「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

春三題

2009年03月29日 | 絵とやきもの
 今日は先日急逝した義弟の忌明けの法要でした。みつき越しは身に付くといって、当地方では三ヶ月にまたがる満中陰を忌む習慣があります。それにしても月日の経過を早いものに感じています。

 午後から始まる法要までの時間を静かに絵筆を執って机に向っていました。
このところ書き溜めていたものの中から三題をUPします。ご笑覧ください。











帰省

2009年03月18日 | 絵とやきもの
 このところバイオリズムの低調からなかなか立ち直れない私を気遣ってのことだと思いますが、仕事が一段落したからと三連休を挟んで、突然娘が帰省してきました。
 一便早い飛行機に乗ったからと、到着早々お彼岸だしと草取りをしてくれました。
 私には、ゆっくりするようにと何かと労わってくれます。

 気分が色に出ていると笑いながら、描き溜めていた墨彩画をお世辞半分で褒めてもくれました。
 帰ってきたのが分かると友達から誘いの電話がしきりです。高校時代の仲良しグループは格別でいいものです。
 身辺整理の私の決心を知ると、5月にはまた手伝いに帰るからといってくれました。
 若い人の判断は小気味よく、整理するまでもなく、捨てればいいことなのでは。とさっぱりしたものです。その通りなのですが、迷いがあるのは、まだ覚悟のほどが中途半端なのでしょう。ゆっくり取り掛かることにします。

<



<


画像は各2枚です。




二月尽

2009年03月01日 | 絵とやきもの
 少しずつ日常が戻っています。そうでなくても慌しい二月が矢のように飛んでゆきました。

 庭では沈丁花が高い香を放って咲き始めています。今は馬酔木が盛りです。馬酔木は奈良の花と思っています。奈良がこよなく似合います。

 久しぶりに机に向って絵筆をとってみました。一枝を備前の徳利に入れて描いてみましたが、花の愛らしさがでません。

 3月1日、今日がわが家では雛を飾る日です。家中一度に華やいだ気配が漂ってきました。4月3日まで飾っています。



「尾形乾山と光琳の芸術」

2009年02月09日 | 絵とやきもの
 門司港レトロ地区の外れにある出光美術館では、年明けから尾形乾山と光琳の展覧会を開催中です。
 1昨年東京出光美術館で開催された展覧会の縮小版です。出品数も40点に満たない小規模のものです。

 大がつく好きな乾山ですが、昨年「大琳派展」や、大和文華館などでかなりの数を見ていることだし、暖かくなってからと、延び延びになっていたのですが、やっと「出不精はデブ症に通じるぞ。」とそそのかされて腰を上げました。
 夫は「数が多けりゃいいというもんでもあるまい。一つか二つこれはと思うものに出逢えれば十分だ。」といっています。
 確かにその通りで、いくら多数の展示があっても、その中で惹かれるものは数点とはいえ、欲張りな私は、せめてこの倍くらいの数は見たいものと思っていました。

 思いかけない収穫だったのは、大琳派展でも展示替えで見逃した伝・尾形光琳の「紅白梅図屏風」六曲一双に逢えたことです。予期していなかっただけにしばらく立ち尽くしました。
 以前、画像の遊びで美術館風に額に入れて楽しんでいたものです。
 伝尾形光琳とあるように、岩石などの表現は色使いをはじめ、光琳とは納得しがたいものを感じました。水流の表現も見慣れた光琳手法とは異なり、小さな切箔をあしらった珍しいものでした。光琳の手が入っているのは確かかもしれませんが、光琳にしてはモダン過ぎで、スキのない完成度と素人目にはみえました。
 左隻の紅白の梅の複雑な枝振りの絡み合いに対して、右隻は、幹はほんの少し覗かせただけで、斜めに大きく延びる細い枝を1本だけにし、先端を折り返して剪定の跡を見せ、そこにだけ花を描いて、大きな空間を残しています。屏風は本来のありようで立ててありました。

