立花隆著「天皇と東大」(上下巻)を読了した。「文藝春秋」に連載された原稿に修正を加えた1600㌻に及ぶノンフィクションで、「大日本帝国の滅びの道筋」が描かれていた。立花氏はアカデミズムとジャーナリズムの分水嶺に位置し、両者の優れた面を併せて提示できる稀有の存在である。
「朝まで生テレビ」などで、以下のような趣旨の発言を頻繁に耳にする。即ち<日本のファシズムは民衆の排外主義に根差し、メディアの煽りもあって広まった。軍部や政治家だけに戦争責任があったわけではない>……。
定説化しつつある上記の論調が全くの的外れであることを、本書は明確に示している。大正デモクラシーとマルキシズム支持の広がりに危惧を覚えた軍部、政治家、民間右翼が一体となり、<チーム>を形成した。彼らの思想的支柱になったのは戸水寛人、上杉慎吉、平泉澄、土方成美ら東大教授だった。
上杉は天皇神格化を目指しながら、精華を見ることなく他界した。元老の山形有朋や当時の原敬首相、平沼騏一郎検事総長(後の首相、赳夫氏の養父)らと親交が厚く、アナキズムの研究論文を発表した森戸辰男ら進歩派教授の排斥を主導した。憲法学の講義を独占するなど東大での地位も揺るぎなかったが、美濃部達吉の前に次第に影が薄くなる。上杉が後継者として期待を寄せたのは、岸信介(元首相、安倍首相の祖父)だった。北一輝に心酔していた岸は、上杉のファナティズムと距離を置き、大学には残らなかった。
「天皇機関説」について多くのページが割かれていた。本書では「天皇機関説」を、以下のように簡潔に説明している。<主権は国家そのものにあり、天皇はその代表者(機関)として、憲法の定める範囲で、決定の自由、行動の自由を持つにすぎない>(下巻152㌻)。美濃部は伊藤博文以降、政官界、法曹界で主流になっていた解釈を体系化したが、1935年に入るや<チーム>が刃を剥き、凄まじい攻撃にさらされる。<チーム>の一員として2年前(33年)、滝川幸辰事件でマッチポンプ役を演じた宮沢裕代議士は、喜一元首相の父である。タカがハトを生んだということらしい。
「天皇主権説」を強硬に主張した軍部はその実、筋金入りの「機関説」論者であり、天皇の意思を無視して中国侵略を推し進める。天皇親政を視野に入れたテロで「君側の奸」として命を奪われたのは、天皇の信望厚い重臣たちだった。「天皇主権説」を煽った保守派は敗戦後、たちまち「機関説」論者に転向し、天皇の戦争責任を否定した。「天皇機関説」はかくのごとく、様々なパラドックスに満ちている。
学生運動の曙、河上肇と共産党、法曹界における左翼シンパの存在、経済学部の内紛と平賀粛学、河合栄治郎という巨人の実像など、立花氏の筆力により、本書はエンターテインメントの域にも達している。とりわけエキサイティングだったのは若きテロリスト群像だった。右翼青年たちは弾圧に屈しないマルキストにも、「憂国の同志」としてのシンパシーを抱いていた。
<一つの国が滅びの道を突っ走りはじめるときというのは(中略)とめどなく空虚な空さわぎがつづき、社会が一大転機にさしかかっているのに、ほとんどの人が時代がどのように展開しつつあるのか見ようとしない>(下巻173P)。立花氏は「天皇機関説」で混乱した時期を<社会をおおうひどい知力の衰弱>と分析し、現在と重ねていた。
本書の全容を拙ブログで紹介するのは、当人の実力からして無理がある。日本の近現代政治思想史に関心のある方には一読を勧めたい。後日<ニ・二六事件>をテーマにする際、本書を再度取り上げるつもりでいる。
「朝まで生テレビ」などで、以下のような趣旨の発言を頻繁に耳にする。即ち<日本のファシズムは民衆の排外主義に根差し、メディアの煽りもあって広まった。軍部や政治家だけに戦争責任があったわけではない>……。
定説化しつつある上記の論調が全くの的外れであることを、本書は明確に示している。大正デモクラシーとマルキシズム支持の広がりに危惧を覚えた軍部、政治家、民間右翼が一体となり、<チーム>を形成した。彼らの思想的支柱になったのは戸水寛人、上杉慎吉、平泉澄、土方成美ら東大教授だった。
