「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

ワインの年齢

2005年02月27日 | 遊びと楽しみ
エッセイスト玉村豊男さんのエッセーの中に、嬉しい言葉を発見しました。「フランスでは、古い樹のブドウから造られるワインが高級品として珍重される。若く樹勢の強いブドウの樹からはたくさんの果汁が取れるが、それは凡庸なワインにしかならない。有名メーカーの中には、若い樹のブドウからできたワインは二級品として売り、五十歳以上の樹から造ったものだけをブランド品として認める、というところもあるくらいだ。一生の間に得たものを凝縮して搾り出すわずかな量の果汁が、滋味豊かで香り高い、素晴らしいワインを生むのである。若いうちはただ元気なだけで内容がない。人間も、五十歳を過ぎてからようやく充実してその真価があらわれる。」
 時間と共に熟成されていくワインやチーズはもちろん、人間の熟成にも50年と言う時間が必要と言うことでしょう。そして、若いことにのみ価値があり、歳を重ねていることはまるで悪いことででもあるかのような扱いをする近頃の風潮に一矢報いる発言でしょう。若いは決してほめ言葉ではなく、まだ未熟ということでしょうか。すっかり楽しくなってしまいました。
 胸を張って、乏しいながらも年数だけは十分に熟成?されたはずの果汁を、いささかでも還元しなくてはと、元気が出てきました。

小鳥の恩返し

2005年02月26日 | 遊びと楽しみ
 院から帰ってきたところ、玄関脇の蹲の周りの石畳に、小さな水しぶきの跡が50センチ四方くらいに散っていました。
 少し暖かくなった日差しに誘われて、例年の可愛い訪問者がやってきたようです。
 人ずくなの山住まいの楽しみの一つが、この蹲を気に入って水浴びに来る小鳥たちの訪れです。物陰から偶然発見したときは、驚きました。
 夏場は人影も気にしないかのように、賑やかに音を立てています。差し渡しに置いた小さな竹の柄杓が格好の止まり木になるようです。ホオジロや雀より一回り小さい鳥の一家で、一時は鳥インフルエンザを警戒して、水を抜くことも考えましたが、水の絶えた蹲はどうにも不格好で、そのままにして、中に溜まる落ち葉を手で取り除けるのは止めにしました。カーテンの隙間から鳥たちの余念ない羽繕いの仕草をそっと観察しています。
 少し慌しい入浴をすました鳥たちの落し物を「小鳥の恩返し」と昔、娘が名づけたものです。思いがけず山椒や、千両、南天などが庭に芽生えて、今も大きく成長した山椒は、重宝しています。
 今年はどんなプレゼントをしてくれることか。

古歌に重ねて

2005年02月24日 | みやびの世界

 古来の歌人たちに、詠みつがれて来たものには、今日では見ることのできなくなった風物が数え切れないほどある中で、「花」「月」に寄せた想いは、たとえ、人が月の上を歩く時代になった今も千五百年の昔と変わらず受け継がれています。開花予想に期待を持ち、桜前線の北上に北国の遅い春を偲ぶそれが証明しています。
あのノーベル賞を受賞した川端康成の記念講演「美しい日本の私」も、詰まるところ「雪、月、花」の美を礼賛したものでした。
 2月の冴えた満月の美しい姿を眺めながら、やはり「くまなき月」は、人に物を思わせるものとしみじみ障子に映る梅の透き影を鑑賞したことです。
短歌、俳句のたしなみのある人はそれを案ずるのもよいし、カメラや絵筆と言う手もあります。それらに加えるもう一つの無償の楽しみがあります。それは古来の名歌、名句に今の実景を重ねて味わい楽しむという楽しみです。これは、はるか後の世に生まれ合わせた者の特権でしょう。これを活用しないのはもったいないと思うのですが。いかがでしょう。