 会場入り口には乾山に影響を与えた仁清や、木米の京焼きが展示され、色絵百仙人図輪花鉢は赤絵で内外にびっしり描き込まれた羅漢のエキゾチックに驚きました。
 道八の色絵桜楓図鉢の、魯山人も本歌取りした雲錦手にも初お目見えでした。
 宗入の(乾山の従兄弟)黒樂、銘「老いの友」の展示も嬉しい予想外でした。
 小ぶりの光沢を抑えたカセ釉の穏やかな樂茶碗は腰にかすかなくぼみが巻き、手にしたときの心地よさをうかがわせ、いかにもその銘に相応しいたたずまいでした。



上の、実物で見るのははじめての茶碗のための絵手本(深省茶碗絵手本・尾形光琳)も、ヒントになる図柄がしっかり描き込まれていました。

 チラシにも使われている色絵反り鉢の波の透かし 銹絵薄蝶文平鉢の線の走りののびやかさ、光琳が絵付けした竹図角皿、そして大琳派展でも眼を引いた乾山代表作の蓋物・銹絵金銀白彩松波文(重文)が、その作陶のヒントになったといわれる雁金屋所蔵の蒔絵硯、銘「山路」とともに展示されていました。






 東京展で出ていた銹絵百合文向付けや、色絵竜田川の絵変り皿は出ていませんでした。
 色絵定家詠十二ヶ月花鳥図角皿、色絵能長角皿の、裏に書かれた和歌や、謡の一節などを見るにつけ、使われる「用のみやび」として、高尚な趣味人に愛好され、宴の座が盛り上がる情景を偲びました。

 光琳描く竹図角皿に乾山が漢詩の賛を入れたのが夫のお気に入りの一点でした。

 出品目録も、図録もありません。先年雪月花さんが送ってくださった東京展の折の図録でおさらいできましたことを、感謝しています。

 先年の展覧会の折の蛙さんのブログもご参照ください。

春風に誘われて

2009年02月06日 | 絵とやきもの

 暖かな春の日差しに誘われて、年明けから開催されている“イタリア美術とナポレオン”の特別展をみに北九州市立美術館に行ってきました。
 日本で初めて特別公開されると宣伝されているボッティチェッリの「聖母子と天使」に会うためです。このルネッサンスの巨匠の20代前半、独立して描いた最初の作品といわれるもので、フェシュ美術館の至宝です。
 フェッシュ美術館は、ナポレオン1世の母方の叔父であるジョゼフ・フェッシュ枢機卿(1763-1839)個人のコレクションを基礎としてコルシか島に設立されたもので、最盛時には16000点を超えるといわれるほどの質・量ともに最大級のコレクションだったのだそうです。その後、一族の崩壊とともに散逸しましたが、残されたイタリア絵画コレクションだけでも、フランスのルーブル美術館に次ぐ規模といわれています。(展覧会チラシ解説より抜粋)

 ボッティチェッリの「聖母子と天使」には、後の「春」や「ヴィーナスの誕生」に通う優美なものが、三人をつつむ穏やかな光などにすでに存在しているのをみました。





 80点ほどの作品中の珠玉はもう一つ、ジョバンニ・ベッリーニの「聖母子」です。
 宗教絵画は、聖書への理解が浅い私には十分には受け止めることができないのが残念ですが、それでも、これらの作品が持つ瞑想的な優しさにあふれた世界の、清々しく、そしてどこかほのかに持つ哀愁の気分は、救いを求める人間の、聖なるものへの憧憬といったものが漂うのを受け止めることはできます。

