧を、テラスで木島と津田がアル中女と実も蓋もなく揶揄する件。遠目に車列が見えるのは、海に隔絶された異界といつた風情の、舞台設定的には何気にシリアスな粗相ではあるまいか。
 前年の「フィルマゲドンⅢ」に続く、カナザワ映画祭(2007~)の於小倉昭和館地方開催企画第二弾「死と禁忌」で着弾した、佐藤寿保1990年第三作。ペケ街では新東宝最大級のヒットを飛ばしたとか、半公式的に謳はれる一作。因みにこちらは公式のエクセス最大が、浜野佐知1995年第一作「犬とをばさん」(脚本:山崎邦紀/主演:辻真亜子)。市場がそんなに獣姦が好きならば、オーピーは今こそ討つて出るべきではないのか。プラスのR15に納まりきらず、元も子もなくなるのかしらん。
 兎にも角にも、上原絵美が御犬様で、御馬様は岸加奈子。ザラッと駆け抜けるカットの中女優部が半狂乱に泣き叫ぶ、獣姦シークエンスはよしんば所詮演技に過ぎなくとも、何れも物凄い迫力。当時の度肝を抜かれた観客席が、今なほ決して想像に難くない。“吾、蒼褪めたる馬を見たり”、“その馬に跨る者の名を、死といふ”。お馬さんがゐないと始まらない物語につき、ヨハネ黙示録第6章第8節を持ち出すペダンティックな飛び道具も効果的に、来し方を喪つた夕子を、左右から腕を引つ張り合ふかのやうに右田と牧が取り合ふ、越前不在の大岡裁きの如き展開は走る。正方向に面白い映画がなッかなか浮かばない色物中の色物企画、あるいは下手打ちの鉄砲が積もらせた塵のまゝの堆積物から、遂に佐藤寿保×夢野史郎が一撃必殺のマスターピースを撃ち抜いて、ゐたのこれ?今時35mmフィルム映写でピンクが見られるだけ有難い話にせよ、まあ全篇を通してプリントが坂上二郎ばりに飛び倒す飛び倒す。時計を見るに、ザッと三分は飛んでゐる。繋ぎの画なり百歩譲つて濡れ場はまだしも、台詞を中途で端折られては、ただでさへ雰囲気勝負の奇譚が、雲散霧消も通り越して木端微塵、さつぱり訳が判りやしねえ。通して観たとしても、矢張り判らないのかも知れないけれど。ついでに、プリミティブな修羅場、あるいは三年後も全く進歩してゐないドミノな死屍累々には頭を抱へた。刃傷沙汰を満足に描けぬ演出家か脚本家に、拳銃を渡すのはやめた方がいゝ、粗雑なギャグにしか見えない。右田は夕子と、二人して王国を離れようとする。何か思ひだすまでと二の足を踏む夕子に、右田は「思ひだすために出て行くんだ」。佐野和宏の青いエモーションが爆裂する遣り取りを先の尖つた頂点に、佐野とキシカナの絡みは乳尻があらうとなからうと画になる。ここはひとまづ、それでよしとしようぢやないか。より直截には、それでよしとでもしておかないとしやうがない。

 それにつけても、「馬と犬と女」。どストレートな公開題が、絵画的なタイトルバック込みで超絶カッコいゝ、何処かTシャツ作らんかいな。


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 「だまされてペロペロ わかれて貰ひます」(2018/制作:セメントマッチ/提供:オーピー映画/監督:池島ゆたか/脚本:五代暁子/プロデューサー:あぶかわかれん/撮影アドバイザー:清水正二/撮影監督:海津真也/録音:小林徹哉/編集:山内大輔/音楽:大場一魅/効果・整音:AKASAKA音効/助監督:出縄来太/監督助手:木村龍二/撮影助手:宮原かおり・赤羽一真/照明助手:広瀬寛巳/スチール:津田一郎・山口雅也/挿入歌:『愛しのピンナップ・レディ』作詞:五代暁子、作曲・歌:大場一魅/制作協力:Abukawa corporation LLC./仕上げ:東映ラボ・テック《株》/出演:神咲詩織・佐山愛・篠田ゆう・八ッ橋さい子・フランキー岡村・間瀬翔太・GAICHI・細川佳央・松井理子・上久保慶子・山ノ手ぐり子、周磨要他六名)。出演者中、山ノ手ぐり子以降は本篇クレジットのみ。
 帽子まで黒尽くめで、赤いマフラーを巻いた女の後姿、大体いはゆるさそりルック。女の携帯が凡そスマホぽくない着信音で鳴り、「はい別れさせ屋、紅工房で御座います」と電話をとるサングラスの目元を、後姿に分割画面で切り込んでタイトル・イン。ピンクに於いてまゝある無頓着でもあれ、それなりに作為を感じさせる画面に比して、無造作極まりないタイトルのレタリングに早速暗雲が立ち込めなくもない。
 「エピソード1」、御馴染「スターダスト」の、開店前店内。開口一番「別れたいの!」と今んとこ尾崎カスミ(佐山)が、ママで姉のキミエ(松井)に声を荒げる。三年前、姉の店でホステスをしてゐたカスミは、高木部長(仮名)以下四人連れで来店した、未だ夫の尾崎慎一(フランキー)と出会ふ。周磨要ら七人が、その他店内部隊。資産持ちといふ点―のみ―に喰ひつき半年後に慎一と結婚したカスミではあつたが、面白味に欠ける人柄と、カスミ曰く“高校生以下”の夫婦生活に心底臍を曲げるか匙を投げる。キミエづてでカスミに、別れさせ屋「紅工房」の女社長・紅(神崎)から連絡が入る。紅は不審者に追はれた坂下か阪下ユリを装ひ、帰宅途中の慎一に接触。因みにここで不審者要員として、プリミティブなTシャツをキメた広瀬寛巳は別に投入されない。ひろぽんなら、“ストーカー”なんてプリントされた箆棒なTシャツでさへ、自然に着こなして呉れるにさうゐない。
