スパニッシュ・オデッセイ

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キリシタン用語(18)天主

2018-05-06 15:58:50 | キリシタン用語
 平成30年(2018年)5月4日に、日本国政府は国連教育科学文化機関(ユネスコ)諮問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)が、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎県、熊本県の12資産)を世界文化遺産に登録するよう勧告したと発表した。
 ここでは「潜伏キリシタン」という用語が使われているが、いわゆる「隠れキリシタン」のことである。
 「関連遺産」とは具体的には、「島原・天草一揆」の戦場になった「原城跡」や「大浦天主堂」などのことである。
 島原の乱の「原城跡」については「島原の乱と聖ヤコブ」でも触れているので、そちらをご覧いただきたい。
 今回のメインは「大浦天主堂」の「天主」である。実は、これは外来語である。ポルトガル語 Deus(英 God、西 Dios:ラテン語も Deus)から日本語になったキリシタン用語である。「ダイウス、デウス(泥烏須、提宇須、天有主)、天主」などと表記される(小学館『西和中辞典』)。
 「天にまします我らの父(主)」から「天主」になったのではなく、「デウス」という音が先にあり、それがこの祈りの言葉に結び付けられたものと考えるのが妥当だろう。
  さて、本来なら、キリシタン用語のトップは「天主」にすべきであったが、盲点であった。カトリックのことを「天主教」とも呼ぶが、「デウス教」がなまったものである。英語を使えば「ゴッド教」、完全に日本語にするなら、「神様教」といったところである。
 ところで、外国語の音に漢字を当てはめるのを音訳というが、代表例は「治具」(英 jig)、合羽(ポ capa:スペイン語も同形。 英 cape)である。「画廊」(gallery)、「簿記」(bookkeeping)、などもこれに当たるようなことをどこかで読んだ気がするが、出典がはっきりしない。
 どうも話があちこち飛ぶが、「天主」といえば「天守閣」を連想する。「天守(閣)」という語がもとになって「天主」という漢字が当てられたのかとも考えられる。そこで、ウィキペディア「天守」を調べてみたところ、「天守」の語源には意外にも「天主(ゼウス)を楼閣内に祀ったからというキリスト教思想に由来する説」もあるとのこと(注:「ゼウス」は「デウス」の誤り)。他にも諸説あるので、リンクを参照されたい。
 それにしても、「デウス」説はいかにも取ってつけたようで、にわかには信じがたい。

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キリシタン用語(17)「サバト」と「ドミンゴ、ドメイゴ」

2017-09-26 18:00:50 | キリシタン用語
  隠れキリシタンの秘書『天地始之事』にはよく知られたキリシタン用語のほかにも、わけのわからない言葉がたくさん出てくる。
 『創世記』1:27には、人間の創造について次のように述べられている。
 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
 一方、『天地始之事』におけるアダムの創造についての記述は次のとおりである。

 天帝(てうす)萬もつ御つくり、つち水ひかせしを油 御じしんの御こつにくを御入 しくだ てるしや くわるた きんた せすた さばた つかふ一七日めにれんぞくして これ則(すなわち)人間のごたい、天帝より四ふんのいきを御入ありて とめいごすの あたんとなつけ(以下省略)
 
 この中で特に意味不明なのが「しくだ てるしや くわるた きんた せすた さばた」の部分である。原文には切れ目がないので、いっそうわけがわからない。
 しかし、スペイン語を知っていれば、「しくだ」以外は理解できる。「てるしや」は tercia で「3番目」、「くわるた」は cuarta で「4番目」、「きんた」は quinta で「5番目」、「せすた」は sexta で「6番目」である。「さばた」は sábado (サバド、土曜日)と推測される。ポルトガル語でも「土曜日」はスペイン語と同形で、キリシタン用語「サバト」となる、と手元の西和辞典には説明されている。
 そうすると、「しくだ」は「2番目」の意味ではないかと推測されるが、スペイン語で「2番目」を表す言葉は segundo で、女性形は segunda である。ポルトガル語でも同形で、これがなまって「しくだ」になったのではないだろうか。
 「さばた」が土曜日であるからには、「しくだ」から「せすた」までも曜日を表すと考えられよう。
 スペイン語では曜日はフランス語同様、月曜日から始まる。月曜日から日曜日までスペイン語では次のとおりである。
 月 lunes(ルネス) 火 martes(マルテス) 水 miércoles(ミエルコレス) 木 jueves(フエベス) 金 viernes(ビエルネス) 土 sábado (サバド) 日 domingo(ドミンゴ)
 
 【天動説での順序に並べた七曜の順序(円周点線)と曜日の順序(星型実線)。ウィキペディア「曜日」より】
 スペイン語は英語やフランス語、同様、曜日には天体や神様に基づく固有の名前がある。
 ところが、現代の中国語では日曜日のみ「星期天(または日)」で、それ以外は数字で表す。月曜日は「星期一」、火曜日は「星期二」で、土曜日は「星期六」という具合である。
 ポルトガル語も中国語と同様である。ただし、月曜日は週の1日目ではなく、2日目の segunda-feira である。ということは、ポルトガル語では週の最初の曜日は日曜日ということになる。ただし、日曜日は「1日目」という言い方の primeira-feira ではなく、スペイン語同様、domingo である。domingo のもともとの意味は「主(ラテン語 dominus)の日」で、中国語の「星期天」は domingo の忠実な翻訳と言える。
 ポルトガル語の曜日は次のとおりである。
 segunda-feira 月曜日
 terça-feira 火曜日
 quarta-feira 水曜日
 quinta-feira 木曜日
 sexta-feira 金曜日
 sábado 土曜日
 domingo 日曜日
 ここで、『天地始之事』に戻る。引用した一節は「神様は月、火、水,木、金、土、都合17日・・・」と読めるが、17日という数は変な数字である。漢数字の「一」と読めるところは、漢数字ではなく、横棒かもしれない。そうすると7日というきりのいい数字になるが、日曜日が出てこない。日曜日は安息日で、神様は仕事をしないのか、と思っていたが、神様は日曜日も仕事をしていたらしい。
 実は引用文の最後の部分「とめいごすの あたんとなつけ」が神様の仕事に言及しているようなのである。
 「あたん」は「アダム」のことで、ポルトガル語では Adão(アダン)という。スペイン語では Adán である。
 「とめいごす」がどうやら「日曜日」を指しているようなのである。 
 スペイン語の domingo はポルトガル語と同形である。手元の辞書の domingo の項の説明によると、同形のポルトガル語からキリシタン用語「ドミンゴ、ドメイゴ(主日)」となる、と記述されている。
 Domingo と大文字で書くと、聖ドミニクス(Santo Domingo)のことになる。サント・ドミンゴはドミニカ共和国(República Dominicana) の首都の名前にもなっている。ドミニカという語もやはり日曜日(主の日)と関係がある。何にしても、ドミニカ共和国(ドミニカという名前の別の国もある)は毎日、日曜日のような、うれしい名前の国である。
 Domingo は聖ドミニクスに限らず、男子名としてもよく使われている。
 Domingo に由来する姓は Domínguez で、Domingo Domínguez という、これまためでたい名前の男性もいるはずである。 
 