 17世紀・18世紀のバロックからロココにいたる作品が中心で、華麗な美術史の展覧会です。
 4部門で構成されていて、第1章が「光りと闇のドラマ―17世紀宗教画の世界」で、ここに目当ての2作品が展示されています。
 第2章は「日常の生活を見つめて―17世紀風俗画の世界」で、王侯貴族の肖像画が中心でした。邸宅を飾った静物画風景画も混じっています。
 第3章は18世紀ロココ時代の優しいやわらかな絵画が中心で、「軽やかに流麗に―18世紀イタリア絵画の世界」と名づけられています。その中に“死んだ鶏“と題された絵は若冲を思わせ、あざやかな色彩で一種不気味な味わいの中に細やかに1匹のハエが描き込まれていました。
 第4章は「ナポレオンとボナバルト一族」ナポレオン1世の戴冠式の衣装をまとって王座の前に立つ若き日の姿が223×144㎝という大きな肖像画に留められています。大理石やブロンズの像、ナポレオンのデスマスク、愛用の品々といった資料まで多彩です。

 この特別展に併せて版画展示室では「聖なるものへ―ルドンとルオーの世界」と題して聖書の主題を基に、ルドンの「ヨハネ黙示録」石版と、ルオーの「ミセレーレ」「受難」銅版の中から30点ほど展示されていました。ここは祈りが聞こえるような静かな空間となっていました。

詳細をお知りになりたい方は、北九州市立美術館のホームページでご覧ください。

 追記
 三階の常設展は「冬のコレクション」の展示でした。その中から、印象に残った作品を2点UPします。



坂本繁二郎 1914年 71,0×116,8㎝ 「海岸の牛」
堂々とした風格のある牛が朝日の中の立っていました。第1回仁科会に出品した作品。




東山魁夷 1977年 175,0×118,0㎝ 「凍池」
色彩を押さえ、清楚な青ですでに氷結した部分、まさに氷結せんとする部分、まだ氷結していない部分と3つの水の姿を的確に表現しています。大胆な分割が清々しく感じられます。
 




今日の習作

2009年01月24日 | 絵とやきもの
 お謡の仲間に冬牡丹を育てている人がいて、お医者様の忙しい仕事の中で手間の要る世話をいとわずに丹精していらっしゃいました。
 風に当たると直ぐ駄目になるそうで、南側だけに開けられている囲いの中をやさしく覗き込んでおられました。母と前後して旅立たれ、お誘いも途絶えました。
 今日のような雪の降った日に、是非とお呼びがあって、美味しいお酒を用意していてくださったのを思い出します。藁囲いの下だけが黒い土が覗いているのをみて、虚子の句をご紹介したことでした。
    そのあたりほのとぬくしや寒牡丹 
 霜よけの藁囲いのなかで凛と咲く冬牡丹の姿は、尊くさえありました。春に咲く花よりも清々しい艶麗を感じました。

    よろこびはかなしみに似し冬牡丹  山口青邨


 雑多なものをすっぽり包んで、九州では珍しいスキー場に降るようなパウダースノーが静かに降りしきっています。明日の朝の清浄の世界を想像して今から楽しみにしています。




描き初め

2009年01月10日 | 絵とやきもの
 今日は一ヶ月ぶりに墨彩画の仲間達と初会合をもちました。
 家族の心配事を抱えていて気持ちの集中ができない人、まだ正月気分が抜けず、描く気になれなくてもっぱら批評に回る人と、みなさん枚数がはかどらない中で、私は珍しく気分が乗って、2時間の間に5枚を仕上げました。その中からの2枚です。
 蕗の薹を見つける毎朝の楽しみは、春の足音を聞く楽しみです。毎回描く蕪ですが今回は自分で気に入った一枚です。





冬の思い

2008年12月13日 | 絵とやきもの
 年賀状が気になりながらも、まだ取り掛かる気にならずにいます。
 年々、このしきたりが疎ましくなってゆくのは、身軽になってゆこうとする年齢からの自然の傾きかもしれません。次第に浮世に”義理“を欠くことが苦にならなくなっています。

 友人達からも、今年で終わりにします。という挨拶が添えられた年賀状を貰うことが増えています。そして、薄墨で、年賀の挨拶を遠慮する旨が記された連れ合いの訃報が送られてくることもしばしばです。
 まだ今年は年賀状を出せそうですが、いつまで続けられることでしょう。

