「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

悠久の時をさかのぼる

2006年06月29日 | 旅の足あと
 ワールドカップの騒ぎにかき消されてあまり話題にならないようですが、ペルー中部で、4800年前の神殿とみられる遺構が、日本の専門家のグループによって発見されたという記事が出ていました。(朝日新聞・6月20日)

 4800年前というと、世界史で教わった四大文明にもう一つが加わることになる壮大なロマンです。ペルーには、ナスカの地上絵、クスコの山上マチュピチュの空中都市と謎を秘めた遺構が多いのですが、新たにこの「シクラス遺跡」が加わりそうです。

 私にとってのペルーは、ブラジル通いが始まった1981年当時、アメリカからの直行便は滅多になく、ほとんどがペルーのリマを経由してブラジルに入っていました。クスコもナスカも想い出の地です。
 最近やはり、日本の学者によって、新しい地上絵の発見もあったと報じられています。
 首都、リマから100キロ北、ということは、この国最古の都市遺跡、カラル遺跡(B.C約2600年)よりもリマ寄りです。

 サッカーに夢中で見落とされた方のために、そして「後で」とゆっくり読まなかった自分のために、新聞からの抜粋を要約して記します。

” 中南米には、マヤ、アステカ、インカなどの古代文明の存在が知られているが、シクラス遺跡はそうした文明をはるかに遡る。
「エジプトやメソポタミアなど四大文明と並ぶ文明圏が、同時期に南半球にも存在した可能性」を示す。(稲村哲也・愛知県大教授)
 ペルーでは従来、B.C2500年ごろからアンデス山脈の高地にピラミッド型の神殿が作られ始めたとみられてきたが、海岸部にも古代文明の存在が判明した。高さ30mを超す神殿とみられるピラミッドが並び、布、笛、土偶、いけにえとみえる男性の人骨が発見されている。
 シクラスとカラルは、どちらも土器や文字がみつかっていない。建築にシクラを使うなどの方法が一致しており、ほぼ同時期に同じ文化圏が周辺にあったことが推測される。”

 調査チームによると、山頂付近の盗掘者による4mx8mの竪穴から発見された内部の調査から、シクラや木炭片、繊維片などが見つかり、複雑な工法で建築が繰り返されていることなどから、宗教的な祭祀の施設の可能性が高いとされています。
 今後の調査、研究で解明されると期待を持って、悠久の時をさかのぼる壮大なロマンにわくわくしています。

  (註)シクラとは、アシを袋状に編んで小石を詰めた古代の築造補強材

朝日新聞より




マチュピチュの遺跡


ナスカの地上絵
写真は旅行社の古いパンフレットより

山形からのさくらんぼ

2006年06月28日 | 遊びと楽しみ
 山形から今年もさくらんぼの贈り物が届きました。
初摘みの瑞々しいさくらんぼは、愛らしい姿を、鮮やかな色艶で装って並んでいます。
 なかには、小さな葉?をつけたものもあります。
 家業のかたわらで丹精された、その心づくしを、さくらんぼの甘さに加えていただいています。
 5月に実をつける我が家の庭の実桜のさくらんぼとは、大きさも、甘さの味も全く異なる見事なものです。
 とりあえずのお礼の電話に、「九州は水害が出ているようですが、お変わりはありませんか」と、お見舞いもいただきました。山形言葉の柔らかな響きの向うに、抜けるように色白で、上品な送り主の面影を思い描いています。

    桜桃やこの美しきもの梅雨の夜に   森 澄雄
    茎右往左往果子器のさくらんぼ    高浜虚子



    
    くちびるに触れてつぶらやさくらんぼ 日野草城
    桜桃のひとつひとつが灯をともし   杉本苑子


今年の枇杷

2006年06月26日 | 絵とやきもの
 この時季の画材によく登場するのが枇杷と、紫陽花です。今年は紫陽花のほうは思い切って単純化してみようということだったのですが、なかなか想いが形に展開しません。

 まずは枇杷の各人各様の表現です。昨年はハガキでの作品作り(それぞれの枇杷)でしたので、今年は色紙にしてみました。すこしは進歩の跡が見られるようですが、まだまだの道のりです。
 熊谷守一をイメージしてみたり、南画風であったりと、皆さん楽しんでいます。










 
落款を消したため余白が空きすぎていますのをお詫びします

命どう宝

2006年06月23日 | 塵界茫々
 今日6月23日は沖縄慰霊の日です。20万人余の犠牲者を出し、県民の4人に1人が亡くなったといわれています。
 新聞などの扱いも60年以上経過したこともあるからでしょうか、W杯1次リーグでの敗退を大きく取り上げ、慰霊の日の扱いは小さいようです。