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キリシタン用語(16)「アンジョ」

2017-09-24 08:34:58 | キリシタン用語
  天使はキリスト教の専売特許とは限らない。ユダヤ教にもイスラム教にも存在する。
 ユダヤ教の天使には背の高さが世界の大きさの半分に達するのもいるらしい。
 イスラム教の天使についても詳しくないので、ウィキペディア「天使」をご覧いただきたい。
 
 【ジブリールから啓示を受ける預言者ムハンマド(集史より)。ウィキペディア「天使」より】
 上の絵にはムハンマドと天使が描かれているが、イスラム教ではこのような絵は偶像崇拝につながりかねないので、禁止されているはずではないのか。
 出典の「集史」について調べてみると、これはモンゴル人によって書かれているので、ムハンマドも天使も平気で描かれているわけである。
 さて、キリシタン用語「アンジョ」はカクレキリシタンおよびその研究家以外にはあまりなじみがないのではないだろうか。筆者もキリシタン用語について調べていくうちに初めて知った言葉の一つである。
 「アンジョ」はこれまた、ポルトガル語 anjo に由来する。スペイン語の ángel (アンヘル)と同形だが発音が違うのかと思ったが、予想が外れた。
 「アンジョ」は『天地始之事』に頻出する。最初に現れるのは次の一節である。
 月ほしを御つくらす万のあんじよ思召すままにめしよせたもふ
 旧約聖書『創世記』には天使が月ほしをつくったという記述はなかったかと思うが、『天地始之事』は『創世記』とは別物であるので、かたいことは言わない。
 ところで、映画『沈黙 -Silence -』のころ(17世紀初頭)のキリシタンたちは「アンジョ」と聞いて、どんなイメージを持ったのだろうか。
 「天女」を思い浮かべたのではないかと想像する。
 
 「天女」は天使と違って、女である。また、神様の伝令の仕事をしているわけではない。しかし、「アンジョ」の「ジョ」が「女」に通じるので、やはり「天女」は日本版「天使」として捉えてもいいような気がするのである。 

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キリシタン用語(15) 「アンジョ」のお仕事

2017-09-22 21:33:47 | キリシタン用語
  「天使」を表す英語の angel はギリシア語のアンゲロス(αγγελος;angelos)に由来し、その原義は「伝令」「使いの者」であることは前回述べた。日本語では「天使」と訳されるのが一般的だが、「御使い」、「神使」、「神の使い」などの訳語もある。
 訳語が示すように天使の仕事は神の伝令として神のお告げを伝えることである。天使ガブリエルが聖母マリアに懐妊を伝えたことはその一例である。
 
 【エル・グレコ画、16世紀末、大原美術館収蔵。筆者は何度も実物を見ている。】
 しかしながら、天使の仕事は伝令だけではない。天使はラッパを吹き鳴らして、世界に災厄をもたらしたり、天で悪魔と戦ったり(黙示録12:7-9)している。また、最後の審判にも天使が関わるものと考えられている(ウィキペディア「天使」参照)。
 『天使はなぜ堕落するのか―中世哲学の興亡』に書かれていたかと思うが(手元にないので確認できない)、天体の運行も天使の仕事の一つだとか。このルーティン・ワークに嫌気がさして、光の大天使ルシフェルは神に反逆して、地獄の魔王になったのだろうか。確認したいのだが、高価な本なので、なかなか手が出ない。図書館に調べに行くしかない。
  
 それはともかく、ルシフェルに限らず、天使は容姿端麗のようであるが、美男美女というわけではない。天使に性別はないらしいが、流行歌の世界では美男美女にたとえられる。
 さて、天使は数多くいるので、天使の名前もまた多い。有名どころでは、ミカエル、ガブリエルがあるが、その他の天使の名前についてはウィキペディア「天使の一覧」に掲載されているので、ご覧いただきたい。
 ミカエルとガブリエルがキリスト教の二大天使とされているが、3人目はラファエルである。これにウリエルが加わって四大天使になっている(ウィキペディア「大天使」参照)。
 
 【大天使ミハイル(ミカエル)のイコン。悪魔を踏んでいる。(シモン・ウシャコフ、1676年、モスクワ・トレチャコフ美術館蔵)】
 
 【ラファエル】
 
 【ウリエルのモザイク】
 ミカエル、ガブリエル、ラファエルはヨーロッパでは男子名としてもよく使われている。
 四大天使の名前に共通するのは語末の「エル」(-el)である。四大天使以外の天使の名前にも「エル」(-el)で終わるものが多い。
 この「エル」(-el)とは何かというと、「神」である。四大天使の名前の意味についてはウィキペディア「ミカエル」、同「ガブリエル」、同「ラファエル」及び同「ウリエル」を参照されたい。
 イエスが十字架で息絶える前に言った言葉は“Eli, Eli, la'ma sabach-tha'ni?”で、英訳は“My God, my God, why hast thou forsaken me?”で、和訳は「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」。
 Eli は El の呼格だったかと思う。どこかで読んだ気がするが、確認できない。
 El をルーツとするヨーロッパ人の名前には、Elias, Elie, Eliot などがある。Eliot はフランス語名 Elie に縮小辞 -ot がついて生まれた姓とのこと(『ヨーロッパ人名語源事典』梅田修、大修館、2009、p.27)。
 
