「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

除夜の鐘

2004年12月31日 | 塵界茫々
毎年、遠く聞こえてくる除夜の鐘を聞きながら、今年一年を振り返ります。正式には107つを旧年中につき、残る一つを新しい年に撞くのだと聞いたことがあります。いつもと同じ時間が経過する一日なのに、特別な感慨を持って過ごすことになります。。自分自身のこと、身近な人々の上に訪れた変化、そして、世の中のことと、さまざまなのですが、私のパソコンライフの3大トピックスは、パソコンを酷使して、再セットアップを余儀なくしたこと、ホームページを開設したこと、もう一つはこのブログの開設といったところです。
それにしても、今年は、まるで地球が、怒りの警告を発しているかのような自然災害の多発した年でした。その総仕上げとでもいったようなスマトラ沖地震で、今日もまだ犠牲者の数が増え続けています。7回もの台風の上陸、新潟中越地震、被災した方々は、それまでの平穏からは程遠い不条理の中で年の瀬を過ごすのだと思うと、切なくなります。
今年の除夜の句は、
「除夜の鐘幾谷こゆる雪の闇」 飯田蛇笏
を、雪深い国で初春を迎える方たちを偲んで選びました。あと3時間で2004年も暮れてゆきます

石垣りんさん死去

2004年12月28日 | 歌びとたち
2004年も残すところ5日という26日「生活詩人」と言われた石垣りんさんの訃報がもたらされました。新聞の報道によると84歳の死去。誇りを持って精力的に誠実に生き抜いた骨太の生涯をしみじみ羨ましく思います。
「シジミ」「鍋とお釜と燃える火」「峠」「表札」などは中学や高校の教科書に採択され、目にふれる機会も多い作品ですが、私は若いころには、突き刺さるような言葉遣いの刺々しさと、女であることが表に出すぎる気がして,あまり好きになれない詩人でした。ところが、自分が歳を重ね、生きる時間が積み重なってくると、まるで異なる感懐をもつようになりました。特に認識を新たにしたのは「ちいさい庭」という詩に出遭ってからです。
     ちいさい庭
老婆は 長い道をくぐりぬけて
そこへたどりついた。

まっすぐ光に向かって
生きてきたのだろうか。
それともくらやみに追われて
少しでも明るいほうへと
かけてきたのだろうか。

子供たちーーー
苦労のつるに
苦労の実がなっただけ。
(だけどそんなこと、
人にいえない)

老婆はいまなお貧しい家に背を向けて
朝顔を育てる。
たぶん
間違いなく自分のために
花咲いてくれるのはこれだけ、
青く細い苗。
老婆は少女のように
目を輝かせていう
空色の美しい如露が欲しい、と。

突放した表現の背後からにじみ出る人間の悲しみに寄せる温もりが、飾らない言葉で歌われています。
訃報に接して、彼女が職場新聞に寄せた「弔詩」の最後のほうに出てくるフレーズを同じ想いをこめてくちずさんでいます。「戦争の記憶が遠ざかるとき、/戦争がまた/私達に近づく。/そうでなければ良い。」

ノックは何回?

2004年12月26日 | 塵界茫々
あなたはノックは何回しますか?入室の際のマナーとしてすっかり定着していますが、欧米の人は3回、乃至4回が多いようです。日本人は圧倒的に2回が多いようです。これは「もし、もし」「はい、はい」と2拍子になるところからきたものではないかと言われています。そういえば、お能での呼びかけも「のう、のう」で二回ですね。有名な去来の「応々と言えど叩くや雪の門」も二拍子ですよね。ところで、私が聞いた話では、二回ノックを「トイレノック」、といい、三回ノックは「プライベートノック」、恋人や、夫婦の間の合図、四回ノックが正式ということでしたが、・・・ベートーベンの運命は、「ダダダダーン」ですよね。でも、センサーが反応してドアが自動で開く時代とあっては、ノックの習慣、マナーなど無用で、そのまま入室する時代が直ぐ其処ですね。

クリスマスイブ

2004年12月24日 | 塵界茫々
キリスト教徒ではない私も、海外暮らしの間は何かと教会に出かける機会がありました。
友人の子供の洗礼、結婚式、そのほかのお祭り、教会のバザーといろいろですが、一番人が集まるのはクリスマスイブでした。
聖書のお説教は言葉の壁と、聖書の馴染みがないことでかなり我慢の時間でした。いつもとは異なる飾り付けの、降誕に由来する人形や、洞窟をかたどった中に飼葉桶に横たわるキリストなどを子ども達と一緒に眺めるぐらいでした。
イブは、クリスマス前夜祭ですが、クリスチャンの友人の言によると、24日の昼間はイブではないのだそうで、教会のミサも3回あるうちの2回目の夕刻7時からのミサが主なのだそうです。彼の説ではキリスト生誕当時のユダヤ暦では、日が暮れると日付が変わったので、24日の日が暮れると降誕記念日になる。だから、世界中の教会で礼拝が行われるのだとのことでした。
お正月は、1日だけしか祝わない人々の、年間最大の祝日です。どこでも今日は開放されている教会を一度のぞいてみたらいかがでしょう。

美しい日本語

2004年12月23日 | ああ!日本語
「いってきます」 「お帰りなさい」 「いただきます」 「ごちそうさま」。家族の笑顔と、包み込む暖かさが伝わり、心和む場面が想像されます。外国語ではこうした挨拶に当てはまる表現が果たして存在するのか、私は聞いたこともないし、知りません。。慌しい日常でも失いたくない美しい言葉が日本語にはまだまだあります。
デパートで買い物をしても「ありがとうございました」と丁寧に言われて面食らう外国人は多いようです。ただし、先日の私の経験ですが、買い物を終えたところ「お持ちしますか?」とたずねられました。、たいして持ち重りのするものでもなかったので、「いいえ、結構です。」と答えると変な顔をされました。彼女のつもりでは私が自分で持って帰るのか、それとも宅配にするのかをたずねたのです。、丁寧なのはよいのですが、この場面で自分が持つのなら「お持ちします」であって、相手が持つのは「お持ちになる」でしょう。彼女が駐車場まで運んでくれるはずもないことに気づかず間の抜けた返事をした私が老耄なのか。こうなると、日本語は難しいかもしれませんね。

