「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

おつけしますか?

2006年07月31日 | ああ!日本語
 先日の朝日新聞の記事のタイトルです。文化庁が26日に発表した「国語に関する世論調査」の結果を受けての記事で、あなたは「お」を付けすぎていませんか。と問いかけています。朝日以外の新聞を購読されている方のために簡単に調査結果を記します。

 「お」を付ける人が多かった単語は、調査対象の15単語のうち、菓子、酒、米、皿、弁当、茶わんで、“付けることも、付けないこともある”を含めると約6割でした。
逆に、9割以上の人が「お」をつけない単語は、靴下(98%)、ビール、かばん、ソース、紅茶の順です。

そして、「お」は、尊敬語、謙譲語、丁寧語に続く第4の敬語とされる「美化語」の一つで、物言いを丁寧にする働きがある。と解説されています。

「美化語」が何時の間にか第4の敬語の位置を与えられています。私の日ごろ使用している日本文法大辞典や、広辞苑(1版)には、まだ「美化語」の項はありません。「お」は丁寧の意味の接頭語と教わったような気がしていますが・・・・・。
そうでなくても煩わし敬語を、さらに分割し複雑にしないでほしいと願うのですが。

 時代とともに動くのが言葉であってみれば、平等が優先される現代社会で、敬語が簡略化されてゆくのは当然の流れです。それでも、自分の言葉遣いの品位を保つための、「お」をつける人は絶えることはないでしょう。そして、そのほうが豊かで、滑らかな会話が成立することもあります。ただし、「お」を見境なく濫用するのは、見苦しく、かえって、人格を疑われますし、場合によっては、皮肉か、揶揄と受け取られます。

 「お」の使用は伝統的な文化のもたらしたものですし、文化庁の「お」指図で、付けたり、付けなかったりするものとはちがいます。ジェンダーフリーの世の中とはいえ、大人の世界の言語では、おのずと言葉のユニセックスとはゆかないでしょう。当然、女性の「お」の使用が多いのも、宮中に仕える女房言葉以来の伝統です。
 人それぞれ、その場に相応しい、気持ちのこもった言葉遣いがいちばん美しいと思うのですが。

 最後までお付き合いくださってありがとうございました。『お疲れ様でした』

「お」の他、慣用句の誤用や、意味の重複する言い方の調査もなされたようです。来年2月までに、これらの調査結果を反映して文化審議会国語分科会の指針が答申されるそうです。

 ラグタイムさんが早々に「つけません」でこの記事を取り上げておられます。

苦味好みの蝉

2006年07月29日 | 季節のうつろい

 かまわない菜園の片隅に、昨年のこぼれ種から成長した苦瓜がか弱く成長しています。雨上がりの今朝のぞいて驚きました。

 頼りない葉の裏に、8個もの蝉の抜け殻がかたまってくっついています。
 前から1,2個ついていたのかもしれませんが、こう1箇所に集中すると、注意散漫な私でも気がつきます。
 7年もの土中の生活から地上に登場するのに選択したのが、この苦瓜とは。背中の縦の割れ目が衣更えの印です。

 他の季節とちがって、耳で強烈な季節を感じる夏は、この蝉たちの大合唱があるからでしょう。春秋の鳥や虫の鳴き声の穏やかさとは質を異にします。
 僅か2週間のいのちを生きるひたむきを感じます。それでいて、あっけなく土の上にむくろを曝して小さな虫たちの餌になっている姿を見るとき、己の人生や死への思いを誘われます。

 山寺の蝉の声を「岩にしみいる」と感じた芭蕉のおもいにも重なります。さらには、この抜け殻の名前を「空蝉」ウツセミと呼ぶ美しい言葉からは、源氏物語の「空蝉の身をかへてける木の下になほ人がらの懐かしきかな」の嘆きの声を連想します。着物を残して源氏から逃れた常陸介の妻の思いへと拡がっていきます。

  蝉穴といふ寂寞をのぞき見る      能村登四郎
  蝉鳴いてどーんとせばまる死の歩幅   岸本マチ子

 それにしても、苦瓜の葉裏で、旅立った蝉たち、今頃は、きっと苦みばしった顔つきで、渋い声で鳴いていることでしょう。
それとも、鳴くことのない蝉世界の、もの静かな女性でしょうか。