   久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ      友則

   宿りして春の山辺に寝たる夜は夢のうちにも花ぞ散りける   貫之

   この木戸や錠のさされて冬の月     其角

   しら梅の枯れ木にもどる月夜かな    蕪村

   白梅や誰がむかしより垣の外      蕪村

   夕月や納屋も厩も梅の影       鳴雪

   光琳の斯く見し梅のかく咲ける    川端龍子

花は盛りに

2005年02月22日 | みやびの世界

 活動的な動きを禁じられて、久しぶりにまた、徒然草を読み返していました。短い段章からなるので、今のような状況の折に手にするのに適しているのと、若い日の所感とは異なる味わいに惹かれるものがあります。
 七五調を基調とする名調子の137段は、古典の教科書に必ず登場する「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」で始まる有名な一段で、昔も今も魅力のある段ですが、ふと、この美意識は兼好法師の独創の見解なのだろうかと思ってしまいました。
 「雨にむかひて月をこひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほ哀れに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所おほけれ。」と続いていくのですが、徒然草成立の1230年頃といえば、南北朝前夜、鎌倉の北条の勢力に押され、宮廷の勢力が衰退する中にあって、一方、和歌に精進する武士や、風流に心を寄せる隠遁者たち、これらの人に、王朝以来の公家社会が培って来た伝統の美意識を披瀝したのではなかったか、ということです。
 平安時代の「うつろいざかり」ほどではなくとも、物の頂点の美だけをもてはやすのではなく、、あるべき姿の想像、期待、余韻を味わうゆとり、何事にも大騒ぎしない嗜みと、程のよさこそ大切といった伝統の粋を賞賛したかったのではないでしょうか。
 移盛りは、白菊の花があせてうすい紅色を帯び、さらに紫がかったのが、最も美しい時期として、古今集にも歌われ、伊勢物語でも賞美されていますが、私にもそこまでの趣味はお呼びではありません。あなたはいかがでしょう。やはり盛りの花こそ見所多けれですか。

抜歯

2005年02月19日 | 塵界茫々
 痛みもなく、何の自覚症状もないのに歯茎から出血するので、3年ぶりに罹りつけの歯医者さんに伺いました。下の臼歯が駄目になっていて、もはや抜く以外にないと、抜歯を極力嫌うお医者さんに溜め息ををつかれました。私の予定を見て、今日が抜歯ということで、朝から機嫌悪く当り散らしていましたが、覚悟を決めて出かけました。
 肩の力を抜いて、楽にするようにと繰り返し言われても、緊張でコチコチです。思いもかけず、根の長い歯で、いつまでも出血が止まらず、1時間半も治療椅子の上でした。「今日は痛みます。痛み止めは3時間は必ず空けて飲むように、パソコンは今日は触らないこと。お酒は勿論、夕食は柔らかいもの、熱いものは控えて。」と注意がありました。
 少し寒気がするので、風呂もやめ、早々にやすみました。痛みは全く来ないし、「こんなになってたら今まで痛んだでしょう。腫れたりしませんでしたか。」と言われても、私としては、痛みも、腫れもないのです。もしかして、もう、そんな感度も衰えてしまったのかと悲しくなりますが、今日の抜歯はかなり痛みを伴いました。
やはり、頭で理解している人の苦痛と、自ら体験する不自由には、はるかな温度差がありました。

友とするにわろき者

2005年02月17日 | 塵界茫々
徒然草  第百十七段 
 友とするにわろき者、七つあり。一つには、高くやんごとなき人。二つには若き人。三つには、病なく身強き人。四つには、酒を好む人。五つには、たけく勇める人。六つには虚言する人、七つには、欲ふかき人。
 よき友三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師。三つには、智恵ある友。

 これで全部です。「友とするに悪ろき者」の中で一つめ、二つめは、たとえ、「わろく」ても、友として望むべくもありませんが、振り込め詐欺でもしない限り、六、七は人間として俗世にあればそこそこでしょうし、五つめは、もはや縁がないので、問題は三つめと四つめです。四つめも、歳とともに自分でも驚くほどの酒量のおとろえですので、自覚して、友人に迷惑をかけることはもはやなさそうです。
 とすると、三つめが問題です。年に一度くらい「食べ過ぎました。」「風邪のようです。」と罹りつけのお医者様を煩わすぐらいですから、立派な該当者です。これは自分の自覚でぐらいではなんとすることもできません。
 同窓会に出席しても、この歳になると、病気の報告会よろしく、あちこちの不具合が展開され、かつて膝の具合が悪かったときには調子を合わせることもできたのですが、どこにも故障がないと申し訳ない気分になります。やはり共に語るに足らぬ「わろき者」なのでしょう。
 そして、兼好のいいたいのは、頑健な身体に恵まれた者には、どうしても弱者への思いやりが欠けることが多いこと、自分の健康を恃む思いのあることを戒めるところにあるのでしょう。そういえば、かの仙崖和尚も、としよりの見苦しさの中に「達者自慢」を挙げていました。

西行忌

2005年02月16日 | 歌びとたち
 今日2月16日は西行忌。朝日新聞の素粒子に出ていた「西行忌我に出家の意なし たかし」の記事でおもいだしました。河内弘川寺で願いどおり、「そのきさらぎの望月のころ」73歳の死を遂げた命日です。太陽暦の今日、桜はまだ莟すらおぼつかなく、西行の忌日とするのにためらいを感じてしまいますが、俳句の世界ではこの日をそのまま当てるようです。有名な歌を一応引いておきます。

