「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

除夜の鐘異聞

2007年12月31日 | 塵界茫々
 たまたま目に触れた新聞の記事です。長崎の町では、除夜の鐘を騒音として苦情が寄せられるようになっているということでした。
 すり鉢状の長崎の地形は、天然の音楽堂で、音響効果がよく、除夜の鐘につづいて、各教会が新年のミサに鳴らす鐘、そして、港に停泊する船の汽笛が鳴り響くのは、いかにも異国情緒の長崎にふさわしい風物詩だったと思うのですが。
 記事によると、23の教会のうち、元日のミサの鐘を鳴らすのは3教会だけで、あとは自粛なのだそうです。
 お寺も同様で除夜の鐘が撞かれるのはかつての四分の一以下になっているようです。そういえば、最近では、撞き手がなくなった寺では、機械仕掛けで自動で鐘が鳴る装置の寺もあるとか。

 キリシタン大名大村純忠ゆかりの地に建つ中町教会は、15殉教者に捧げられ由緒ある教会ですが、いまではマンションとビルの中に埋もれたようになっています。居住する人たちには「うるさい」と苦情を述べたくなるのも解らないではありませんが、せめて除夜の一夜、鐘の音に包まれて、カウントダウンの騒音とは異なる、行く年の名残を惜しんでもいいように思うのはよそ者の勝手でしょうか。
 見出しに曰く「除夜の鐘 騒音苦情の響きあり」 朝日新聞夕刊


  風雲易向人前暮。歳月難従老底還  和漢朗詠集 良岑春道
 風雲は人の前に向かひて暮れやすく、歳月は老いの底より還しがたし。
 過ぎてゆく年の名残の日には、誰しもが抱く感慨ですが、齢を重ねると、その歳月の還しがたいことがひとしおの感で身に迫ることです。

 忘年や身ほとりのものすべて塵   桂 信子
“すべて”とまでは思い切れないまでも、それに極めて近く、意味を持つものが年々減ってゆきます。

今年の除夜の鐘はどのように届くことでしょうか。遠く、近くの寺の鐘をしみじみと心に響く郷愁の音として聴く幸せを感謝して今年を送ることにします。

 この一年のあいだ、お付き合いくださった皆様にこころよりお礼申し上げます。皆様に訪れる新しい歳が、健やかに、平安をもたらすよき年でありますようお祈りします。



歳末の家事

2007年12月29日 | 塵界茫々
 11月の半ばから始めていた12枚の雪見障子の張替えがやっと昨日終わりました。
 今年は頼まずに自分でやると夫が言い張って、取り掛かりはしたものの、早かったのは材料の調達だけでした。
 今日は寒いから。今日は気がのらないから、また今度。と気まぐれです。遅々として捗らないのですが、ここが辛抱のしどころと我慢していました。
 糊の加減から、紙の裁ちよう、貼り方の手順と、幼い日からやっていたのだからと、講釈は多いのですが、仕事の出来上がりは、美しく貼れたとは言いがたい出来です。
 もともと器用ですから、素人の仕事ならこんなものだろうというレベルです。霧吹きをかけると、たるみも張って、まずは満足して、年越しの準備の大仕事の一つが終了です。
  
 長いしきたりで29日は外回りのすす払いをして、30日早朝に〆飾りをつけます。
なにも歳末に固めてやらなくてもよいものなのにとは、毎年繰り返す反省ながら、計画を立てて片付けてゆくのは、一年の締めくくりの意味が大きいのだと思います。

 何もかもが一度に押し寄せる歳末にわざわざ調子を合わせて、あちこちとつつき回すことはいかにも不合理なのですが、古い日用品を思い切って処分するにはある種の「はずみ」がいります。物惜しみを笑われる私でも、暮れには捨てる気になるのが正月のありがたさです。

 子供のころ、下着から、はきものに至るまでお正月にはすべてが真新しくなる心弾みを喜んだものでした。今でも、台所の布巾や菜ばしといったものが新しくなると、ささやかな豊かさを味わえます。トイレのタオルをはじめ、家のあちこちに新しいものが目に付くのは気持ちがいいものです。古くなったものを取り替えるのに、正月まで待ってとつい思ってしまうのは、もう私たちの世代までなのでしょうか。
 
