「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

華麗な丹青

2006年03月30日 | みやびの世界
 

               画像は講義のレジメより引用

 今回の韓国では、丹青(タンチョン)の美しさに出会った旅でもありました。
 日本にあっては正直、いささかの反撥というか、違和感を持って、異国のもので、日本人には所詮なじめない異質な存在と思っていました。
 ところが、華やかさの中にも抑制された美しさを持つ丹青を、韓国の風土の中では素直に、あらためて美しいと感じることができました。

 お寺の祠堂(サダン)を華やかに彩り、そこが異空間であるであることを告げています。色で聖なる空間であることを示し、その権威性さえも感じさせました。

 丹青は五彩ともよばれる青・赤・黄・白・黒の五色で、青は東(木)、赤は南(火)、黄は中央(土)、白は西(金)、黒は北(水)をあらわす五方・五行に関わるもので、中国から伝来した僻邪進慶の色なのだそうです。
 そういえば、あの能舞台の、橋掛かりへの揚幕に用いられているのもこの五彩だし、端午の節句の鯉幟の吹流しの色でもあります。七夕の短冊、寺院のはれの日の幔幕も。「青丹よし奈良」の都もかつては多くの五彩がみられたのでしょう。
「韓民族にとっての丹青の五色は、寿福招来の、幸せをもたらすシンボルカラーである」と、専門にしているメンバーの方に伺いました。

画像は佛国寺仏殿の枓栱や垂木、梁、桁に施された五彩の装飾



佛国寺

2006年03月29日 | 旅の足あと
 
佛国寺 (ブルグクサ・ぶっこくじ)
 ユネスコの世界遺産に登録されていて、石窟庵とともに慶州のシンボル的な存在です。「屋根のない博物館」と人々が呼ぶように、国宝に指定されている遺物も多数です。
 
 新羅時代の751年に創設された吐含山(745m)の中腹にある古刹です。1593年の壬辰倭乱で、死を賭して戦った僧兵の気勢に押され、敗走する加藤清正軍の焼き討ちで、木造建築物のほとんどが焼失しました。

 その後、何度かの再建で、200余棟、総間数2000余あった創建当時の規模からは10分のⅠ程度だそうですが、復元され、大伽藍となっていて、当時の威容が偲ばれます。
 入口の一柱門をくぐり、庭園を進むと天王門があり、この門内には極彩色の四天王が立っています。さらに進むと上掲の紫霞門が正面に見えて、伽藍の前に出ます。その奥に大雄殿、無説殿、極楽殿、毘廬殿などが配置されています。
 極楽殿の金銅阿弥陀如来像、毘廬殿の毘廬遮那仏は共に国宝で、新羅時代の三大金銅仏と呼ばれています。当然ながら、仏像は撮影禁止です。

国宝の青雲橋(上)と白雲橋(下)登りつめたところが紫霞門で、その奥に大雄殿があります。ただし使用できません。
大雄殿前に建つ双塔の向かって右、国宝の多宝塔。
仏国寺創建時(AD528)に建立された花崗岩の石塔で、新羅美術の極致といわれていて、記念写真を撮る人で賑っています。
釈迦塔。国宝の多宝塔と向い合って建てられている三層石塔。高さは多宝塔よりやや低い8,3mです。
 塔身の優雅さと、二層の基壇の力強さが渾然と融合するところが、新羅仏教文化の特色だそうです。
無説殿。大雄殿の後に位置する主要な建物の一つ。韓日合邦の頃までも現存していたそうですが、その後、破損して跡だけ残っていたのが復元されたものです。
毘廬殿の裏で石を積んで小さな塔を作る人々。韓国版の賽の河原でしょうか。
法華殿跡。礎石が点在する傍らに、韓国が原産地のサンシュユの木があり、黄色の花が満開でした。白いコブシの花も遺跡の静謐にふさわしいたたずまいです。





