「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

梅を心の冬ごもり

2009年01月30日 | 歌びとたち
       夜色楼台雪萬家 蕪村 部分

 この地には珍しいほど雪の降った日以来、憧れの蕪村の「夜色楼台雪萬家図」を図録で打ち返し眺めては、その詩情を辿っています。
画家蕪村としての最高傑作と勝手に思い込んでいるので、昨年も5月の終わりにこの一枚のために滋賀のMIHOまで出かけたことでした。

 この夜色楼台雪萬家のたれこめた雪のなか、太郎を眠らせ、次郎を眠らせ、降り積む雪の下には、老いた詩人も、ひっそりと「うづみ火や我かくれ家も雪の中」と篭り居を愉しんでいます。
 雪景色を描いてそこに篭る人々の円居のぬくもりまで感じさせる点で、「十宜図」の「宜冬」よりも、直接的に蕪村俳句の世界に近いものがあります。俳諧と絵画の二筋道を歩き続けた蕪村の晩年の、豊饒の世界が統合された到達点だったと思えるのです。

 何度も触発されは、雪萬家を試みてはみるのですが手がかりすら求められません。それでも手探りの途上で“桃源の路次の細さよ冬ごもり”の詩情の安息感だけは受け取ることができます。
 冬ごもりの句を多く遺した蕪村が身近なものに思えるひとときを愉しんでいます。
    屋根ひくき宿うれしさよ冬ごもり
    桃源の路次の細さよ冬ごもり
    うづみ火や終には煮ゆる鍋のもの

 最後の句は好きな句です。煮えるともなく煮えている。鍋の中のものが何なのか。それが何時煮えるのかわからないながら、いつかは煮えると落ち着き払って泰然としている清貧の老隠者閑居の図です。羨ましい境地です。
「家にのみありてうき世のわざにくるしむ」ー檜笠辞ーといった、篭り居の詩人蕪村がとらえた町中の細い路次の奧にある自分だけの桃源が、その細さがいとおしいのです。
 わが細き路次の奧なる、桃ならぬ梅の桃源も、あと二三日でほころびそうです。 春の枕詞としての冬ごもりではなく、実感を伴って立春となることでしょう。

おしゃもじ

2009年01月27日 | ああ!日本語
 別に過剰敬意表現などと野暮なことを言うつもりではありません。
 海の彼方で暮らす人からの依頼で、ホームセンターに「昔使っていた竹のおしゃもじ」を探しに行きました。

 最近では日本でも炊飯器を購入するとセットされているのはプラスチック製のものです。ご飯粒がくっ付きにくいとかで表面に小さな突起が並んでいたりします。中には竹炭の成分が入っているとかで真っ黒のものもあります。探し当てた「おしゃもじ」は袋に「竹杓子」と正式名称が記されていました。

 勿論、台所道具として、しゃもじも杓子も同じものですが、手に馴染んで朝夕世話になる道具は、一般には杓子と呼ばずに、「しゃもじ」と呼びます。
“杓文字”は、ご存知の女房言葉で、いわゆる文字ことばの代表で、今も使われているのはこれくらいではないでしょうか。
 鮨を“すもじ”蛸は“たもじ”、烏賊は“いもじ”でした。髪は“かもじ”、お目見えが“おめもじ”です。
 他にも田楽が“おでん”で、豆腐が“おかべ”、トイレは“はばかり”ときりがありませんが、いずれもものそのものをあからさまに指し示すのをはばかる一種の隠語でした。この宮中の習慣が長い年月の間に民間にも使われだしたのでしょう。
 現代もこれに類した言い方で、きれいどころに「ハーさん」とか「フーさん」とか呼ばれて鼻の下を延ばしたのは、今は昔の物語でしょう。釣りバカ日記で、ハマちゃんが鈴木社長をスーさんと呼んでいました。

 ところで、杓子はどうも不当に軽く扱われているようです。「猫も杓子も」は、誰でも彼でもと、節操がなさそうですし、「杓子で腹を切る」も、できるはずもないことをするという形式だけのことを言います。ただいま実例の放映を中継で見ることができます。
 杓子定規は”誤った基準で物事を測ろうとすること”で、定規ではないもので測った基準を譲らず押し通そうとするわからずやの、頑なな考えをからかって言うことが多いようです。同じ計量でも「目分量」のほうは逆に、豊富な経験と、融通が利く才覚、要領のよさを肯定していますが。
 使い込んで手に馴染んだ竹のしゃもじでふっくらとよそったご飯のように、杓子ならぬ”しゃもじ”の柄で物事の尺度を測ったら、ぎくしゃくしないで、ふっくら温かくなれるかもしれません。と誰かがいっていませんでしたか。

