スパニッシュ・オデッセイ

スペイン語のトリビア
コスタリカ、メキシコ、ペルーのエピソード
パプア・ニューギニア、シンガポールのエピソード等

2015年のコスタリカのカレンダー(calendario)1 Caballito Nicoyano

2016-12-31 17:34:29 | コスタリカ
 2015年のカレンダーを持ち帰った。グアピレスの実家にあったものだが、コスタリカでは何の変哲もないものなので、放っておいたら捨てられる運命だろう。ありがたく、無断で頂戴することにした。
 1月ごとにめくっていく方式である。日付の部分はどうでもいい。写真が目的である。いかにも昔ながらのコスタリカである。日本で言えば、時代劇とは行かないまでも、フジヤマ芸者的な世界かもしれない。
 日付の部分は捨ててしまったので、何月のカレンダーかわからなくなってしまった。日本なら、四季折々の雰囲気があって、だいたいいつごろかわかるのだが、コスタリカはそうは行かない。何しろ、乾季(estación seca。コスタリカでは verano「夏」という)と雨季(estación lluviosa「エスタシオン・ジュビオーサ」。コスタリカでは invierno 「冬」という)しかないのだから。
 パソコンに保存したら、写真の名前がアルファベット順になっていた。ということで月については順不同ということでご勘弁願いたい。
まずは Nicoya 地方から。
 
 今どき、日常的にこんな格好をしている人はいないだろう。ニコヤ地方はグアナカステ(Guanacaste)州に属するが、この地方は牧場(finca)が多い。牛や馬などの家畜も多いことだろう。

 写真には Caballito Nicoyano(カバジート・ニコヤーノ。caballito は caballo「オス馬」に縮小辞 -ito がついたもの)という歌の歌詞が載っている。
 メロディーは You Tube でご確認いただきたい。ニコヤ地方の画像も見られる。
 この歌は女房殿も知っていて、全国的に知られているようだ。日本で言えば、文部省唱歌的なものかもしれない。
 ちなみに、女房殿が子供のころの小学校の授業には音楽の科目はなかったが、ラジオでもよく耳にして、自然に覚えたのだろう。
 かつてのコスタリカの学校についての詳細については「コスタリカの学校(1)」、コスタリカの学校(2)」、コスタリカの学校(3)」、コスタリカの学校(4)」をご覧いただきたい。現在の状況は後日、調べる。


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コスタリカ再訪(218)成田到着

2016-12-30 18:08:43 | コスタリカ
 往路と同じく、帰路もヒューストンから成田までは ANA を利用した。食事もビデオもゲームも無料でできるし、座席のスペースも、エコノミーとはいえ、それほど窮屈な感じはしない。10時間超のフライトも快適に過ごすことができた。
 成田到着も定時である。ただ、着陸してから、ゲートに向かうまでに少々待たされた。他の飛行機との兼ね合いである。「ご迷惑をおかけしますが、少々お待ちください。」のようなことが、日本語と英語でアナウンスされる。
 5分か10分ぐらい待ったあとで、動き出して、ゲートの前で止まる。そして、またアナウンスが入る。
 まず日本語で「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」のような趣旨である。日本語で聞くと何の違和感もないのだが、このあと同様のことが英語でもアナウンスされるのである。
 たかが5分や10分待たせたことで、sorry なんて言うものだろうか。直訳すればそうなるのだが、違和感ありありである。
 「いつも主人がお世話になっています」という挨拶をそのまま英語に訳すようなものではなかろうか。こんな挨拶を英語でされたら、その人の主人はよっぽど無能なのかと思われる、というようなことをどこかで見聞きしたような気がする。
 日本に着いてしまえば、もはや別世界である。スパニッシュでもなんでもないので、「コスタリカ再訪」シリーズは一応これで完結である。しかしながら、紹介しそこなったことがあるので、続編をお楽しみに。
 
