別に過剰敬意表現などと野暮なことを言うつもりではありません。
海の彼方で暮らす人からの依頼で、ホームセンターに「昔使っていた竹のおしゃもじ」を探しに行きました。
最近では日本でも炊飯器を購入するとセットされているのはプラスチック製のものです。ご飯粒がくっ付きにくいとかで表面に小さな突起が並んでいたりします。中には竹炭の成分が入っているとかで真っ黒のものもあります。探し当てた「おしゃもじ」は袋に「竹杓子」と正式名称が記されていました。
勿論、台所道具として、しゃもじも杓子も同じものですが、手に馴染んで朝夕世話になる道具は、一般には杓子と呼ばずに、「しゃもじ」と呼びます。
“杓文字”は、ご存知の女房言葉で、いわゆる文字ことばの代表で、今も使われているのはこれくらいではないでしょうか。
鮨を“すもじ”蛸は“たもじ”、烏賊は“いもじ”でした。髪は“かもじ”、お目見えが“おめもじ”です。
他にも田楽が“おでん”で、豆腐が“おかべ”、トイレは“はばかり”ときりがありませんが、いずれもものそのものをあからさまに指し示すのをはばかる一種の隠語でした。この宮中の習慣が長い年月の間に民間にも使われだしたのでしょう。
現代もこれに類した言い方で、きれいどころに「ハーさん」とか「フーさん」とか呼ばれて鼻の下を延ばしたのは、今は昔の物語でしょう。釣りバカ日記で、ハマちゃんが鈴木社長をスーさんと呼んでいました。
ところで、杓子はどうも不当に軽く扱われているようです。「猫も杓子も」は、誰でも彼でもと、節操がなさそうですし、「杓子で腹を切る」も、できるはずもないことをするという形式だけのことを言います。ただいま実例の放映を中継で見ることができます。
杓子定規は”誤った基準で物事を測ろうとすること”で、定規ではないもので測った基準を譲らず押し通そうとするわからずやの、頑なな考えをからかって言うことが多いようです。同じ計量でも「目分量」のほうは逆に、豊富な経験と、融通が利く才覚、要領のよさを肯定していますが。
使い込んで手に馴染んだ竹のしゃもじでふっくらとよそったご飯のように、杓子ならぬ”しゃもじ”の柄で物事の尺度を測ったら、ぎくしゃくしないで、ふっくら温かくなれるかもしれません。と誰かがいっていませんでしたか。
ただひとつ、存在感があるのは“杓子渡し“で、これは姑が嫁に世帯の切り盛りを任せる世代交代を意味して重々しいものでした。してみると、やはり杓子は主婦の座の象徴でありました。
海の彼方で暮らす人からの依頼で、ホームセンターに「昔使っていた竹のおしゃもじ」を探しに行きました。
最近では日本でも炊飯器を購入するとセットされているのはプラスチック製のものです。ご飯粒がくっ付きにくいとかで表面に小さな突起が並んでいたりします。中には竹炭の成分が入っているとかで真っ黒のものもあります。探し当てた「おしゃもじ」は袋に「竹杓子」と正式名称が記されていました。
勿論、台所道具として、しゃもじも杓子も同じものですが、手に馴染んで朝夕世話になる道具は、一般には杓子と呼ばずに、「しゃもじ」と呼びます。
“杓文字”は、ご存知の女房言葉で、いわゆる文字ことばの代表で、今も使われているのはこれくらいではないでしょうか。
鮨を“すもじ”蛸は“たもじ”、烏賊は“いもじ”でした。髪は“かもじ”、お目見えが“おめもじ”です。
他にも田楽が“おでん”で、豆腐が“おかべ”、トイレは“はばかり”ときりがありませんが、いずれもものそのものをあからさまに指し示すのをはばかる一種の隠語でした。この宮中の習慣が長い年月の間に民間にも使われだしたのでしょう。
現代もこれに類した言い方で、きれいどころに「ハーさん」とか「フーさん」とか呼ばれて鼻の下を延ばしたのは、今は昔の物語でしょう。釣りバカ日記で、ハマちゃんが鈴木社長をスーさんと呼んでいました。
ところで、杓子はどうも不当に軽く扱われているようです。「猫も杓子も」は、誰でも彼でもと、節操がなさそうですし、「杓子で腹を切る」も、できるはずもないことをするという形式だけのことを言います。ただいま実例の放映を中継で見ることができます。
杓子定規は”誤った基準で物事を測ろうとすること”で、定規ではないもので測った基準を譲らず押し通そうとするわからずやの、頑なな考えをからかって言うことが多いようです。同じ計量でも「目分量」のほうは逆に、豊富な経験と、融通が利く才覚、要領のよさを肯定していますが。
使い込んで手に馴染んだ竹のしゃもじでふっくらとよそったご飯のように、杓子ならぬ”しゃもじ”の柄で物事の尺度を測ったら、ぎくしゃくしないで、ふっくら温かくなれるかもしれません。と誰かがいっていませんでしたか。
ただひとつ、存在感があるのは“杓子渡し“で、これは姑が嫁に世帯の切り盛りを任せる世代交代を意味して重々しいものでした。してみると、やはり杓子は主婦の座の象徴でありました。