慶州への旅

2006年03月28日 | 旅の足あと
 日本古代史研究のサークルの人たちの、韓国研修七日間の最後の目的地、慶州を訪問する日程に合わせて、慶州で合流することにして、24日博多国際港から、早朝の高速船ビートルに乗船しました。
 
 今回の旅は、新羅千年の都であった慶州を,四日間かけてゆっくり巡る旅程で、南山方面の山道の行程を含んでいて、今の私の足腰の状態では多少の不安はあるものの、今後の旅のテストケースとしては最適と考えて、お誘いを感謝して参加させていただきました。

 このところ3回も発生しているので、心配していた鯨との衝突もなく、快晴のおだやかな3時間の船旅でした。
 途中、玄海島の地震による山崩れの痕の痛々しさを眼にして、一年の経過ぐらいでは修復不能な自然の力をまざまざと見ました。沖ノ島が船の進行につれて横長から円形に変容する姿も神秘的でした。

 釜山国際港ではコンテナーの山とその賑わいに驚き、林立する高層のアパート群に発展のパワーを感じたことでした。

 釜山からは高速バス1時間半で慶州到着。無事待ち合わせの慶州コンコルドホテルに到着できました。国際会議やワールドカップ開催などで、ホテルや道路は以前とは見違えるほど整備され、高速道が発達して、観光地には容易に到着できるようになっています。

 観光都市としての慶州は年間900万人の観光客が訪れるそうで、政府のリゾート開発計画のもと市街東部に位置する普門湖周辺が、普門観光団地として開発されています。
 このホテルも湖に面してY字形に建つユニークなホテルです。簡単なミーティングの後、三つのグループに別れて行動することになり、「慶州初めて」のグループに参加させてもらうことにして、午後3時から早速の研修出発となりました。
  つづく
 


  高速道路 慶州料金所     普門観光団地のバス停


  ホテルコンコルド慶州 中央吹き抜けのホテル内部





陶芸家の言葉 その3 つづき

2006年03月22日 | 絵とやきもの
 三輪休雪

 三輪窯は、初代休雪が天和2年(1682)に萩の東郊の無田ヶ原の山裾に窯を開いて以来300余年、昔ながらの窯煙をたなびかせています。

 休雪を名乗る代々は、みなすぐれた陶芸家です。十代休雪(休和)は茶陶萩焼の世界に桃山陶の古典復興を成し遂げ、「休和白」に代表される技術は、萩焼を重要文化財にまで高めましたが、十一代休雪も、兄に劣らず個性的な感覚で、重要無形文化財萩焼保持者の認定を受け、兄弟で人間国宝です。

十一代休雪語録

「作品は凡てを物語るものであり、作品の前には一切の虚勢は無力である」
「自分の生命のこもった、借り物でない作品を作りたい。その気持ちだけはいつも持ち続けて来たし、これからも持ち続けて行きたい」
 言葉少なの人の語った言葉です。



白萩沓茶碗 径15.8x高10,2   白萩沓茶碗 径16,2x高9,9


白萩枡茶碗 径15,2x高10,5
白萩茶碗 径14,8x高10,2



耳付水差 径24,0x高16,8
  
白萩掛花入 径12,2x高16,0




  画像は三輪休雪展図録よりお借りしました


陶芸家の言葉 その3

2006年03月21日 | 絵とやきもの
     三輪休和と十一代休雪

 陶芸家の言葉、その3では、半泥子、金重陶陽と迷いましたが、やはり好きな作家として、萩焼の巨匠、三輪休和と休雪のご兄弟をとりあげました。

三輪休和
 私の拝見した茶碗は、どれもほのぼのとした温か味のある、それを見、それを手にする者の心をなごませてくれるものでした。

 ひたすら土と茶と謡だけに沈潜した80余年の凝縮が、「古萩を凌ぐ」ところまで到達しえたのでしょう。

 その作陶への心構えを問われて、一言に”無心”と言い切る人でもありました。
 若い日から俳句を嗜んだ休和の81歳をむかえた元旦の句
“山坂の奥に宮あり初明り”
 私は世阿弥の「命には終りあり。能には果てあるべからず」の言葉を重ねました。芸はいくら追求しても限りがないという嘆息ですが、ここには老名工の執念がうかがえます。

