「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

海の見えるホテル

2006年09月27日 | 旅の足あと
 彼岸のお寺参りをすませて、秋晴れの空の下、海沿いのドライブコースを、走りました。
 東京から祖父の見舞いにやってきた孫娘と、三人、近場で、海の見える温泉のあるホテルという希望条件で「玄海ロイヤルホテル」に行ってきました。

 さつき松原で、澄んだ秋の日差しを背に貝殻を拾い、海水に足を浸し、玄界灘の島影を飽きることなく眺めました。

 料理自慢の宿と謳うだけに、和、中、仏、のなかから選択できる料理は、和食にしましたが、盛り付けも、味もなかなかのものでした。
 チェックアウトも11時とゆっくりなので、朝の露天風呂も楽しめました。

  玄海ロイヤルホテル

サークルの教材でYAHOOフォトを使って、スライドショウを展開するのを教わりました。確認の意味でスナップをUPしました。

大津絵のこと

2006年09月23日 | 絵とやきもの
 絵画には、署名入りの、有名画家の描いたものとは大きく異なる「民画」とも呼ばれているもう一つの作品群があります。

 その代表ともいえるのが「大津絵」です。20代半ば、終戦からの復興がようやく軌道に乗り始めた頃、友人と琵琶湖畔の石山寺を訪ねた折に出会った「大津絵」の闊達な自由さに惹かれて、機会あるごとに買い求めることとなりました。


 これは、たいていの場合、家族の共同作業で仕上げられるもので、個人的な作品とは言いがたい物です。亭主が線をいれたものに、女房や子供たちが色を差してゆくといったものでしょう。
 多分に「土産物」の性質を持っていて、安価で、人々に好まれる画題のものは、繰り返し量産されるなかで、描き方も次第に単純化され、一定の型が出来あがり、線ものびのびと走るようになっていったものです。
 
 ごく初期のものは民衆の信仰が必要とした仏画だったようです。芭蕉の句にも、「大津絵の筆のはじめは何仏」というのがあります。法要の時、壁にかけたり、日ごろ仏壇に納めたりしたもののようです。それが次第に世俗的な人気のある売れる画題へと展開していったのでしょう。
 (一説には、キリシタンの宗門改めの免罪符の役割を持ったとも言われています。) 無名の画工が描いた、人に親しみを抱かせ、暮らしに関わって用を満たしてきた、諷刺の効いた活き活きとした表現は、多量生産されることで当然、技も熟達していきます。

 魅力的な伸びやかな「自由さ」に、私は今も強く惹かれます。時々描く私流の「大津絵」のご本家の画像を次に挙げます。

日本民藝館所蔵 絵画より。多くの画像を下記のページで見る事が出来ます。

http://www.mingeikan.or.jp/html/paintings.html



    鬼の念仏  
    藤娘




嵐の後

2006年09月18日 | 塵界茫々
「野分の風」などと、言葉の優雅な余韻を楽しむのはまだゆとりのあるうちです。
 枕草子や源氏物語で描かれる「野分」の描写は、美しくさえあります。

 昨晩はここ数年では、一番強い風に見舞われました。今朝の新聞報道によれば、瞬間風速49メートルとありました。亡くなった人9人をはじめ、大きな被害が出ていて、交通機関への影響は今日も残っています。

 高台にある家の風当たりは、雨戸を締めた内側のガラス戸が音をたて、周辺の丈高い樹木が日ごろ見せることのない動きで身をよじり、叫び声をあげます。雨には比較的平気でも、門の格子は、いまに閂を吹き折るのではと思うほどたわんで、、風は「おそろしい」自然の力を目の当たりに突きつけます。
連休を利用しての訪問で、帰郷するはずだった孫も足止めになってしまいました。
背丈のある植木鉢はことごとく吹き倒されて、横たわっています。
 花をつけていたコスモスも、ゴーヤもミニとまとも、みんな支えの杖と共に倒れてしまいました。

