「をさな妻」(昭和55/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:白鳥信一/脚本:鹿水晶子/プロデューサー:中川好久/撮影:山崎敏郎/照明:小林秀之/録音:福島信雅/美術:菊川芳江/編集:山田真司/助監督:川崎善広/色彩計測:森島章雄/現像:東洋現像所/製作担当:鶴英次/テレビ画像協力:東京12チャンネル/音楽:大野雄二/挿入歌:『愛の妖精』作詞:荒木とよひさ 作曲編曲:大野雄二 唄:原悦子 『ひとり暮し』作詞作曲:石黒ケイ 編曲:鈴木宏昌 唄:石黒ケイ⦅ビクター・レコード⦆/出演:原悦子・吉行和子⦅特別出演⦆・山本伸吾・矢崎滋・三崎奈美・桑山正一・浜口竜哉・島村謙次・絵沢萠子・清水石あけみ・大平忠行・玉井謙介・小見山玉樹・八木景子・鹿又裕司・岡本達哉・水木京一・庄司三郎・浅見小四郎・賀川修嗣・兼松政義・緑川摂・野崎巳代・中嶋朋子・深町真樹子)。出演者中、水木京一と庄司三郎に、賀川修嗣以降は本篇クレジットのみ。配給に関しては、事実上“提供:Xces Film”。
湯の沸いた薬缶が鳴り、年齢が明示されないのは兎も角、あるいは兎に角“をさな妻”の原田悦子(原悦子/公称的には封切り当時二十四)が、未だ布団の中でぐずぐずしてゐる夫の則夫(山本)を起こす。この二人、悦子は中学時代の先輩と結婚した間柄。自堕落に求めて来る則夫に対し、「今夜頑張るから」と悦子が健気に拒んでタイトル・イン。二人が暮らす、風呂なし手洗は共同の安アパート「芙蓉荘」。向かひの部屋に住むホステス・東美智(吉行)の顔見せ挿んで、共働きの二人が仲良く出勤。踏切を通過する、電車の車体にクレジット起動、悦子が勤務先の「西原郵便局」に辿り着くまでがタイトルバック。新任の事務長・田村(浜口)以下、滝沢ゆり子(三崎)と大沢(賀川)が劇中登場する悦子の同僚で、局には深夜ラジオ狂で日々大量の葉書を送り散らかす、高二の西島政人(鹿又)が通ひ詰める。一方、出勤した筈といふか要はフリの則夫は、茶店で元同僚の谷口(岡本)と密会。興信所「町田コンサルタント」に勤めて、ゐた則夫は顧客を恐喝したお痛で実は馘になつてゐた。谷口から隠し妻子の写真を入手、浅見小四郎に再度恐喝を試みる性懲りもない則夫に、町コンの強面・江崎か畑中(小見山)が目を光らせる。さあて、皆様御唱和お願ひ致します、コミタマキタ━━━(゚∀゚)━━━!!
配役残り、桑山正一は悦子を頻繁に訪ねて来る義父・山田連太郎。絵沢萠子が―男を作り出奔した―実母のせきで、中嶋朋子は幼少期の回想に於ける子役。筋者すれすれの稼業から足を洗ふ腹を固めた谷口の、お腹の中に子供もゐる女は恐らく春江役とされる八木景子。江崎か畑中を連れ則夫と谷口を急襲する、大平忠行が兄貴分の畑中か江崎。誰も呼称して呉れぬゆゑ、この二人の名前を詰めきれない。矢崎滋は、美智のヒモ・島元。ほかにこれといつた人影の見当たらない兼松政義は、窓口でうはの空の悦子を急かす影英似のパーマ頭か、後述する「パコパコ」の無駄に美青年のボーイ辺り。ヤサに押しかけた大平忠行が悦子を犯す際鳴つてゐる、事前に政人クンから聞くやう乞はれてもゐた文化放送のDJが、吉田照美らしいけれど個人的には確認能はず。町コンが浅見小四郎に支払つた―とする―示談金・百万の返済を強ひられた悦子は、郵便局を辞め美智が働くキャバレー「パコパコ」に転職、ピンサロみたいな屋号だ。清水石あけみは先輩ホステスのアケミで島村謙次が、元々アケミの客であつた上客・湯山陽一郎、女達からの愛称はゆーさん。緑川摂と野崎巳代はその他ホステス、多分。水木京一と庄司三郎が、二人連れのパコ客で飛び込んで来る、さりげなく芳醇なカットが今作のハイライト、頂点そこかよ。玉井謙介は、町コン社長の町田。則夫がコミタマに文字通りの手傷を負はせ、何だかんだ二百万まで膨らんだ借金を、悦子は寝るのを条件に湯山から借り返済。町コンから救出した則夫と悦子が出くはす、子連れ夫婦のこれ見よがしに幸せさうな三人と後々登場する、島元の浮気相手はノンクレだと思ふ。最後にパチンコ屋で放心状態の悦子に、「お姉ちやん玉なくなつてるよ」とフランクに声をかけて来る女丈夫は深町真樹子。あと、東京12チャンネルが提供するのはお馬さんの中継。島元が見事に負け、美智こと吉行和子が溜息交りに放つ、鮮やかなほどやさぐれた名台詞が「アタシの労働の結晶が馬公のウンコになつちやつた」。馬公のウンコ、カッコよすぎんぢやねえか。
扱ひの詳細がよく判らないが、一応ロマポでなく一般映画らしい白鳥信一昭和55年第三作。なほ、「をさな妻」といひながら富島健夫の原典とは関係ないフリーダムな建付け。許されるんだ、そんな真似。
当時博く絶大な人気を誇つた原悦子をヒロインに擁し、実際客席を若年層なり女性客で埋めてはみせ、たさうだともいへ。「愛の妖精」とかいふ、謎の挿入歌が何処で流れてゐるのかサッパリ判らない―予告ででも使つたのか?―のはさて措き、ただでさへ、腐れ則夫の粗相に悦子が振り回され続ける、正しく火に油を注ぎ。クソ則夫いはく“どうしてかうなつちやつたのかな”だなどと馴初めは豪快にスッ飛ばしてのけた上で、何時の間にか則夫の外道がまさかかしかものゆり子と男女の仲。主人公が手籠めにされたり体を売つてゐる間、諸悪の根源たるゴミ男は余所の女の部屋で呑気に、マンガを読んで笑つてゐたりなんかしやがる。悦子を奈落の底に叩き落すことにのみ全てを賭け、挙句終ぞ一切の救済に一瞥だに呉れぬ、潤ひを欠いた暗黒作劇には畏れ入つた。アイドル映画にしては原悦子を美しく可愛らしく撮らうとする意欲すら特段窺へず、憔悴しきつた悦子が悄然と砂浜に佇む。入水しか連想させない沈痛なラストに至つては、往時大好きな大明神の主演映画を観るんだと、小屋の敷居を嬉々と跨いだ少年少女の心中や果たして如何に。慈悲といふ言葉を知らんのか、昭和。この際原悦子は諦めてしまふとして、濡れ場といふ見せ場にこそ与らないものの、決して一幕・アンド・アウェイで駆け抜けるでなく終盤まで潤沢な出番に恵まれる、本隊ロマポの道祖神・小見山玉樹にエモーションを注ぐのも一興。話を戻すと先に見切れる、地味な名演技で本当に楽しさうな水京からカメラがパンすると、連れがサブであつた瞬間には小屋の暗がりの中思はず声が出た。
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