昨日の捜し物、まず一つが見つかりました。ちょっと編集して下に貼り付けます。当時と住まいも勤務先も変わっていますが、興味の対象にブレがないのは、私の写真の腕前以上のものがあると思います。 け
機体の写真は1981年に撮影したもので、前方の視界が非常に悪いのがよくわかります。
“211とグスタフ”
生まれて初めてカレーライス地獄を経験した名古屋を離れ、〒211の土地に住みついて10年を越えた。職場も〒211であるのは避け難かったにせよ、住居については選択の余地は十分にあったのだが。職住接近も程度問題だと最近は感じている。
211といっても、1974年の春に同名の大型真空管を入手するまでは、またそれがアンプ゚の姿になって音を出すまでは、それほど気になる数字ではなかった。以来、32.5Wという電球顔負けの消費電力と明るさを持つタングステン・フィラメントの光の下で音楽三昧を続けるうちに、急速にこだわりが深まった。
BWV.211(コーヒーカンタータ、ブリューゲルの絵がジャケットになっていた)に始まり、廉価盤でFG211という番号のが、好運にもハスキルさんのMozartのピアノ協奏曲の20番だったり、「やっぱりおおかみ」なる、一部の人間の間では非常に有名な絵本が「こどものとも」のNo.211であったりしたため、逃れられない運命を感じた。 それでも、せいぜいK.211(Violin協奏曲の2番)は、番号の割には(?)それほどたいした曲でもないなと感想をもらす程度に留まっていた。
大きな変化は1979年の秋、初めてのアメリカ出張の折に起きた。週末をWashington D.C.で過ごして、スミソニアン博物館を訪ねた際に(永遠の科学少年として、世界最初のコンピュータENIACに、見覚えのある真空管を多数発見して喜んだりもした後で)航空宇宙博物館でC. リンドバーグが世界初の単独大西洋横断飛行に用いたSpirit of St. Louisを見てしまった。彼の奥さんの著書は愛読していたし、人並に「こんな小さな機体でよくも33時間も飛べたものだ」などと感じ入ったまではよかったのだが…。翼に書かれた登録番号に曰く、”N-X-211”
この辺からおおいにグスタフになるわけで、その後は機会あるごとにリンドバーグを追いかけた。何年かにわたって3回訪れたスミソニアンにある機体が本物で、映画撮影用などに復元されたモデルはデトロイト郊外のフォード博物館やご当地セントルイス空港のロビーなどに見つかった。機体を製作したライアンという小さな会社があった(今は大手資本に吸収されている)サンディエゴでは、空港の愛称がちゃんとリンドバーグ・フィールドとなっていて、空港内に彼の胸像も見かけた。 彼の手記を読んで、飛行中の食料としてサンドイッチを5きれしか積まずに飛び出したくだりにとても感激したりした。パリに行く機会はあっても、ギュスターフ・モロー美術館やオルセ美術館に時間と気をとられ、彼が着陸したルブルージェ空港にはまだ足をのばしていないのが、いくぶん後ろめたい気もする。
真空管アンプの一方の雄、伊藤喜多男さんは「現(うつつ)をぬかす」という表現、およびその実践が大好きな人で、最近もふと輸入したトランスに魅かれて真空管でスーパーラジオを今ごろ作った話をある雑誌に書いていた。 この人も大グスタフであることは間違いがない。 柴田翔へのなつかしさをこめて、全部ロクタル管で揃えた電池管式スーパーラジオを計画している当人としては、もっとこだわれる211を見つけたいとタイコでもたたきはじめかねない心境にある。勘の鋭い人は、銀行口座の暗唱番号も2110か0211なんだろうとお思いでしょう。残念ながら外れ、xxxxなどを愛用しております。
(原文を書いたのは1988年4月6日。暗証番号のみ伏せ字に改訂。)
機体の写真は1981年に撮影したもので、前方の視界が非常に悪いのがよくわかります。
“211とグスタフ”
生まれて初めてカレーライス地獄を経験した名古屋を離れ、〒211の土地に住みついて10年を越えた。職場も〒211であるのは避け難かったにせよ、住居については選択の余地は十分にあったのだが。職住接近も程度問題だと最近は感じている。
211といっても、1974年の春に同名の大型真空管を入手するまでは、またそれがアンプ゚の姿になって音を出すまでは、それほど気になる数字ではなかった。以来、32.5Wという電球顔負けの消費電力と明るさを持つタングステン・フィラメントの光の下で音楽三昧を続けるうちに、急速にこだわりが深まった。
BWV.211(コーヒーカンタータ、ブリューゲルの絵がジャケットになっていた)に始まり、廉価盤でFG211という番号のが、好運にもハスキルさんのMozartのピアノ協奏曲の20番だったり、「やっぱりおおかみ」なる、一部の人間の間では非常に有名な絵本が「こどものとも」のNo.211であったりしたため、逃れられない運命を感じた。 それでも、せいぜいK.211(Violin協奏曲の2番)は、番号の割には(?)それほどたいした曲でもないなと感想をもらす程度に留まっていた。
大きな変化は1979年の秋、初めてのアメリカ出張の折に起きた。週末をWashington D.C.で過ごして、スミソニアン博物館を訪ねた際に(永遠の科学少年として、世界最初のコンピュータENIACに、見覚えのある真空管を多数発見して喜んだりもした後で)航空宇宙博物館でC. リンドバーグが世界初の単独大西洋横断飛行に用いたSpirit of St. Louisを見てしまった。彼の奥さんの著書は愛読していたし、人並に「こんな小さな機体でよくも33時間も飛べたものだ」などと感じ入ったまではよかったのだが…。翼に書かれた登録番号に曰く、”N-X-211”
この辺からおおいにグスタフになるわけで、その後は機会あるごとにリンドバーグを追いかけた。何年かにわたって3回訪れたスミソニアンにある機体が本物で、映画撮影用などに復元されたモデルはデトロイト郊外のフォード博物館やご当地セントルイス空港のロビーなどに見つかった。機体を製作したライアンという小さな会社があった(今は大手資本に吸収されている)サンディエゴでは、空港の愛称がちゃんとリンドバーグ・フィールドとなっていて、空港内に彼の胸像も見かけた。 彼の手記を読んで、飛行中の食料としてサンドイッチを5きれしか積まずに飛び出したくだりにとても感激したりした。パリに行く機会はあっても、ギュスターフ・モロー美術館やオルセ美術館に時間と気をとられ、彼が着陸したルブルージェ空港にはまだ足をのばしていないのが、いくぶん後ろめたい気もする。
真空管アンプの一方の雄、伊藤喜多男さんは「現(うつつ)をぬかす」という表現、およびその実践が大好きな人で、最近もふと輸入したトランスに魅かれて真空管でスーパーラジオを今ごろ作った話をある雑誌に書いていた。 この人も大グスタフであることは間違いがない。 柴田翔へのなつかしさをこめて、全部ロクタル管で揃えた電池管式スーパーラジオを計画している当人としては、もっとこだわれる211を見つけたいとタイコでもたたきはじめかねない心境にある。勘の鋭い人は、銀行口座の暗唱番号も2110か0211なんだろうとお思いでしょう。残念ながら外れ、xxxxなどを愛用しております。
(原文を書いたのは1988年4月6日。暗証番号のみ伏せ字に改訂。)