真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「娘とママ あぶない交遊録」(2003『ねつちり母娘 赤貝の味』の2006年旧作改題版/製作:ナベシネマ/提供:オーピー映画/監督:渡邊元嗣/脚本:山崎浩治/撮影:飯岡聖英/照明:小川満/編集:酒井正次/助監督:小川隆史/監督助手:茂木孝幸/撮影助手:小宮由紀夫/照明助手:松村泰裕/衣装・下着協賛:ウィズ・コレクション/現場応援:広瀬寛巳/出演:谷川彩・佐々木基子・林由美香・永井努・小久保昌明・横須賀正一)。
 “株式会社 ウィズ”の表札から抜かれる開巻。真壁きらら(谷川)は母・黎子(佐々木)の経営する下着メーカー「ウィズ・コレクション」の事務を手伝ふ傍ら、撮影用の下着モデルも務めてゐる。この日もきららはカメラマン・服部五郎(横須賀)の下、専任モデルの森下南(林)とWEB用宣材動画の撮影を行つてゐた。黎子は華麗に結婚と離婚とを繰り返しながら、女手ひとつできららの養育とウィズ・コレクションの経営とに当たり、この日は、十回目の結婚相手と海外にハネムーンへと旅立つ日であつた。撮影後、デザイナー見習の椎名大地(小久保)も交へ、皆で過去九回目の結婚は最速の成田離婚で終りを告げた黎子を面白半分に心配する噂話に花を咲かせてゐたところ、黎子が一人で帰つて来る。鼻クソを穿つた、といふ理由で最速記録を更新する成田空港、へ至るリムジンバスの車中離婚して来たといふのだ。一同は仰天する。
 一方、きららは地方への転勤が決まつたといふ恋人・高野一平(永井)からプロポーズされる。一平はきららに黎子、即ち母親に会はせて呉れることを望むが、きららは逡巡する。結婚するとなると、黎子を一人置いて家を出なくてはならない。家のことはまるで出来ない黎子の面倒は全てきららが見てゐることと、何よりも、これまで母親に彼氏を紹介してはその都度品定めと称して喰はれてしまつてゐたからである。
 と、掻い摘んでみたところで。これ以降、物語はここから大きくあるいは深くも展開する訳では特にない。料理の全く出来ない黎子が夕食の煮物におふくろの味と舌鼓を打つと、それを作つたきらら、即ち娘は「私はあなたのおふくろぢやありません!」。そんな感じの遣り取りで全篇が彩られる、エキセントリックな母親と、母に翻弄される世話性の娘、とを描いたホーム・ドラマである。シンプル、且つオーソドックスな仕上がり具合ではあるものの、その分、いはゆる作家的なギミックが入り込んでゐないだけに、却つてナベ映画に拭ひ難い安さが顕在的に露見してしまつてゐる。などといつてしまつては、それこそ正しく実も蓋も無い。とはいへ渡邊元嗣の、本質を宿した細部がさりげなくも眩く輝くのは、求婚した一平が、きららに指輪を贈るシーン。一平がきららの左手薬指に指輪を通すと、平素は主に流れ星に使用される「キュイーン♪」といふSEが鳴る。かういふことを恥づかし気もなくやつてのけられ、なほかつ成立せしめられるのも、渡邊元嗣ならではといへばならではであらう。

 ひとつ目に留まつたのは。黎子と大地との一度目の濡れ場。精巧な―といふ程でもないか―淫具を使用し、大地が黎子の秘裂に指を這はせるショットを、無修正気味に撮つた短いカットがある。だからどうだといふことも特には全くないのだが、張形を用ゐた無修正風の尺八ショットならばそこかしこで頻出してゐるが、逆バージョンといふのにはお目にかかつた記憶が無い。


