「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

無常迅速

2009年02月26日 | 塵界茫々
 先週月曜、妹は言葉が出なくなり、掛かりつけ医の手配で緊急入院しました。検査の結果、診断は脳梗塞が原因の言語障害ということでした。
 こちらの言うことは理解しますが返事ができません。まだ、集中治療室で治療中ですが、手当てが早かったためか、少し言葉が出るようになりました。まだ、安心という状態ではないのですが、すでにリハビリらしき訓練も始められています。

 ところが、留守宅に一人残っていた連れ合いの義弟が、突然の静脈瘤破裂で、あっけなく先立ってしまいました。通夜、葬儀と慌しく日が経過してゆきました。
 妹には報せても、帰宅できるわけではないので、可愛そうですが、親族、医師とも話し合って、報せないでおくことにしました。
 篤実で穏やかな人柄の義弟は、現役を引退後は派手な場は一切避け、一歩引いた世捨人風の暮しに徹していた人だったので、喪主を勤めるべき妹も入院中とあって、近親者と親しくしていた隣組の人だけ、20名余りで、離れることのなかった自宅での葬儀としました。
 小倉中学の同級生であった夫が、しみじみと語りかける若かりし日のエピソードのあれこれの、故人の思い出を語る弔辞は、甥や姪たちの知らなかった話で、感銘深かったようです。心の篭った温かな葬送となりました。会葬の人たちも、このような送られ方をしたいという人が何人もありました。

 ただ、半世紀の人生を共にしてきた連れ合いの永訣に立ち会えず、何も知らずにベットに横たわる妹には、憐憫の情、切なるものがあります。
 読経の間中も、祖父の突然の死を受け入れることができず涙が止まらない孫、そして「次郎」と名づけて故人が可愛がっていた柴犬が、何時までも主を探すしぐさを見せるのが涕を誘いました。



 四季はなほ定まれるついで(順序)あり。死期はついでをまたず。死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死あることを知て、まつこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。  
  徒然草155段

 人生の節目ごとに、妹が驚くほどの身辺整理をして、書物をはじめ物を処分していた人でした。自らを顧みるとき、こうした最後を迎えるとしたら、私はどんなに無様な数々のものを残して逝くことになるかと改めて考えさせられたことです。

試験問題に挑戦

2009年02月02日 | 塵界茫々
 新聞に試験問題が掲載される季節です。家族に受験生をお持ちの方は切実な思いでご覧になっていることでしょう。
 目についたさる難関中学として有名な中学校で出題された国語の問題です。冬ごもりのつれづれに挑戦してみてはいかがでしょう。時代を感じさせる出題でもありました。私には理科はお手上げ、算数は一題だけという情けなさです。かろうじて社会と国語は合格点?に達することができました。

 問1 「目新しい」は「目」と「新しい」が組み合わさってできた言葉です。次の1~6がそれと同じような成り立ちの言葉になるように、□に漢字一字を入れなさい。
(例)□こいしい→人こいしい
  1 □きびしい
  2 □おしい
  3 □難しい
  4 □めずらしい
  5 □易しい
  6 □おそろしい
 問2 「ファッション」は漢字の熟語では「服装」と表現することができます。次の1~6の外来語を漢字の熟語で表現するとどうなりますか。□に適当な漢字一字を補って正しい熟語を作りなさい。
  1 ポジション→□置
  2 インフォメーション→□報
  3 コレクション→収□
  4 ディスカッション→□議
  5 リアクション→反□
  6 セクション→□門

 クイズ感覚の設問とか、苦情をつけるつもりはサラサラありません。ひねりのある問とは一応思います。が、問2に要求される漢字の熟語をみて、なぜカタカナ語が優先されるのか、何か寂しい気がします。やはり、もう私達の世代は化石の部門に位置づけられてしまっているのでしょうか。些かやけっぱちになって補習問題を作成して楽しんだことでした。