 私が沖縄に行くことができたのは7年前でした。機会は何度かあったのですが、どうしても足が向かず自分で封印してきました。
 同じ年頃の沖縄師範学校や県立第一高女はじめ、7つの学校の教師、女生徒が、従軍看護婦として死んで行ったその戦跡の地に、同じ時代を過ごした身としては、観光を目的で出かけるのには躊躇いがあったからです。

 「ひめゆりの塔」では、彼女たちが最後のときを迎えた第三外科であった壕のまえに佇んで、その凄絶な死を思うときに、涙が溢れて仕方がありませんでした。 
 今日慰霊祭が行われる摩文仁の丘の「平和の礎」では、どうしても足が止まって、遠くからの参拝となりました。

 本土とは異なる独自の言葉と文化を持ち、武器を持たない平和な島であった沖縄が、日本で唯一の地上戦の戦場となり、想像を絶する多くの血が流されています。

 いまもまだ、広大な米軍基地を抱える沖縄が、世界に発信する平和への願いは、“鉄の暴風”をくぐりぬけて生きてきた人たちの「命どう宝」の切実な叫びでもあります。


写真は沖縄写真ギャラリーより 第三外科のあった壕入口、ひめゆり平和祈念資料館は左手奥、記念碑は壕の真上に建てられています。




 1次リーグの日本敗退が決まって、ワールドカップ熱も少し落ち着きをみせることでしょう。
 大雨洪水警報が出ている九州は、昨日から梅雨の雨の持つイメージとは異なる1時間40ミリといった大雨です。ドイツからの涙雨でしょうか。それとも沖縄の亡魂の嘆きの雨でしょうか。

甕覗

2006年06月20日 | みやびの世界

 先日(14日)、「ジャパンブルー」を書いて、日本の伝統色の藍を紹介するHPをリンクとしてあげました。
 一般的には色としての解説はその通りなのですが、何か自分の中に小骨が刺さっているみたいで、いろいろ当たって見ました。

 やはりささった小骨がありました。たどり着いたのは、白州正子の「雪月花」(平成3年神無書房)の中の、“矢橋家の牡丹園”でした。

 旧街道,中仙道の宿場だった赤坂の旧家、矢橋家の牡丹を見に訪れた折のことが書かれていますが、その中に、藍の色、“甕のぞき”について触れられています。この淡い記憶が色としての甕覗の解説に”待てよ“と囁きかけるものとなったのでしょう。

 本場中国での、明け方から、月光の牡丹まで一日がかりの花見を知って驚いたのですが、彼女の牡丹の花見もそれに近い優雅なものでした。その150年もの古木の牡丹のかもす美に触れながら、『若いうちは花の数は多いが、色はあさはかで鑑賞にたえない。その木が年老いて木が弱った時、はじめて真に美しい花を咲かすことが可能になる』と語る矢橋さんの言葉に「甕のぞき」の藍の色を重ねて思っておられます。
 少し長くなりますが以下に引用します。

 藍の中でも「甕のぞき」といって、色が薄く透き通って、しかもコクのある浅葱色は、最高のものとされている。藍の原料は植物だが、ふつうの植物染料と違うのは、藍甕の中で発酵させて、生かしておく所にある。勢いのいい間は濃く染まるが、その生命力がおとろえて、死ぬ寸前になった時、はじめて美しい「甕のぞき」に染まる。元より、力はおとろえているのだから、二十ぺんも三十ぺんも甕につけなくては定着しない。そこで色は薄くてもコクのある浅葱に発色することができるのだ。・・・・
 そこまで藍の命を持たせるのは容易なことではなく、死ぬ瞬間をとらえるにも長年の経験とコツが要る
 それにしても、藍も牡丹も、生きる力が衰えた頃、そのもっとも美しい姿を現すとは、何という皮肉なことだろう。だが、それを皮肉と感ずるのは人間のさかしらで、彼らはいと鮮やかに、生命の神秘と造化の妙味を物語っているのではないか。



 人間には、到底彼らのような有終を彩ることはできないようです。少なくとも自分自身に照らして、身辺にも見当たらない世界です。
 甥が時に届けてくれる清酒「甕覗き」には、甕の容器に入れられた酒に、柄杓が添えられています。