 暮れのご挨拶のお歳暮が、中旬で一段落すると、大掃除という最大の行事がありますが、これは理屈抜きで、精神的な意味のほうが大きいような気がします。

 この3年は、餅つきもしなくなっています。夫の妹が搗きたてを届けてくれるので間に合います。あとはお節つくりだけです。これも、大家族だったときに比べると手抜きで、品数も、量も減る一方で、重箱も三段だけですみます。それでもしきたりのものは自分に課して準備するつもりです。

 すべての段取りがのろ間になっているのが情けなく、しかも、そののろ間を仕方がない、こんなものかと、どこか諦めているのがわれながら“あはれ”で哀しいことです。


和敬静寂のぽち袋




冬の月

2007年12月26日 | 季節のうつろい
 所用あって夕刻から出かけるのに、お酒が予想されたので、車は置いて行きました。
 久しぶりに夜の道を駅から歩いて帰宅するとき、心地よく引き締まった空気の中、冴えわたった空高くに輝く冬の月を見ました。望月ではないまでも、立待ち月でほぼまん丸。平安朝の感覚では「すさまじきもの」とされて好まれることがなかった師走の月ですが、秋の月とは異なり、白々とした光は冷たく素っ気ない姿で、天心に凄然と輝いていました。

 この木戸や錠のさされて冬の月 其角
 雪よりは寒し白髪に冬の月   丈艸
  古人は多くの句や歌を残しています。和歌は数が少ないようですが、やはり、その中では、岸辺から次第に氷結してゆく湖水の彼方に昇る月を詠んだ
志賀の浦や遠ざかりゆく浪間より氷りて出づる有明の月  藤原家隆朝臣の歌でしょう。 


 和漢朗詠集以来行われてきた、和歌と漢詩の一節を組み合わせて番にする手法は面白くて、試みてみたいと願っても、その知識の持ち合わせがないので、時折、先人の句に絵を配してみたり、逆に、勝手に自分の感興に任せて描いた絵に、句や歌を借りることもあります。片付けをしていて出てきた古い作品です。
 こうして手が止まって、廃棄を躊躇うのでいつまでも片付かないことです。



細見美術館の雪佳展

2007年12月21日 | みやびの世界

 神坂雪佳の展覧会が開催されていることを、雪月花さんに教えていただいていましたが、なんとなく、腰が上がらずに日を過ごしてしまいました。(会期は9月22日から12月16日と長期でした。)

 奈良の妹に、京都に出かける折、細見美術館に寄って、雪佳の図録があれば送って欲しいと、わがままな頼みごとをしていました。
 会期も終わり近くの14日に、「みやこめっせ」で開催の京料理展示大会に併せて行ってくれました。毎年、京の有名料亭の料理作品が一堂に集められる豪華な催しで、特設のお食事処や、京野菜の買い物もできるのだそうで、楽しみにして出かけているようです。

 昨日、今年59回の正倉院展の図録と一緒に「琳派を愉しむ 細見コレクションの名品を通して」と題した図録が届けられました。これは開館以来のシリーズ、琳派の展覧会の総括といったもので、光悦から雪佳に至るまでの、本流の琳派作家の作品を豊富な館蔵品を使って、流れで示したガイドブック風の図録です。初めて目にする作家や、作品の豪華を愉しんでいます。
 神坂雪佳展には、図録は作られていなかったようでした。

 「雪佳の魅力―近代琳派の誕生―」と題した出品リストをみて、どうして出かけるのを躊躇ったのかと、後悔しました。細見のコレクションを中心に、個人所蔵の30点余を含めて95点もの作品が出ていました。
 細見コレクションの雪佳は有名ですが、京都国立近代美術館、京都市美術館の所蔵品などもふくまれています。清水六兵衛の陶器のための下絵図案をはじめとしたデザインは、漆工芸、染織、家具に至るまでの多様な活動が網羅されています。

 「百々世草」を通してしか知らない雪佳ですが、京の琳派を手本に日本の装飾芸術に鮮やかな色遣いと、大胆なデザインを持ち込んで、近代の琳派と称された多方面の活躍がリストから窺われます。「蝶千種」に森英恵の原点をみたと妹も感想をのべていました。