 ただひとつ、存在感があるのは“杓子渡し“で、これは姑が嫁に世帯の切り盛りを任せる世代交代を意味して重々しいものでした。してみると、やはり杓子は主婦の座の象徴でありました。



雪景色

2009年01月25日 | 季節のうつろい
 南北に長い日本列島の南のほうに住む私達は、1年のうち雪が積もる風景を目にするのは1回か、2回で、どうかすると、雪は積もるほどは降らない年もあります。
 年の内、四,五ヶ月も雪に支配される”雪国“の人たちとは、積雪の風景に対する感じ方が、異なっています。“雪国“という言葉には、一種の憧れめいた郷愁や、ロマンをさえ感じて しまいます。
 雪の多い北国では、田畑の作物も、家屋の構造はじめ、生活様式も異なり、雪への感傷など到底理解できないかもしれません。
 ですが、古来、雪は豊年のしるしとして喜ばれた信仰がありました。春の花、秋の月に次いで、夏のホトトギスとともに、冬は雪が季節の代表的な景物として尊重されてきました。

 土曜日の午後から降り続いた雪は5センチ近く積もっていました。粉雪の静かに降り積る様子に、きっと明日は見事な雪景色と期待していたのですが、夜明け前に降り出した霙交じりの雪でゆるみ、深夜にこっぽりと木々の上に積もっていた風情とは様変わりしてしいました。それでも牡丹雪となって終日降り続きました。高速道は閉鎖されていました。夕刻から、ところどころ解除になっていますが全線開通はまだのようです。

 下の写真2枚は、冬に篭る自分の部屋から庭の風景を写したものです。

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今日の習作

2009年01月24日 | 絵とやきもの
 お謡の仲間に冬牡丹を育てている人がいて、お医者様の忙しい仕事の中で手間の要る世話をいとわずに丹精していらっしゃいました。
 風に当たると直ぐ駄目になるそうで、南側だけに開けられている囲いの中をやさしく覗き込んでおられました。母と前後して旅立たれ、お誘いも途絶えました。
 今日のような雪の降った日に、是非とお呼びがあって、美味しいお酒を用意していてくださったのを思い出します。藁囲いの下だけが黒い土が覗いているのをみて、虚子の句をご紹介したことでした。
    そのあたりほのとぬくしや寒牡丹 
 霜よけの藁囲いのなかで凛と咲く冬牡丹の姿は、尊くさえありました。春に咲く花よりも清々しい艶麗を感じました。

    よろこびはかなしみに似し冬牡丹  山口青邨


 雑多なものをすっぽり包んで、九州では珍しいスキー場に降るようなパウダースノーが静かに降りしきっています。明日の朝の清浄の世界を想像して今から楽しみにしています。




湯湯婆の効用

2009年01月19日 | ああ!日本語
 以前から、エアコンや電気敷毛布を一晩中使用すると、乾燥するし、喉も渇くからと嫌って、夫は湯たんぽを愛用していました。私にもその効用を説いては、しきりに勧めていましたが、一向に同調しないのをみて、ついに自分が使っているのと同じものをプレゼントだといって買ってきました。
 朝の洗面所で使用し、残りは洗い物に空け、忘れていて冷えてしまったときには室内の植物にやっているのを知ってました。
 先日、本を読んでいて夜更かしをし、ベッドに入ろうとすると、パジャマが見当たりません。膨らんでいる布団をめくるとなんと湯たんぽに捲きつけてありました。以後、そのほんのりと暖かい快適さの虜になり、今では湯湯婆が手放せなくなっています。

 幼い日の思い出の湯湯婆は、祖父母はかまぼこ型の陶製のもので、私達のものはブリキでできていました。今は錆の心配もない強化プラスチックで取り扱いも楽になっています。大きく波打っていた形だけは昔のものに似通っていますが、色も鮮やかで、栓もしやすく、軽いのも年寄りには有り難い機能です。

 第一、ストーブにかけて湧いている薬缶のお湯を注ぐだけですから、経費がゼロというのが何よりです。
 コードレスですから、そそっかしい私でも引っ掛かって転ぶこともないし、古くなっても漏電の心配や、着け忘れからの火災も関係なし。ただ、お湯を注ぐ時に火傷をしないように注意して、一気にお湯を注入しないことぐらいでしょう。
 厚いキルトの布で包めば低温火傷の心配はありません。
 かくて「湯湯婆」と書く文字どおりに今では私のほうが熱心な湯湯婆信奉者で、人にもお勧めしています。 ちなみに、湯・婆のタン・ポは、唐音読みだそうで、もうひとつ湯をおまけにくっつけて重ねたものだそうです。柳田国男説では、タンポは、容器を叩いた音からきたという説(方言と昔)で、こちらも楽しくて捨てがたいですね。
 そのうち、愛らしい猫か、ふくろうのアップリケでもした湯湯婆入れでも作るとします。