 
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コスタリカ再訪(217)ヒューストン空港にて

2016-12-29 20:20:53 | コスタリカ
1月10日(日)
 深夜過ぎのサンホセ発ヒューストン行きの便に乗る。来たときと同型の飛行機である。最近はジャンボも飛ぶようになったそうだが、コスタリカ~北米路線は中央に通路が一つだけで、左右に3席ずつ並んでいる、窮屈な飛行機である。フライト時間は3時間ほどなので、これでも我慢できるが、10時間以上のフライトだと、拷問に近くなる。
 旅客はアメリカ人が多いようで、さっさと寝てしまう人がほとんどだった。たぶん、コスタリカのリピーターであろう。食事もドリンクも有料だし、それに深夜なので、寝るのが一番である。
 熟睡はできなかったが、うとうとしているうちにヒューストンに着いた。そろそろ夜明けである。
 まずは、入国審査である。係員は名前も容貌もヒスパニックだが、スペイン語を話そうとしない。こちらがスペイン語を話しても、返事は英語である。スペイン語ができないとは思わないが、英語の方が威厳があるとでも思っているのだろうか。
 審査が終わってゲートを出る。今度は待ち時間が4時間ぐらいなので、ちょうどいい。Subway という有名なチェーン店でサンドイッチか何か頼んだ。
 日本行きの便を待っている間に、いろいろなアナウンスが聞こえてくる。ここはまだスペイン語が第二言語なので、英語とスペイン語の2本立てが普通である。 
 日本の航空会社のアナウンスも聞こえてきた。日本行きの便なので、アナウンスは日本語と英語である。ここまでは別に問題はない。
 乗り換え客の呼び出しを英語でやっているときのことである。ラテン系の乗客の名前が英語風に発音されているのである。英語風に呼ばれるのに慣れている人ならいいが、慣れていないと自分の名前だとは思わないこともあるのではないだろうか。
 そのときの乗客の名前は忘れたが、NHKの大リーグ中継でラテン名前の選手が英語風に呼ばれるのを思い出した。アメリカ人のアナウンサーの発音を無批判に真似をしているだけなのだろうが、スペイン語の読み方ぐらいは勉強していただきたいものである。同様に、アメリカの空港のアナウンス嬢もスペイン語の読み方ぐらいは勉強して欲しいものである。または、会社が教えるべきではなかろうか。
 英語と違って、スペイン語はアルファベットの読み方さえ覚えれば、だれにでも読めるのである(発音の良し悪しは別だが)。
 唯一、メキシコの地名は難しい。x の文字の発音が数種類あるからである。
 México メヒコ、Oaxaca オアハカ (x は「ハ」行の子音)
 Xochimilco ソチミルコ (x は [s]音)
 
 以前にも触れたかもしれないが、ラテン系の大リーガーの名前をいくつか記しておく。

 Bautista (NHK)ボティースタ、(正)バウティスタ
 Heredia (NHK)ハーレディア (正)エレディア
 Merced  (NHK)マーセッド  (正)メルセー
 Feliz  (NHK)フェリーズ  (正)フェリス
 Ruiz   (NHK)ルイーズ   (正)ルイス 

 これらはほんの一例で、まだまだとんでもない読み方をしているのがあるはずである。
 逆に英語風ではなく、正しく読まれている例も一つ挙げておこう。
 De Jesús (正)デ・ヘスス 
 英語風に読めば、「デ・ジーザス」となるはずだが、アメリカ人のアナウンサーもこれだけは正しくスペイン語風に読んでいるのだろう。
発音は正しくても、アクセントがだめな例もある。
 Encarnación (NHK)エンカルシオン  (正)エンカルナシ

 
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コスタリカ再訪(216)サンホセ国際空港にて

2016-12-28 19:10:18 | コスタリカ
(承前)
 黄昏時に写真を撮っていたら、ついに日が暮れてしまった。熱帯地方は太陽がほぼ垂直にすとんと地平線に落ちるので、暮れなずむということがない。さっきまで明るかったのが、すぐに暗くなってしまう。
 義妹宅で夕食をいただき、出発に備える。深夜の便なので、空港へは9時過ぎに向かえばよい。
 のんびりしていたら、すぐに9時になった。義妹夫婦が空港まで送ってくれる。夜なので、道が混雑するということはない。空港までの距離は約10キロだろうか。15分ぐらいで到着した。
 