 「エピソード2」、妻(遺影を掠りもせず)と八年前に死別した高木健太郎(GAICHI/ex.幸野賀一)はゴミ捨て場にて、急死した夫との思ひでが残るマンションを処分し、近所に越して来た上村麻衣(篠田)とやもめ・ミーツ・やもめする。各々取り残された側、とかいふデリカシーがあるのかないのかよく判らない切り口―大体齢が大分違ふ―で仲良くなるのも兎も角、なほ一層アメイジングな飛躍が高いのが、風邪で伏せつた高木の見舞ひに、麻衣が独居の高木邸を訪れる。幾分回復すると勢ひで抱きついて来た高木を麻衣も受け容れ、既に高木は勃たないながら、二人は男女の仲に一線を越える。
 配役残り、アイドル上がり―ブリザドとかいはれても全然知らんけど―の間瀬翔太は、カスミが日中日常的に家に上げるセフレ・南トモヤ。オッパイから舐める後背位で、濡れ場の火蓋を切る的確な論理が麗しく花開くのはいいとして、この男、百歩譲つてチャラいのは役柄にせよ公称三十二歳の割に緩んだ体躯は頂けない。八ッ橋さい子は、トモヤの本命カノジョ・サクラ。直截に筆を滑らせると、修正が施されてゐないと面相が些かどころでなくオッカナく、恐らくカメラもその点を配慮してか、不用意に寄らないやうにも映るのは気の所為かしら。縦に伸ばした日高ゆりあみたいな上久保慶子と、イコール五代暁子の山ノ手ぐり子は、後妻業の女に―全部自分のものになる筈の―財産を半分奪はれてしまふとヒステリーを起こす、高木の一人娘・ゆかりと、ゆかりが父親と麻衣の相性を看て貰ふ占師・千石。仕方がないともいへ、肌の老いを情け容赦なく捉へる五代暁子のアップは、もう少しどうにか手加減出来なかつたものか。今度は千石経由で紅工房起動、細川佳央が、故三浦課長―が麻衣亡夫―の部下・柿崎マモルを名乗り、麻衣に接近する「紅工房」の男別れさせ屋・シュンスケ。
 牧村耕次×なかみつせいじ×竹本泰志のセメント三兄弟は温存、細川佳央が四作連続登板する以外は、何と2001年第三作「女ざかり、SEX満開」(主演:佐々木麻由子)以来の随分な池島組大復帰ともなる幸野賀一を始め、目新しい男優部で挑んだ池島ゆたか2018年第一作。
 自身に対するのとは対照的といふかまるで別人の、慎一がユリと致す際の情熱的かつ手練にも長けた様子をユリから聞き、隠し撮りした映像を見るに及んで、カスミは激しく動揺する。と、いふのが、エピソード1に於けるドラマ上の肝。にしては尾崎家の夫婦生活を完全にオミットしてしまつた以上、ユリとの情交で尾崎が発揮する格差、あるいはカスミ目線では落差とその所以を全く埋められてゐないのが、神咲詩織と佐山愛のオッパイは目一杯愉しませるものの、裸映画的にはなほさら致命傷。十全に裸がある分まだマシと低い志で首を縦に振るのであればそれまでだが、折角絡みを通して物語を膨らませる格好の好機であつたらうに、大魚を釣り逃がした感は否み難い。八ッ橋さい子がピンク初陣で豪華四番手に飛び込んで来る、瞬間そのものには確かにサプライズもあれ、醒めたのちには蛇足すれッすれの雑なエピローグといふ程度の印象に止(とど)まる。片や、完全に独立する―逆にいへば全くリンクしない―エピソード2の方はといふと、兎にも角にも。兎にも、角ッにもビリングを無に帰すレディエンスを爆裂させる、篠田ゆうが素晴らしい。ちやんとレンズも入つてゐる、メガネがエクストリームに素晴らしい。脱いでエロいのはある意味当たり前、着衣の時点で既に、そこに普通にゐるだけで鬼よりもクッソどエロい物腰レベルの優位性が、その姿がフレーム内にある間終始―下―心豊かに観てゐられる、極上の眼福を轟然と撃ち抜く。尾崎こと幸野賀一が貫禄と発声で矢張り大雑把な姦計を押し切る、最終的には一本調子の展開自体は他愛ない点なんぞ、この際とるに足らない些末、すて措くに如くはない。当サイトは改めて篠田ゆうの存在をジャスティスと激賞するところではあるのだが、世間、ないしは狭い界隈でブレイクする気配が見受けられないのは、例によつてこの男の節穴が明後日だか一昨日を向いてゐやがるからなのか。


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 「暴行・トイレの中で」(昭和59『好奇心レイプ』の多分VHS題/製作・配給:新東宝映画/監督:稲尾実/脚本:池田正一/企画:伊能竜/撮影:志賀葉一/照明:守田芳彦/編集:酒井正次/助監督:渡辺元嗣/監督助手:笠井雅裕/撮影助手:片山浩/照明助手:中野智春/編集助手:岡野弘美/録音:東音スタジオ/現像:東映化学/出演:河井憂樹・田口あゆみ・藤冴子・花日米子・大貫百子・ジミー土田・池島ゆたか)。監督の稲尾実は深町章の前名義、企画の伊能竜は向井寛の変名で、撮影の志賀葉一はa.k.a.清水正二。池田正一ものちの高竜也らしいけれど、まだ活動してるのかな?近作が出てゐる形跡が見当たらない。昔エグみを気に入つて、砂戸増造をよく読んでゐた。胸一杯の、知らんがな(´・ω・`)感。