寒牡丹図 酒井抱一   同じ暖を取るにもこちらは気品溢れて。



結構むずかしい

2009年01月17日 | ああ!日本語
 「結構です。」という慣用句は紛らわしい言葉です。今日、インターホーン越しに、セールスの人が丁寧に商品の紹介をしたいというので、私は調子を合わせて、断りのつもりで「いえ、結構です。」といいました。ところがなんだか弾んだ声で「門を開けていただけますか」というのです。直ぐ気づいて「いえ、購入するつもりはありませんので」と言い直しました。
 考えてみると、結構は本来は成り立ちからも、拒絶の意味は持っていない言葉でした。

 念のため辞書(日本語大辞典)に当たってみても、組み立てて作りあげること。よく出来上がっているさま。手厚いさまといった名詞や形容動詞が解説されています。副詞で使うときも、十分満足というほどではないが、一応よいといえるさま。といった説明が出ていて、直接の断りを意味する説明はどこにも見当たりません。

 「日光を見ずして結構というなかれ」は日光東照宮の建築の美を見た事のない者に建築の美を語る資格はないと、その美しさを絶賛したものですし、お茶席での「結構なお点前で」は、社交辞令のときでも褒め言葉でしょう。が、これらの結構とちがって、プラスとマイナスの中間に慣用句としてよく耳にする「この料理、結構いけるよ」の褒め言葉らしき副詞の「結構」もあります。ではその結構の程度はとなると、これは曰くいいがたいものです。少なくとも、“非常に”とか、“とても”といった意味ではありません。強いて言うなら、まあまあ、かなり。といったところでしょうか。この“かなり”も数量的には曖昧です。が、この曖昧でも、日本人ならお互いに何となく内蔵しているカンピュ―ターが働いて理解します。

 中国語では「大半」は9割を意味し、「多半」が7割ぐらい、「一半」は5割ぐらいと決まっていると聞きました。国会のやり取りを聞いていても、「大半」は自分達の都合によっては半数以下の時にも、又9割のときにも使っていて、本家とは大違いです。

 ところで、「コーヒー、もう一杯いかがですか」「結構です」の会話で、あなたはコーヒーを注ぎますか。それとも持ち上げたポットを置きますか。実際の会話の場では間違うことはまずないと思いますが、書かれた言葉となると微妙です。「結構です」が断りで使われるときは、十分に満足しているので、これ以上は必要ではありませんという婉曲な拒絶。つまり「ノー」を丁寧にいうことになります。同時に「結構ですね」といった時には、その誘いを、遠慮なく頂戴しますと歓迎することになるわけで、つまり「イエス」ということになるわけです。
 こうしたファージィな表現が日本語の、ひいては日本人の思考の特徴でもあるわけですが、私は婉曲な表現が”結構”好きなのですが、最近ではひどく評判が悪く、場合によっては通じなくなっているのは、日本語にとっていいことなのか悪いことなのかよく判りません。
 ただ、拒絶は、明確な表現でなくては「振り込め詐欺」の標的にされ、巧妙なセールスに乗せられることになるので、注意するようにとお小言があり、納得したことでした。
 折りしも今日の新聞に、新しく追加される常用漢字191字が発表されていました。これで、本も福も、良、城、大、などもやっと常用漢字となりました。めでたしめでたしです。




     黄金千両

画像で遊ぶ

2009年01月15日 | 遊びと楽しみ
 一昨年、ITサークルでSakura先生がおもしろい画像で遊ぶサイトを紹介されました。思い出して自分の描いた墨彩画を入れてみましたが、いくらなんでも、立派過ぎる額と、鑑賞者の後姿に畏れ入ってしまいました。それで自分でだけ楽しんで、手本にした元の絵、尾形光琳の梅の絵に入れ替えました。
 光琳の絵なら、この額にもちゃんと納まって何の遜色もありません。胸を張って「日本の絵」として観て貰えます。