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 「姉妹白衣 診察室でエッチ」(2003『ナース姉妹 桃色診察室』の2007年旧作改題版/製作・配給:新東宝映画/脚本・監督佐藤吏/企画:福俵満/撮影:長谷川卓也/照明:奥村誠/音楽:大場一魅/編集:酒井正次/助監督:田中康文/監督助手:笹木賢光・茂木孝幸/撮影助手:岡部雄二/照明助手:糸井恵美/タイミング:安斎公一/タイトル:道川昭/協力:小川隆史・広瀬寛巳・志賀葉一・セメントマッチ、他/出演:佐々木ユメカ・佐々木日記・紺野美如・松田信行・本多菊次朗・なかみつせいじ・新納敏正・しのざきさとみ、他多数)。
 8ミリによる回想ショット、砂浜にて、父親と赤いゴム毬をキャッチボールする少女。父親の顔は、よくよく見れば見えなくもない辺りが、絶妙な逆光で隠される。父親が投げた球は娘の頭を越し、少女はゴム毬を追ひかける。ゴム毬を捕まへ父親の方へと振り返つた少女は、呆然と立ち尽くす。そこに居る筈の、父親の姿がなかつたからである。少女の父親は、家族を捨てたのだ。開巻から、いきなりひとつ注文をつけたくなるのは、この父親が姿を消す件。一連の展開は少女を左斜め前から捉へたまま動かないカメラで、①少女の頭をゴム毬が越す。②少女が背中を向けゴム毬を追ひかける。③ゴム毬を捕まへ再び振り返るものの、少女は―父親の不在に―呆然と立ち尽くす、といふ流れで描かれる。これが、些か判り辛い。後に再び回想ショットが挿入される際に使用される、立ち尽くす少女を、背中から押さへた画の不使用が解せない。勿論そちらの方が、父親の不在がより鮮明に語られることはいふまでもなからう。効果の薄い、出し惜しみにしか過ぎないやうに思へる。
 成長した少女・中村智香子(ユメカ)は総合病院に勤務する看護婦。恋人で教師の横田啓司(松田)からプロポーズされるものの、幼少時に家族を捨てた父親の存在、あるいは不存在が心理的な障壁となり、母・君江(声のみ出演のしのざきさとみ)に求婚されたことを報告しこそすれ、どうしても結婚には踏み切れずにゐた。智香子の妹・和香子(日記/ユメカ実妹)は町医者の看護婦、兼受付。実直な姉とは対照的にずぼらな和香子は、家のことは全て姉任せに、智香子のアパートに居候してゐる。智香子と五つ違ひ(実際の佐々木姉妹は七つ違ひ)の和香子には父親の記憶は一切なく、だからといふ訳なのか恋愛に於いては専ら年上男との不倫に走り、現在は勤務先の院長・篠原(本多)と関係を持つてゐた。和香子は最近子供の生まれた篠原との間に、如何ともし難い距離を感じ始める。
 既にさんざ語り尽くされてもゐることは詮ないことこの上ないが。よくいへば質実もしくは禁欲的、直截にいふと不器用で気の利かない佐藤吏は、折角の実姉妹主演作でありながら、そのことを桃色方面に活かさうとする気はおくびも感じさせない。一方、性格はまるで正反対ながら、互ひを「ワカちやん」、「チカちやん」と呼び合ふ仲のいい姉妹の、それぞれの物語はストレートに上手く描かれてゐる、半分までは。ある朝和香子が出勤すると、篠原の医院は臨時休診になつてゐた。「聞いてねえよ」と不貞腐れた和香子が公園でサンドイッチを食べてゐると、反れた父子のキャッチボールの球が飛んで来る。時代を感じさせるトルネード投法で子供にボールを投げ返さうとした和香子は、腰を捻つた弾みに、妻子と連れ立つて仲良く歩く篠原の姿を目撃する。篠原との関係に答へを見付けた和香子は医院を辞め、序に智香子のアパートを出て自立することも思ひ立つ。ところまでは、後に触れる本来の設計からは恐らく外れてゐるであらう、今作の映画的頂点も含め綺麗に纏まつてゐる。対して、智香子の物語は些か消化不足か。君江から智香子の近況を耳にした父親・高井(新納)は、結婚資金にでもといふことか積み立てた預金通帳を託(ことづ)けに智香子の勤める病院を訪れる。通帳をナースステーションに置き立ち去らうとする高井を智香子は呼び止め、病院屋上で再度の、赤いゴム毬でのキャッチボールを持ちかける。最初は智香子から球を投げ、高井が返したゴム毬を、取れる高さのゴム毬を、智香子は微笑みながら高井を見詰めたまゝ後ろに遣り過ごす。そして、智香子は横田との結婚を決意する。といふのは、読解力不足を自ら露呈するやうではあるが、どうにも理解に苦しむ。佐藤吏の中では何の不足もなく成立し得てゐるのかも知れない状況が、観客に満足に説明されてゐるやうには見えない。智香子が高井から目を離さなかつたのは、再び父親が自分の前から姿を消してしまはないやうにするつもりか。それにせよ、取れる高さのゴム毬を取らなかつたことの説明には足るまい。智香子が高井のゴム毬を、拒んだ意味が判らないのである。挙句そこから結婚への踏ん切りまでが、どうにも繋がり辛くはないか。
 智香子がゴム毬を微笑みながら遣り過ごす瞬間は、御丁寧にも視点を変へ、若干のスローモーションまで用ゐて描かれる。ことから佐藤吏が、この件を今作のハイライトとして企図してゐたであらうことは容易に窺へるが、そこからは全く外れ、今作がエモーションの最大を手中に収めるのは、和香子の寂しい誕生日。一日の仕事を終へ帰宅しようとした和香子は、篠原から呼び止められる。篠原が誕生日を覚えてゐて呉れたのかと和香子が喜んだのも束の間、篠原が寄こしたのは、「お誕生日お目出度う」の一言だけだつた。「それだけスか」、と肩を落とし和香子は医院を後にする。和香子が智香子のアパートに帰宅すると、鉄人(28号)のオモチャを手にした、智香子の先輩看護婦・美紀(紺野)の幼い息子が出迎へる。居間では、智香子と美紀が酒を酌み交はしてゐた。自分のためにパーティーを開いてゐて呉れたのだと和香子は普段は曇らせがちな表情を再び輝かせるが、智香子と美紀は和香子の誕生日とは特に関係なく、単に互ひの重なつた時間に智香子の家で飲んでゐただけだつた。いたたまれなくなつた和香子は、終に泣き出してしまふ。和香子二度目のぬか喜びの触りの辺りで、続く流れは読めもするのだが、和香子の堰が切れるよりも早く、小屋の暗がりの中俺の方が先に泣き出してしまつた。センシティブな内面をやさぐれた外面(そとづら)に覆ひ隠した、和香子のキャラクター造形は実によく出来てゐる。加へて、ここから先は何をいつてゐるのか全く判らなくもなつてしまふが、個人的に私はかういふシークエンスに弱いのだ。「マーティ」(1955)のラストひとつ前のシーン、中々かゝつて来ぬアーネスト・ボーグナインからの電話を待ち侘びたベッツィー・ブレアは、家族で楽しいコメディ・ショウをテレビで見てゐる筈なのに、終にどうしやうもなくなり泣き出してしまふ。俺はさういふシークエンスを前にすると、どうしても柄にもなくポロポロと泣いてしまふ。泣き出した和香子に続けて、空気を読んだ美紀の息子が、鉄人をお姉ちやんへのプレゼントに差し出すのも重ねて泣かせる。素晴らしい、混じり気ない人の真心なんて銀幕の中にしか存し得ないとしても、最早構はない。生真面目に丹念を積み重ねて、殊更にはどうといふこともない場面を堅実に、そして鮮やかにモノにする。佐藤吏といふ人の映画の肝に、初めて触れたやうな気がした。

 なかみつせいじは、バツイチである美紀が初めからロック・オンした上で、夜勤の際に病室で事に及ぶ、同じくバツイチの入院患者・松下。どうでもよかないが、単調に首から上を前後させるばかりの、紺野美如の頂けない濡れ場演技はどうにかならなかつたものか。
 幼少期の智香子、ナースステーションの三人娘レイコ・ミワ・ナオミ、美紀の息子に塚本の妻子(何れも不明)ら、助演勢はピンクらしからぬほどに多数。クレジットの中で見知つた名前といへば、待合室等の患者役か橋口卓明・小川満・横井有紀らのほか、何とキャンディーミルキー名義で御大キャンディ・ミルキィの名前も!とはいへ女装してゐないと単なるアレ目な外見の地味なオッサンに過ぎないので、何処に見切れてゐたのかは確認出来ず。

 最後に恐ろしく小さなネタを。姉妹の母親役として、しのざきさとみが声のみ出演するのだが、三年後、今作の助監督を務めた田中康文のデビュー作に、しのざきさとみは矢張り主人公姉妹の母親役として、今度は遺影のみ登場する。

 以下は再見時の付記< 成人した智賀子が、訪ねて来た父親に投げさせたボールを、わざと取らないショット。あれは智賀子の高井に対する最終的な決別で、横田を受け容れるところまでは踏み込めたともいへ、ラストに至つても依然結婚には踏みきれてゐない。矢張り節穴ぢやねえか(´・ω・`)