 閑話休題―午後―八時過ぎの目覚まし時計、双眼鏡のアップにタイトル・イン。寝室の窓越しにセックスする河井憂樹×池島ゆたかと、その模様を窺ふ双眼鏡を行つたり来たり。濡れ場は中途で九時過ぎ、多分浪人生か何かその辺りぽい、双眼鏡氏の部屋。薄明るいのは、翌日の早朝か。赤いショートカットのコンバースが、獲物を探し彷徨ふ。双眼鏡氏といふか双眼鏡クン(ジミー)が、笠井雅裕と抱擁を交し別れた黄色いワンピースの女(花日米子か大貫百子)を襲ふ。白昼、クソよりダサいトレーナーでぶらぶらする双眼鏡クンは、常日頃池島ゆたかとの情事を覗いてゐる河井憂樹を街中で目撃、津田スタの自宅まで尾ける。近所のタバコ屋兼「高野文房具店」と電話帳を頼りに、双眼鏡クンは河井憂樹の個人情報を特定。荒井英吉(影ひとつ登場せず)の妻・怜子(河井)が、英吉が毎週泊りがけのゴルフで家を空ける土曜日、池島ゆたか宅に通ひ逢瀬する外堀まで埋める。双眼鏡クン・ミーツ・怜子の件で一点通り過ぎられないほどに衝撃的なのが、改めて爆裂するジミ土の短足。
 池島家(仮称)を出歯亀しては、発奮して強姦するのが双眼鏡クンのエクストリームな日常なのか、配役残り田口あゆみは、劇中二人目となるチャリンコの女。大貫百子か花日米子が、ナベとのドライブの最中尿意を覚え墓地で野ションしてゐると、ダイナミックな構図で飛びかゝる双眼鏡クンに襲撃される女。そんなところで用を足してゐるからだ、藤冴子は四人目の赤いワンピースの女。
 何故お気に入りに入れてゐたのか自分でも謎な、稲尾実昭和59年、案外少ない最終第五作。河井憂樹の濡れ場は腰を据ゑて見せる反面、残りは早朝なのかもしかするとほぼ二十四時間経過した夕暮れ時なのか、どちらにせよ薄暗いのと激しく動くか表情を苦悶に歪めるに終始するゆゑ、女優部の特定にも困難を覚える。とまれ二番手以降の絡みは何れもハードで、深町章かと思ふとなほさら予想外に、乾いたカットを意図的に叙情を廃して繋ぐソリッドな裸映画。正しく勝利の美酒に酔ふ双眼鏡クンが迎へる、スカッと呆気ない最期も全く以て類型的なものながら、それなりの綺麗さで形になつてゐる。

 とこ、ろで。双眼鏡クンが女を犯すのは、そこら辺の野外か物置風の小屋か廃車?の車内。と、遂に乗り込んだ荒井家。即ちトイレの中で、暴行するシークエンスなんて一欠片たりとて存在しない件、何を考へてこんなタイトルつけたんだ。ジャケにはエレベーターといふ単語も躍るが、普通に乗るエレベーターさへ出て来ない、自由気儘すぎる。


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 「宇能鴻一郎の看護婦寮」(昭和53/製作:日活株式会社/監督:西村昭五郎/脚本:桂千穂/原作:宇能鴻一郎《講談社刊》/プロデューサー:栗林茂/撮影:山崎善弘/照明:高島正博/録音:橋本文雄/美術:川船夏夫/編集:西村豊治/助監督:浅田真男/色彩計測:鈴木耕一/現像:東洋現像所/製作担当者:遠山茂/出演:原悦子《新人》、宮井えりな、中島葵、岡本麗、恵千比絽、高橋明、坂本長利、飯田紅子、あき・じゅん、本田博太郎、高山彰、丹古母鬼馬二、森みどり、日野繭子、小見山玉樹、影山英俊、庄司三郎、清水国雄)。出演者中、恵千比絽と高山彰に、小見山玉樹以降は本篇クレジットのみ。トメ四人の並びが凄い、裏オールスターだ。クレジットはスッ飛ばす配給に関しては事実上“提供:Xces Film”。
 ピーポーピーポー救急車のサイレン音から、原悦子以外の二人がよく判らない三人の看護婦が移送するストレッチャーにタイトル・イン。日曜の朝、夜勤明けの新米看護婦“あたし”(原)が、ボサッとした仏頂面で桃林総合病院の表に出て来る。「こんな気持ちかしら、太陽が黄色く見えるつて」、「ううんアレしてた訳ぢやなくて、一晩中働いてたんです」と、早速火を噴く宇能鴻一郎調モノローグ、縮めてウノローグが清々しい。一方、新しい男を捕まへるだか捕まり、尻と観音様に香水を振る日原眸(飯田)を、峰昌(あき)が揶揄する看護婦寮の四人部屋。はふはふの体で帰還した“あたし”に、バイブを使ひつぱで寝てゐたナンシー・アレンみたいなオバハンパーマの室長(恵千比絽/ex.薊千露)は、非道にも自分の日勤を押しつける。先走ると、原悦子を苛める憎ッたらしい三人組が、報ひの“む”の字も受けないのは娯楽映画的に何気なアキレス腱。