 日本人女性にも「エリ」さんがいるが、「エリ」さんは神様なので、「エリ」さんをかみさんにした人は「エリ」さんを大事にしないと、祟られそうである。

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キリシタン用語(14) 「アンジョ」の元になった天使たち

2017-09-21 17:50:28 | キリシタン用語
  地獄の魔王ルシヘルはかつては光り輝く天使であった。それも、天使の中で最も位の高い天使であった。天使の階級についてはウィキペディア「天使」より引用する。

 上位三隊 「父」のヒエラルキー
熾天使(セラフィム)
智天使(ケルビム)
座天使(王座)
 中位三隊 「子」のヒエラルキー
主天使(主権)
力天使(力)
能天使(能力)
 下位三隊 「聖霊」のヒエラルキー
権天使(権勢)
大天使
天使

 つまりルシヘルは並みの天使(angel、西 ángel)ではなく、 最高位の熾天使(してんし、seraph。seraphim は複数形。スペイン語では serafín。複数形は serafines)であった。
 さらに、ウィキペディア「熾天使」より引用する。

 偽ディオニシウス・アレオパギタが定めた天使の九階級のうち最上とされている。三対六枚の翼を持ち、2つで頭を、2つで体を隠し、残り2つの翼ではばたく。ヤハウェ神への愛と情熱で体が燃えているため、熾(燃える、などの意)天使といわれる。
 
 【「神の母」。ハリストス・生神女・セラフィムが描かれている。ヴィクトル・ヴァスネツォフ(1901年)。ウィキペディア「熾天使」より】
 
 【『ベリー公のいとも豪華なる時祷書(Très Riches Heures du Duc de Berry)』に描かれた、パトモス島の福音書記者ヨハネの図。王座の周りを4人の熾天使(セラフィム)が囲み、純粋をあらわす白いローブに身を包む24人の長老が両側に座る。ウィキペディア「熾天使」より】
 さて、「天使」を表す英語の angel はギリシア語のアンゲロス(αγγελος;angelos)に由来し、その原義は「伝令」「使いの者」である、とのこと(ウィキペディア「天使」)。スペイン語では「天使」は ángel(アンヘル)というが、その複数形が ángeles(アンヘレス)である。これに男性複数定冠詞をつけると、los ángeles になる。これが Los Angeles という地名になったわけである。スペイン語話者は今でも「ロサンゼルス」(「ロサンジュリース」の方がより英語に近い)ではなく、「ロサンヘレス」と発音する。
 ところで、ロサンゼルスを本拠地とするメジャーリーグのチームは二つある。一つはドジャースで、もう一つがエンジェルス(Angels)である。エンジェルスはスペイン語では Angeles ではなく、Angelinos といっている。チーム名の前に都市名をつけると、Los Angeles Angeles になるので、重複を避けるために Angelinos にしたのだろう。angelino は ángel に縮小辞の -ino がついた形である。縮小辞は愛情(思い入れ等)を込めるときにも使われる。言ってみれば、「天使ちゃん」といったところだろうか。
 筆者がコスタリカに住んでいた1980年ごろ、このチームのスペイン語名は現地の新聞では Serafines となっていた。並みの天使ではなく、天使の中でも最高位なので、こちらの方が Angelinos よりずっと強そうで、いいと思うのだが。 

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キリシタン用語(13) 「ルシヘル」の異名「ジュスフェル」

2017-09-20 17:07:07 | キリシタン用語

  前回、キリシタン用語「ルシヘル」について述べたが、「キリシタン用語集」には「ジュズフェル」という項目が立てられ、「リュシフェル」に対応すると説明されている。
 1939年ごろ発見され、現在、天理図書館に保存されている写本『天地始之事』には「しゆすへる」または「じゆすへる」と表記されている。
 この写本についての学術論文も発表されていて、インターネットで閲覧することもできる(天理図書館蔵「天地始之事について」)。論文の112ページに「しゆすへる」または「じゆすへる」と表記されているのがわかる。
 「ルシヘル」についての表記は何種類かあるが、それについて考察したい(詳しくはウィキペディア「ルシファー」の項参照)。
 まず、ポルトガル語 Lucifer の発音はカタカナ表記では「ルシフェル」が近い。そこからキリシタン用語「ルシヘル」となった。「リュシヘル」はフランス語読みである。
 ヨーロッパ諸言語では「ルシヘル」の語頭の音は「ル」または「リュ」である。それがどうして日本では「ジュ」になったのだろうか。
 写本『天地始之事』は長崎県の外海地方に伝わるカクレキリシタンの神話と説明されている(「天地始之事 - iyeongdeok @Wiki - アットウィキ」)。写本が発見された場所は明記されていないが、長崎県の外海地方あたりと推測される。
 「カクレキリシタン」とは1873年にキリスト教禁止令が廃止されたあと、カトリック教会に戻らず、300年近く続いた信仰様式を守り続けているキリスト教信者のことである。禁教令下でキリスト教の信仰をこっそり守ってきたのは「潜伏キリシタン」というが、「カクレキリシタン」との違いについてはウィキペディア「隠れキリシタン」をご覧いただきたい。
 というわけで、カクレキリシタンの写本ということであれば、禁教令廃止後に書かれた可能性もあるが、上記の論文には書かれた時期についての言及がないので、時期については何ともいえない。
 もし、禁教令廃止後に書かれたものとすれば、開国後に大浦天主堂にやってきたフランス人神父プティジャンの影響があったかもしれない。フランス語では「ルシヘル」は「リュシフェル」なので、それが「ルシヘル」に取って代わったかもしれない(プティジャン神父については「隠れキリシタンを発見したプティジャン神父」をご覧いただきたい)。
 さて、話は変わって、西郷従道になる。西郷隆盛の弟である。「従道」は「つぐみち」と読まれることが多いが、本当は「じゅうどう」が正しい。
 西郷家の系図を見てみると、「隆」の字が頻出している。
 