 雪佳展のチラシの解説文の最後に
「光琳を「趣味の革命者」と捉え、その姿勢に共感した雪佳、一人の画家として展覧会等での評価を得ることよりも、自分の好きなもの、美しいもので身の回りを飾ることを大切にしていました。そうした雪佳の姿は芸術をことさら高尚なものとして見るのではなく、日常的な美の世界を楽しむことを私たちに教えてくれているように思えてなりません。それこそが雪佳のめざした美の世界といえるでしょう。」
と学芸員 福井麻純さんは結んでおられます。



神坂雪佳展チラシより



図録 琳派を愉しむ 表紙

自転車漕ぎ

2007年12月17日 | 塵界茫々
 屋内用の自転車を購入しました。昨年秋、ジム通いを止めて以来一年間の運動不足がたたり、立ち居に足腰の痛みを感じるようになっていました。
 左膝は前から具合が悪いのですが、体重の増加と、自慢の筋力が衰えたのが原因です。
 先日の血液検査の結果、やはり、コレステロール値が高くなっていて、薬の処方がありました。その折、ジムに行けないなら、腰に負担が少ない据え置きの自転車を自宅で漕ぐのがいいのではありませんかと薦められました。
 今日届いたエアロバイクは、ジムの頑丈なものとは違いますが、それでも速度、距離、時間、心拍数、消費カロリーがデジタル表示されます。
 庭の樹木を眺めながら、片付けねばならない仕事のあれこれの段取りを思い描きつつ、漕いでいます。
 さて、何時まで続きますか。本日2日目は5,0の速度で25分、徐々に距離と時間を増やしてゆくつもりです。
 なんとか人の手を煩わさなくて暮らす時間を延ばさねばなりませんので、ささやかな努力です。

 紅葉はすべて葉を落として、寒々とした姿になっています。山茶花も店じまいをはじめて、一面の狼藉です。
 気の早い日向の水仙がもう花を付けているのに目が留まりました。そのつもりで眺めると、蝋梅にも花芽が膨らみ始めています。

あと十日あまりで今年も終わります。なんとか無事にこぎつけたというのが実感です。


和えもの

2007年12月14日 | 塵界茫々
 日本料理の“あえる”という伝統的な調理法は、かなりのバラエティーをもっています。
 白和え、胡麻和え、芥子和え、酢味噌和え、木の芽和え、といった代表的なもののほか、雲丹や、イカ墨、梅肉、たらこ、納豆、若い人はマヨネーズなども和えごろもに用いています。

 ほんのり狐色にふっくらと炒りあがった胡麻を当たりながら、ふと思い出しました。
 若いころ、この和えものが、どうしても母のこしらえるもののようにいかないので、何でだろうと考えたことを覚えています。

 調理法が単純であればあるほど、素材の新鮮さがものをいいます。まして、和えものは、野菜や魚介が相手ですからなおさらです。しかし、具材の鮮度の問題ではありませんでした。和えものは具材の食感と和えごろもの風味を食すものです。
 観察して気づいたのは、和えるタイミングにありました。
 時間が経つと調味料が中までしみこんで、味がぼやけてくるのです。当然食感が変わります。塩を加えている生野菜の場合だと、どんどん水分を滲出させて、しゃきしゃきの食感も、和えごろもの風味も薄れてゆくという寸法だったのです。

 つまり、食べる直前に和えるというのが肝心だったわけです。相手の顔をみての、配慮が料理の決め手だったというわけです。
 料理の手順で、手があいているからと、早々に拵えておくものではなかった次第でした。「和して同ぜず」調和させても、均一に混ぜ合わせてしまうものではなかったのです。

 中華料理の「拌」banとは異なり、「あえる」というやわらかな響きも、「和」という文字も、なかなかに味がある日本語ではあります。


季節の置き土産

2007年12月12日 | 季節のうつろい
 剪定の後片づけをしていて、拾い集めた零余子です。
 大きくなり損ねた粒や、太りすぎの粒もあり、不揃いが季節の終わりを告げています。まだ実を付けていた零余子をいとしんで、おおきなのは塩茹でで、酒の肴に、中くらいのを零余子飯にして後は土に返すことにしました。