 配役残り、ロマポ脇役部三羽烏第一の矢・庄司三郎と、この人も地味に重鎮、a.k.a.小森道子の森みどりは膣痙攣で運ばれて来る急患、何てアシッドなアベックなんだ。そして坂本長利と宮井えりなが、院長の安藤と女医先生。宮井えりなは全篇を貫くウノローグを通して、終に“女医先生”としか呼称されない。逆に、属性にフルコンかます大胆な役名ともいへるのか。微妙に不安定な造形の本田博太郎は、“あたし”が退院祝ひにタイピンのプレゼントを渡すほどの入院患者・吉田昭。別に配役が各種資料にテレコで記載されてなどゐない中島葵と岡本麗は、先輩看護婦の岸部薫と、院内でVIP扱ひされる山川社長(後述)夫人・万代。四人まとめて飛び込んで来る、ビリング順に高橋明・小見山玉樹・影山英俊・清水国雄は、小見山玉樹が安藤の倅・圭一、一応医師。時計回りに高橋明が寿司屋―こちらも各種資料にはそば屋とある―で、圭一と花札に興じる影山英俊が、桃林総合病院に出入りする製薬会社か薬問屋の社長秘書・田中。清水国雄のポジションは不明、背広姿につき営業か何か田中の同僚辺りか。撮影部なり美術に関する金のかけ具合もそれとして、脇役部の分厚さに、ロマポの強さを改めて感じる。日野繭子は、修道院に入るのに処女証明書を求める女子高生・中原真知子、何でまた俗世を捨てようと思つたのか。高山彰は盲腸の手術で入院中の、中学の体育教師・渡辺明、剃毛されパイパン。そして丹古母鬼馬二が、対田中のみならず全方位的に無闇矢鱈と高圧的な、件の山川社長。関係性的には桃林がクライアントに当たるやうにしか思へないのだが、何をトチ狂つたか、戯画的通り越してエキセントリックなまでに尊大な御仁。
 西村昭五郎昭和53年第二作は、“大明神”とさへ謳はれ絶大な人気を博した、原悦子の本体ロマポ初陣。本体とわざわざ注釈をつけたのは、買取系の「ポルノ チャンチャカチャン」(同/監督:山本晋也/脚本:山田勉=山本晋也)と、「痴漢との遭遇」が二ヶ月づつ先行する由。「痴漢との遭遇」もバラ売りex.DMMで見られるので、気が向いたら見てみるか。ロマポでブレイクする以前、原悦子は二年弱に四十本弱ともなるピンクのキャリアを積んでゐる。今上御大が結構な本数撮つてゐる大蔵は、小屋に蔵出しして呉れるに越したことはないが、配信ででも新着させて貰へまいか、需要は見込めるやうな気もするのだけれど。
 女医先生が包茎手術を施した高橋明を喰ふ様子を、締め出された診察室の外から窺ひながら、“あたし”は何とドアノブを観音様に捻じ込むワンマンショー。気配を察した女医先生が、開けようとガチャガチャすれど喰はへ込まれたノブは動かず、ドアの向かうでは“あたし”が「キョーレツ!捩れちやふ」と喜悦する。とかいふ、斬新にしてクッソどエロいシークエンスは素晴らしく、“あたし”が乱打する、“~んです”とウノローグ定番の言葉尻はエターナルにキュート、ではあるものの。買取系込みでロマポも三戦目にしては、原悦子の表情は不思議なことに「チャンチャカチャン」の時よりも幾分以上に硬く、サブの神出鬼没ぶりを一種の伏線と解するにせよ、豪快なオチで片付ける大雑把な物語に、見るべき点は特にも何も見当たらない。反面、コミタマを影英がカモるファースト・カットから感涙ものな、コミタマ×影英×サブの当サイトが勝手に括る三羽烏以下、高橋明を含めるのは語弊があるやも知れないが、脇役部の縦横無尽にして芳醇な暴れぷりが、側面から映画を豊かにする最大の見所。とりわけ山川の傍若無人ぶりにキレた女医先生に“あたし”が追随。ついでに田中も尻馬に乗り、クスコや尿道カテーテルに―何でそんなものが薬品棚にあるのか―タバスコを塗りたくる。検査と称した拷問を経て山川こと丹古母鬼馬二がオネエなマゾに目覚める捧腹絶倒な一幕を経ての、遂に突入する大乱交が最大のハイライト。呆然と立ち尽くす“あたし”を余所に、画面手前から清水国雄×コミタマ×影英×鬼馬二×サブの五人が、同一フレーム内で腰を振る奇跡のエクストリーム・ショットには度肝を抜かれた。逆に、その場でビリング頭が蚊帳の外にゐるほかない状況が今作を象徴してゐるといへなくもなく、以降の回復して社会復帰した“あたし”が目出度く吉田と結ばれる。本来磐石の大団円たるべき締めの濡れ場が、完全に失速か尻すぼみしてしまつてゐる印象は否み難い。


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 「再会の浜辺 後悔と寝た女」(2018/制作:VOID FILMS/提供:オーピー映画/脚本・監督:山内大輔/特殊メイクアップ・造形:土肥良成/撮影監督:中尾正人/録音:光地拓郎/編集:山内大輔/音楽・効果:project T&K・AKASAKA音効/助監督:江尻大/特殊メイクアップ&造形スタッフ:大森敦史・串淵徹也《spitters》・江沢友香《spitters》・長谷部美月/撮影助手:戸羽正憲/監督助手:村田剛志/演出部応援:菊島稔章・小関裕次郎/ポスター:本田あきら/沖縄ロケコーディネーター:リチャードTH/協力:はきだめ造形・ウエストビュー・おほはまキャンプ場・梁山泊 山の会/仕上げ:東映ラボ・テック《株》/出演:涼川絢音・川瀬陽太・桐島美奈子・ほたる・竹本泰志・森羅万象・和田光沙・細川佳央・岡田貴寛)。