 【上の切手は1979年より以前に発行されたもの。空港前が駐車場になっているが、今ではここに4階建てぐらいの駐車場ビルが建てられている。空港ビルももっと立派なものになっている。】
 空港では departure(西 salida。arrival は llegada「ジェガーダ」)のゲート前で名残を惜しむものだが、サンホセ国際空港の場合、そうは行かない。日本では当然のように旅客以外が空港の建物内に入れる。かつてはコスタリカでも入ることができたのである。1981年の末に帰国するときには、教え子の一人が出発ロビーでみやげ物を手渡してくれたものである。
 それが今では乗客以外は建物内部には入れないのである。Salida と書いてある入り口付近で義妹夫婦は筆者一行を下ろしてくれた。長時間、駐車はできない。簡単な挨拶をしただけで、すぐに別れなければならなかった。どうにも情緒がない。これもテロリストのせいだろう。コスタリカではテロの心配はないが、今後はいつ何時何が起こってもおかしくはないご時勢である。
 空港に入ると乗客だけで、静かなものである。これから深夜の便になるので、皆さん、お疲れのご様子である。
 さっさとチェックイン手続きを済ませて、2階のラウンジへ行く。  
 コーヒーでも飲もうと思って、カフェテリアに行った。スタッフはいたが、もう閉店したという。ぶらぶら歩いていたら、欧米からの観光客らしき若者が何人か床に寝そべっている。ベンチもろくに置いていないので、仕方なく床に寝そべっているようだ。
 一周して帰ってくると、女房殿はグアピレスの義妹と携帯電話で話し込んでいる。WhatsApp なるアプリを通した無料通話のようである。いよいよ出発だというのに、全く日常と変わらない。便利にはなったが、情緒はなくなる一方である。では、不便な方がいいかというと、やっぱり便利な方がいいに決まっている。全く勝手なものである。
 結局、女房殿は1時間も話しこんでいた。
 通話が終わって、女房殿が教えてくれたことがる。それは薬局を経営している薬剤師の義姉が危うく強盗にあいかけたという話である。
 薬局に客のふりをして男がやってきた。カウンターにいる義姉に向かって、「俺は武器を持っている。(現金が入っている)包みをよこせ」というようなことを言ったが、実際にはピストルのような武器は持っていなかったので、義姉は大声で人を呼んだのだろうか。男は目的を果たせず、帰っていった。その男は警察のブラックリストに載っているのだろうか、後日、携帯電話の通話記録が証拠になって、逮捕されたそうである(聞いた話なので、詳細は違っているかもしれない)。
 こんな話を聞かされているうちに、時間が迫ってきて、出発ゲートへと向かったのであった。


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コスタリカ再訪(215)滞在最終日 写真を撮りまくる

2016-12-27 18:43:45 | コスタリカ
(承前)
 この日は滞在最終日である。
 ミシンの荷造りなどを終えると、あとは夜を待つだけである。
 この時期の中央高原は晴天続きである。帰国後は日本海側のどんよりした冬の天気が待っているので、一分一秒が貴重なものに思えてくる。
 義妹宅の庭の写真は何度も撮っているが、この日もやっぱり撮る。
 
 
 
 
 
 
 以上はまだ日が高いときのもの。
 日が傾くにつれて色調が変化していく。外は暑くもなく、寒くもない。黄昏時がいつまでも続いて欲しい。
 
 
 
 
  
 
 
 


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コスタリカ再訪(214)ミシン(máquina de coser)を買う

2016-12-26 19:44:56 | コスタリカ
1月9日(土)晴れ
 昨夜は遅くまで飲んでいたし、疲れていたので、目覚めたのは10時前である。10時半に起床。この日はろくに記録する暇がなかったので、朝食は何を摂ったかよくわからないが、いつもと変わり映えしないものだろう。
 女房殿は日本で買うよりコスタリカでミシンを買った方が安いというので、義妹といっしょに出かけていった。帰りの荷造りをしなければならないのだが、必要最小限の衣類しかもって来ていないし、コーヒーなどの土産は昨日買い込んだ。というわけで、あまり大きくないミシンであれば何とか持っていける。
 女房殿が出かけている間に、庭に出てコスタリカの快適な天気を堪能する。
 1階の車庫の脇に物置スペースがあるが、そこに古いミシンの残骸があった。義妹はいろいろなものに思い出が詰まっているとかで、なかなか捨てられないようだ。ちょっとした博物館になっている。
 
 
 ジャノメやチヨダなどの古い日本製のミシンを見つけて、なぜか懐かしい気持ちになった。写真にはないが、ブラザー(日本企業)やシンガー(米国企業)のものもあったと思う。
 何時ごろ女房殿が帰還したか不明だが、とにかくミシンを持って帰ってきた。スーツケースには入らないが、機内持ち込みできるサイズである。購入前に当然、機内持ち込みサイズを調べておいたのだが、ダンボールケースのサイズがほんの少し大きいので、ダンボールを取り外して持ち込むことにした。テープをぐるぐる巻きつけるわけだが、機内持ち込みの際にいちいち質問された。テロが横行する今日では怪しまれてもいたし方のないものではある。
 

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コスタリカ再訪(213)chicharronera に行く