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 「恥ぢらひ夫人 玩具で感じて」(1998『人妻交換 恥ぢらひ狂ひ』の2007年旧作改題版/製作:フィルムハウス/提供:Xces Film/監督・脚本:佐々木乃武良/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/プロデューサー:伍代俊介/撮影:天野健一/照明:小野弘文/編集:金子尚樹/撮影助手:田宮健彦・鷹沢幸一/照明助手:藤塚正行・平井元/助監督:羽生研司・高田亮/製作担当:真弓学/メイク:塚本ゆき/タイトル:道川タイトル/出演:つかもと友希・柳東史・佐々木基子・葉月蛍・吉田祐健・杉本まこと)。葉月蛍の、略字表記は本篇クレジットまま。
 互ひに若い、竹本陽輔(柳)と妻・成美(つかもと)の夫婦生活、コンドームに手を伸ばしかけた陽輔は思ひ留まる。そろそろ、子供を作らないかといふのである。翌朝、子作りの機運も引き摺りつつ如何にも判り易くラブラブな風情で陽輔を送り出した成美は、俄かに表情を曇らせると、食器棚の中からピンク色の錠剤を取り出す。微笑ましい新婚家庭の情景から一転、暗く歪んだ情欲のドラマの幕開けを告げる、この転調は実に鮮やか。この映画は本気なんだなと、襟を正せさせられる。一人書類箱の整理に汗を流す陽輔は、一般職の塩崎舞(葉月)と部長の上原(吉田)とが、別棟の男子トイレへと消えて行くのを目撃する。何事かと、こつそり後を追つた陽輔は目を疑ふ。男子トイレでは、何と舞と上原がセックスしてゐたのだ。ピルを常用する舞に、上原は堂々と中に出す。一方成美は、プライベートでは家族ぐるみの付き合ひもある、陽輔の上司・田島宏樹(杉本)から、性奴隷として日々陵辱と調教との限りを尽くされてゐた。田島は仕事はどうしてゐやがるのだ、とかいふツッコミはひとまづ禁止だ。
 不気味な存在感と色気を醸し出す佐々木基子は、田島の妻・恭子。さういふ次第で、威力抜群な桃色の破壊力を誇るつかもと友希を恥辱のヒロインとして先頭に、何も知らず彷徨ひ込んだ淫獄に困惑する夫に柳東史と、部下の若妻を恣に虐げる邪欲の権化には杉本まこと。全ての仔細を冷静に見守るもう一人の人妻の佐々木基子に加へ、陽輔の指南役としても機能する、成美とは別の淫獄の主人公に葉月螢。加へて濡れ場要員すらもが吉田祐健とあつては、役者が揃ふどころの騒ぎではない。他の可能性が容易には思ひつかぬほどの、正しく完璧とさへいへよう布陣である。佐々木乃武良の丹念な演出は濡れ場の一幕一幕に、即物的なエロとして百点の充実をクリアした上で、なほそのことを超えた、一本の劇映画としての十二分な強度をも有せしめる。ピンクのバジェットを決して諦めない、多彩なロケハンも煌く。
 とはいふものの。単なるエクセス本流のエロエロ映画を超えた、娯楽映画のソリッドな傑作を佐々木乃武良がモノにし得たのかといふと、残念ながら、甚だ残念ながらさうはならない。下手にエロ映画を跨いでその先に一歩二歩と踏み出しただけに、却つて展開上の大穴が二、三際立つ。成美は心では何不足なく陽輔から愛され自らも心から夫を愛しながら、底に穴の開いた鍋のやうに、肉の欲は決して満たされることがなかつた。テレクラに狂ふ成美は、その弱味を田島につけ込まれ性奴に堕したものだつた、といふ前提の大胆な省略は、後に回収されることからも等閑視しようと思へばしてしまへるとしても。恭子が興信所の調査結果を下に、陽輔に互ひの配偶者同士の不貞を突きつける件は些か唐突で、何よりも肝心な筈の、成美と陽輔とが一旦は喪はれた夫婦の絆を取り戻す、舞が上原に抱かれた男子トイレを舞台にしたクライマックスの出来が宜しくない。ピークの一言が、成美は自らの破廉恥な不貞は凡そ許されないものと認めた上で、「でも、許して欲しいの!」といふのでは、調子のいいことこの上ない以前に、あまりにも台詞として未完成に過ぎる。よしんば成美にはさう叫ぶほかはないとするならば、今度は陽輔の側に、妻の抱へる女としての業を引き受けるとでもいつた描写が、シークエンスを成立させる手続きとして一手間二手間必要となつて来るであらう。数度挿み込まれる、陽輔の見る幻想シーンもいまひとつ熟(こな)れてゐない。映画としての完成に果敢に挑んだ分、余計に平素は目立たなかつたのかも知れない陥穽に目が留まつてしまふ、微妙に惜しい一本である。エクセス本流エロエロ映画としては、全く見事に満点の出来栄えではあるのだが。


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 「絶倫ハーレム男 三人の妻」(1995『絶倫!!好きもの夫婦』の2007年旧作改題版/製作:サカエ企画/配給:新東宝映画/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:中田新太郎/撮影:千葉幸男/照明:渡波洋行/編集:酒井正次/音楽:レインボー・サウンド/助監督:高島平介/撮影助手:島内誠/照明助手:藤森玄一郎/効果:中村半次郎/出演:杉下なおみ・田口あゆみ・風間晶・大酉美和・野上正義・平岡きみたけ・丘尚輝・中田新太郎・野沢良太)。“今回”新版ポスターに名前の見られるのは、風間晶までと、野上正義・丘尚輝・野沢良太。大酉美和といふのは、確かに本篇クレジットではさう打たれてゐたものと記憶してゐるが、AV女優“大西美和”の誤植ではないかと思はれる。
 帰宅したパチンコ店社長・鴨下定虎(野上)を、“妻”みゆき(杉下)・“カミさん”由美(田口)・“ヨメさん”まりや(風間)、三人の女が出迎へる。賑やかな夕食の風景を経て、ハーレム感覚の四人による入浴シーンでタイトル・イン。続いてけふは誰の番、といふことで鴨下とまりやとの夫婦生活。カット変ると鉄道を跨ぐ歩道橋に、イジメ自殺を報じるスポーツ紙の記事を手に謙一(平岡)がぼんやりと佇む。苛めを受け追ひ詰められた高校生、といふキャラクター設定の紹介とはいへ、判り易過ぎて底の抜けたポップ・センスには腰も砕ける。謙一の回想、謙一は不良の長谷川和寿(丘)・杉田光弘(中田)に苛められ、長谷川からは金銭を持つて来るやう強要されてゐた。父親の財布から金を抜き取りまではした謙一ではあつたが、イジメ自殺を報じるスポーツ紙の記事を手に歩道橋に佇む程に(笑>もうヤケクソ)追ひ詰められてもゐた。そこで、とはいへここの脈略が豪快に抜け落ちてはゐるのだが、謙一は大人物である叔父貴・鴨下の家を訪れ、学校はどうしたのか暫く逗留することに。
 といふ訳で、謙一が女王様の由美が鴨下を虐げる夫婦生活を目撃したり、鴨下が家を開けてゐる間にまりあに筆卸して貰つたり、三人の妻たちとの麻雀では、一人勝ちした為逆ギレした由美女王様から矢張りこつ酷く痛めつけられてみたりなんてする。とはいふものの女だらけの家に飛び込んだ、純情高校生の性の目覚め、とやらが別段焦点を当てて描かれる訳でもなければ、最終的には謙一が苛めを克服することも、送られて来た手紙一通で通り過ぎるかのやうに触れられるのみ。謙一が鴨下の家を訪れるプロットが、機能するしない以前に、そもそもマトモに成立してゐたのかといふ時点から甚だ疑はしい。ビリングはトップ、冒頭四人での入浴シーン以外唯一の濡れ場が締めに持つて来られる点からも、女優メインではあるらしい杉下なおみが、時代性を差し引いたとて微妙ですらない辺りも弱いのを通り越して痛い。正しく“絶倫”の冠に恥ぢぬ、漲る最高潮の活力精力を迸らせる野上正義が唯一の見所か。ならばいつそのこと謙一絡みの件は一切排して、終始「ガッハッハ」とガミさんが高笑ひし倒してそのまま終り、それで別に良かつたやうにも思へる。
 野沢良太は鴨下が経営するパチンコ店の店長、特に芝居らしい芝居をする風もまるでなく、何しに出て来たのだか殆ど判らない。大酉美和は、ラストに登場する鴨下の四人目の妻・美和。何故だか手にしたぬひぐるみ―?、あまり自信が無い―で口元を終始隠し、顔はよく映らない。
 一応劇中明確に説明されもするが、鴨下の三人―と美和―の妻といふのは、何れも事実婚。

 今作は、2003年に「3人のすけべ妻 濡れる草むら」として既に(少なくとも)一度旧作改題されてゐる。といふ訳で改めて顧みると、新東宝が同じ映画を数度新版公開することは、実は全く珍しいことでも何でもない。即ち、1995年といふ製作年、あるいは初公開年を鑑みると、調べようもないが2003年以前に旧世紀末にでも更にもう一度旧作改題されてゐたかも知れないし、数年後に、性懲りもなく再び新版公開される可能性もある。