 雲に塞がれた暗い海の情景と、“先の戦争”の影響も懸念される、島魚“しまうを”のPCB汚染を伝へる主(ぬし)に辿り着けない女声のニュース音声。当の島魚を、切れない包丁でグッチャグチャ苦心して捌く手許。真白のカーテンみたいなワンピースで身を包んだ涼川絢音が砂浜に現れ、暗転タイトル・イン。銛で島魚を仕留めたミカヨ(涼川)が、ダイビングスーツを脱ぐ。ピンク参戦当時より確実にプログレスしてゐる、頭身から伸びた気すらする涼川絢音の浮世離れたスタイルの良さに惚れ惚れさせられるが、地に足の着いた下心には寧ろ触れないのかも。同じ与太を蒸し返すのは、二本撮りに免じて許されたし。そのまゝ黒ビキニでミカヨが弁当を食べてゐると、釣竿を抱へた吉井(川瀬)が現れ、ミカヨは肌を隠す。帰りしな、高橋(竹本)のハイジェットに声をかけられたミカヨは一旦無視するも、結局車に乗り何処ぞのホテルで寝る。
 配役残り、和田光沙は高橋の妻・明恵、夫婦生活はオッ始められない。激しくといふか滅茶苦茶に動いて誤魔化してゐるが、トランスなグルも恐らくこの人。細川佳央は、妊活中のミカヨ夫・佐藤準一。準一と、外から流れて来た吉井の稼業は、島に未だ大量に残る地雷撤去の作業員。森羅万象も作業員の三沢で、吉井・準一らの班にもう二人ゐる内の一人は、作業風景が最初はこの人から抜かれるリチャT。もう一人と、作業員が食事といふよりは餌を与へられるシークエンスに見切れる、更に若干名は演出部か、それと高橋が手配師。左目上に大きなケロイド状の特殊メイクを施したほたる(ex.葉月螢)は、男達に―金を取り―身も任せるある意味正しく飯盛女のシズエ。地雷帯に住みついた、戦争未亡人最後の生き残り。元々刑事の吉井は、放たらかしにしてゐる間に間男を作つた妻を殺害、七年臭い飯を食つてゐた。ボリューミーな爆乳で正方向の煽情性に関し一人気を吐く桐島美奈子が吉井の妻・恵美子で、岡田貴寛が間男の鈴木。吉行由実2016年第一作「女教師の秘密 縛つてあげる…」(主演:加納綾子)、自身三年ぶり二本目となる松岡邦彦によるデジエク第九弾「おばちやんの秘事 巨乳妻と変態妻なら?」(2017/脚本:金田敬)に続く、ピンク第三戦となる桐島美奈子はこの後も吉行由実2018年第一作?が控へ、地味にキャリアを継続させてゐる。柴原麻里に半殺しにされた上焼かれて止めを刺される、新興宗教団体「希望の輪」脱会信者の声は多分EJD。
 山内大輔2018年第二作は、四週前に封切られた「変態家族 碧い海に抱かれて」と、沖縄ロケ二本撮りの涼川絢音引退企画。ビリング順にシズエ・高橋・三沢・明恵が御馴染のスターシステムで脇を固める中、戦争の傷跡が色濃く残る島を舞台に、2015年第一作「痴漢電車 悶絶!裏夢いぢり」を大胆に直結した物語が展開される。コーズー!と擬音をも目に浮かぶ、絶好のロケーションを爆加速するギャバンな、もといダイナミックな構図とエッジの利いた色調補正で超絶のショットを連打し続ける反面、明白に画に負けた劇伴のトロさは、鈍足の馬脚を露し倒す。主演女優の絡みは殆ど二次元に近い体型に加へ、終にドラマ性の誘惑ないし色気に抗し得ず。暗鬱か、南国なのに白夜にも似た静寂な景色のカレンダー風な画像映画としては兎も角、いまひとつ物語的には決定力を欠きつつも、劇中世界が迎へる終末に、始終は轟然と猛起動する。島魚の毒にヤラれた者がバタバタ死んで行く死屍累々の果て、シズエことほたる(ex.葉月螢)が貫禄の決定力で撃ち抜く、「やつと世界が終る」の甘美にして苛烈なる名台詞!轟然と猛起動したかに、思へたのだけれど。一旦世界が終末を迎へたとしても、迎へたのちに時間の流れは逆行し、全ての死者は蘇る。神話を披露するには、涼川絢音の口跡は如何せん覚束なく、山内大輔の演出もそこまで強靭ではない。地雷の撤去現場がタギングまみれの廃墟に過ぎない辺りで、精一杯広げてみせた大風呂敷は、否応ない安普請の前に力尽きる。かなりのところまで攻め込んだやうにも見えるものの、最終的にはそこそこで止まる一作。撮るつもりがどうやらないと思しき以前に、横目で―正対しての直視かも知れないが―+戦線への色目を勘繰るならば撮らせるつもりもどうせなからうが、濡れ場を見せることに主眼を置いた、立派な裸映画を山内大輔が再び撮る日は来ないものか。女の裸を等閑にした、単なる映画で喜ぶとは限らないんだよ。

 引退企画の特別仕様は、オーラス“ありがたう、涼川絢音”の、この上なくアッサリした一言のみ。涼川絢音よりも朝倉ことみが勝つてゐるといふ気は毛頭なく、そもそも同じ手口を二度使ふ訳にも行くまいが、引退記念作といふひとつのカテゴリーを完成させてしまつた感さへ強い、「ぐしよ濡れ女神は今日もイク!」との歴然とした差は否み難い。