 休和74歳、人間国宝の認定を受けた折の言葉です。(朝日新聞より)
「芸の虫というだけのことでごわす。根っからの石部金吉でしてな。今度の受賞も、年寄の肩には荷が重うごわす。無冠の大夫のままの方が気楽で良かったのじゃが、中央でこれまで、とかく田舎窯扱いされてきた萩焼がいとしゅうて。」

「さよう、土ごしらえの時から、真剣勝負の気合でごわす。この世界はどれほどな名手でも、腕前には限界がある。それが無いといえば気負いだし、てらいにもなります。土は生きとります。土のほうで働いてくれるよう仕向けますのじゃ」



    萩沓茶碗       割高台茶碗


     萩沓茶碗      萩平茶碗



 耳付水差 高19.7胴20,2    耳付花入 高22,3底13,4




 画像は朝日新聞「三輪休和遺作展」図録よりお借りしました。

波佐見の「やきもの公園」

2006年03月19日 | 旅の足あと


 時折出かける佐賀県の嬉野温泉から、車で15分のところに、波佐見というやきものの町があります。佐賀の有田とは隣り合わせのような町なのですが、行政上は長崎県です。 
 有田ほど知られていないのは、伊万里や有田焼とほぼ同じ400年の歴史を持ちながら、海路で出荷されるときは伊万里港、鉄道では有田駅が使われたため、有田焼や、伊万里焼として扱われてしまったからのようです。
 波佐見焼は、白磁に染付けした実用の日常食器が中心です。

 ここには、小高い丘の上に、「世界の窯広場」があり、古代から近代までの、世界各地のやきもの窯が復元展示されています。平日など人一人いなくて、貸切のようなものです。   一番上が「野焼き窯」で、下にくだるにつれ時代が新しくなって、窯の歴史が解るようになっています。よく整備され、解説の陶板のプレートも解りやすく、丁寧です。その中から幾つかUPしてみます。

 


  オリエントの窯 昇炎式       解説の陶板


  中国古代の龍窯・蛇窯    トルコ キタヒアの窯




(波佐見有田ICからは5分。JR有田からは15分)

「ぜんまいの のの字」

2006年03月17日 | 歌びとたち

 ぜんまいののの字ばかりの寂光土  川端茅舎

 画家を志しながら、自身の病弱と師事した岸田劉生の死によって絵を断念し、俳句への道を歩んだ方です。(画家川端龍子は異母兄)

 寺で病を養った折に親しんだ仏典の仏語を俳句の中にとりいれて活かし、「茅舎浄土」とよばれる独特の世界を拓いています。

 この句は句集「華厳」の中の句です。首を伸ばしたぜんまいの、渦を巻いた頭を「の」の字と見て、樹下のいたるところに「の」の字をかかげる情景に、不思議な、意味ありげな雰囲気を感じて、仏の住処の「寂光土」と見たのでしょう。

 「の」の繰り返しが、眼だけでなく耳にもおだやかに、ゆったりとした季節感をもたらしてくれます。わらびも、ぜんまいももう少し土の中です。

「茅舎浄土」の句は他にも

     白露に阿吽の旭さしにけり
     金剛の露ひとつぶや石の上

など多数あります。
 そのほかにも、好きな愛らしい句に

     とび下りて弾みやまずよ寒雀

 この句も絵になりそうです。

お水取

2006年03月14日 | みやびの世界
 今晩は修二会の最終日。この日はいつものお松明と異なり、10本のお松明が短い間隔で一度に上堂して回廊に並びます。14日間続いた行法のクライマックスです。

