「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

色彩

2005年01月30日 | 塵界茫々
 色彩コンサルタントの大守光子さんによると、色には、ライフサイクルがあるのだそうです。ピンク→黄→赤→オレンジ→茶→灰→黒と、歳を追って色の好みは変化するのだそうで、ならば、私などは真っ黒の段階に達していることになります。しかし、その日の気分、体調、あるいは、季節によっても、色の好みは、変化し続けます。
 また、一口に赤といっても、色相には随分幅があり、朱と呼ぶ赤と、茜色の赤ではかなり違ったイメージです。どこかの国の政治家が、ここ一番の交渉に臨むとき「戦闘服」と称して赤いスーツを着こんでいましたが、確かに赤は血圧や、脈拍を上げ、生活に張りを与えてくれるようです。
 総じて、外国の女性は、歳を重ねるにしたがって、イギリス女王を例に挙げるまでもなく、明るい色彩のものを身につけます。若い人は薄化粧だけど、次第に厚化粧になっていきます。日本とは反対のような気がします。赤系統のものを好んで身につける私ですが、兎角、一歩退ける気分を意図して引き立てている節があります。
 人それぞれ、まさに身につけるものは好みの問題ですが、「心の欲する所に従って矩を踰えず」で、お洒落もそうした自由な境地になり、自分らしく囚われないで楽しめるようになりたいと願っています。

式子内親王のこと

2005年01月29日 | 歌びとたち
 百人一首の歌人の一人ですが、新古今集の時代の女流歌人の中で最も惹かれる人です。謡曲「定家」での、「亡き後までも苦しみの、定家蔦に身を封じられ」墓に蔦となってまつわられるなら妖艶な人を想像しますが、実像は随分違うようです。NHKの大河ドラマ"義経”を見ていて思い出しました。
 後白河天皇の皇女として生まれ、10年間を賀茂の斉院として奉仕していますし、後には出家しています。父の幽閉、兄以仁王の戦死といった身近で起こった歴史的現実の中で、不祥事件にまきこまれることもあり、必ずしも上手に身を処したとはいえないようです。題詠歌とはいえ、「忍ぶる恋」を見事に演じきっているのが、百人一首に採られた歌です。

   玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば
忍ぶることの弱りもぞする (新古今集)

   夢にてもみゆらんものを嘆きつつ
打ちぬる宵の袖のけしきは   (新古今集)

式子内親王の歌には、物語性と情感のゆたかさで、人をひきつけるものがあります。否定し、抑えてもにじみ出る「余情の美」、の世界でしょうか。

   いまはただ心のほかにきくものを
しらずがほなるをぎのうはかぜ  (新古今集)

   桐の葉も踏み分けがたくなりにけり
かならず人を待つとなけれど  (新古今集)

春の使者

2005年01月27日 | 季節のうつろい
 蕗の薹が頭を出しました。一週間前までは野沢節子さんの句のように「さがしあぐねし蕗の薹かもおのれかも」で、かなりの時間をかけても探し当てることができなかった蕗の薹ですが、昨日の陽気にもしやと、まだ若い葉を分けて探ると2センチほどの背丈で茜色をほんの少し株下に差した薹が遠慮がちにのぞいていました。採れたて、南国産、小さなつぼみ、すべての条件を整えて。

 人の味覚は変化してやまないもののようですが、このほろ苦さは、大人の味覚に所属するものでしょう。さっと低温で揚げてよし、刻んで吸い物のあしらいにするのもいいものです。少し手間がかかりますが,蕗味噌も上品な酒の肴になります。人のほうは、薹が立ったどころではなく、薹は化石に近づいていますが、味覚がまだおとろえないうちに、期間限定の春のさきがけの大人の味を堪能させていただきます。
 アガサ・クリスティーは、台所仕事をしながら小説の構想を練ったといわれていますが、料理の、切る、刻むの指先の仕事は脳に刺激を与えるし、もちろん味覚、視覚も働くことになります。冷蔵庫を開いてあるものを確かめて数秒で何を作るかを決めるのは判断力養うことになります。化石化への速度を遅らせ、いつまでも若い感性を保つ努力には、料理もいいかもしれませんね。 