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 「ONANIE 快感入学」(1991/製作・配給:大蔵映画/監督:小林悟/脚本:鈴木和夫/撮影:柳田友貴/照明:小野寺透/編集:酒井正次/助監督:青柳一夫・植田中/スチール:田中スタジオ/録音:銀座サウンド/現像:東映化工/出演:冴木直・久保田未花・板垣有美・斎藤桃香・白河悠衣・渡辺大作・坂入正三・朝田淳史・芳田正浩)。脚本の鈴木和夫は幽霊博士で知られる鈴木和夫なのか、そもとれ単なる同姓同名なのか。
 女子大生・ルミ(冴木)のオナニー開巻、陰影のキマッた画がエロい。ベッドの脇に用意しておいた胡瓜を持ち出して、手短に完遂。純然たる余談でしかないが、当サイトの管理人は胡瓜は水鳥川彩の観音様に挿して差し出されても食へない。男に幻滅してワンマンショーを覚えたルミは、オナニーの学校に行つて勉強したとの素頓狂なモノローグを経て、何故かといふか何といふか、気紛れな選曲でタンゴ起動、茄子越しにタイトル・イン。今回大先生にしては思ひのほか、意図の明確なショットが散発的に冴える。
 身勝手なセックスでルミに部屋を追ひ出された級友の羽仁ヨーイチ(芳田)は、イッパツ儲けたと一欠片たりとて悪びれず。ヨーイチが汗を拭はうとハンカチのつもりで取り出したのが、“入学随時 入学金授業料無料 但し女性のみ”なる「国際ONANIE学院」の要綱であつたとかいふ、グルッと一周した不自然さが天衣無縫の領域に突入するシークエンス。とまれ、看板はよく出来た「国際ONANIE学院」、但し内部は何時もの摩天楼。“オナニーは心身安定の元”、“オナニーで生き抜かう”とプリミティブな貼紙がスッ惚ける中、フリーアルバイターの竹中チエ(斎藤桃香=斉藤桃香)・薬剤師の三原エイコ(久保田)らと受講するルミに、学院長の井田(渡辺)は特別学習と称し、別室にて個別に体験告白を聞く旨を告げる。
 配役残り坂入正三は、高校時代の自転車通学中サドルによるグリグリに目覚め、遂にフィットネスバイクを導入するに至つたエイコの部屋を訪ねる、新聞の集金人。チンコの形にしか見えない超極太の木彫り道祖神を用ゐる、ヒサエ(白河)の体験告白中に登場する不能の夫(もサカショー)と同一人物なのかは、集金人はエイコを襲はとするにつき必ずしも不明。もう一点如何にもDie On Timeな無頓着さが爆裂するのが、エイコが襲ひかゝつて来た坂入集金人を、サントリーオールドで殴打し撃退する件。音効がへべれけで、何で殴つてゐるのか激しく面喰はされる。板垣有美は、ヒサエの真最中を急襲する姑。そしてビリングと同期して体験告白三番手を務めるチエが繰り出すメソッドは、結構な手間をかけて張形風に加工したスルメを挿入、蛤の中で膨らませる匂ひが強烈さうな荒業。加工過程を、クッキング番組感覚で詳細にトレースするのが感興深い、実用性でも志向してみせたのか。
 ルミの体告は第一次芳田正浩パートで相殺する、小林悟1991年第十二作、ピンク限定第十作。つらつら四者四様のオナ模様を連ねるに終始する、劇映画的にはユルユルに見えて、これでハードコアな裸映画。底の抜けたオナ学の方便と、幾ら大御大作とはいへ珍奇に過ぎる井田の造形を、回収する一手間も欠かさない。特筆すべきはルックスから腰までは寸胴ながら、尻から下のラインは超絶な久保田未花、の料理法。実はオッパイさへ見せずに、フィットネスバイクのサドル上で悩ましく躍る久保田未花の尻を延々、延ッ々狙ひ続けるのは素材を最大限に活かすエクストリーム。白河悠衣も白河悠衣でボサッとした面相ながら、キュッと括れたウエストは絶品。ヒサエが役目を終へるや、お風呂―でオナニーする―の時間と称してさつさと捌けるのも清々しい。階段で果てたチエの股間からは、スルメ張形に予めパージ用としてとりつけてある、まんまタンポン状の紐が導火線よろしく覗く。それを手に取つたルミが、まさか引き抜いてみせるのか、引き抜くカットが映倫審査を突破し得るのか!?といつた、結局流石に引き抜けはしないものの、裸映画的な一大スリリングも撃ち抜く。顔ぶれだけ見ると脆弱な女優部と通常運転でスッカスカの物語を、濡れ場の的確さで克服する一作。克服し得た辺りに、それはそれでそれなりにもしかすると万が一、馬鹿にならない小林悟の演出力が垣間見えるのかも知れない。

 問題が小林悟でこの手の粗相は観るなり見た覚えが案外ないのだが、朝田淳史が出て来やしない点。井田の回収要員は恐らく演出部、何れにせよアサジュンではない。ヒサエ配偶者役でキャスティングされてゐたものが、何某かのアクシデントでトンでたりとかしたのかな。