 葉や枝を払われた樹木を吹き抜ける風に師走の季節を実感します。どうやら、私の師走の季節感は庭木の選定が終わったところから始まるようです。

 先日の萩行きの折の、絵による印象スナップも留めることにします。
 日ごろの怠慢から、家事が多忙となり、週3回の目標は、2回のペースになっています。そのうえ、師走のブログは手抜きブログになってしまいます。
 





乾山の器

2007年12月09日 | 絵とやきもの

 先週NHKの日曜美術館では、「乾山の芸術と光琳」(東京出光美術館・12月16日まで)を取り上げていました。
 乾山(ケンザン)の評価が最近、より大きく揚がってきているのは、乾山好きにはうれしいことです。
 ”目で味わう懐石料理の精髄をあらわす器としての元祖”、と紹介されていました。

 雁金屋(かりがねや)という、上流社会それも天皇家や将軍家御用達の呉服商といった家に生まれ、最先端の流行に日常的に接する中で自然に身に付いた、洗練された審美眼と、教養です。
 兄光琳の思いっきりのいい派手な性格とは逆に、乾山は内省的な性格で、深省の名乗りが示すように、多くの書物に親しんで、幅広い教養を育んでいったようです。
 豊かな財力が、すぐれた参照品を手元に置くことを可能にし、目指した陶工たちを工房に招くことで、多様な様式を自在に工夫することもできたと思います。
 一つには元禄時代という、町人が文化をリードした爛熟の時代背景が生み出した斬新な形であり、色絵でもあったと考えます。
 それは、今回の立命館大学考古学教室がおこなった鳴滝・乾山焼窯跡の発掘調査の陶片の示す多様からも充分に窺えます。
 何よりも形の独創性が目を惹きます。今までになかった、花や、葉の形を取り入れ、見た目にも愉しめる造形の装飾性は、王朝趣味の文学性も併せて、新しい京焼きを模索したものでしょう。

 この乾山の器がまずあって、「美し(うまし・うるはし)乾山 四季彩采」が先年の料理本世界コンクール(グルマン・ワールド・クックブック・アワード写真部門)での最優秀賞受賞となったのだと思います。
 供される料理を目でも賞味し、食べおわった後の器がまた話題を提供する交流の場の”遊び”を考慮したゆとりが、器から作品へ昇華します。

十二ヶ月和歌花鳥図なども、表の花鳥に、裏返したときの和歌と、意外性は話題を誘ったことは充分想像されます。絵画でのモチーフを陶器に持ち込み、絵画ではなしえない裏をも利用するのは、京の町衆の心意気からでしょう。

 現代の科学は、低温の素焼きの上に絵を描き、その上から釉薬をかける釉下色絵の仕組みを、実験で見せていました。低温度での焼成の素焼きが絵の具を吸うため、たらし込みもきれいに出ていました。

 乾山好きだからとプレゼントしてくださった図録を丹念にたどりながら、今回の展覧会の準備の周到と、初めて目にする発掘の陶片などから、あらためて試作された技法の多様に驚きます。

 出光は、福岡県が出自のはずですが、こうした規模での展覧会が九州で催されないのを残念に思っています。




画像上 銹絵染付金銀白彩松波文蓋物 重文
粗い陶土の焼きしめ。デザイン化した松がモダン。土味が砂浜を思わせます。
半筒形碗 23,4×23,8
  
    中 銹絵染付梅図茶碗
伸びやかに引かれた幹の線と、たっぷりした梅の花のたらしこみ、琳派らしい好きな絵柄です。     7,8×10,2

下 銹絵百合形向付
ざっくりした、柔らか味が感じられます。花弁の重なりにかすかに段差が見られます。    有名な図柄で、後世多くの陶工たちの本歌になっています

長々し夜を

2007年12月05日 | みやびの世界












あしひきの山鳥の尾のしだり尾のなが長々し夜をひとりかも寝む

 
 百人一首で柿本人麻呂の歌として採られている有名な歌です。
 (出典は拾遺集、万葉集ではよみびとしらず)
 恋人を待つ秋の夜長の、さびしさ、やるせない情感が、「の」を繰り返しながら引きずってゆく長い序詞で、いかにも眠れぬ夜の長さを感じさせ、切ない共感をよびます。