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 「いたづら家政婦 いぢめて縛つて」(2007/製作:小川企画プロダクション/提供:オーピー映画/監督:小川欽也/脚本:水谷一二三/撮影:朝川良寛/照明:岩崎豊/助監督:横江宏樹/監督助手:浦川公仁/撮影助手:吉田剛/照明助手:河名和宏/効果:東京スクリーンサービス/音楽:OK企画/出演:@YOU・風間今日子・山口真里・竹本泰志・ヒョウドウミキヒロ・なかみつせいじ)。出演者中ヒョウドウミキヒロは、ポスターにはひょうどうみきひろ。強力に微妙なところではあるが、撮影助手の吉田剛は吉田剛毅と同一人物なのか、もしや脱字?
 小林玲子(山口)と浜崎茂(竹本)との濡れ場で幕開け、開巻早々に画面のルックで驚愕させられる小川マジックは健在。リアルタイムの映画には、感動的に見えない。カット変り、居間でノートPCに向かふ主人公でポルノ小説家の小林祐二(なかみつ)と玲子本人とが登場すると、冒頭の一戦は、息子嫁である玲子を主人公のイメージに拝借した、小説中の出来事であることが明らかにされる。竹本泰志演ずる浜崎は純然たる創作中の登場人物に過ぎず、その後登場することは一切無い。開巻いきなりノルマでしかない絡みをこなす確信的な姿勢には、事ここに至るとグルッと回つて清々しい気分にすらさせられる。2006年第二作はわざわざ遠征を展開することもないと回避してゐた為、実は結構以上久々の新作観戦ともなる小川欽也は、矢張り普段通りの小川欽也であるやうだ。
 玲子は一週間夫婦旅行に出るといふので、祐二の為に家政婦を手配する。てつきりオバサンが来るものと思ひ込んでゐた祐二は、いざ現れた若い水上麻衣(@YOU)を前に、忽ち下心と股間とを膨らませる。かう手短に掻い摘んでみると、何と類型的な駄文かと我ながら呆れる他はないが、実際にさういふ工夫を欠いたプロットなので最早これは諦めるしかない。
 麻衣は子持ちのバツイチだといふことで、男の味も覚えてゐるに違ひないと踏んだ祐二は、これ見よがしに無修正の舶来ポルノ雑誌を広げておいた上で、麻衣が掃除をする間に散歩に出る。歩きがてら、ポルノ雑誌に興奮した麻衣が思はず自慰に溺れてしまふ、様をイマジンする。明くる日は明くる日で、祐二は今度は腱鞘炎と偽り朝から浴びた風呂で麻衣に背中を流して呉れることを乞ふと、勃起した一物を誇示し口唇性行を要求。麻衣が尺八を厭ふ為手コキで妥協するも、カット変ると暴力的にベッドに押し倒してゐたりなんかする。最短距離といへば聞こえもいいが、普通に映画を観ようとしてしまふと、飛躍が甚だしい。小川欽也の映画を前に、何を無粋なことをホザいてゐやがると問はれたならば、返す言葉も持ち合はせぬが。
 風間今日子は、麻衣から聞かされた祐二のモノの長大さに興味を抱く、先輩家政婦・小池由美。@YOU・山口真里の二人に加へ何気に巨乳カードが三枚揃つた訳だが、残念ながらそれ程満足に機能する訳ではない。本篇クレジットとポスターとで表記の異なるヒョウドウミキヒロは、祐二の息子で玲子の夫・隆志。といふ訳で、麻衣の都合のつかない日に小林家を訪れた由美との一幕。メイドものの新作を編集から要望された祐二の、麻衣をダシにした構想といふ名の妄想。旅行先での、玲子と隆志との夫婦生活。一般的な起承転結でいふと、承部の入り口辺りで満足にストーリーを追ひ求めることも放棄した映画は、以降濡れ場濡れ場をひたすらに垂れ流す繰り返すに終始する。さうなると、基本祐二宅の居間に留まるロケーションの貧弱さがどうにも苦しい、などといふのは、遠くそれ以前の話であることはいふまでもあるまい。
 クライマックスは、麻衣×祐二×由美の3P。麻衣が(偽)下戸といふ伏線を、一応回収してみせた点は水谷一二三(=小川欽也)の脚本にしてみては上出来といへるのかも知れないが、説明乃至は描写が一手間足らず、結局十分に活かされてゐるとはいひ難い。三人の組んづ解れつを引き気味に捉へた手前には、『爆乳家政婦うんたらかんたら~』とかいふ、祐二新作小説タイトルのPC画面表示が抜かれはするのだが、二度三度と大きく映し出される割には、何故だか一度としてキチンとピントが合はされない為、文字も潰れ気味で最終的には判読出来ない。御座成りなオチといひ、小川欽也は、矢張り小川欽也であるやうだ。一言で片付けてしまふならば、正しくその一言に尽きる。

 ところで、ポルノ小説家設定の祐二のペンネームは小川真由美、マユミの正確な表記は不明。女が書いたことにしておいた方が売れる、と祐二が自ら語るシーンもある。肝心要の起承転結がまるでお留守な割には、妙な細部を詰めてゐたりする。


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 出し抜けであるが。メタル(・ロック)の人に於ける“メロイック・サイン”に相当する、“ピンクス・サイン”を思ひついた考案した。改めて二点補足しておくと、“ピンクス”とは「ピンク映画愛好の士」を意味する造語であり、メロイック・サインとは、別の名称で判り易くいふと、“不沈艦”スタン・ハンセンでいふところのテキサス・ロング・ホーンと同じ形の、指によるジェスチャーである。
 さてピンクス・サインの作り方とは。
①右手の中指を立てる。語弊を感じた場合は、人差し指でも可。
②左手の親指と人差し指とで輪を作る。要はOKサイン。
③立てた右手の中指(あるいは人差し指)に左手の輪を隣接させ、ピンクの頭文字の“P”の字を作る。ピンクス・サインを行ふ本人からは、いふまでもなく小文字の“q”に見える。
 後は腕を伸ばし高く掲げるもよし。印でも結ぶ要領で、力を込めて臍の辺りに構へるもよし。個人的には、グッと腹の前に据ゑたいところか。

 「成程それは面白い」と気に入つて頂けた諸兄に当たられましては、どうぞ御随意に使つて頂きたい。そのピンクス・サインとやらを、何時、何処でどのやうに使ふのだ、といふ至極冷静なツッコミに関しては、この際御容赦願ふ方向にて。