 今日も止みそうにない雨の中、門の前の椎の老木が振り落とした大きな枝や、吹き折られた枯れ枝の集積を片付けねば車を出すこともできません。夕刻になってやっと雨もあがったようです。
 咲き乱れる彼岸花とともに秋もいよいよ本番です。もう半袖では肌寒く感じられます。

大いなるものが過ぎ行く野分かな  虚子



グループ展 (つづき)

2006年09月17日 | 絵とやきもの






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3人目の作者は、書をよくされます。絵筆を持つのは初めてといわれていた5年前の作品とは格段の相違です。筆の扱いに慣れているだけに眼を見張る進歩です。
 絵は皆さん若々しいのですが、一番若い人が58歳というグループです。










グループ展の仲間たち

2006年09月15日 | 絵とやきもの
 5年目を迎えた墨彩画のグループで、グループ展をやることになりました。こういう形は、今回が初めての試みでもあり、新しいメンバーにも参加してもらえるようにというので、ハガキ絵に限定しての展示ということになりました。

 小さい作品に纏めるのが苦手な私は、皆さんにお任せで、他の方と重ならない画題を提出ということにしました。

 持ち寄って作品を選ぶ段階で、一人5点となると、それぞれの個性が明瞭に出て、それが面白く、会場で照明の反射に邪魔されないうちにと、仲間たちのたくさんの作品を写真に撮りました。その中から3点ずつUPします。

 いつもの私の絵とはかなり趣の異なるメンバーの作品を、許しを得て、2回に分けて展示します。

会期と会場 9月19日~24日 小倉北区大門2-1 Gallery蒼 Tel.093-647-0111









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五行歌に託す

2006年09月13日 | 歌びとたち


 1週間分の新聞の整理をしていて、五日の夕刊で、「失語症者託す心情」の文字が目に留まりました。

 「おかえり、わたしの言葉たち」をタイトルに、五行歌の作品展が福岡天神のアクロスで開かれていたのです。約60点の作品の作者たちは、言葉が思うに任せない失語症の人たちです。
 季語も、字数も「五行で詠む」以外には自由な五行歌に託して、ぎりぎりの今の心情を、言葉が出てこないもどかしさを抱えて、一語一語絞り込むように歌い上げています。

   どしゃぶり
   はれたり
   くもったり
   じんせいと
   おなじだ           中村宏明

   なんだか
   とても
   満ち足りた気持ちです
   あなたが
   笑ったからです         古西慶子

   帰ってきた
   言葉に
   一こずつ
   キスして
  あげたいくらい

 これらの歌からは、すべての飾りを落とした心からの感動が、伝わってきます。そこには宗教的な世界の存在すら感じられます。

 もう30年も前、私の母は何年かおきに脳梗塞を繰り返していましたが、最後の2・3年は脳出血による右半身麻痺と失語症で辛い日々でした。弟が雇っていた住み込みの「付添いさん」は、熟達のプロで、優しく行き届く世話でしたが、リハビリに付添うときには厳しい注文で容赦しませんでした。

 17回忌もすでに過ぎていますが、一つの単語が思い出せるまで、もどかしい時間を我慢した切ない思い出があります。
 はじめは思い出せない言葉を、はにかんで、苦笑いに紛らしていますが、時間が経ってくると眼にうっすらと涙をためて沈み込んでいました。

 朝日新聞の記事によると、5年前ごろから言語障害の回復のためのリハビリに、この五行歌が活用されはじめ、有効な手段の一つとされているようです。
 皆さんの少しでもの回復を願い、それを支えるボランティアの方々に感謝です。
 

図録のケース

2006年09月10日 | みやびの世界

 MIHO MUSEUMでいよいよ「特別展 青山二郎の眼」が1日から始まりました。
図録が送られてきたからと、昨日、弟が持ってきてくれました。

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 まず、その外箱を見て驚きました。本阿弥光悦の、大きな満月が山の稜線にかかる山月蒔絵文庫の鷹ヶ峰図が使われています。
 箱の爪の中央には、青山二郎の正方形の落款があしらわれた瀟洒なものです。