 願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ 
 私にとって西行という人は、時に身近に、時にはるかに遠い人におもわれ、捉えがたい存在です。単なる漂泊の修行僧では勿論なく、世捨て人の形をとった歌人でもありません。
かの芭蕉をはじめとして古来多くのうたびとたちの尊崇を集めて、いまも多くの研究がなされています。
 いくら念じたとしても,想いどうりにならないのが人の死期でしょう。兼好でも「四十にたらぬほどにて」死ぬことを理想としながら、68歳まで生きています。西行の場合、釈迦涅槃入滅の日、2月15日を想定したのだと思いますが、それにしても見事というほかありません。
 白洲正子のいうように、「孤独な心弱さに耐え、恐れず迷わず従ったところに彼の強靭な精神が見出 せるように思う。(中略) 自分の内なる声に忠実であることによって、悟りを開いたといっても過言ではあるまい。月や花を友としたことはいうまでもないが、時には淋しさまでも心の支えとなった。 」に言い尽くされているように思います。

  とふ人もおもひ絶えたる山里の  さびしさなくは住み憂からまし  

 あかつきのあらしにたぐふ鐘のおとを こころのそこにこたへてぞ聞く

   西行の一首諳んじ西行忌   山崎美白

重い選択

2005年02月13日 | 塵界茫々
 お正月明けに体調をくずして入院した母でしたが、10日ほどで回復、もとの施設に戻っていました。
 11日に連絡があり、「発熱し38度を超えたので、病院に連れて行きます。」ということでした。駆けつけた病院で、風邪の診断があり、点滴その他の処方で、夕刻には施設に帰れました。
 その折、主治医の先生に、「何分にも、102歳の高齢ですから、このまま、食欲が出なくなれば、弱る一方になります。そのときは、栄養補給の方法として、鼻から管を通す、胃に穿孔して、その他のことが考えられますが、あらかじめ、家族、兄弟の間で話し合っておいてください。」といった趣旨のお話がありました。
 ついにその時が来た、という想いとともに、今まで看取ってきた、自分の両親、婚家の祖父、そして、20年前に逝った母の連れ合いだった父、これらの人々の終焉の頃のことを嫌でも思い出します。
 私同様、大家族の中で、経済的にも、波乱に満ちた人生を過ごした母は、自分の葬儀に関しても可能な限り簡素にと繰り返し私に言い置いています。
 私の選択は、点滴は別として、苦痛を取り除く以外のいかなる延命措置も、もう要らないと思っています。半世紀を共に暮らしてきた人の最後に、この重い選択が、現実のものとなったとき、果たして選択できるか、自信がありません。


春の雨

2005年02月10日 | 遊びと楽しみ
 昨夜はサッカーに熱中していて、ロスタイムの、ドーハーとは逆の一点のドラマで、まずは乾杯という展開になりました。おつまみの用意をしていて、雨が降っているのに気づきました。
 音もなく、やわらかな降りようは、まさに花をもよおす春の雨です。この雨を、サッカーの激しい動の世界を鎮める静かなものに感じるのも、ようやく手に入れた勝利の安堵感が齎したものでしょう。
 それにしても、サポータ、選手に何のトラブルもなく試合が進行したことが一番の収穫かもしれません。日本のサポーターの掲げていた小さなプラッカードに書かれた『サッカーで手をつなごう』の文字、コリアのサポーターサイドにみられた『心は一つ』の横断幕の願いが果たされた、すがすがしい、いい試合だったと思います。

旧正月

2005年02月09日 | 季節のうつろい
 今年の旧暦によるお正月は、今日2月9日です。昨年は1月22日でした。日本では明治政府が太陽暦を採用して以来、ごく限られた地方にしか旧正月を祝う風習は残っていないようです。それでも、沖縄の糸満市などでは、漁業に携わる人が多いせいか、潮の満ち干に直接関わる旧暦で、お正月行事が行われているようです。私たちの住む北九州でも、わずかに、豊漁を祈って神前にお供えする若布を刈り取る和布刈神事が、奈良時代以来の伝統行事として残っています。元旦の未明、松明の灯りの下、烏帽子、狩衣の神官が、関門海峡の海に入って刈り取られます。
 中国では、今も「春節」として、盛大に爆竹をならしてお祝いするようです。長崎では、中国の元宵節をうつして、今日からランタン・フェスティバルを行って、観光客を誘致しています。
 海外で暮らしていたとき、同じアパートの中国人の家のドアに、赤の地に黄色の文字で「福」と書いた紙がさかさまに貼ってあるのを見て、尋ねると、中国語では、「倒」と「到」は同じ発音だから、「福」を倒すと「福」が到来するからという事でした。「福」を逆さに貼るのは日本人にはどうもなじめません。日本でも、夜泣きする子のまじないに、鶏の絵を逆さに貼るのを見たことがあるのを思い出したことでした。
 中華街では、この時季、チェンレンを売っていました。これはやはり、赤い縦長の紙におめでたい文句が記してあります。よく見かけたのが、「歳々平安日」「年々如意春」といった文字でした。本当に世界に平安の日が訪れるのを切に願います。