団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

絵画

2017年08月09日 | Weblog

①    フィールド オブ ハピネス 旧ユーゴスラビア タピ

②    チューリップ イタリア

③    野菜  長野県上田市 神林欣也

①    家に飾っている絵画は、4枚ある。投資目的でも資産としてでもない。好きだから飾っている。我が家になくてはならない家庭の一部になって溶け込んでいる。

妻は、ユーゴスラビアのベオグラードのホテル内の売店で初めてタピの絵を見た。タピはすでにアメリカに拠点を移していた。知人がアメリカからたまたま帰国していたタピの家に妻を連れて行ってくれた。私はその時、残念なことにベオグラードを離れていた。アトリエには、タピの絵が美術館のように展示されていたという。タピ本人に案内されてオリジナルの絵を見た。どれも街中で売られているシルクスクリーン印刷や複製の数万円のコピーと違って何百万円級の本物だった。タピという画家に直接会えた妻は、ますますタピの絵に関心を持つようになった。そしてついにタピの『Field Of Happiness』(フィールド オブ ハピネス:写真参照)の複製画を購入した。この絵画は、後に私に大きな影響を与えた。

妻の旧ユーゴスラビアからの転勤先は、チュニジアだった。そこで私は糖尿病による合併症の狭心症だと診断された。急きょ日本へ帰国して心臓バイパス手術を受けることになった。心臓バイパス手術は、人工心肺を使って8時間に及ぶものだった。麻酔がかけられた私はタピの『フィールド オブ ハピネス』の世界に漂った。整然と植えられたオリーブ畑、オリーブの木々の下には、黄色い花が咲き乱れていた。人も動物も蝶も虫もいなかった。音もニオイもなかった。不思議な世界だった。でも私はとても穏やかで平和な気持ちだった。手術室に入る時、妻と二人の子どもが私のストレッチの周りを囲んでそれぞれが順に手を握ってくれた。私はこれでよかったのだと自分に言い聞かせた。手術が終わって再会した家族に私は、きちんと喋ったと言うが、私は次の朝目を覚ますまで全く記憶がなかった。ただ手術中、フィールド オブ ハピネスの世界にいた事だけは覚えていた。あれから16年経った。タピの『フィールド オブ ハピネス』は、家の壁に飾られている。

②    イタリアのミラノ画廊で不思議な絵を見た。チューリップ畑に無数のチューリップが咲いている。背景が青い空と緑の森。その森とチューリップ畑の境に白い小さなグランドピアノが2台。空と森とピアノは平面に描かれているが、チューリップは絵具が盛り上げられている。立体感を出すためだろうが離れてみると、臨場感がある。とても気に入った。値段は20万円だった。買ってしまった。でも年月が経つたびに買って良かったと思う。

③    神林欣也さんは、ふつうの人で画家ではない。数少ない私たち夫婦の理解者だった。私たちが上田に休暇で戻って任地国に戻る時、食べきれなかった野菜を彼は家に持ち帰ってくれた。その野菜の絵を習い始めた油絵に描いてくれた。それから間もなく彼は参加したマラソン大会で心臓発作を起こして急死した。私は彼の絵を台所の壁の高い所に飾っている。大切な絵である。

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