 二月堂で響き渡る籠の僧の達陀(だったん)の沓音。打ち振られる松明の火の粉を浴びながら、人々の歓声の中で、不思議な感動に包まれて夜の闇の中に立ち続けていた遠い日の思い出があります。

 松明からこぼれ墜ちた、先端の焼け焦げた杉の小枝を拾って帰りました。

 すでに死の宣告を受け容れていた友への土産にするためでした。真言の寺に生まれた彼女はことのほか喜んでくれました。お彼岸が過ぎて桜の花の散るころ、旅立ってゆきました。



 いつもコメントをくださる香HAILLさんが、お友達の写真愛好家が撮影された画像ということで、配信してくださいました。お許しを得てUPしました。
 このような位置からの撮影は、どんなにかご苦労がおありのことと思います。
      ありがとうございました。 (マウス・ONで画像は静止します。


東大寺二月堂修二会

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      二月堂遠景                  最終日に上堂した松明                 振り回されるお松明
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お籠の練行衆とお松明に奉仕する童子




庭を彩る春の花々

2006年03月12日 | 歌びとたち
 梅が散りはじめた庭で、沈丁花、馬酔木、クリスマスローズ とさみずき、といった花々が、馨しく今を盛りの装いを競っています。
 馬酔木は、どうしても浄瑠璃寺や、東大寺の庭で見た印象から、奈良の花と思ってしまいます。あせび あせみ などとも呼ばれています。
 庭の馬酔木は一本は白の花を付けますが、もう一本のほうはピンクのあでやかな房です。



馬酔木折って髪に翳せば昔めき   虚子
  
馬酔木咲く奈良に戻るや花巡り   碧梧桐
  


磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど
見すべき君が ありといはなくに  万葉集 大来皇女(おおくのひめみこ

沈丁花
 遠くからも漂う香りで、その存在が鮮やかです。沈香や丁字の香りを連想して、「丁字」「沈丁」「瑞香」などの呼び名を持っています。花びらのように見えるのは萼片とか。
 


      沈丁の香につつまれて墓眠る  立葵

      曇り日の沈丁の香に居たりけり  万太郎

ある日ふと沈丁の香の庭となる  つる女


とさみずき   土佐水木  蝋辨花 とも。
 
 蝋梅が終わるのを待っているようにして咲く、特徴のある花穂の花です。



陶芸家のことば その2

2006年03月10日 | 絵とやきもの
北大路魯山人の場合
  
      やきものを作るんだって、みなコピーさ。
      なにかしらコピーでないものはないのだ。但し、
      そのどこを狙うかという狙い所、真似所が肝要なのだ。

  陶器だけで美はわからぬ。
  あらゆるものの美を知って、それを通して
  陶器の美もわかる。
     そして本当にわかるということは、
     本当にそのものに惚れることである。

     料理の着物を、
     料理の風情を
     美しくあれと祈る。
     美人に良い衣装を
     着せてみたい心と変わりはない。

 かくて魯山人は自分の料理をよそうための、やきものを作り、その着物の上に自分の料理をも作品として盛り付けたのです。

 魯山人ほど好悪の、評価の分かれる作家も少ないのではないでしょうか。
私は、その豪放に憧れます。観ること、味わうこと、書くこと、彫ること、焼くこと、どの道にも卓抜です。強烈な個性が作品に溢れています。なんでもこなす才人の遺された仕事の中で、私は焼きものと、書が好きです。わからないながらも、焼きものでは、あくまでも雑器、小皿や鉢、ぐいのみをはじめ酒器、湯のみといった料理と一体として使われるものに、その出発点,原点を感じ惹かれるものが多いようです。

 魯山人の場合もその作品に、語ってもらうことで、彼の言葉の実証としてもらいます。


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好奇心の塊り、物忘れの才に秀で、何にでもすぐ飛びついては後悔。そのほろ苦さを忘れてはまた繰り返し後悔しています。
 下手な絵を描くことを楽しみにしています。

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