ホークス・ロッテ戦

2006年07月26日 | 遊びと楽しみ
恒例7回,ホークス攻撃前の風船飛ばし


 雨になった午後、弟の招待で、ホークスの対ロッテ戦ナイターを観戦するため、ヤフー・ドームへ向かいました。

 試合は、先発の新垣投手が調子上がらないながら、5回までハラハラし通しのなか、0点で抑えていましたが、あわや退場かと思われるデッドボールから、6回には2点を失いました。しかし、打線の、松中に代わった田上が大当たりで、すべての得点に絡んで3安打5打点の猛打賞の活躍に助けられ、無事勝利投手です。

 1本のホームラン、一握りの少数ながら、統制の取れた見事な応援と、ロッテも頑張りました。

 四月のスーパーボックスでの観戦と違い、内野席での、奇妙な一体感の中で、大声を上げ、メガホンを叩いての応援でした。

 試合運びが速いテンポで進行したうえ、ホークスの勝試合だったので、疲れが少なくて済みました。

 帰りの混雑を避けて、9回、吉武に代わった馬原が2アウトを取ったところで、9時半、退出しました。お立ち台と、花火の打ち上げに、気持ちは残っていましたが、混み合うことを思っての早々の引き上げでした。

 ホークスは、後半戦を幸先良く、6:3の勝利でスタートとなりました。






蓮の花

2006年07月25日 | 塵界茫々


 このところ、再々訪れる弟の家の、門の脇に置かれた大鉢に蓮の花が咲いていました。
 人の記憶というのは不思議で、ひとつの風物から、遠い日の想い出を再現させます。炭鉱の採炭跡が陥落して大きな池になっていました。父の魚釣り用の舟を出して、池に咲く蓮の花を取ろうとして、池に落ちた夏休みの風景があります。

 そして、今日は、この風景とは別に、どこかで見た蓮の咲く広がりのある空間があったのをしきりに探していました。たどり着いたのは、北原白秋の柳川でした。
柳川は城を三めぐり七めぐり水めぐらしぬ咲く花蓮   白秋

 八女の吉武和美さんの窯開きの都度、立ち寄っていた柳川ですが、最近は疎遠になっています。「帰去来」の詩碑を見た日でした。
 最終章の「故郷やそのかの子ら、 皆老いて遠きに、 何ぞ寄る童ごころ。」が今はしみじみと理解できます。

 古代エジプトで神聖視されたのは睡蓮ですが、仏教では西方浄土に咲く聖なる花は、蓮です。経文にもしばしば登場しています。花は3日間、繰り返し朝開き、午後閉じますが、開花の時間は、日をおって遅くなるようです。3日間の開花のあと花びらを散らしてゆきます。あとに「蜂巣」を思わせる実を残します。
「蓮葉の濁りに染まぬ心もて なにかは露を玉とあざむく」はあまりに有名な歌ですが、七夕の折、葉に置く露をお椀ですくって、墨を磨った匂いも懐かしい思い出です。

  雪月花さんの「天上の花」に、蓮の花に関しての優雅な写真と記事が掲載されています。ご一読をおすすめします。












宝塚歌劇雪組公演

2006年07月23日 | 遊びと楽しみ
「ベルサイユのばら」―――オスカル編―――



 毎年の定期福岡公演を見に、博多へ出かけました。私としては「珍しく」と形容詞が付きます。

 田辺聖子女史もお通いになるとか。旧友に熱烈なファンがいましたが、たまには夢の世界に遊ぶのもいいかと、日ごろ世話になっている義妹へ感謝の意味を兼ねて一緒に出かけました。

 地方巡回公演で上演される、宝塚ではもう終了している演目です。原作は池田理代子の代表作で、「ベルバラ」なる単語を生んだ有名な作品です。18世紀、フランス革命をバックに展開する貴族社会と庶民を扱った仮想世界の物語です。
 女の子でありながら、男の子として育てられたオスカルは、「男装の麗人」と大昔呼んでいた宝塚に相応しい主人公です。
 今回は雪組のメンバーによる上演で、オスカルを水 夏希、ロザリーを舞風りら、で演じられました。