 春の季語です。空白を漢字一字で埋めてください。
  □笑う。   □光る   鷹化して□となる   □温む   □の目借時

 受験生の皆さんのご健闘を祈ります。


太宰府天満宮に奉納された絵馬

座布団の怪

2009年01月12日 | 塵界茫々
 フローリングの床に椅子の暮しが中心になって、ふっくら綿の入った座布団は畳の部屋の消滅とともに居場所をなくしたようです。

 先日ある会合で、会議の後、畳敷きの広間での宴会になった折に出されていた座布団を見て驚きました。年末の忘年会シーズンとあって、臨時のアルバイトらしき中年の人たちが会場づくりを手伝っていました。なんだか座が雑然としているように感じて目が座布団に行きました。
 なんと座布団が縦横、まちまちに敷かれているのです。よく見ると表と裏もお構い無しです。もっとも縦横といってもそのサイズの差は僅かですし、まして表と裏といっても図柄は同じなら区別がつかないといってしまえばそれまでですが、脇の縫目は上から下へかぶさっているものです。
 丈の倍の長方形を二つ折りにして三方を縫い合わすので輪が(縫目のない部分)できますが、それが正面です。正方形ではなく幅よりも丈が4cmか5㎝長い方形でできています。
 こんなことも、年若い人ならさもありなんと驚くこともなかったのですが、少なくとも畳の暮しをしてきたはずの、四十代後半か、五十代前半と見える人たちの仕事ですから、時代の変化をしみじみと感じさせられました。
 世の中、おもしろくないことが多すぎます。「座布団一枚!」と景気よく掛け声を掛けたくなるような出来事はないものでしょうか。
 初場所も始まっています。朝青龍も正念場、座布団の嵐とならない場所であって欲しいものです。

 お正月の片付けをしながら思い出すままにたわいもないことを記してしまいました。とるにたらぬことへの愚痴は止めて、座布団を二つ折りにした枕で悪酔いを醒まして転寝を楽しむとしますか。



画像は熊谷守一の猫   数ある猫の絵の中で一番くつろいだ「眠猫」です。昭和二十八年 墨・彩色 愛知県美術館

過ぎ行く年

2008年12月30日 | 塵界茫々
 今年もあと一日で暮れてゆきます。「とし又去るや又来るや」来る年への祈りをこめて、憂きこと多かりし2008年を送ります。 

 赤い実に託し「難を転じ」皆様によき年の訪れますよう祈るばかりです。

        一年のご高覧に心よりお礼申し上げます。



沈んだ夕陽

2008年12月08日 | 塵界茫々
 加藤周一氏が去る5日午後に亡くなられました。享年89歳。
 戦後を代表する知識人として、新聞紙上の追悼記事にも「稀有な知性の人」「ぶれぬ視点で自由を貫く」と、すぐれた評論をはじめとするその活動に対して、敬意をこめた愛惜の追悼文が掲載されていました。

 朝日新聞に月1回掲載されていた「夕陽妄語」(せきようもうご)は、今度は何が取り上げられるかと、楽しみに待った記事でした。夏以来途絶えていました。
 私は40代半ば、「日本文学史序説」で初めてその著述に接しました。ものを見る目に、このような捉え方があるのかと驚き、多くの啓蒙を受けた方です。増鏡をあらためて読み直したのを思い出しています。

 医者とし東京大空襲の被災者の救済に当り、敗戦の日を迎えたのが25歳の時。 広島に原爆調査団の一員として入りその惨状を身をもって経験したことが、ご自身も言及されるように、その後のあらゆる著述や社会的活動の原点にあったようです。
 幅広い知識は夕陽妄語で余すところなく展開されて、古今、東西にわたり、文学、宗教、政治、とあらゆる分野に広がり、絵画でも、若冲、抱一、蕭白もとりあげられていました。
 特にしばしば言及されていた「日本文化の雑種性」と、平和憲法を守ろうと、4年前に大江健三郎氏、小田 実氏らと設立された「九条の会」の呼びかけ人となっておられたのを忘れることはできません。
 行動する本物の知識人と私には映っていました。
 すぐれた業績を持つ人が、また今年も年の終わりに妄語どころか、多くの提言を残して消えてゆきました。
 私の敬愛する方はなぜか12月に旅立ってゆかれるようです。白洲正子さん、石垣りんさんもでした。
 折りしも今日は無謀な太平洋戦争へ突入していった開戦の日です。当時の軍国少女だった私達の世代も次第に欠け始めました。 この残日の薄明かりの境涯では、一段と寂しさが冬の木枯らしの中で身にしむことです。