 隆盛の5代前から直前までは「隆」の字は現れていないが、これらは諱(いみな)ではなく字(あざな)、通称だろう。西郷隆盛の諱(いみな)と字についてのトリビアはウィキペディア「西郷隆盛」に譲る。
 西郷家ではだいたい「隆」の字が受け継がれてきているが、隆盛の弟の従道に受け継がれていないのは変ではなかろうか。
 実は、「従道」は「隆道」だったいう話をどこかで見聞きしたような気がする。出典が示せないので、説得力に欠けるのが残念である。
 薩摩弁では「リャ」行が「ジャ」行になるそうなので、戸籍の届けか何かで本人か代理人か知らないが、窓口で「ジュウドウ」と言ったらしい。それで窓口の係員が「従道」と書いてしまったとか。それに、諱(いみな)は通常使うものではないので、届けたほうも訂正するのが面倒だったようで、そのままにしておいたんだとか。
 で、本題に戻るが、長崎あたりも薩摩と同様の音韻変化があり、「リュ」が「ジュ」になるのだろうか。
 スペイン語に目を転じると、 ll は本来「リャ」行の子音を表す。しかし、「ヤ」行や「ジャ」行音で発音しても差し支えない。スペイン語では「リャ」行も「ヤ」行も「ジャ」行も区別をしないので、スペイン語話者にとっては、これが日本語学習上のネックになる。
 最近、日本でも知られるようになった tortilla だが、「トルティーリャ」か「トルティーヤ」か「トルティージャ」かで、悩み必要はないのである。

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キリシタン用語(12) 「ルシヘル」 Lucifer

2017-09-18 11:44:18 | キリシタン用語
 ダンテの「神曲」の地獄の底には魔王ルチフェロ(サタン)が氷の中に永遠に閉じ込められていることはすでに述べた(「煉獄(Purgatorio)」参照)。
 
 魔王ルチフェロ(ルシファー)はかつては光(西 luz「ルス」。英“lux”、日 照度の単位「ルクス」は関連語)の天使であったが、神に反逆したために地獄に落とされ、堕天使と呼ばれるようになった。
 
 【ウィキペディア「ルシファー」より】
 堕落の原因については諸説あるようなので、ウィキペディア「ルシファー」をご覧いただきたい。
 
 【『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』に描かれた、墜落する美しいルシファー。ウィキペディア「ルシファー」より】
 また、『天使はなぜ堕落するのか―中世哲学の興亡』という高価な本にも詳述されている。一度読んだが、残念ながら現在、手元にはないので、引用できない。
 
 本来、ルシファーは「光をもたらす者」という意味で、決して悪い言葉ではない。手元のスペイン語辞典には Lucifer(ルシフェール)の項に「男子の洗礼名」とも記されている。しかしながら、筆者はこの名前を持つ男性にお目にかかったことはないが。
 Lucio も光に関係する男子名である。アクセントは u にある。女性になると Lucía となり、アクセントが i に移動する。同様の例として、男性形 Mario (アクセントは a)に対する女性形 María(アクセントは i)があげられる。
 Lucio の名を持つ男性は個人的に知らないが、Lucía さんは何人か知り合いがいる。スペイン語では「ルシーア」と読むが、イタリア語では「ルチーア」と読む。ナポリ民謡の「サンタ・ルチア」で有名である。
 
 【聖ルチア、フランチェスコ・デル・コッサ画。ワシントンD.C.国立博物館蔵。ウィキペディア「シラクサのルチア」より】 
 Lucía は、英語では Lucy に相当する。日本語なら「ひかり」、「ひかる」、「光子」、「光代」などに当たろうか。
 さて、手元の辞書の Lucifer の項には次のような説明がある。

 スペイン語と同源同形のポルトガル語より室町時代に「ルシヘル」となる。

 「キリシタン用語集」には「ジュズフェル」という項目があり、「天狗の頭(かしら)。キリスト教における悪魔の長リュシフェルに対応する」との記述がある。
 キリシタンたちが持つ「ルシヘル」のイメージは「大天狗」のようなものだったのだろうか。
 
 ところで、スペイン語には Lucifer のほかに、lucifer と小文字で始まる別の項目がある。意味は次のとおり。
 1.[L-]明けの明星、金星
 2.悪魔、サタン、悪党
 大文字で始めようと、小文字で始めようと、あまり意味に差はないが。
 訳語の「サタン」はスペイン語では Satán で、アクセントは後ろにある。手元の辞書にはこの語についてのキリシタン用語への言及はない。
 今では「悪魔」を表す言葉としては、「ルシヘル」より「サタン」の方が一般的だろう。「サタン」という言葉はテレビドラマ『月光仮面』で覚えたような気がする。シリーズ第2部『バラダイ王国の秘宝』に登場する「サタンの爪」である。
 
 スペイン語 Satán は英語では Satan だが、発音は「サタン」ではなく、カタカナ表記では「セイタン」になろう。
 ちなみに土星は英語では Saturn で、こちらの方が「サタン」に聞こえる。スペイン語では Saturno である。
  

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キリシタン用語(11) 「ガラサ」(恩寵)

2017-09-16 10:57:00 | キリシタン用語
 キリシタン用語「ガラサ」は映画『沈黙 -Silence -』に出てきた記憶はないが、人名にも使われているので、日本でも有名である。
 例によって、「ガラサ」はポルトガル語 graça に由来する。スペイン語では gracia に、英語では grace に対応する。スペイン語での意味はいろいろある。手元の辞書の gracia の項の第一義は「上品さ、気品、優美」。次に「面白さ、おかしさ、妙味」と続き、「冗談、しゃれ、おどけ」が3番目に出てくる。4番目にやっと「《神》恩寵、恩恵、恵み」が出てくる。キリシタン用語の「ガラサ」は当然、これである。gracia の項はまだまだ続くが、最後の説明から引用する。
 