2016-12-25 16:25:49 | コスタリカ
(承前)
 Bar Pipo's でビールばかり飲んでいるうちに、お腹が減ってきた。
 アラフエラの市街地の方に義妹夫婦が懇意にしている chicharronera(豚の皮のから揚げ屋)があるというので、そちらへ行くことにした。バーの支払いは義妹の旦那がしてくれたようで、会計がいくらだったのかは不明であるが、高額ではないだろう。
 バーを出て、タクシーを拾う。グアピレスと違って大きい町なので、流しのタクシーが拾える。あまり待つこともなく、タクシーを拾うことができた。
 アラフエラの市街地の南のはずれに chicharronera はあった。
 
店の名前は El Guayabo で、意味は「(植物名)バンジロウ」と、手元の辞書には載っている。もう一つ、「かわいい女の子」という意味もあるが、これも店の名前としては悪くない。両方引っかけているのかもしれない。
  
 この店は Facebook もやっていて、写真も多数アップされている。興味のある方はそちらもご覧いただきたい。
 この店は先ほどのバーと違って、オープンテラス方式である。chicharrón だけではなく、その他の料理もありそうだが、名物はやっぱり chicharrón である。アルコールも提供される。ここも当然禁煙である。夜、屋外で半そでで過ごせるぐらいの気温である。
 ここの主人はグアピレスの近くにすんでいる義妹(双子の片割れ)とも親しいようである。コスタリカでは大体どこかに知り合いがいるものである。
 飲み食いしているうちに、どこからともなく、異臭が漂ってきた。タバコのにおいではない。どうやら近くでマリファナをやっているらしい。もちろん店内ではない。
 さて、ここはバーではないので、店は早めに閉まるようである。11時前には切り上げて、またタクシーを拾って、義妹宅に戻った。
 アラフエラはこの時期は乾季である。グアピレスではなかなか見られない星空がきれいである。
 ともかく、長い一日が終わった。明日の今頃は空港で帰国の便を待っていることだろう。

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コスタリカ再訪(212)近所のバー Bar Pipo's へ

2016-12-24 16:54:26 | コスタリカ
(承前)
 義妹宅に戻り、昼寝する。この日は長い。朝はグアピレスで義母の墓参り。先ほどは La Paz Waterfall Gardens を散策したので、だいぶ疲れが出ている。
 6時ごろ起きて、簡単な夕食をいただく。
 夕食後、近所のバーへビールを飲みに行こうと、義妹の旦那に誘われた。義妹夫婦と女房殿と4人で出かける。サンホセの市街地は今では治安が悪化し、夜出歩くものではないそうだが、アラフエラの郊外は大丈夫のようである。近所なので、歩いていった。徒歩数分のところである。
 バーには Bar Pipo's という看板が出ていた。義妹の旦那の行きつけの店のようである。
 bar はもともと英語で、日本語にもそのまま「バー」として入ってきた。スペイン語にも入り、「バル」と発音されるが、英語の bar とは意味が違っている。手元の辞書によると、スペイン語の bar は立ち食い、立ち飲みするところで、アルコールは出さないらしい。アルコールが出るのは café の方で、どうにも紛らわしい。    
 アラフエラ郊外の店は Bar を名乗っているが、これはスペイン式の bar ではない。照明も薄暗く、日本の「バー」の雰囲気である。そういえば、コスタリカではスペイン式の bar は見かけなかったような気がするが。
 Pipo's も英語式で、スペイン語なら de Pipo としなければならない。英語にした方がおしゃれな感じがするのだろうか。
 Pipo は店の主人の名前かニックネームだろうと思い、そのときはそのままにしておいたが、今回の記事を書くに際し、調べてみた。
 すると、pipo という言葉は2つあった。1つは「(キツツキ科の鳥)コアカゲラ」という意味である。
 
 【コアカゲラ】
 もう一つは「太鼓腹」、「満腹」、「子供」、「不正を働く従業員」、「密造酒」、「殴打」、「安酒」といういろいろな意味の言葉である。
 店主が太鼓腹なので、店の名前が Pipo's になったと考えるのが妥当なところだろうか。
 店に入る。
 空席はあるが、客もそこそこ入っている。ビールを飲むが、おつまみ(boquita)も出る。セビッチェ(ceviche、白身魚のレモン締め)が代表的なおつまみである。