つつぎつぎの故障

2008年10月03日 | 塵界茫々
 今年の夏は格別の暑さでした。私の部屋のクーラーも悲鳴を上げて気紛れ運転になってしまいました。
 ご機嫌を損ねるとそっぽを向いて、うんともすんとも反応しなくなっていました。家電量販店では品切れで半月待ちといわれ、今度は一緒についてきたあるじがご機嫌を損ねる始末でした。高価な付属機能の多いものはあるのですが、寝室で一日のうち稼動する時間は僅かなので、そんな高価なものを買う気もなく、またにしようと引き返しました。
 秋風が心地よい季節になって、クーラーの出番がなくなった今日、十数年の古馴染みに代わって新顔がやってきました。「カロトウセンか」と、思いかけない一言がありました。まさかの芭蕉の登場でした。「夏炉冬扇」は私の役立たずの遊びごとに向けられていましたが、これは文字通りの“秋扇”です。

 一つの家電製品が故障し始めるとどうやら不具合は伝染して、次から次のようです。オーブンももう寿命のようだし、台所の水周りもそろそろです。手入れの悪い換気扇も音で苦痛を訴えています。考えてみれば、改装してからでも、二十年ですから、不具合を起すのは仕方のないことでしょう。一つの不具合が次の不具合を呼ぶのは、ここで暮している人間様も同様です。こちらは、部品の交換も買い替えもできませんが。

 ”家や先、人や先”と考えると、あまり熱意も湧いてこないのですが、ここは発想の問題で、「もう先がないのだからこのまま」か、「先がないからすぐにやり換える」か。プラス思考か、マイナス思考か、どちらでゆくかです。
 積極派の私がリビングの全面改装をと、その気になっているとアメリカ発の株価の暴落で、急ブレ―キが掛かってしまいました。世の中なかなか思うに任せないことばかりです。ただ一つの朗報は、今日、大病院で半日かけての精密検査の結果、転倒打撲の頭の方は異常がないと診断されました。頑固回路の修復は不能でしょうが、ともあれ動きの不自由な体にはならずに済みそうです。お気遣いを感謝しています。

上、葵文釘隠 下、柏文引き手 細見コレクション・七宝より

消息

2008年10月01日 | 塵界茫々
 来年の女学校同期の同窓会当番が回ってきました。7地区に分けて持ち回りにしていましたので、7年ぶりの当番ですが、この間に幹事をしていた中から二人が欠けました。
 昨日幹事5人で、会場の選定と会報発送の仕事を分担するための会合を持ちました。
 80歳ともなれば、連れ合いに死別する人、介護で動きが取れない人、自分自身の病気と、さまざまな事情で当番の仕事ができかねるのは致しかたのないところです。
 集まってみると、友人達の思いがけない消息が耳に入ります、一番敬遠したい認知症が出始めていて、連絡が通じない悲しい存在もあります。元気だったころは、活動的で、ことの処理がてきぱきしていた人だけに、信じられないもどかしさが、自分自身の老耄に重なって、暗澹とした思いに捉われました。
 元気な間は、膝が腰がと嘆きながらも、当番の仕事がこなせるのを幸せと思いましょう。と語り合ったことでした。
 例年40人余りが集まる会ですが、あと何年この会が維持できるものか、それも覚束なくなってきています。細々とでもせめて米寿まではと、希望的観測を述べ合って散会しました。








動物愛護週間

2008年09月22日 | 塵界茫々
 今月20日から26日までは、毎年、動物愛護週間です。つまり秋のお彼岸の期間と重なっているのです。
 かつてはセパードにはじまって、コリー、ドーベルマンと、父の好みの犬が家族の一員として一緒に暮らしていましたが、死別の悲しみを経験する都度、もう嫌だと私が言い出しました。犬の姿がわが家から消えて三十年近い歳月が流れています。
 身一つが思い通りに仕切れなくなった年齢では、いくら好きでももう犬を飼うことはできません。飼われる犬のほうが迷惑です。
 食事の世話はできても、散歩や排泄の始末、ブラシかけなどはできそうにもありません。

 世の中には下のような不思議な間柄の“仲よし“もあるのです。政界にも存在するようですが。
 ずっと昔、子供が喜んで見ていたアニメにも”トムとジェリー”というのがありました。何時も流れていた歌は今も歌えます。