表紙の題字「雪月花」は熊谷守一です。


季節の台所仕事

2006年06月17日 | 塵界茫々
 この季節は、私にとって、年末のおせち料理と並ぶ、一年で最も忙しい台所仕事の時季です。
 主婦業はとうに失格者と自他共に容認しています。というのも、周辺に、義妹たちの達者な腕が揃っているための劣等感からです。

 梅仕事と呼んでいる梅干、梅酢、梅シロップ、梅味噌は、一段落したところです。
 「真竹の筍」で、茹でたてを梅味噌でいただくと書いていましたところ、けせらせらさんから、梅味噌の作り方を教えてとコメントがありました。MAILもお二人からいただいたので、左利きの方のためのレシピと、私なりの作り方を次に記します。
、昨年、虚庵さんにも好評でした。ほかの梅仕事と違って出来上がったらすぐ食べられるのが味噌でしょう。

材料
 梅1k  酒1合  味噌1k  砂糖700g  酢100cc
作り方
 1、梅は半日水に漬けあく抜きをした後、水気を拭いて、へたを取る。
 2、鍋に酒1合を入れ、弱火で梅をよく煮る。
 3、梅を掬い上げ、種を除いて裏ごしする。
 4、鍋に戻し、味噌と、砂糖を加え、ジャムの固さより少しゆるめ程度になるま で煮詰めて練ってゆく。
 5、最後に発酵止めの目的で酢を、てりを出したい時は味醂を加える。
以上です。
 味噌の味次第で、砂糖の量を加減してください。
 例えば西京味噌を使うときには、砂糖を500gにというように。あわせる食品によって、その場面で、山椒や、和からしを加えてお使いください。

 伽羅蕗も、水分を飛ばすための干し加減で、微妙に調味料の加減を変えるのも面白い仕事で、自家製独自の味は買うことは出来ません。売られているものよりずっと薄味に仕上げます。
 酒と、濃口醤油、味醂、昆布と干椎茸を多めに、山椒を加えてゆっくり煮込んでゆきます。近年は圧力鍋を最初に使うことを思いついて、だいぶん時間の節約が出来ています。よく、何をどれくらいと聞かれますが、材料の干し具合、火加減と、調味料を入れるタイミングで異なるものは、経験を積んで自分で体得するしかないようです。

 富安風生の句に、梅雨籠りして常のことを常のごと という句がありますが、この句のように毎年くりかえす季節の台所仕事です。


真竹の筍

2006年06月16日 | 季節のうつろい
 ワールドカップでジーコジャパンが惨敗を喫して以来の、鬱々とした気分転換を図るというので、雨が上がったのを見計らって、この季節限定の筍山に出かけました。
 鳴き過ぎてゆくホトトギスの声と、木々を渡る風にゆったりとした時間を感じることが出来ました。
 私のホトトギスの鳴きまねが「巧い!」とあるじに笑われました。「もしかして、もとはホトトギスか?」とからかわれましたが、狐や鶴の女房は在来種ですが、はて、ホトトギスは何を織るのでしょう。

 筍は、どなたか1日お先に失礼してお持ち帰りで、収穫はあまり感心しない育ちのが36本でした。
 これは目くじらを立てても仕方がありません。長い留守中、放置すれば人が入れなくなってしまう竹林を、断りなしとはいえ、毎年適当に収穫していたために、辛うじて現状が維持できているのですから。

 頭を出しはじめの、柔らかいてっ辺のところだけを賞味する先住者の猪と、ぬす人と、三者共存での筍採りです。よそ様に差し上げるのは別にして、自家用は山で皮を取って、三分の一に軽くして帰宅します。梅味噌に山椒を足して茹でたての筍にかけたものは、お酒の肴に絶品です。


ジャパン・ブルー

2006年06月14日 | みやびの世界
 友人に、こよなく日本を愛し、ことに「ジャパン・ブルー」と呼んで、日本の藍に夢中なスペイン人(ご主人は日系の数学者)がいました。

 自宅の客間の正面には、鶴亀に、賑やかな色使いの松竹梅を配した、筒描きの祝風呂敷が、タペストリーとして吊るされていました。テーブルセンターは紺地の縞に雨絣の蒲団地を使った手製でした。クッション、ランチョンマットも、コースターも絣の古布のパッチワークという徹底ぶりでした。

 藍の歴史にも詳しく、教えられることが多かったと記憶します。
 日本人より詳しい彼女の説によれば、藍は東南アジアが原産で、中国、朝鮮を経由して、古墳時代にその栽培法と染色の技術が日本に伝えられたのだそうです。
 Indigoという藍の世界的な総称の、名が示すようにインドが原産で、紀元前からインド藍は染料として使用されたのだそうです。