【いろいろなタイプの ceviche があるが、コスタリカでよく目にするのはこのタイプ】
 コスタリカは公共の場所は禁煙であるが、バーも禁煙である。アルコールが入ると、タバコも吸いたくなる人間もいると思うが、やっぱりバーも禁煙である。日本なら、バーの禁煙はかなり抵抗があると思うのだが。
 バーのカウンターの方を見ると、面白いことが書いてあった。
 Hoy no se fía. Mañana sí.
「今日はつけ払いできません。明日は大丈夫」という意味だが、明日になれば、明日が今日になり、永遠に明日は来ないことになっている。つまり「つけお断り」ということである。
 もう一つは
 Prohibido Las Escenas Amorosas
直訳は「愛情深いシーン禁止」ということだが、「いちゃいちゃするな」ということである。これは商売女が客に媚を売るのを禁止する、ウチはそういう店ではないという意味かと思ったが、女房殿によると、そうではないとのこと。単にカップルが公衆の面前でいちゃつくのを禁止するというだけのことであった。
 ただ、Prohibido は後の名詞の性数に一致させて、Prohibidas となるのではないかと思うのだが、女房殿によると、これでいいのだ!そうである。 
 
 
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コスタリカ再訪(211)再び Fraijanes de Alajuela のレストランへ

2016-12-23 17:30:53 | コスタリカ
 Catarata La Paz をあとにして、アラフエラ方面へ戻る。もうお昼時である。Volcán Poás(ポアス火山)とアラフエラ市街地を結ぶ道の途中に Fraijanes de Alajuela(フライハネス・デ・アラフエラ)地区があり、レストランや土産物屋が並んでいる。観光客も立ち寄るのだろうが、休日にはアラフエラ在住の地元の人間もやってくるようである。この時期は天気もいいし、眺めもいいし、いい一日が過ごせそうである。
 さて、今回は前回入りそこなった Restaurante Freddo Fresas というレストランに入ることにした。この日は平日なので、すいている。この店は料理するのに薪を使うということであったが、それは昔のことで、今では使っていないらしい。
 
 看板の意味は「家で食べるのと同じような料理」ということだが、意訳すれば「おふくろの味」といったところだろうか。
 看板にイチゴの絵が書かれているが、このあたりはイチゴが特産品である。
 もう1時半になっている。このレストランのほうが前回のレストランよりは趣がある。前回の方はテーブルの間に仕切りがない大衆食堂的なものであったが、こちらの方はちゃんと仕切りがある。デートするにはこちらのほうがいいだろう。
 何を食べたか記録がないが、典型的なコスタリカ料理であることは間違いない。デザートの記録もないが、焼きバナナにチーズとイチゴソースをたっぷりかけたものであったことはちゃんと記憶に残っている。
 このデザートの名前は pecado というそうだが、意味は「(宗教上の)罪」や「悪魔」などとある。高カロリーのやばすぎるデザートなので、「悪魔」なのだろう。
 
 ちなみに、casado という料理もある。
 
 【ビフテキ(bistec)、ご飯(arroz)、フリホーレス(frijoles、豆)など】
 本来の意味は「結婚している、既婚者」の意味だが、「いっしょに食べ合わせるもの」という意味も手元の辞書に載っている。ということで、国によって組み合わせが異なることもある。詳しくは画像を参照されたい。エル・サルバドルで casado というと、コスタリカの gallo pinto (ガジョ・ピント、赤飯っぽいもの)のことになるらしい。
 さて、無事、食事を終え、アラフエラの義妹宅に着いたのは午後3時ごろだった。筆者一行を送ってくれた甥っ子はこれからグアピレスに戻るわけだが、今来た道を引き返して北の Puerto Viejo(プエルト・ビエホ、Old Port の意)経由で戻るとのこと。サンホセやエレディア経由が一般的なルートだが、道は込むし、おもしろみはなさそうである。距離はあるが、Puerto Viejo 経由のほうが楽しそうである。筆者も一度通ってみたいルートである。
 
 後日談だが、先ほどのレストランは筆者が帰国後、1年もしないうちに、店内のガスが漏れて爆発したそうである。爆発とはいっても、小規模で、火事にならずにすんだそうである。また幸いなことに死者やけが人も出なかったとのことである。今でも営業していそうである。
 

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コスタリカ再訪(210)La Paz Waterfall Gardens 散策

2016-12-22 20:14:24 | コスタリカ
 
 Catarata La Paz の入り口へ向かう。看板が出ていたが、La Paz Waterfall Gardens と英西ちゃんぽんである。
 ロッジ風の建物に入るとすぐ受付がある。右側にはみやげ物コーナーがある。受付で入場料金を払うわけだが、この日は忙しかったので、記録が残っていない。たぶんイラス火山やポアス火山などの国立公園と同様、コスタリカ居住者と外国人観光客とでは料金が違っていたと思う。当然、外国人観光客の方がずっと高額になる。料金を払うと、手首にテープを巻きつけられる。これが入場券の代わりというわけだろう。
 