 細川ガラシャは洗礼名 Gracia から。同源のポルトガル語 graça からキリシタン用語「ガラサ(恩寵)」となる。
 
 【細川ガラシャ。たぶん想像図】
 スペイン語 gracia には普通名詞として、「ご芳名、ご尊名」の意味もある。手元の辞書には次のような例文がある。
 ¿Cuál es su gracia?
 ただ、筆者は一度もこのように名前を聞かれたことはない。一般的には次のように言う。
 ¿Cómo se llama?(学生同士などでは ¿Cómo te llamas?)
 女房殿に聞いてみると、昔、といっても、母親が子供のころはコスタリカでも使っていたらしい。女房殿は意味はわかるが、自分で使ったことはないとのこと。
 gracia は洗礼名にも使われるが、英語の grace も人名として使われる。有名なのはハリウッド女優で、モナコ王妃になった Grace Kelly である。名前どおり、上品であった。
 
 「ガラシャ・ケリー」は響きが悪いが、「細川グレース」なら悪くない。ただ、ハーフ・タレントのようではある。
 スペイン語の gracia を複数形にすると、「ありがとう」の gracias になる。イタリア語では「ありがとう」は、最近日本でもよく知られるようになった“grazie”である。「グラッチェ」と発音しているようだが、本当は「グラツィエ」である。grazie は grazia(西 gracia)の複数形で、発想はスペイン語と全く同じである。
 gracia は「ラ・バンバ」の歌詞にも登場する。
 “una poca de gracia”という一節があるが、本当は“un poco de gracia”が正しい。これについては「La Bamba (2) una poca de gracia」ですでに述べているので、ご覧いただきたい。
 細川ガラシャについては「La Bamba (3) gracia と細川ガラシャ」を参照されたい。
 最後に、ポルトガル語 graça の発音は「グラサ」で、同じ発音のスペイン語は grasa である。これは英語の grease の関連語である。grasa の意味には、もちろん「グリス」もあるが、第一義は「脂肪、脂身、脂、油」である。「油汚れ、脂あか」という意味もある。
 ポルトガル語の「グラサ」はありがたいが、スペイン語の「グラサ」はありがたくない。もし、細川「ガラシャ」が「グラサ」となっていたら、スペイン語圏の人間は細川ガラシャを肥満体形の女性と想像することだろう。

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キリシタン用語(10) 「サクラメント」

2017-09-14 17:33:24 | キリシタン用語
  最近では「ゆるしの秘蹟」という名になっている、いわゆる「告白」はキリシタン用語では英語の confession に相当するポルトガル語 confissão に由来することは前回述べた。
 この正式名称はラテン語で Sacramentum Poenitentiae et Reconciliationis、英語で Sacrament of Penance and Reconciliation というが、英語 sacrament に相当するポルトガル語 sacramento (スペイン語も同源同形)からキリシタン用語の「サクラメント」になった。「サカラメント」という語形もある。日本語訳は「秘蹟」であるが、最近は「秘跡」とも表記される。
 この言葉は映画『沈黙 -Silence -』には出てこなかったような気がする。キリシタンたちは「桜」に関連付けて、すぐに覚えたことだろう。 
 sacrament (西 sacramento) の関連語には次のようなものがある。
 sacred (西 sagrado 女性形は sagrada。Sagrada Familia は「聖家族」。)
 sacrifice (西 【動詞」sacrificar, 【名詞】sacrificio)
 ところで、カリフォルニア州の州都はロサンゼルス(Los Angeles)でもサンフランシスコ(San Francisco)でもなく、サクラメントである。都会ではあるが、大都会というほどではなく、日本人にはあまりなじみがないと思う。当然、「ゆるしの秘蹟」の「サクラメント」に由来する。
 
 【サクラメント川近くからのサクラメント市風景。ウィキペディア「サクラメント(カリフォルニア)」より】
 カリフォルニアはかつてはメキシコ領であり、地名にはロサンゼルスやサンフランシスコをはじめ、スペイン語名のものが多い。「サクラメント」もその中の一つである。そうすると、当然 Sacramento と語末に o をつけなければならない。英語の普通名詞が sacrament なので、アメリカ人でも間違える人が多いのではないかと想像する。
 同様につづりを間違えそうな都市がフロリダ州にある「オーランド」である。「○○ランド」の連想で Orland と書いてしまいそうだが、Orlando と語末に o をつけなければならない。「オーランド・ブルーム」という俳優がいるが、つづりを間違えるようではファンの資格はない。
   
 それはともかく、サクラメントにしてもオーランドにしても、スペル・ミスを防ぐためにカタカナ表記は「サクラメントー」や「オーランドー」にすべきではなかろうか。実際、ヴァージニア・ウルフの作品“Orlando”は「オーランドー」と表記されている。

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キリシタン用語(9) 「コンヒサン」

2017-09-13 18:53:37 | キリシタン用語
  カトリック教会では信者が宗教上の罪を犯したとき、神父に告白して赦しを請う「ゆるしの秘蹟」という儀式がある。かつては「悔悛の秘蹟」や「告解」と呼ばれていたが、一般的には「(罪の)告白」で通じたかと思う。
 精神分析医がいなかったころは、その役割も果たしていたことだろう。告白する側は告白してしまえば、すっきりするだろうが、聞く側はそうはいかない。「聴罪司祭には守秘義務があり、告白によって知った罪についての完全な秘密を守るように義務づけられていて、これに背けば厳罰を科せられる」とのことである(ウィキペディア「ゆるしの秘蹟」)。
 宗教的な罪はともかく、殺人などの重大な犯罪を犯した場合も、警察に通報してはいけないのだろうか。告白など聞きたくないものである。
 「ゆるしの秘蹟」には「懺悔」という別名もある。この言葉は仏教では「さんげ」と読み、キリスト教では「ざんげ」と読むそうである(ウィキペディア「懺悔」)が、キリスト教徒は仏教徒に比べて圧倒的に少ないにもかかわらず、この言葉の読みに関してはキリスト教側の圧勝である。
 ちなみに、「礼拝」は仏教では「らいはい」と読み、それ以外は「れいはい」と読む。
 JR越後線に礼拝駅という名前の駅が新潟県柏崎市にある。「らいはい」と読む。
 
