ボンバーのいろいろな日々。

自己満足でしか書いてませんが、お時間がありましたら見てくださいな。

久慈照嘉さんの記事を見て、当時が懐かしくなる。

2024-03-05 09:33:56 | さるさる日記
7時半起床。
朝から雨。今日は1日中雨予報プラス寒い。珍しくカイロを出したけど、箱買いをすることがなかった今回の冬。去年1月に買ってたのが偶然にも1枚残ってたのは、ラッキーやった。効力があるなしは抜きにして、使えるなら使いましょう。
今週は甲子園ウィークの阪神だけど、さすがに今日は…。
<岡田彰布監督が心配顔、開幕ローテーション候補6人の調整「まかない切れん」甲子園2連戦雨予報>
<岡田彰布監督(66)が雨予報に心配顔だ。甲子園での今季初ゲーム、楽天2連戦が行われる5日から6日にかけての天気は雨模様。「もし5日、雨降ったらなあ。5日(の先発)は村上やけど、またちょっとなあ」。今週の甲子園5試合で村上・大竹・伊藤将司・青柳・才木、6日の2軍教育リーグ・ソフトバンク戦(鳴尾浜)は西勇輝が先発予定で、開幕ローテーション候補の6人が続々と登板を予定している。雨で試合が流れれば、開幕前に十分なイニングを投げられない投手が出てくる可能性がある。/「どこかで2人投げささなあかんようになるかも分からん。こっち(1軍で)でまかない切れんようになるから、ちょっと雨降ったら困るんやけどなあ」。西勇輝と大竹はここまで実戦登板なく、青柳も1イニングのみ。>
そういえば、大竹が投げた話を完全に忘れてれば、それだけ若手投手の話題が多かったのもいいことですよ。阪神関連でもある中で、2月終わりに久慈照嘉さんの特集記事があったことを知る。その当時が少し懐かしくなった。
<中日コーチの打診も…拒否して選んだ自由契約/給料減でも貫いた阪神への“愛”>
<元中日内野手の久慈照嘉さんは2000年を越えてから苦しい時期が続いた。プロ11年目の2001年は34試合の出場で11打数1安打。若手の井端弘和内野手の台頭もあれば、右脇腹や左ふくらはぎを痛めたことも関係したという。「ケガしたところは僕にとって、どっちも致命的な場所だったのでね」。恩師である星野仙一監督の退任も決まった。>
記事の内容は中日時代の話でも、2002年オフに阪神へ復帰したやん。
<2002年シーズン終了後、中日球団からはコーチ兼任の話をもらった。だが、久慈照嘉さんはそれを断って自由契約を希望し、恩師の星野仙一氏が監督を務めていた古巣の阪神に戻ることにした。星野監督とともに中日から阪神に“移籍”していた島野育夫ヘッドコーチから「(星野)監督がお前の枠をとっておく、また同じ仕事をしてくれって言っているぞ」と言われたのが決め手だった。>
阪神時代と中日時代、どちらを連想するだろうか?もちろん阪神時代にクローズアップするのは書くまでもない中で、当時の阪神としては、久慈照嘉さん・関川浩一さんを放出して大豊泰昭さん・矢野燿大さんをトレードで獲得したことで、ショートはどうするの?と疑問になったほどやし、甲子園で中日のユニフォームを着て活躍してる姿を見て複雑になったのを書くまでもなかった。そして2002年オフにれば、久慈照嘉さんが阪神へ帰ってくることに喜んだことも、また懐かしい。別の記事の最後にこう書いてますな。
<阪神の優勝で沸いた2003年。久慈照嘉さんは55試合に出場して、46打数14安打の打率.304の成績を残した。3勝4敗で敗れたダイエーとの日本シリーズは、メンバー入りしながら出番なしに終わったが「星野仙一さんは阪神での総決算として藤本を使ったと思う」。このシリーズ限りで退任した闘将の考えも理解していた。何よりもタイガースに戻って正解だった。>
守備のスペシャリストが阪神へ戻ってきた!獲得を発表した時に、そんな言葉が浮かんだこともあった。2003年といえば阪神のユニフォームを買ったのが平下晃司さんだったけど(懐)、久慈照嘉さんのユニフォームを買ってたら…。そんな後悔もややあるが、久慈照嘉さんの守備は好きでしたぞ!