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 「痴漢電車 喪服妻の誘惑」(2002/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/監督:関根和美/脚本:林真由美・関根和美/撮影:倉本和比人/照明:野口素胖/助監督:寺嶋亮/音楽:ザ・リハビリテーションズ/編集:フィルムクラフト/録音:シネキャビン/スチール:佐藤初太郎/撮影助手:前井一作・西村博光/照明助手:小綿照雄/監督助手:林真由美・橋本尚幸/現像:東映化学《株》/効果:東京スクリーンサービス/タイトル:ハセガワタイトル/協力:アーバンアクターズ/出演:卯月利奈・中渡実果・風間今日子・相沢知美・江藤大我・岡田謙一郎・斉藤秀康・小林三三男・松下孝・中込摩美/友情出演:中村拓・佐倉萌/特別出演:須賀良)。出演者中、ポスターに名前の記載があるのは松下孝までと、カメオ特記抜きの須賀良。
 セット撮影による満員電車の車中、その他乗客要員として左に中村拓、右に佐倉萌を従へたOLの石川ルイ(風間今日子/痴漢はされるものの本格的な濡れ場はなし)が吊革に揺られる。ルイの背後には、左に痴漢が趣味の石田巧(江藤)と、右には同じく痴漢老人(須賀)。痴漢老人の更に右後方には本篇クレジットにも名前のない、関根和美の愛妻・亜希いずみも見切れる。亜希いずみの見切れぶりのさりげなさは絶品、かういふ場面で銀幕の隙間を飾る亜希いずみのスペックは、関根和美映画の隠れた見所のひとつ。微妙に豪華な車内に、ファンとしてはそれだけでワクワクさせられる。痴漢老人とのジャンケンでルイを勝ち取つた巧は、早速嬉々と痴漢スタート。すると何故かルイは巧ではなく、痴漢老人に代つて巧の隣に立つた、(以前の)上司の癖にこれまた何故か巧には気づかない、部長の中埜光一(小林)を痴漢だと捕まへる。呆気に取られつつも胸を撫で下ろす巧の前に、喪服姿の女・沢木美和(卯月)が現れる。美和は自ら巧の手を体に誘(いざな)ふと、続けて巧の股間に顔を埋める。辛抱堪らなくなつた巧が一緒に電車を降りんと美和の腕を掴まうとすると、巧が掴んだのはヤクザ者・富さん(岡田)の腕だつた。職探しが難航する巧が河原で不貞腐れ石を投げてゐると、今度はどういふ訳だか浮浪者姿の富さんから声をかけられる。
 中渡実果(ex.望月ねね)は巧の恋人、であつた相沢早苗。主演の卯月利奈が主に口元から全方位的に締りがなくまるで華がない中、対桃色方面の決戦兵器を担ふ。相沢知美は、美和らと出会つた翌日懲りない巧に痴漢される、(偽)女子高生の島田裕菜。大胆にも制服の前をはだけ露出したオッパイを攻略する件では、セット撮影といふ利点を活かし二人を俯瞰で撮る、といふ意欲的なカメラ・ワークが見られる。斉藤秀康は巧のこちらも元同僚・加藤一平。巧の知らぬ間に、早苗を抱いてゐる。松下孝は、月曜日に巧が出社したところ、巧のデスクで仕事してゐた新入社員の野村久信。
 結末まで引張らずに、起承転結でいふと転部で懇切丁寧にネタを割つてしまふのだが、今作要はいはゆる<シックス・センス>ものである。即ち手を換へ品を換へ度々巧の前に姿を現せる美和と富さんは、それぞれハイ・アンド・ロー、といふか直截には<ヘブン・オア・ヘル>からの使者、といふ寸法。真実を受け容れられない巧が、加藤に抱かれながらも早苗が流す涙に全てを了解し、オーラスにもう一度痴漢電車をお願ひして旅立つて行く。といふ展開は実は何気に良質の娯楽映画たり得る可能性も含んではゐたものの、江藤大我も兎も角、ビリング頭の卯月利奈に、関根和美の演出に劣るとも勝らずキレを欠く辺りがどうにもかうにも苦しい。最終的には惜しくもモタつき気味の、微妙な一作ではある。痴漢老人と裕菜は巧の、痴漢老人を担当する佐倉萌は美和の、それぞれ御同輩。巧が裕菜に痴漢し得た点は兎も角、冒頭のルイへの痴漢は説明がつかなかつたりもする。
 最終的に<ヘブン・オア・ヘル>の行き先を、巧が美和と富さんに詰め寄られたその場で自ら選べるといふのは、余りにも適当といへば適当だが、斬新といへば斬新でもある。

 中込摩美は、新装開店「レインボー」のビラを撒く女。中年男二人連れ―誰なのか不明―に遣り過ごされた後巧が近づくと、得体の知れない気配に数珠を取り出し経を唱へ始める。
 作劇上一応の意味のある痴漢老人と佐倉萌のみならず、中村拓も、御丁寧に別衣装でオーラスの痴漢電車に再び紛れる。

 以下は再見時の付記< 中込摩美を遣り過ごす二人連れ片方―相方は矢張り不明―の関根和美が、裕菜対面の座席にも見切れる。


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 「未亡人温泉 女湯でうなぎ昇り」(2007/製作:関根プロダクション/提供:オーピー映画/脚本・監督:関根和美/撮影:下元哲/照明:代田橋男/助監督:水上晃太/撮影助手:浅倉茉里子/照明助手:塚本宣威/監督助手:伊藤拓也/効果:東京スクリーンサービス/選曲:梅沢身知子/出演:佐々木基子・瀬名ゆうり・中山りお・千葉尚之・天川真澄・牧村耕次)。
 仲居の出雲君江(中山)が鄙びた温泉旅館の庭を掃き掃除する、キャバ嬢ではないのだから、その金色に片足突つ込んだ茶髪は何とかならないものか。そこに響き渡る、激昂した女将・入澤駒子(佐々木)の金切り声。
 駒子は夫・琢也(天川)を喪つて以来、女手ひとつで旅館―例によつて水上荘―を切り盛りしてゐた。ものの経営は上手く行かず、地代の支払ひを滞らせた地主の大黒田肇(牧村)からは、借金を棒引きにする引き換へに、大黒田の妾に入ることを持ちかけられる。駒子の金切り声は、大黒田を一喝したものだつた。佐々木基子持ち前の気風の良さが、勢ひよく開巻を飾る。とはいへ先立つものといへば琢也との思ひ出の詰まつた結婚指輪くらゐしかなく、駒子が頭を抱へてゐたところに、家出して以来音信不通だつた一人娘の薫(瀬名)が、結婚する予定だとかいふ恋人の林、達夫ならぬ辰夫(千葉)を伴ひ不意に戻つて来る。
 とかいふ次第で後に退場する君江のことは殆ど等閑に、姿を消した指輪を軸に、家出した東京でイメクラ「プッシーキャット」のNo.1嬢に上り詰めたのか身を崩したのだかよく判らない薫が肉弾奮闘して、旅館が危機を脱するまでが描かれる。盛り上がりとしては承レベルに終始留まるとはいへ、関根和美にしては、起承転結が小さな破綻も無く手堅く纏まつてはゐる。尤も薫が駒子との共同経営者に収まつた旅館が、風俗紛ひといふか明確にそのものの、過剰な破廉恥サービスを売りにする桃色旅館として再生するといふ結末は、まるで新田栄の映画を観てゐるかのやうだ。
 ところてん式の意外なオーラスの大オチの他に数少ない出色は、仏壇の琢也に娘の帰つて来たことを報告する駒子が、一切の憚りなく洩れ、るどころではなく聞こえて来る辰夫との情事に上げる薫の派手な嬌声に報告を度々妨げられた末に、終に「ウチは連れ込みぢやないんだよ!」とブチ切れるシーン。佐々木基子の力によるところが大きい、といつてしまへばそれまででもあるが、珍しく関根和美のギャグ演出がスマートに決まつてゐる。万時が目出度く収束した後に毛色を変へて再び繰り出される辺りも、地味ながら光つてゐる。

 再生した桃色旅館で薫の過剰、といふか要は違法サービスに鼻の下を伸ばし財布の紐を緩める中年~初老と若い男との二人連れ客は、下元哲の「黒髪マダムレズ -三十路妻と四十路熟女-」(2007/因みに今作の二週後に封切り)にて、幸江(鏡麗子)が紗織(佐々木基子)と初めて客前に立たされる際の中年客と、後に幸江が借金を背負はせて自らを捨てた夫・和哉(なかみつせいじ)と驚き、でもさしてない再開を果たすシーンの、和哉の連れの若い男と同一人物である。これは要は、関根和美と水上晃太といふことでFAか?
 ひとつ気になつたのは、下元哲の手によるものにしてはあまりにもいい加減な撮影。画面のルックはカット毎にコロコロ変り、ピントすら合つてゐない箇所も散見される。