 「駅名の由来は近くの二田物部神社礼拝所から取られた」(ウィキペディア「礼拝駅」)とのことであるが、神社は仏教ではないので、上記の説明では「れいはい」と読まなけらばならない。ただ、神仏習合ということで、神道でも「らいはい」と読んでもいいのだろう。このあたりに隠れキリシタンが多ければ、「れいはい」駅になったかもしれない。

 さて、筆者には「ゆるしの秘蹟」はなじみのない言葉であった。1978年に「告解」や「悔悛の秘蹟」などの言葉から「ゆるしの秘蹟」に変更されたとのことである。「告白」と言ってくれれば、すぐわかるものを。
 キリシタン用語では「ゆるしの秘蹟」のことを「コンヒサン」と言う。例によってポルトガル語から来ている。ポルトガル語では confissão と書く。これに対応するスペイン語は confesión で、英語では confession である。
 「ゆるしの秘蹟」は正式にはラテン語で Sacramentum Poenitentiae et Reconciliationis、英語で Sacrament of Penance and Reconciliation と言うらしいが、長ったらしいので、日常的には confesión や confession で十分である。
 映画『沈黙 -Silence -』には「コンヒサン」という言葉が使われるシーンがあったように記憶している。「コンヒサン」は「コヒサン」とも言われる。手元のスペイン語辞書の confesión の項には次のような説明がある。
 
 16世紀末にキリシタン用語「コンヘション」となる。同源のポルトガル語 confissão が「コ(ン)ヒサン」となる。

 スペイン語由来の「コンヘション」はあまり聞かない。ポルトガル語の圧勝である。
 ところで、筆者は2015年末にコスタリカの古い教会を再訪した。まだ現役のようだが、告白の部屋は新しくなっていたようで、古い告白椅子が展示されていた。そこで、義兄に神父役になってもらい、筆者が告白(ごっこ)をしたわけである。例によって、何を告白したか、全く覚えていない。何か冗談を言ったかもしれない。
 
 本当の「ゆるしの秘蹟」での信者の話が面白すぎて、神父さんが大笑いしたり、笑いをこらえたりすることはないのだろうか。小さな町の教会ではみんな知り合いで、懇意にしている信者さんが「ゆるしの秘蹟」の最中、または直後に冗談を言ったりしないだろうか。こんな不真面目なことは考えてはいけない、とお叱りを受けそうである。早速、告白しなくては。
 

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キリシタン用語(8)「エケレシア、エキレンジャ、イグレジャ」

2017-09-11 14:52:32 | キリシタン用語
 現在、キリスト教徒が宗教行事のために集まるところは教会である。実は、「教会」という言葉はキリスト教だけでなく、どの宗教に対しても用いることができるのである。とはいっても、仏教は「お寺」で、神道は「神社(お宮)」が一般的であろう。イスラム教は「モスク」という言葉がだいぶ広まっていると思う。「教会」というと、天理教などもあるが、やはりキリスト教のイメージが強いと思う。
 さて、キリスト教伝来(1549年)からキリスト教禁止令(1612年、1613年)までの間に教会のようなものは建てられている。
 
 【リスボン美術館蔵 作者不詳 南蛮屏風(部分)。ウィキペディア「南蛮寺」より】
 ウィキペディア「南蛮寺」によると、それらは当時の日本人によって「南蛮寺」「南蛮堂」、また(デウスから)「だいうす寺」「だいうす堂」などと呼ばれた、とのことである。
 このころはまだ西洋風の教会はなかったようで、現存する最古のキリスト教建築物は大浦天主堂である。
 中国には「清真寺」と呼ばれるイスラム寺院がある。いわゆるモスク風の寺院ではなく、中国風の建物である。
 
 【「清真寺」の画像より】
 これにならって、日本でも京都あたりにかつての南蛮寺風のカトリック教会ができないものかと期待する。いい観光名所になると思うのだが。
 ところで、「教会」という言葉がいつごろから存在していたのかは、わからない。キリシタン用語には「教会」を表す「エケレシア」という言葉がある。「エキレンジャ」、「イグレジャ」という語形もある。キリシタンたちは「南蛮寺」などではなく、これらの言葉を使っていたのだろう。
 「エケレシア」はギリシャ語「エクレシア(εκκλησία)」に由来するそうで、ラテン語では ecclesia と書かれる。これがスペイン語では iglesia になり、ポルトガル語では igreja となった。
 キリシタン用語の「エケレシア」はラテン語に、「イグレジャ」はポルトガル語に由来するようだ。「エキレンジャ」はポルトガル語由来のようだが、たぶん、これは「イグレジャ」がなまったものではないだろうか。
 英語では全然、形が違う church であるが、「聖職者」を意味する ecclesiastic という語に ecclesia が入り込んでいる。ecclesiastic とは、いかにも小難しそうな言葉ではあるが、スペイン語の iglesia を知っていれば、全然難しくない。
 筆者の知っているラテンアメリカ諸国(特に、コスタリカ)では街の中心に「教会」(iglesia)と「公園」(parque)があり、iglesia は信者でなくても、道案内には必須の言葉である。
 映画『沈黙 -Silence -』に戻る。この時代(17世紀初頭)には、キリスト教が禁止されていて、禁教以前に建てられたキリスト教会は破壊されている。キリシタンたちはどこかに隠れて集まって祈りを捧げたり、「オラショ」を唱えたりしていたはずである。そのどこかをキリシタンたちは「エケレシア(エキレンジャ、イグレジャ)」と呼んでいたのであろうか。
 ところで、スペイン語 iglesia の複数形 iglesias は姓としても使われている。この姓を持つ有名人の筆頭格は、歌手の Julio Iglesias (フリオ・イグレシアス)だろう。息子の Enrique Iglesias もだんだん父親に似てきたようだ。
   