上杉は天皇神格化を目指しながら、精華を見ることなく他界した。元老の山形有朋や当時の原敬首相、平沼騏一郎検事総長(後の首相、赳夫氏の養父)らと親交が厚く、アナキズムの研究論文を発表した森戸辰男ら進歩派教授の排斥を主導した。憲法学の講義を独占するなど東大での地位も揺るぎなかったが、美濃部達吉の前に次第に影が薄くなる。上杉が後継者として期待を寄せたのは、岸信介(元首相、安倍首相の祖父)だった。北一輝に心酔していた岸は、上杉のファナティズムと距離を置き、大学には残らなかった。
「天皇機関説」について多くのページが割かれていた。本書では「天皇機関説」を、以下のように簡潔に説明している。<主権は国家そのものにあり、天皇はその代表者(機関)として、憲法の定める範囲で、決定の自由、行動の自由を持つにすぎない>(下巻152㌻)。美濃部は伊藤博文以降、政官界、法曹界で主流になっていた解釈を体系化したが、1935年に入るや<チーム>が刃を剥き、凄まじい攻撃にさらされる。<チーム>の一員として2年前(33年)、滝川幸辰事件でマッチポンプ役を演じた宮沢裕代議士は、喜一元首相の父である。タカがハトを生んだということらしい。
「天皇主権説」を強硬に主張した軍部はその実、筋金入りの「機関説」論者であり、天皇の意思を無視して中国侵略を推し進める。天皇親政を視野に入れたテロで「君側の奸」として命を奪われたのは、天皇の信望厚い重臣たちだった。「天皇主権説」を煽った保守派は敗戦後、たちまち「機関説」論者に転向し、天皇の戦争責任を否定した。「天皇機関説」はかくのごとく、様々なパラドックスに満ちている。
学生運動の曙、河上肇と共産党、法曹界における左翼シンパの存在、経済学部の内紛と平賀粛学、河合栄治郎という巨人の実像など、立花氏の筆力により、本書はエンターテインメントの域にも達している。とりわけエキサイティングだったのは若きテロリスト群像だった。右翼青年たちは弾圧に屈しないマルキストにも、「憂国の同志」としてのシンパシーを抱いていた。
<一つの国が滅びの道を突っ走りはじめるときというのは(中略)とめどなく空虚な空さわぎがつづき、社会が一大転機にさしかかっているのに、ほとんどの人が時代がどのように展開しつつあるのか見ようとしない>(下巻173P)。立花氏は「天皇機関説」で混乱した時期を<社会をおおうひどい知力の衰弱>と分析し、現在と重ねていた。
本書の全容を拙ブログで紹介するのは、当人の実力からして無理がある。日本の近現代政治思想史に関心のある方には一読を勧めたい。後日<ニ・二六事件>をテーマにする際、本書を再度取り上げるつもりでいる。
今ツンドク書が沢山あるので、時間はかかると思います。
解説・紹介されてる「天皇と東大」は、今の日本の急速に右翼化軍国化してる動きを違う側面から捉えなおすのに、とても参考になるだろうと感じました。
「軍部や政治家だけに戦争責任があったわけではない」という論理は、敗戦の責任者(戦争犯罪の意味は無い)が責任を負いたがらなかったことにあると思う。それが、「一億総懺悔」に現れ、結果的に戦後自虐史観を国民に注入した。その責任をGHQに転嫁した、と私は考えています。その証左が、戦後、一部旧軍人が、戦争の検証を試みたが、それを妨害したのも旧軍人であり、面子・名誉であった。海軍と陸軍の責任転嫁合戦でも面子へのこだわりが見られる。A級戦犯の名誉回復がなされたこともその一環だろう。
戸水寛人は、日露戦争扇動を行った「七博士建白書」で有名です。これは、桂内閣が仕掛けたもので、大衆の狂気の暴走につながった。その後の日比谷騒擾に、政府とパイプのある内田良平達が関与していた、と聞く。暗躍しすぎです。
ニ・ニ六事件から七十余年。北一輝と青年将校が同じものを見ていたとは思えない。別のグループは天皇退位⇒秩父宮即位を画策していたという説もある。別の本も読み、少しずつ真実に近づきたいと思います。