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 「未亡人アパート 巨乳のうづく夜」(2007/製作:オフィス吉行/提供:オーピー映画/監督:吉行由実/脚本:吉行由実・本田唯一/撮影:下元哲/編集:鵜飼邦彦/助監督:佐藤吏/音楽:加藤キーチ/監督助手:金沢勇大・江尻大/撮影助手:海津真也・関根悠太/協力:直井卓俊・小林徹哉、他/出演:薫桜子・小川はるみ・佐々木ユメカ・石川雄也・望月梨央・ますだいっこう・樹かず・岡田智宏)。脚本に関して、ポスターでは吉行由実よりも本田唯一の名前が先。一応注として、音楽の加藤キーチは加藤義一とは別人である。
 急死した夫・憲一(石川)の思ひ出に悲嘆に暮れつつ、八木沢美咲(薫)は亡き夫との夫婦生活を想起し自慰に耽る。そんなゴキゲンなオープニング・シークエンスが全く何の違和感も無く通り得るのも、ピンク映画ならではといへばならではでもある。いよいよ絶頂に達しかけたところに、絶妙のタイミングで不意の来訪者が。憲一の実家が経営し、憲一にとつては生まれ育つた場所でもある「日の出荘」住人の、降霊師の綾小路明彦(ますだ)と、アシスタントの小野寺留美(望月梨央@脱ぎ無し)である。日の出荘を管理してゐた憲一の母親は、息子の死に意欲を無くし、日の出荘を畳まうとしてゐた。綾小路が小野寺を霊媒として降ろした―とかいふ―憲一の霊は、美咲に管理人を継ぎ、日の出荘を存続させることを求める。見るからに胡散臭げな綾小路の口車に、初めは半信半疑の美咲ではあつたが、小野寺が勢ひで発した「死ぬほど愛してる」といふ生前の憲一と同じ台詞にコロッと騙されてしまひ、日の出荘を継ぐことを決意する。
 日の出荘その他の住人は、ハーバードで理論を修得して来たことを矢鱈と鼻にかける、高慢な女医・道明寺聖子(小川)。小野寺とは、何時もいがみ合つてゐる。三号室には、セフレのモデル・鴨志田恵理(佐々木)を連れ込んでは、壁の薄さも顧みないセクロス三昧で他の住人を呆れさせる、カメラマンの久保田洋介(岡田)。かつて有してゐた筈の瑞々しい志も失ひ、広告写真を撮りながら、だらしない日々を送つてゐた。いよいよ発起した久保田がコンテストへの応募を思ひたつと、功名心丸出しで恵理はモデルに志願する。
 といふ訳で、一癖も二癖もある住人達の中に飛び込んだ、未亡人管理人の奮闘記。抜群の出足から、丁寧にひとつひとつのエピソードを積み重ね、夫の死後時間の止まつてゐた美咲と、享楽的な日々に溺れてゐた久保田との二人の、二人でひとつの再生が描かれる。頂点の絡みの強度は若干弱目ながら、無駄の無い映画全体のデザインは実によく出来てゐる。ロケーションが絶妙な、美咲が憲一から求婚された思ひ出の公園での、お約束の上へ下へと大騒ぎの大団円では、さりげなくオープニング・シークエンスを回収する小技も見せ、安心し喜ぶ憲一の遺志を表すかのやうに、誰も乗らぬブランコは揺れる。的確な論理と美しい真心との込められた、娯楽映画の良作。初期の箱庭のやうな少女趣味も抜け、吉行由実は商業作家としての成熟も窺はせて来た。量産性といふ面以外に於いては、加藤義一、竹洞哲也らにも今や決して引けは取らないであらう。
 イイ台詞も満載。仕事の出掛けに、久保田は戯れに美咲のデジカメ写真を撮る。黄昏た一人の部屋、贈られたポートレートに目をやる美咲はカットの変り際に、「ちやんと笑へてるぢやない」、この一言には震へさせられた。未だ憲一の死から立ち直れずに涙を零した美咲に久保田は、「管理人だらうが総理大臣だらうが、泣く時は泣くんぢやない?」。終に結ばれた美咲に、久保田は美咲にとつて憲一の存在は仕方がないものと認めた上で、「誰と居ても思ひ出すんなら、俺でもいいんぢやないか」。ぶつきらぼうな男の、優しさが胸に染みる。
 純然たる濡れ場要員の樹かずは、道明寺かつての恋人・隆一。道明寺に数百万貢がせた上、姿を消す。道明寺はさういふ過去を美咲に語り、自分のやうに、過去に囚はれぬことを説く。この件も、一見何気なく見えるものの、裏から見ると実は素晴らしい。ノルマの濡れ場も忽せにはするものか、泥臭くとも諦めを知らない誠実には、一ピンクスとして涙が出る。

 日の出荘は、風呂も玄関も共同。食事も管理人が準備した食事を、住人皆が食堂に集まり食するやうなスタイルにある。即ち、タイトルには“未亡人アパート”とあるが、実質的にはいふまでもなく、いはゆる“未亡人下宿”とならう。殊更に未亡人下宿といふ用語を回避しなくてはならない、理由があるのか特に無いのかは与り知らぬ。