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 「昭和をんなみち 裸性門」(昭和48/製作:日活株式会社/監督:曾根中生/脚本:大和屋竺/企画:岡田裕/撮影:森勝/美術:徳田博/録音:神保小四郎/照明:川島晴雄/編集:辻井正則/音楽:奥沢散策/助監督:浅田真男/色彩計測:木野尾信正/現像:東洋現像所/製作担当者:高橋信宏/出演:梢ひとみ《新スター》・絵沢萠子・江角英明・葉月かおる・沢田情児・堀弘一・三川裕之・長弘・玉井謙介・小森道子・橘田良江・田畑善彦・衣笠真寿男・久松洪介・賀川修嗣・北上忠行・大谷木洋子・氷室政司・吉田朗太・庄司三郎・しまさより・佐藤了一・萩原実次郎・伊達真人/技斗:田畑善彦)。出演者中三川裕之と、玉井謙介以降は本篇クレジットのみ。逆にポスターには載る大山節子の名前が、本クレには見当たらない。実際どつちなのかといふと、多分出てはゐないやうな気がする。クレジットはスッ飛ばす配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。
 日傘を差した和装の女が、鳥居を潜るロングにタイトル・イン。個人の特定如きすて措けと、振り切れて思ひきり引いたカメラが清々しい。大正時代、本篇開巻はチャチい模型を用ゐての、まさかの口腔内から外を見た視点のショット。正直、この時点で嫌な予感はした。侯爵の桂川実篤(長)がナポレオンに扮する座長(堀)率ゐる一座を、屋敷に招いての観劇。石女―劇中いはゆる“不適切な表現”ママ―の妻・綾子(絵沢)が、ナポレオンと密通してゐるのを知る桂川は、自身も護衛役の藤堂貞之助(江角)の情人で女郎上がりの、戸田しの(梢ひとみの二役)を囲つてゐた。しのが二卵性の兄妹を出産、桂川が男児は綾子との間に生まれた子として育てる一方、しのと女児は放逐。桂川家執事(賀川)は藤堂に備前兼光を与へ、言外に母娘の始末を命じる。十九年後、の昭和七年。桂川の援助で今や道場も構へる藤堂に、今際の間際のしのから手紙が届く。何処ぞの田舎にSLで駆けつけ、しのの臨終を看取つた藤堂は、しのの娘・鏡子(梢)と出会ふ。
 ぎりぎり女優部はまだしも、膨大な男優部にぼろぼろ手も足も出ない辿り着ける限りの配役残り、しまさよりは綾子の侍女。陣痛に苦悶するしのから、平然と扇風機を奪ふカットの非情さよ。久松洪介が、兄妹を取り上げる医師。藤堂に連れられ上京、あるいは帰京した鏡子は、頑なに母と同じ娼婦の道に進むことに固執する。玉井謙介は、遊郭にて“お父さん”と呼ばれる人。a.k.a.森みどりの小森道子と橘田良江は、淫売要員のセーラー服と、矢張り劇中“不適切な表現”ママでめつかち。田畑善彦ともう二名が、藤堂が鏡子を連れ戻しに来た悶着に、介入する江崎組の衆。そんなにさうも見えないが老いてなほ腕の立つ藤堂に、チョロッと捻られる。遊郭に、三人の一高生が現れる。我等がロマポ脇役部の雄・庄司三郎はもう一人で、沢田情児が成長した京子の兄にして、苗字は桂川の浩義。最終的には菊江(葉月)と壮絶な東映―ばりの大を通り越した超失血―死を遂げる一高三羽烏のリーダー格と、藤堂の一番弟子・木村が固定出来ない大きい役。見れば判るつもりの佐藤了一も、見切れなかつた。
 初出演ではないが初主演の梢ひとみに、新人扱ひも何なので“新スター”と銘打つのが斬新に映る、曾根中生昭和48年第四作。ソネチューだ大和屋だとなるとシネフィル~な界隈での評価は概ね高いやうだが、直截にピンと来ない、しつくり来ない。何はともあれ、馬鹿みたいにデカいボカシは百歩譲つて兎も角にせよ、画を狙ふのは構はないが、女の裸は満足に見せろ。ロマポは専門外につきよく判らないがたとへばエクセスと国映を比べた際の如く、ピンクでは主に会社単位のカラーで異なる、実直に裸映画に徹するのと、ゲージュツに気触れてみせる。路線なり部署の相違が、日活単体の中で案外明確にあつたものなのであらうか。濡れ場も疎かに鏡子の激情は兎にも角にも激しくはあれ理解にも共感にも遠く、絶妙に間の抜けたハンサム止まりの江角英明と沢田情児、男メインの二人が二人とも弱い。無造作な大立回りは今となつては牧歌性の範疇を突破し得る類のものでもなく、何もかも置いてけぼりにした清々しい絶望感は鮮烈でなくもないものの、描写が足らないか端的に不手際でラスト木村が何者と刺し違へたのかがてんで判らない以上、出し抜けに浩義を左に振るのは木に竹も接ぎ損なふ。サブ以外唯一正方向に琴線に触れたのは、執事が藤堂に最後に言ひ放つ、「藤堂、お前は何時も自分を賭けるものを間違へてゐる」なる、殆ど唯一地に足の着いた、且つ見事に真実を撃ち抜いた地味な名台詞。