 日本の絣は私も好きで、古布を集めた時期がありますが、大半は藍染めで絣を織っていた娘が持ってゆきました。藍染めは私の手では到底無理ですが、化学染料での真似事で、日傘などをインジゴで染めたことがあります。空気に触れることで発色してゆくのが面白くて、蝋を使って、グラデーションにデザインの色を残して伏せてゆき、手が人前に出せないほど青く染まるのもかまわず楽しんだことでした。 藍は東洋系の人には、誰にでもよく似合う色だと思います。

 彼女に私が教えることができたのは、伝統的な日本の青の色の、段階で変わる呼び名くらいでした。
 薄色から瓶覗(かめのぞき)すこし濃くなると水浅葱、次が浅葱(あさぎ)、納戸(なんど)縹(花田)そして目的の藍、紺に到着するまでの名称の多いことが、それだけ長い年月に亘って愛用されてきた色であることを物語っています。

 ITサークルの方たちに誘われて、昨年と同じ高塔山の紫陽花祭りに出かけました。紫陽花の染めあげる様々なブルーに誘導されて、例のごとくの懐旧談です。

 梅雨らしい雨の今日は、ジャパン・ブルーが気分にもよく馴染みます。
 そういえば、W杯出場の日本のチームカラーもジャパンブルーです。

日本の伝統色の青をご覧になりたい方はここをクリックしてください。


日本民藝館絵葉書より

それぞれの どくだみ

2006年06月12日 | 絵とやきもの
 ワールドカップのせいで、生活のリズムがすっかり狂って、そうでなくてもしゃっきりとしない梅雨時の頭が、とめどなく浮遊しています。
 それで、机の上でも片付けようとして、先日「どくだみ」をみんなで描いたのを思い出し、それぞれの「どくだみ」をUPすることにしました。
 「毒」を嫌って、漢方での「十薬」ジュウヤクの呼び名を使う人も多いのですが、毎年この季節の定番の画材です。今年の“どくだみ”の咲きようです。
 落款はあえてペイントの消しゴムで消しました。同じモチーフがこうも変わります。
 










 W杯優勝経験を持つアルゼンチン相手に2―1と戦ったコートジボワール、今やアフリカのリーダーですが、敗れたとはいえ見せてくれました。
 マラドーナの背番号を受け継いだリケルメ、さすがの試合運びで、4年前の悪夢(1次リーグで敗退)を繰り返すことはないと確信します。
 もう一つのC組は、オレンジ色がスタンドを揺るがせる中、1―0でオランダが辛うじてセルビア・モンテネグロを下しました。
 今夜はいよいよ対オーストラリア戦です。開始時間の10時までは落ち着かない時があります。


VIVA コッパドムンド!

2006年06月09日 | 遊びと楽しみ
 ついに四年に一度、世界中が熱くなるワールドカップ(COPA DO MUND)の開幕です。下馬評ではブラジルの優勝という人が多いようです。ブラジルではサッカーをFUTEBOL(フッチボウ)とよんでいますが、彼らの熱情はいやがうえにも燃え上がっていることでしょう。
 
 そうでなくてもフッチボウの試合の都度、私の目には”正気の沙汰“ではないと映っていました。カルナバルで情熱の発散を見慣れていても、また一味違った狂乱です。
 最近では日本でもかなり熱くなる人々がありますが、桁がちがいます。

 ある日のことです。突然、耳をつんざく大音響、歓声、爆竹のはじける音、クラクション、ラッパ、何事が起こったのかと、カーテンの隙間から外を覗くと、いつも見慣れた商店はどこもシャッターを下ろしており、トラックに溢れんばかりの男たちが、ブラジル国旗を大きく振りながら、声を限りに叫んでいます。
 
 教会の広場に一日、うつろな目で座り込む失業者らしき人たちを目にしていただけに、暴動が起きたのだと判断しました。同じアパートに住む唯一の日本人、K社の派遣社員の方の家のベルを押し、夫は出張中だし、どうするのが一番安全かと相談しました。一瞬驚いた彼女はすぐ状況を理解し、テレビの前に私を案内しました。(日本から送ったテレビは映像を受信しなくて自宅にはまだTVはありませんでした)渡伯して間もない、ワールドカップの年の出来事です。これが私のサッカー開眼へのきっかけでした。

 22日、日本は、ブラジレイロのジーコのもと、ブラジルと対戦します。もしかしてという気がしています。
 当分寝不足の日が続くことになりそうです。


試合開始前の応援風景