 例年の石蕗の花を描いてみました。来週は今年最後の合評会ですから、何か書き溜めておかねばと、先日散歩の折、池の畔で拾った蓮の実も描いてみました。これは皆さんに先月、宿題といって2個ずつお分けしているので、どんな枯蓮の実が並ぶか今から楽しみにしています。






時雨の日

2008年11月29日 | 絵とやきもの
 このところ時雨の日が続いています。朝の散歩も取りやめにして、道具を拡げて描いてみたいものをあれこれと形にしてみましたが、まとまりがつきません。
 どうやら、琳派展の刺激が強すぎたための後遺症があって、気持ちの方が先走ってしまいます。自分でも違うと思えるのです。あえて墨だけで押さえてみましたが、やはり思いが表出できません。
 もう少し時間が必要のようです。
 年をとると待つことは苦にならなくなっています。そのうち、自分で納得できる形が生まれるかもしれないと、虫のいいことを夢見ています。

 明日は久しぶりに八女の吉武さんの花宗窯に伺います。弟が穴窯で一緒に焼く素地を運ぶのに便乗です。
 紅葉には少し遅れましたが、杖立温泉の”大自然“に宿を予約しました。





琳派への三つの旅 三

2008年11月23日 | 絵とやきもの
 光琳から更に百年の後、江戸の地で琳派の華が開きました。譜代大名家、姫路の酒井家の次男として江戸屋敷に生まれた抱一は、もともと好きだった絵や歌の道にのめりこんで風流三昧の世界に生きます。琳派への旅の最後は江戸琳派の酒井抱一です。

 光琳が江戸にあるとき、酒井家に召抱えられていた時期があり、身近に光琳の絵に接していたことから、抱一は光琳を慕い、光琳百回忌を開催し、光琳百図を出版します。このあたりから、画業に専念するようになったようですが、若い日の自由奔放な生き方といい、40歳を過ぎての画業といい、その絵同様、光琳に類似しています。抱一の生涯の作品で傑出しているのは、やはり「夏秋草図屏風」とあらためて確認しました。
 知られるように、これは、光琳の風神雷神図の裏に描かれていたものです。今は保存のため、別個に屏風に仕立てられています。憧れの光琳の屏風の裏に描くことになったときの抱一の喜びと感動が伝わる絵になっています。
 風神の裏には風に靡き吹きちぎられそうな葛の葉。飛ばされた色づいた蔦の葉、雷神の裏には、にわかの雨に打たれる夏草と、庭只海の流れを配し、表屏風の天空と、裏屏風の大地、神々と自然といったバランスを瀟洒な筆遣いですっきりと描いています。
 表の華やかな金地に対する渋く抑えた銀地として考え抜かれているようです。裏屏風として立てられる時、山折で逆になったときに、流れは前に飛び出すことなく退いて奥へ流れます。
現在のように剥がされて、平面で鑑賞されるのを抱一は悲しんでいるかもしれません。

 江戸末期に活躍した琳派の代表として今回は抱一と、その内弟子で傑出していた後継者、鈴木其一が取り上げられていました。きらびやかな描き表装や、フィンバーク・コレクションの「群鶴図屏風」、「雨中桜花楓葉図」など達者な作品が多数でていました。今年六月細身美術館で見たときと違って、展示の仕方でしょうか「水辺家鴨図屏風」が小さく感じられました。

 今回の展覧会で残念だったのは、”継承と変奏”と副題にありながら、伊藤若冲や近代の神坂雪佳などに全く触れられていなかったことでした。
 江戸時代末期で限るとしても、雪佳はともかく、若冲は寛政年間までの人ですし、異端で、琳派正統派ではないにしても“変奏”の優れた才能のれっきとした琳派であることは誰しも認めるところです。「大」琳派展ならば、代表作くらいの紹介があってもよかったのではないでしょうか。






鈴木其一 群鶴図屏風 米国ファインバーグ・コレクション