 目にすることもない野鳥の映像を、折に触れてお寄せくださる方から、今回はこの”山鳥”の映像が配信されました。
 「秋の夜長をいかがお過ごしですか」と記されています。数の減少も案じておられました。

 この写真の山鳥をカメラに収めるために、まだ薄暗い早朝、3日間、狙いを付けた場所に出かけられたようです。箕面山麓で、重い機材を運びこんで、望遠で狙う待ちの時間は、まさしく「長々し」でしょう。それだけに撮影の瞬間の興奮と感動がこちらにも伝わります。感謝して映像のおすそ分けです。

画家としての蕪村

2007年12月03日 | みやびの世界


 教科書に出ていた蕪村の句は、「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」と「月天心貧しき町を通りけり」に並んで、「愁いつつ岡にのぼれば花いばら」の、若い詩人と錯覚しそうな句でした。
 ここからの手探りでたどり着いたのが、岩波文庫の萩原朔太郎の「郷愁の詩人 与謝蕪村」でした。
 もう、遠い昔のことで、何が書かれていたのか、細かな記憶はありませんが、 「北壽老仙をいたむ」の自由詩に対して、「この詩の作者の名前をかくして、明治年代の若い新体詩人の作だといっても、誰も怪しまないだろう」といったようなことが書かれていて、先の”愁いつつ”の句の位置もわかったことと、蕪村の詩情の本質は郷愁にある。といったことが説かれていた事くらいを記憶します。
「春風馬堤曲」も多分この書物で知ったように思いますが、そのころは、彼が南画をよくする文人などということは、いささかも意に介することなく、ただもう、王朝趣味の情緒あふれる句を、物憂げに謳いあげるという、その一点に惹かれていました。

春雨や同車の君のささめごと        
妹が垣さみせん草の花咲きぬ
指貫を足でぬぐ夜や朧月

白梅やたが昔より垣のそと
春雨や重たき琵琶の抱きごころ
公達に狐化けたり宵の春

 いまでも、いくらでもこの類の句は口をついて出てきます。
ところで、蕪村は教科書ではもっぱら天明期を代表する俳人として紹介されていますが、画家としてもそれと同じくらい持て囃された存在だったのではないでしょうか。
いうならば、「句もよくする画家」 といったところで、今の私は理解しています。蕪村の句は絵になる句が多いのです。詩情を表現するのが絵か、句か、または自由詩かという手段の相違だけのように思うのは極端でしょうか。

 彼の最高傑作とされる「夜色楼台雪萬家図」には、冷たい雪を温かく懐かしいものに感じさせるものがあります。静けさの中にも動くものを思わせるのは、かすかに点じた代赭色のあかりからくるのでしょうか。冬の詩情のなかに「うづみ火やわがかくれ家も雪の中」と冬篭りする蕪村がいます。

 三好達治の有名な、「太郎をねむらせ 太郎の家に雪ふりつむ 次郎をねむらせ 次郎の家に雪ふりつむ」の、二行詩がこの絵からの発想となったのにも頷けます。彼の絵には詩があり、詩は絵に通うのを切に感じます。

 「鳶鴉図」も好きな絵です。特に双幅のうちの鴉、二羽が雪の中に身を寄せて羽を休める姿、その重心のリアリティーの描写は、すばらしいの一語に尽きます。紙の、白地に塗り残された雪の表現の技は、リズムをよび、動かないもののなかに、かすかな気配で静かに動くものを見事に表現しています。
 荒れる嵐の中の枝に止まる鳶、太い幹に止まる鴉、動いて止まぬものと、動かないものがバランスを取って二つに配された背後には星野鈴氏指摘のように、「鳶の羽もかいつくろいぬ初時雨 去来」「日ころ憎き烏も雪の旦かな はせを」の取り合わせが覗いています。

 他にも、「蘭石図屏風」の風になびく動き、小襖に描いた「狗子」の愛らしさなど、のびのびとして、見るものにほのぼのとした思いを与える作品に、興はつきません。私にとっての蕪村は理想の画家としての存在です。