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 「多淫な人妻と老人 -夜這ひ春情-」(2005/製作:ネクストワン/提供:Xces Film/監督:松岡邦彦/脚本:黒川幸則・松岡邦彦/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/プロデューサー:秋山兼定《ネクストワン》/音楽:戎一郎/撮影:小西泰正/撮影補:水野泰樹/編集:酒井正次/録音:シネキャビン/助監督:竹洞哲也/監督助手:絹張寛征/撮影助手:畠山徹/現像:東映ラボテック/スチール:山本千里/協力:菊地健雄・ACE/出演:持田さつき・華沢レモン・葉月螢・本多菊次朗・川瀬陽太・小林節彦・吉田祐健)。出演者中本多菊次朗が、ポスターには本多菊男。
 買ひ物帰りの主婦・花村咲子(持田)と、公園でヨイヨイ、煙草に火を点けようとする田村義雄(小林)。ライターを忘れた田村は、居合はせた若い男(誰だか判らない)に火を借りる。田村は通り過ぎる咲子に目を留め、借りたライターも返さずに咲子の後を吸ひ寄せられるやうについて行く。咲子の階下に一人で住む田村は、日々咲子と夫・明仁(本多)の夫婦生活に、危なかしく踏み台の上に立ち天井に聞き耳を寄せてゐた。それ、流石に聞こえるのかな。翌朝、早く出る夫に頼んでおいたゴミが残つてゐたため、咲子はブツクサいひながらゴミ出しに出る。パンストが伝線してゐるのに気づいた咲子は、その場でパンストを脱ぎ、ゴミ袋の中に押し込める。その様子を物陰から注視してゐた田村は、咲子が姿を消したのを見計ひ脱ぎたてのパンストをゴミの中から頂戴する。
 黒縁メガネが堪らない―お前にはそれしかないのか >ないけどさ―葉月螢は、パンストの中から咲子の陰毛を発見し驚喜する田村を訪問する、シルバー専門デリヘル「シルバーラヴァーズ」のデリヘル嬢・仁美。歳の所為か何時までも射精に至らない田村はついつい延長する羽目となり、家賃分の金まで使つてしまふ、何て論理的な展開なんだ。といふ次第で登場する吉田祐健が、金の足りなくなつた田村が頭を下げに行く、大家の津田悟郎。小林節彦も吉田祐健も共に年寄り芝居が少々クドいが、この二人が画面に並んでゐると、女の裸がなくともそれだけで味はひ深く、心豊かに観てゐられる。色と金に不自由する小心者が小林節彦で、強欲で狡猾な大家が祐健。似たやうな映画が既に存在する点に思ひを至らせるならば元も子もないが、全く磐石の配役。壁一面が雑多な本やビデオその他で埋められた、津田の部屋がこれまたロケーション的に素晴らしい。川瀬陽太は田村の息子・康、素行の悪い娘・りか(華沢)の相談に、尊敬してはゐない父親を訪れる。元中学教師の田村には、生徒に対する淫行で職を失つた過去があつた。夫のゐない昼下がり、咲子はテレクラ遊びに溺れる。咲子の不倫を掴んだ津田からは、肉体関係を強ひられてゐた。津田は田村にも、分け前に与らせてやると咲子宅の合鍵を渡す。まあ堂々とクリミナルな物語である、その辺りも「派遣女子社員 愛人不倫」を焼き直してゐるといふならば、重ね重ね元も子も消滅する。
 美しくはなくとも愛すべき、欲深い俗物どもの繰り広げる綺麗事ではない、真の意味での人情喜劇。松岡邦彦は人間といふ生き物を、予め正しく生まれたものとは恐らく捉へてゐないに違ひあるまい。その上でなほ、今回は持ち前の暗黒なり攻撃性は抑へ目に、力強い父性にも似た暖かい眼差しを注ぐ。何時まで経つても完成されない父親に手を焼いてゐた堅物の康が、一段落とされた上でカッコづけではない現世的幸福を逞しく謳歌するに至るラストは、意外性のスナップも効果的に決まり実に鮮やか。過剰気味な年寄り芝居に中盤までは展開の足を引かれた感も漂ひつつ、見栄を張つてゐても仕方がない、生きてるうちに精々、精一杯楽しむべきだ。最終的にはさういふメッセージに落とし込む、大らかな賛歌が高らかに鳴り響く。鑑賞後の心持ちもスカッと快い、小粒ながらスマートな娯楽映画の良作。打率と水準の高さと、時に放たれる危険球の余りにもの豪快さとで、“エクセスの黒い彗星”松岡邦彦は矢張り滅法面白い。


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 「人妻陰悶責め」(2002/製作:フリーク・アウト/提供:オーピー映画/監督・脚本:国沢卍実/撮影:岩崎智也/照明:奥村誠/助監督:小川隆史/撮影助手:伊藤潔/監督助手:田中拓馬/出演:橘瑠璃・里見瑤子・酒井あずさ・久保隆・城春樹)。
 ビルの屋上、の手摺を越えて立つ女、飛び降りるつもりか。何故だか女の夫が、その場所に現れる。
 三崎久美子(橘)は愛されても愛されても決して満たされることはなく、夫にメールで飛び降り場所を送信しては、自殺未遂を繰り返す。対して夫の四郎(久保)は愛しても愛しても奇行の已まぬ妻に、終に疲れ果て殆ど為す術もなくしてゐた。一方、木戸裕作(城)は死別した妻の面影を義妹である久美子に見出し、弟分の四郎にハッパをかける。木戸は久美子に複雑な感情を抱くが、最終的にはそれはあくまで亡妻・サチコに捧げられたものに過ぎず、四郎に匙を投げられた久美子に愛することを求められたとて、木戸は拒絶してしまふ。以前は現役の選手でもあつた木戸は、現在は格闘技道場を開いてゐた。厳しいシゴキに他の練習生が皆逃げ出した後も、川村真琴(里見)は独り道場に残り木戸の特訓を受ける。真琴は真琴で、木戸に自分が九つの時に亡くなつた父親の記憶を投影し、明確に一線を跨いだファザコンを注ぐ。真琴は木戸の心を奪つた久美子に、度外れた憎悪を燃やす。
 愛して欲しい愛して欲しい愛して欲しい。俺にはもうどうすることも出来ない。家族は作らないと決めた、俺が抱いたのはお前ぢやない。全部私が悪い全部私が悪い全部私が悪い。私は、此処に居ちやいけないんだ・・・・!目の前に居る対象に向けられた割には、独白にしか聞こえない台詞ばかりに綴られた、寂しがり屋のハリネズミ達がガラス壁に遮られた行き止まりでガリガリと藻掻くばかりの“不”しあはせさがし。幸か不幸か重たくならないところは国沢実といふ映画監督の資質によるものだが、暗鬱、としか形容のしやうもない一作。健全娯楽路線を旨とする筈の大蔵(オーピー)で、ここまでの惨状を遣らかしておきながら何故に国沢実のキャリアが跡絶えさせられてしまはないのか、不思議にすら思へて来る。
 隠々滅々とした上に、おまけに支離滅裂。内省を伴はぬ自閉と沈降とに右往左往する登場人物は、シークエンスの流れの理解を阻む予測不能な行動に終始する。ミニスカにニーソがもう、どうしたらいいのか判らない―俺は何を言つてゐるのだ―久美子に言ひ寄られた木戸は、サチコの遺影に目をやると一旦は久美子を追ひ返し、たかと思ふと部屋を飛び出し連れ戻した久美子を暴力的に抱き、抱いた上で、あまつさへ事後には抱いたのは久美子ではなくサチコだなどと、挙句に言ひ出す始末。久美子を苛烈に敵視し追ひ狙ふ真琴はホラー映画ばりの過剰演技を見せ、劇中三度目の屋上で繰り広げられる、一応のクライマックスでの破天荒な錯乱は、最短距離で精神が回復不能に壊れた者のそれにしか見えない。文脈はズタズタに破断され、映画は一山越えて一応無理からに然るべきなのか落とし処に落ち着かされるのだが、凡そ満足な、一本の商業劇映画の体を為してゐるとは到底思へない。

 酒井あずさは、四郎の行きつけのスナックのママ・宮村雪。相手役は不足だが超絶に芳醇な色香を発散させ、一時的にではあれピンク映画を補修する。歴史的にも濡れ場要員としての、最も贅沢な部類に相当するであらう。Vシネの助演を一本挿んでの国沢組初主演の橘瑠璃、そして里見瑤子と、実は女優陣は実も蓋もないが今作には勿体ない程に潤沢なのだが。軽く魅力に乏しい久保隆と、徒に重たい台詞を空回せるばかりの城春樹は、共に映画を背負はせるにはどうにも弱い。初めから形も為してゐないものを、背負ふも背負はないもない、といつてしまへば更に実も蓋もないが。もう一名ノン・クレジットで、久保隆よりも男前な四郎後輩が見切れる。

 ビルの屋上から、久美子は迎へに来て呉れたのか四郎の姿を発見する。表情を緩めかけた久美子は、途方に暮れた四郎が向けた背中を見ると、途端に綻びかけた頬を強張らせる。飛び降りてしまつた久美子を、上手い具合に居合はせた木戸は何も出来ない四郎を突き飛ばし、身を挺して助ける。久美子は無事だつたが、木戸は左腕を骨折する重傷を負ふ。左腕はギブスで吊つたまま、道場で真琴を特訓する木戸。ジャブを撃ちながら木戸の周囲を左回りに旋回する真琴が、画面右手前の木戸の後姿を右から左に跨いだところで、真琴と木戸との間に生まれた隙間には、四郎には拒絶され道場を訪れた久美子が。映画的によく出来たショットは、先に触れた酒井あずさ登場シーンも含め、幾つか散見されぬ訳ではない。