 仕掛けはこれだけではありません。そっと開けてみて、また驚きがありました。なんと、厚さ2.5センチほどのケースの内側は、表のつや消しと違って、漆を思わせる漆黒に蒔絵文庫の蓋裏niに描かれている図柄、三本の杉の幹のもとに佇む鹿が、片面には底面の見込に描かれている槍梅があしらわれた凝ったものです。

 うっかりすると気付かない控えめな演出です。青山が、生涯手許に愛蔵したという山月蒔絵文庫の図柄を、こういう形で使われた、この展覧会を企画された方の深い思い入れが伝わります。この外箱からして、特別展の中身の程も十分察せられるというものです。400冊を超す装幀も行った青山二郎に相応しいものでしょう。

とんぼの本 青山二郎の眼力より

 10月9日の奈良豆比古神社(万葉の歌人志貴皇子が祭神・猿楽発祥の地で、土地の人は「奈良坂の氏神さん」と呼んでいます。)での薪能にあわせてMIHOに出かけるつもりでしたが、あるじの入院で如何なりますか。12月17日までの会期中にはなんとか、と思っています。
 果たせなかった時は、来年、夏の東京展でと思いをめぐらせています。

機嫌

2006年09月05日 | ああ!日本語
 
 いつも書く時に奇妙に感じる言葉です。嫌は、イヤ・キラウという意味なのに、「機嫌がよい」「上機嫌」と、キラワナイ意味でも使うことがあるからです。


 そこで、少し調べてみました。
 この言葉が使われはじめたときは、日本国語大辞典の用例でみると、鎌倉時代には、「他人の嫌がることをおもんばかる」という意味を持っていたのが、室町初期になると、時機、場合、事情、安否といった意味でも使われるようになってきたということのようです。

 (徒然草の155段には、“世に従はん人は、まづ機嫌を知るべし。ついで悪しき事は、人の耳にもさかひ、心にもたがひて、その事成らず。”とあり、この機嫌の、頭註(日本古典文学大系 岩波)には、「もと譏嫌に作り、そしり、きらうこと。転じて、ここのように、時機、潮時の意」と出ていました。)

 かくして、事情や、様子がよければ、「機嫌がいい」と表現せざるをえないし、「御機嫌伺い」もあるというわけです。
 ただ、そこから派生した「機嫌をとる」という言葉には、「他人の気持ちをおもんばかる」という原義がまだ残っていたのが、現代では、相手に「へつらい、おもねる」といったニュアンスだけが大きくなってしまって、嫌なものに変貌したようです。

 こうして斜めになった「機嫌」という言葉の、ご機嫌を直そうとして、ご機嫌取りをしても、もう手遅れです。 「御機嫌よう!」

写真は海老蔵襲名披露の口上での、市川家伝統の「にらみ」

ものいえば唇寒し

2006年09月03日 | ああ!日本語
 「目にはさやか」でなくても、風は夏の季節のものとは明らかに違ってきました。
 芭蕉の句の、ものいえば唇寒し秋の風 には、“座右銘”として、「人の短をいふ事勿れ。己の長を説く事勿れ」いう詞書がついています。
 およそ芭蕉に抱くイメージから遠い、諺そのもののようないいかたが、辛うじて下五の“秋の風“の季題で救われています。

 芭蕉の頃には、こうした諺や格言めいた内容を短詩型でいう習慣があったようです。耳慣れた歌の形式にしておくと、記憶しやすいし、誰の耳にも馴染むという効果を考えてのことでしょう。

 さらには、文学の概念も、今とはおよそかけ離れた、いわゆる学問という捉え方がありましたから、教訓的なにおいのするものが入っていないと文学とは感じにくかったと思われます。
 例えば、蓼太の むっとして戻れば庭に柳かな   世の中は三日見ぬ間の桜かな   など、多分に教訓めいた意味合いを感じて、かえって俗耳に入り易かったものと思われます。
 