 入り口から入るとすぐテラスに出る。すると上の写真のような風景が広がる。
  
 まずはトイレに行く。
 
 手洗いの水道は蛇口ではなく、上の写真のようになっている。Fraijanes(フライハネス)地区のレストランのトイレの水道と同じような方式である(「コスタリカ再訪(103)Fraijanes de Alajuela のレストランへ」、「コスタリカ再訪(104)レストランの洗面所とメイン・ディッシュ」参照)。
トイレを出て、テラスの左下のほうへ下りていく。すると、蝶のガーデン、鳥のガーデン等があって、身近に蝶や鳥が見られる。
 
 
 
 蝶や鳥を見たあと、遊歩道を通って、滝のほうへ行く。
   
 滝といえば、Río Celeste の滝へ行って、そのときのことは「コスタリカ再訪(138)行って天国、帰りは地獄の滝つぼ」に詳述したが、急な坂道の往復でバテバテになった。今回もそのつもりで覚悟していたが、何と足場の悪いところや急な坂には、工事現場に使われているよりももう少し立派な鉄製の手すりつき階段や足場が作られていて、安全に楽に降りることができた。
 だいぶ降りたところに滝が見えてきた。
 
 
 滝を過ぎれば、穏やかな流れに一変する。
 
 滝のところで写真を撮った。歩いて引き返さなければならないかと思ったが、道は一方通行で、すぐ出口になった。
出口のところにボンネット・バスが待ち構えているわけである。
 
 このバスはこのガーデンのもので、無料で駐車場のあるところまで連れて行ってくれる。歩いていけば2,30分かかりそうだが、数分で着いた。 
 そろそろ昼食の時間である。ガーデンを後にして、来た道を戻り、途中のレストランで昼食を摂ることにした。

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コスタリカ再訪(209)Catarata La Paz へ

2016-12-21 20:40:47 | コスタリカ

(承前)
 スーパーでコーヒーなどの土産を大量に買い込んだ。グアピレスを9時ごろ出たので、まだ昼前である。スーパーから義妹宅は来るまでものの数分である。時間があるので、この前行きそこなった Catarata La Paz (Peace Waterfall)に連れて行ってもらうことにした。
 
 アラフエラの町を出て、北へ向かう。Volcán Poás(ポアス火山)へ行く道で、まっすぐ行ってしまうと火山に行くので、途中から右へ分岐する。
 標高がだんだん高くなり、アラフエラの町がよく見える。中央高原は乾季の真っ最中でいつも晴天である。
 
 まだまだ先は長いが、このあたりで水か何かを仕入れたと思う。この道をさらにまっすぐ向こうに行くわけである。
 
 【ポアス火山が見える】
 
 【途中の牧場】
 途中の風景を楽しんでいると、あっという間に Catarata La Paz に着いた。前回は日曜日だったため、大混雑で、入場を諦めたのであるが、今回は平日なので、駐車場も十分スペースがある。ガラガラというわけではなく、いかにも欧米人風の観光客がいたが、中国人風の観光客もいくらかいた。  
 まずはそのホームページの写真を紹介する。
 
 
 
 
 【最後の写真はいかにもやらせっぽい】


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コスタリカ再訪(208)アラフエラのスーパーにて

2016-12-20 17:22:54 | コスタリカ
(承前)
 墓参りをすませて、義弟のパン屋に行く。記録が大雑把なので、パン屋が先で墓参りが後だったか、はっきりしない。
 それはともかく、パン屋の義弟には、いろいろと世話になった。パン屋には双子の義妹の片割れの息子が手伝いに来ていた。義弟のその甥っ子にも別れを告げる。
 いよいよ、アラフエラへ向かう。義妹宅で1泊して、翌日、コスタリカを後にする予定である。
 アラフエラに連れて行ってくれるのはパン屋の息子で、恋人をサンホセで下ろすので、サンホセの街中に入らなければならない。これまでは、サンホセの街中を避けて、エレディア(Heredia)経由でアラフエラに行っていたものだが。
 
 グアピレスからサンホセまではすいすい行けた。大雨が降っていたりすると、サンホセの手前の山道でがけ崩れが発生することがある。
 エレディアへ抜ける道を過ぎて、まっすぐ行くとサンホセ市街地の北の入り口にやってきた。このあたりも立体交差ができていたりして、だいぶ立派になっている。サンホセ市街地の北のはずれには昔、監獄があったらしい。現在はSala Kamakiri というスポーツかリクリエーション施設があるようだが、行ったことはない。
余談だが、1979年に通ったサンホセ市内のスペイン語学校の講師は日本語にも「カマキリ」という言葉があることを知っていた。
 