 柚子湯

2004年12月22日 | 季節のうつろい
庭の落ち葉を片付けていて、気がつくと夕日が落ちかけていました。おや、こんな方角にと思うほど南よりで、この方角と思い込んでいる西とは60度ぐらいもずれていました。科学に弱い私でも冬至だからなんだと納得したことです。
周王朝の3000年昔は、一年の始まりだったのですよね。ささやかな我が家の行事は、柚子湯と、南瓜を食べることぐらいです。
 テレビで、冬至から湯治の語呂あわせで柚子湯なのだと言っていました。河豚を福来と転じて呼ぶお国柄ですから、そうなのかもしれません。我が家の柚子は今年は実のつきが悪いので、柚子湯の贅沢は許されませんので、甘夏柑の皮を袋にいれての代用です。それでも十分にすがすがしい豊かな気分を満喫しました。

いろはかるた

2004年12月20日 | 遊びと楽しみ
 もうすぐお正月。私たちの世代が幼いころ遊んだいろはカルタ、今ではすっかり姿を消したようですが、昔の子供たちは、圧縮された表現にこめられている生きる上の知恵とともに、文字を覚えたのでしょう。江戸時代は天明のころ上方で成立し、文化のころ江戸でも作られたと聞いています。したがって、上方と江戸では同じものもありますが多くは一様ではありません。また、時代とともに入れ替えも盛んに行われているようです。いくつか挙げてみます。このほか尾張にも別のものがあったようです。

江戸               大阪             京

犬も歩けば棒にあたる      一を聞いて十を知る     一寸先は闇

骨折損のくたびれ儲け      惚れたが因果        仏の顔も三度

塵も積もりて山となる      地獄の沙汰も金次第     地獄の沙汰も金次第    

負けるが勝           待てば甘露の日和あり    撒かぬ種は生へぬ

門前の小僧習はぬ経を読む    桃栗三年柿八年       餅は餅屋

どこか土地柄の感じられるものもありそうです。商都の上方は、おおむねシビアで根にある商哲学が窺えます。天明の大飢饉のせいでしょうか。それにしても、昔の人は短い表現に多くのことを盛り込んでキリリと締っています

時雨

2004年12月19日 | 歌びとたち
 師走とは思えない暖かな晴天つづきの一週間でしたが、昨日は予報が外れて、昼前から気がつくと雨になっていました。
  時雨のあめ間なくな降りそ紅に匂へる山の散らまく惜しも
 万葉集に光明皇后の作として出ている歌です。女性らしいはなやぎを裡に、万葉人らしいおおらかさが好きです。
 いよいよ時雨の季節の到来です。庭の楓も頭のほうは、そそけた黒い枝をむなしく空に伸ばしています。
 蕪村にも時雨を詠んだ好きな句があります。
   老が恋わすれんとすれば時雨哉  (自画賛・手紙)
 この句は句稿の 「秋の哀れ忘れんとすれば初時雨」よりも「切なさ」がいよいよ切なく漂ってきます。ほかにも時雨の句のなかから。
   
   
   遠山に夕日一すぢ時雨哉
   楠の根を静かにぬらす時雨哉

美か醜か

2004年12月18日 | 塵界茫々
 気候不順の暖冬のせいか、今年は楓の紅葉が遅く、いつまでも落葉しないで師走も半ばを過ぎてしまいました。
異変は南天の実にも現れて、毎年梅雨時に花への心遣いを怠けるので、まばらにしか赤い粒を留めないのが、今年は花と雨の季節がずれたおかげでたわわの珊瑚の粒をつけています。
 風に誘われて、紅葉も昨日あたりから落葉がしきりです。時雨に朽ちない前の「散紅葉」は、庭を埋めて、ずぼらでなく掃き寄せる気になりません。美しいとしみじみ味わいます。ある人に婉曲に、見苦しいと、たしなめられたことがありました。紅に黄の混じるいろは紅葉の莚を美と見るか、醜と見るかは、その嗜好によるものでしょう。
「 無邊の落木蕭蕭として下る」 暫しの風情を享受できる山里の住まいを今は楽しんでいます。すぐに、ため息をつきながらの落ち葉掃除の日々が訪れます。

あげる

2004年12月17日 | ああ!日本語
 近頃、気になる言い回しの中から二つ。一つはやたら使われる「あげる」です。
やる、与えるの丁寧な言い方なのはわかりますが、「花に水をあげる」「日当たりの良い場所に出してあげてください」「餌をあげないで」 気になりませんか?
 さすがに、書き言葉になるとこの種の(あげる)表現は見かけなくなります。「やる」のもつ上位の者から下位の者へという意識が、非民主的と嫌われて日本語から締め出されたのでしょうか。花が水をあげるのは嬉しいのですが。「花に水をやる」「餌をやる」でも、品のない言い回しではないと思うのですが。
 もう一つは、「○○的」。驚いたのは「自分的」「気持ち的」一瞬聞き間違えたと思いました。明治初期に流行した表現の再来でもないと思うのですが、やたら耳障りな「的」をつけた表現です。「私的」を、あえて「わたくしてき」と読んでの転用なのでしょうか。「気分的」の類似としての「気持ち的」なのかもしれませんが、どうもすんなり納得できません。ほとんど病的なまでの多用と感じます。