 ところで、この「ものいえば唇寒し」の意味は、芭蕉翁の詞書のとおりなのでしょうが、普通、ものはあまり言わないほうが良いというように解釈していると思います。転じて軽々しくものを言えば、とんでもない災難を招くという意味でも使われています。
 「口は禍の門、舌は災いの根」ともいいます。さらに進むと、「沈黙は金」「問答無用」と展開します。

 要するに、伝統文化として、自己主張は精神的未熟者のすることであるといった考え方があって、黙って流れに逆らわないのを美徳としてきたのです。
 為政者にとっては、これは都合のよいことこの上ない伝統でしょう。「日本人社会では debateは一般化しない」と断言しているアメリカの学者がいましたが、それでも、近頃、少しづつ、唇を震わせながら、怒りの声を発する人が出てきたのは、ささやかな前進です。
 論理的な議論を戦わすのは依然として苦手でも、どんなに唇に寒くても、納得できないことは、出来ないと表明しなくては、暮らしが変わることはありませんから。


 

江戸琳派の系脈から

2006年09月01日 | 絵とやきもの

 このところの雨続きで秋の気配が色濃くなってきました。気がつくとあれほど賑やかに騒ぎ立てていた蝉たちの声も物静かになっています。
秋というとなぜか私は琳派に回帰します。

酒井抱一を好む瀟洒な人がいます。今回のお土産に、二度出かけたという「若冲と江戸絵画」展で求めた美しい若冲の“動植綵絵”をいただきました。
それで、今回は彼女の江戸の琳派に思いを馳せてみました。といっても、取るに足らないささやかな私の知識の範囲でしかありませんが。

 琳派という流派は、狩野派や土佐派のように、血脈を中心に、代々、家に継承された流派ではない点が大きな特徴のように思います。
 光悦、宗達によって開かれ、光琳によって確立した基盤は、彼らを崇敬する人たちによって任意に継承されてきたもので、だからこそ、現代でも多くの絵を志す人たちに受け容れられ、時代を超えて再生される要素を持ち続けているのだと思います。

 姫路のお殿様の次男として江戸藩邸に生れた酒井抱一が、光琳から100年後に、江戸で展開した琳派の作風は、光琳や、宗達のもつ明快さとは一味違った、屈折した表現の繊細さがあります。
 有名な「夏秋草図屏風」(重文)の、野分の風に吹きちぎられた枯れ葉、伏し靡く草花が銀彩の中に描かれた画面からは、文学的ともいえる叙情性が漂ってきます。宗達や光琳にはみられないものです。女性好みといってしまうにはまた違う、憂愁の世界です。
 一瞬の美を把握する表現には、10代から親しんだ俳諧の素養が働いているのだろうと思います。

 この抱一に師事した、鈴木其一の絵が私は好きです。内弟子として、師に傾倒したころの作品から、師の没後には、独自の明快な画風が出現して、色彩も、構図の大胆さも、強靭さを覗かせています。向日葵図など、現代作家の描いた物といっても通用するでしょう。

 琳派の、華麗な装飾美の世界は、時空を超えて現代にも様々な継承を見せています。
グラフィックデザインの田中一光、そしてかのエルメスなど海外のデザイン世界にまで。

「許可なく複製、転写を禁じます」となっているものが多いので、採録できるものに制限がありますが、絵葉書や、パンフレットから一部掲載します。





向日葵図 鈴木其一  鴬邨画譜 酒井抱一

流水に千鳥図 鈴木其一


「若冲と江戸絵画」展は30万を越える入場者で、東京国立博物館での開催が、8月27日で終了。京都展が9月23日から11月5日まで。九州国立博物館は来年、1月1日から3月1日までです。

興味のある方は「弐代目 青い日記帳」のたくさんの画像をご覧ください。