 上の写真はサンホセ市内ではなく Puriscal という小さな町にある Kamakiri という施設のものである。絵は「カマキリ」ではなく、「亀」だが、kamakiri という言葉は原住民の言葉で「亀」という意味なのだろうか。
 とにかく、このあたりが長距離バスのターミナルになっていて、パン屋の長男の恋人をこの辺で下ろした。
 いよいよアラフエラに向かうわけだが、サンホセの市街地は一方通行が多いので、抜けるのが一苦労である。やっとのことで市街地を抜け、幹線道路に出る。出てしまえば一本道だが、交通量が多くなっているので、昔のようにすいすいとは進まない。それでも市街地を走るよりはずっとましである。
 特に問題もなく、アラフエラの市街地に入った。市街地には南側から入り、北のほうへ抜ける。義妹宅の近くに Auto Mercado という大きなスーパーがあるので、立ち寄った。
 
 コーヒーや frijoles(フリホーレス、豆)などを買い込む。店内を見ていると、海苔があった。ひらがなで「のり」と書かれているので、てっきり日本のものかと思ったが、実は中国産である。パッケージをよく見てみると、漢字の字体がちょっと違う。日本人には読めない簡体字はなかったが、微妙に字体が違うので、日本人には違和感がある。しかしながら、一般のコスタリカ人にはわからないだろう。パッケージの裏にはちゃんと小さい字で Made in China と書かれていた。
 最近はコスタリカでも寿司が人気で、手巻き寿司を作る家庭も増えてきているようだ。実際、姪っ子の一人も作ったといっていた。
 ところで、コスタリカの携帯電話はプリペイド式で、残高がなくなったら、新たにチップを買ったり、チャージしたリスのだが、mini super では、チップ方式である。女房殿が買ったものはチャージ式なので、mini super ではできない。ICE の代理店でもできるが、このスーパーでもチャージができるのである。レジでやってくれるそうだが、現場を見逃してしまった。残念。
 

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コスタリカ再訪(207)義父の墓参りー2

2016-12-19 16:59:31 | コスタリカ
(承前)

 墓地に入るときには気にもしなかったのだが、帰りに気になったので、墓地の注意書きの写真を撮った。
 屋根がついているのは入り口付近だけである。
 墓地に入れる時間は次のとおり。
 月~金 午前8時から12時、午後1時から5時。
 土   午前8時から12時。
 一切の例外を認めない、ということである。
 悪いやつらが墓地に入って、クスリを使ったり、その他のワルさをするのを防ぐためであろう。
 義父の墓は入ってすぐ右のところにある。
  
 【自転車の反対側が墓の入り口で、そちらから遺体を入れる。他の墓も同様のつくりになっている。狭くて、写真がうまく撮影できなかった。】
 自転車が停めてある墓のすぐ左の奥側が義父の墓である。
 火葬ではなく、土葬が基本なので、墓がどうしても大きくなる。死者は増える一方なので、墓地は手狭になるばかりである。墓と墓の間隔がご覧のようにぎっちりである。
 
 【墓の横にネームプレートがある】
 墓は定員6名で、義父の墓には義父の他に義母の兄弟も入っている。義母の兄弟は通称 Tío Quincho (キンチョおじさん)だった。本名は Joaquín (ホアキン)だろうと想像していたが、やはり、ネームプレートに Joaquín と刻まれていた。キンチョおじさんは学習障碍だか何だかの障碍を持っていて、生涯独身であった。亡くなる前には現在義母が住んでいる家にやってきて、いっしょに住んでいた。筆者が寝室に使っていた離れに住んでいたのである。
 ということで、あと4人入れる。墓を家にたとえると、部屋が6つあるということになる。2階建てで上に3部屋、1階に3部屋というつくりである。空き部屋があと4つで、ひょっとしたら、筆者も1部屋いただけるかもしれない。
自転車が置いてある墓を例に取ると、部屋の入り口は自転車の反対側にある。棺を押し込むようにして入れるわけで、入れた後、漆喰で塗り固めるのであろう。墓と墓の間隔が狭いので、棺を押し込むのも一苦労ではなかろうか。空き部屋が4つあるが、入り口はすべて塞がれていた。
 ところで、義母が親戚でも何でもない知人に頼まれて、1人この墓に入れてやっていたことがある。ところが、9人の子供たちに相談もなく独断でやったものだから、大反対されて、結局出て行ってもらったという、日本では考えられない事件があった。
ちなみに、グアピレスのカトリックの葬儀の様子について一言する。プロテスタントなどの他宗派やその他の地域の様子は違うかもしれない。
 かつては、自宅から遺体を棺に入れて何人かで担いで教会まで歩いていったそうだ。かなり重いので、交代で担ぐ。教会でミサをあげてもらったあと、また同様に棺を交代で担いで、歩いて墓地まで行って埋葬するわけである。
 普段は邪魔な人や車がいると、車がクラクションを鳴らして、通すようにせっつくが、葬儀の行列だとわかると、おとなしく諦めて、クラクションも鳴らさずに行列の後をついていくのである。
 今も昔ながらのやり方で歩いていくのかどうか、女房殿もよくわからないそうである。義父の葬儀の日は雨が降っていたそうで、葬儀に参列できなかった女房殿はどうやって棺を運んだのかと、いぶかっていた。
 

