この地には珍しいほど雪の降った日以来、憧れの蕪村の「夜色楼台雪萬家図」を図録で打ち返し眺めては、その詩情を辿っています。
画家蕪村としての最高傑作と勝手に思い込んでいるので、昨年も5月の終わりにこの一枚のために滋賀のMIHOまで出かけたことでした。
この夜色楼台雪萬家のたれこめた雪のなか、太郎を眠らせ、次郎を眠らせ、降り積む雪の下には、老いた詩人も、ひっそりと「うづみ火や我かくれ家も雪の中」と篭り居を愉しんでいます。
雪景色を描いてそこに篭る人々の円居のぬくもりまで感じさせる点で、「十宜図」の「宜冬」よりも、直接的に蕪村俳句の世界に近いものがあります。俳諧と絵画の二筋道を歩き続けた蕪村の晩年の、豊饒の世界が統合された到達点だったと思えるのです。
何度も触発されは、雪萬家を試みてはみるのですが手がかりすら求められません。それでも手探りの途上で“桃源の路次の細さよ冬ごもり”の詩情の安息感だけは受け取ることができます。
冬ごもりの句を多く遺した蕪村が身近なものに思えるひとときを愉しんでいます。
屋根ひくき宿うれしさよ冬ごもり
桃源の路次の細さよ冬ごもり
うづみ火や終には煮ゆる鍋のもの
最後の句は好きな句です。煮えるともなく煮えている。鍋の中のものが何なのか。それが何時煮えるのかわからないながら、いつかは煮えると落ち着き払って泰然としている清貧の老隠者閑居の図です。羨ましい境地です。
「家にのみありてうき世のわざにくるしむ」ー檜笠辞ーといった、篭り居の詩人蕪村がとらえた町中の細い路次の奧にある自分だけの桃源が、その細さがいとおしいのです。
わが細き路次の奧なる、桃ならぬ梅の桃源も、あと二三日でほころびそうです。 春の枕詞としての冬ごもりではなく、実感を伴って立春となることでしょう。