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キリシタン用語(7)「オラショ、オラッショ」(御等志与、於辣諸)

2017-09-07 15:10:15 | キリシタン用語
 ダンテの『神曲』からだいぶ脱線してしまったが、また映画『沈黙 -Silence-』に戻る。
  今回のキリシタン用語は「オラショ(オラッショ)」である。映画にこの言葉が出てきたような気もするが、記憶は曖昧である。元々はラテン語の祈祷文のことを指した。
 
 キリシタン用語はポルトガル語由来のものが大半だが、「オラショ」はちょっと違う。語形の上で「オラショ」に対応するスペイン語は oración(オラシオン)である。手元の辞書には「ラテン語 oratio、同源のポルトガル語 oração(オラサン)と合流して「祈祷」を指すキリシタン用語『オラショ、オラッショ』(御等志与、於辣諸)となる」と説明されている。
 英語の oration も同語源であるが、英語の場合は「宗教的な祈り」ではなく、「(正式な)演説、式辞」の意味で使われる。
 スペイン語 oración の元になる動詞は orar で「(誰かのために)祈る」が原義だが、第二義として「演説する」という意味もある。orar の関連語には oral や oratorio がある。いずれも英西同形である。
 これらの言葉に共通するのは「口」である。「オラショ」は心の中で祈るのではなく、口に出して祈りの言葉を唱えるのである。
 「キリシタン用語集」によると、「オラショ」とは「カクレキリシタンに伝わるキリスト教の教義や聖歌、祈祷文をに由来する文章の集まり」。となっている。詳細な説明はそちらをご覧いただきたい。
 映画『沈黙 -Silence-』の中でキリシタンたちが何か祈っているようなシーンがあったかと思うが、それがいわゆる「オラッショ」だったのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
 ウィキペディア「オラショ」に当たってみると、次のような説明があった。

 オラショは、パライソやインフェルノの教えが、隠れキリシタン(カクレキリシタン)により300年間あまり口伝えによって伝承されたものである。カクレキリシタンにとって、オラショは一種の呪文のようなものであり、意味内容を理解した上で唱えられているものとは言えず、「基本的には一つの行として、暗記して唱えること自体が重要なことであって、意味そのものを理解することにはほとんど関心がない」という。
 1970年代以降、皆川達夫らにより原曲の比定などの研究と共に録音のリリースが行われた。現在ではオラショを題材とした曲が作曲されている。
 
 早い話がオラショとはキリスト教版のお経のようなものである。お経も素人には意味不明だが、オラショも意味不明でいいらしい。
 You Tube にも『4/4生月かくれキリシタン「おらしょ★聖歌」Ikitsuki hiding kirishitan'Oratio&Hymn'』が紹介されている。横溝正史の小説を映画化したような雰囲気であるが、興味のある方はご覧いただきたい。
 映画『沈黙 -Silence-』は17世紀初頭を舞台にしているが、キリシタンたちが祈る場面があったと思う。しかし、それは You Tube で紹介されているような「オラショ」ではなかった。
 

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キリシタン用語(6) 地獄:インヘルノ(イヌヒルナ)

2017-08-24 18:27:16 | キリシタン用語
 死後、天国(ハライソ)に行ける人はいいが、悪人には地獄が待っている。
 「地獄」はキリシタン用語では「インヘルノ、イヌヒルナ」である。ポルトガル語 inferno(インフェルノ)に由来する。
  
 【川上澄生の版画より】
 英語も同形であるが、発音はカタカナ表記では「インファーノウ」となろう。英語の inferno には「地獄」のほかに「大火」という意味もある。
 
 そこで思い出すのが、1974年のアメリカ映画「タワーリング・インフェルノ」である。高層ビル火災を描いたパニック映画で、パニック映画の最高傑作と評されている。燃え上がる高層ビルが火炎地獄にたとえられているわけであろう。
 英語の「地獄」は普通、hell というが、inferno には「大火」の意味があるので、映画のタイトルが「タワーリング・ヘル」ではなく、「タワーリング・インフェルノ」になったのだろう。
 英語の inferno の発音は「インファーノウ」の方が「インフェルノ」より原音に近いが、キリシタン用語の「インヘルノ」に影響されたのか、それとも、単にローマ字風に読んだのかは定かではない(一例として、英語の男子名 Graham が「グレアム」ではなく「グラハム」とよく表記されていることを想起されたい)。
 スペイン語では「地獄」は infierno で、ポルトガル語とは少しだけ違うが、キリシタン用語の知識がなくても、「インヘルノ」が「地獄」を意味するであろうことは容易に想像できる。
 ところで、すでに述べたように、英語の「地獄」は hell というのが普通だが、罵り言葉に“Go to hell”はあっても、“Go to inferno”は聞いたことがない。罵り言葉は簡潔でなければならないと思う。inferno というラテン語由来の言葉は日本語の漢語に相当し、日常語彙ではなく、学術用語のニュアンスがあるのではないか。また、hell の1音節に対し、inferno と3音節になると、間延びして、言われたほうも罵られているような気がしなくなるのではなかろうか。


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キリシタン用語(5) 禁断の木の実「マサン」

2017-08-23 21:32:39 | キリシタン用語
  パライソ(ハライソ、パライゾ)であるエデンの園に禁断の木の実がある。ヘビにそそのかされてエバが食べてしまう話はキリスト教徒でなくても知っている。
 