この画像は、前に香HILLさんから「役立たず」として配信されていたものです。


<六波羅密の猫>
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不測のできごと

2008年09月14日 | 塵界茫々
 前から寝つきが悪く、睡眠導入剤の世話になることが多かった夫ですが、手術後は効きが速いので、投薬された錠剤を半分にして時折飲んでいたようでした。

 11日の早朝、4時近く、私はもう起きて着替えをすましていました。廊下で起きている気配がしたので、覘いてみると、パジャマの肩から胸の辺りまで血だらけで、顔は目と鼻、口からも血が垂れています。驚いて、「どうしたの。」と尋ねるのですが、「わからない。」と言う返事です。今,鏡を見て気がついたということで、記憶が完全に途切れているようでした。手にしている顔を拭いたタオルも血だらけです。

 意識ははっきりしているし、物も見えるようでした。両手足を動かすように言ってみましたが、運動機能にも異常はないようで、ただ、足がふらつくといっていました。
 夜が明けるのを待って、ホームドクターに電話をし、状態を説明すると、「睡眠薬が原因ですね。出血はまだ続いていますか。」と尋ねられました。
 出血はほとんど止まっていました。そのまま冷やすのを続けるようにと指示されました。年寄りのこうした事故には慣れているのか、余り心配しないでいいといった対応でした。

 鼻と目の堺もないほど紫色に腫れ上がって、無惨な面相です。
 どこで何にぶっつけたかはわかりませんが、ベッドの傍の床に血が落ちているので、トイレに起き上がり、ふらついて方向を誤って転倒したときに、何かにぶつかって、顔をしたたかに打ったもののようです。
 鼻を噛んでも血が混じるし、唾にも血がまじっているので、念のため午後、病院に行くことにしました。サングラスを外すと、顔なじみの受付や、看護婦さんたちが一様に驚いていました。
 触診で、大丈夫でしょう。ということでしたが、目のほうは気になるので、次の日は、検査にゆきました。目が赤くなっているけれど、眼球に異常は見られないということでした。内出血があるのでと、点眼の薬を貰いました。3日目になると、それまではさほどではなかった片方の頬が、おたふくかぜのときのように腫れてきました。

 口の中の感覚がないといって食欲も落ちていましたが、今は少し食欲も回復してきました。目の辺りの腫れも少しずつ減っています。

 年をとると、何が起るかわからないと、しみじみ思い知ったことです。連休明けには、念のため脳外科にも診察を受けに行ってもらうつもりです。
 私の足許もおぼつかないというのに、これで補助なしには歩けなくなると大変なことになりますので。

 夏の名残に絡まり揺れる風船蔓です。



角界異聞

2008年09月08日 | 塵界茫々
 国技だったはずの相撲が、こんなにも面白くないようになったのは、外国人力士によって仕切られてしまうからだけではないようです。外国人力士を入れることは決して悪いことではないでしょうが。
 以前、今に蒙古場所が始まると書いたことがありましたが、その冗談が現実になってしまいました。
 秋場所目前のこの時期、ロシヤからやってきた力士たちに大麻の陽性反応が出て、大騒ぎになっていますが、いかにもありそうな事件です。
 大名家のお抱えではないのですから、当然司直の手が入るわけです。徹底的に調査され、粛清されることを期待しています。

 財団法人日本相撲協会は、日本の伝統文化を継承するものとして、税制上でも公益法人として優遇されているのでしょう。納得の行く処置を期待します。強ければいいで、余りにも不祥事が多すぎます。
 週刊誌が指摘する八百長騒動、巡業よりサッカーを優先させる横綱、指導と暴力制裁の区別もない世界となれば、人気がなくなるだけでなく、国技としては存続できなくなるでしょう。「弟子の指導は親方の責任」と言い続けてきた人の責任の取りようもすっきりして見せてほしいものです。

 江戸のころは一年に二回、十日ずつの興行でしたから、人気も一入だったのでしょうが、谷風、小野川、雷電、不知火と伝説の力士に事欠きません。、いま少し気合の入った相撲が見られないものかと思ってしまいます。

 「わしが国さで見せたいものは昔や谷風、今伊達模様」と唄われた仙台藩お抱え力士、谷風と久留米藩お抱えの小野川が好取組を見せた寛永の黄金時代はもう夢なのでしょうか。