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 「団鬼六 美女縄化粧」(昭和58/製作配給:株式会社にっかつ/監督:藤井克彦/脚本:中野顕彰/原作:団鬼六 二見書房刊『濡れた復讐』より/プロデューサー:奥村幸士/撮影:水野尾信正/照明:野口素胖/録音:酒匂芳郎/美術:金田克美/編集:山田真司/選曲:佐藤富士男/助監督:高橋安信/色彩計測:田口晴久/製作担当者:三浦増博/現像:東洋現像所/出演:高倉美貴・伊藤麻耶・大杉漣・隈本吉成・都家歌六・森みどり・江崎和代・宇南山宏/緊縛指導:Dr.ハルマ)。緊縛指導の正確な位置は、森みどりと江崎和代の間に入る。
 にっかつロゴ尻に、鹿威しが鳴る。和装の高倉美貴がゆすいだ手で水を口に含み、楚々と茶室に入る。久我山産業社長令嬢で女子大生の華子(高倉)が、父親(宇南山)と二人で江里子(江崎)をお師匠に週に一度のお茶の稽古。宇南山宏の役名が久我山である辺りに、シレッと煌めく量産型娯楽映画的な遊び心。一転、父娘でおテニス、接頭辞要らんぢやろ。二人がテニスを楽しむカットに、「今度はあの娘だ」、「え、いいんですか!?」と、大杉漣と隈本吉成の聞くから不穏な会話が被さる。高倉美貴のオッパイが悩ましく弾む、スローモーションが何時までも何時までも見てゐられると思へるくらゐに素晴らしい。総尺二時間半中、高倉美貴の弾むオッパイのスローが百分、起承転結は残りか余りでどうにでもせれ。そんな映画を、小屋で浴びてゐたい。
 閑話休題、手前のバラからピントを送る、華子と久我山がテニス後に話を咲かせる茶店。「あの娘に縄の味を教へてやる」と大杉漣の物騒な声は続き、窓の外から抜いた華子の画が、カシャッとカメラのシャッター音とともに停止してタイトル・イン。如何はしく起動する、ペットが堪らない。大学帰り―地方民につきロケーション特定不能―の華子を、プロ責め師の京田宗一(大杉)が結構な街中であるのをものともせず豪快な、水のないプール式に拉致。相棒でカメラ担当の谷(隈本)に運転させた、元々白いのを八割方黒く塗り直したライトバン乗せられた華子は、港湾地区の倉庫に連れ込まれる。
 配役残りa.k.a.小森道子の森みどりは、華子が京田に強要された旅行に行く旨の嘘電話をとる、久我山家お手伝ひ・秋子、一幕限りの完全無欠な脇役部ぶり。「今夜パパに会ひに行きませうか」と、京田は華子をラブホテル「スターダスト」に連れ出す。伊藤麻耶は、そこでの覗き窓越し、久我山から大概ハッチャメチャに責められる若い愛奴・レナ、この人も一幕限りの完全無欠な濡れ場要員。そして、江戸時代より伝はる落語家の名跡―但し目下は空き―の八代目である都家歌六が、一旦倉庫を自力で脱出した華子が拾ふ、イースタンタクシーの運転手。ところで、あるいは実は。二月二十一日の大杉漣に続いてといふいひ方も何だが、八代目都家歌六も、後を追ふが如く今年の三月末に死去してゐる。
 福博の最後の牙城・駅前ロマンが“大杉漣 出演作品”と銘打ち「団鬼六 美女縄化粧」をかける筈が、実際上映されたのは“美女”の抜けた「団鬼六 縄化粧」(昭和53/監督:西村昭五郎/脚本:浦戸宏/主演:谷ナオミ)。とかいふ、どうしたら然様な大惨事が起こるのかタマキューよりも不条理かつデストロイな事態を受けて、観損ねた藤井克彦昭和58年第二作をex.DMMで落ち穂拾ひ。落ち穂拾ひに当たるのか?この場合。とまれルパン鈴木とジミー土田に、前述した八代目都家歌六。昭和の映画ゆゑ当然といへばその一言で事済む話でもあるのだが、亡くなつたのは、大杉漣だけではない。と改めて一通りググッてみたところ、宇南山宏が今作の翌年に鉄道自殺してゐた衝撃の事実にブチ当たつた。
 再度話を戻して、下手に引く傾向が顕著で、高倉美貴の超絶美身に寄らないフラストレーションを募らせるカメラは、ポルノよりも映画を志向したものと強ひて我慢する。不自然に迂闊な親爺が衝撃の再会を果たすラストでは既に、娘は恍惚の彼岸へと跨ぎ終へた後だつた。とかいふ如何にも類型的な物語には、寧ろ清々しさを覚えるべき筋合に思へる。時代など関係ない圧倒的な素材は兎も角、最終的には大根の枠内に留まる高倉美貴のメタ的な箱入り感に関しては、今なほ多いクラスタ諸兄を不用意に刺激しないやう控へる。控へてねえだろ小僧、にしても。本当は正統派の精悍な二枚目であるにも関らず、まるでファインダーを覗いてゐないと他者と満足に接することも出来ないかのやうな谷の造形には、歪んだエモーションが爆裂する期待に琴線を激弾きされた、ものの。三代目“SMの女王”たる和製オリビア・ハッセーを主演に据ゑた、大雑把に片付けるとにっかつ目線では確実に数字を上げることが要求される中、さういふ日陰者ばかりを滂沱の海に沈める方向に映画が振れてみせる訳がなく。良くも悪くも手堅く纏まつた、個人的には永遠に辿り着き損ねた一作である。

 因みに目下も声優・俳優として活動する隈本吉成のプロフィールでは、ロマポ時代は黒歴史扱ひされてゐたりする、いい仕事してたのに。


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