![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/2d/1bc8b6ca591f321fd499477390d53331.jpg)
先週NHKの日曜美術館では、「乾山の芸術と光琳」(東京出光美術館・12月16日まで)を取り上げていました。
乾山(ケンザン)の評価が最近、より大きく揚がってきているのは、乾山好きにはうれしいことです。
”目で味わう懐石料理の精髄をあらわす器としての元祖”、と紹介されていました。
雁金屋(かりがねや)という、上流社会それも天皇家や将軍家御用達の呉服商といった家に生まれ、最先端の流行に日常的に接する中で自然に身に付いた、洗練された審美眼と、教養です。
兄光琳の思いっきりのいい派手な性格とは逆に、乾山は内省的な性格で、深省の名乗りが示すように、多くの書物に親しんで、幅広い教養を育んでいったようです。
豊かな財力が、すぐれた参照品を手元に置くことを可能にし、目指した陶工たちを工房に招くことで、多様な様式を自在に工夫することもできたと思います。
一つには元禄時代という、町人が文化をリードした爛熟の時代背景が生み出した斬新な形であり、色絵でもあったと考えます。
それは、今回の立命館大学考古学教室がおこなった鳴滝・乾山焼窯跡の発掘調査の陶片の示す多様からも充分に窺えます。
何よりも形の独創性が目を惹きます。今までになかった、花や、葉の形を取り入れ、見た目にも愉しめる造形の装飾性は、王朝趣味の文学性も併せて、新しい京焼きを模索したものでしょう。
この乾山の器がまずあって、「美し(うまし・うるはし)乾山 四季彩采」が先年の料理本世界コンクール(グルマン・ワールド・クックブック・アワード写真部門)での最優秀賞受賞となったのだと思います。
供される料理を目でも賞味し、食べおわった後の器がまた話題を提供する交流の場の”遊び”を考慮したゆとりが、器から作品へ昇華します。
十二ヶ月和歌花鳥図なども、表の花鳥に、裏返したときの和歌と、意外性は話題を誘ったことは充分想像されます。絵画でのモチーフを陶器に持ち込み、絵画ではなしえない裏をも利用するのは、京の町衆の心意気からでしょう。
現代の科学は、低温の素焼きの上に絵を描き、その上から釉薬をかける釉下色絵の仕組みを、実験で見せていました。低温度での焼成の素焼きが絵の具を吸うため、たらし込みもきれいに出ていました。
乾山好きだからとプレゼントしてくださった図録を丹念にたどりながら、今回の展覧会の準備の周到と、初めて目にする発掘の陶片などから、あらためて試作された技法の多様に驚きます。
出光は、福岡県が出自のはずですが、こうした規模での展覧会が九州で催されないのを残念に思っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/11/f86b9b460138d179273405c784c1686a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/37/16a5bd5dd539ee13b96b9a76cb646081.jpg)
画像上 銹絵染付金銀白彩松波文蓋物 重文
粗い陶土の焼きしめ。デザイン化した松がモダン。土味が砂浜を思わせます。
半筒形碗 23,4×23,8
中 銹絵染付梅図茶碗
伸びやかに引かれた幹の線と、たっぷりした梅の花のたらしこみ、琳派らしい好きな絵柄です。 7,8×10,2
下 銹絵百合形向付
ざっくりした、柔らか味が感じられます。花弁の重なりにかすかに段差が見られます。 有名な図柄で、後世多くの陶工たちの本歌になっています
門司にも出光美術館があるのですから。
狭くても、可能な限りの展示を切望しますよね。
先日、酒井抱一を見に行ったときも、東京展のことを言い立てて、学芸員の方に不服を縷々申し上げておきました。
図録はファンが多分お贈りくださったかとご遠慮しましたがそのとおりでしたね。京都でのおめもじが楽しみですね。
偶然ですが 私が選んだのも銹絵、うれしきことふたつです。ありがとうございました。遊びごころも秀逸です。
最近はまた、水彩の分野にも進出なさるし、秋のひざしの下では
荘子然として落ち葉の姫君になっておしまいですから、洋風モダンがお似合いの沼蛙さんの変幻自在に目を丸くしています。
銹絵が私も好きです。イメージが膨らみますから。蛙さんも同じとは嬉しいことですね。初めて目にするものも多くて、いち早くごらんになった方たちを、ウラヤマシいを通り越して、妬ましく思っています。
気が抜けたころでも、かまわないので、何とか時間を作って京都まで出かけたいものと思っています。雪佳も何か企画があるのではないかと期待しているのですが。
皆さんのやさしいお心遣いをただただ感謝して、不思議なご縁をありがたいものに思います。
万葉のおこぼれのお話、また聞かせてください。楽しみにしていますので。
300年前の名品は輝きを失わずも、鑑賞者は半死の白頭翁。
先日の同期会であった奈良町の旦那さん曰く”今年の正倉院展、全国各地より多くの人がお見えになりましたよ”日頃見られないモノを肉眼で確かめたい・・、
fanが多数。
そうなると、人も入れ替わり相似たりかな?
平城京1300年祝賀も2010年と2年先。
ところで、今が旬の大根煮なんかを上等の小鉢に
のせるとより美味そうになるんでしょうね。
乾山は自分でも「焼き物商売」といい、「陶匠」と名乗って、いっこう高ぶらずに一介の陶器屋を以って任じていたが、造った焼き物多くは懐石用の食器であった。しかもその数物の気取らない絵付けの端々にまで、乾山ならでわの芸術的滋味がにじみ出ていて、乾山その人と肌をふれ合うような感じを起こさせる。芸術家と言うと襟を正すような念を伴いがちだが、乾山だけはそうでない。浴衣がけで話し会えそうな気持ちにしてくれる。しかも芸術的香気は高く、茶人には最も愛される香泉のように思はれて成らない、「侘び、寂び」の奥底に誘ってくれる。私の大好きな焼き物です。
010年の平城京1300年の祝賀に華を添えるのでしょうね。
「美し」のなかでは、銹絵染付松図茶碗にふろふき大根が盛り付けられ、乗せられている柚子の千切りと練り味噌がいろどりも鮮やかです。蕪と湯葉春菊の焚き合わせも深めの蓋付きによそわれています。いかにも美味しそうで、幸せな気分になります。
たしかに目で味わう領域が大きいのを実感します。
今年の正倉院は、”松喰い鳥”も出ていたのですよね。見たいものがこの歳になっても沢山あり、見ることがかなわないというのも、ある意味幸せなことかもしれません。そのほうが豊かに想像を膨らませておれますからね。
その兄光琳の絵を最大限に引き立てるプロジュースの労を惜しまない、着実な仕事ぶりの乾山の人柄も、多様な実験の積み重ねも、素質の上にプラスされての輝きですよね。
紫草さまも乾山がお好きなのはなんとなく解るような気がします。
私はよく、真似て「乾山もどき」を試みては失敗していますが、結構その過程で自分ひとり愉しんでいます。
大和文華館で武蔵野隅田川図乱筥の乾山に出合ったときは、「これで本望だね」と弟に冷やかされたものです。
なんといわれても、陶器の世界に、絵付けで文学性を表現し、絵替わりで絵画のモダンを昇華させた功労者だと思っています。