 洗練された華やかな夢を誘う舞台装置、よく鍛えられた美女たちのスピード感のある動きと、歌声に、3時間は、うつつならぬ時間でした。
今回の座席は前から6列目の中央、迫力満点で、双眼鏡の必要もなく、いささか面映くなるほどスターたちを眺めることが出来ました。

 天神での夕食も予想以上の美味に出会って、満足の半日を過ごしました。


初施餓鬼

2006年07月20日 | 塵界茫々

 新盆へ向けての仏事のうち、今日はお施餓鬼が行われ、初施餓鬼の法要に参加してきました。

 檀那寺における初施餓鬼の新仏16霊、それぞれの供物に彩られた一種の華やぎの中で、6人の伴僧によって、法要が厳かに営まれました。こうした供養が積み重ねられることで、すでにこの世に存在しない亡魂であることを確認して、別れを受け入れてゆく作業と私には映ります。
 
 撒かれた散華の紙の花びら(左上と、右)を拾い、やがて読み上げられた供養塔婆の施主が、塔婆と梵天を受けて、焼香します。持ち帰った塔婆は、お盆の間仏壇に収め、送り火で送った後、お寺に納めます。こうして一連の供養が終わることになります。

 本来の施餓鬼供養はどのようなものであったにせよ、現実に今日行われているのは、餓鬼への供養というよりは、亡き人への供養といった色彩が濃厚です。

 供養の対象を特定しないご先祖のための、昨年のお施餓鬼とはやはりちがった母のための初施餓鬼供養でした。


 施餓鬼供養のための祭壇.右隅に積まれているのが、供養塔婆。


 初施餓鬼の梵天(瓶に差されているもの)と、普通の梵天(平たく置かれているもの)

初施餓鬼のためのとりどりの供物。果物、野菜、菓子など。
  
散華の紙の花びらを撒く僧たち。手にする花ざるは、金色の透かしの入ったもの。  




新盆の準備

2006年07月18日 | みやびの世界
 日ごろの怠慢の報いで、雨の力を得て、いよいよ勢いを増す草たちに振り回されています。
 次のスペースが終わったと思うと、もう前の終わったはずの場所に「こんにちは」と顔をのぞかせて、いい加減な仕事ぶりを笑っています。
 加えて、介護に時間を取られたという都合のいい言い訳に寄りかかって、おざなりにしていた家の中の片付けや、障子、ふすまの張替え、と一気にさまざまな仕事が重くのしかかってきました。

 別に目新しい特別の方がお見えになるわけじゃないのだからと、あるじは開き直って、平然としています。
 以前は自分で出来ていた障子なども、人様の手を借りることにして、その手配だけなのですが、ぐずぐずと捗りません。
 それでも、玄関周りの、棕櫚縄が切れて、ぐずぐずになっている鉄砲墻の竹を取り替えなくては見苦しいと思っていました。

 見かねた弟が出入りの大工さんを伴ってやってきて、7年ごとの竹の取替えはもう年齢的にも無理だから、板壁にしたほうが、後々の手間が要らないと勧めました。揺らいでいた柱を取替えて、竹を組むつもりだったのですが、大工さんの、「どちらでもいいけど、板壁も似合いますよ。経費も、持ちを考えたら安く上がるし。」の一言で決まりです。

 下ごしらえをしてきた板塀が3人がかりの仕事で、頑丈に1日で仕上がりました。
 目に慣れないし、今までの竹の垣根とは風情が異なり、なにか固い感じがします。そのうち馴れることでしょう。
 こうして、万事、年齢と折り合いをつけてゆくほかはないようです。



走れ、山笠!

