たまたま目に触れた新聞の記事です。長崎の町では、除夜の鐘を騒音として苦情が寄せられるようになっているということでした。
すり鉢状の長崎の地形は、天然の音楽堂で、音響効果がよく、除夜の鐘につづいて、各教会が新年のミサに鳴らす鐘、そして、港に停泊する船の汽笛が鳴り響くのは、いかにも異国情緒の長崎にふさわしい風物詩だったと思うのですが。
記事によると、23の教会のうち、元日のミサの鐘を鳴らすのは3教会だけで、あとは自粛なのだそうです。
お寺も同様で除夜の鐘が撞かれるのはかつての四分の一以下になっているようです。そういえば、最近では、撞き手がなくなった寺では、機械仕掛けで自動で鐘が鳴る装置の寺もあるとか。
キリシタン大名大村純忠ゆかりの地に建つ中町教会は、15殉教者に捧げられ由緒ある教会ですが、いまではマンションとビルの中に埋もれたようになっています。居住する人たちには「うるさい」と苦情を述べたくなるのも解らないではありませんが、せめて除夜の一夜、鐘の音に包まれて、カウントダウンの騒音とは異なる、行く年の名残を惜しんでもいいように思うのはよそ者の勝手でしょうか。
見出しに曰く「除夜の鐘 騒音苦情の響きあり」 朝日新聞夕刊
風雲易向人前暮。歳月難従老底還 和漢朗詠集 良岑春道
風雲は人の前に向かひて暮れやすく、歳月は老いの底より還しがたし。
過ぎてゆく年の名残の日には、誰しもが抱く感慨ですが、齢を重ねると、その歳月の還しがたいことがひとしおの感で身に迫ることです。
忘年や身ほとりのものすべて塵 桂 信子
“すべて”とまでは思い切れないまでも、それに極めて近く、意味を持つものが年々減ってゆきます。
今年の除夜の鐘はどのように届くことでしょうか。遠く、近くの寺の鐘をしみじみと心に響く郷愁の音として聴く幸せを感謝して今年を送ることにします。
この一年のあいだ、お付き合いくださった皆様にこころよりお礼申し上げます。皆様に訪れる新しい歳が、健やかに、平安をもたらすよき年でありますようお祈りします。
すり鉢状の長崎の地形は、天然の音楽堂で、音響効果がよく、除夜の鐘につづいて、各教会が新年のミサに鳴らす鐘、そして、港に停泊する船の汽笛が鳴り響くのは、いかにも異国情緒の長崎にふさわしい風物詩だったと思うのですが。
記事によると、23の教会のうち、元日のミサの鐘を鳴らすのは3教会だけで、あとは自粛なのだそうです。
お寺も同様で除夜の鐘が撞かれるのはかつての四分の一以下になっているようです。そういえば、最近では、撞き手がなくなった寺では、機械仕掛けで自動で鐘が鳴る装置の寺もあるとか。
キリシタン大名大村純忠ゆかりの地に建つ中町教会は、15殉教者に捧げられ由緒ある教会ですが、いまではマンションとビルの中に埋もれたようになっています。居住する人たちには「うるさい」と苦情を述べたくなるのも解らないではありませんが、せめて除夜の一夜、鐘の音に包まれて、カウントダウンの騒音とは異なる、行く年の名残を惜しんでもいいように思うのはよそ者の勝手でしょうか。
見出しに曰く「除夜の鐘 騒音苦情の響きあり」 朝日新聞夕刊
風雲易向人前暮。歳月難従老底還 和漢朗詠集 良岑春道
風雲は人の前に向かひて暮れやすく、歳月は老いの底より還しがたし。
過ぎてゆく年の名残の日には、誰しもが抱く感慨ですが、齢を重ねると、その歳月の還しがたいことがひとしおの感で身に迫ることです。
忘年や身ほとりのものすべて塵 桂 信子
“すべて”とまでは思い切れないまでも、それに極めて近く、意味を持つものが年々減ってゆきます。
今年の除夜の鐘はどのように届くことでしょうか。遠く、近くの寺の鐘をしみじみと心に響く郷愁の音として聴く幸せを感謝して今年を送ることにします。
この一年のあいだ、お付き合いくださった皆様にこころよりお礼申し上げます。皆様に訪れる新しい歳が、健やかに、平安をもたらすよき年でありますようお祈りします。
歌っていました。北海道のイオマンテや伊豆の歌謡曲なんかも流行していました。
大きくなったら、一度は訪ねてみたいと思ったものですが、時代が変ったものですね。味気ない話。
長崎に鐘が鳴らない・・。とは。
とかく他とおなじを目指しがちな日本人ですが、ものにふれての見方、捉える切り口、まして感じ方は人さまざまです。
むしろ、みなが同じ方向で物を見、捉えるとしたら、その方が危険だし、薄気味がわるいと思います。
ただ、どこまでが他の人との相違を許容し、共存できるかの問題でしょう。
私のブログを訪問してくださる方にはあまりいらっしゃらないタイプの武蔵様。剣豪の切っ先鋭いコメントをお待ちします。
そういえば、昔、蜂の武蔵という歌が流行りましたね。
長崎情緒も雨に流されて、一つずつ消えてゆくのも時の流れでしょうね。
坂の長崎に鐘の音が響かなくなったらと思うと、旅情も半減しますね。アンジェラスの鐘はお祈りの時間には鳴っているようですよ。
新幹線問題にも決着がついたようですから、そのうち九州においでの節は是非お尋ねください。
崇福寺周辺や、丸山あたりの風景も少しずつ様変わりのようですが、まだその昔の面影が市内電車とともに残っています。
あまり変わらない島原、雲仙もお勧めです。