 まだ三社詣りも果たせずに今年は冬ごもりに篭っています。出かけてこない私達二人を体調でも崩しているのではと案じて、弟が訪ねてくれました。指宿の砂風呂に入ってきたといって、南国薩摩のお土産と、活魚が手に入ったからとありがたい“おまけ付き”でした。
 家人からも「乾山と光琳」展を門司の出光でやってるから出かけないかと、再三声が掛かっています。そのうち暖かい日にと延ばしていますが、折角のお誘いですから少し暖かくなったら出かけるとします。
 それまではこのような画像の着せ替えなどで遊んでいます。
 今日は小正月、母が存命ならいそいそと、飛びっきり甘いぜんざいを作ってお餅ににっこり満足げな笑みを見せていたと懐かしんでいます。せめて今宵は小豆粥でもいただくとしましょう。



座布団の怪

2009年01月12日 | 塵界茫々
 フローリングの床に椅子の暮しが中心になって、ふっくら綿の入った座布団は畳の部屋の消滅とともに居場所をなくしたようです。

 先日ある会合で、会議の後、畳敷きの広間での宴会になった折に出されていた座布団を見て驚きました。年末の忘年会シーズンとあって、臨時のアルバイトらしき中年の人たちが会場づくりを手伝っていました。なんだか座が雑然としているように感じて目が座布団に行きました。
 なんと座布団が縦横、まちまちに敷かれているのです。よく見ると表と裏もお構い無しです。もっとも縦横といってもそのサイズの差は僅かですし、まして表と裏といっても図柄は同じなら区別がつかないといってしまえばそれまでですが、脇の縫目は上から下へかぶさっているものです。
 丈の倍の長方形を二つ折りにして三方を縫い合わすので輪が(縫目のない部分)できますが、それが正面です。正方形ではなく幅よりも丈が4cmか5㎝長い方形でできています。
 こんなことも、年若い人ならさもありなんと驚くこともなかったのですが、少なくとも畳の暮しをしてきたはずの、四十代後半か、五十代前半と見える人たちの仕事ですから、時代の変化をしみじみと感じさせられました。
 世の中、おもしろくないことが多すぎます。「座布団一枚!」と景気よく掛け声を掛けたくなるような出来事はないものでしょうか。
 初場所も始まっています。朝青龍も正念場、座布団の嵐とならない場所であって欲しいものです。

 お正月の片付けをしながら思い出すままにたわいもないことを記してしまいました。とるにたらぬことへの愚痴は止めて、座布団を二つ折りにした枕で悪酔いを醒まして転寝を楽しむとしますか。



画像は熊谷守一の猫   数ある猫の絵の中で一番くつろいだ「眠猫」です。昭和二十八年 墨・彩色 愛知県美術館

描き初め

2009年01月10日 | 絵とやきもの
 今日は一ヶ月ぶりに墨彩画の仲間達と初会合をもちました。
 家族の心配事を抱えていて気持ちの集中ができない人、まだ正月気分が抜けず、描く気になれなくてもっぱら批評に回る人と、みなさん枚数がはかどらない中で、私は珍しく気分が乗って、2時間の間に5枚を仕上げました。その中からの2枚です。
 蕗の薹を見つける毎朝の楽しみは、春の足音を聞く楽しみです。毎回描く蕪ですが今回は自分で気に入った一枚です。





七種粥

2009年01月07日 | 遊びと楽しみ
 先ごろから見当をつけていた例年の場所で摘み草をしました。今日は七草で朝粥でした。
 カボスと枇杷のある崖下には一面に芹が生えています。蕗の薹も柿の木の下で愛らしく顔を覗かせていました。今年は花だけでなく、すべてが早いようです。ハコベはまだ小さすぎて摘むほどもありません。
 秋の七草は目で花を季節に先駆けて楽しむのですが、春の七草は、青々とした冬を耐える若草の色と香、それに口の幸せも運んでくれます。
 スズナ、スズシロを別にして、五草を、庭で勝手な七種として揃えます。ふんだんに生えている芹、蕗の薹、三つ葉、春菊、水菜で、二人分は簡単に取り揃えることができます。

 まな板で刻む時に訳のわからない呪文のような囃し言葉を母は呟いていましたが、「唐土の鳥が日本の国に渡らぬ先に」というのは災疫のことを意味しているのでしょうが、「蒙古襲来みたいですね」と私は笑っていました。今ならさしずめ鳥インフルエンザのお祓いといった笑い事で済まされぬ疫病よけでしょうか。

 春の訪れが匂い立つ、目にも青々と鮮やかな七草粥は、濃い昆布出しの、塩味です。芹の香にも増して蕗の薹ははじけるような強い香を漂わせていました。手術後、連日のお粥を工夫した日々を感慨深く思い出しました。

 口の中で、「せりなずな、七福神に七小町、七堂伽藍、色の白いは七難隠す」と口から出まかせの七尽くしを唱えるのも、春を予感してのたわぶれでしょう。
「また食べたいね」を聞いて、満足の七種粥でした。