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 「をんなたち 淫画」(2007/製作配給:国映株式会社・新東宝映画株式会社/製作協力:Vパラダイス/監督:大西裕/脚本:西田直子・加東小判/企画:朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人・森田一人・臼井一郎/音楽:窄《GYUUNE CASSETTE》・モッシュルーム《殺害塩化ビニール》/撮影:田宮健彦/撮影助手:河戸浩一郎・北川?・増田貴洋?/助監督:海野敦・菊地健雄・山口通平・伊藤一平/編集:酒井正次/録音:シネ・キャビン/現像:東映ラボ・テック/協力:朝子賀子・飯岡聖英・石川二郎・?森博之・?谷?子・末武和之・躰中洋蔵・戸部美奈子・新里猛・遊佐和寿・ファン・ムービーキング/出演:花村玲子・宮崎あいか・吉岡睦雄・川瀬陽太・伊藤猛・細江祐子・小谷可南子・岩田治樹・今岡信治・永井卓爾・貝原亮・山口一平)。出演者中小谷可南子と、永井卓爾以降は本篇クレジットのみ。今岡信治が、ポスターには羅門ナカ。それとポスターにのみ、ポスター写真:AKIRA。
 多分脚本用の原稿用紙に、万年筆で手書きのオープニング・クレジット。作家の自筆原稿でござい、といつた風情の読めさうで絶妙に読めない筆致は、狙つてゐるものなのかそれとも素の悪筆なのか。何れにせよ、当サイトの嗜好としては、観客がまともに判読出来ないクレジットは些かならず頂けない。これまで国映勢の助監督を主戦場にして来た、大西裕の監督デビュー作である。
 映画監督志望の助監督・有(吉岡)は三十歳までにデビューを果たすとはいひつつ、脚本の執筆は遅々と進まないまゝに、リミットの三十路を跨がうとしてゐた。サッカーのW杯を三度通り過ぎた腐れ縁のOL・ 遠藤(花村)といふ女がゐながら、最近では書店店員・愛(宮崎)との二股もスタートさせる。そろそろ後戻りも利かないお年頃の遠藤からは、まるで展望の開けぬ脚本の進捗具合を見切られ半分に日々詰られつつ、最近遠藤相手には勃たなくなつて来た有は、AVを見てはマスをかき、セックスしたくなれば愛の部屋へと向かつた。
 改めてみるまでもないが、有≒(大西)裕といふ寸法。創作者気取りの生活破綻者の、何十年一日かで都合のいゝばかりの序盤の展開には、臆面もなくこの期に、しかもデビュー作からいきなり私小説かよと元気な時ならば頭を抱へながら大いに憤慨してゐたところだらうが、偶さか鑑賞時は著しく疲弊してゐた折につき、へらへら、あるいはやれやれと力無く苦笑するばかりであつた。とうの昔に引き返し可能なモラトリアムも通り過ぎてしまつた、ダメ男の怠惰で停止した日常の描写には、救ひやうのないリアリズムならば余計に溢れてゐるが、劇映画として、連続したシークエンスとしての強度は欠片ほどにしか持ち合はせない。この袋小路なのかあるいは何もない荒野の耐へ難い空疎かが、このまゝ無間に続くのではあるまいかと途方に暮れさせられる。
 有の住む古アパートは、翌月の取り壊しが決まつてゐた。有との同棲生活を強引に始めようとする愛は、無断で箱詰めされた有の荷物を自室へと少しづつ運び始める。ある日有の部屋で、荷物を取りに来た愛と、有を訪ねた遠藤とが偶然鉢合はせる。一方有は、以前助監督でついてゐたピンク監督で、今は映画からは足を洗ひ環境保護運動家として活動してゐるとかいふ、“ベーさん”(と、呼称してゐるやうに聞こえる/川瀬陽太)から連絡を受ける。環境保護と称してはゐるものの、如何にも胡散臭いベーさんから、有は“決して開けてはいけない箱”を目出し帽を被つて短い距離を送り届ける、だけといふ、これまた如何にも怪しげな、かつ危なげな仕事を引き受けさせられる。しかもベーさんの車のダッシュボードからは、拳銃なんて出て来る始末。
 物語はベーさん登場から、一応映画らしく動き始める。ベーさんの助言を受け有が脚本執筆に繰り返し試行錯誤する件は、古事記を乞食と取り違へるといふギャグ・センスはどうなのよと思はぬでもないが、それなりにテンポ良く観てゐられる。そこからフラワーな時代の映画のトリップ・シーンにも似た、現実と幻想とが目まぐるしく判然としない混濁を経て、映画は衝撃的な終幕を迎へる。あまりのブツ切り、あるいはより直截には放棄具合には、かつて見たこともない惨状に、休憩時間に入つた小屋に灯りが点つた後も、映画が終つことが信じられなかつた。エンド・マークは明確に出てゐるのに、こんな感覚は初めての体験である。是非は問はない衝撃の大きさだけでいふならば、尋常ならざる、いはば事件の領域にすら突入した終幕とさへいへよう。無論、最大出力で悪い方の意味に於いてであるのはいふまでもない。尺が満ちれば起承転結を途中でもさつさと撤収してみせる、大御大・小林悟の方が余程理解出来、まだしも映画だ。何かを壊してゐるのは恐らく間違ひないが、その壊したものが―商業―映画であるといふことさへ、この際認めたくはない。国映の遣り口をこの期にあれこれいふのも些か初心(うぶ)に過ぎるとすれば、大人の事情といふ奴もあるのか知らんが、新東宝は国映に甘過ぎやしないか。そろそろ考へ時ではあるまいか、新東宝は国映と心中するつもりか。好き勝手するのは構はないにしても、それなら自主配給させろ。
 要は一言で木端微塵、といへば事足りる今作―“今作”といふ言ひ方すら憚られる―ではあれ、ひとつだけ得られた知見がある。それは、女と男、加へて車と拳銃とがあつても、必ずしも映画は成立しない。もうひとつ極私的には、ある一定以上に疲れると、最早どんなものを観たとて腹も立たない。

 何処にそんなに出てゐたのかサッパリ判らないが、俳優部が思ひのほか多数クレジットされる。一応ビリング順に伊藤猛・岩田治樹・今岡信治は、レス・ザン・ホームの皆さん。細江祐子は、愛から本を受け取つた有が店を後にしたところで、カウンター陰からいゝ感じで競り上がり姿を現す同僚店員。
 音楽のモッシュルームは、正確な用語の持ち合はせがないのは心苦しいが、メタルかノイズもしくはパンク系。何をいつてゐるのか全く判らない辺りが、どうしやうもなく門外漢じみて無様だ。殆ど脈略もなく、メンバーが登場するショットもあり。個人的には嫌ひな種類の音楽ではないのだが、藪から棒にけたゝましく鳴り響く喧騒は、劇伴としてどうかう以前に、従来のピンクの小屋の客層からは、相当に奇異に聞こえたにさうゐない。その辺を大西裕が考慮してゐる訳が恐らく積極的にない点も、改めていふまでもなからう。
 一応再見時の備忘録< 別の意味で衝撃の結末は、何時の間にか死んだ筈になつてゐるのはさて措き、三角関係をまるで整理する気のない有が、遠藤と愛に崖から突き落とされる。岩田治樹以下二名のアンダー・ザ・スカイ・ホームは撤収、昼夜のパン・ショットを噛ませて波打ち際にエンド・マーク、矢張りサッパリ判らん


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