歩く

2005年01月26日 | 塵界茫々
 私たちの世代は、幼時から移動の手段は長距離の場合は別として、歩くことでした。そうした30年間を経て、今は車、バス、列車といった交通手段が中心になり、意識して歩く時間を作らない限り、一日に3キロ以上も歩くということは、普通まずありません。
 私の住む町にも大学があって路上で若者たちと遭遇します。この若い人たちが連れ立って歩くときの足取りののろのろが気になって仕方がありません。横に並んで歩道をふさいでゆったりと歩いていきます。日ごろのスピードの追求とはおよそかけ離れた緩慢です。。まるで今このときが、一番人間らしく生きているときとでもいうように。もっとも、人の歩きが遅いと怒るのは老化現象の一つだそうですが。
 江戸時代の人たちも歩く速度はかなり速かったようです。あの弥次喜多道中でも、東海道53次を江戸から京まで2週間で歩いているし、「奥の細道」の芭蕉も、忍者説が出るほどの速度の健脚です。
 若い人の一年はその人生の20分の一かもしれませんが、こちらにとっての一年は70分の一の速さで過ぎていくのです。生い立ちの歴史からいっても、歩きの年季の入れようが違うのです。足早に歩くこちらを、少しは理解して道を空けてくれてもいいと思うのですが。

かけちがい

2005年01月25日 | 塵界茫々
 外出しようとして、あるじに挨拶したところ、「上着のボタンが一つずれているよ」と注意されました。
 さりげなく「おや、まあ」と繕いましたが、愕然の老化現象です。心ひそかにボタンを掛け違えるようになったら第一段階と決めていたできごとです。
 万事そそつかしい私ですが今までになかった状況にあわてました。最近はこれというわけもなく、やたら気がせくという現象があります。この、”わけもなく”が曲者で、どうやら生き急ぐ年齢になったのでしょう。これから次々に進行するのかと思うと気が重くなります。
 ITの教室で教わったことも、そのときは理解できたと思い込んでいても、帰宅して一人で繰り返すと早速躓いてしばらくの試行錯誤となります。当然のことながら、若い人とは足並みが揃いません。それを悲しいと思わない開き直りの図太さに、これぞ老化と暗澹とします。
 そこで身を慎んで注意深く自分の位置を見つめればいいのでしょうが。
 今までの、「迷ったら突き進む」の粗雑な生き方から、分相応が,歳相応が美しいという哲学にはいまだに到達できないでいます。

余韻

2005年01月24日 | 塵界茫々
 久しぶりに顔を合わせた謡の仲間と、同門なればの話がはづんで、申し合わせ通りに無事進行した「草子洗」の余韻と、お酒の勢いも加わって時間の経つのを忘れていました。帰りは初めからお互いそのつもりの、kさんの運転での帰宅となりました。歳を重ねても、凛とした姿勢と、鍛え抜かれた張りのある声を保っておられる先輩方に,畏れに近いものを感じました。
 やはり、この道一筋の方の気迫は、理屈を寄せ付けません。囃子や謡とはおよそ対極にあるデジタルの世界への傾斜をはじめ、あれも、これもの軽薄をひと時は反省させられるのですが、これが私の今までの生き方なのだし、これからも、どんなに呆れられようとも、様々な興味に飽きることなく取り組んでゆくしかないと、身内に巣くう「憧れ虫」と、折り合いをつけながら生きてゆくのもいいか。と自分で納得したことです。

水の上の落椿

2005年01月23日 | みやびの世界
 椿のことを書いた記事にコメントが寄せられました。木偏に春でツバキなら、人偏に春はということで、「せいしゅん」と読みたいといっておられます。確かに人生の春の季節でしょう。
 その青春を戦時下に送った私にとって、椿の鮮烈な印象が記憶の底に眠っています。
 暗誦を強要された漱石の「草枕」の冒頭部分、「山路を登りながら,こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい・・・」有難いことに、いまでも七五調の名文句はすらすら口をついて出ます。
 私が印象深く覚えているのは、この冒頭部分ではなく、絵を描きに来た主人公が滞在先の温泉場の裏山の奥の池でみた水に浮く落ち椿の描写部分です。何十年ぶりかで書棚から探し出して、読み返してみました。
 "あの花の色は唯の赤ではない。眼を醒ます程の派手やかさの奥に、言うに言われぬ沈んだ調子を持っている。・・・この調子を底に持って、上部はどこまでも派手に装っている。然も人に媚ぶる態もなければ、ことさらに人を招く様子も見えぬ。・・・見ていると、ぽたり赤い奴が水の上に落ちた。静かな春に動いたものは只この一輪である。しばらくすると又ぽたり落ちた。あの花は決して散らない。崩れるよりも、かたまったまま枝を離れる。枝を離れるときは一度に離れるから、未練のない様に見えるが、落ちてもかたまっている所は,何となく毒々しい。ああやって落ちているうちに、池の水が赤くなるだろうと考えた。花が静かに浮いている辺は今でも少々赤い気がする。"
  そして、際限なく落ちる椿の池に、美しい女の浮いているところに、上から椿を幾輪も落とす。椿も女もとこしなえに落ち、浮き続けるイメージを画に描けないかと思案するといった場面です。
 オフェリアとの連想から強い印象として刷り込まれたものか、記憶の底に沈んでいました。読み返して、鉛筆の傍線がいとしく、何でこんなところをと、青い思索を思う箇所もあれば、いまも同じ思いで、われながらなかなかいい感性と、微笑む場面にも遭遇しました。 これも、ブログの齎した縁と感謝です。