 【フーゴー・ファン・デル・グース 『人間の堕落』。15世紀】
 その木の実は一般的にリンゴだと考えられているようだが、実は旧約聖書に木の名前は書かれていない(『創世記』第3章)。
 そもそも、リンゴは暑さに弱い果物である。ウィキペディア「リンゴ」の項目で、「当時旧約聖書の舞台となったメソポタミア地方にはリンゴは分布せず、またその時代のリンゴは食用に適していなかった」と述べられている。 
 それでは、どうして禁断の木の実がリンゴと考えられるようになったのか。ウィキペディア「禁断の果実」には次のように書かれている。

 西欧では、禁断の果実はしばしばリンゴの実とされるが、これはラテン語で「善悪の知識の木」の「悪の」の部分にあたる「malus」を、同じつづりの「リンゴ」の意味と取り違えてしまったか、二重の意味が故意に含まれていると読み取ってしまったものとされる。「malus」は「邪悪な」を意味する形容詞だが、「リンゴ」の意味の名詞も「malus」になる。

 ちなみに、スペイン語では「リンゴ」は manzana(マンサーナ)というが、手元のスペイン語辞典による語源の解説は次のとおりである。

 mala Matiana「マティウスのリンゴ(複数)」(リンゴの一種で、紀元前1世紀の農学者 C.Matius にちなんでつけられた名称)に由来するという説が有力
 
 それでは、西欧以外では禁断の木の実は何をさしているのだろうか。ウィキペディア「禁断の果実」によると、ブドウ、ザクロ、ナシ、イチジクなどがあげられている。スラブ世界では何と、トマトこそ禁断の果実だとする地域もあるそうである。
 しかし、トマトはペルー原産でヨーロッパにもたらされたのは16世紀以降であろう。さらに言えば、トマトは木ではない。「違いがわかる辞典」では「植物学では、木と草に本質的な違いはないとしている」そうだが。
 禁断の木の実が何かという言及が『創世記』にはないが、謎の木の実だからこそ、知恵の木の実なのだろう。

 さて、ここで日本のキリシタン世界に戻る。「キリシタン用語集」には禁断の木の実は「マサンの実」と呼ばれている。
 「マサン」とは「リンゴ」ではないかと想像されるが、実際、ポルトガル語では「リンゴ」は maçã(マサン)である。どうして、ポルトガル語そのままで、日本語に訳さなかったのだろうか。
 「リンゴ」という日常用語に訳してしまったら、宗教的荘厳さというかありがたみがなくなってしまうからだろうか。お経同様、わからないからこそありがたいということだろう、と思っていたが、実は、現在、日本で栽培されているリンゴ(西洋リンゴ)が日本に持ち込まれたのは、明治4年(1871年)で、それまでのリンゴは「和リンゴ」という粒の小さな野生種…いわゆる「観賞用」のりんごだったとのことである(「リンゴミュージアム」)。
 というわけで、1600年前後に「マサン」(maçã)を「リンゴ」と訳せるはずもなかったのである。
 


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キリシタン用語(4)ハライソ(パライソ、パライゾ)

2017-08-22 18:29:08 | キリシタン用語
 前回、少し「ハライソ(パライソ、パライゾ)」について触れた。これはポルトガル語 paraiso に由来するキリシタン用語である。スペイン語では paraíso とつづられるが、発音はほぼ同じである。英語の paradise も同語源である。手元の辞書によると、これらの語は「庭」を意味するギリシャ語に由来するらしい。
 英語には Paradise の類義語に heaven がある。こちらの方は古期英語「空」に由来するとのこと。スペイン語にも英語同様、「空」を意味する、cielo という語がある(ポルトガル語では céu。フランス語では ciel)。日本では白髪染めの製品の名前としてご存知の方もいるかもしれない。ただし。アクセントがスペイン語とは違っているが。
 cielo という語も「空」の意味の他に「天国」という意味も持っている。しかしながら、手元の辞書には cielo が何らかのキリシタン用語と関連があるというような記述はない。
 さて、天国(cielo)はどこにあるかというと、天がある上の方ということになるが、楽園(paraíso)はどこにあるのだろうか。
 
 【エデンの園(ルーカス・クラナッハ画)】
創世記」2.8には「主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた」とある。旧約聖書のことだから、聖地エルサレムの東の方だろう。現在のイラク、チグリス・ユーフラテス川の河口あたりだろうというのが通説のようである。
 
 【エデンの園(エラストゥス・ソールズベリー・フィールド画)】
 そうすると、日本人キリシタンにとってはパライソは西の方にあるということになる。「キリシタン用語集」の「パライソ」の項目を調べていたら、次のような記述があった。

 英語のparadiseに相当、天国のこと。しかしカクレキリシタンの中でもそれがどこにあるのかという問いにはっきりと答えられる人は少なく、オラショや伝承の限りでは海の彼方にあるようにも取れる。このことは生月に伝わるオラショの中でローマの寺(教会)やジュルジャリン(イェルサレム)とパライゾのイメージが混同されていることからも見て取れる。

 エデンの園もエルサレム(西 Jerusalén「ヘルサレン」)も日本から見れば、西の方である。
 ところで、キリスト教が日本に伝わる前、仏教では西方浄土という名の極楽があると考えられていた。四字熟語辞典オンライン西方浄土」には次のように書かれている。

 阿弥陀仏がいるとされ、人間界から西方に十万億土離れている極楽浄土のこと。

 パライソは言ってみれば、西方浄土のキリスト教バージョンなのかもしれない。
 「パライソ」という言葉は映画『沈黙 -Silence-』にも出てきた。
 ちなみに、筆者も何度か Paraíso に行ったことがある。もちろん、一度死んでから行ったわけではない。コスタリカのカルタゴ州の州都カルタゴの近くに Paraíso という町があり、たまたま通りかかっただけのことであるが。とても「極楽」という感じはなく、何の変哲もない町だった。その昔、そのあたりに入植した人たちが、理想郷を作ろうという気持で、そんな名前をつけたのだろう。
 Paraíso という名前の町はラテンアメリカを中心として結構あるようである(ウィキペディア「パライソ」)。

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