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コスタリカ再訪(206)義父の墓参り

2016-12-18 16:25:11 | コスタリカ

1月8日(金)グアピレスはうす曇り
 6時起床。8時にパン屋の義弟の息子が筆者一行をアラフエラに送り届けるために、迎えに来てくれることになっている。かなり荒っぽい運転ではあるが、致し方ない。
 
 朝食は摂ったはずだが、記録がないので、いつものような朝食であろう。準備をしていると、何と時間ぴったりに甥っ子が恋人を連れてやってきた。こんなことは記憶にない。少々遅れてくるのが普通なのである。
 義母に別れを告げて、車に乗り込む。
 一度行かなければと思っていた義父の墓参りが帰国直前になって、やっと果たせた。11月末にグアピレスに来たとき、墓地(cementerio)の前を通ったが、そのときに女房殿が大声で亡き義母に向かって「来たよ」と叫んでいたものである。
 墓地の周りはフェンスで囲まれていて、ゲートには鉄製の扉が付けられている。夜間は閉鎖されるのである。
サンホセの市街地にある墓地(観光案内にも載っている)は古くからあるようで、立派な墓も多い。
 
 
 
【サンホセ市街地の墓地】
 それに対して、グアピレスのこの墓地は比較的新しい墓が多いような印象である。


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コスタリカ再訪(205)BLU のスマホ

2016-12-17 17:56:01 | コスタリカ
1月7日(木)うす曇り
 9時ごろ起床。この日が最後のグアピレスの日になる。
 パパイヤ、トルティージャ、、チーズにコーヒーで朝食。無為に過ごし、11時半に昼食準備。
 すき焼きもどきを作る。庭のグレープフルーツの木にリスがいた。
 12時半に昼食。3時過ぎまで昼寝と怠惰な時間。
 4時半ごろ、女房殿が近所の義妹宅へ義妹の旦那から借りていた Wi-Fi 機器を返しにいく。ずいぶんお世話になりました。
 その後、グアピレスの市街地へ出かけて、ICE(電信電話局のようなもの)へ、現在コスタリカで使っているスマホと同機種のもの(25000コロン、約5000円)を買いにいった。これはお土産に買って帰ってくれと頼まれていたものである。  
 BLU(イタリア語で「青」の意)というメーカー(アメリカ、マイアミ本社)のものだが、中国製である。
 
 確かに安い。日本に持って帰ったら、使えないかと思っていたが、それが使えるのである。普通の電話機能は使えないが、インターネットを介した通話 WhatsApp が使える。料金はどうなっているのか知らないが、コスタリカの携帯はプリペイド方式なので、もう切れているはずである。日本では支払った覚えはない。というわけで、女房殿はコスタリカの家族や友人と無料通話を楽しんでいた。過去形で書くわけは、現在、スマホのバッテリーがおかしくなって、使えないからである。
 日本の某大手電器屋に持っていったところ、この製品は日本では扱っていないとのことであった。コスタリカの親戚に連絡して、バッテリーを買って、送ってもらおうと思っている。
 それにしても、買って1年しか経っていないのに、バッテリーが悪くなるとは。さすが Made in PRC(この表記はコスタリカではお目にかからなかった)である。
 5時半ごろ、コーヒー。7時に残り物で夕食。バルサミコ酢を使った料理がスープに化けた。
 8時過ぎに、今回のコスタリカ滞在中、初めて停電になった。以前も時々、停電はあったが、そう頻繁にあったわけではない。真っ暗闇である。ただ、10分もすると復旧した。 
 いよいよ明日はアラフエラの義妹宅に行き、明後日の帰りの飛行機の便に備える。
 

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