春の気配

2005年01月22日 | 季節のうつろい

 だ早いと判っていて、画材にしようと庭続きの土手に蕗の薹を探しました。大寒のさなか、葉をちじらせた蕗の茎はまだ短く,蕗の薹の気配は見られません。代わりに思いがけず濃い紫の菫を一輪見つけました。探り当てた春というところです。「なにやらゆかしすみれ草」と大津への山越えで、道のほとりにうつむきがちにひっそりと咲く菫に旅の脚を停めたたのは芭蕉でした。
 自然の摂理は確実に営まれており、一つの季節が終わってから次の季節が始まるわけではなく、徒然草にいうように「夏よりすでに秋はかよひ、・・・木の葉のおつるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず。下より兆しつはるに堪へずして落つるなり。」だと実感しました。小さな可愛らしい春の使者の、遠慮がちなたたずまいに心和む朝でした。

椿

2005年01月21日 | 季節のうつろい
 木偏に春でツバキ。いかにも春を代表する木であるかのようです。季語でも春に入っています。
 いつもの年だと今頃からボタリと落ちた花を掃き集め、何かに使えないものかと思案したものですが今年は花の着きが悪いようです。
 奈良に住む妹が染物に使うと教えてくれました。そういえば談山神社の境内で、椿の花を煮ていたのを思い出しました。
 冬と木をあわせてヒイラギ、夏の木はエノキ、秋に木は?まさか秋だけない筈は無いと、IMEで検索するとヒサギと、ちゃんと出ていました。「楸」、古くはアカメガシワを言ったそうですが、女学生の頃、暗誦させられた歌の中に、山部赤人の「久木生ふる清き川原に千鳥しば啼く」というのがありました。
 襲(かさね)の色目の「椿襲ね」は、表が蘇芳で裏が赤のあでやかな取り合わせで、その名の通りの色合わせですが、冬のものです。私は「椿」は日本製の字と思っていましたが、本家の中国にちゃんとありました。ただし、これは日本でいう栴檀をさしていました。中国の「椿」の字は「長く久しい」の意味もあり、長命のことを椿寿といっています。
 わが国でも、万葉の昔から「巨勢山のつらつらつばきつらつらに」と歌われていますが、かの山頭火も「笠へぽっとり椿だった」の有名な句のほかにも椿を詠んだ句はいくつもあります。
 藪椿は好んで画材に選ぶ私の好きな花です。

大寒の入り

2005年01月20日 | 歌びとたち
 予報がちがって,大寒にふさわしい小雪の舞う日和、こうした日は寒さを歌う西行や、山頭火が偲ばれます。
 さびしさに堪へたる人のまたもあれな庵並べん冬の山里あの西行でさえ、と思う中で呼び出される句もあります。師芭蕉の喪にこもる丈草の句
 淋しさの底ぬけて降るみぞれかな
があります。底なしの孤独からは、山頭火が顔を出します。ストレートの表現に、また質の異なる孤独が鎖のように繋がっています。

 やっぱり一人はさみしい枯草

 鉄鉢の中へも霰

 うしろ姿のしぐれてゆくか

そして、尾崎放哉の「咳をしても一人」の率直な寂寥も息づいています。

 寒さの夜は、句が歌を呼び、歌が句を呼ぶ出会いを懐かしんで、吾がはらわたに一盞をそそぐことにします。