2006年07月15日 | 遊びと楽しみ

 今朝は博多の総鎮守、櫛田神社の祇園祭りのハイライト、追い山でした。
 今月1日の「辻祈祷」で幕を開けた祭りは、山小屋建設、御神入れ、の行事から、9日の「お汐井とり」と次第にテンションが上がってゆき、今朝5時の、各流れの櫛田入りの山笠奉納で、フィナーレです。
 清道入りの後、博多の街へ出た重さ1トンの山は、次第に明るさを増す5キロの道のりを、「オイサ、オイサ」の掛け声で男衆の肩に担がれて、勢い水(きおいみず)を浴びながら、速さを競って駆け抜けます。(今年は30分をきった山が2つもありました)

 伝統ある祭りというのは、華やかさ、熱気と、好対照に、静かさと厳かさを持つ神事が平行しています。
 櫛田の清道入りの猛々しい華やぎの奉納の後には、鎮めの能が奉納されています。

昨年は「流れ舁き」を見物に出かけ、櫛田神社の見物席で写真を撮り、街中で勢い水を浴びて、博多っ子並みに興奮していました。
 今年は、母の喪中ですので、お宮さんの祭りは憚って、おとなしく早朝からテレビで楽しみました。何年か前のNHKの朝のドラマ「走れ、山笠」で、全国版になりましたが、京都の優雅な伝統を持つ祇園会の山鉾巡行(17日)とは一味違う、熱気あふれる勇壮な祭りです。



写真上は西日本新聞より、下は博多祇園山笠振興会より、今年の分をお借りしました

絵付けに見る桃山陶

2006年07月13日 | 絵とやきもの
 趣味の域を出ない私の墨彩画ですが、それでも行き詰まったり、迷ったりします。
 そんな時、美術全集を開くより、手持ちの数少ない図録の中から、陶器に描かれた絵に教えられることが多いようです。
 思い切った省略や、勢いのある線、あるいはゆったりとした空間、ユーモラスな捉え方とその表現など、陶器に絵付けされたものには、その特性が、新たな発見をもたらしてくれます。
 その中でも、桃山時代の作品に強く惹き付けられます。これらを本歌としたと思われる近代作家の作品の幾つかを思い浮かべても、到底、古陶のもつ伸びやかな雅味には及ばないと思ってしまいます。私が惹かれる作品を次に挙げます。










   織部角鉢(重文)     「卯花墻」志野茶碗(国宝)





この季節の風

2006年07月10日 | ああ!日本語
 台風3号が九州の西海上を北上中とニュースが伝えています。やっと晴れたと思っていると、また雨の予報で、強風、波浪の警報が出ています。
 清少納言は「風は嵐、木枯」と言い切っていますが、再々の襲撃を受ける土地に生活していては、好ましいものとして挙げる気には決してならないでしょう。

 日本語ほど風の名称が豊富な言語は他にないのではないでしょうか。
 近年の「風の事典」関口武著・原書房によると、2145もの名前が収録されているようです。

 今の季節なら、梅雨前期の黒い雨雲の下を吹く風が、「黒南風」(くろはえ)、梅雨半ばに吹く「荒南風」(あらはえ)、梅雨明けの明るい空の下を吹く「白南風」(しらはえ)など。
「南風」はおだやかに吹く順風です。

   黒ばえの宇治の山裾鷺渡る    野村泊月
   白南風にかざしてまろし少女の掌  楠本憲吉

 そのほか、萬緑の樹々を揺さぶって吹き過ぎる「青嵐」も、青葉を渡る「薫風」も夏の風です。北の国に冷害を運ぶ「山瀬」の北東の風だけは、なくもがなの風です。

「あいの風」もこの季節のものです。「あい」は「あゆ」の転です。万葉集で大伴家持が、
東風(あゆのかぜ)いたく吹くらし奈呉の海人の釣りする小船漕ぎ隠る見ゆ
と詠んでいます。日本海側では、東風、北東風、北風と、いろいろな風をいうようですが、いずれにしても、沖から陸に吹きつける風の呼名のようです。私は「鮎」や「愛」を連想してしまいます。

 W杯は、イタリアに風が吹いて、1ヶ月に及ぶ旋風が吹き過ぎました。「つむじかぜ」と読まずに「せんぷう」と読めば、社会の反響を呼ぶ出来事や、激しいスピードを伴った動きにもたとえます。
 爽やかに旋風を巻き起こしたヒーローたちがいました。





夏の風の色はやはり白が似つかわしいようです。
今年の半夏生は、真っ白の全化粧です。
シジミチョウの仲間が訪問中でしたが、
接写する前に帰ってしまいました。