「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

画家としての蕪村

2007年12月03日 | みやびの世界


 教科書に出ていた蕪村の句は、「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」と「月天心貧しき町を通りけり」に並んで、「愁いつつ岡にのぼれば花いばら」の、若い詩人と錯覚しそうな句でした。
 ここからの手探りでたどり着いたのが、岩波文庫の萩原朔太郎の「郷愁の詩人 与謝蕪村」でした。
 もう、遠い昔のことで、何が書かれていたのか、細かな記憶はありませんが、 「北壽老仙をいたむ」の自由詩に対して、「この詩の作者の名前をかくして、明治年代の若い新体詩人の作だといっても、誰も怪しまないだろう」といったようなことが書かれていて、先の”愁いつつ”の句の位置もわかったことと、蕪村の詩情の本質は郷愁にある。といったことが説かれていた事くらいを記憶します。
「春風馬堤曲」も多分この書物で知ったように思いますが、そのころは、彼が南画をよくする文人などということは、いささかも意に介することなく、ただもう、王朝趣味の情緒あふれる句を、物憂げに謳いあげるという、その一点に惹かれていました。

春雨や同車の君のささめごと        
妹が垣さみせん草の花咲きぬ
指貫を足でぬぐ夜や朧月

白梅やたが昔より垣のそと
春雨や重たき琵琶の抱きごころ
公達に狐化けたり宵の春

 いまでも、いくらでもこの類の句は口をついて出てきます。
ところで、蕪村は教科書ではもっぱら天明期を代表する俳人として紹介されていますが、画家としてもそれと同じくらい持て囃された存在だったのではないでしょうか。
いうならば、「句もよくする画家」 といったところで、今の私は理解しています。蕪村の句は絵になる句が多いのです。詩情を表現するのが絵か、句か、または自由詩かという手段の相違だけのように思うのは極端でしょうか。

 彼の最高傑作とされる「夜色楼台雪萬家図」には、冷たい雪を温かく懐かしいものに感じさせるものがあります。静けさの中にも動くものを思わせるのは、かすかに点じた代赭色のあかりからくるのでしょうか。冬の詩情のなかに「うづみ火やわがかくれ家も雪の中」と冬篭りする蕪村がいます。

 三好達治の有名な、「太郎をねむらせ 太郎の家に雪ふりつむ 次郎をねむらせ 次郎の家に雪ふりつむ」の、二行詩がこの絵からの発想となったのにも頷けます。彼の絵には詩があり、詩は絵に通うのを切に感じます。

 「鳶鴉図」も好きな絵です。特に双幅のうちの鴉、二羽が雪の中に身を寄せて羽を休める姿、その重心のリアリティーの描写は、すばらしいの一語に尽きます。紙の、白地に塗り残された雪の表現の技は、リズムをよび、動かないもののなかに、かすかな気配で静かに動くものを見事に表現しています。
 荒れる嵐の中の枝に止まる鳶、太い幹に止まる鴉、動いて止まぬものと、動かないものがバランスを取って二つに配された背後には星野鈴氏指摘のように、「鳶の羽もかいつくろいぬ初時雨 去来」「日ころ憎き烏も雪の旦かな はせを」の取り合わせが覗いています。

 他にも、「蘭石図屏風」の風になびく動き、小襖に描いた「狗子」の愛らしさなど、のびのびとして、見るものにほのぼのとした思いを与える作品に、興はつきません。私にとっての蕪村は理想の画家としての存在です。